第3話 お迎え
龍目撃のニュースは、私達にとってはルドルフがこっちの世界に来ていることを意味していた。仲間たちとは午後8時にネット会議で打ち合わせすることにした。
私は宮崎先生の許可が出たので早めにあがることが許可された。だけど修二くんは実験がある。というより今はビジターのサポートがある。
SHELの中性子実験施設は、共同利用が前提の実験施設である。修二くんはチョッパー分光器を用いる実験グループにいる。少し細かい話になるが一応施設の状況を説明しておこう。
(苦手な人は2段落読み飛ばしてください)
SHELでは、シンクロトロンというどでかい加速器を使って、陽子という原子核をつくっている粒子を光の速さの近くまで加速している。加速された陽子はいろいろな実験に用いられるが、その一部を水銀ターゲットに当てると中性子線がドバっと発生する。だいたい50分の1秒に1回発生させている。この中性子線はいろいろな速さのものが出てくる。チョッパーというのはいろいろな速さの中性子線を特定の速さのものだけに絞り込む装置だ。修二くん達は速さの決まった中性子線をサンプルにぶち当てる。サンプルにあたった中性子線は、サンプル内の原子とエネルギーのやり取りをして、いろいろな方向、いろいろな速さで飛び散る。この飛び散った中性子線の方向と速さを測定することで、サンプルの原子レベルの構造とか、原子の熱振動、磁気的な性質などの情報を得ることができる。
非常に強力な実験手段なのだが、ざっくり言って2つの弱点がある。一つは中性子線を当てて散乱させるので実験機材のレイアウトに強い制約があり、サンプルの温度とか、サンプルにかける磁場などが自由にはできない。それよりも大きな問題は、ものすごくお金がかかることである。一つの実験機材を1日使うと、二桁万円のお金がかかると言われている。かなりの部分が電気代である。分光器もタワーマンションの部屋をいくつか買えるくらいのお金がかかっているし、施設の建設費・維持費もものすごい。
だから気軽にできる実験ではなく、一般ユーザーは実験計画をSHELに応募し、審査に通ったものだけしか実験できない。審査に通っても、機材を使える時間は厳密に割り振られるので、実験が失敗したからもう一度、なんていうのは全く認められない。
修二くんはチョッパー分光器の維持管理と開発・改良をする実験グループにいる。審査されて使用が許された一般ユーザー(ビジター)の実験のサポートをするかわり、実験グループに割り振られた実験時間についてはかなり自由に機材を使える、そういう立場にいるのだ。
修二くんによれば、ビジターのお世話というのは責任もある代わりけっこう面白いという。修二くんは重い電子系化合物とか高温超伝導体とかいういわゆる強相関系を専門にしているが、それ以外の分野の実験をサポートするのは勉強になるし視野を広げる事ができると言っている。当然関係する論文とかを家に持って帰ってくるから、私も読ませてもらう。
ついでに言っとくと、日々お昼と夕食は修二くんと一緒に食べるが、成り行き上ビジターの人とご一緒することも多い。どうしても食事中の会話も物理の話になるから、私も首をつっこむ。お昼は宮崎先生もついてくるから実験の人と理論の人の距離も縮まってとてもいい感じで、わたしはこの生活が気に入っている。
で今日のチョッパー分光器はビジターの方が使っていて、修二くんは責任があるから夕方7時くらいまで離れられないという。だから私は先に一旦帰宅、夕食の支度をしたうえであとで修二くんを車で迎えに行くことにした。もともと今夜はチョッパー分光器のビジターの人たちと一緒に夕食を摂る気でいたから夕食の食材が無い。こないだスーパーでアスパラガスが目についた。札幌を離れるときのぞみがくれたレシピ集にアスパラの肉巻きが出ていたので、今夜はそれを作ってみることにする。スーパーでアスパラガスと豚バラ肉の薄切りを買って帰宅した。
家に帰って食材を冷蔵庫に押し込み、今朝干した洗濯物をとりこむ。うちのアパートのベランダは庇が短く、夜遅くまで洗濯物を出していると夜露で濡れてしまうことがあるので今日は助かった。続いてアスパラ巻きに取り掛かる。
ピーラーで皮をむき、ラップで包んで加熱する。それに豚を巻いて片栗粉をまぶしておく。これを冷蔵庫にしまっておく。あとサラダも作った。
そうこうしているうちに修二くんを迎えに行く時間になった。
スマホに真美ちゃんからSNSで連絡が入っている。やっぱりちょっと遅れるらしい。
SHELの物質・生命科学研究所MLLの実験棟の前に行くと、修二くんだけでなく実験メンバーが勢揃いしていた。
「聖女様こんばんわ」
声を賭けてきたのは榊原先生である。
「先生、プライベートのことですみません」
「ああ気にしなくていいよ。お互い様お互い様」
「ありがとうございます」
車を発進させればプライベートな空間で、もう何を話しても大丈夫だ。修二くんが聞いてきた。
「ルドルフの情報、掴めた?」
「ううん。カサドンにまかせてある」
「そっか。夕食どうする?」
「用意しといた。あとは焼くだけ。のぞみのレシピだからおいしいよ、きっと」
「明はしあわせだな」
のぞみは明くんと札幌で同棲中なのだ。
「そうだね。でも料理してる時間あるかな?」
「う~ん、微妙」
のぞみが一人暮らしのときは、ほとんどの夕食は学食だったのだ。自炊のうちかなりの部分は私や真美ちゃんとの女子会だった気がする。博士課程に入りさらに忙しくなっているだろうから、明くんに作ってあげたくてもそうも行かないかもしれない。
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