発展的解散

 M子が無断欠勤の末に解雇処分となったのは、俺にとって意外な結末だった。たとえ戸塚のアカウントから発掘されたM子の緊縛画像が社内で広まったとしても、M子は涼しい顔を浮かべて出社を続け、顔にモザイクのかかった画像を自分の顔の横に並べて、

「似ていますか? これは私ではありません。セクハラで訴えますよ」と平然な顔で受け流すのだと、俺は踏んでいた。

 戸塚が会社を去り、晴れて放し飼いとなったM子は、社内の野郎どものドロドロとした好奇の視線を一気に集めて、自らは意識しなくともイカ臭い野郎どもを手玉に取り、女性陣から受けるやっかみや蔑みの視線を嘲笑うのだと予想した。

 しかし彼女のメンタルは意外なまでに脆く、噂が広がりつつある状況下で残り少ない有給休暇を使い果たし、そのまま連絡が途絶えて解雇処分となった。

 M子の姿が消えた結末の根源――コンプライアンス事務局への副業の情報提供はもちろん俺の仕業だが、俺には罪の意識など微塵もない。


 もう誰も見向きもしなくなった戸塚の懲戒発令が掲示板から撤去されたのは、発令日から数えてちょうど二週間後のこと。その日の午後、同期の山崎に誘われて缶コーヒーを片手に二人で屋上へ上がった。

「お前の上司だったんだよな……こっちとしては粛々と事務的に手続きを進めるしかなかったんだ。面倒をかけちまって、すまない」

 山崎に「すまない」と言われて胃の奥にある影が広がる思いがした。

「こっちは大丈夫だ……いや、まさかね。あの真面目な人が……」と被害者ヅラをする自分を蔑みながら「急だったから、驚いたよ」と、うっすら呆れ笑いの顔を浮かべてみせた。

「匿名で二件も同じ内容の情報が寄せられたんじゃ、こちらとしても早急に対処するしかなかったんだ」

「二件?」

 冷静さを装ったつもりが、声のトーンが少々上ずって焦った。落ち着け、缶コーヒーをゆっくりと口に運んで山崎の次の言葉を待った。

「最初に封書で送られてきたのはSNSの如何わしい画像だけだったから、こちらとしてもどう対処するか困ったんだ。戸塚は撮影相手から金を取っていたみたいだけど証拠はないし。これは私の趣味です、と言われればそれまでだから」

 俺が匿名で送った封書は、確かにコンプライアンスの相談窓口に届いていた。SNSのアカウント名や有料で撮影モデルを募集する告知のスクショ、数枚の緊縛された(M子以外の)女の裸体の画像を印刷して同封した。なるほど、たしかに金品授与の証拠となるものはそこにはない。

「二件目はUSBメモリだよ……M子だったっけ? あの女と戸塚がラブホテルやSMクラブに一緒に出入りする様子がばっちり映った画像データが送られてきて。戸塚は妻子持ちだっただろ? さすがにこれはアウトだろってことで倫理委員会の意見が一致して、それからの動きは早かったよ」

「そんなタレコミがあったのか……」唖然とした表情をわざとらしく浮かべながら、疑念が渦を巻いてぐるぐると回転した。いったい、誰が、そんなものを。

「海外出張の前日に俺が戸塚本人に聞き取りをしたら、あいつ、あっさりと副業を認めやがった。処分が正式に決まるまでは出張は止められないから、そのまま海外に行っちまったよ。もう仕事をする気もなかっただろうから、慰安旅行気分だったんじゃないか。とんだクソ野郎だぜ」

 戸塚はそんな慰安旅行の最中に『サカウエさんに縄の愉しみを教えて』と子飼いのM子に命じた。自暴自棄が故の行動なのか、いやそれとも――。

「まあ、『こいつ、いい思いをしやがって』っていうやっかみがなかったかと言われれば、それはまったく否定はしないけど」山崎がニヤけた顔を浮かべながら、そう吐き捨てた。

 本来は外に漏らしてはならない倫理委員会の内情を、したり顔で同期の俺に全てぶちまけた山崎。白い歯をちらりと見せて薄ら笑いを浮かべた彼の倫理感は未だ、緩い状態をキープし続けていた。


 コンプライアンスの相談窓口に戸塚の所業をチクった人物は二名存在した。一人はもちろんこの俺だ。匿名なのだから、もう一人が誰なのかは知る術がない。

 俺と同様に戸塚の緊縛写真家としての活動を把握して、被写体としてのM子の存在に気が付き、二人の行動を追ってホテルやSMクラブへ同伴する様子を画像に収めていたのだから、その粘着気質には恐れ入る。

 それらは福島の仕業だと俺は踏んだが、根拠や証拠などはもちろんない。性根がぐうたらな福島に、そんな探偵気取りの行動ができるのかは疑問として残るところではあるのだが。


 戸塚とM子が去った運営管理グループは、俺と福島の二人きりとなった。管理者不在の状態が一ヶ月を経過したころ「発展的解散」というお決まりのビジネス枕詞を添えて、グループは解散となった。

 福島は元の所属だったITシステムグループに引き取られ、俺も福島のバーター扱いで一緒にグループ異動をするはめになった。福島が戻ることを知ったITシステムの連中が、みんな揃って苦い顔を浮かべたのは滑稽だったが、もちろん俺も歓迎されていないのだと肌で感じ取った。

 福島は生息場所が変わってもその生態に変化はなく、相変わらず空気を読まない発言を繰り返しては、誰でもできる簡単な業務でミスを連発した。グループから浮いて浮いて浮きまくり、ついにブチ切れた新たな上司の丸山から厳しい叱責をくらった。

「こっちへ来い」と丸山に言われて、すごすごとあとを付いて行った福島。二人が座る少し離れたミーティングテーブルから、丸山の罵詈雑言が俺の耳にまで届けられた。

 コンプライアンスが厳しくなったこの会社でそんな発言をして大丈夫なのかと、後輩の丸山に要らぬ心配が浮かぶ。ちらりとミーティングテーブルに視線を向けると、俯く福島の姿が目に映った。遠目に見てもその顔は笑っていた。

 こいつ、やりやがった。

 丸山が罵詈雑言を浴びせたその一週間後、福島は休職明けの少ない有給休暇をついに使い果たし、心療内科の診断書を提出して四度目のメンタル休職へと返り咲いた。福島の休職を知ったグループの連中はみな安堵の表情を浮かべて、胸糞悪かった。

 いつか福島に真相を確認すると決めていたのに、戸塚とM子の画像を収めたUSBメモリの件は結局聞きそびれてしまった。福島がこの件の幕引きを図って休職へ逃げ込んだのなら、大したものだ。

 そして気が付けば、俺は一人きりになった。

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