だれの手も握らない死者たちは

志村麦穂

カツラギユキノ 1

 子供のころ、退屈な授業の合間にぼんやりと妄想した。唐突に学校を占拠するテロリスト。生徒に紛れたシリアルキラー。銃を乱射するアメリカみたいな犯罪者。あるいはイノシシみたいに侵入してきたクリーチャー。男子みたいって笑われたけど、これが結構ハマってしまった。

 スピーカーからガビガビのサイレンが鳴り響く。

『非常事態発生、非常事態発生、これは訓練ではありません』

 授業中にもかかわらず、ミーアキャットみたいに立ち上がる生徒たち。サイレンのあとに続く言葉を待つ。教室には異様な静寂が降り、視線はスピーカーに釘付けになる。息を呑む。頭が芯までしびれて真っ白になる。

『校舎一階の職員出入り口付近にて不審者が侵入。不審者は銃のような凶器を所持。現在、校舎一階南廊下を移動中。先生の指示に従って速やかに避難してください』

 放送がぶっつりと途切れる。それから、再び静寂。先生でさえも突然の事態に、パニックになっていた。ターン、と運動会のピストルの音を何倍にもしたような破裂音が下の階から聞こえてきた。銃を所持している。その情報を裏付けする銃声だ。

 次の瞬間、クラスで幅を利かせている女子のボス、リカが、いの一番に金切り声をあげた。そこからはもうパニックだ。男子にも、女子にも、パニックが伝染して、あるいは叫び、泣きじゃくり、あるいは先生が止めるまもなく走り出してしまう子もいた。

 二度目の、ターン、が聞こえてきた。バーンに近くて、パリーンも聞こえた。さっきよりも近い。銃を持った不審者は、私たち六年生のいる三階に近づいている。二階や一階の下級生たちがどうなったか、考えている暇はない。先生が必死に落ち着け、大声を出すな、走るな、廊下に並べ、『お・か・し・も』だぞ! と連呼しているが誰一人耳をかそうとしない。

 その時、三度目のターン、が聞こえた。けれども、今度は北側の特別棟の方向からだった。おかしい。不審者は南側の階段を上がって来ているはずなのに。もう移動したのだろうか。たしかに走って移動できなくはないけれど、それにしては音が遠すぎた。思い返すと、不審者の人数はアナウンスされていない。

 ひとりじゃないんだ。銃も一丁とは限らない。

 簡単には逃げられなくなった。階段は使えない。鉢合わせする可能性が高い。外の非常用階段は行けるかもしれないけど、現状不審者が何人なのかだれも把握していない。第一、相手が大人なら、銃なんかもっていなくてもたっぷりと脅威だ。

 窓からカーテンを伝って逃げる? それも悪手だ。アクシデントで転落したら元も子もないし、下の階に降りたところで待ち構えられる可能性だってある。でも、ひとりぐらいなら逃げ出せると思う。流石に全校生徒500人を包囲できる人数がいるとは考えられない。一階なら窓から逃げ出せるし、脱出経路は何通りもある。問題は500人いる生徒が、500人分の有利を活かせないことにある。全員が一斉に別々の経路で逃げ出したら、一番可能性が高い。くじ引きにはなってしまうけれど、銃の強みが発揮されない。

 教室を見回して、冷静な子を探す。ひとりではだめだ。なにをするにも、頭数が力になる。こういうときは男子よりも、女子のほうが頼りになったりする。衝動的に動こうとしないからだ。私が目をつけたのは、普段だれとも絡みがない転校生。黒髪を編み込みにして気取っていたから、転校初日でリカに敵認定されてしまったのだ。余談だけど、リカは一見派手目だけど、実は顔立ちはそこそこ。だから、自分よりも明確な美人が現れると反射的に敵視してしまう。もはや習性とえいた。

 混乱する教室内を、器用に動き回って転校生の前に立つ。

 私は知っている。転校生は体力測定のときに手を抜いていた。テストのときもペンが止まるのがだれよりも早い。というか、まともに解いている様子がない。授業中は小難しい本を開いている。覗き見たら、英語で書かれた本だったり、記号と数字の羅列だったりした。それなのに当てられてもあっさり答えてしまう。ポテンシャルはだれよりも抜きん出ている。

「ねぇ」

 席に大人しく座ったまま、本を開いている彼女に話しかけた。

 この混乱のさなか、余裕たっぷりに本など開いている彼女に確信を持った。彼女となら、この困難な状況を間違いなく切り抜けられる。

「ねぇ」

 私は再び彼女に呼びかけた。


『ねぇ、桂木幸乃カツラギユキノ

 びっくりして飛び上がる。

 没頭していた書き込みから目を上げると、そこには転校生――穂苑水鳥ほそのみどりの顔があった。

「な、なに? ホソノさん」

 私は驚きすぎて、ノートに書き貯めた『突如学校に不審者が責めてきたとき対処マニュアル』を隠すのを忘れていた。侵入してくる不審者のバリエーション、生徒の反応、学校の防災マニュアル、不審者の武器集など。恥ずかしい設定資料が書き散らかされていた。まさに、『猟銃装備の不審者複数人侵入ケース』を執筆中だった。

「英語の本じゃないよ、桂木幸乃カツラギユキノ

「え、あ……今日は編み込みじゃないんだね」

「猟銃なら散弾か、ライフル弾か。どっちも持っているパターンなのか、しっかり設定してから始めたほうがいいよ。あと、練度もね。あえて銃声を鳴らしてるなら、追い込みを掛けられてると考えたほうがいいね」

 薄く梳いた前髪は毎朝ちゃんとセットされていて、小綺麗な顔がよく見える。輪郭も三角なら、鼻も頬も小さな三角形で構成された、きれいな図面。どぎまぎすることに精一杯で、自分のノートを覗き見られた恥ずかしさにまで気持ちが追いついていなかった。

「もっと派手にいこうよ」

「な、なんのこと?」

「いつも熱心に書いてるじゃん」

 そもそも私は水鳥みどりと話したことなんてなく、日がな一日自分の席で、ペンを走らせ、妄想しているだけの日陰者でしかなかった。カーストトップのリナはもちろん、だれの目にも止まらない、迷惑をかけない。その代わり、頭の中では好き勝手させてもらう。そういう約束だったはずなのに! 画面の向こうの、映画や小説の世界の住人に話しかけられた気分だった。

「アメリカにはゾンビ攻撃が起こったときの防衛計画があるらしいよ」

「ゾンビ? そんなの、ありえないじゃん」

「そう? なにがありえないか、だれに判断できるの? なんだって起こり得るよ。だって、そっちのほうが面白いじゃん」

 水鳥は自前のペンを取り出して、新しいページにタイトルを殴り書きした。

『ゾンビテロ対策シナリオ』

 水鳥は斜め後ろの席で、実はずっと私のノートを覗き見ていたらしい。

「ゾンビやろ。私と幸乃で」

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