第4話 気乗りしない依頼(4)



 ふとジュードの目に付いたのは、『請負箱』に放り込まれた電気代と水道料の督促状。それに馴染みのバーで地道に積み上げたツケ伝票の束・・・・・・

 いや、そうじゃない。

 冷静になれ。




「…………あんたと俺との仲だ」




 はやる気持ちを落ち着かせ、ジュードは乾きで張り付いた唇を慎重にひきはがす。


「せっかく声かけしてくれたものを、断る不義理はない。ただな――」


 そこで深呼吸の成果を言葉に込めて。


「今話した内容は、こちらが受けた・・・・・・・契約だ。そちら・・・が受けた・・・・契約はどんな内容だ?」


 YDSを支援するということは、彼らの動きに合わせるということだ。間接的にだが、YDSの受け・・・・・・た依頼がこちらの依頼・・・・・・・・・・になる・・・ことを見逃してはいけない。


≪……≫


 電話の向こうで、洩れた笑い声を耳にした気がした。

 慎重すぎるジュードの姿勢を嘲笑ったのか、あるいは後ろ暗い魂胆がやはりあったのか。

 無論、気のせいということもある。


≪こちらも単純な任務だ≫


 そう返してくる相手の声音からは、もはや何の感情も読み取れない。


≪依頼人からすれば――内外の要因に関わらず、重大トラブルの発生が想定される以上、施設の機密情報を守らねばならん。当然、我が社で請け負う任務は“機密情報の確保”になる≫


 おかしな点はない。

 企業として“自社の利益”を守るための当然の依頼が出され、YDSはそれを受けた。

 それだけだ。

 なのに、ジュードの顔つきは神妙なものになる。


「……仮に悪意ある侵入者がいたとしよう。そいつらが人質を取った場合は・・・・・・・・・?」

≪交渉はしない≫


 聞き覚えのある、無機質な回答。

 彼の地で・・・・困難な決断を下すとき、相手はいつも同じ声で命じたものだ。

 お互い、あの時と立場が変わったはずなのに。

 今度もまた――。


≪これは企業の利益だけの話じゃない。機密情報には生化学兵器に転化できる重要な基礎技術も内包されている。危険な技術を世界中のテロリストや犯罪者共に拡散させないためにも、目先の道徳観を殺して仕事に徹する必要がある。――元軍人なら、優先・・順位を・・・忘れるな・・・・

「悪いがあんたの云ったとおりさ。――軍人だ」


 ジュードの声は心持ち硬かったが、それだけだ。

 だが相手はかつての上官で、戦友と呼べるくらいの長さを共にした男。

 ジュードの云わんとすることを理解している。


≪いいか――あの地アフガンでも優先順位はあった。人質救出の優先順、物資支援の、あるいは攻撃支援の、負傷者の……数えあげれば切りが無い。そして例え職種を変えようと、戦場もデンバーも変わりはない。どこにいても状況や立場の違いで、区切りを・・・・付ける・・・必要が出てくる≫

「上の命令で、だ」


 下っ端に選択の余地はないとの憤りを込めて。


 戦時でも平時でも。

 資本主義でも別の主義でも。


 舞台がどう変わろうと、常に共通することわりが働いているように、たいがいが上位者の一声でどうにでもされてしまう。

 だからジュードは。




「…………せめて、その“選択権”を俺が持ちたかったんだが、な」




 他の誰かでなく、自分自身が。

 せめて自分の責任で、自分が正しいと信じるものを選びたい。

 それが自由にできる立場を。

 そう欲して軍を辞め、民間軍事支援会社を起ち上げてから三年目。

 中東での苦い体験の繰り返しに、ジュードの声には疲れがにじむ。


≪悪いが、起業理念に思いを馳せるのは、そこまでにしてもらおう。こうしている間も事態が深刻化・・・・・・している可能性が高い≫


 人命の喪失もイメージさせる、ズルい言い回しでジュードの意識を引き戻すと、相手は強めの口調で決断を促してくる。


「はっきりしているのは、実験トラブルの発生があったという事実のみ。現状で警察の介入を望めなければ、依頼者クライアントも望んでいない。だからこそ、我々にビジネス・チャンスがあり、依頼したい内容は告げたとおりだ。

 ジュード。自分が経営者であることをしっかり自覚した上で、どうするかを決めろ。今すぐに」

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