第49章 にて取り沙汰されるは最早サンチーオ・ハンザがその主人ドニャ・キハーナに抱きし不信に就いてにあらず(ともあれ双方の血盟の義姉やにして嘗ての姫ミコミコーナを伴いて)
LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA
清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ
Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.
POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM
A Prof. Lilavach
Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.
Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).
第四十九章
にて取り沙汰されるは最早サンチーオ・ハンザがその主人ドニャ・キハーナに抱きし不信
に就いてにあらず(ともあれ双方の
Capítulo XLIX.
Donde no se trata ya del descrédito con lo que Sanchío Hanza tuviera contra su señora doña Quijana
(cualquiera que fuera, acompañando la princesante Micomicona, la hermanona sanguínea de ambos).
新世界の
然るに我等がラ・サンチャの
名古屋のシェーンブルンを再訪する上での経由地に過ぎぬにせよ、《
「――セビリアの、」窓枠に片肘を突き立て己の拳骨で無い顎髭を押し潰したラ・サンチャが遥かアンダルシーアの彼方を上目遣いに仰ぎ見ながら[訳註:この乗り合い自動車の路線は現在名駅付近の停留所から栄駅に向かって東進しているわけだから左右の窓はそれぞれ北と南に面しているとするのが道理。最後部に陣取っているからといって、
「おいドSコバンザメ」[訳註:これは第二十四章の昨朝、珈琲店内での会話を参照のこと]
「誰がドSですよ」カンビュセス王の使者――ヘロドトスは紅海沿岸の西側まで版図を広げた連中を《
「いやドメガネの相方だから」真実《
「んなカツブシみたく言われても、猫とコバンザメじゃどっちが弱肉側でどっちが強食側か分からんがな……缶詰とかになってるならともかく」
「ネコ缶? クジラの大和煮ってのは見たことあるが……サメならキャビアとか」
「……いやそこは例に及ばず《
「ん?、えっとダイオウイカ
「そこはせめてVSオオバンザメだろうに」小判とは
「不当というか嘗ては太ましかったサンシタサンチョさんの――」
「シッツレイな!」
「だからかつて言うとるやん」静岡ではまだ健在だった
「レイナ殿下だって――」従士は手許の液晶画面に慌ただしく指を這わせる。
「
「レイナ云うな」[訳者補遺:第十一章に於いて連絡先を交換した時点で御子神嬢の真名は主従に伝わっており――尤も表示された氏名が彼女の本名だとは必ずしも断定できないのだけれども――、花がその場で「王国を統べるに相応しい御芳名」と激賞かつ得心していることからも彼女の個人名が麗奈や玲那、礼菜あたりである見込みが濃厚となった。その四日後に当たる第二十四章では安藤部長との初対面の場で「ドロテです」と名乗っている為、急遽《泥手麗奈》説が有力視され始めたものの、であるならこの期に及んで騎士がその名を耳にして驚いた説明が付かないことに加え、仮にドロテ姓が実在してもそれこそミコガミ以上に稀少であることを鑑みると、苗字に限っては小説『ドン・キホーテ』の登場人物を検索し王女ミコミコーナを騙った美女の本名がドロテーアであったのを知った女子大生が冗談半分で咄嗟に捻り出した可能性も強ち排除し切れぬというのが現状であろう。
「自分かてたまにハナちゃん言うとるやないかい。イミナですぞ、忌み名で読んだら
「サンチョのことはちゃんとサンチョっつってんじゃん」
「陛下!」騎士は身を翻すと、まるで椅子からずり落ちるかのように床面へと滑り降りその場で跪いた。無論斯様な曲芸は前の座席の背凭れに挟まれた至って狭い空間にスッポリと身を収めることを可能にする彼女の極端な痩身の為せる業なのだが。「それがしが
「まァ体感でいえばここ最近は……どちらかといえば耐熱に耐えてた感じでしょうか」
「お綺麗な陛下は
「氷枕っつか――」ギネアの新女王は先刻両乳房の狭間に折り畳んで挿入されたばかりの
「なるほどご自身が
「こりゃサンチョ」縦に連なる双丘越しに、見兼ねた主人が嗜める。「無礼講が道化の特権とは云い条、過ぎればおぬしの素っ首とて只では済まぬぞ?」
「首がなくなるってこたぁダルマ落としでスコーンと中抜きする感じですかね? 喉を省略できりゃ口から胃袋までもショートカットできるわけで、モノがスコーンだろがショートブレッドだろがより効率的な食事が可能になると……」従士は隣に連座する女王に喉元を突き出すと以下に続けた。「ささっ、ひと思いにやっておくんなせえ」
「いやそれショートカットじゃなくてただのカットだから、」和製英語としての《
「それならそれで、どんだけ食ってもコルセ締めらんなくなる恐れがなくなるということだな!」飽食の貴族たちのように、
「どれどれ」
「ん?……ちょちょちょちょちょっ、ちょいちょいッ!」己の胸部を押し潰すような形で渡された架け橋が特定の画像群を表示している端末を指先にて抓んだ従士の腕であったのを認識するや、ギネアは慌ててその液晶画面とドニャ・キホーテの相貌の合間へ掌を差し入れると同時に携帯電話そのものを押し戻そうと努めた。「
「減るもんじゃなし」
「ハナたその中でのミコ姉さんの評価がゴートゥ減るかもだろ」
「《――自然との調和ならびに人類を創りたもうた神への畏敬の現れ》」騎士はつい今し方耳にしたばかりとでもいうような口振りで、嘗て静岡で発せられたミコミコーナの台詞[訳註:露出度の高い自身の扮装写真に対する弁解として。第十一章参照]を物の見事に引用してみせるや、「先刻のお尻の話じゃあないがこちらも
「いやん羞恥プレイの事実」これ以上の抵抗は見苦しいと、御子神嬢は潔く花の視界を遮っていた手を引っ込める。「……角笛とか言うと股間に付けるヤツみたいですわ」
「こうしてみるとマジモンはYじゃなくてIになるんですな……いやW?――何つうのアレ、ショボーンの口みたいな」
「なんだショボーンて。垂れ乳みたく云うなや」
「じゃなくてこの、この下乳じゃなくて谷間のシワ?……輪郭がさ」サンチョが両手の十指を駆使して意図するところを伝えんと試みる。
「お目が高いとは謂うけれど、」ここでいうOMGとは
「尻文字?……ちも――
「物騒だな……こちとら月イチの血祭り週間を除きゃ血便も血尿も、血乳も出とらんわ」男性に比べ、女性は総じて出血に対する恐怖に強いとされる。「いや乳はそもそも、
「それがしなどは
「風呂屋で確認した感じだとさすが腐っててもレイヤーだけあって、前のだけじゃなく後ろの方もシミひとつ無いお綺麗なオメガをしてらっしゃいましたよ」
「気安く人のケツ確認するなよ」
「はっどの口が……《敵の尻見て己の尻ば直せば百戦危うからず》でしょうが」
「お前は何と百回戦うつもりなんやその諺がまず危ういわ……おいどんの御居処の話はいいですよもう」麗奈[訳註:冠詞laが無いので人名扱い]は然も居心地悪げに一旦腰を浮かせると改めて座席の深い位置に座り直した。「や乳の話もいらんけども」
「ご謙遜を陛下、蜜溢るる約束の姫君が――」ラ・サンチャの騎士が唯一その薄翅を休めることの叶う蜂巣の華は、この時節彼女らの祖霊が
「溢れるどころか一滴たりとも垂れてきやしねえってのに」ミコミコーナは鬱陶しいサンチョの手を払い除けつつ以下に続けた。「持ち上げんなっつの……あと乳のでかさと乳の出は関係ねえらしいからな」
「えっそうなん? そんなんでかいでかい詐欺やん」
「サギもウサギもねえ。関係あんのは乳腺であって、これはあくまで脂肪なんだよ」
「乳脂肪って液体ちゃうの?」
「それ脂肪分だろ。牛乳とかに含まれとるアレ――脂質?の成分であってこっちのは脂肪そのものだろがい」女王は特大の牛乳瓶を二本抱えるような仕種で両脇を寄せた。「ミルクのタンクじゃねえんだよ気安く搾乳されて堪るか」
「じゃラクダのコブと同じか……」
「コブはやめろ、乳ガンみてえだろ」尤も
「カップが邪魔でいまいち分からん」
「揉むな。一揉み八十一名古屋ドルだぞ」
「一名古屋ドルが何円かにもよるが」ナゴヤには七百五十八という数字を当てることが可能だと我等も学習済みながら、何であれ
「二次元て。それ言ったら顔の半分が目ん玉とか普通なんだからそれに比べたら」
「云えとる……駄目だ腕疲れる、全然ラクじゃおまへん」
「駱駝の瘤は断熱と放熱の役割も担うと聞きますな」騎士はそう云って端末を長姉の手に預けた。「いや大層な目の保養になりもうした」
「お粗末様でした」
「私んですがな」アイポンを引っ手繰る猫の従士。「たしかに表面は割とヒンヤリしてますな……魔法瓶的な機能で中身はホットミルクでないとも云い切れませぬが」
「いや普通にバスん中涼しいし」下手を打てばこのまま高温多湿の車外を忌避し、目的地に到着しても下車し損ねかねないところだ。「脂肪なんだから燃焼したらパイオツだってやっぱ減るがな、ヘレニズム文化だがな」
「
「チーズケーキ! 牛さん大活躍!」
「別に山羊とか羊のチーズだってあんだろが」慥かに、ギリシアで有名な
「アルムおんじが提供するのはヤギじゃなくてウナギだろ」
「何云ってんだてめえ」
「夏は海の家を開けばいいじゃないか」
「アルムというのは高原の牧草地を指す言葉じゃて」
「でしょ? それじゃアルプスの少女じゃなくてレマン湖の少女だわ……ヌルヌル巻き付かして天然ローションが地球に優しい触手プレイかよ」それこそダイオウイカ対マッコウクジラが如き
「レマン湖にゃレマッシーが――レマッニー?が居るだろうから立たずとも漕ぐというか、ペダル回せりゃ問題ないな」
「欧州鰻の養殖とな?……地中海沿岸じゃよく食うだろうけども、飼育となりゃ取り分け盛んなのはオランダイタリアにダンマルク辺りかね」我が国で
「スイスイ泳いどりゃしませんのか? ほんだらレマッシーは何を餌にしとるんだ?」
「ウナギが居なけりゃウサギを食えばいいじゃない山なんだから。ペーターラビット」
「第一おんじとハイジの住んどったデルフリ村があるのはマイエンフェルトといって、ありゃリヒテンシュタインに隣接しとる地方だろうに」スイサ連邦の北東部である。「フランス国境のジュネーヴとは位置がアベコベだわい」
「まァうな重屋のおんじはレマン湖じゃのうてハマン湖なんですがねって何の話ですっけ……ああ、チーズケーキか」従士は懲りずに傍らで視界を遮る肌理細やかなアルペスの谷間へと視軸を戻した。「ケーキっつか白くて丸っこいチーズあるじゃないですか……何てったっけ?」
「モッツァレッラか?」
「モッツァ、それや! モッチモチな感じの」
「製法でいえばブッラータもそうですな」先んじて註釈を挿むと、ここでいうburroとは
「ブッラータね……このブラザーじゃ課長どころか名誉会長クラスですわい」そう云って千代さんが肩紐を一旦抓み上げてから指を離したものだから、曙光を浴びし白雪よろしく仄かに色付いた陛下の
「おい」
「ここまでプニョってんのにこっからがガチガチで、ここがここに繋がって……意外と力コブ出ますか? ちょいグッてやってみて?」不意を突いてミコミコーナの二の腕がサンチョの首を締め上げる。「――ちょちょちょちょちょギブギブギブ」
「いや苦しくないっしょ、《上腕二頭筋は乳脂肪と同じ感触》なんだろ?」[訳註:奇しくもこの文句は第三十一章の観覧車内で馬場久仁子が発した俗説に則したもの]
「筋肉といえば筋骨隆隆の肉体美を誇示した
「ビーフ――エホッグェホッ」ウナギの粘液のように皮膚から染み出した御子神嬢の汗が潤滑剤の役割を果たしたわけでもなかろうが、従士は何とか巻き付いた腕から抜け出すことに成功したようだ。ともあれギアナの腕筋は断頭台の白刃ではない為、仮に喉を潰されていたにせよ首ごと切断される事態だけは免れていたものと察せられる。「ケーキなの? ビフテーキではなく?」[訳註:西biftecないし元となった仏bifteckは英語のbeefsteakから/s/の発音が脱落したもの]
「どっちにしても牛なのね……」流石は
「朝っぱらから聞いて気持ちいい話題でもありませんしな!」
「やれやれ、麻の如しとはよくぞ謂ったものよ」[訳註:慣用句の《
「《――ご乗車ありがとうございました》」女性の声で車内放送が割って入る。
「ん?」
「《次は、サカエ、サカエ……終点です――》」そういえば地下鉄に乗り換える為に下車する地点こそが最後の停留所であったわけで、となると空調の快適さにかまけて乗り過ごす云々も杞憂だったようだ。「《お忘れ物のないようご注意ください》」
「サカエでございまーす」俄に立ち上がる猫の従士。「お魚咥えたドラ猫追いかけねば」
「いてえな」
「バス停車するまでお立ちにならぬようお願いしまーす」矢を射るが如き警告が、車内を縦に貫く通路を一直線に飛んで来る。今度は運転手だ。[訳註:運転手は咄嗟の発言にも備え付けの集音器を使用しているので、厳密には車内各部に設置された拡声器から聞こえてきた音声である]
「あ……すんません」
「《栄地区は路上禁煙地区となっております。指定された地区では……》」
「つかドニャ猫はてめえだろうに……猫なんだから堂々と裸足で駆けてけよ」
「じゃあ栄えてるというか、盛ってる牝牛の陛下は」前の座席の背凭れに寄り掛かりながら気怠げに中腰を保つ。「――その乳揺らしながら裸で後から付いてきてください」
「バスト丸出して、どこのクラブの女王様だよ厄介なサザーエさんだな」徐々に速度を落としていた乗り合いが停車せし反動で前方に揺さぶられるのを巧みに利用したミコミコーナが、そのきちんと
「よ、妖怪おんなたらし……」
「え~停まりますご注意くださ~い」
「迸る白き血潮で天の川を産んだ女神も大ミコミコンに於いちゃヘラではのうて
「ご乗車ァお疲れ様でしたぁ~」
「ニジェールの川がアマデの館まで我等を運んでくれたらば、こりゃ御の字なのだがな」
ラ・サンチャの騎士はそう呟くなり自身の従者にも先んじて通路へと進み出たが、その極端な痩身故、早くも腰を浮かせていたミコミコーナの肩や膝に触れる無礼を犯すことなく彼女の手を取ることが叶ったのである。
直方体の横腹に穿たれた降車口から真っ先に降り立ったのも当然ドニャ・キホーテであった。周囲を警戒しつつ透かさず半身翻し、後に続く女王の介添えも怠らない。[訳註:便宜上《
「うわ」
「あつ……暑み」
「なんて?」
「あら、巨人のヘカトン――ガエルも、ドンキのペンギンもおらんねんな」栄地区の降車所はどうやら大きな交差点に面しているようだった。「弱ペダ観覧車どこ? 降りるとこ間違えてません?」
「すぐ隣が公園ってことは……あっホラ、」女子大生が南北に伸びる久屋大通へと首を伸ばす。「――あっち名古屋タワーそそり立っとる……てことはバスで通り越して――」続いて来し方を振り返る。「――ないな」
「ないんかい」
「ん?」
「じゃあこの強ペダの巨人を打ち負かした我らがサンチョ様の武勲を認めたくない懐の激せまな魔法使いのフートンめが、卑怯にもその証拠にして第一の証人でもあった負けガエルことヘカトン御本人を」彼の五十対の腕の内の二本に支えられし
「……あっ違うわ、こち側に一本向こうの通りなんよきっと」眼前の
「邪魔なら女王の権限で撤去してよ、フートンに消せて殿下に消せねえ道理はないっしょ」
「そんな権限あっても行使せんわ」
「何の話か」烏の落とし物に塗れた主従の放つ臭気により、シェーンブルンを去る楽団の出待ちをしていた人垣を真っ二つに分かち道を作った件のことである。[訳註:第四十六章を参照されたい]「……つかパカッと割るならスイカップのおんどれじゃろがい! それともそれは既に半分に割れてるのを左右に接着しているのかね?」
「この谷間が羨ましきゃバカはおとなしく腹筋でも割っとれ」
「夏休みに汗水垂らして腹筋割るとかどんなバカンスだ」
「そうさのう……そのバカがウマシカかメスウシか次第ではありましょうな」西語のbacaには残念ながら
「メスウシ! ド直球!」
「何云ってけつかる、相棒が馬なんだからお前さんは鹿なんだろうに」日本語で
「いや私ゃ腹減っても鹿煎餅は食わんけども」
「ふむ、
「いやご主人様よ、奴は家系が馬なだけで本人はメガネザルでしたよたしか」
「なんだっていいよ、ミコ姉さんはバカよりカバを所望する……アレは下手なチャンパンでチャンパイすんよか百倍コスパに優れるからな」ここまで物して王女は花貌に纏わりつく湿気を払うかのように激しく首を振った。「ああ泡物が飲みてえ……ただでさえバブ姫さまお帰りで泡成分足りてないのに。とっとと用事済まして涼しい場所で一杯やろうぜ」
「朝から飲むのかね。飲んだくれるのかね」
「その……なんだ竹箒だか育児放棄だかの噴水ってのは何処なんだ?」
「ボウキじゃなくて希望だよ。アキッレ・キッボの泉ですよ」
「呆れる規模ってなんじゃい、」件のβ発音現象に則ればchibboとはchivoとほぼ同義であろう。[訳註:葡語chibo《仔山羊》は西chivoが起源という説が有力]「箒がタワーどころかスカイツリーサイズでおっ立ってんのか?」
「まったく殿下はあの石松ぼっくりのボッタクリと気が合いそうですよ」従士はギネア王女の
「いやボジョレーは泡じゃないけども……いやもうバカでもアホでもスプマンテでもいいから」
「Sker eris, aiunt, si falso facies…」ラ・サンチャの蜂は、硝子張りの建築物が照り返す朝の陽射しにどうやら沼津の海岸(或いはヌマンシアの
「ホラ、ミコさんの口上が長いからドニャキの旦那ャも飽きちゃってるじゃまいか」
「長いのはお前だ。その甲状腺引き伸ばして成長ホルモンの分泌を阻害してやる」
「いや陛下、不詳ドニャ・キホーテまだまだ秋めくには早うございますぞ。どうぞあちらを、……」時間帯が心持ちに影響したか、
「あっ、グリコ姉さんおった」猫の従士が横断歩道の対岸を指差す。「今日も朝から元気に全裸でバンザイしておられる」
「何だ全裸って、全裸の姉さんおんなら今更アシに半裸になれとか云うなや」ミコミコーナも釣られて牛馬の往来も喧しい車道の向こうへと首を伸ばす。「――あ、あの青いのか。エラい積み重なってんのな……どういう構造?」
「ああいう構造ですよ」
「ああいう?」
「こういう……」千代さんは水を掬う時のように両掌で
「乗ってんの?」
「乗ってんの」
「あれ盆というか、皿一枚一枚が水面に浮いてない?」
「それは気の所為です」
「何が木の精じゃ、道理で木霊かヘリコン山の
「あっ」反射的に頭を抱える半坐家長女。「――せや今日は頭盛ってないし被ってくるべきだった。しくったわ何か紫外線でジリジリ焼かれる思ったわ」
「うなぎの旨味に唸ったりあなごに
「ほんとや……蒲焼きにされとるどじょうに同情してる場合じゃなかった」
「頭……」傍らで暗黒大陸の継承者が何やらニヤついている。
「あ?」
「――撫でられんの糞キモいんとちゃうの?」[訳註:第三十八章参照]
「……いや、これが撫でられてるように見えたなら殿下の目は節穴ですのでオール電化の
「アレ戦闘力以外測れんのか? 銭湯つか温泉掘り当てる機能とかあれば欲しいが……それはドラゴンレ――ドラもんレーダ?だろか」
「ドラモンて何や……四次元ポケモンGETだぜ?」
「レダや白鳥は存じませぬが、」騎士は遊んでいる方の片手で自分の凹んだ腹部を押さえつつ以下に続けた。「――青猫の兄者懐中のお道具ならば《温泉
「ああ、あった気がするわ……くわしいなおい」
「この方ドニャえもんはですね、チョビ太を撫でとるんでなくて舐め腐っておられるのです」そう嘯くなり川から上がったばかりの
「あんまり口の減らぬようならザラついたその猫舌も、砂糖に牛酪、小麦粉に卵白を練り込んだ上、仕上げに
「調子が戻ってきたじゃございませんか! こちとら岡崎じゃオカマ達の中にブチ込まれんのもすでに経験済みですからね、」
「猫か鼠かハッキリせい」王女が割って入る。「分かったからとっとと渡ってご主人様のその、民衆の蜂起だかマイク・ダイソンだか取ってこいやうちら日陰で待ってるからさ」
「いやマイクでも掃除機でもねえけどよ……今も放置されっぱとは限らんし」
「金欠の……間違えた、銀月の騎士から分捕ったそれがしの得物です[訳註:西訳ではこれまで通り《
「そりゃそうだ、牛スジが羊じゃないってくらい正論ですよ」
「まァ本人がそうおっしゃるなら……折角希望に満ち満ちてガチムチになった箒も、」ミコミコーナは槍試合で用いる長槍が、安全面を考慮して比較的折れ易く作られていたことを思い出した。その身分を鑑みれば、
「いやもうマッチョもビーフケーキもいいんだよ……つか折れるとか言うな」愛らしい妖精たちの手に委ねられた《アルカラスの
「――それに今日の陽気に限れば、同じ湧き出るにしたって温泉よりも冷泉のが有り難いというものじゃ」
「やっぱ私が参りましょう」主人の物した補足に不穏な響きを感得した従士は、機先を制して踵を返すのだった。「赤っ
「なんだいきなし」
「ふむ……«Omne trium perfectum.»」これは我々が《
「そんな紫のことまでお構いできまへん」
「先っちょムラムラしたオカマはいいからさっさと行ってこいってば。ほら走れ」
「あ、かッ!」公園側に立つ信号を指差す従士。「轢かれて挽き肉になりますがな」
「いい機会じゃないか。トラックにでも轢かれて異世界転生すりゃ向こうじゃチートだろうがハーレムだろうがやりたい放題じゃねえか」
「その手のチープで破廉恥なやつロクに読んだことないのにこんなこと云うのもなんですがね、アンタそんな社会の屑を都合の良い妄想世界に送り込むだけのために業務上過失致死罪に問われなきゃならんトラックの運ちゃんのその後の人生考えたことあんのかよ」
「いやまあ、普通に飲酒とか居眠り運転のパティーンもあんでしょ」
「そういう問題じゃねー……その、当たり屋側が、運良きゃワンチャン的な、何だっけ」試験で出題されぬ知識に関してだけは、
「何だその不倫カップルの密会みたいなんは」
「――あ」
「はてチヨさんが懸想いたしとるのは騎士というよりしがなき楽師、」ドニャ・キホーテは昨晩宮殿の門前で言葉を交わした声楽家の風体を思い出す。「――差し詰め
「トゥ――ムーンライト? アット・ナイト?」
「なるなるなるほど、滋賀にも掛からんのなら当然佐賀県からだってお呼びは掛かっとらんだろしな」
「あお、煽りなさんな……」同じ九州地方ならば巡業先の候補地となり得るのは(佐賀ではなく)国内五番目の大都市と目される福岡だろうが、版図を拡大するにしても斯様な
「また赤んなんぞ! マッハで行ってきな!」
「
「そっちがいいなら」
「マ――マハラジャー」
義姉たちが細首を捻ると地底世界に通じる屋根付き階段が口を開けている。数歩移動するだけでも熾烈な陽射しは忌避できるし、地下街まで降りてしまえばそこには地上の淀んだ熱気とはすっぱりと縁切りしたかの如き
然るに横断歩道の手前から件の円形噴水池までは四半エスタディオに満たぬ距離しか無かったものの、既に点滅し始めていた青信号を従士が渡り切って直ぐ様大通りの往来が再開された為、対岸の様子を過不足なしに見通さんと幾ら目を凝らしたところでそれは困難を極めたと記さねばなるまい。
「ヌコというよかワンコだな」行き交う幌馬車の屋根の上から覗くドニャ・グリコのバンザイ――《カミカゼ》同様自殺攻撃を意味する
「陛下の御人徳を考えれば至って当然かと」
「……えっワシ?、ハニャちゃんによ?」
「――それがしなどは百歩譲って」一瞬見せた驚きの表情を俄に苦笑へと転ずるラ・サンチャの蜂娘。「《どうにか手懐けた》でしょう」
「手懐けた……それだとどっちかってえと――」
「実のところ、手もなく《名付けた》以上のことはしておりませなんだ」[訳註:第十四章末尾の浜名湖畔はうなぎ屋で一泊した際、三軒茶屋に帰還した後は《
「名付け親っつったらゴッドマザー――シスターじゃんよ、ゴッシスですよ」
「溺れ癖があるとはいえ海の泡と消えた
「おぼ、溺れ癖?」酒にではない。「……泡姫さまに? アリエル?」
「放たれたが最後地球を一周でもせね限り戻ってくる見込みのない
「飽きて呆れて諦――めて、か……何だっけどっかで聞いたな」[訳註:第七章および第十一章終盤で言及された《
「まあ……《秋来りなば、夏遠からじ》――とも申しますでな、月日が経てば懐かしんでもくれましょうよ」
「そんな正月来たと思ったらもう年末かよみたいな……な、何を言っているのかわからねーと思うがみてーな」
「ワンコといや今じゃ湾だそうですが、」騎士は真南に伸びる久屋大通の消失点を凝望し、吸い込まれるような感覚を味わいつつ以下に続けた。尤も仮令彼女に
「四股でも踏んでそうな名前ね……ウンコ踏むよかマシだけど」否、頭から被るのに比べたら[訳註:第四十五章参照]、踏んだ方が少しは救いがあるのではないか?「……アシ――
「身罷られた後の行く末は存じ申さぬが――」その物語が五大陸を駆け巡ったのとは対象的に、サンチョ・パンサを供にした生前の獅子の騎士自身の遍歴範囲は然程広くない。ラ・マンチャの主従は半島の外には足を踏み入れなかったどころか、西の果てはサンチョが
「カンダ、ガンダーラ?」
「カンダーヤでござる……なんでも其処は生者ではのうて死者だけを葬るのだとか」古今東西大抵の地域では――
「そいつは……いかいよ~かい――と呼ぼうかいってな感じですわね」妙な抑揚を付けて同調したエティオピーア姫が日輪の煌めきへとその美貌を向け直す。「ゆかい~なサ――あ、やっと戻ってきた」
「……てえへんだてえへんだ」
「大儀であった」
「何がてーへんなんだよ今更自己紹介か?」
「あ?……誰が底辺だよ
「様式美的にそこは《遅刻遅刻~》でしょ」
「様式美語るならまず咥える食パントーストして寄越せやっつか、この暑さじゃ《地獄地獄~》のが正解ですわ」千代さんは友人の四つ目がするように、ずり落ちた見えぬ眼鏡を中指で突き上げながら、「ただでさえ骨折って使いっぱしとんのに話の腰まで折らんでくださいよ」[訳註:御子神「
「おぬし片足を引き摺っておるのか?」
「へ?……私が引きずるのは過去のトラウマくらいですよ」高々十四五年親元で何不自由なく過ごしてきたであろう彼女の過去に一体如何なる心の闇の巣食う隙間があったのやら!「いやあキッツいねこれすでに三十度超えてるでしょう」
「ヴォルフ党のチヨさんに与するならば、我等も狐ではのうて
「「――イセ?」」
「だぁから初めてでも辱めてでもねえですよって」従士は主人に向き直る。「私に落ち度があれば恥でも破廉恥でも好きに罵りなさるがいい……だがまずはお聞き召されい」
「早う申せ」
「暑いんだよ」
「だから異世界階段降りてていいっつったじゃねえかわざわざ行く前にさ」そう云う本人が率先して屋根の下へと移動すれば良いように思うが、千代さんはいっかな車道に向けたままの背を見せようとしない。「――んでそのイセップだかグリムス兄弟だかにも出てくる箒なんですがホラこの通り」
「ホラもウソもないわ、」泡と消える『
「分かりませんかね……一晩放っておいたら
「いや隠す気あるならもうちょっと……いや普通に現場に置いてくりゃいいじゃんよ」
「何を?」
「何それケツから生えてんの? 尻尾がピンコ立ってんの?」上半身の重心を移動させて従士の背後を覗き見るミコミコーナ。「……ぶっ、ブッ刺してけつかる。何かヒョコヒョコ妙な歩き方してやがる思ったら」
「ははバレテーラ。いやおふた方がいつまでも寝惚けとらんか試しただけですよ」
「試すとか云われても正面から見てハミ毛ボーボーだよ」
「せめてボサボ……否フサフサと言ってくれ」猫娘は尾骨の辺りに開いた
「セコいな……つかこういう箒は使わねえべ庭掃いてるんじゃねんだから」横から得物を掻っ攫うと、「こんなん現代で使うのおジャ魔女かレレレのおじさんくらいだわ」
「レレレノって誰よ……レオンのおじさん?」
「レレレ撃ちの語源だよ」
「レレレウチがまず分からんわ」
「バレレテーラ――
「じゃあ何で取りに行かせたん」
「
ラ・サンチャの騎士が終いまで云い終えるか終えないかというところで女王は素早く手許の箒をサンチョの胸元に押し付けると、代わりにその手に握られていたメルリンの尻掻き棒を引っ手繰るや否や、転げ落ちるように屋根付きの階段を「王笏は小癪なサンチョ公爵にお任せして、ミコミコは晩酌とかでも使えそうなこちらの茶杓を頂きまっす」などと幾分不明瞭な滑舌で喚きながら駆け下りたのであった。
「ちょ――」急いで追い掛けずとも行き着く先は同じなのだ。一旦
「シュレディン
「シャーーーーッ!」
嗚呼、名古屋城内で《
「
以上のような、或いはそれに類する遣り取りを経てラ・サンチャの蜂は、斯かる長旅の
商業施設を含む駅構内に至る階段を下り終えたミコミコーナは、漸く追い付いた猫の従士を床面への両足裏の着地を待たずに壁際へと引き込むなり「
「何売ってるお店? 食い物?」
「知りませんよ。三軒茶屋の駅付近では見たことないっす」千代さんが背中掻き棒の奪還を試みるも、如何せん見本人形顔負けの理想的な四肢を備えるレイヤー姫の腕の方が少なからず長かったものとみえる。「チェーン店じゃないんでは?――つかセルフでググれや」
「いやまァ……神田の隣は三茶じゃなくてお茶水だけども」地上出口を見上げるが、騎士は小蛇どもが侵入してくるのを余程のこと警戒していたものか随分と牛歩で殿を務めているらしく、まだその勇姿は視界にも入ってこなかった。「改札どこだ?……反対側の階段の方降りるべきだったかいな」
「地下で繋がってはいるでしょうよ」
「えっと……昨日お城行ったのと同じ路線の逆方向ってことは名城線?――か」シェーンブルンへはその逆方向に乗って赴いたのでは?[訳註:第四十一章では久屋大通駅にて一旦下車し、桜通線から名城線の名古屋港方面行きへと乗り換えている]
「名城でも汚名返上でもお好きな路線に乗りゃいいと思いますですがね」従士は石突きを石畳に突き立てると、そのまま柄を握っていた指を開いたものだから五条橋で活躍した槍は音を立てて地面へと倒れた。「……多分こっちです。そして貴女の茶杓だか柄杓だかはそこの箒の方ですからな」
「いや拾いなさいな」
「つか茶杓って茶道具っしょ? アンタ酒しか飲まんのやんか」
「マドラーになるやろがい」であれば
「でっけえなおい、バケツで飲むのかよ……いやドラム缶サイズか」
「やだからどう見たってそっちのが戦闘力高めじゃねえのよ」寝転がった箒を軽く蹴り飛ばす御子神嬢。「騎士様の子分風情がウィンナーサイズの孫の手で、爪楊枝よりヘビーなもん持ったことないやんごとなき一国の姫殿下が馬並みのを担いで歩くってのはどうなんさ。その絵面に何も、微塵も疑問感じんのかお前」
「だ~から名古屋のヴィーンは昨日ん夜で打ち止めなんだよもう!」昨晩の
「――銘打つならば《
「おおラ・サンチャの精華ドニャ・キホーテ、その名も輝く貴女さまが降り立てばこの漆黒の地下迷宮にも万のLED照明が灯ったが如しです」両手を広げて歓待するミコミコーナ。「今もご従者に大が小を兼ねる武装の何たるかを、騎士さまご到着を待つ間の無聊にかこつけて差し出がましくもご教授差し上げてたとこですよ」
「巨乳は貧乳を兼ねませんぜ」
「首都を包囲せしスレイマン率いる大軍の砲撃が撃ち止めとなろうが、おぬしの砲口[訳註:咆哮か]にまで体よく歯止めが掛かるわけじゃあるまいに」騎士は突き出された長槍をやんわり突き返す。「一組の唇と二枚の猫舌、更には上下合わせ〆て千本生え揃った衣着せぬ歯列持つチヨさんにゃ打って付けの業物ではないか?」[訳註:海神の携える
「百腕観覧車だ千手観音だみたいな、取って付けたような
「そうか、慥かに千と四なのだから《
「そんな、千と千尋じゃあるまいし短い方がまだマシに決まっとる」あの著名な映画では異世界に迷い込んだ少女に対し、
「今からでも沈めてこいよ」捨てるのであれば指定された廃棄場に持っていくべきだが、仮に池へと放り投げたところで油分の多い棕櫚の樹皮が有する撥水性を鑑みるに、女神の力を借りずとも自然と浮き上がってきてしまうのではないか。「泉の女神さまがその木ボウキだか茶ボウキだかを魔法で化学変化させたか何かして、《あなたの落としたのはこの金の箒ですかそれとも銀の箒ですか?》ってな魅惑の選択肢を提示してくるかもしれんぞ」
「あの御方が女神なのかチリ紙なのかは存じませんが、どんだけ新聞紙の束ァ積み上げようがそんな――金券やら銀行券なんかはおろか、トイレットペーパーのワンロールとも交換してくれそうにゃ見えませんでしたよ」日本では嘗て
彼女らの
「どうしても返して来いってんなら今度はミコミコーナ様の番ですわ」
「奴隷の分際でこのミコミコーナ指図するってか?」
「いえいえ、だって泉の女神に突っ返すにしてもまずはお目通り願わにゃならんしそうなったらサンチョじゃ身分が足りません」
「刺青?……もうとっくにシール消えちゃってるけどな」静岡市で出会ってから五日も経過しているのだ。毎晩入浴していれば自然と削り落ちるであろう。
「イズミールといやエーゲ海の対岸じゃないか」そうなると往時の大ミコミコン王国はローマ帝国を上回る版図を占めていたと言っても過言ではない。「
「ヌートリアとカピバラの違いはともかく、ポケモンとドラえもんの版権元が別モンなことくらいなら心得てますよ」
「じゃあ……きれいなジャイアンもなしか」
「きれいなジャイアンも切れ痔のジャイ子も出てくる気配はありやせんでした」早々に観念したと見え、猫の従士はその肩に千叉槍を担ぐと嘆息を漏らしながら以下のように吐き捨てて主人とその
「成程おぬしのよな捻くれ者にはお捻りだってねじ切れるほど捻ってくれるに違いあるまいし、噴水孔から迸る水に限りがないのと等しく唸りながら散らばった硬貨紙幣を熊手よろしく掻き集めるにもそのミリダンテ・アリギエーリが大層役立つことであろう」幸いここは池の中ではなく地の底なので、床面に溜まった
「愛しのドゥルシネ姫はキジでなくてクジャク印ですしな」となるとエル・トボソには今一度髭を生やしていただかねばなるまい![訳註:第二十六章参照。孔雀で華美なのは雄の方である為]「お手にある傘を逆さに開きゃ日光や雨粒防ぐだけじゃなく空飛ぶ金貨銀貨の回収にだってお役に立ちましょうよ」
「ほう、石の礫も鋼の槍も受け付けぬ盾が鋳貨如きで傷付く道理はないというわけだ」
「まァ烏の糞だけは別ですが」
「それでけえ神社の初詣とか行ったら儲かりそうだな」
「いやそれは普通に捕まると思う」[訳註:後方から当てずっぽうに投げられた賽銭を裏返した傘で捕集し、ちゃっかり且つひっそりとネコババもとい着服した罪で]
「して蛇の――我等を腹中に収め運ぶという化け
「ミコさんが蹴飛ばしたからどっちだったか判んなくなっちゃったよ」そこまで
「これまた頼り甲斐のある水先案内だこと!」
「いや上を見ろよキジルシ
「私がここ数日の苦行で得た教訓は、人間歩く時にゃまずしっかり前を向いて歩くべきで、犬の糞やら鳥の糞を警戒するにしてもあくまで目ん玉を上下させて目視するくらいに留めよってこってす」サンチョは至極真っ当な結論に達したようだった。「同じように左右にも動かしゃ暴れ馬と暴れ牛が一度に突進してきたところで安全に一時停止できるわけで……何じゃクリスタル広場て、地下なのに滝川でも流れとるんかい」
「地上で噴水噴き出す池あんだから地下に滝落ちてくる川くらい流れてたっていいだろ。反対方向だし寄らんぞ」
「どうせ庶民をおもてなすクリスタルのお持ち合わせはねえでしょ」一行は敏感なる猫の従士の髭を頼りに地下鉄の改札目指し前進を開始する。「それよかまだ全然お店開いとらんな。名古屋市民はモーニングに命懸けとると聞いてたからてっきりカフェの前にゃ徹夜組でも長蛇の列為して並んでるかと思ったんだが」
「はっ所詮はサンチョ、ドニャ・キホーテの後釜に座るのは百光年早いようだな」
「釜は飯を炊くもんであって座るもんじゃないでしょ。朝飯前の一仕事終えて座りたいのはオカマの上じゃなくて朝飯の乗ったテーブルの前ですよ」
「おバカ、ドニャの旦那ャもおっしゃってただろ――ここは既に奴等の巣穴なんだぜ?」
「巣穴はアレでしょ、電車通ってるトンネルのことじゃなくて?」
「目の前にこんな凛々しきお花が咲き誇っとるってのに頭ん中までお花畑にしてどうするよこの脳内フローラルが」王女は従士の肩に乗った箒の房を些か粗雑に平手打ちして以下に続けた。「ミミズだってオケラだってアメンボだって色々いらあな、みんながみんな平和的で友好的とは限らんだろうに」
「そりゃオケラになったらカツアゲのひとつもしたくなるだろうし、一般論として甘えん坊はストーカー気質と言いますから」
「だろ? 同じようにお水やらお風呂なんてのは女を食い物にするんだわ」池や川ならいざ知らず――《アリカンテの
「なんか胃液……粘液?まみれになりそうで嫌だなそれ」昨日利用した桜通線と名城線では特にそういった不都合もなかったように思うが、我々に見えていないだけで彼女たちは黙ってその絡み付く汚物に耐えていたという線も、完全に否定し切れるものではない。
「贅沢云うなよホラ何だっけ昔のSFの……
「ミミズがどうやってハサミ持つよ」日本で《
「トリマーちゃうわ……えっと」
「『
「ブラドイド?」
「さっすがドゥルシネ姫とも以心伝心、常に心が繋がっていることが窺えます」
「はい、本邦で初めて電信柱が立ったのも維新後直ぐのことだとか」映画通の幼馴染と付き合う内に、花も人並み以上の知識を身に着けていたということだ。騎士は突き出した拳をこれ見よがしに握り締めて見せると、「そうじゃな……《引っ掴んだら離さぬ者》といったところですか」[訳註:英grab+-oid《握る+~の形を成す/~に関連する物》。劇中の生物は巨大ミミズの形状をしているが、口の中には更に蛇のような舌ないし触手が複数本生えており、獲物に巻き付いたり噛み付いたりして捕食する]
「感電するのでは?」
「電線はヤバそうだけど電柱なら大丈夫だろ」尤も映画の舞台となったネバダ州の砂漠にどれだけの送電線が張り巡らされているかは現地に趣きでもせぬ限り知り得ないし、人喰いの化け物が感電死したところで駆除する手間が省けたと考えれば済む話だ。「……つまりな、地底生活を営んでる店舗経営者の皆さんはそのグラフィックボイドがいつ襲撃してくるか怯えてるからこそこうやってシャッター閉めて備えてるわけじゃん」
「そいつは気の毒ですな」換言すると、既に運行が開始されている鉄道を除いた地下施設の営業時間外は、地中を自由に蠢く未確認生物がいつ何時どの床や壁面、天井を突き破って出没し人々を襲うか、全く予想が出来ず落ち落ち店も開けられないという次第なのだ。勿論営業時間内さえ開店できれば商売に支障はないのだろうけれど。「その結果がこのゴーストタウン――っと、名城のMはミミズのMであると同時に紫のMでもあったか。ここまで来たらもう味方の陣地だし少なくとも我々は安全地帯に入ったってことよね」
「ちょっと聞きましたぁ騎士さんアナタのお家来ったら、自分の身の安全ばっかでか弱き民草の――」
「――にしては店こっちも閉まってますね」歩を進めつつも忙しなく辺りを見回す猫の騎士。「どっかキヨスクとか……清須区って愛知県ですか?」
「名古屋市とくっ付いてんだから清須市だよ……違うよバカそっち下りたら改札なんだろ」
「分かったよコスパ重視のカバ姫さま」
「カバよりバカが好いと申すなら――」階段を降りて行く年長と年少の両姉妹の背中を守りつつ蜂の騎士が割って入る。「帰郷した後の叙任も、騎馬ではのうて騎牛の士に改めずばなるまいな」
「「きぎゅう?」」
「だって
「バッ、バカジャネーロ!」
「なんで急にブラジル感出してきた」翌年に迫った悪名高い
「朝からそこまで贅沢云いませんよ。まァ人前で尻振るくらいなら霜降りでも食ってた方が……」
「名古屋は何だっけ……ニャンパスか」
「そんにゃ
「ああはいはいこうやってちょっと屈んでピッっと――やらねえよ」
「モバイルスイカではないのね」これは携帯電話に乗車券の機能も兼ねさせた端末だ。「本人が動くスイカなのに」
「アレ出来んのはアンドロイドだけなんじゃんよう知らんけど」
「だったらさっき言ってたグラノーラ……グラノロイドを一匹引っ捕まえてさ――」
「陛下の
ドニャ・キホーテはふたりを追い越して真っ先に改札機を通過すると、本来ならばサンチョが担うべき
「サンチョほら、早く線路に下りて化けミミズと一騎打ちせな」
「それ私がバラバラになる上に家族に億単位の賠償金請求が行くヤツやんか」
「バラはバラは~お高く~付い~て~ええ~ってやっちゃな」
「そんで借金まみれになって一家離散するから、二重にバラバラになるヤツやんか」
「昨日はキンシャチ相手に敢然と立ち向かったじゃん」
「殿下さんよ、ミミズっつったら釣りの餌でしょ」石突きを地面に打ち鳴らしながら千代さんが毒突いた。「今やっつけたって遅いわ。昨日お城行く前に地下鉄乗った時言ってくれてたら、ミミズだろうがミミズクだろうが釣り針ん刺す用に生きたまま捕獲してやりましたものを」
「コツコツうるせえぞ」
「はて、チヨさんは旧シェーンブルン宮の門前にて棒突きでもやる腹かね?」
「棒突きも玉突きもやらない背中しか持ち合わせちゃおりません」箒の上下を反転させ、戯れに床面を履き始める。「おんじの忘れてきちゃったから、ツクツクボウシでも降ってきたら代わりに被ってやらんでもないですが」[訳註:西gorra《野球帽》、cigarra《蝉》]
「お前さんが被るっつったらせいぜいセミのおしっこだろ」日除けには役立たぬとはいえ、僅かでも髪が濡れた分は体感温度も下がるやも知れぬ。「そういう消極的なのを尻すぼみってんだぞ。詰まるとこは糞詰まりだぞ」
「せめて竜頭蛇尾と言ってくれ」
徐行音を響き渡らせつつ車両が少女たちの眼前へと滑り込む。
「ミコミコーナ様のお話じゃこの街は竜の支配下にあるとのことだから、矢張り長虫の胴持つ
「それはツチノコってヤツなのでは?」但しこの名称は《
「誰? もう眷属増やさないでほしいんだけど」
「或いは」四六時中世界樹に齧り付いていては終日運行中止となっているだろうし、少なくともニドホッグの仲間ではなさそうだ。騎士が開いた扉の間に手を差し入れ、王女に乗車を促しつつ以下に続けた。「何れにしたって旅の始まりが八大龍王で半ばがネズミ、終いがミミズでは……こりゃ尾張は
「八王子……去年のことのように思い出せます」
「そうだぞ……終わりが尾を引くってこともある」通勤時間帯で車内はそれなりに混み合っていたが、御子神は(次の駅で下車するのに!)偶然空いた長椅子の端へと崩れるように着席するのだった。「上でも言ってたけどこりゃ異世界じゃなくて画竜点睛の話よ」
「ああ……書くのは蛇足」《
「選挙ポスターかよ。目潰しは何か痛いのでせめて鼻の穴で勘弁したげて」
「花に穴開けて突っ込むことが許されんのは蜂さまのお尻の針だけでしょう」ミツバチが花蜜の吸引に用いるのが尻の針ではなく頭部にある
「それ尻に……どっち側突っ込むかでダメージの路線も変わりそうだけど――突っ込んでる時に擦れ違われてたら、警察か救急車の最低どっちかは呼ばれてただろうけどな」
「跨るだけならまだしも突っ込んだまま歩けるかよ……いやまず突っ込めんわ」少なくとも房の側を全て腸内に収めるのは極めて難しいだろう。「ミコさんコスプレでこういう……剣とか槍とかってどやって持ち運んでんの?」
「ヤクの密輸じゃあるまいし尻の中に隠したりはせんぞ」
「いやそんな違法性なもんじゃねえでしょ銃刀法違反つってもパチモンなんだから」
「まァ長えのは大抵分解できるし」ギネアは僅かに身を乗り出すと、従士の得物の柄に指を伸ばしその
車内放送が流れ、直ぐ側で扉が音を立てて開いた。
「一メートルか……これもそんくらい?」
「それ敵の腹ん中で振り回して胃袋を内側からチクチクってんじゃツクツクボウシじゃなくて一寸法師だからなあ」然もなくばピロリ菌であろう。「やっぱ決闘であれ鬼退治であれ正々堂々正面切ってじゃねえとな。ですわよね天下無双のドニャ・キホーテ?」
「陛下の御言葉通りですじゃ」
「いや、あの……降りませんの?」
「もう人乗ってきちゃってるから次でいいよ。折り返して戻っても歩く距離そんな変わんないっしょ」――
「次ではちゃんと降りてよ、座っちゃうから立てなくなるんだよ」
「雲を衝くよな巨人にも面と向かって突撃したそうじゃないか」
「第八章……否、十三章だったかしらん?」
「それはもう昨日やったっしょ」これは地上の半虎半魚との対決か、
「読破したみたいな口振りじゃねえか」
「読破どころか一章も一頁も一行も、一文字すら読んじゃおりませんが」ここまで熱心にお読みいただいた本稿の読者諸兄に申し上げたい――本来ならば第一章の劈頭に掲げるべき
「目の前に生ける伝説が居んのに活字なんざ読んでる暇ないだろ……つまりアタ、妾が言いたいのはだね、」ミコミコーナは自身の尻を払いつつ徐ろに立ち上がった。「――作品のオリジナリティーを尊重しそのままほ、」グラボイドの走行速度に変化があったか、僅かに蹌踉けつつ手摺に掴まって持ち堪えたものの、力尽きてもう一度着席してしまう。「……暴走しろってことよ」
「私だったら暴走列車にゃ乗りたかないですけどな。こっちから乗車拒否ですわい」折好く乗車中の列車は各駅に停まるようであった。尤も乗る前から暴走している列車に途中乗車する方が困難ではあろう。「たとえ行き先が房総半島だつってもあえて回送電車での旅を選びますぜ」
「それ行き先車庫だろが。どんな乗り鉄だ車掌につまみ出されるわ」発見されぬまま放置されれば、無人の車内に閉じ込められたまま一晩過ごす羽目となる。「そりゃお前さん方が予定通りちゃんとミサれててさ、凱旋モードのまま昨日の内にレンちょん達とバスで帰ってりゃアシも何も言わんがね……最後に大ポカやらかしたわけじゃん? そんな盛大にズッコケたままおめおめ東京に帰れるのか?」
「終わりよければ滑ってよしと申します」掘ったのはミミズか
「やれやれ……この娘の地口の減らなさときたら」ドニャ・キホーテが思い余って片手を振り上げたものだから、吊り革のひとつが弾かれて振り子のように揺れた。「――先代のサンチョどんも舌を巻くほどじゃろて!」
「卵なして、なんか萎んでそうだなビーガン向けかよ」であれば牛乳も使えまい。「どうせならちゃんとタマタマ仕込んでビーフケーキ焼けや」
「暑ッ苦しいわ、マッチョ食いたいのミコさんだけやろ」飽くまで
「まァパンケーキとかならモーニングであるかもだけど」
「朝から景気がいいわって何の台詞だっけ?」
「これも『三人
「縁起がいいのが春ならエリンギの旬はやっぱ秋でしょうなキノコだし」そしてお次は決まってこう云うのだろう……《
「人を腐海の粘菌みたいに!」女王は徴発したての《
尤も涼しさに
程良く空間の出来た扉の前で仁王立ちとなった千代さんは
「こんな人多い中で非常識なやっちゃ……病人のお見舞いで千羽鶴持ってくってんならともかくよ、――」無防備な従者の脹脛を後ろから軽く蹴り上げるミコミコーナ。「そんな千歯こきなんてそう見せびらかすもんでもあるまーに」
「千歯扱きじゃないわ……センバコキってあの、」――
「センバが
「な、何をこかす気だ」背後に感じる不穏な意志に慄きながらサンチョは上前津駅へと降り立った。「……それこそこんな人混みん中で
「ふふ、千歯扱きか」
「ドゥクシ」
「ちょっとちょっ、折り返すんだからこっちでしょ」
「いや千羽鶴が舞う流れで自然と……
「牛の次は豚ですかいポークケーキですかい……朝から重い重い」
「やでもエレのベータが」
「エレのベータもアロンのアルファもなか」北側の出口には改札階へと至る昇降機は疎か、自動階段の設備すらないのだろうか?[訳註:年長者の御子神は、自らの足で階段を上るくらいなら多少移動距離が延びても自動昇降機を使うべきだと考えたのだろう]「反対方向は賛成しかねると仰せになったのはどこのどなたか?」
「いや上で繋がってるっしょ」
「と・お・ま・わ・りっ!」次のグラボイドの到着を待つ間、束の間他の乗降客が一掃されたのを見計らって猫の従士が一旦姉たちの後方へと廻り、その踵の直ぐ後ろを急かすように掃き浄め始める。[訳註:ふたりが反対側を向いておりその逆行を食い止めんとしたならば、踵の後ろではなく爪先の真ん前を箒で塞ぐことで行く手を阻んだと考えるのが妥当ではないか]「いっちゃん北の出口から地上出ないとまた無駄にアメン=ラーに灼かれる羽目にならんとも限らんでしょ」
「昨日のハコ地下だったし、こっからハコまで地下道で繋がってんじゃないの?」
「いや栄えてる駅周辺の地下街ならともかくさ……」なかなか前進しない長姉の尻を穂先で突付く半坐千代。先刻膝裏に受けた不意打ちの意趣返しだろう。「昨日ミサ前に降りた一個前の駅からだって普通に路上歩かされただろうにっつか、名古屋のジョー向かう時も同じこと言ってませんでした殿下」
「えっそれニコニコーナでなく?」
「いや殿下ですよ城の地下がダンジョンなっててって」日本で
「お前ほんとどうでもいいことに対する記憶力には目を見張るものがあるな」
「ども。是非とも見飽きてください」
「ドンジョンといや本丸や天守の意味もあろうし[訳註:英dungeonの古形donjonは仏語由来か]」ドニャ・キホーテが案内役の指示を尊重し、ギネア姫にも北上を促しつつ以下に続けた。「――ドン・ジュアンに色事睦言の類は付き物ですじゃ……ささ、さあ」
「サンチョが階段上ろうが線路に落ちようが、妾は騎士さまの後ろを半歩下がって付いていくのみ」差し出されたラ・サンチャの腕へとどさくさ紛れにしがみ付く。「従士さんは三町前でも散歩してなさいな」
「三町がどんくらいなのか知らんし」チョウとは漢字で《
「マダムサンポールが聞いて呆れるな」それもその筈、我等が猫の従士はリオ・デ・ジャネイロや
「それ言ったら昨日は地下鉄何回も乗ってるわけだが」
「敵に背中を向けて立ち去るってなると、さすがに騎士道精神の権化たるドニャ・キホーテも忸怩たる思いなのでは?」
「然こそ云え、お腹を向けて立ち去ったところで」
「まァ上や下や前じゃなくてそんなに後ろが気になるってんならこうやって――」先導していた千代さんが歩行を継続しつつくるりと反転した。「日進ムーンウォークをば」
「意外と器用よねこの子」
「老子曰く――《マイケルが勝ち》」
「ジャクソンなんだから孫子だろうに」
「兵法風に謂わば《
「サンチョ後ろッ!」
後方確認を怠ったまま調子に乗って後退し続ける内に階段の最初の段差で踵を引っ掛け転倒し掛けた従士の鼻先へと咄嗟に突き出されし《
「――スのキュウリの云う前に、一体全体このお転婆は予想以上の
「あっぶねあぶね……茄子も胡瓜もないならば沢庵か梅干しか、あっどうも恐縮」騎士が引っ込めた得物に代えて反対の手を差し出してくれたので、千代さんは千叉槍の弾力の助けを借りつつ勢いを付けて立ち上がる。「――三歩譲ってキムチにピクルスでも妥協します」
「漬け物の話ではない」花は従者の尻を、付着した埃を払う為かそれとも今後は軽挙を慎むよう戒めとしてのつもりなのか、細長い五指を大きく広げた掌で大きな音を立てながら二三度叩いてから――どうやら現在ギネア所有の尻掻き棒も今回ばかりは出番を逃してしまったようだ!――以下に続けた。「このまま放っておいちゃ追っ付け《勝てばカンクン負けたらアカプルコ》などと
「あ、カプリコってジャイアントコーンみたいなのでしたっけ?」己の失態を一刻も早く姉たちの記憶の隅へ追いやらんと、今度は足元と頭上を交互に視認しつつ従士が階段を上り始めた。「そいやグリーンジャイアントってのもトウモコロシ農家で生計を立ててる巨人でしたかな……ほら缶で、食う?」
「カンクーンって大西洋側の……カリブ海か」
「仰る通り、ユカタン半島の突端です」
「百ドル札でケツ拭いてるみたいな勝ち組以外門前払いな高級リゾートのイメージあっから、間違っちゃいないのかもな」仮に紙幣一枚分の大きさと比べ百万分の一の価値しか持たないにしても、専用の便所紙の方が百万倍は拭き心地が良いことは間違いない。「いや負けてもアカプルコでバカンスできんなら贅沢は言わんけど……海かあ」
「赤いプルコギなんつったら随分辛そうじゃないですか……そこら中が火の海になりそうニダ」世紀を跨いで後のアカプルコであれば、その白き砂浜は既に
「
「朝飯食ったら海行くんすか?」
「特に予定はないけど。プルコギが嫌ならひとりで自転車漕いで、――」無用な迂回路を経て漸く市内へと踏み入った一昨晩、河口付近の橋の上で警察官に誰何された際の居た堪れぬ心境を、この
「サンチョとしちゃあここ十日で、軽く一年分くらいの非日常を、体験させられた気分なんですが」半坐家の長女は杖代わりに一段一段突き立ててきた箒の石突きが微かに横滑りしたのを契機に数秒間足を止めると、気を取り直して昇段を再開する前に以下の如く呻吟した。「もし、ほんとに、今からそんな、ガチめの冒険が控えてるんだとしたら」
「ガチめじゃない冒険て何だよ? 勝ち目がなくても挑んでくのが勇者だろ?」
「だとしたら……いっそ明日から新学期始まってくれちゃったりでもしちまう方がなんぼ、マシだか、実際知れたもんじゃねえですよ」
階段を上り切ると北側の改札口があり、それを潜れば直ぐ横手に地上へと通じる別の上昇通路が垣間見えた。
「ちょっと待ってください、周辺図周辺図……」陽光目指し間断なく歩を進める主人と王女を呼び止めた従士が
「ねえねえ、もうこの辺りからすでに空気生ぬるいんだけど」ほんの数段上がったところでドニャ・キホーテの左腕に絡めていた両手を――主人の手綱を取るは忠臣の役目だというのに!――引き絞り、折返しの踊り場へと至る前に早くも錨を下ろしてしまう堪え性のないミコミコーナ。「生で許されるのは脚とハムとビールだけだってのに」
「生身といえば生にござるが、それがしの細腕よりかは貧相ながら太腿の方に噛み付かれた方が幾らか腹の足しにもなりましょうぞ」
「いやん騎士さまの細腿、高潔なだけあってあんまシモは振ってなさそうだけど」ギネア王女が従士を待つ間、飽くまで戯れにであろうが、その場にしゃがみ込むなり恰も
「如何に筋張っておるにせよ繊維質豊富なユグドラシルの根っこほどには歯が立たぬということもありますまいよ」折角ニドホッグに齧られずに済んだものを、せめてその
「いや決して悪くない趣向だ」俄に
「ちょっと目を離すとすぐまたそんな困った、キレた小芝居をおっ始めなさる」
「いや、ね……昨日残り香クンカクンカすんな云われたから、現物なら良いかと」[訳註:第三十六章にて、葡萄酒食堂内での遅い昼食を中座した千代さんが私用で投宿先の自室へと戻る際に御子神嬢も付いてきたのである]
あと一歩のところで従士が追い付いてしまった。已む無く立ち上がったアフリカの女王が行く手を見上げるや、頭上東側に口を開いた地下鉄の出口から燦々と差し込む陽射しが
「――だって勝つためにゃクンクンしとかないと」王女の戯言を背に受け大股で主人を追い越していく猫の従士。[訳註:前後の発言は御子神のもの]「プルプルしてたら負け戦だろ……まぶしッ――ドニャ様?」
「多分地下鉄の線路はこの道に沿ってこう伸びてると思うので……」屋根からいち早く飛び出した千代さんは、無意識に帽子の鍔よろしく一度は前額の上へと掲げた箒の房で、早朝から路上を行き来する歩行者に注意しつつ今度は自身の人差し指に代え前後左右を指し示しながら以下に続けた。「こっちですかね、恐らく一本向こうの通りを北に何分か――」
「振り回すなってのに、おま挙動が昨日のニコ助みてえだぞ」
「失敬な」中学生は後続がなかなか日陰から顔を出さないものだから、一先ず出口の
「いや、抗いがたき欲求というか情動を堪えてこう、拳をプルプルさす感じ――ドニャ様?」後方を振り返ると、階段の半ばで騎士が天井灯の落ちる踊り場を見下ろしている。「……また我ら凡俗のお目々や曇ったおメガネにゃとんと映らぬ、なに、異世界とか
「カン……クゥン」徐ろに視軸を前方へと戻した花は、最早引かれる後ろ髪もないとばかりに悠然と階段を上り切るなり、一部始終を注視していた姉妹の間に収まって――「奇しくもマヤの言葉では、まさに《蛇の巣》を意味するのだとか」
「マヤ語!」如何に無用な知識を(不登校により生じた余暇を利用して)蓄えていたとて、日本の女子高校生にマヤ語だナワトル語だなどと云われてしまうと流石に口から出任せと即断されても致し方あるまい。「わらわも鉄砲なんて撃てません!」
「鉄砲撃ててたらマヤもアステカもスペインにコンキスタドられてないだろ」歴史を語る上で《
「……ラピュタ文明じゃないか?」マチュピチュはインカ帝国の遺産だと、明後日までに先輩が訂正してくれることを切に願おう。「
「最近の若者はやたら言葉を短縮する!」
「¡...Escobar Centimanos por Dios!」一歩踏み出した騎士が泉のドニャ・グリコ宜しく両手を掲げ天を仰ぐと、無数に降り注いだ光の矢がその足下から鼻の頭までをこれでもかというほど一斉に貫く。「――時にキタさん……もといネコさんや」
「なんでしょかキホさん……ハチさんだっけ、いやハッつぁん?」
「はッ、暴走蜂の
「じゃあ棒切れ担いだサンチョは坊さんですか」
「熊さん八つぁんてのは落語だろ」ティップとコル、クルスとラヤ、トムとジェリー、ボニーとクライド、ジキルとハイド、然もなくばオリベルとベンジのようなものである。「ハナちゃんが八つぁんならサンチョは熊と猫でパンパンじゃないか」
「わざわざパンダっぽく命名すな。今んとこ胃袋も膀胱もほぼほぼ伽藍堂ですわ」
「ガラガラでもコブラブラでも構わんけども、それから陛下には
「つまりバカの方?」
「否、……」花は腰に下げた晴雨兼用傘を抜くと、矢張り強烈な陽光を遮るように(
「金が無いなり法隆寺?」
「鐘も鳴らなきゃ柿も食さぬ」柿の旬にも今少し早いだろう。「《羽毛ある蛇》と云や思い出すかい?」
「はて相撲取るならヘビー級のが有利でしょうけど」
「まどろっこしい奴よ……ケツァルコアトルのことではないか」
「ああはいはい」千代は合わせた両手で箒の柄をしっかり把握するついでに足下を二三度掃き散らし慎ましやかな砂煙を立てた。「ケツある蛇……うちらがその口から入ってケツから出たところで、二人一組のクソ野郎と鉢合わせたヤツじゃあないですか」
「Alles hat ein Ende nur die Wurst hat zwei.」騎士は従者が理解しやすいように敢えて彼女が得意とする、曰く
「まァ忘れようとしても重い……ヘビーで大変おつらい記憶でしたからね」千代さんがわざとらしく嘔吐くような音と共に舌を出して見せた。「特にあの、羽毛というより羽のない吸血コウモリと云いますか、ドブネズミというかデブネズミというか……」
「出歯亀というか?」
「出っ歯かどうかは忘れましたが、丸い方は汚え豚っ鼻だった気がしますよ」
「然り……然りとてもありゃ史上稀に見る大勝利であったろう?」
「そりゃもう、あの時のうちらなら相手が少林寺拳法のカンフーパンダだって目玉を白黒させてやったに違いないっすわい!」
「おっ武勇伝ですな」漸く湯気立つ鉄板の如き路上に踏み出す決意を固めたギネア王女が、比較的安価な
「今まさに吾が不肖の従士が語り部務めんと、上下の唇を
「私がですかい?」思わず目を剥いた山猫が間髪入れずにその牙まで剥いて――「……よりによって夜伽を聴きそびれたサンチョめに時待たずして
「それはそれは……おい、せいぜい楽しませてくれよ」
「化け猫は行灯の油を舐めると謂いますな」先刻目にした駅周辺地図の記憶を頼りに水先案内の役割を十全に果たそうと、先頭切って歩き出す猫の従士。「――伊豆の魔法使いに出てくるブリキのキッコロが関節を動かすために油が必要だったのと同じで、サンチョの舌を上手く回すのにもそれなりの潤滑油が入り用だと思いますがどうでしょうね?」
「朝飯の時に醤油だろうがラー油だろうが好きな油ブチ込めばいいだろ」
「それ赤いプルコギよりヘビーやんけ」炎天下で舌や喉が乾くというなら、
「ケツある蛇で見事に尻を拭いさしめたラ・サンチャの主従が凱旋するのであるからして――」常闇の喉奥を晒して獲物を待ち続ける上前津駅の出口に最後の一瞥を呉れた蜂の巣の騎士ドニャ・キホーテは、ミコミコーナが動き始めるのを見て取るなりその背中を死守する形で前進を再開した。「斯かる穴蔵は果たせる哉カンクンと呼ばわるが相応しいのに違いない」
三姉妹は直ぐ隣の角を曲がり、前津通に別れを告げる。彼女たちの勝利は先ず蜂と猫の共闘によって、そして二度目と三度目のそれは次姉と長姉によりそれぞれ齎された戦果であったのだ。
「――無惨に敗れた
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