カツラギユキノ 2
この妄想はもう一人のプレイヤーを得て、ゲームになった。
攻め側はゾンビテロを起こす組織として。守り側は市民として、ゾンビテロのサバイバーとなる。守り側はテロの阻止を目指してもいいし、組織を壊滅させてもいい。最悪テロから生き残るだけでもOKの、目標を達成できれば勝ちのルール。攻め側は市民をゾンビにしてしまえば勝ち。交換日記の要領で、1ターンノート1ページで各々の行動を書き起こしていく。ノートはそれぞれに持ち、2冊で進行していく。そのため、相手の最新の行動は、ノートを交換しないとわからない。自分が失敗したと思っても、後戻りはできない。
ターン制だけど、攻めと守りのふたつのシナリオが同時進行しているから、展開にスピード感があって難しい。おまけにノートを交換するから、前の行動を自分で覚えてないといけない。前後のページで辻褄の合わない行動を取ると、パニック状態とみなされて1ページ分の行動が無効になる。状況をわかりやすくするため、私たちの住む
ゾンビシナリオは水鳥が転校してきた小学校6年の春にはじまり、中学にあがって2年の夏ごろまで続いた。ゾンビのパターンを増やすために、中1の夏はゾンビゲームをプレイした。人物を操作したいからという理由で、映画よりもゲームが採用された。私はアクションが得意じゃなくて、バイオハザードシリーズお得意のQTEシステムでさえ苦しめられた。
「警察署にこんなものがあったら不便でしょうがないでしょ。緊急事態の対応のことを何一つ考えてない馬鹿どもが! リアリティはどこにいったの? 信じらんない!」
ふたりとも、あれこれツッコミつつ楽しめたのは間違いない。
私はラストオブアスの、パンデミックで崩壊した世界観が好きだった。水鳥はバイオの組織の陰謀が気に入ってた。
「派手だよね。あんだけ変化したら、もうゾンビじゃないし。でも、圧倒的な怪物のイメージはちゃんと作り込まれてるのがいい」
「ホラー色はどんどん薄れていってるけど。人体実験とか、SFみたいなことしてる」
「実際どうなのかな。人間の体の中に入ったら、ゾンビウィルスも進化するかも。インフルエンザみたいに、いくつもの型ができたり」
「触手が飛び出したり?」
「おもしろそう。次は変異ウィルスのシナリオでやろうよ」
その頃にはシナリオを書いたノートは、段ボール1箱分ぐらいには積み重なっていた。
私たちの友情物語の終わりは突然やってきた。
「塾行くことになった」
そんな大層な話じゃない。高校受験が近づいてきて、遊んでいる暇がなくなっただけ。
あんなに一緒の時間を過ごしていたのに、ゲームがなければ私と水鳥は驚くほど関わりがなくなった。そのうちに中3になり、全体的に受験ムードになった。
以上。終わり。
私と水鳥の話はこれ以上なにもない。
卒業式のとき、一度話したきりだ。水鳥は県下一の進学校へ行き、連絡先も交換してない私たちに接点はなかった。私はその後、地元の公立大学に進学し、数少ない友人とつつがない学生生活を終えた。一応教員免許を取りはしたが、教員には向いていなさそうだった。就活に迷っていた頃、親の伝手で学童保育を手伝うことになった。親としては教員免許があるなら、という安直さだったのだろう。またその流れで、スクールカウンセラーの真似事までするようになった。カウンセラーといっても、話を聞いてくれる近所のおばさん(お姉さん)ぐらいのことだ。本当は臨床心理士の資格を持っているひとがいいのだろうが、資格のあるひとを正式に雇うとそれなりに払わねばならないらしい。ならば、雇わねばいいだろうと思ったが、PTAにスクールカウンセラーを雇ったという姿勢をみせたいらしい。そもそもカウンセラーはPTAの要望だ。私は学童保育を経た経験豊富な人材ということになっている。いくつかの大人の事情というやつだ。
どうして水鳥のことを思い出したのだろうか。
ソファの上で寝落ちていた体を起こす。
つけっぱなしだった液晶テレビから、デモのニュースが流れている。境戸市には例の団体本部があり活発だ。定期的にデモ行進が、街のメインストリートで行われている。
画面には生気のない人々の列が映されている。一部、モザイクのかけられた映像は、個人のプライバシーに配慮したものばかりではない。
これのせいで、水鳥のことを思い出したんだ。
『ゾンビ、やるよ』
卒業式のあと、最後だから話しておこうと寄ってきた私に水鳥は告げた。
「え? 映画? ゲーム? 卒業の打ち上げってこと?」
「ゾンビテロシナリオ。バイバイ」
「なにそれ。どういうこと?」
水鳥は私の質問には答えず、卒業証書の入った筒を振った。あの子が、どんな顔をしてそういったのか、イマイチ思い出せないでいる。実家においてきた、ゾンビシナリオのノートはまだ残っているだろうか。その内容を、おぼろげにしか思い出せない。
時計を見る。7時15分。出勤時間が迫っている。
メイクを整えて、家を出ると隣の部屋の佐藤さん夫妻と鉢合わせた。
「おはようございます」
「おはよう、
「はい。月曜日ですから」
奥さんのミユキさんは柔和な笑みを浮かべる。皺が寄ってクシャっとなった顔がチャーミングな、可愛らしいおばあさんだ。旦那さんのトシヒロさんは90歳を越えたという話だった。日課の散歩に出かけるため、ミユキさんがトシヒロさんを支える。
「そのゴミ、私が持って降りましょうか。自分の分とついでなので」
「あら、いいの? いつも悪いわね。今度お礼持っていくわ。ジャム、作りすぎちゃって」
「気にしないでください。ご近所さんですから。ジャムは宅配BOXに入れといてもらえれば。今日も帰りは遅くなりそうなので」
「そう? それじゃ、お願いするわね」
「はい。ミユキさんも、段差に気を付けて」
遅々として進まないトシヒロさんを追い越して、ゴミ袋と一緒にエレベーターに乗り込む。毎日のことだから、エレベーターで待ったりはしない。トシヒロさんの歩みは日々遅くなるばかりだ。
「いってらっしゃい」
廊下からトシヒロさんの呻きが聞こえてきた。
私はなんでもなさそうに頭を下げる。
エレベーターの鏡には、赤字の張り紙がしてあった。こういうものが貼られていると、落書きやステッカーが貼られているみたいでいい気分はしない。貼り紙等は禁止だと管理会社越しに大家から注意があったらしいが、効果は今のところない。張り紙や、陰口ぐらいで、実害レベルに発展していないから、追い出すところまではいかないようだ。とはいえ、大家も決めかねているのだろう。
『ゾンビ使用禁止』
張り紙には赤字で書かれている。
だれが貼ったか、このマンションに住んでいて知らないのは、トシヒロさんぐらいのものだろう。
ゴミ捨て場では下の階の住人である、釜谷さんと顔を合わせた。
「おはようございます」
「あんた、やめろって言ってるでしょ」
60過ぎで独身の彼女は、佐藤夫妻を目の敵にしている。エレベーターの張り紙の張本人だ。釜谷さんは私の持つもう一方のゴミ袋をつついて、わざとらしく鼻をしかめる。
「腐った臭いがする。生ゴミを放置して。私の部屋まで臭くてたまらないわ!」
「佐藤さんちはこまめにゴミ出しされるので、生ゴミが腐るほど放置されてないと思いますよ」
ほとんどの場合、ゴミ出ししているのは私だから間違いない。私の反論が気に入らなかったらしい釜谷さんは、金切り声のキーをあげて叫ぶ。
「アイツらの味方するの? 死体と暮らしてるのよ! 正気じゃないわ!」
「ミユキさんはしっかりとトシヒロさんのお世話をなさっているので、体はまだきちんとしています。脳死はされているので、いずれは死体になってしまうでしょうけど。いまはまだ植物状態と大差ありません」
「脳死でしょ! 死んでるのよ、ゾンビが近くにいて、感染ったらどうしてくれるの!」
「ゾンビウィルスは空気感染しないので大丈夫だと思いますよ」
私は視界の端で時間を確認した。スマートグラスに表示された時刻は、八時になろうとしている。重たい眼鏡のブリッジを押し上げた。
「私は仕事がありますので」
「あのババアが死んだら? あのババアもゾンビなんでしょ? ゾンビが二匹も徘徊されたらたまったもんじゃないわ。二匹とも通報してやる! さっさと保健所に引き渡すべきなのよ! 殺処分だ! 殺処分!」
私の背中に罵倒が飛んでくる。死体を殺処分だなんて、矛盾している。すでに死んでいるものを殺したりできない。
そうだ。簡単には扱えない。だから、困っているのだ。私たちは犬や猫ではない。
私が高校生三年のとき、世界的にとあるウィルスが一躍有名になった。感染が広まったのは有名になったあとの話だ。日本ではそれほど大きな混乱を呼ぶことはなかった。なぜなら、ほとんどの場合、ひとは病院で死ぬからだ。
感染者の人間が、死後動き回る。ゾンビウィルスの発見と、潜在的な感染者の拡大。
感染経路は粘膜や血液などの直接的な接触感染に限られ、風邪のように同じ空間にいただけで伝染ることはない。感染ったとしても、長い潜伏期間によって気付かれれることがない。ゾンビウィルスは人間が脳死にならない限り、その活動を開始することがない。感染しても表立った症状がなく、生きている限りは健康に害を及ぼさない。死ねばゾンビになるが、死なない限りは無害。ゾンビになっても襲ってこない。私たちの考えていたどのシナリオパターンにも当てはまらない、ずいぶん大人しいゾンビが現れた。
社会的には大きな混乱や論争を巻き起こしたが、実害が小さいとわかると社会は日常に戻っていった。一時的に休校やリモートになったりもしたが、三ヶ月足らずで学校生活は再開された。しかし、その余波は今なお社会に深い影を落としている。
『ゾンビは社会的な存在だ』
停車時に、スマートグラスに割り込んできた広告の文句が鬱陶しく、カーナビとの接続を遮断した。車に乗るたびに自動接続される機能は、どうにかならないものか。道路標示や車間距離の接近、スピード超過の警告がポップアップするのはまだいいが、広告まで流れてくると鬱陶しくてたまらない。視界の端に見切れるだけでも苛立つ。ヴァーチャル空間を切り売りして広告表示できるようにしたのは、スマートグラス・スマートコンタクトの仮想空間における最悪の改変だった。
でも、広告の言う通りだ。
ゾンビは噛みつかない。襲ってこない。健康な人をゾンビにする事はできない。
代わりに、ゾンビは多くの社会的な問題を引き連れてやってきた。
PTAがスクールカウンセラーを必要としたのも、ゾンビに関連して、子供らの情緒が不安定になっているからだ。
『ゾンビ、やるよ』
水鳥の言葉が蘇ってくる。
もし、水鳥がゾンビテロシナリオを現実で実行しているのなら、まだ彼女の用意した攻めのターンは終わっていない。
ゾンビテロ。感染拡大初期に、感染者を増やそうとする故意のクラスター感染が起こった。具体的には感染者であることを隠して性行為を行ったり、医療機関での注射針を使いまわしたりなど。感染者を増やそうとする人々が異常に多かった。それをゾンビテロと総称している。しかし、水鳥がプレイヤーとして参加しているならそれだけのはずがない。
二十分ほど運転して、学校に到着する。今日は週に二度のスクールカウンセラーの日だ。私立校との契約で、普段は学童保育で働き、月曜と水曜の8時半から16時まで学校の保健室に勤務している。
指先でスワイプし、仮想キーボードを操作する。スマートグラスの視界に生徒名簿を表示した。PTAから学校を通じて、特別に注意を払ってくれと伝えられた生徒に目を通す。
『2年A室
特記事項。感染:陽性。
保健室には一度も来たことがない生徒だった。
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