ドニャ・キホーテ
第48章 では詐術と誹謗に満ちた文学的吟味が三女神により天秤的かつ空想的に為されるが、是に就いてペニンポーリがゲシュタルトの祈りを捧げつつ物すには、肢なき竜あらば肢ある蛇なきことよもあらじと。
第48章 では詐術と誹謗に満ちた文学的吟味が三女神により天秤的かつ空想的に為されるが、是に就いてペニンポーリがゲシュタルトの祈りを捧げつつ物すには、肢なき竜あらば肢ある蛇なきことよもあらじと。
LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA
清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ
Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.
POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM
A Prof. Lilavach
Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.
Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).
第四十八章
では詐術と誹謗に満ちた文学的吟味が
是に就いてペニンポーリがゲシュタルトの祈りを捧げつつ物すには、
肢なき竜あらば肢ある蛇なきことよもあらじと。
Capítulo XLVIII.
Del doloso y denigrante escrutinio escriturario que las nornas hicieron libramente y fabulosamente,
y al respecto dice Peninpoli rezando la oración gestáltica:
Si dragones sin patas existen, ¿porqué no sierpes con patas?
[訳註:libremente《
「¡O, dormilona de Milona!, ¡acostadora de Costa d’Ora!」[訳註:「おお、ミローナの寝嬢助!、黄金海岸の寝入り娘め!」そもそも伊Milanoは西語ではMilánだが、後半――d’Ora(Dora)もde Oro又はDoradaの方が自然――同様単に脚韻を踏ませる為の音位転換であろう。尤ももしかしたらMilonaという地名があるのかも知れぬ(日本人の耳にはmirona《覗き女》と聴こえなくもない)。西dormir《眠る》>dormilón/-onaに対しacostar(se)《横になる/床に就く》に行為主を表す接尾辞を付けた場合どう訳すべきか心許ないけれども、なかなか布団から出ないのが
窓側の寝台を覆っていた掛け布団がやや乱暴に捲くられると、大の字に寝そべっていた半坐千代は、「ファッ、ちょっ……なに?」――反射的に胎児の如く縮こまった。
「
「今何時だ……放射状に放つのは」眩しさに耐えかねた従士は目を固く閉じたまま、敷布もしくは小卓の上に置かれていたと思しき携帯端末を手探りで追い求めた。「――ドンブリじゃなくてズンドー鍋で、エスパゲッテ、茹でる時だし、……朝っぱらからアメン=ラーは土手っ腹に重いから胃腸にも、持ちつ持たれつです、ぜ」
「タラゴーナの
「うそぶくも何も、あっあ~トラフグをタラフク食べる口がそう何個もあってたま……ちょっとチェックアウトは十一時でしょうに、」パンプローナの
「ナニ、王女殿下から
「晩飯もオゴってくれたし、ケチというよかゲジゲジ眉毛とでも呼ぶべきでしょうな」[訳註:「
「バカな、それを云うなら
「何オタかは存じませんが少なくともカビの……おぁっ、」従士は目を見張った。「――チケット取ってくれたんだ二人分……変な時間に起きてんな」
「
「葡萄酒?……あの酒乱に何の
「
「失言でしたお忘れくだせえ」エッチとは
「殿下は《
「じゃあやっぱ底値なんかな……えっと一応?」千代が端末を操作する。「……わ今同じサイトで検索すっと同じ便で五五だわ、ノープリキュアファイブゴーゴーだわ。これって秒単位で高くなったり安くなったりしてんのかしらな」
「三三五五でもゴルゴタの静岡でも、何なら山山の
「下手なマシンガンよか上手なゴルゴとも申しますわ」元の諺は《
「目蓋の重さに比べ口も唇も大層軽い娘じゃて!」あちらの末妹もこちらのほど寝嬢助であれば、彼の
「爬虫類じゃシャンプーして良いのかも分から……いや汚れたらその都度脱皮してくれるとかなんかな?」それはそれで毎回処理が面倒そうだが、その後の人生を蛇の亡骸が頭から生えた状態で過ごしたいのでもない限り
「風呂屋のかね?」
「バ~
「ジャコウネコというよりは車高のあるハコじゃな」
「ハコってワードはしばらく聞きたくないですが――」端末を引っ込める。「そう見えるんならそうなんでしょう……あとジャコウじゃのうてヤコウですから、今風の言葉で云ったら百鬼夜行のヤコウです」
「そいつはまた豪儀なこと!」騎士は戯けて寝台の上へと尻餅を付くや、悪路を進む駅馬車の御者台に見立てて上半身を弾ませながら見えぬ手綱を振るった。「尤も来し方で二騎の夜行軍はさんざっぱら経験済み、ラ・サンチャの蜂が止まった一騎だけでも千の鬼を屠るところに猫の跨る
「サンチョの方は一匹で千四の敵なり鬼なりを――いいや三千四のおにぎりでもサンドイッチでも、片手でホフホフしてみせやすんでどうぞお構いなく!……というのももう一本の手には渇いたお口と喉を潤すお茶なりおミルクテーなりのペットボを握って待機させとくのが淑女の嗜みだからなのだが」
「嗜みはいいからとっとと顔を洗って出直してきませい」目を細めながら窓外を、遥か東の地平から日陰に覆われた眼下の小径へと順に見渡すドニャ・キホーテ。「今朝も
「新規参入シェーンブルンの折り畳みにも晴れて二重に活躍の場が」漸く重い腰を上げた千代さんだが、先ず向かったのは冷蔵庫であった。「――雨晴れかまわずうめえ具合にすぐにご用意できますものな」
「その二つ名を名乗るのは今少し先の話となるであろうよ」
「ああそうか……先? やっぱ今日もっかい行くんですね」コルコルと冷たいお茶を嚥下しながら浴室へと向かう千代さん。「――こンのクソ
「
「そりゃ置いてきぼりにしていいんでしたら止め処なく……ぶわああ、」半分閉じたままの寝惚け眼で鏡の前に立った従士は身を屈めると、両手で蛇口から迸る冷水を掬い上げて顔へと叩き付けた。[訳註:実際には洗顔する前にきちんと扉を閉じてから小用を足したようである]「あっタオルーニャ……いっそ私も閣下からの拝領品使っちまうか……いやもうさすがに乾いて――あれ?」前髪と顎から雫を滴らせながら、「ドニャの
「Dañarse o bañarse, ésta es la...――にゃんじゃ?」
「私の分まであンりがとございます洗濯。もほぼほぼ乾いて……換気扇回しときゃこんなもんなのか」思うに
「布地が薄手のものだけだがな」乾かなければ
「主人が家来のシャツやパンツを黙って洗濯してくれるとは……まったく良い時代になったもんだぜ」これはついでに気を利かせただけであり、サンチョが布団に滑り込んでいなければふたりで仕事を分担した方が早く済ませられたに違いない。「今は桃太郎の書き出しも《おじいさんはやまにしばかりにおばあさんはかわにせんたくに》だと男女差別だつって差別されるんですと」
「となると爺さんと婆さんはそれぞれ何処に行くのだね?」
「さァ……田舎なら家も広めだろうし芝刈りなんぞは自分ちの庭ですりゃいいでしょう」
「やっぱり狩りは男の仕事?」
「男女以前に高齢者は熱中症不可避ですからそこは年金の中からルンバ的な自動芝刈り機を購入すべきですな」
「桃は夫婦を素通りして海に出るまで川下りということじゃの」……嗚呼、ドンブリーノ・ドンブラーコ――否、ネクロカブリーオの兜よ!
「そんなもんはアマゾンで注文すりゃいいですよ!」慥かに河には違いない。「まァ夕方までに汗かいたら途中で着替えるかも……どこで?」
「あの辺りは年中暑くて雨も多いだろうから」何しろ赤道直下である。「――桃の生産に適しておるとも思えんがな」
「アマゾンで買うのが大損なら楽天でもヤホーでも好きにポチればいいさ」
「ラクテンで思い出したが桃太郎の《柴刈りに洗濯に》にゃ割愛された前フリがあって……こりゃこりゃ」騎士は寝台の横に仁王立ちとなって従者を窘めた。「顔を洗った側から布団に潜る奴がおるか!」
「クーラー効いた部屋で二度寝とか極楽天国ですぜ」市内を歩き廻った昨日の疲労が未だ癒やされておらぬと見える。「ええじゃないかここは朝食券付いてるわけじゃなし[訳註:沼津で一夜を明かした宿泊施設では翌朝、食堂で提供される食事の終了時間に急かされた千代が慌てて部屋を飛び出す一場があった。第八章参照]……夜食の過食が祟ってこのサンチョっ腹もまだ全部消化しきれておらんのです」
「消化してから燃焼しようが、はたまた燃焼させてから消火しようがそれは一向に構わぬ。しかしミコミコーナ様の御機嫌伺いはどうするつもりじゃ」
「どうせまだ寝てますよ……いや年寄りの朝は早いと申しますが、それとは別に我々以上の筋肉痛でベッドから起き上がれぬという線がしっとり濃厚かと」主従に代わって今宵の夜行便の予約を済ませてくれたのだから、少なくとも一度は起床している筈だ。千代は被った掛け布団の中で携帯を操作しつつ以下に続けた。「そりゃもうネクターのようにな……ネクタン……ラクテン?ってのがニオイ成分なんですかね」
「それを云うならラクトンであろう」
「前フリでラクトンの解説ですか?」ラクトーナとは《
「ラクテンでラクトンを思い出したのではない」
「なんだそりゃ!、カワヤってトイレっしょ?」昔は細流の上に橋を渡し、そこで用を足すことで屎尿を川に流していたのである。これにより便所はカワヤ――《
「逆流しとるではないか」何れにせよ――搾汁された状態で流されたのでもない限り――
「おかまいなく。
「成程
「うわあシモだけに……たしかにそんなプロローグは不要ですな」ここまで聴いただけでは導入部に何ら必然性がない。「あ~なるほどシンデレラなんかはエピローグが残酷すぎて省略されたって話ですが、こちらは残酷というか、ウンコ臭すぎて」
「灰被り姫と糞塗れ爺ィを同列に語るのにゃちぃとばかり抵抗があるけれども」
「鳥の糞被り騎士ははたしてどっち寄りですかねえ?」昨夜はカラスコの兜のお陰で辛くも直撃を免れた従士が意地悪く付け加えた。[訳註:第四十五章参照]「……出ねえ、やっぱまだ寝てますわオッパイセン。そっか太郎系の時代はまだ水洗じゃないから出したもんは溜めといて、後で畑とかに撒いて肥料にしてたんすもんね」
「太郎系と云うてもそう古くはあるまいて」
「でも二郎系よりは古かろう……いやアメン=ラーは紀元前だからむしろ二郎のが?」
「――閑話休題、その亭主の汚れた着物を洗う為にお婆さんは川に出掛けたというのが所謂
「いやいやいや赤ん坊のオムツじゃねんだから、ウンコまみれの服なんかてめえで洗えよ爺さん何奥さん使てんねん!」猫の従士は漸く布団から飛び出した。桃の少年もこれと同じように包丁で割った果実の中から登場したとされる。「いやそれ以前にジジイもウンコまみれやんついでに川で全身隈なく洗浄してこいや洗濯ついでに……なんでウン――カッケバディのまま山に登るんだ?」
「云われてみれば不可思議じゃな。ひょっとしたら熊避けかしら?」
「一説にゃ《人間なんざ所詮クソ袋》だそうですが」ギネアの王女も似たような科白を吐いていたが[訳註:第三十四章参照、但し社会性の欠落した舎弟氏を評しての言葉]、元を辿ればこれは意外にも禅僧が抱く
「そのくらいにしておきなさい。というのもチヨさんや、今の我等ラ・サンチャの姉妹にゃ糞よりも復路の話こそが有用とは思わんかね?」
「いやラ・サンチャのヤケっ蜂が桃太郎の話なんかすっから」桃の話を始めたのは他ならぬ半坐千代である。「まァ胃袋の話が先でしょうな。食わぬ騎士は高楊枝を剣代わりにして戦う羽目になっから、すなわち腹が減っては負け戦ですよ」
「戦役以前に胃液の方が、まだ消化活動の真っ只中じゃなかったのかい?」
「ドニャキ殿はメモリアル効果をご存じですかな?」これも聴いた用語だがミコミコーナに否定されたのではなかったか?[訳註:第三十六章の食堂内にて、膀胱に蓄積可能な容量に関しての会話から発言されたもの]「一回空きっ腹にしてから一気に満腹にするのが末代まで胃酸を増やすコツでござい」
「やれやれ! その減らぬ口をいっそ口減ら――」ラ・サンチャの騎士は途中で言葉を切ると、一旦咳払いしてその場を繕ってから改めて言葉を継ぐのだった。「靴べらはあれど肝心の靴が無いのだな……」[訳註:両者とも備え付けの使い捨て履物で客室間を移動している]
「カードキー置いてきてるのでミコ姫起きてなきゃ勝手には入れませんのよ。さすがに一回部屋出るなら私も着替えまするが」従士は卓上もしくは床に立ててあった紙袋をふたつとも引き寄せた。「――れ、タオル一丁しかにゃあ?……ベラベラしゃべくるんのはお互い様ですから靴べら口に突っ込んで歯ブラシみたいな拷問は御免こうむりますぞ、そもそもこちとら普段は寡黙だし言葉遣いも滅法現代人なところをラ・サンチャの蜂がブンブンやかましいからノイズキャンセリング的な効果を狙って無理して仕方なくニャーニャーしゃべ……あっ一枚ミコさんに貸したままか。忘れんように返してもらわんと」
「おぬしが口に突っ込むとしたら靴べらよりも大匙か杓文字じゃろて」主人の方は既に出立の支度を整えてしまったようである。「だあから隙あらば穴蔵に戻るなと云うに、昨宵あれほど難儀したのも記憶の
「じゃあしっかり尻まで隠して忍法尻隠れの術ですよ」従士は布団の中でモゾモゾと蠢いた。件の尻掻き棒も今は手許にあるまい。
「言葉尻を捉えおって、こいつはとんだ真田
「頭の方をカラスコの糞で臭くしくさっておられたどなたかは丸一日以上雲隠れだったわけだが?」サンチョは田舎者らしき下卑た物云いを涼やかにしてのけた。「それにあの女の腐ったような子どもとは親しいんじゃなくて縁が腐れておるだけなのですじゃって」
「腐るのはおぬしの尻の方ではないのか?」ラ・サンチャは折り畳み傘の柄を握るなりくるりと回して見せる。「桃は冷やしすぎると追熟せぬばかりか傷みが早まるとも聞くぞ」
「お言葉ですがねえ、桃は……ちょっ、ありゃ?」ふたつの紙袋を続け様に裏返して揺さぶったかと思えば、中を覗き込んでは又もや甲斐もなく振り回すラ・サンチョ。「――タオルだけじゃなくえっハコの楽屋パスも一個しかねえってのはどうゆうこっちゃ……昨日出てくる時ドニャ先の分も回収してなかったっけ私?」
「お言葉も赤兎馬もないわ、――」騎士は階層を南北に貫く
「ちょ待っ、着替えるから」深夜帯ならまだしも、部屋を引き払って出発する或いは朝食へと出掛ける他の宿泊客とも擦れ違うであろう刻限を寝間着のまま出歩くことなど、人並みの羞恥心を備えた半坐家の長女には少なからず憚られる様子であった。「その前にパスパス、パスガスバスパス……」
――
「――あっぶな!」窓側の寝台の上から身を乗り出した千代さんは、片膝を踏み外してあわや玄関側の寝台との間に出来た峡谷に転落するところを、自身の片手を即席の架け橋へと転じることで何とか切り抜けた。余り無理な体勢を取ると、
――
「持ってきちゃ……もって」
「ミコミコーナは我等
「いやモモ」
「ほらきびきび動かんか」騎士は扉枠の外に一歩踏み出してから徐ろに振り向きつつ以下に続けた。「それとも団子がなくちゃお供も出来んかね?」
「きびだん……もも」両手を緩衝布団に突き立てた千代さんが伸びをする猫よろしく大きく上体を仰け反らせながら、「――腿ォォォオ!」[訳註:«¡Muslocotooón!»――西muslo《腿》とmelocotón《桃》で《
仮令次代の《
千代さんが人前に出ても最低限恥ずかしくない装いを整えて遅ればせながら客室の外へと馳せ参じるや、進行方向に伸びる長い通路の丁度中央辺りに設置された自動昇降機乗り場の前で
「……どうもお待たせ……また……もも」
「何じゃさっきから。それがしがモモならおぬしは灰色の時間泥棒猫だぞ?」流石は相思相愛の仲、想い姫とも発想が似通っている。[訳註:第三十二章は電視塔の下にて、安藤嬢が御子神の発言からミヒャエル・エンデを連想した件を指したもの。勿論主人を長々と待たせたからだ]「尤も
「お言葉、関サバですがねえ――押してないんかい」従士は人差し指を突き出す。「ラ・サンチャのドンニャが居らん昨日の御前[訳註:第二十六章の市内観光出発前であれば午前?]会議で栄えある桃太郎の称号はモコモコーナ殿下に割り振られてんですよ?」
「モコ――ミコミコーナ様に?」
「第一貴女さまじゃあモモタローならぬモモハナコもといモモッパナでしょうに」繰り返しとなるが日本に於いてタロ《
「かたしけなし」胸を張って籠の中に収まるドニャ・キホーテ。「桃と猿は了解したけどチヨさんは残りのどちらなのかね?」
「ドゥル姫さまがキジですよ」モモタローナは
「成程あの御方を措いて貴人と呼ぶに相応しい御婦人は居らぬからな」
「そら貴女さまの方で――ああ、そっちのか[訳註:同音異義語の《貴人/奇人》は西faisán《雉》と韻を踏ませる形でそれぞれ
「なんだっけソレ?」
「太古の昔より《すももももももももももも……》――アレ?……とにかく《内腿の上》と申します通り、桃ってのは原則ケツのことでございますからミコパイセンに限っては桃太郎よりもパイナッポー太郎とか……」
「あっ、ドメガネドラッグやなメガネ……何が何でも引っ張るのなピーチ野郎」
「――否、数量的にはアップルパイのパイン版てなことでパイナップルパイ太郎とでも呼ぶ方が名がパイを表すこととなり都合が宜しかろうと思うのですじゃ」
「お先にどうぞ」
「あっども」千代は十三階に降り立つと、後に続く主人が
「俄然得心が行った……色白の
「肉まん?」
「……蒸し餃子とか小籠包とか言うのかもしれんが、そういったもんを指すようじゃから臀部というよりは寧ろ殿下の豊満な乳房に近しいと云えんこともなかろうて」
「ギョーザってことは先端部にグリーンピースが?」昨晩女子会が開催された部屋の前に到着した。「……それはシュウマイだ。さすがに乳首が緑色じゃ爬虫類みたいだものな」
「蛇の乳首か。嘴があって卵を産む哺乳類も在ることだ――」
「いくら桃色エロスのミコさんが誇るピンキッシュな乳首とて、死んだまま腐ったりでもすりゃゾンビさながら緑色へと変色するでしょうて」――
「泥棒猫が愚図愚図時間くすねとる間に痺れを切らし、既に
「びろう?……びろびろ、ああ、いや日付変わったからとりあえずいいかなと」今月いっぱいは自重すると宣言した矢先に大幅な短縮が為された模様。[訳註:第四十五章参照]「もう女子校以外入学できませんわ。但しお嬢様校は除く……そもそも我が家にそんな財力も家柄もないが」
「浴びるといやチヨさん、着替えた
「浴衣――用のブラ? そいやベッドの上に脱ぎ捨ててきちまいましたな」扉をもう一度叩いてから呼び鈴を鳴らす。「よく考えたらミコーナの部屋の使ってないの持ってきて数量調整しとかないとホテルの人に怪しまれるか」
「足りなきゃ持ち帰ったと思われるかもね」騎士は懐から板切れを取り出すなり、――
「したらほんまもんの窃盗犯つかお浴衣咥えたどら猫つかキャットウーマンつかガールつか、」――戸板の中段に開いた
「差し詰め朝這いじゃな」
「畳じゃねんだからハイハイはしませんがね。は~い黒い猫耳付き全身タイツの似合うセクシャルな、かつハラスメントなレイヤーさ~ん……一応撮っておこう何かに使えるかもしれん」赤い録画印を押下した携帯端末を翳しながら突き進む。「あんらやだガチで熟睡しておられる……これで布団引っぺがして裸の男とか出てきたらシャレにならんですよな」
「飛び出てくるのは桃太郎かもしれんぞ」――
「プリケツから、産み立てかよ」掛け布団の裾を掴む従士。「おばあさんが桃を包丁でめった刺しにするとあら不思議、中から玉のようなかぐや姫が――」――
「何?……さむ」御子神嬢が先刻の千代さん宜しく寝台の上で身を縮めた。
「一姫も二太郎も漏らしてはないようですな……」白い敷布には破水した形跡も認められなかった。「しかしシャネルの五番以外を着て就寝するようじゃマリリン・モンモタローの名が泣きますよ」
「誰だそれ……わ――ぁぁぁぁ、っと、まぶっ」ギネア王女は片手で寝起きの顔を覆いつつ以下に続けた。「五番はアソコ・シャネルがナチスのスパイだから不買運動してんだよ」
「あそこ?……どこ?」
「ここ」ドニャ・キホーテが代わって返答した。[訳註:翻訳では「
「じゃあココイチの香りでも纏って寝りゃいいでしょうが」ココイチバンヤとは日本を代表する
「ちょっ頭に響く……二日酔い」
「さよう、カレーは二日目が良いと聞く……」
「カレー沖海戦からは三日目ですかな」本日は新暦の八月九日である。
「――ですってさ」日本語では
「尤も
「はいはいそいじゃアタイ用の猫の慶長小判もビトンすなわち美しい豚に真珠付きのヤツで頼みますぞ」因みに
「メガネといっしょにすな」
「でも……」従士が鼻を鳴らした。「酒の匂いはともかくカレー臭はあんましませんね」
「いやあの後ちゃんとシャワー浴びてるわ」義姉妹の中で唯一人の
「何だクーリングオフですか」
「送り返すな……せめてコールドスリープと云えよ」
「ちょっ、この人結局ワインもう一本空けてるよ!」
「なあに中身が葡萄酒じゃ、残っておってもモロトフ
「開けただけじゃなくて夜明け前にモロ……しっかり空けてるよ!」屑籠の外に並べられた瓶を逆さにして呆れ声を上げる従士。「こりゃとてもとても、うちのドンニャにおはようからおそようまでのチューはさせられませんな」
「あっせや、最重要な恒例行事を忘れるとこだった」
「これだけ血中濃度が異常に上昇してたらきっとアルコールが皮膚からも滲み出てんだろうし、ラ・サンチャの騎士は未成年なのに万が一それを口から摂取しちゃったら今日これから路上でポリスメンに抜き打ちで呼気検査とかされた時に陽性になって前科持ちになってしまう」千代は眉を顰めつつ二本の葡萄酒瓶を壁際に並べた。「従者としては見過ごせませぬ。少なくとも私が故郷で騎士の叙任を受けるまでは綺麗な身体でいてもらわんと」
「相も変わらずこんな朝からようしゃべるなキミも。さっき尿と一緒に全部排出したから無問題だよ」となると先の
「いっそ飼い犬ならぬ飼いフェンリルに手を噛まれるがいい」
「るせえぞ金魚の脱糞めが、ハナちゃんの歯でなら噛まれても構わぬ……後で舐めて消毒してくれさえすれば」
「
「イヤですよって、何がどうなってペットこれすなわちタイガーになるんですの?」千代さんは牙を剥いて抗議した。「ドバイの石油王の基準でモノを考えたらイケませんぜ」
「だって《甲斐の虎》とも謂うじゃないのさ」
「いやでもこいつ破傷風のワクチンとか接種してないだろ?」あれは犬猫ではなく人の方で打つべきものである。「そうじゃなくても雑食サンチョの唾液は雑菌だらけだろうし」
「そのたわわに実ったパインだかメロンだかってんならともかくパイセンの骨張った手羽先なんて不味そうなもんにこのサンチョさんがかぶりつくわけねえだろ」
「サンチョは買い取らないけど、ドニャ様かドゥル姫なら高値で買い取りタイガー……三食添い寝付きでどうかな?」
「アンドーさんもう帰ったよ多分今頃バス降りとるわ……ドニャ・キホーテ、我々はどうやらお邪魔虫のようです。放っといてもう参りましょう」従士は靴を履き替えながら以下のように吐き捨てた。「ミコミコーナ殿下はお布団と結婚し、人生の墓場という言葉通りにこのベッドを棺となされて
「いくら変態とはいえ中学生の口から《淫売》なんてワード聴くのお姉さんショックだよ」
「ほな、バイバイや」猫の従士はわざとらしく退室する素振りを見せた――というのもこの時彼女は一等嵩張る車輪付きをまだ手に取っていなかったし、窃盗罪を疑われぬように御子神が借りていた部屋から寝間着を一着こちらまで持ってこなければならなかったからなのだが――ものの、花蜂がその動きに追随することはなかった。
「昨夜と同じでは芸がありますまい……失礼、」片膝を折った騎士は、驚いたことに王女が脚部を覆っていた布団を嫋やかに捲り上げた。
「――おっと?」
「今度は御御足に口付けいたしましょう」大胆にも裾から食み出した貴婦人の踵にそっと手を添えると、ドニャ・キホーテはゆっくりとその花の唇を近付ける。
「ちょまっ、きゃん!」思わず跳ね上がるように立ち上がるミコミコーナ。
「手に夜で《
「そ、それは願ってもなきお心遣いながら――」
「なんで今更ヒヨッてんの? ミコさん水虫なん?」
「違うわ……いや単純に、上の下くらいの奴ならまァいいけど男でも女でもさ、自分より顔の良い子にアシとかア――とか舐めさせるんは慎ましきミコミコーナの心が痛むんよ」
「アって何やねん」けだし[訳註:《
「舐めた口を利くなよ。醜い奴に舐められるのは単に気色悪いだろ」
「旦那ャ様よ、こんなルッキズムの権化にドニャ・キホーテの接吻はもったいねえ」卓上に置かれた残りの菓子袋を手に取って
「あ?……ああマナコか」
「ナマコじゃないよ」
「鬼ではのうて桃太郎に豆を投げるのかね?」
「さっきから何なんモモタローて。今日は名鉄の代わりに桃鉄でも乗るんか?」[訳註:昨夜《
「いやまァそこは別に広げなくていいんだけど桃ケツって言うな」千代は傍らの主人の腰より下を横目に見下ろしながら、「……桃太郎とかドラゴボ――ちが、西遊記とか、ルパ~ンさ~んせ~とかって話を昨日昼間に下のロビーでしてましたなってだけの話」
「あ?……ああ、メガネザルの猿繋がりみたいなヤツだっけ?」御子神嬢は寝台に四つん這いとなったまま、持ってきた荷物を引き寄せた。「日帰りのつもりで出てきたからクソみてえな着替えしか入ってねえんだが……」
「ってもいつまでもパンイチブラニじゃさすがに風邪引くぞ」
「いや上は一応着てるやろがい……え、ハナちゃんは何だっけ桃太郎の?」
「つかあん時おらんかったし……」丁度《
「ルパンでは五エ衛門に決まってただろ」
「ドニャえもんだなどっちかってえと……でもそうすっとサル顔とバスト99は確定だから私と部長さんで帽子の人の役を奪い合うことに」
「あの時お前云ってたじゃんレンちょんにはオカマ化の呪いでヒゲ生えちゃってるって」
「ああそうか」
「何の話です?」
「サンチョはとっつぁんだよ」[訳註:第二十六章を読み返すと早撃ちの次元大介役は安全帽を被っているからという理由で千代に割り振られたが両者とも失念している模様]
「やだよとっつぁんは……」Tottsanとは《
「生臭いんだ……煮付けとかにしろよかぐわしいだろ――よっと」王女は手鏡を出して自身の
「まだあと三四時間あんよ」
「はっや、早起きは二束三文すぐる……いやここはそんだけハナ様とご一緒できる時間が
「あっそだ、バス」千代は出合い頭に礼を云おうと考えていたのをすっかり忘れていたようである。「予約ありがとうございますた」
「おう。乗らないんだったらアシが乗って帰ろうと思ってたんだけど」
「ミコさん車は?」寿司屋付近の駐車場に駐めてあった
「あっそうだ奴んとこ置かせてもらってたんだ無理だわ」
「いや歩くくらいならママチャリ漕いで帰るわっつか明日までに帰らなきゃならねえの私だし、一番最優先の人間置いて何でアンタらだけで先に帰るねん」
「追試だっけ?」
「追試じゃねえよ模試だよ」女子大生の夏期休暇はまだ当分続きそうだし、女子高生に至っては不登校なので後期の始業式に出席せねばならぬ必然性も(
「毛生え薬もな」不意にドニャ・キホーテが口を挿んだものだから、姉と妹は何と返答したらいいものか暫く口を噤んだ。[訳註:直前の「
「な――や~み、む~よ~お」
「……じゃあサンチョひとりで今晩帰んなよ」
「ん? その心は?」
「代わりにオイラがお前さんのチャリ乗ってさ、ドニャキのお供して静岡プリフェクチャまで行っからさ」ミコミコーナが突然本気とも冗談とも取れる提案を物した。「……んでもって焼津の奴のアパート着いたらアタイのランボルギニーちゃんに――」
「¡Lamborguinea!, ¡toro bravo de lidia!」
「そうランボルギニア、に二台とも積んで東京まで……三茶だっけ?で下ろしてやんよ」
「殿下アンタ簡単に言うけどさ、こっからその
「た、単位おかしくね?」
「市を跨ぐ度にお尻がパックリ割れて、到着するまでに何人の桃太郎が出産されることか!……殿下にそれだけの太郎を養っていく自信がおありか?」
「どうでもいいけど二人目以降は桃次郎桃三郎なんじゃねえか」
「どうでもいいなら黙らっしゃい!」千代は手慰みにしていた菓子袋を、大きな音を立てて遂に開封してしまった。「だいたいお風呂屋さんとこに駐めてあった車っしょ? 馬二頭も載せらんないってな話じゃなかったです?」[訳註:第十章の銭湯内にて、自転車の積載が可能か否かを訊ねた際にも即答で否定されている]
「馬は無理だが後部座席に無理矢理突っ込んで……もう一台はホラ、サーフィンのボードみたくルーフキャリアか何かで」乗用車の屋根上に取り付ける
「云ってんじゃん。まァ宅急便とかだと一台一万は確実に掛かるみたいですが」高尾駅付近に居を構える運送業者の出張所では、八王子市から三軒茶屋のある世田谷区まで――つまり東京都内での輸送でさえ一台あたり一万から一万五千円を要すると教えられた。尤もあの時点では当の中学生も、まさかあれから一週間掛け自転車で一都三県を踏破する羽目になるとは夢にも思っていなかったに相違ない。[訳註:第五章参照]「ママチャリは」
「ドニャ様のって分解可能?」
「分解……解体、――」
「はい! ターヘル・アナトミア!」
「いや解剖ですかな?」[訳註:《
「何でもないでした」言葉は慎重に選ばねばならぬ。「トラックをレンタ……本末転倒だな。転倒事故だな」
「そげなこったから、ピチピチビッチは独り寂しく電車とマイカー乗り継いで牛の歩みで帰っておいで」
「イヤな奴だな……そこはピーチじゃなかったのかよ」
「いえパイセンはケツよりやっぱチーチの印象なので牛魔王とかのがいいんでないかと、さっきも国連安保理で話し合われてたんですよ」
「牛魔王一応オスだと思うんだけど」オスボルネの
「だから牛魔王の娘」
「うるせえ――中古でもそれなりの値段で買い手付きそうだけど、サンチョのはいっそ乗り捨てて東京で新しいの買った方が安いまでありそう」
「否定はせんけども……ちょちょちょ服着た後にどうしてまた布団に潜る!」
従者の常識然とした物云いにドニャ・キホーテは思わず噴き出したが、直ぐ様軽く咳払いすることで取り繕った。
「いやっぱハナたそと朝チュンするシチュとか今後あるか分かんねえから折角だし白雪姫的な起こされ方されとかないと損かなと」
「損かなじゃねー。あと《ハナたそ》って鼻くそみたいで失礼だぞ」調べてみると人名の後に付するこの«-taso»というのは敬称«-san»の
「ハナ……
「ね」
「いやお前のが失礼だわ」
「たやすいわ」千代さんは王女を覆っていた布団を引っ掴むと、「フ――」
「――トンが吹っ飛んだ以外でな」
「――トンが……沸騰した」
「固体が沸騰はせんだろ」
「うん……いえ、」懐かしげに天井を見上げながら、「うちウォーターベッドですねん」
[訳者補遺:翻訳では以下の通り。「
「へえそうなんだ」
「潜るな潜るな、白けんな」
「いや急に寒くなってきたので……もしか今そと雪とか降ってる?」亀のように頭だけ出す御子神嬢。直ぐ鼻の先に屹立する一対の美脚を前にして、「ドニャ様もそんな生足モロ出しにしてっとモ……腿ォォォオオ!」
「おっっっ――せえなッ!」咀嚼しながら、「さっき一枚どっか逝った思ってめっさ焦りましたやんか一緒にしといた筈なのに」
「いやあ眼福ですわありがたやありがたや……」日本人が祖霊の
「
「エロい~なエロい~な」布団を被ったまま、今度は焚き火にでも当たるかのように両掌を裏返した。「ジュルリ……ヨダレ誰よ」
「……まァ片方しか無かったら返しに行く話も振り出しに出来たんだが」
「こんだけ似合ってんならもう借りパクしちゃっていい気がしてきたけど」ランボルギネアは漸く自ら掛け布団を撥ね除けて寝台の上に仁王立ちとなった。「目が醒めたっす。夜まで他にやることないしな……名古屋の観光名所は百割方見て回っちったし昨日」
「桃が居てもサル不在じゃ鬼ヶ島も天竺も辿り着けんだろしのう」
「天竺は桃関係ないだろ」
「パイパイ出てくるやん」
「それ違う方の悟空じゃねえか。目指してたのは天竺じゃなくて天下一武道会だぞ」
「『西遊記』にも
「ああ、桃源郷とかいうもんな」これは《
「その若さで病院連れてかれなくてよかったですね」
「耳の? 頭の?」
「あれ?……
「屁っ放りヒップですはお前だろ」
「お言葉だけど私もう三年以上人前で屁はこいてないよ」
「透かしても含めなさいよ」
「成程
「今は亡き猿が死んだ今、どっちにしても桃はもういいんですけど、」千代は改めて主人の細い片腿を注視する。「……それはそのままでハコまで行きます?」
「サンチョじゃガーターリングっつよりスライスしてないギフト用のハムにラベル貼っ付けたみてえになんだろしな」
「そんな恐ろしいコスプレ行脚、ハンムラベル法典が認めるか!」
「《目には目を、腿には腿を》――とな」
「あたしゃ食えないモモには興味ありませんよ!」
「桃を食らってももクラにでも加入するつもりなのか」
「何の略だよ、ももいろクラブZか? 会員制の
「Zて、RでもXでもなくてZなんだ……それはヤバそうだな」
「ふむ……《
「いやマタタビはご飯じゃなくて酒みたいなもんでしょ……散々酔っ払いの醜態を目の当たりにしてもなお同じように酔っ払いたいたあ思いませんわ」
「サンチョはシラフでもラフプレーが目立つものな」[訳註:「
「常日頃から半分裸婦みたいなコスで人前出てるレイヤー姫に云われたくなか」あの白装束が
「ハンラ・チヨにそんなん云われる日が来るとはな」
「ハンラ・チヨではない」彼女の姓は《
「言っとっけどネットに上げてんのってコスイベとか撮影会じゃなくて個人のスタジオ撮りのとかだかんな」撮影機の前には立っても、衆人環視に耐えながら被写体となっているわけではないらしい。「露出狂みたく云いなさんなよ」
「コスプレにイベントもイベリコ豚もないでしょ」
「ハムから離れろ」余談だが著者は
「竜?」
「北海道て牛のイメージあるんだけど。ハムって豚肉でしょ?」前肢であれば
「知らんけど、日本の豚はスペインみたくドングリもクリも食わんだろあんまし」
「今度はモモクリかよ……まァ豚も白黒よりピンクよね」豚の絵に色を塗ってごらんと言われれば、我が国のしんちゃんも日本のしんちゃんもその多くが
「カキはどっちかってえとサンチョじゃないの?……シブガキ」
「デブガキと呼ばなかった一点のみは評価に値する」半坐千代が彼の回教騎士アビンダラエスも認める
「ああなるほど……で?、お前が栗なのはサンチョだから?」
「まァそれと一応、中三だしということで」桃と栗は種蒔きから収穫までに三年を要するが、柿は八年掛かるという、比較的人口に膾炙した日本の諺である。「ミコさんが三年生かどうかは訊かないでおきましょうもしか繊細なトピかもだし」
「別にダブったりはしてないけどな。あと浪人も」
「因みにネパールにはモモマンというイチゴ大福みたいなスイーツがあるそうですが、」騎士は《
「ももクロというか白黒で思い出したけど――」何故《白と黒》が呼び水となったかといえば、勿論昨朝食したシロノワール乃至クロブランシュ――《
「あ?」
「いくら名古屋発祥っつっても二日連続でコメダ行くこたないわな……あっでもドニャキ殿は行ってないか」[訳註:行っている。第二十七章冒頭からを参照のこと。千代たち四匹の猫の朝食は第二十四章後半に描かれている]
「てか二日酔いで朝ごはん食いたいのか?」
「正直あんまり」御子神嬢は冷蔵庫に手を伸ばすと中から飲料水を取り出した。「さっきからサンチョがモモとかリンゴとか、イチゴ大福とか食いもんの話ばっかしとるから」
「ハムとかビーフとかって?」
「――てっきり飢えとんのかと……じゃあ朝マック?」
「いや殿下が男に飢えとるのに比べたら」それは
「三歳児とかショタコンにも限度があるだろ」種を蒔いてから数えた場合、芽が出るまでに十箇月を要する筈だから殆ど二歳児だろう。浴室から戻ってくるミコミコーナ。「そっから育成すんにしたって光源氏パイセンもまっつぁおだわ」
「源氏パイ……うなぎパイまだ残ってたか」絨毯の上に置かれた車輪付きに目を向けたついでに玄関側を振り返って、「顔作んの早ッ!」
「サンチョがケツケツうるせえからめっさ充血しとる」
「ケツがですか?……スパンキーング!」
「アタシ昨晩この部屋でどんなプレイしくさってたんだよ……独りで?」
「何だっけアレ飲めば?……牛丸の、朝帰りしたパロミさんが飲んでたトマジューで割ったの」酔い醒ましに好いという混合酒である。岡崎の女王はその中へ更に生卵を投入していた。[訳註:第二十章参照]「レッドブルか」
「レッドアイだよホラ見てみ……流石にレッドブルトマジューで割ったことはないわ」王女はもう一度冷蔵庫を開ける。「トマト重いからリンゴジュースとかのがいいな……酒以外も買っときゃよかった。お茶もないのか」
「ウコンは?」荷物の整理をしながら千代さんが付け加えた。「そいや白雪姫もポリコレ入る前のオリジナル版だと王子のキスというか、王子が口移しで飲ました下剤でお腹の中の毒リンゴ全部排出させて何とかなったってオチだったらしいですよ――ね?」
「それはそれがしに訊いておるのかな?」
「嘘だとは思うけど今のでリンゴもウン――コンも飲みたくなくなったわ。せめて姫の口ん中手ぇ突っ込んででも上から吐かせるって選択肢は選べなかったのか」
「いや物語の時間経過的にもう消化しちゃってるでしょ。時すでに遅いよ」
「消化吸収されてたら下から出すのでも遅いと思うが」上からであれ下からであれ、折角生還したところで白雪姫の
「きっと王室御用達の高価なビオフェルミンだったんでしょ」
「ビオフェルミンは下剤じゃねえよ別に」これは乳酸菌を配合した整腸薬で、便秘にも一定の効果があるとされる。「あと錠剤を口移しで飲ませる意味も分からねえし……つか旅先で持ち歩くなら正露丸とかにしとけよな王子も」
「それだと近付いてきた時点で臭くて目が醒めちゃうってか蘇生しちゃうでしょ」こちらの商品名は《
「桃雪姫ではねえから。お前こそ昨日ミサった時ん顔とはビックリするくらいソックリ感皆無だけど」髪もろくに梳かさず出てきたのではなかったか?「そのまま出掛けんの? サンチョこそドッペルなの? 実は双子のヨンチョなの?」
「いや昼間っからあんな塗りたくってたらオバケでしょ。百鬼……何だ、昼行?――昼行性?になっちゃう」
「中高生だけに?」
「ソメン?……素麺? 朝から?……あ、顔が淡白ってこと?」
「
「そこまで言うてことはモコモコーナがやってくれる覚悟はあるんだろうな」寝台の上に膝乗りとなる猫の従士。「でもチェックアウトの前にもっかいシャワー浴びる予定ですの」
「好きにしろ……てなわけでカキホーテ殿、」王女は化粧道具の入った
「一分? 一分なの?」
「それがしは構いませぬ」寧ろ今日は
「ああ、どっちも茶系は茶系だろうけど、三茶色とはちょっと違いますわよね」
「サンチャ色って何だ」
「知らんよ。サンチョは住んでんだから知ってんだろ?」物の資料に拠れば黄色なのだとか。[訳註:恐らく田園都市線の各駅に指定された駅色のこと。駅構内の壁に貼られた陶板がこの色で統一されており、電車内からでも一目で何駅か識別できるようになっている。三軒茶屋駅は檸檬色、偶然にも隣の池尻大橋駅が柿色らしい]「
「ヤマチャ……
「もろ桃色と被りますな」
「じゃあふたりでももいろシスターズだ」
「何でひとりだけハブんだよ」
「口閉じて物云えよ」口紅を塗っている最中なのだろうか?
「色もイロイロで宜しいのですが――」
「イロドリミドリですな」それを云うなら《選り取り見取り》だ。[訳註:西訳では正解のverdadera variedad de colores《本当に多様な彩り、色取り取り》に対し、verde《緑》とverdura《野菜》を取り混ぜたverdedura~《緑野菜の色彩が豊富?》のような語感を持つ新語が編み出されている]「緑といえばミコさんのバストトップもそろそろ熟して来られましたですかな?」
「なんでアシのバストトップが緑なんだよ、生まれたときからそれこそドピンクだわ」
「あれ、違いましたっけ?……おかしいな」
「お風呂屋で見たろうがまだ一週間も経ってねえぞ」駿府城下で湯上がりに寿司を振る舞われたのは火曜日、つまりほんの五日前の出来事であった。「色盲なのかもう耄碌してんのか……多少メラニン生成されてたって緑に変色は無いわ」
「いやアフリカの次期女王であらせられるからにゃ緑化運動にご熱心なんでないかと」慥かに大陸面積の三分の二が
「尻緑なる我が従者の戯言は
「カニ?」ギネアが首を捻った。「……ああ《さるかに》。クソ猿が木の上から柿ぶつけて蟹殺す話だっけ」
「それはおとぎ話であって、現実世界の猿は今頃ミサ連戦が祟ってラ・サンチャに帰り着くや否や哀れ過労死してるところですよ」下手に客死すると遺体を郷里に運ぶのに遺された者たちが骨を折らねばならぬ。そういう意味では
「つかあの話の猿って臼に潰される前に蜂に刺されてなかったっけ?」
「ああ、そうやん……つまりドニャ・キホーテは蟹殺しというよりは猿殺しの汚名というか美名を着せられるべき御仁ですよ」親を殺された子蟹によるこの
「勝手にエル・トボソ様の腹心にして道化役まで務めておられる床屋娘殿殺しの濡れ衣を着せるでないわ」騎士は従者の注意を引きつつ以下に続けた。「そら、おぬし憶えておらぬのか……ヌマンシアはブラドイドに巣食いし哀れなる
「カルキノス――はカニの……身……あっ」
「何? 殻ん中もう空なのにあのカニフォークで――」他に《
「意味なくエロい言い方せんでください」《
「こっち見んなよ。アシは腐女子じゃねえぞ」
「
「兄は分からんけども姉のことですかんね……そもそも証言がカラスコージの頭カラコージひとりですから信憑性にカンピョウほどの強度もないわけだけど、少なくとも馬の飼い主に課されるのは過失致死がマックスでしょう」それも死んだ蟹に(先述の
「お前の長ゼリフ聞いてたら一分のつもりが三分も掛けちゃった割には思ったより雑な仕上がりになっちったよだってめっちゃ顔動かすしお寿司」ミコミコーナが千代の頬を両掌で挟み込むように軽く叩くと、室内に小気味良い音が響いた。「――おしまいんご」
「めでたしめでたし……あざした。眉目秀麗なおふたりの妹キャラとしてギリセーフと言うか、ナシ寄りのアリ寄りのキリギリス……寄りのリンゴくらいに化けさせといていただけてりゃ御の字ですよ」従士は飛び上がって浴室へと駆けて行く。大きな鏡に映る己の化け具合を確認する為である。「おんじにもハイジ、孫にも化粧ってなもんだ」
「カガミよカガミ……か」
「やっとこちゃんババ居なくなって多少静かんなる思ったのに何で急にふたり分ハシャぎ出してんだアイツは」御子神嬢は一旦浴室の開いた戸板に目を向けてから、翻って陽射しの差し込む窓外を見遣った。「どうせならやっぱレンちょんの方残ってくれりゃ良かったんに……今日も実際暑くなりそうよね。あんな直射日光浴びたら桃なんて秒で腐るわ」
「柿も栗もまだ収穫前ですかな」
「夏季というか秋季というか……秋だよ普通は」日本の気候であれば九月を過ぎてからが旬であろう。「そいや栗も出てきたっけ《さるかに合戦》?」
「チヨさんの好きなビッグベンも――これは慥か牛糞だったかしら?――加勢しますぞ」
「ははははは!」仇敵の猿が暖を取る為に
「仰せの通りと申したいのも山山なれどこの暑い中、牡蠣に中って不帰の客なんて最期は御免被りたい所存です。こればっかりは正露丸でも甘露の実でも、癒やすことなど叶いますまい」騎士は頭を振りつつ苦笑しながら、「そうでなくとも昨夜は一本、棒に当たったばかりですからな」
「棒? ボール?」
「Bol......a de agua.――思い返せば、」……そう、塔の頂きより投下された
「ボ~ッと歩いてっつか漕いでて棒に当たったのは桃太郎の犬じゃあなくて」髪を撫で付けつつ姉たちの許へと戻ってくる三女。「――柿花子の猫ですんでお間違いなきよう」
「そうじゃったそうじゃった……棒は棒でも彼処は希望の泉であったな!」
「カキはNGワードらしいぞ。人の嫌がること云うのやめろよなハラスメントだぜ?」
「ポリコレってヤツですな?」[訳註:奇しくも《ポリコレ棒で叩く》という表現が生まれたのはこの物語で語られる時間軸の直後だったかと思われる]
「さっきも思ったけどお前云ってんのそれ多分ポリコレじゃなくてコンプラな」
「コンプラって何だっけ?」
「いつまで
「当たり棒と天ぷらアイスで思い出した」千代は小型の
「悪いけどダッツワイフもトルコバスも入っとらんぞ」これも繰り返しとなって恐縮だが、《
「何だバスて……アイスでしょ」恐らくこのbasはbusではなくbathの日本語読みであろう。トルコ浴場ないしアラブ浴場といえばこれは
「お得かなと」
「二で割れない人数なのにあえて!」これは
「だ~から二個買ってあんだろがお前好きなの取んなよ残ったの蜂のナイトと分けるから」
「いやどうせなら違う種類の一本ずつ食べたい」
「ああもう好きにしろって白でも黒でも茶色でも」王女はウンと伸びをしつつ立ち上がると、飲みかけだった水を一気に飲み干して空の可塑性瓶を横着に放り投げた。「昨日のハコまで行って帰るだけなら一時間っしょ。パピコ二本も摂取すれば燃費悪ぃサンチョでも朝飯までのカロリーとして充分だよな?」
「ちょい待って……一本約八十キロカロ……いやホワイトとチョコで違うのか」
「栄養学知識マイナスのサンチョが具体的な数値知っても何も分からんのと一生一緒に一升瓶だろが」現在時刻を確認する。「まァ前もって電話しても誰も出んわだろし?――その前にこの時間十中八九誰も居ねえし空いてもねえだろからシタ降りたとこの入り口のどっか……傘ブラ下がってたとことかにでもビロ~ンて引っ掛けとけばいんじゃね」
「たしかに。関係者以外わざわざあんなトコ階段降りてかんでしょうしね」紙袋の手紐に手を伸ばす猫の従士。「――ん、どこ?……放置しても誰かがパクってくことはないっしょ」
「しゃあねえじゃあ行くか昨日の夜食の腹ごなしだ」履物に左右の踵を押し込んで。「年寄りの休日はふと気が付いたら夕方なのだ」
「えっとちょい待ってください……どこ行った?」敷布の上、次いで絨毯の上、今度は膝を付き寝台の下の狭い隙間へと掌を差し入れ左右に動かしてみる。「――入らんか」
「なに?」
「どれが何処でどうしたのだ一体?」
「楽屋パスがまたどっか……また?」四つん這いのまま顔を上げると、丁度目の前に大地を踏み締めてそそり立つ
「《
「このミコさんでさえ遠慮してるセクハラを先にやってのけるとは」今度は
「――イッテ」
「貴様がむしゃぶりついても許される流線型は今その手に持ってる二本一組なパピコの曲線美だけだということを、一からその身体に分からせてやる必要があるようだな……」
「むしゃぶりついちゃおらんですがな……」しがみついていた主人の下半身を解いたその手で自身の尻を擦りながら千代さんは以下に続ける。「見てみなさいよもう」
「何よ、次はいよいよ
「え、エロくね?」怪訝な表情を浮かべつつ振り返り、未だ身動きの取れない
「お前の腐った目にどう映るかは知らんがガタリンは原則片方だけのがエロい」ガタリンとは勿論《
「トゥ――ト~トい?」
「腰……
「い……イッちゃってるなあ、この人」ここは主人に判断を仰ぐより他ない。「置いてきましょうか?」
「《拝む》の語源が
「誰も見てないけど」千代は肩を竦めた。「……いや私も一応ヒトか。障子のメアリ」
「では最後にそのお御足に口付けをば――」今にもその場で跪かんばかり。
「いやさせねえよ?」今度はサンチョの方が両腕を開き、正気を疑われるギネア王女の行く手を阻む番であった。「つかオミアシに口付けって普通爪先っつか足の甲とかだろがいい」
「いや朝っぱらから何に目覚めてんだオレは!」
争点が大幅にズレたことで、本来は肘または二の腕に装着すべき二枚の通行証が現在置かれている状況については何だかんだで有耶無耶になったまま、東国から参じた三匹の猫たちも揃って十三階の客室を後にする次第と相成ったのである。
一階に付き優に三十を超える客間を備えた然しもの
「騎士様は白いのと黒いのどっちになさる?」
「白いカラスには昨晩もさんざっぱら苦杯を嘗めさせられもうしたでな、――」これは暗に黒い鳥の
「ホワ~イ、腹黒いチヨさんには飽き飽きしてるだろうに?」中央に陣取ったミコミコーナが騎士とは反対側に首を曲げると、「サンチョ、チョコ……サンチョコ」
「聴こえてますよ」――
「どうぞお納めあれ」小瓶型の可塑性容器に入った氷菓がわざわざ
「いただきます」
「はいサワー」――
「ホワ~イト……かった、まだカッキンコッキンやん」
「カッチンコッチンだろ。しっかしカキ厳禁かぁ……《柿の騎士》なかなか語呂いんじゃないかと思ったんすがねえ」昇降機は直ぐに上ってきた。「なんか柿の葉寿司みたいで」
「サーモンじゃない、サケとか乗ってるヤツだっけ?」
「サケとかサバとか……どうぞ」従士は甲斐甲斐しく年長者ふたりを先に箱の中へと押し込めた。「魚の鮭ですよ」
「分かっとるわ」末妹を待たずに一階を押下するせっかちなミコミコーナ。「まァなんかソシャゲガチャ廃人みたく聴こえちゃっても何だしな」
「か?……課金の騎士か」[訳註:「アルバカーキ出身みたく~」「……アルブケルケか」尚、御子神の台詞は英語発音に寄ったローマ字表記としてAlbacaquiと記されているが、直後に千代さんが正式な綴りのAlbuquerqueに訂正する形を取っている。合州国
「もっと夏季限定な感じのサ……スイカとかパイナップル的な果物の騎士にしたら?」
「あああとパパイヤのとかね」
「たわわに実ってて面目ない」
「夏ならやっぱ《かき氷の騎士》じゃない?」
「何が何でもカキくっつけたいのな――その心は?」
「こやって、――」片腕の肘を前後させつつ蒸気機関車の
「寿司からの流れだと生姜になっちゃうだろ。むっちゃピンク」
「いや流れで云ったらたわわからのつもりだったんだども」冷凍庫から出して間もないパピコの固い
「背筋シャキッとしてっからバナナ感あんま感じないけど、柿はまあ丸いわな」
「後世に伝えられるドニャえもん像がカキえもんと混同される恐れもあります」従士の懸念も尤もなことで、
「どっちかってえとアンパンマンに出てきそう」[訳註:残念ながらカキえもんが出演した記録はないが、《かきくけこちゃん》という女の子は登場している模様。但し顔は四角い]
「それだけではない。
「おっ、出ましたねイミナ」
「折角の忌み名なのに意味な~い、じゃあ《ハナの騎士》?」自動扉が左右に開く。「いや《臭い花の騎士》ですか……草」
「うるせえ雑草、はよ出んかい」
「いたい」千代は蹴飛ばされるように受付階の大広間に降り立つと、脇に寄ってふたりの淑女を箱の外へと導いた。「しかし桜とかバラってんならともかく柿が草花の代表ってのはピンと来ませんな……果物の代名詞とかってもどうせリンゴとかっしょ?」
「草冠に化けるで《カ》、
「なるほど《十》と《二十》」千代さんは人差し指で宙空に漢字を描きながら、「――どっちかってえと《土》、が、《干からびる》……草木も花も育たなそうですな」
「不毛の地――とな!」
「どこ見てんだよ。メチャクチャ天高く馬も越えて」これは秋の好天と豊穣を喜ぶ際に使われる慣用表現である。「――お育ちあそばされてらっしゃるじゃねえか」
「おはようございます、お出かけでらっしゃいますかあ?」
「「おはよう!」」「――ございます」騎士の従者が貴人に代わって要件を伝える。「あ、あの、朝からご苦労さまですチェックアウトまでには戻ってきますんで」
「ありがとうございますお気を付けていってらっしゃいませ!」
「ざますっ――あっちなみになんですが、」サンチョを押し退けた
「はいもちろん、」笑顔で応答する受付嬢。「ご要望ありましたらバゲージルームでお預かりいたします」
「――だって」
「おおマジすか」
「はい、ご出立の際にお立ち寄りいただきこの――」隠れた手許の抽斗から数字の書かれた札を取り出して、「荷物タグご提示くださればどのスタッフでも対応いたしますので」
「助かります、すごく」残る懸案事項は自転車の郵送だけである。「……では散歩がてらちょっとプラプラ、ナゴブラしてまいります」
「もうこの時間からだいぶお外お暑いようですので、熱中症対策しっかりなさってお出かけくださいませね」
「この人お暑いのがお好きらしいんで天日干しにしても望むところらしいですよ」
「まあ」
「いや猫舌だっての……猫肌か」砂漠地帯に起源を持つネコ科の動物は比較的暑さに強いとされるものの、一方で湿度が大の苦手なのだとも謂う。高温多湿の日本の気候が彼等にとって、冬の寒さ同様に過酷であろうことは想像に難くない。
「こいつもありますでな」ドニャ・キホーテは何処に隠し持っていたか、綺麗に畳まれた晴雨傘を綺羅びやかな
「あっ、ありがとうございますそうですね気を付けます」
「じゃ行くべ。即行で地下潜ろ」ギアナ王女が広間を挟んだ先にある透明な硝子扉に囲まれた空間のその又向こうの地下道入口を指差して以下に続けた。「ヴァンパイアパイセンだって一瞬直射日光浴びたくらいならちょっと身体の表面が塩になるくらいだろうし、そんなんうちらが汗かくのと大差ないっしょ」
「塩の騎士さま前にして……鼻息荒えというか、意気込み凄えな」
「宇宙空間放り出されても数秒は余裕で生きてられるらしいぜ」その神妙な口振りを聞くと、この建物から一歩外に出たらば気圧がほぼ零だったとしても驚くには当たらぬようにさえ思えてくる。(となると玄関室は矢張り
「直ぐ窒息はしないまでも、酸欠で失神くらいはするやも知れませぬがな」
「そこまで決死の覚悟で外出するくらいならさあ、」年長者ふたりの
「地上の方が暑いだろ。見てみい鉄板焼だぞ」流石はアフリカの
「殿下はまた痴漢の指十本と歯ァ三十本と、ついでにそいつを目の当たりにした我々の心をバッキバキにへし折るおつもりとみえる」
「ふふ、指折り数える指も羽織を着せる歯も失くすというわけですか」[訳註:これまで本稿では《
「つかこの時間からそんな混むか? 一応夏休み期間だろ?」学生の感覚である。
「今が――七時半から八時過ぎくらいが一番混んでる時間帯ですかね」接客の合間を縫って従業員が口を挿んだ。「桜通線より名城線とか東山線が特に」
「やっぱそすか」
「学生の方少ない分多少はマシかもですけど、それでも名駅と栄駅の間はどうしても」
「まあチカンとかカチンコチンはともかく」再び従者が割って入る。「電車だと――」
「なんか卑猥だなお前」
「どうせならハワイ行きたいよ私だって」急遽旅行先を変更してここまで参じた(そして直ぐに帰郷し、月末には改めて太平洋を渡る予定の)友人を苦々しく思い出しながら、[訳註:千代「
「お前たまに頭いいな」王女は昨晩アマデウスの出待ちに付き合って数十分の間、演奏会場の前で時間を潰していた時の記憶を呼び覚ます。「そいやバス停の真ん前だっけか」
「よろしければ市バスの路線図と時刻表お出ししますか?」
少女たちの返答を待たずに受付嬢が机の下を探し始めたので、最早三匹の猫には他の選択肢が残されていないかのように感じられたのである。
「サンチョやっぱお前頭悪いな」
義姉妹は城壁の西側に穿たれた通用門を潜り、玄関に面する大通りとは幾分趣きの異なる路地を南下し始めている。
「なんで?」昨日遅い昼食を取った食堂に差し掛かるが朝方の営業はないらしく、大きな窓硝子の向こうはひっそりと静まり返っていた。
「ホテルから最寄りのバス停まで歩かにゃならんことを考慮に入れてなかったから」
「そこそこいと遠しと判明した時点で名古屋メトロ案に戻れば良かっただけでしょ」
「そんなん調べてくれたお姉さんに悪いだろ」
「考えてくれた私の頭には悪くないんか……ホテルから出たらもう見えないんだから戻って地下道入っちゃえばええやんそんな後んなって文句言うくらいなら」
「んでも街路樹は並んでた気はすっけどな」進行方向を指し示して、「――ほらあっこ横断歩道渡る時は確実に日陰途切れる」
「あらアラ探しですか?」慥かに、長姉は暑気に対する苛立ちを誰かにぶつけたいだけなのかも知れぬ。「大の大人が中坊相手に……目に余る光景です」
「身に余る光栄みたく云う」[訳註:千代の「余り
「一度に渡り切るのが困難なのであれば、」騎士が折り畳み傘の先端で新たな獲物に印を付けるが如き所作で狙い定めた。「彼処を横切るヒルムンガンドの蛇腹を――」
「ヒルムンガンド」《
「名古屋は竜なんでしょ。
「ふむ、画竜点睛ならぬ線脚を欠くときた」
「反対語は《蛇足を書く》ですかな」
「まァ橋脚?はあるだろけど左右で二本ずつ生えとるわけじゃねえだろから足っつか、真ん中に一本きりじゃただの支えてる台だよな」高速道路の真下を同じ方向に伸びる一般道が走っていたりその空間が別の用途で利用されている場合などは橋脚が動物の足さながら左右に分かれて立っていることとてあろう。とはいえ橋桁の中央を一本の太い脚が支持していた方が、強度や安定性の面に於いて優っているような印象も否めない。「
「《伏龍》とも申しますでの[訳註:腹竜? 西訳では千代の「
「いえミコ姫は割と鍛えてるんで日陰で休むより一刻も早く冷房の効いた車内に逃げ込みたき所存なんだけどね、この――」凍った小瓶を朝日に透かしながら、[訳註:大通りに至る前にも何本か小径を横断しているだろうから、ずっと遮蔽物があるというわけでもないのだろう]「パピコなんかは瞬間解凍どころか、液状化通り越して沸騰からの蒸発する危険性すら――」
「パピコがピっ込んだ!」
「ピっ込むより飛び出んだろ。液体は加熱すっと膨張して体積増えんだぞ」正確には気体へと状態変化した際に体積が増加する。「これ小学生の理科な」
「ジンジャーとフレッド」騎士は昨夜従者と二人乗りをしつつ城へと帰る際に交わされた遣り取りを思い出していた。[訳註:前々章参照]「――否、エールじゃったかな」
「えっピエール?」
「からのバービー、いやジェニー――あっ、ハルカレア電話したらな……まだ寝てっかな」けだし熱海の旅館で豪勢な朝食を楽しんでいるところだろう。「むしろそれこそ望むところでしょう……このまま硬さを維持され続けたらバス乗るまでに完食できませんぜ」
「まァ棒アイスとかソフトクリームとかと違って別に溢したり汚したりはないだろし、持ち込んでも怒られんと思うけども」ミコミコーナは
「はん、いい年こいてヨダレ掛けがご必要のようですな」最年少の従士が鼻で笑いつつ以下に続けた。「せや、今日もちゃんとサラサーティ挿みました?」
「品切れだよ。どメガネウィザウトメガネが勝手に使い切ったっつったろ」頻尿気味の馬場嬢が弥撒の最中に中座して手洗いに行く無作法を嫌い、極力暴れることで発汗を促す手段を採用した結果とされる。「――サラサーティちゃうけどな、キミ素で間違えてない?」
「さらさらパウダーシーティ」
「そんなお台場のダイバーシティみたいな」お台場といえば長き放浪を経て名古屋市科学館に落ち着いたバックベアードの始発点である。[訳註:第四十二章参照]「いや真面目な話この灼熱のサンシャインシティにゃサラサーティよかサーティワンだよ」
「いやパピコ咥えながら言うなし」朝食前に氷菓子で腹を満たすのは健康上にも差し障りがあろう。「パピコってちょっと響きスペ語っぽいですよな。ドン・パピコ」
「ぼくのぴこ……て何だっけ」
「はて、
「チレ?……ああチリ?」[訳註:因みに国名のChileはケチュア語のchiri《寒い》又はマプチェ語のchilli《セグロカモメ》、香辛料のchileは古典ナワトル語のchilli《唐辛子》に由来する]
「それだな。どういう意味?」
「慥か《悪い》とか《酷い》とか、――」
「さすがはバブ姫と双璧を成す我等が生きペディア!」
「《草臥れた》とかその辺りじゃったような」
「そりゃパピコじゃなくて今の我々が置かれてる状況じゃん」宿を出発して数分しか経過しておらぬのに!「もうフラフラでンダースの犬との心中も秒読み」
「やっとサルピコが消えたと思ったらうちらがパルピコになっちゃうとはねえ」
「サルタヒコ?」調味料の役割が検討された経緯を鑑みるに
「カミはカミでもケツを拭いた後の紙でね、後はババと一緒に流されるしか能のないヤカラですよ」誤解を招かぬよう付け加えると、猫の従士は決して
「やむを得ず昨日一日一緒に居た所感を述べるとですね、ニコニコーナがパーティーに同行したせいで道に迷うことはあってもその逆は期待できなそうだったってのが」
「さすがはミコミコーナ殿下、アフリカ育ちだけあって視力というか観察眼が優れてらっしゃる」
「まあ《害ある奴隷》略して害奴となら呼んでやってもいいかしら」
「もちろん付き合いの長い私の中ではとっくに有害指定喪女に分類されております」
「そのくらいにしておきなされ。エル・トボソが従僕への愚弄はとどのつまりそのまま何ら瑕疵なき主人へと向けられる始末となるのですから」
「まァうちの劇部にだって他にもっとマシな中等部の後輩がいくらでも在籍してるでしょうがね」我等盗聴者は未だ部活動の場に侵入する機会に恵まれておらぬし、千代さんが首から下げる胸元飾りが――騎士と
「しつこい栗だなカキはドニャ様NGだっつってんじゃんすり潰してきんとんにすんぞ」
「せめてモンブランにして」共に煮込んだ栗を
「それ猿に乗られるヤツじゃんそれでいいんかお前」《
「アイ・アグリー」
「ふふ、アウグストゥスに仕えしアグリッパほどの武功をラ・サンチャに齎したとはまだまだ云い難いというのであれば」騎士は苦笑した。「――それは殿下の仰有る通りじゃろて」
「桃栗柿も桃尻のガキもとりま忘れようぜ……ヘイユー、ガイド、もう一本向こうの道なんだよな?」
「案内はやんないよ」受付で確認した最も近い停留所までの経路は至極単純な一本道であった。「また携帯すぐ死んでまうから……姉ちゃん何でスマホタルすぐ死んでしまうん?」
「サンチョ犬なんだから文明の利器に頼らんでもクンクン嗅げば場所なんか一発だろホラ何だっけあの……」これも有名な日本の民話だ。「ここ掘れワンワン?」
「こんな街ん中で犬がクンクンとかオシッコでマーキングされた電柱の下嗅いでる時くらいだろがい」未来的な都市風景の印象が濃い日本だが、
「何で今更」
「《居ぬ》ってからにはなんか存在感薄い感じがするので!」
「そんだけベラベラ喋って存在感薄いはないわ……あっち」赤道に程近き故国を照らす太陽が幻視される。「発言内容が大概ペラッペラなのは認めるのに吝かじゃないけど」
「
「おお神よってなもんですよ」声楽家との対面を複雑な心境で反芻する千代さん。「桃ネタがそう思い付かないすからね……マリオは赤いからドニャキも満更でもかもですけど」
「何で? サンチョ緑乳首だからルイージでピッタシっしょ」
「いつの間に感染させたんだよあんたゾンビか――つかこれ何待ち? 早くバス乗って涼みたかったんちゃうんか」高架橋を潜り終え大蛇が落とす陰にあぶれると、次のシマウマの背を渡り切るまで遮蔽物の恩恵には肖れぬ。「朝からこんなじゃゾンビじゃなくても溶けるわ……気を付けてくださいさらパウ亡き今、桃と桃の谷間に出来たブツブツ
「腿と腿じゃ股擦れだろ普通。股より靴擦れのが痛いわ昨日歩き過ぎたし」
「痛いといやドニャ・キホーテ、足痛いのもう大丈夫です?」
「足?……嗚呼」騎士は暫し歩みを止めると、少し屈んで踝の辺りを擦りながらあらぬ方向を見詰めて以下に続けた。「当分サラゴサにて槍試合が催される予定があるでなし」
「何、どっか捻ったん?」
「殿下をお護りする任務に支障はございませぬ」背筋を伸ばし薄い胸を張りつつ、「チヨさんの方こそ加減はどうかね?」
「私は足よりも背中というかこの、肩の辺りに爆弾抱えてますんで」
「サンチェス投手か何かなの?……そいや昨日コルセ締める時に悶絶っつうか、」ギアナ王女には知る由もないが、昨夜はゴミ捨て場に於いても
「わざわざエロい感じに言わんでくれる?」
「いやヨガってたでも藻掻いてたでもいいけんど」
「もうミコさんモモンガでよくないですか?」
「無理くりだなおい。モモンガとムササビの区別も出来んくせに」
「ガガンボとアメンボの区別なら付くで!」前者は
「マタタビ植物じゃねえか。マタタビ担いだ桃太郎かよ」
「きびだんご売り切れてもニャンコだけ超付いてきそう」犬ならぬ猫の騎士が夢想して涎を垂らす。「ハーメルンの誘拐魔も笛要らずだな」
「アレ最初はガキンチョじゃなくてネズミを連行する話だろ。ネズミで困ってんのにネコ連れてっちゃマズいだろうに」件の笛吹き男も町民が契約違反を犯すと事前に知っていれば、鼠をヴェーザー川で溺死させるのに先駆けて町内の猫を粗方退散させ、鼠害を更に拡大させるという陰湿な嫌がらせも或いは成し得たやも知れぬ。「桃太郎が担いでんのなんてあの……《日本一》って書いた旗ぐれえじゃないの」
「アレっておばあさんが手作りして持たせたんすかね。何が日本一なんだろう……テレビもネットもない過疎った田舎でひっそり暮らしてる情弱な老夫婦が日本の何を知ってるってんだ?」
「あれって元々は川から流れてきた桃食ったジジババがさ、若返ったんだか生殖能力だけ蘇ったのか知らんけど、そんで婆さんから生まれたって話なんだよねたしか」
「ばあさんの日本一だったのかよ。何を宣伝させられてんだ太郎」参考までに、体外受精で出産した最高年齢の女性は我等がイスパニアの出で、記録はほぼ六十七歳だったとのことだ。三匹の家来を従えた桃太郎が鬼ヶ島に侵略し鬼を虐殺し宝を略奪して凱旋したのが正確に何百年前の出来事であったかについて語る信頼に足る資料は残されておらぬものの、その時代の平均寿命がこの年齢よりもずっと低かったろうことは想像に難くない。「まァ旗は担ぐってよりかは持つとか振るとか上げるとか、後はまあ地面に差すもんでしょう」
「そいやサンチョ国語だけは成績良いんだっけ?」
「古文と漢文は毎回赤点か良くて桃点ですがね」危険な状態や中断を余儀なくされる事態を《
「ちなドニャキ様その傘でミコミコーナと相合い傘しませんこと? 容赦ない陽射しでホラ、あと数分もしたらこのピンクの肌がケロイド状に」
「もうバス停付きますけど」
「ピンクケロイド」
「ピンクのカエルってたまに見るけど実在すんの?」それは
「じゃあピンクのペンギンはどうやねん……すぐには来ないかもだし」受付で時刻表も見せてもらった筈だが、時間を持て余していたこともあって細かく気に留めていなかったと見える。「屋根無いかもだろ」
「この
「今花開いちゃうとどうなんの?」
「はて――」騎士は行き当たった大通りを見渡した。「此処が何通りと呼ばれておるか次第ですかな」
「ここはですね……ちょい待って」先程は経路検索を渋っていた従者が端末を操作し現在位置を呼び出して、「ヒロショウロ……ヒロコミチ?」
「後世に《ヒロコージの
「……ハコ着くまで待ちましょう」ラ・サンチャに倣い首を左右に振るミコーナ。「――でどっち?」
「アレじゃん?……一応屋根あんじゃん良かったですね」
「全然日陰になってないと思うけどアレ」まだ太陽の位置が低い為に停留所の屋根が落とす影が長く伸び、利用者が待機する空間から食み出でてしまっているのだろう。「サンチョに担がれたよ」
「何でだよ、屋根はあんだろ」従士は先立って駆け寄ると、掲示された時刻表に目を走らせた。「……お――っと~、行っちゃったばっかかぁ?……あんなとこで休んでなきゃ」
「何、何分待ち?」
「
「お前助かったなアーシが出産五分前のマタニティな若奥様とかじゃなくて」長椅子に腰掛け優雅に脚を組むミコミコーナ。「三分間待ってやる」
「違う、これ九時台だわ」
「今何時代?」
「ナニジダイと言われたらアヅチピーチマウンテン時代ですけど[訳註:「
「何どゆこと?」
「あっちょっと待って別の時刻表あった……あよかった日曜、あと十分以内に――」
「何か怪しいな――よっこらせんがん」次いで王女自ら腰を上げると、従士の隣で改めて腰を屈めた。「……いやこれ栄ってドンキのとこだぞ。観覧車乗った」
「てことはハコまで行くのは始発二時間後?……おねいさん!」
「いやお姉さん知らんだろ。うちらで勝手に地図見てバス停探したんだから」当初の計画に浅知恵で急遽の変更を加えるのは危険だという良い見本である。「……あでも栄で乗り換えたら、市バスはともかくメトロは確実に動いてんだろな。乗り換えるか」
「だがそれだとここまで太陽は痛いようしてきたのが無駄になる上に栄えてるとこまでのバス料金分損することになるのだ」
「じゃ戻る?」
「戻らぬ」
「な、ホセ・メンドークササのワンラウンドKOだろ?」玉座と呼ぶには余りに質素で固い座面へともう一度力なく沈むミコミコーナ。「おぬしはそういう奴よ」
「そんな暑いならセブン中入って涼めば?」背後の便利店を顧みる。「そのツインな牛乳タンクだってボイルのし過ぎでバーストしちゃったら、自慢のロイヤルミルクティティも満足に飲めないお身体になっちまいやすぜ」
「云ってることの翻訳が出来ない。いいよあと何分かでバス来るんだろ」今や末妹の言語障害に意見する気力もないようだった。「朝でこれなんだからお昼とか午後とかどうせもっと過酷な焦熱地獄になるわけだし……もうチェッカウトしたら夜までクーラー効いたさ、どっかカラオケか漫喫とかで過ごそうぜ」
「アエギゴエで百点目指すん?」[訳註:第三十六章は食堂内での会話を参照のこと]
「『
「最後のは分からんが、何か冷たいモン買ってきましょうか? 追いアイスとか……略してオイスとか」
「下民のサンチョと違ってこちとらやんごとねえ淑女の胃袋にゃクーラーボックスみたく冷気遮断してくれる耐寒性に優れた素材は使用されておらんのよ」ギネアは自身の腹部を擦った。臍を晒しているのかもしれない。「内臓から冷やしちゃうとこう……代謝が下がってだな」
「だったらその上半身の余分な脂肪を、こう……寄せて、下げてお腹の方に――」従士は益体もない己の提案を早急に取り下げると以下に続けた。「まだ十五分くらいありますよ」
「十五分て何秒?」
「……そんな簡単な計算も出来んのかキミは」
「ならばラ・サンチャの蜂が斥候に参ろう」不意にドニャ・キホーテが踵を返す。「――というのも七と十一の合間に潜り込むにはそれがしこそ最適と判断できるからなのだが」
「あ、じゃあ私も」
「おぬしは殿下のお側に控えておれ」騎士は片手を掲げて従者を制止した。「ゆめゆめ貴婦人に群がる小蠅どもの接近を許すことまかりならぬぞ」
「でも十一って実際には二十三時でしょ?」これは嘗て朝七時から夜十一時まで開店していたことの名残だが、日本国内の便利店は余程の僻地でもない限り二十四時間営業が基本である。「従士であれば充分
「チヨさんは従士は従士でも
「さんいちよん……あっ、サンチョ」猫の従士はミコミコーナの傍らに腰を下ろす。「円周率ってこってすかね……サークル系? サンチョックス?」
「ホテルのこっち側のコンビニあったろ」
「ああ……セッコーはケッコーすけど、もうアソッコーにひとりで
千代さんが昨日
従士はボソボソと呟きつつ硝子張りの自動扉を注視していた。出入り口は通りに面したひとつだけだろうから、そこから目を離さぬ限り当て所なき
「ハナ……十五、イン。ミコ、ミコー、ナ…………二十三、ギリアウト」何やら一心不乱に暗算しているようだ。「――計算おもくそ早いやんけ私」
「おい」
「千と四は……ミコさんバス来ないかちゃんと見ててね」猫や人の両目は馬や小鳥と異なり前方を向いている為、背後の状況までは手が回らないのである。尤も人間の両耳は両脇に分かれて付いているし、猫に至っては耳殻の筋肉が発達しており、向きを反転させたり左右の耳を別々に動かすことも出来るようなのだが。「待て、十時四分ということなら余裕で時間内なんじゃねえか?」
「――で?」
「デ?……ラ・サンチャ?」
「朝起きた時から?」
「朝?……ああ、ハイ」従士は一度長姉の顔を見たが、直ぐに視線を便利店へと戻して以下に続けた。「つかサンチョもドニャッキー様に袋叩き起こされたクチなので、あくまで私が朝起きた時点では既にああだったという意味ですが」
「これは……どうかな、早速レンちょん姫にご一報というか、ご注進に及ぶべき事態なんかしら?」御子神嬢は携帯端末を手に取った。「それとも帰って早々却って余計な心配掛けん方が賢明なのだろうか」
「なんで?」
「や、心理学とかの知識皆無のアタシにゃネタなのかガチなのか全然区別付かないからさ。単にお遊びというか、演技だったら取り越し苦労だし昨日一日で折角苦労して築かれたミコミコーナの信用もお取り壊しになるじゃないの」
「そんなもんが築かれてた様子は微塵も見受けられませんでしたけども」従士は尻の代わりに頭を掻いた指で今度は他方の手の甲を擦りながら続けた。「そんな気になんなら直接訊いたら?」
「それ中の人いるヤツですかって? そういうのって訊いていい感じだっけか」
「まァもうちょっとオブラートに包んで……ビブラートで問い合わせる必要はあろうが」
「難しいこと云うねチヨさん」
「……で?」
「で?――らべっぴん?」
「ラ・サンチャの騎士のままじゃなんか、マズいんですかね?」
「ま」大学生は目と唇を丸くした。「――ズかないけどさ」
「おいしくもないと?」
「やだってよ?」彼女は騎士の背景にある
「高校デビュー……いや高二デビュー?」
「すげえ他人事みたく云ってんけど」主従が初めて相見えた日を思い返せば阿僧祇花の奇行は既に学園内に於いて公然と晒されているわけだから、
「分かんないっすよ……昨日のだってドニャ・キホーテが気まぐれにアソーギ・ハナを演じてただけかもしれませんし」千代は思い付きでいい加減な仮説を立てた。「そもそもこれまでの人生だってラ・サンチャの騎士の方が素だったのを周囲に合わせて無理やり賢げな女子高生つか、優等生演じてたって線も」
「いやいやそこまで難しそうな話なの?」御子神は半分戯けて、半分深刻そうに頭を抱えるような素振りを見せた。「そこまで行くとリアルにパラサイトというか……パラサイトちゃうわ、パラ、パラ」
「パラダイス」
「――
「そりゃサンチョやニコ助が狂った騎士とか囚われのお姫とか自称しだしたら運良くてもメンヘル送りで、まあ多分魔女狩りからの火炙りが順当だろうけど、――」
「喪女狩り?」
「どっちでもいい」千代は屋根の外に歩み出ると、店内が見えるよう首を伸ばした。「ドニャキとかドゥルシレベルの見た目が九割なら許されるんじゃなくて?」
「アーシ個人としてはね」年長者は言葉尻を濁した。「本音を言えばも一度ドニャ・キホーテ様にご拝謁を給えたのはラッキークッキークラッキーにござるよ」
「なんだクラッキーて、クラッカーちゃうんか――うちょっ!」
二三秒ほど自動扉から目を離しギネアの方角を振り返って直ぐ顔を戻すと、そこには既にラ・サンチャの蜂が羽音も幽く浮遊するかのように立ち止まっているのであった。
「殿下、お待たせいたしました」騎士は従者を素通りし、
「いえいえお早いお帰り祝着に存じます」王女は朗らかな会釈を以て答える。「キホーテ様の道化殿はよくお喋りになるので退屈こそいたしませんものの、やはりたとえいっときでもドニャの勇姿が視界から消えてしまうとなると妾も生来の物臭が顔を出して、まったくただの数秒ですら目蓋を持ち上げるのが億劫になってしまいますことよ」
「何だその古文を現代語訳したみたいな文章は」口から垂れ流す単語数に於いて明らかに勝っている猫の従士がそのように嘯いた。
「過ぎたお言葉ですじゃ……はて《
「おお、さらパウ!」ミコミコーナが歓喜の声を上げる。「この心遣い!――買おう買おうと思ってたんよ花王だけに……では早速失礼をば」
「ビオレって花王なんだっけ……ああだから花なのか」千代も屋根の下に戻ると、王女の手許を覗き込んだ。「まァオシリス拭くためのペーパーにだって花柄とかあるんだし、そういうのプリントしたヤツも売ってそうだけど」
「うおお生き返るぅぅ……我が汗疹問題の解決はノーベル医学賞と平和賞の同時受賞に値する功績です」
「
「あ、ペイズリー柄か……良かった」汗拭き取り紙を挿んだ胸をほっと撫で下ろす神経質なミコミコーナ。
「サンチョにも一枚恵んでくだせえよ」
「挟むほどねえだろ」
「いやそもそも挿むためのもんじゃねえから」
「しゃあねえな一枚だけだぞ」携帯用のそれは枚数も多くない為、おいそれと闇雲に配って歩くわけには行くまい。「ドニャキ様は?」
「お気持ちだけ頂戴いたしまする」
「ほら騎士たる者この清貧の精神ですよ」大学生は少し前の不穏な空気を払拭するかの如く陽気な声を上げた。「……それに比べて気の利かん奴め、ゴミでも捨ててきなさいな」
「いやお店の中やん、従士たる者品性こそが神聖にして犯すべからずなのよ」
「じゃあ黙って時刻表とニラメッコでもしてなさい」
「なななんでだよ」
「こっち見られてちゃ落ち着いてイチャイチャ出来ぬではないか」王女は眉を吊り上げて以下に続けた。「想い姫ドルチェバブリー様が里帰りしてお寂しさもひとしおな塩の騎士様の無聊を慰める使命がミコ姫殿下にはあるのじゃ」
「知らんがな……にらめっこしようがニラレバ炒めっこ食おうがバスの到着もパスタの茹で上がりも別に早まりゃしませんよ」そう不平を垂れつつも掲示に顔を寄せる殊勝な猫の従士。「うわ……三秒数字の羅列眺めてるだけでもうゲス――ゲシュタルトが崩壊してきた」
「ゲシュタルトが崩壊したらアップルパイを食べればいいじゃない」
「お聞きになりましたかドニャの旦那ャ、折角の殿下のお申し出を無駄にしちゃバチが当たるってもんです。猫の従士は昨日棒に一本当たっただけでもうお腹いっぱいですし、ラ・サンチャの暴れ蜂がばっちいバチに当たるなんてことにでもなりゃ恥ずかしくってもう、胸を張り大手を振って
「
「ほらたわわに実り朝露(原註:
――
「え」
「バス来たやんお前ほんまテキトーな
「いやひとつにまとめてくりよ見にくいだろコレ」
「マロングラッセ娘が……ほら乗んぞ」ラ・サンチャの介添えを受けて乗車口の段差を踏み締める。「――海外とかでもよっぽど治安の悪いとこは別だけど、タクる金ケチんなら結局は地下鉄使えってことよ」
「カネ」
「あ?」
「金、前払いみたいすよ」
「あっすんませんおいくら万円ですか?」
「二百十億円になります」
「億かあ……億は持ち歩いてないなあ……分割でも払えます?」
「殿下、御足は我等に任せてささ奥の方へ」ドニャ・キホーテが運転席の隣へ進み寄るなり、王女を車両の後方へと促した。「
「あっはいじゃ出発……御者?」運転手は一旦首を傾げたが、直ぐに業務を再開した。この国では鉄道だけでなく、乗り合い自動車さえも定刻通り運行させねばならぬ。例えばほんの
六百三十億日本円というと、例えば当時の金相場で換算するにドブロン金貨二百万枚ばかりに相当するわけで、もし真実ラ・サンチャの蜂がアフリカ象と同等の重量を誇る枚数の硬貨を携帯していたとすれば――何せ《
とどのつまり騎士の
「――路線バスはマジわけワカメだから……何処に連れてかれっか、あんなん地元住民じゃなきゃ怖くて乗れねえわ」
「奥に詰めるかその、ボリューミーな桃をスクイーズするとかしてくれませんことにはうちらが座れませんがな」
「相も変わらずケツの穴の小さき娘よ」
「穴でかいつかユルいよかマシでしょ」従士は財布を手荷物の中に収めた。「こいつの紐だってもう少し引き締めたいとこですわ。出すもんは出しますけど出過ぎたマネーはそうそう帰っちゃ来ませんからな」
「ほら見よ、お前のご主人の小振りなおヒップ様であれば……どうぞどうぞ」
「では御厚意に甘えまして失礼をば」
「――このように何の問題なくすり抜けて、妾の隣に傅いてくれるってもんよ」先刻の返礼よろしくドニャ・キホーテの着席を促すように手を差し出すミコミコーナ。「今の菓子好き、つまり我らがドルチェ姫大好きっ子に掛かってたのよ、お気付き?」
「解説せんでいいけども……ケッツレイしまっす」わざとギアナの膝に尻餅つくような動作で無理矢理窓側へと押し入ったサンチョは、その重い腰を下ろしながら、「ミコさんはオシリスにしたらどうですかね」
「もう桃ですらなくなってるやん」オシリスが許されるならば、襲名するのがケツァルコアトルでも構わぬということとなろう。「てかオシリスはオスだろ」
「奥さんが……部長さん何てってたっけ? 息子と」
「おぬし昨晩オシリスホルスだかカリギュラだかと」
「申しておりましたっけ?」
「画像検索すりゃ一目瞭然だけどオシリスはその……オシリ側というよりはホルス側だと思ったぞ」
「成程
「ほらな」[訳註:こちらが千代の発言]
「何がほらなだよ」
「細微に至るとは云い条、アテナイでは大根を突っ込まれたとも聞き及びまする」
「「げ」」[訳註:《
「
「いえいえこちらこそ。鉛筆削りで筆下ろしされるようなもんで、」御子神嬢はまた訳の分からぬ理屈でラ・サンチャの無礼を不問に付した。「物持たざる身の妾としましてもあの、何だっけ……幻肢痛?――を禁じ得ぬところにございます」
「ちょっと全然何言ってんか分かんないですけど――」半坐家の長女は自分の両膝をピシャリと叩きながら、姉ふたりの迂遠な遣り取りに対し堪らず不服を申し立てた。「とりま全てが何となくパロミさんと愉快な仲間たちさんたちで脳内変換されちまってるので直ちに一時停止していただきたき所存ですよ!」
「あの方々は毎晩お盛んでらっさるからな」
やれやれ水晶の心持つ読者諸兄よ、闇より出でし欲に塗れた唾棄すべき殺戮の数々ですら詩人が美辞麗句を尽くして謳い、数世紀を経れば立ちどころに英雄譚と化すのも歴史が実証する揺るぎなき事実とはいえ、先人の言の葉を弄し下世話な話題すら文化人類学の歓談へと仕立て上げてしまう現代の少女たちの唇から零れ出る甘い囁きの連なりたるや、我々の目を焼き耳を蕩けさせる邪悪な蛇の舌以外の何物でもないではないか? この真実の物語の語り部アベンダーニョはベネンヘーリとは面識もないし、ラニンボーラなるアラビアの歴史家についてはその存在自体を訝しんでいる一派に属するのだが、殊に実際余が知遇を得ているらしき友人ドン・ヤメーテ・ペニンポーリに限って一言申し上げる機会をこの場を借りて頂戴仕る栄誉に肖れたとしたら、彼は自身の
「あそっかドンキのとこってことは――」従士が不意に面を上げる。「キボーテの噴水の
「噴水? 水槽でなく?」ミコミコーナは
「いやキホーテじゃなくて希望の……まァいいや」ドニャ・グリコの泉については現地に行けば解ることである。「この時間ならまだ朝の掃除してるおじさんとかに……どうだろ?」
「何の話?」
「まだ撤去されてねんじゃねえかと、ドニャキの旦那ャ」邪魔な
「おぬし《アリカンテの棕櫚箒》のことを申しておるのか?」
「単にさっき担ぐ担がないの話が出たから何となく思い出しただけなんすけど」跨って飛行できるなら兎も角、騎乗しつつ携行するには些か手に余るという理由で昨夜噴水池の縁に置いてきてしまったのである。「……まァ持ち歩くんは邪魔くさいし別に要らねえか」
「何キミら、こんな縁もユカリもない、ユーカリもコアラも居ない土地で――」
「パンダが居たってことは」千代さんは長姉の容喙に容喙を以て応じた。「笹くらいは生えてたかも知れませんがな」
「居たとしてもレッサーだろ、奴らは笹は食わんよ」ギネアはラ・サンチャの主従が、反逆の徒たる憎きパンダフィランドを遂に討伐し、首級の代わりにその糞塗れの生皮を剥いで持ち帰ってくれたことをすっかり失念したものと見える![訳註:尤も仮に巨人のパンダフィランドが菜食主義者だったところで、わざわざ好き好んで笹を食いはしまい。一応、熊笹の葉を煎って笹茶にしたり、大名筍とも呼ばれる寒山竹や千島笹の若竹である根曲がり竹のようにタケノコとして食用になるササ類もある。尚第二十六章の訳註でも解説した通り、二〇一五年夏の時点では
「しませんよ地元のラジオ体操だってサボってんのに。逆皆勤賞狙ってんくらいなのに」
「志願兵……
斯くして名実共に《
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