P008 「朝希ちゃん。桃食べた?」
「朝希ちゃん。桃食べた?」
「桃? 食べてへんよ。急に何言うとん、この子は」
「朝希ちゃんから、桃の匂いがするうー」
「警察犬か、あんた」
まひるもつられて朝希子らのそばへかけ寄ってきて、三人でスクラムを組むような格好になった。
「何や。案外元気そうやな」パパが安堵していると、図に乗った夜乃が朝希子のからだをベタベタ撫で回して、「朝希ちゃん、柔らかい~」と妙なことを言ったので、家じゅうからどっと笑いが漏れる。
「夜ちゃん、オオアリクイみたい」
ぺろぺろと舌を出してふざけている末っ子にまひるが呆れていると、朝希子の腕にチクリと刺すような痛みがあった。
「また噛みおる!」
朝希子は制服がよだれ臭くなると顔をしかめたが、微熱を持った体で容赦なくしがみついてくるから、半病人を邪険にすることもできずされるがままになっていた。
「俺たちが夜乃を甘やかすから。その分、朝希子が大変だよな」
柊の目尻が優しくカーブがかっているのが見えて、朝希子の顔はさっと熱くなった。
この人だけは長女の苦しみをわかってくれている。
初対面の時から、ずっと……。
朝希子は密着している妹らに動揺を悟られないよううつむいて、彼の視線から逃れた。
「お兄、治してー?」姉たちに甘えきって満足した夜乃が、今度は柊に抱きつこうとするので朝希子はぎょっとした。
つい今しがた感じていた末っ子に対する愛情が、しゅるしゅるとしぼんでいくのがわかる。
やっぱり邪魔な子。
夜乃が柊お兄ちゃんと自分のあいだにできた子供だったら、悩まず愛せたのに。
「ほら、部屋で休もう」パパが何度も促すが夜乃はいやいやと反抗している。皆に囲まれて、いつまでも主役でいたいのだ。
「ちゃんとベッドで休みな? 連れてってやるから」
柊が優しく言葉をかけると、夜乃は赤い顔のままやっと、こくり、と首を縦に振った。家族中がほっと安堵のため息をつき、やれやれと朝希子も顔を上げると、また柊の視線とぶつかった。
「おつかれさま」
彼の口が優しく動いたように見えて、朝希子は照れ臭さを通り越して、困惑してしまった。
「柊ちゃん、今夜もおらんの」ホームシアターで一緒に海外サッカーを観たいパパは事あるごとに朝希子に尋ねてくるし、「柊ちゃんが誰かのお婿さんになってくれたらなあ」とママが真剣につぶやいていることもある。
キヨさんまで彼がいつ来てもいいように好物の紀州梅ゼリーをせっせと常備しているのだ。柊は三姉妹だけのものじゃない。家中が彼の大ファンで、彼はみんなのものなのだ。
朝希子は今のような穏やかな日々が永遠に続けばいいのにと願っている。
微笑ましいくらいが、ちょうどいい。
胸が苦しいのは、つらい。
悶々としていた朝希子は一度、柊に本当の気持ちを尋ねてみたことがあった。
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