第6話

「ふふっ、ふふふふふっ……」


 あの日、もう二度と使わないと決意した、ヘッドフォン。

 私が高校時代に愛用していたものです。


 あの頃はこれで、よく音楽を聴いていました。

 放課後の教室で1人、好きな曲を流す時間が好きでした。


 けれど、いつしか彼と話すようになって……

 音楽を聴いているよりも、彼と話す時間の方が大切になって……


 私は彼のことが、好きになってしまったのです。


 彼と話しているときは、不思議と心が安らぎました。

 好きな人と話しているときは緊張する、なんてよく聞く話ですが、私にとっては安心感と、圧倒的なまでの居心地の良さが勝りました。


 勿論、ドキドキもしていました。

 けれど彼の声は……とても聴き心地が良くて。

 耳が幸せでした。


 だからあの日、あのとき……私が犯してしまった過ちは、ほんの出来心によるものだったのです。


 あの日は、とても美しい夕焼け空でした。

 あまりにも美しいものですから、彼と一緒に思わず見惚れてしまいました。

 まあ、正確に表現すれば、夕日に照らされた彼の横顔に、ですが。


「綺麗だね」


 私はそう呟くと、ポケットの中でスマホをタップしました。

 ボイスレコーダーのアプリは、予め起動済みです。

 彼は、私の言葉に釣られるように、夕焼け空を見つめながら言いました。


「ああ……綺麗だ」


 内心、すごくドキドキしていたのを今でもはっきりと覚えています。


「折角だし、一緒に写真撮ろうよ」


 私はそんな内心を悟られないように、全然関係のないことを提案しました。

 今思えば、これもとんでもない提案ですね。

 当然のことですが、あの写真は印刷して、私のアルバムにこっそり保管しています。


 けれどもあのときはツーショットを撮る緊張よりも、春貴さんの声がちゃんと録音できたかの方が気になって仕方ありませんでした。


 帰宅した私は、おそるおそる音声ファイルを再生しました。


「ああ……綺麗だ」


 はっきりと、データに残すことに成功していました。

 嬉しくて、何度も何度も再生しました。


 それは、私に対して呟いた言葉でないことくらい、理解していました。

 けれど私は、その言葉が自分に向けられたものだと妄想して……


 ものすごく、興奮しました。


 一度味を占めた私は、その後も何度か、同様の行為を実行しました。

 彼のボイスコレクションは少しずつ、増えていきます。


「友達ですし、名前で呼び合いませんか?」


「……


 勿論、彼と親密になりたかったというのもありますが。


「好きな食べ物は何ですか?」


「……基本何でもいけるけど、強いて言うならハンバーグかな。あ、ピーマンは苦手」


「じゃあ動物は?」


「……え?な動物?」


「うん、好きな動物」


「うーん……犬よりは猫派かな。千秋は?」


 勿論、彼のことをもっと知りたかったというのが一番ですが。


 私は録音した音声を切り取り、連続して再生します。


『……千秋、綺麗だ』


『千秋、好き』


「きゃあああああっ!!!!!」


 ……つい大声を出してしまい、両親に心配されました。

 その時を境に、私はヘッドフォンを通して音声を聴くことを学習しました。

 本当は大音量で部屋中に流したかったのですが……


 しかし、一方でこんなことをしていてはいけないということも、私は分かっていました。

 それはある日、彼の進路について尋ねたときのことです。

 彼は、私には到底無理な大学名を挙げました。


 瞬間、私の初恋は散りました。


 薄々、気づいてはいました。

 彼は頭が良くて、素敵な人。私のような真面目なだけが取り柄の女の子なんて、興味がないことくらい、頭では理解しているつもりでした。

 ……いえ、そもそも女の子にあまり興味がなかったのかもしれません。

 私はあくまで、友達止まり。


 それでも私は彼のことが好きで……いっそのこと告白して、散ってみようかと思ったこともありましたが、それは無意味なことだと思って止めました。


 今になって思えば……告白した方が、きっと諦めがついたのでしょうね。


 孤独で辛い大学生活に耐えられず、卒業と同時に封印を決意した禁断のアイテムについ、手を伸ばしてしまった私。


 彼の声を聴いていると、楽しかった高校時代の思い出が、鮮明に蘇ってきました。


 春貴さんは、優しくて。

 春貴さんは、賢くて。

 春貴さんは……本当に格好良かった。


「……ううっ」


 何故でしょう。

 私は、春貴さんの声を聴いて、耳が幸せなはずなのに。


「……」


 こみ上げてくる感情が、どうしても抑えられません。


「……会いたいよ……」


 春貴さん。

 春貴さん。


 私は貴方のことが……大好きでした。

 どうしても忘れることができず、未練がましい私のことを、貴方は許してくれますか。


「……会いたいよ……春貴さん」


 私は、辛い日々から逃れるように、春貴さんの温もりへと再び恋焦がれていくのでした。

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