第4話 初陣


マコトは森の中でそびえ立つ大きな岩を見上げ、スピナーくんの脚先を見つめた。

高さ2メートルほどの岩――小さなスピナーくんにとっては挑戦に十分な難易度だ。

先日で基礎的な動きは出来たので、今日は応用的な動作のテストを行う予定である。


「よし、スピナーくん。この岩を登ってみようか。」


土の精霊の力を脚先に付与することで、誠は新たな指示を試みる。


「土の精霊、脚先に力を込めて、接地面を少しだけ削るんだ。滑らないように足を引っ掛ける!」


スピナーくんは指示通り、前脚を慎重に持ち上げると、岩肌に接地した瞬間、脚先が微かに岩を削る。削られた岩粉がパラパラと落ちる音が響き、脚はしっかりと引っかかった。


「いいぞ、その調子……!」


次の脚も同じように動き、スピナーくんはまるで蜘蛛のように岩肌を這い上がり始めた。四脚が交互に動き、滑ることなく安定して岩肌を登っていく。


マコトはその様子を息を呑んで見守った。岩の途中で脚を広げてバランスを取るスピナーくんの動きは、まさに生き物そのもののように滑らかだった。


「……まるで蜘蛛だな。すごいじゃないか、スピナーくん!」


最後に後脚を強く蹴り上げ、スピナーくんは頂上に到達した。脚をしっかりと広げ、岩の上で安定した姿勢を取る。


「やった! 完璧だ!」


ジャンプでの高所からの安全着地テスト


「さて、登れたなら、次はジャンプで降りるテストだな。」


スピナーくんに指示を出しつつ、今度は風と土の精霊の力を活用する方法を考えた。


「風の精霊、降下中に空気のクッションを作って衝撃を和らげてくれ。そして、土の精霊は脚先を安定させて着地時に滑らないようにするんだ。」


スピナーくんが岩の端までゆっくりと進み、合図を待つ。


「行け、スピナーくん!」


マコトの指示と同時に、スピナーくんが勢いよく岩の上から跳び下りた。風の精霊が瞬時に反応し、脚の下に空気の層が集まり、まるで見えないクッションのように降下の衝撃を吸収する。


「いけるか……?」


誠は息を呑みながら見守る。スピナーくんが地面に触れる直前、土の精霊が脚先をサポートし、柔らかく安定した着地を実現した。


着地したスピナーくんは脚を広げ、姿勢を保ったまま静止する。誠はその完璧な動きに思わずガッツポーズを取った。


「やった! ジャンプも成功だ!」


スピナーくんの四脚が適切に働き、精霊の力によって高所からの着地が無傷で完了したのだ。


「スピナーくん、すごいぞ。これなら岩場だけじゃなく、高所を利用した動きもできる……!」


スピナーくんを撫でながら、その可能性に興奮を隠せなかった。精霊の力と自分の想像力を組み合わせれば、スピナーくんはどんどん進化していく。


「次はどんなことができるんだろうな……。」


マコトの頭に新たなアイデアが浮かび始めたその時、森の奥から遠くに人の叫び声が聞こえた。


「助けて……!」


マコトの顔色が変わる。声の方角に耳を澄ませると、それは確かに聞き覚えのある声――アイリスのものだった。


「アイリス!?」


森の奥から響く叫び声に、誠の心臓が跳ね上がった。


迷っている暇はない。

スピナーくんを抱え、全速力で声のする方へ駆け出した。枝を掻き分け、草を踏み倒しながら進むと――視界が開けた先に、その光景が飛び込んできた。


大木の根元、怯えるアイリス。

その前方には灰色の毛並みを逆立てた巨大な狼――アッシュウルフが低く唸りながら間合いを詰めている。

真っ赤に光る瞳、鋭い牙、先日マコトを襲った個体よりも一回り大きい体躯。


「くそっ……!」


アッシュウルフが跳びかかる直前、マコトは叫んだ。


「スピナーくん、行け!」


地面に置かれたスピナーくんが蒸気を噴き上げ、一気に前へと飛び出す。アッシュウルフは不意の闖入者に驚いたのか、牙を見せて威嚇する。


「アイリス、下がって!」


「マコト……!?」


突然のマコトの叫びに、アイリスはハッと立ち止まった。彼女の顔には驚きと不安が浮かび、目の前のマコトを見つめたまま動けずにいる。


「でも、あなた一人じゃ危ない!」


「大丈夫だ、任せろ!」


マコトは短く、だが力強く言い切った。その声には震えが混じっていたが、必死さと覚悟が滲んでいる。その一言に、アイリスは一瞬迷ったが、彼の真剣な表情を見て、唇を噛んだ。


「……無茶しないで……絶対だよ!」


アイリスは後ろ髪を引かれる思いでその場を離れ、近くの木陰へと駆け込んだ。足が重く、何度も振り返りそうになる。心臓が早鐘を打ち、手が震えている。


(あんな魔物に、一人で立ち向かうなんて……本当に大丈夫なの……?)


木陰に身を隠しながら、アイリスは息を潜めてマコトの背中を見つめた。彼の立つ姿はどこか頼もしく見える一方で、倒れてしまうのではないかという不安が彼女の胸を締め付ける。


(お願い……マコト、無事でいて……!)


マコトは焦りながらも、精霊の力に意識を集中する。手に汗がにじむのを感じながら、最初の作戦を実行した。


「火の精霊! ヤツの目の前に小さな火を!」


スピナーくんの胴体から小さな火球が前方に飛び、アッシュウルフの足元で弾ける。爆発するほどの威力はないが、炎の揺らめきに驚いたアッシュウルフが一瞬後退した。


「いいぞ! そのまま回り込め、スピナーくん!」


風の精霊がスピナーくんの脚を後押しし、機体は滑るようにアッシュウルフの周囲を回り込む。地面を蹴る蒸気音が連続して響き、その小回りの効く動きにアッシュウルフは苛立ったように唸り声を上げた。


「土の精霊、脚先に力を! 接地を安定させろ!」


スピナーくんが脚を地面に食い込ませ、急停止と方向転換を繰り返す。敵はその巨体が仇となり小回りの効かない動きで追おうとするが、そのたびにスピナーくんは死角へと逃げ、アッシュウルフは焦れたように吠えた。


「どうした? 捕まえられないのか?」


マコトの挑発が届いたかのように、アッシュウルフはついに我慢の限界を超えたようだった。勢いをつけ、地面を蹴って一気に突進してくる。


「よし、来た! 風の精霊、空気の壁を!」


スピナーくんが地面に踏み込んだ瞬間、風の精霊が力を発揮し、目には見えない空気の壁を作り出す。アッシュウルフがその壁に激突し、重い音を立てながら弾かれた。


アッシュウルフが吹き飛ばされ、地面に爪を突き立てながらバランスを取り直す。その目は怒りに燃え、再びスピナーくんを睨みつけた。


(今だ……! ここで決める!)


マコトは緊張で手のひらが汗ばんでいるのを感じながらも、精霊たちへ意識を集中させた。


「スピナーくん、高く跳べ!」


スピナーくんの脚が地面を強く蹴り、風の精霊の力が脚部に集まり、一気に機体を空高く押し上げる。

その小さな体が弧を描き、アッシュウルフを見下ろす位置にまで到達した。


「風の精霊、脚先に力を集めろ! 風を巻き付けて、ドリルにするんだ!」


マコトの声に応じるように、スピナーくんの脚先に風と空気が螺旋を描くように纏い始めた。

巻き起こる空気の圧力が脚先を鋭く、そして強靭に変えていく。

風が渦を成し、光を反射して脚先がまるでドリルの刃のように輝いた。


「加速だ! 全力で押し込め!」


スピナーくんの小さな体が一瞬静止し、次の瞬間、風の精霊がその勢いを倍増させる。轟音が森に響き、空気を切り裂く勢いでスピナーくんが急降下を開始する。


「うおおおっ!」


マコトの叫びと共に、スピナーくんはまるで隕石のように落下し、ドリル状の脚先が高速回転しながらアッシュウルフの首元の急所へと迫る。


アッシュウルフがハッと顔を上げ、目を見開く――その瞬間。


「いっけえぇぇぇっっ!」


渦巻く風が唸り声を上げ、スピナーくんの脚先がアッシュウルフの急所に突き刺さった。ドリルのように回転する脚先が獣の硬い皮膚を抉り、深く深く貫いていく。


ゴリゴリゴリゴリ――ズシュッ!


鈍い音と共に、アッシュウルフの体が大きく揺れ、震えながら地面に崩れ落ちた。赤く光っていた目がゆっくりと閉じ、唸り声は静かに途切れる。


「倒した……!」


マコトは膝に手をつき、息を大きく吐いた。緊張で体が震えているが、達成感がそれを上回っていた。


スピナーくんはその場に立ち尽くし、蒸気をシュウシュウと噴き出している。脚先には風の渦が収まり、かすかに土埃が舞っていた。


森の中に静寂が戻り、マコトは息を荒げながらスピナーくんに駆け寄る。


脚部から蒸気が微かに漏れ、金属の表面が柔らかな夕日を反射して輝いている。誠はその小さな機体の胴体を撫で、安堵の息をついた。


「……よくやったな、スピナーくん。」


その時、草むらをかき分ける音がし、息を切らせながらアイリスが駆け寄ってきた。彼女の顔には驚きと興奮、そして戸惑いが浮かんでいる。


「マコト! あなた、これで本当にあのアッシュウルフを倒したの?」


アイリスは荒い息を吐きながら、目の前に立つスピナーくんに視線を釘付けにする。小さな四脚の機体が蒸気を噴き出し、まるで意思を持つ生き物のように動いているのが信じられないのだろう。


「これって……何? どうやって動いてるの?」


「……精霊の力を使ってるんだ。」


マコトはスピナーくんを軽く叩きながら答えた。


「精霊……? えっ?」


アイリスは目を丸くして誠を見つめ、思わず息を呑んだ。


「待って、それ本当? 精霊の力って、昔の伝説の話じゃないの? もう誰も使えないって聞いたけど……。」


「伝説ってわけじゃない。ただ廃れただけだよ。」


誠は苦笑しながら答えた。


「今の時代に使い手がいないだけで、精霊はちゃんといるし、弱いけど力も残ってる。少なくとも俺は、それを使えるんだ。」


「そんなことが……。」


アイリスは困惑した表情でスピナーくんを見つめ、ゆっくりと手を伸ばす。脚先に触れ、硬い金属の感触に驚きながらも離そうとしない。


「でも、信じられない。これ……本当に精霊の力で動いてるの? だって、魔術みたいに詠唱もしてないし、そもそも動いてる ‘これ’ 自体が何なのか分からないよ。」


誠は少し考え込みながら説明を続ける。


「精霊たちに働きかけて、その力を俺が ‘形’ にしている。それでこいつ――スピナーくんを動かしてるんだよ。」


「形にするって……何それ?」


アイリスの混乱は深まるばかりだが、その表情には恐れよりも興味の色が濃く浮かんでいた。


「だって、精霊が ‘道具’ みたいに働くなんて、聞いたこともない……。」


「ほら、動いてるのは見ただろ? これが俺の力――いや、精霊たちの力だ。」


そう言ってマコトはスピナーくんの胴体を軽く叩いた。アイリスは真剣な表情でその機体を見つめ続ける。


「まるで生き物みたい……。」


アイリスは呟きながら、スピナーくんの脚部や胴体を丁寧に撫でた。その仕草には恐る恐る触れているような慎重さがある。


「この子、名前……あるの?」


「あるよ。こいつはスピナーくんだ。」


「スピナーくん?」


アイリスは一瞬キョトンとした後、ふっと笑みを浮かべた。


「可愛い名前だね。でも、強いのに ‘くん’ なんだ?」


「まぁ、まだ試作機だしな。カッコいい名前をつけるのは完成してからだ。」


マコトは照れくさそうに頭をかく。


「でもいい名前だと思うよ、スピナーくん。」


アイリスは再びスピナーくんを撫で、その硬い脚部にそっと触れた。


「でも、本当に……これが精霊の力で動いてるなんて、不思議すぎるよ。何度聞いても分からない。」


「そうだろうな。」


マコトは小さく息を吐き、森の空を見上げた。


「元素精霊召喚術は今じゃ廃れた技術だからな。これがどう動いてるのか、俺自身もまだ完全には理解しきれてないんだ。」


「えっ……じゃあ、手探りでやってるの?」


「ああ。でも手探りでも、こんなふうに役に立つなら、十分だろ?」


マコトがそう言うと、アイリスは不思議そうな顔をしながらも、どこか納得したように頷いた。


「ねえ、マコト。」


アイリスが口を開き、真剣な表情で続けた。


「この子をもっと見せてよ。どうやって作ったのか、どうやって動かしてるのか、少しでも知りたい。」


「いいけど、期待しすぎるなよ。まだまだ未完成だし、こいつも ‘最初の一歩’ だからな。」


「最初の一歩……。」


アイリスはスピナーくんに視線を戻し、その小さな機体をじっと見つめた。


「それでも……あなたがこの子を動かす姿、なんだかすごく楽しそうだったよ。」


「……楽しいか。」


苦笑しながらも、胸の奥に確かな手応えを感じていた。


「まぁ、俺の力が誰かの役に立ったなら、それでいいさ。」


木漏れ日が二人と一機を柔らかく照らす。誠はスピナーくんの脚をポンと叩き、未来を見据えるように目を細めた。


「行くぞ、スピナーくん。まだまだやることは山積みだ。」

 

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