祖父との出会い
今から十八年前、私は父母と東京都多摩市のアパートで暮らしていた。
彼らは私が産まれた五年後に離婚した。
母は外資系商社の法務部に勤めていて、結婚後も働き続けていた。元々、高校の教員であった父よりも収入が多かったので、一人親となってからも経済的には困っていなかった。
母は美人だが、唇が少しだけ右に裂けていた。
五十歳を迎えた今でも口元に桃色のよだれのような傷痕がある。
七つの頃、ゴミ捨て場で転んだときにビール瓶の破片で切ったのだ。
彼女は髪の毛を引っつめて、右の顔を周囲へさらしていた。後になってから傷を発見されることが嫌だったのだ。なにか腹に据えかねることがあると、傷口をかくのが癖だった。負けず嫌いで努力家で頑固な一方、ひどく卑屈で自信のない人だった。
そのため離婚が決まったときも、友達には「つまらない男だったので捨てた」と笑っていたが、夕食の途中で不意に「お父さんは、みにくいから私を捨てた」のだと言った。「お父さんはみにくくなくても私を捨てた」とも言った。入れかわり立ちかわり、口からこぼれていた。
小学校に上がってから父親がいなかったので、父との記憶はもちろん、忙しく働いている母との記憶もあまり多くない。
子供のころの私の世界といえば、学童保育に通う同じような境遇の子供たちとのケイドロ、アスレチック、ドッジボール、携帯ゲーム機、午後六時を回って帰ってから観る戦隊アニメの録画、九時ごろ帰ってくる母を待ちながら過ごす家の静けさ。それだけだった。お化けが出るのではないか、と私はよく思った。
それは時折、父親なのではないかとも思った。足を失った男の幽霊。
小学三年生の冬、母の中国への異動が決まった。
新しく設立される中国支店の法務整備に派遣されることになったのだ。後から聞いた話だが、異動の話が持ち上がったさいに、母は「子供は親に預ける」と話したらしい。母の性格を考えると、機会を逃すまいと勢いで口にしたのだろう。
本当は問題があった。
なぜならそのとき、母の親など居ないに等しかった。母の両親も幼少期に離婚しており、母親の方はすでに他界、父親とは数回しか会ったことがなかった。
それでも、顔もよく知らない父親に子供を預けることを母は選んだ。
ある暑い夕方、私は当時住んでいたアパートの床に腹ばいになって本をめくっていた。
それは父の百科事典だった。家には父が持っていかなかった本が沢山あり、私はときどき暇つぶしにそれらをめくった。いろんな本があった。
母は父の話を好まないので、あまり知らなかったが、その人は生物の教師だったらしく、動物の挿絵付きの図鑑や、科学雑誌が本棚にはぎっしり詰まっていた。几帳面な人で新聞の切り抜きなどが貼られたクロッキー帳なんてものも入っており、あとは推理小説が数冊と、外国の小説が数冊置いてあった。もしかすると、私のために置いていったのかもしれなかった。それを確かめることは、今に至るまでしていないが、そういうことをする人のような気がした。
本棚を見れば見るほど、父が母に嫌われる理由がよく分かった。逆かもしれない。父が母を嫌っていたのかもしれない。
百科事典の項目のほとんどは、目を通しても意味が分からなかった。そのため私はマジックペンの細い方で、一ページ一ページに名前を記入して遊んでいた。
省吾。省吾。省吾。省吾。省吾。省吾。
なぜ、そんな遊びをしていたのだろう。今でも分からない。ただ退屈で手持ち無沙汰だったのかもしれないし、名前という自分を示すコードを辞典に記すことで、なにかを表明したかったのかもしれない。どちらにしても、子供であること。それが理由のすべてだと思う。
そうしていると母が現れた。
向日葵色のワンピースを着ており、私はその服を着ている母を、とてもかわいいと思った。
かわいいお母さん。私はそんなことは言わず、黙って見あげた。母が出掛ける支度をするように言ったので、私は立ちあがった。
母が私の手元を見た。
「なにをしているの」
思わず鉛筆を隠そうとしたが、間に合わなかった。母はページに連なった文字に気づいて眉をひそめた。
「どうしてそんなことをしているの」
私は本棚をふりかえった。なぜだか、この怒りを背負うべきは背後にある本棚であり、さらに言うと、ここにはいない父親ではないだろうかと思った。
しかし彼は存在しないので、私はうつむいた。理不尽な気がしたし、怒られて当然な気もした。母はため息をつき、早く支度をするようにと言って消えた。
母に連れて行かれたのは、八王子駅の近くにあるデパートだった。
大量の下着や洋服、文房具やタオルなどの雑貨を買った。私は困惑していた。母は決断力のある人で、次々と物を買い、腕にたくさんの紙袋を抱えると、満足した顔でゲームを買ってあげると言った。
私は非常に困惑した。ゲームは誕生日とクリスマスにしか手に入らない物だった。
しかし次の瞬間には、次の誕生日まで我慢するつもりだったゲームを買い与えられ、私は喜んだ。すぐにビニールをはいで、自室にある携帯ゲーム機にカセットを差しこみたいのを、ぐっとこらえ、降ってわいた楽しみを少し先送りして味わう気でいた。
それに、母はレストランで美味しいハンバーグを食べさせてくれた。
私は幸運だった。先ほど、辞典に名前を書いて母を怒らせたことなど、すっかり忘れていた。
「省吾は一年間、おじいちゃんの元で暮らすことになるの」
よく分からない言葉だった。
ただ、とても素晴らしい一日だった。
それから楽しいことばかりが続いた。
母は役所へ行ったり、会社へ行ったりと忙しそうだったが、仕事のとき以外は私を連れていったので、それまでよりも一緒にいる時間が増えた。
学校の友達は別れを惜しんでくれた。私も寂しさを感じていたが、未知の出来事に対する期待の方が心を占めていた。
三月の中旬、私たちは新宿発のロマンスカーに乗った。冬を越えた田んぼの奇妙なほどに整頓された四角い区画。奥に見える山の黒い犬のような形。人が本当に住んでいるのか、不思議に思うような掘っ建て小屋。
それまで旅行などしたことがなかったので、その景色は物珍しかったが、やがて飽きてしまって、私は途中から携帯ゲームに夢中になった。
湯河原駅で登山鉄道に乗りかえると、車掌がスイッチバックのために移動する姿を、窓に張りついて眺めた。斜めになって移動する車窓は、生垣のすぐ近くを走っていたので、景色は緑一色で単調だった。私の隣にすわった老夫婦が「紫陽花を待てばよかったねえ」と話していた。
母は疲れて目をつむっていた。
私たちは仙石原駅で降りると蛇行する坂道を二十分ほど歩いた。
徒歩の人間はほとんど見かけず、時折荒っぽい運転の送迎車が母のハンドバッグをかすめて通りすぎた。
春の陽気が暑く、母は汗をかいていた。
多摩市の団地や横並びの住宅街しか知らなかった私には、人気のなさが不気味に思えた。保養所の妙に整備された庭園や、廃墟同然のアパート、薄汚れた壁に貼られた選挙ポスター。それらは意思を持って、私と母という異分子を見張っているようだった。
ようやく祖父の家に辿りついた。想像よりきれいな家だったため、私は少し安心した。ここに至るまでの道に並ぶ家の中には、とても住みたいとは思えない家屋もあったからだ。
祖父の家の庭先は、縁側の花壇と、玄関まで敷いてある石のアプローチ以外は殺風景だったが、それがかえって清潔に見えた。春先の乾いた砂が巻きあがり、母が顔をしかめて片手をふった。
その指の隙間から、縁側にすわる男性を見つけた。
私はこの男性に似た花を図鑑で見たことがあった。ギンリョウソウだ。ゴキブリが種を運ぶと豆知識に書いてあり、インパクトがあったので覚えていた。
くすんだ白い、細長い花が、家の柱にもたれかかっている。
そんな印象だった。
「おとうさん」
と、母が声をかけると、男性はゆっくりと立ち上がった。
母と祖父がどのような顔で再会したのか、あまり覚えていない。
おそらく愛想のない挨拶を交わして、二言、三言、ここに来るまでの道のりについて話したのだと思う。
祖父が私に目を向けた。
白い膜がかかっていた眼球の奥の瞳は、灰色に見えた。白目には老人によくあるような黄ばみが無く、ゼラチンのように半透明で、とても不思議な色合いをしていた。
ひょっとしてこの人は幽霊なのではないだろうか。そんな軽い疑念を抱きながら、私は母の服の袖をつかんだ。
祖父は私のことをうかがっていた様子だったが、玄関で靴を脱いでいると、壁に掛かった絵を直しながら「省吾くん」とようやく話しかけてきた。
私は少し驚いた。
「くん」付けで呼ばれたことが、なんだか奇妙に思えた。
祖父は絵を指さした。針金のように細い人差し指だった。
「これ、なんだと思う?」
二人の視線を感じたので、一所懸命に絵を見た。
アルミの額縁で飾られた画面のほとんどが白一色だった。水色の鳥がポツンと右下に描かれている。
「鳥?」
「そうだよ。この家にはたくさん鳥がやってくるんだよ」
祖父は唐突に話を終えて、居間に入った。
不思議な人だなあ、と私は思っていた。
子ども心に、祖父の言葉や動き方は、普通の大人と違うことがなんとなく察せられた。それで、より一層、この人は幽霊なのではないかという想いが強くなった。
色鮮やかな動物の絵に囲まれた居間に入ると、不可思議なことに巻きこまれているという感覚は、さらに強くなった。
「変な部屋だろう?」
祖父が話しかけてきたので、私はうなずいた。
「僕が描いたんだ、一応ね」
「絵描きなの?」
祖父は少し考えてから「うん」と言った。
「そうだね、僕は絵描きだよ」
「すごい。動物の絵描きなの?」
「うん、そうだよ」
「なんで?」
「なんでかなあ」
「自分でわからないの?」
こう言ってから後悔した。馬鹿にしているように聞こえたかもしれない。私は少し慌てて、
「わからないことは、だれにでもあるから気にしないで」
と言った。
すると、祖父は数回まばたきをして笑った。
「ありがとう」
きっとよく笑う人なのだろう。母とは違う人種だ。そう思った。
部屋には革張りのソファが二つ対面で置いてあった。私と母はソファに並んで座り、向かいに祖父が座った。
用意された茶にほとんど手もつけずに、彼らは話を始めた。私はブドウジュースを握りしめておとなしく座っていた。
会話は母を主導として進んでいるようだった。
祖父は何度かうなずくだけで、意見らしいものを言わない。私には母が苛立っていることが分かった。
居心地が悪く、ジュースがぬるくなるほどグラスを握りしめていた。
「どの動物が好きだい?」
急に祖父が水を向けたので、私は驚いてグラスを取り落とした。
母が叫んだ。あっという間に絨毯に紫色が飛び散った。私は母と動物たちが、その紫色の跡をにらみつけているように感じた。
「ごめんなさい」
血の気が引いて、立ちあがろうとすると、祖父が手で制した。そして机の片隅に置いてあった新聞を汚れの上に敷くと、かわりのジュースを運んでくれた。
そのあいだ母は落ちつかないのか、立ったり座ったりしながら「この子は、落ち着きがなくて……」とつぶやいていた。
「それで、どの動物が好きなんだい?」
一段落し、またもや祖父は何事もなかったかのように聞いた。私は母の顔色をうかがった。母は「おじいちゃんが聞いているでしょう?」と苛立ちながら言った。
「ちゃんと答えなさい」
母は私の顔を見て怒っていたが、すぐに祖父に目線をうつすと、今度はそびえ立つ青いキリンを見上げた。
いまいましいキリンだ。
そう母が思っているのか、私が思っているのか、もはやわからなかったが、とにかく答えなければならなかった。
「魚」
「どうして?」
「おいしいから」
祖父の白い目は、私をきちんと見通していた。急にどきどきした。この人は、きっと怒ったら怖いだろうと思った。
「僕も」
祖父は、ほほえんだ。
「僕も魚が一番好き」
子供のような口調だった。
「よかったね」
そう私は言った。なにがよかったのだろう。たぶん、私にとってだ。正解おめでとう。そんな気分。この奇妙な部屋の正答者は私で、皮膚感覚で勝利を味わう。
「お腹が空いているのよ、この子」
母が低い声で弁明した。
「そうなんだ、なにか食べるかい」
祖父は冷蔵庫を覗いたが「君が好きそうな食べ物がないな」と戻ってきた。
「べつに気をつかわなくても、省吾はなんでも食べるわ」
母はそう言った。私はうなずいた。
「それは素晴らしいね。僕は食べられないものがある。特に鶏肉が生臭くてね。省吾くんは苦手なものはないの?」
私は母を見上げた。なにも言わない。
「トマトはあんまり」
「あんまり?」
「あんまり、好きじゃない」
また祖父は笑った。
「そうか、由理さんが困るな。トマトが大好物だから……」
だれのことだろうと思っていると、祖父は口をつぐんでしまった。
結局、私は買い置きしてあった煎餅をかじった。
祖父は好きな食べ物や、好きな遊び、好きな科目、とにかく好きなことを色々と質問した。
そして手巻き寿司が、特にツナマヨネーズときゅうりを挟んだものが一番好きだと伝えると「今日の夕飯はそれにしよう」と言った。
日の高いうちに母は東京へ帰った。家の前の坂のてっぺんで、母を見送った。
「おじいちゃんに、お魚いっぱい食べさせてもらいなさいね」
母なりに、先ほどの私の言葉を記憶していた。私がうなずくと、母は顔をしわくちゃにして私を抱きしめた。
寂しくも悲しくもなかった。ただ、嫌な気持ちだった。怒る母も怖かったが、泣く母はそれよりも、もっと怖い。
母は一人で坂をくだる。遠ざかる背中を見送っていると、小さくなるにつれて他人へと変化していく気がした。
急に祖父の背が小さくなったかと思うと、その場にあぐらをかいて座っていたので、
「そんなところに座ったら、お尻が汚れちゃうよ」
と、私はなぜだか母の真似事のような注意をした。
祖父はうなずいたが、立ちあがらなかった。
私たちは母の背中が見えなくなったあとも、変わりばえしない青空と山を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます