スミヤアヤミ 2

 視線。不要な咳払い。寝息。机に展開した仮想キーボードのタップダンス。衣擦れ。ガタガタと声の大きい椅子と足の不揃いな机。めくるページ。アンティークの持ち込み。菓子パン。骨振動のノリから漏れる振動。飛び交うメッセージ。忍び笑い。私の鼓動。私の吐息。私。指を動かさない私。めくらない私。外をみる私。伺う視線。囁き。噂話。指先。#タグ。まとわりつく不快感。

 教室は大きな、狭いタッパーのようにあらゆる音を詰め込んでいた。教師ひとりと、生徒三十人分を、なぜか必死に閉じ込めていた。

 パッキングされた私たち。

 眠たさと息詰まるタッパーに田辺の声が広がる。無機質で、淡々としていて、録音のようだ。

「古墳時代前期には竪穴式古墳と呼ばれる、墳丘の上から墓穴を堀り、埋葬後天井を石などでふさいでしまう形式の古墳が主流でした。ところが、後期には古墳づくりにも流行の変化が起こり、横穴式古墳と呼ばれる形式に変遷していきました」

 田辺が教壇の通信ポートに手をかざす。 私たちのなかの勉強する気のある奴は、机の隅に設置された四角の通信ポートに、同じように手を開く。昔の恋愛映画のような、カップルが窓越しに手を合わせるシーンみたいで嫌だという子もいる。実際には非接触式だから触れる必要はない。通信ポートから数センチのところで浮かし、隙間がある。人によっては指先や手の甲もありえる。日本ではほとんどの場合、掌と相場が決まっている。詳しく言えば、掌ではなく、親指と人差し指の間の、皮膚の膜にNFCチップが埋められている。

 連動したスマートコンタクトの視界に、田辺お手製の簡素なアニメーションが表示された。黒板を模した背景に、お墓の図がポップアップする。①、②と番号を振られた2種類の台形。①には上辺から凹みが加えられ、くぼみの中にポップな頭蓋骨がアニメーションで落とされる。下顎のない、虚ろな眼窩のしゃれこうべ。②番には側面から横道が加えられ、内部の四角い部屋に繋げられる。なかにはしゃれこうべ。「横穴式石室の、内部の四角い空洞――埋葬のための部屋を『玄室』といいます。そして、玄室につながる横道を『羨道』といいます。竪穴式は一度埋葬してしまえば開けられないことに対し、横穴式は追葬――あとから他の人を埋葬できることが大きな違いといえます」

 午後の授業は気だるい雰囲気に包まれ、差し込む陽気が追い打ちをかけていた。田辺が特別不人気なわけではないけれど、歴史の科目が人気ということはなかった。生徒はもちろん、教師である田辺すら気を止めることなく、カリキュラムは粛々と消化されていく。

 窓の外に視線を投げると、路地を徘徊する野良ゾンビがみえた。腕の筋が伸び切り、地面に引きずって、彼(彼女?)はどこかを目指して歩んでいく。視線は何を見据えているのだろうか。筋肉の腐敗で下顎は失われ、眼窩は暗く落ち窪んでいる、しゃれこうべ。

 するとそこへ、周囲を巡回中だった保健所のワゴン車が近づいてくる。野良ゾンビの手前で停車。ワゴンの扉が開き、筒が現れる。パッと、ちいさな硝煙とともにネットが吐き出された。ネットは投網の要領で巻き上げられ、野良ゾンビが暴れることもできないぐらい小さくまとめられてしまう。今度は分厚い保護手袋をした保健所員が二名降りてくる。小さくなった野良ゾンビを手早く箱詰めし、手慣れた様子でワゴンに積み込む。車がやってきて、野良ゾンビを捕獲し、立ち去るまで、わずか五分足らずの出来事だった。

 野良ゾンビなんて珍しい。治安の悪い海外ならいざ知らず、日本でうっかり道端で死ぬことなんか、事故以外ではありえない。野良化するのは、ほとんどが孤独死らしい。独居老人や、単身世帯などが野良ゾンビの九割だとか。

 私の意識は窓から剥がれ、再び教室に戻る。

「余談ですが、黄泉比良坂を通って黄泉の国へと下る神話のイメージは、横穴式古墳から想起されたという説もあります。扉石で塞がれた羨道をぬけて、玄室――つまり死者の居室へと至る道程がモチーフとなったのでしょう。とすれば、黄泉の食べ物、『ヨモツヘグイ』を禁じたのは、副葬品を盗掘する盗人への警告か、あるいは盗人たちの後ろめたさの文脈が反映されたのかもしれません」

 私はほとんど衝動的に手を上げていた。

「――先生」

「アヤミさん、どうしましたか」

 面食らった様子の田辺に構うことなく、珍獣を見つめるクラスメイトらに構うことなく、私は質問を口にする。怒りが、その端っこが、口をついで出た。しかし、あくまで礼儀正しい怒りのぶつけ方だ。なぜなら、私は田辺には怒っていない。クラスメイトにも。まして、古墳にぶつける怒りなどあるはずもない。

「死者の国の食べ物を食べた者は、現世には戻ってこれない、ですよね」

「神話ではそのようになっています」

「これって、ゾンビウィルスの教訓話じゃないですか。二千年以上も昔からゾンビウィルスの知識があったのに、どうして今更感染が広がるなんてことになったんですか?」

 教室にざわめきが広がる。仮想の視野にメッセージが飛び交い、嘲笑がこぼれる。

 ゾンビが人の言葉を喋ってる。

 学校で私のことを知らないやつなどいない。笑っているやつらも、じきに笑えなくなる。これは私たちの問題だ。いずれ失敗する。他人事と笑おうとして、見て見ぬふりをしようとして、無視しようとして、失敗するだろう。

「えぇ、あぁ、その話はですね……」

 田辺は質問を持て余して困惑している。当然だ、答えられるはずもない。ヨモツヘグイや、死者の復活などの神話は、今になって考えればという後出しの説明に過ぎない。現代になるまで、ほんの十六年前まで、ウィルスのことなど知りもしなかったのだから。それにゾンビウィルスが広がったのは、そうしたい奴らがいたから。ここにいるだれかが悪いわけじゃない。

 だから。だから、何だというのだ。

 私の怒りとは関係のないことだ。

「イザナミはカグツチを産んだときの火傷で病気になりました。病気になったイザナミの排泄物からも子供が生まれたそうです。その子供たちは、真っ当な子供だったのでしょうか。子供たちにも、イザナミの病気が引き継がれていたのではありませんか?」

 左頬の吹き出物がジクジクと痛みだした。小さな異物が異常を訴えている。

 イザナミは病み、死の苦しみに瀕していた。しかし、私は疑問に思っていた。イザナミはとうに死んでいたのではないか。彼女が味わっていたのは肉体的な苦しみなどではなかった。現に子供たちは汚物から生まれている。吐瀉物、尿、大便。それらのイメージが喚起するものは? はたして、子供たちは健康な状態で生まれただろうか。

 『#ゾンビ』

 投げつけられたタグ。

「……今日は早退します」

 クラスメイトたちのあからさまな安堵。好奇と嘲笑。嫌悪。恐怖。

 自然な感情だった。彼らを責めてもいいのか、私自身が戸惑ってしまう。けれど、それと私の怒りとは別の話だ。

 私の怒りは私のものだ。この怒りは私だけの怒りだ。

 じわじわと私を焼き尽くしている怒りだ。

 鞄を手に立ち去った教室から冗談めかした声が聞こえた。内側に笑い合う声が聞こえた。誰かが相談している声が聞こえた。

「保健所に連絡したほうがいい?」

 想像した。

 きっと、私の怒りは、あんなチンケな網など食い破るだろう。

 きっと、私の怒りは、人々に囲まれて身動きが取れなくなるだろう。

 きっと、私の怒りは、破滅に行き着く。はじめから行き詰まっている。

 私の怒りは、私の内側だけを舐めるように燃やしていった。

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