第47章 では憩いにして今一度の乾杯が再見せし茹だる三義姉妹に上げられるが、加え更に重大かつ強力なるは、添えられた行く行くは語るべき新たな冒険の兆し。
LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA
清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ
Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.
POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM
A Prof. Lilavach
Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.
Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).
第四十七章
では憩いにして今一度の乾杯が再見せし
加え更に重大かつ強力なるは、添えられた行く行くは語るべき新たな冒険の兆し。
Capítulo XLVII.
Del descansado y otro brindis a segunda vista por las tres hermanas de sangre termal,
y además y lo que es más importante y potente aún, con algún indicio de una aventura nueva en el porvenir por contar.
[訳註:義姉妹の直訳には《血縁の/血盟の姉妹》の両義有り。《
《書物をその
しかしながら今日び――則ち第三千年紀に生きる諸兄が小説を読むとすればそれは十中八九
「ああ腹減った~下のご飯屋さんでピンクのタルタル食ったんがつい昨日のことのようだぜ……」
「いやあと十分二十分で実際昨日のことになるわけだが」
二〇一五年八月八日十九時、ほぼ定時に幕を開けた《シェーンブルンの夜伽》名古屋公演が、
「それどころじゃなかったってそれですかよ」[訳註:前章での久仁子の発言を引いて]
舞台上の《
それでも演奏は中断されなかった……ところが一分ほど目を皿にしつつ
「――で、そいつがまっすぐうちらん方に突進してきたわけよ」
「っえッ?」
「ほら小猿はアマギャの中に紛れてたけどさ、アシとレンちょんは別にアレだからずっと壁の花っつか、壁と同化して壁紙みたくなってたんさ」
「壁の花紙……くそ、行くなら小猿んとこ行きゃいいのに!」
「いや行かんだろメガネナシザルんとこには……密林ん中で新種発見したハンターじゃねえんだから」
「まァポケモンハンターでも行かんかもな」
「だろモンハンでもスルーだわ? そのチンピラだってあの場でうちらがトップツーの美女だと、芳しきフローラルな香りに誘われたんだか何だか知らんが暗い中でもそう見破ったからこそステージの上からわざわざ端っこまで飛んで来たわけっしょ? 小猿なんか仕留めたって大して毛皮も取れんしさ、何だインディ・ジョーンズとかハンニバル・レクターじゃないんだから頑張って頭蓋骨開いて、ミニサイズのクソ不味い脳ミソくり貫いて食おうとも思わんじゃないのよめんどくさい」
「ニコの話はいいですよもう……そんで?」
――
「え――カッ、閣下が?」
「ビックリすんでしょ?……で折角カッカも加勢してくれてんのにオラも何かせな思って……ほらノブリス・オブリージュ?、カバん中まさぐってたら偶然?、催涙スプレーが手に当たってさ」
「ぐぐ、偶然?」
「うっかりハッピーデオかと間違えて、仰向けになったそいつの顔に近付けて噴射したわけよあくまで護身のためよ?」
「ハッピーデ?――いや、いや逆だろ……でもさすがミコさん度胸あんな。私だったら絶対ビビって固まってるわ」
「やホラ、逆にビビった時ほど身体が先に動く系女子だからさ……それにまず姫を守らにゃならん立場なわけじゃん? メガネならどうなろうと知ったこっちゃねえが」
「まァそういう奴に限って安全圏にいるからな」
「んで反射的に閣下とハイタッチしちまったよ」
「いやそれは吹かしだろ……でもカバンの中に武器無かったらどうしてたんよ?」
「そこはオイラ電車ん中でケツ揉んできた奴の指折ったことあっから」
「お、おう……えっ? いつもは痴漢する側なのに?」
悶絶する男(
「で実際何だったのそいつナゴヤンキー? ジャンキー?」
「普通にフラフラつか、泥酔してたっぽいな」
五分ほどで
「始まる前とかならまだしもさ、半分以上過ぎてたら中止になって結局再開しなくても普通に考えて払い戻しとかはねえべ」
余りしつこく絡んでも煙たがられると考えた御子神嬢は、安藤さんが携帯を
先ずギアナ王女による
更に今宵の
「その地下の国のポリスのメンズに感謝状とかくれるんですか?って訊いたらさ、」
「感謝状……欲しいすかそんなの、額に入れておうちにでも飾んの?」
「いや紙切れは早速来週の可燃ゴミの日だろうけど、そういうのってホラ金一封がセットのお値段かなと……めっさ苦笑いされたけど」
「……下手したらミコさんが傷害罪なんだからむしろプラマイゼロでしょう」
そろそろ終演予定時刻も迫ってきたことから、ぼつぼつ帰り支度を始めるアマデッコもちらほらと見え始めた矢先、会場の
「まァ管理体制というか……防犯面テキトーだった負い目もあったんでしょ。勝手にサツ呼ばなきゃあんな大事にもならんかったんだろし」
以上のような経緯もあって寝物語は二十二時まで継続され、その直後の物品販売も――多少時間は短縮されたにせよ――しっかりと開催された模様である。一連の説明により、希望の泉の畔で着信した電話のエル・トボソが未だ地上に戻っていなかった理由[訳註:第四十四章参照]および前章で語られた如く楽団員の
「――で結局のところ、」半坐千代は弁当に入っていた揚げ物を齧りながら以下の如き疑問を呈した。「そのイカレボッチは一体誰を探してたんでしょか?」
「そりゃご本人に訊いてみなきゃ分からんけどよ」王女は缶入り麦酒を煽ると、「SS的に妄想すっと、ヤツの女がアマギャでさ……推しのノロケみてえな礼賛ばっかいっつも聞かされてて内心超ジェラ嫉妬とストレスをストレートに溜め込みつつ黙ってヘラヘラ笑顔で聞き役してたのがさ」
「いそう」
「カノジョがミサってる今日この日によ、ひとりでイジケて酒飲んでる内に気付いたらそれまで鬱積したもんが爆発しちゃったとかでさ、んでハコ調べ上げて遥々名古屋くんだりまで車飛ばして、ほんでいっそ皆殺しにしたるでみたいなノリで――」
何処かで聞き齧った挿話である。[訳註:言わずと知れた第二十九章に登場せしボルランドの境遇に酷似した類例だが、彼に限っては第四十一章で一応の解決を見ている]
「大した妄想力だがそれじゃテロの第一の標的バンメンじゃねえかどう考えても」
「まあそこは凶器とか持ってなかったぽいし……狂ってる方の狂気には満ち満ちていたけども……いざ現着してみたらその頃にゃ酔いも半分くらい冷めててさ、女を探して無理やり連れ帰るかくらいにノルマ下方修正したんじゃねえの? 見た目イカつい割に中身はチキンだったとか知らんけど」
「ケンタッキーはフライドカラスで充分だっての!」
「不味そうだなっつかカラス食ったら腹壊すだろ」寄生虫や病原菌の観点からは、素人目に見ても
「それはもう分かったよ。既に玉にキズだらけな中古のミコさんはともかくとして、」
「せめてヴィンテージと云えや」
「ビンテージ……として、アンドー部長さんがそんなデバネズミの毒牙に掛かってキズモノにされずに済んで不幸中のお祝いですなあ」
「赤飯モンだよな」これは小豆等の赤い豆と一緒に調理することにより、赤味を帯びた状態で炊き上げられた米飯だ。赤は演技の良い色なので主に祝いの席などで供される。「そういう意味でも一歩間違えりゃ流血沙汰だったわけだが……出血箇所が何処になるかは別として。レンちゃん絡みだし今ちょうどここに居ねえことだし、ハナちゃんには内緒にしといた方が無難かな要らん心配掛けても何だから」
「まァあえて隠すこともないけど、わざわざ話さんでもよかでしょう」千代さんは一旦割り箸を持った手を下げ、ふと玄関の方を顧みる。「……いつまで入ってんだ?」
「ガス代気にせずお湯使い放題なの考えるとそこそこ分かりみある」
「お風呂はガスか……アレ水道代とガス代ってどっちが高いんすの?」
「一人暮らししたら分かるよ」花も三軒茶屋では家族と同居していた筈だ。「ってサンチョの髪どうなってんの?」
「何が?」
「バスガス爆発とまでは言わんけど何つうか……カラスっつかツバメの巣みたいじゃん」
「えっえ~~、そこまでじゃないでしょ?」両手で頭頂部を抑える千代さん。「ハナちゃんの変貌っぷりと比べたら誤差の範囲内でさ」
「いやアッチは髪の長短にかかわらず天使だから」
「逆にミコさん髪まったく乱れてないの何なの?……違う、出てった時と微妙に髪型変わってないか?」
「おっと違いの分かるサンチョなのか……」
「イケ好かねえ読モみたいになってんよ写真だとシャレオツだけど生で見ると何か」
「いやミサの最中はアシ異教徒だし髪とか乱れようもなかったんだけどさあ」御子神嬢は自身の長い髪を指で弄びながら以下に続けた。「その、アウトオブベースにさ、ブッカケてやった直後は割と余裕だったんだけど」
「アウトオブベースって何ですか?」
「サツにショッ引かれて居なくなってから何つうか遅まきながら?、シッコちびりそうになってきてさ」
「トイレ混んでたんか?」……いや、この心的外傷後にやや遅れて生ずる
「ニコニコーナちゃうわ。イライラっつかムラムラしてきたから、ここで個室籠もるのも何なのでな、ライブ中断してて無音な中独りでヘドバンしてたりしてたらさ」
「こっわ! それ捕まった奴よりヤベー奴じゃん!」安藤嬢は如何なる表情をしてその様子を眺めていたのやら!「怖ええ……コレに関しちゃその場に居なくて良かったわ」
「で一通り荒ぶって独りでスッキリしてたんだけど、気が付いたら髪がヤベーことになってて」
「偶然! 何そのお客様の中にお医者様はいらっしゃいませんかムーブ」
「しかもよ?、こっちがちょっと下っ腹抑えて……アレ、生理来たかな?……それとも糞詰まり?」
「その違い本人分かんねえのもう他の病だわッ!」
「……からの子宮筋腫……と見せかけてただの想像妊娠?とか自問自答してたら」大した想像力である。[訳註:《
「男の人なの?」
「いや姉さんだって」
「な……名古屋巻きって天むすの海苔巻きバージョンじゃなかったんか」
「エクステ出された時は流石にご辞退申し上げたけど」その美容師も時間を持て余していたのであろう。「その人も別にアマギャではなかったらしいんだけど何か昼間偶然タダ券貰ったとかで……いや普通に洗脳されてたけども、流石に出待ちまではしてなかったなその辺節度を弁えてるというか」
「あの場に残ってくれてたら私もタダで直して……あまつさえエビ天かフライドエビ巻いてもらえてたかもしれんのか」
「お前ミコ様に無料で髪も顔もヤラせといてどの口が云うねん中華の高級食材みたいにしちまいやがって!」
「いや色々あった上にメット被せられたし……何フカヒレ?――あっ北京ダック?」
「ツバメの巣といや結局何だったのアレ?」王女は蜜姫や蜂の騎士不在の今こそ好機とばかり、今まで気になっていた些か尾籠なる謎について切り出した。「大須観音とこでハトの襲撃っつか、集中砲火でも浴びたんかあの異常な量のウンコは?」
「私まだ食事中なんだが」
「オレもだが?」
「ほんとだ」
「熱中症対策でハトのフン実装したミストシャワーでも設置されてたんか?」
「アレは……いえ、ウンコじゃなくてインコな」
「えっインコ? アレってインコのウンコなの?」インコとは
「いや違いますけど……インコ違う」
「どっちなんだよ」仮に真実あれがインコの糞であれば、雨合羽の
「やめなさい。白かったしね」
「塩大福……豆大福的な」同じ小豆が原料でも、赤飯の米は赤く染まり、饅頭の中の
「エンコ……エンコード……エンジン故障……エンコ採用はブラックなのでは?」
「そういう科目がテストん中にあったら赤点取らずに済むのにな……お前ウユニ塩湖知らんのか世界遺産だぞ?」残念ながら世界遺産ではない。ギアナ王女は新しい飲み物を取りに腰を上げがてら、浴室の方へと首を伸ばした。「ちょっぱいの騎士さま流石に遅すぎじゃね?……世を儚んでリスカでもしてんじゃあるまいな」
「エンコでもねえこと言いなさんな動機は? 折角再会した織姫とまた離れ離れになっちまったから?」千代も手にあった菓子袋を敷布の上に投げ出すと、勢い良く立ち上がって以下に続けた。「アイスくらいは流石にみんな揃って食うべきか……でも栓してお湯出しっぱにしたまま、湯船ん中で寝ちゃって溺れてる説には一定の信憑性というか、一概には一蹴、しかねる現実味が――あ、る」
「塩分濃ければ溺れようにも身体浮いちゃいそうだけどね、ほれ死海とかさ」
「うつ伏せになってたら浮いても息できなくね?」それこそ土左衛門だ。
「ここの風呂うつ伏せで浮かべるほどそんなでかくねえだろ」浮力を得るには水面で全身を広げる必要がありそうだが、共同浴場ならいざ知らず個人で使う日本の浴槽などその広さや深さを鑑みれば、両手で膝を抱え縮こまって漸く収まるといった寸法であろう。御子神は瓶の蓋を素手で回し開けた。差し詰め廉価な葡萄酒か?「ちょっ――コンコンってやってみ? マジ寝てたら風邪引いちゃうかもよ」
「ほ~い」
「んで洗面所にグラスあったらもらってきて」
「ほ~えっ、そっちに何かインスタントの飲む用みたいの置いてなかったっけ?」
「夕方サンチョがシャワー浴びてっ時にメガネ女が各種勝手に飲んでたのがそのまんま」
「何なんマジで、どんな菩薩なら奴に優しくなれるんや……」友人や人間としてではなく、いっそ
千代さんが浴室の前に立ち、石の詰まった袋を握り締めたダビド像の左手を模するが如き姿勢で以て今にも戸板を叩こうとした刹那――Gachari...[訳註:原文まま]、奇しくも僅かに先んじてその扉がほんの少しだけ開かれた。
中学生が不意を突かれて後退る。
「おっと」
「あっごめんチヨちゃん――さん、そっちの棚に寝巻きみたいなの入ってたら一着取ってくれる?」
「お安い……驚安の御用で」従者は背後の衣装棚を開けた。
「ドニャ様、パジャマでおっじゃっま~」寝台の上から声を掛けるミコミコーナ。[訳註:翻訳では«¡Jámame, Pijama!»。動詞jamarは《
「あっいらっしゃい。お見送りご苦労様でした」
「お邪魔だけどパジャマではないだろ」寧ろ食後の飲酒の方に数倍の時間を費やしそうな長姉にそう吐き捨ててから、扉の隙間へとそれを差し入れる千代ちゃん。「さっき私も着ましたがまあまあでしたよ」[訳註:《
「ありがと。着る服なくなっちゃったんで、寝る前に洗って干しとこうかと思って」
「いいっすね。シャツとかショーツくらいなら朝には乾いてるっしょ……でもお湯洗い? 洗剤とかは?」
「ボディソープで。界面活性剤とか入ってるだろうからまあそこそこ落ちるでしょう」
「シャンプーとかのが傷まないんじゃないの?」王女が声を張り上げた。扉は玄関側に開くようで、部屋の奥からでは浴室内の花の様子が殆ど窺えないのだ。
「そんな高い物着てないんで大丈夫です」一旦扉が閉じられる。
「いやあ切ったら切ったでデルモ感エグいっすねえ~」
「いっそ坊主にしても全然イケるでしょ」
「献血のノリでやりかねませんな――っとすんませ」凭れ掛かっていた戸板に押される。
「お先に頂きました……お次どうぞ」
「あっじゃあ着替え――」
「ハナちゃん」
「はい?」
「髪ちゃんと乾かした?」
「ああ、短くなってたのでまあいいかなと」
「キューティクル開きっぱで自然乾燥さすと髪パッサパサんなるで?」
「ですね。一生懸命羽ばたいてくれたら直ぐ髪も乾きそう」
「いや怖いだろ目の前でコンドルにバサバサされたら」ここでカラスに頭部を蹴飛ばされた別の心的外傷を惹起する哀れな猫の従士!「つってもキューティクルハニー部長だってパサパサよりはサラサラの先輩のが喜んどるでしょう」
「日本語おかしいが……いつもか」
「さすがサラサーティ厳しいな!」
「だ~からサラサーティじゃねえっつの」
「でも早く汗流したいでしょう」
「全然待ちますっつかむしろ食い終わるまであと四五分掛かるので……あっ、ミコさんがサグラダファミリマで弁当とか諸々買ってきて差し入れてくださいますた」
「えっすみません、お気遣いいただいてありがとうございます」
「いえいえそんな、粗品というか粗食で恐縮ですけど」扉が閉じられると数秒後には戸板一枚隔てた密室内で
「あ?」
「見た目よか中の人の急変っぷりの方が……まァどっちも萌えるけど」
「いや見た目九割って自分で言っとったやん自分[訳註:第三十二章参照。花の
「いいよ後で」そう言って瓶ごと喇叭飲みするミコミコーナ。この場で飲酒できるのは自分だけなのだから他人を気に掛ける必要こそないとはいえ、自身の健康についてはもう少し気遣いが必要だ――と思われなくもない。「んあ~、全然違和感ないことに違和感ある……がまあいいわ」
「まあいいわじゃないわ。ミコさん名古屋には誰か友達住んでないんですか?」
「そんな人を港々に女いる船乗りみてえに……フニャチンじゃなくて船賃を寄越せよと」
「意味分からんよ船乗ってんの自分やん。まァ友達は元からおらんにせよ舎弟さんは?」既に便利店の弁当容器を空としていた従士は改めて
「今更射程外……よりは……舎弟まい……ない……舎妹内の――」
「寝るな寝るな何だしゃまいないて」冷たい緑茶の半分だけ残った可塑性瓶の底で王女の頭を打つ。「バレたら本気で怒られますて」
「いや実はね、」急に跳ね起きるギアナ嬢。「――ニコラス・ケイジが荷物取りにここ戻ってる隙にさ、フロント行ってアシも泊まりたいんだけどって申し出たんさ」
「先に言ってえな……じゃお部屋取れてるの?」
「部屋は別の階にまだ残ってたんだけど、ハナやんと同じ部屋に泊めてけろって」
「いやサンチョはどうなんのよ」
「したらお部屋のサイズ的にエキストラベッド入れらんないって抜かすから、いえ
「ホテルの人困らすなよ」
「金はシングル一室分ちゃんと払いますからって」
「金の力に物を言わすな……しかしそれをシラフの時に出来るのはちょっと凄いな」そうは言っても一室毎の定員は厳密に定められているだろう。[訳註:興味のある方は旅館業法や消防法を参照されたい]「でもオッパイセンが同じ布団で寝たらよ、寝返り打ったが最後その乳で弾かれてチッパイセンベッドから落ちちゃうだろ」
「人の乳をおっぱいミサイルみたく云うなこら」余談だが中南米で女性の
「何すかそれ大陸間弾道おっぱい?」
「飛び過ぎだろ世界を股に掛け過ぎだわ……何だっけインターコンチネンタル……バスト?……ブレストか」
「母乳を噴射して攻撃するの?」成る程、こちらのICBBは《
「それはチクビームだろ……いやアレ、サンチョはロケットパンチって知らない?」
「知らない。大陸間弾道パンツってこと?」着物を纏っていた時代の日本で下着といえば現代でも相撲取りが装着しているようなフンドシが主流であり[訳註:西洋人の中には冗談が通じない読者も居ることを考慮すべき箇所]、女性は基本何も身に着けないか腰に専用の布を巻き付けるのみであったとされる。洋装が浸透して漸く
「自分で飛ぶ?」
「例えばおならをジェット的な推進力にするのであればむしろパンツは脱いだ方が飛行効率も上がるであろう」
「オレもまだ飯食ってるんだって!……広げたパンツを飛行機の翼代わりにして揚力を発生させればいいだろ」滑空のみで太平洋の横断を試みるのは現実的でないので、何れにせよ何らかの発動機を搭載する必要が生ずるに違いない。「……いや破れるわ、ロケットパンツじゃなくてパンチだってのもうどうでもいいわ」
「墜落して太平洋の海原をたゆたうパンツには郷愁[訳註:哀愁?]をそそられますな……海面もさぞかし活性化するでしょうに」
「どこまで深読みしていいのか分からん表現だけども」中学生の発言に特に他意はないと思われる。「さっきの塩湖じゃないがそこまで海水に浸っちゃったら生地もボロボロだろうよ……穴も空いてっしもう使いもんに――」
――
「お待たせしました……」
「おっと塩の――騎士様おかえり」食事中でも
「結構な湯加減で……紫苑の花というと紫色の、菊の仲間ですかね。ちょうど今頃咲いてる――」このシオンこと《
「いくらなんでも長湯し過ぎでしょう」千代が冷蔵庫から程良く冷えた飲料を片手に出迎えた。「先輩の方こそフヤケてシワシワっつかシオシオの騎士になっちまったんでは?」
「シオシオ……かたじけない」一瞬自身の指先の裏表を確認してから、差し出された可塑性瓶を受け取って頬に当てる。「シオン修道会ならテンプル騎士団だね」
「シオンシオン……何だっけ高校の授業で歌聴いたな」御子神嬢は目を細めた。「あ、ローレン・ヒルだ……ローレン・ヒルの息子の名前」
「英語読みだとザイオンですか。エルサレムの山――丘かな、ダビデのお墓がある」
「ああ何か思い出してきた……ダビデってフルチンの人か」
「フニャチンどこ行った」
「実際にはイスラエルというよりアフリカなのかもですけど。まあ
「おっしゃる通り、妾も早く祖国アフリカの土を踏みたくてこの土踏まずが疼いておるよ」
「名古屋巻きがアフロを語るなよ、何が昼ですか窓の外をご覧なさいな」
「悪かったな。タレというかソースな」
「神とミコガミ様に感謝を捧げて有り難く頂きます」
「名古屋じゃ無理でも東京帰ったら、」小走りに部屋を縦断した千代が、最後に浴室の戸板の端から顔だけ出して捨て台詞を吐いた。「――ミコミコーナ様がアフリカ奪還のお礼に今度は六本木か、表参道?のビバリーヒルズで天ぷらご馳走してくれましょうからせいぜい楽しみにしときましょう」
「はい」
「ガキに食われれば……金が無くなり法隆寺」何処かで聴いた俳句である。「ビバリーヒルズじゃアメリカだぞアフリカのヒルズにしろや!」
「はぁ、びばのんのん……いやそれ言ったら牡蠣は天ぷらというよりフライだろ?」
「ほらビバノンはいいから早く浴びといで」これも何処かで耳にした記憶がある。
そうして扉は音を立てて閉まったが、王女は又もや葡萄酒を注ぐ為の
それにつけても全く我々の理解を超える少女たちの
「残りモンでしわけないもなんだけど」
「いえとんでもない……随分と色々買ってきてくださったんですね」
「まァ代金の半分はアルコールに消えてるわけですが……恥ずかしながら我が国には酒税法という、禁酒法にも劣る悪法が
「はぁ蔓延っておられますか……まァでも断種法よりかはマシでしょう」
「……うんまあそうかも」行儀良くもう一方の寝台に腰掛けた女子高生に対し、履物を脱ぎ捨て敷布の真ん中で
「……たしかにそうかも」王女の的外れな返答にも何か思い当たる節があったか(或いは単なる
[訳者補遺:《
「まだも一本冷蔵庫ん中入ってっけど、ドニャ様も一杯行っとく?――ぶどうジュース」
「ははは、残念ながら私にも未成年者飲酒禁止――禁ジュース法という悪法が」
「え~フランスとかスペインは子どもでもワイン飲むっしょ」
「まあ誕生日とか何かお祝いの時は水割りで飲ませたりとかするんでしょうけど……お正月のお屠蘇みたいな」これは
「怖い怖い、いや今宵はお祝いみたいなもんでしょう!」飲食店内で注文したり、路上で酩酊して騒いだり、若しくは家庭内でも分量を誤って昏倒し救急車でも呼ぶ羽目になるなどしない限り
「卵酒?」
「あっ卵だったらあるよ!」御子神は腹這いになって寝台の縁から身を乗り出すと、壁際の絨毯上に置かれた冷蔵庫へと手を伸ばす。「何か知らんがふたりともビショ濡れ――おっとっと、アレ? エッグノッグとかって
「まぁ元々は冬に飲むものでしょうから。冷製なら構わないんじゃないですか?」
「そうだね……あと安ワイ――ンジュースしかないんだけど、ブランデーとかじゃないとやっぱり薄い?」
「いや濃い方が問題ですけど……ロンポーペっていうくらいだしラム酒でも美味しいかも」どちらかと言えば
「じゃお姉さんひとっ走りして下で生麦生米生卵買ってくるわ」
「いやいや撹拌しないので問題ありませんこのまま頂きます」
「あっ――まァ折角なので、サンチョめが戻ってから……サンチョ~めの夕日でも眺めながら一緒にカンパイしよっぜ」
「なるほど黄身がちょうど夕陽みたいな色になってそう」
「そうそうそんな感じ……リアル朝日が出るまで待ってる忍耐力はさすがにねえしな、ここ何丁目か知らんし」王女はひとつずつ別個の
「胚はともかく濃厚卵白とかカラザは喉に引っ掛かりやすそうな」
「うんあののどごし生はたしかにヤなもの思い出す」
「何ですか気になりますね」花は相好を崩した。「頂き物のゆで卵もですけど、あの後ご馳走になったお寿司屋さんの玉子焼きも美味しかった。私のは錦糸だったかな」
「大将もいい江戸っ子じゃねえ駿河っ子か――だったよな。値段の割にいいネタ使ってくれてたみたいだし……あれで車でなかったらなあ」
「私もチヨさんもノンアルのアドヴォカートで乾杯は望むところですがミコガミさん今晩この後どうなさいます?」花は女子大生が静岡の夜と同様、今宵も自動車を運転して馳せ参じたものと思っているらしい。「ここで部屋取ったんですか?」
「シングルの空きなかったんで、同じ値段でもちっと下の階だけど多分ここと同じツインの部屋にしてくれたよさっき」御子神嬢は僅かに腰を浮かせると、尻隠しから板状鍵を取り出して見せびらかす。「使わねえの勿体ないし、ここ好きなだけ散らかしてからサンチョだけ残してふたりでそっち泊まらないか?」
「だったらチヨさん連れてってあげてくださいな」
「ヤツと寝るくらいなら独り寝のがマシだけど」空き瓶を床に置きながら、「誘い込まれて部屋入ったらツインじゃなくてダブルでした……とかそういう心配?」
「いえいえそれは全然。ただ私イビキはないと思いますけど寝相に自信がないもので」それでせめて目が覚めている間だけでも大人しく振る舞っていようとでも?「まあでもダブルベッドなら川の字でも寝られそうですよね」
「それだと棒の長さ的にサンチョが真ん中になっちゃいそうだ」例えば漢数字の《
「末っ子が落っこちないように左右から欄干の役目を果たさないと」
「それそれ義姉妹の――何だっけ《銭湯の誓い》だっけか」
「えっ、何のです?」
「ミコさんが預かってることちゃんと伝えてなくてしかもそれがギリギリでバレてさ、したらサンチョがヘソ曲げてもうそりゃチョンマゲ状態よ」[訳註:《
「ええっと怒髪天を衝く?」
「突きまくり」今朝再会した時点で打ち明けていればそこまで拗れることもなかったろうが、それを言ったら騎士の方にこそ静岡以降何度も切り出す機会があった筈である。「ちょっと夕方闇堕ちされちゃって」
「闇討ち?」
「ほら言うじゃん、フォースの暗黒面に急降下みたいな」
「ああ……ふふふ」嘗ての女子高生は電視塔の展望台でのことを思い返して思わず噴き出してしまった。あの時
「つってもアレがなきゃアタシもこっちくる口実捻り出せなかったし、押し付けた言うたらパロミンのショーとか体の良い厄介払いっつうか行かない口実代わりに、そっちが流れ的に断りにくいシチュで引き取らせちゃった感あったからさ」
「パロミさん居なかったらあの晩はまた岡崎で野宿でしたよきっと」高尾山、箱根峠、松林生い茂る砂浜、寺墓地……街中の路上で寝転がっては流石に
「それ翻訳すると目糞と耳糞ってことになりそうだが」そう笑いつつギアナは立ち上がったが、伸縮性に富む敷物に足を取られ僅かに
「あっ」
「――っとだいじょうびだいじょうぶ……ただのフラダンスでおま」誤魔化しついでに両手を水平に波立たせるミコーナ。次いで両足を弾ませ布団を蹴るや――もしや対岸の
「ブラーバ!」花は小刻みに喝采を送る。「メンコの方?」
「ワインじゃブルーハワイン作れんしな(原註:然しものミコミコーナとて
「ロケハンですね。肩お貸しします?」
「そうそうロケハン……組んず解れつはアシもお清めしてからにするわ」肩以外の部位を貸与するとは一言も云われておらぬのだが。「まだ酔っちゃいないんだけど流石に利尿作用が……ドニャキ様はロケパンて分かる?」
「ロケ――イションパンティング?」
「スパンキング?」爪先を
「スパ……あっパンチか」花は箸を握ったまま両手を前に突き出す。「肘というか、アレですよねロボットの手首から先がこう、ポーンて飛んで攻撃する」
「高校生には通じた!」
「何だっけ鉄人……違うか、ガンダムとかよりも前ですか?」
「そんでもまだ壁はあった!」ギネアは廊下の半ばで足を止めると
「ヒドラジン……アンモニア?」花は弁当の容器を脇に置くなり両腕を大きく広げ豪快に倒れ込んだので、短い洗い髪も敷布との間で容赦なく押し潰されてしまう。「
「あ」――
極端な温度差により発生する湯気から顔を背けた王女の瞳にも、高校生の薄い胸が微かに上下するのが映った。(これがサンチョならば上下するのも
冷房の効いた寝室空間とは打って代わり、浴室の中は
「ちょいとごめんよ?」
「うわッ!」何気なく横を向いたところ、出し抜けに内側へと押し込まれた吊り幕を目の当たりにして危うく浴槽内で転倒しかける猫の従士。
「――かばねの……驚かすなよ漏れっだろ!」[訳註:《――
「こっちのセリフだシカ――シネバカ!」吊り幕を押し返しながら、「……あっ、鍵掛けてなかったからか」[訳註:《
「お花の積み下ろしに参った」
「未成年同行者がハイペースで飲みすぎでしょ……」千代さんは心底呆れた風に溜息を吐いた。「小さい方ならまァいいけどでかい、ラフレシアみたいなの下ろすならサンチョがお風呂上がってからにしてよね」
「安心せよ顕微鏡サイズで――っと、風に吹かれる、野に咲く花だからっつか、仮にでかい方だとしても乙女の野菊の蕾から
「なんて?」突然止む噴水音。
「いやシャワー止めんなよ恥ずかしいだろ。覗かないでね恥ずかしいから」
「はい」――
「何で?」
「ミコ殿下ポリフェノールでお歯黒べったりみたくなってるんじゃないの?」
「お歯黒て、イカスミかお汁粉がぶ飲みしてるんと違いますから」色素は徐々に沈着していくものだろうから、日頃から常飲しているのであれば今晩だけ気に掛けたところで最早手遅れである。「てかアシも自分の部屋行ったら多分二本置いてあるよ」
「あそっか。だったら自分ちのトイレ使ってよ」
「間に合わんかったら困るでしょ……あ、ドニャ・キホーテロケットパンチ知ってたで」
「どうでもいいことよくご存知の方なんですよ……きっとパンツの方も訊けば詳しく解説してくれることでしょう」
「それはお前の創作だろ」
「どうでもいいけど姉さん今おケツ丸出しで会話してんすか?」
「そう云うお前は全裸だろ? まったく恥をお知りなさい」
「そ、そんなこと言われてもな……まあイカレポンチって言葉もあるくらいだし、」この単語が果たして日本全国で通用するものかは心許ないが、どうやらこれは《
「ポンチかパンチかパンツかで統一してくれよ」けだし揃って
「それはサンチョも知ってますよ」
「いやベツジンガー……87号か」
「多いな、明らかに作り過ぎだよ」そこまでの試行錯誤を繰り返す前に計画そのものの見直しを審議すべきである。「ん、マジンガー……ドラゴンボールってフリーザの次に人造人間みたいの出てくるんでしたっけ?」
「アレは18号さんとハゲが異種間交配するヤツだろ、むしろ子作りしかしとらんわ」
「ハゲって言うなよ」ハゲとは
「買ってねえってのに」暗黒大陸の
「あれはドッペルゲンガー
「それってそういうもんだっけか」女子大生が
「何て云ってました?」
「普通に私?」
「それ私専用の一人称じゃないですか!」これは我々外国人が第一に覚える«yo»――則ち一人称単数の代表的な和訳だ。口語的には主に女性が使う
「他に一億人くらい使ってる思うが」嘗て我が国の
「じゃあひとり一円ポッキリずつ頂こう……ドゥルシネーア様からはさすがに徴収しづらみあるな。姫だけ免除で」
「ああそっか」御子神が両手を打ち合わせる。「レンちょんに似てるんだ」
「何が?」
「いや話し方……いやレンちょんの方が似てるのか?」
「つってふたりとも違うタイプの美人さんじゃない?」《
「メガネはともかくサンチョは可愛い方だと思う」
「え、何で急に優しくなるん……ミコさんそろそろ死ぬんか」
「ああさっきいきなり誰かにシネバカとか云われたしそろそろ死ぬのかも」
「いやそれは……あの、シカバネって云ったら嘘になるし、まだ生きてる人に対して」嘘吐きになるよりは殺人鬼となった方がまだ尊厳が保てるようだ。「どうでもいいけど何リットル溜めてたんですか? 膀胱でか過ぎくない? まさかそのパイオツん中に――」
「もう流したよお前こそいつまで浴びてんの、何をそんなに洗い流してえんだ限られた資源を湯水のように使いやがって」
「んなことある?」穴の開いた船底を持つ浴槽内で溺れ死ぬ前に、神の御業を以ていち早くしとどに降る雨を止ませてしまう末恐ろしき半坐家の長女。
「ランチさん……いやミツイ」心境の変化や覚悟の表明により髪を短くしたり髪型を変えることは珍しくあるまい。聖職者の剃髪などはその最たる例である。「そしてハナミチ……ハナミツ……いやこの掛け算はないか」
「どう考えても部長さんが尻に敷く側でしょう」
「そっちの話じゃなかったけど。まあレンバナだな」
「怪我がなくてもやっぱ毛が……無くなってその、そのケも無くなったとかか」となると従士の思い過ごしではなかったものと見える。吊り幕の隙間から片手を突き出して、「タオル取ってけろ」
「二枚並んじゃってるけどお前のどっちだ?」
「私のは……少しは乾いてる方?」湿度の高い浴室内に干していたとはいえ、最後に身体を拭いてから六時間以上経過しているのである。使用して間もない花の
「はい、二分の一の確率で美女の裸を拭けなくて可哀想ってる方」
「どうも。持ち上げた直後に手のひら返しエゲツな」
「調子乗んなし……ああ、こういうヤツか」王女は歯磨き時に使う為の洋盃を手に取って眺めつつ以下に続けた。「何かサンチョと別れた後にショッキングな体験してそれ忘れる為の断髪とかじゃなきゃいいんだけど」
「いや失恋女子かい」
「うっかり黒い章を見ちゃって醜い人間世界を儚んだとか」つくづく
「ワイも生前の[訳註:音源まま。翻訳では《
「ちゃおちゃうんか」
「ちゃお高いよ……んで黒い章て何? サクロイショーの親戚?」
「クロカワキショーの息子だよ」
「クロカワキショーも分からんが名字変わっとるやん……黒い飛翔体にはかくいう私もタイガー&ホースを植え付けられましたけどな」今一度腕を突き出すパンサ嬢。「ロケパン取ってくださる?」
「ロケット付いてんだから自動で飛んでかせろよ」
「冗談だよ」身拭いを全身に巻き付けた従士が浴槽の縁を踏み越える。
「バスマットあんま濡らさないでね。すぐミコさんも使うんだから」
「だから自分の部屋の風呂使ってってば……いや狭えな」一向に退室する気配のない大ギアナを前に、千代さんは渋々用意した衣類を身に付け始める。荷物が大きかっただけあって、彼女にはまだ
「何、パンチラ?」[訳註:《
「チンチラ。チンチラが……どうにかしてビクッたとか、《ビクッたにゃ~》」[訳註:西訳では「
「何だ《ニャ~》ってのは」
「さあ……ニャゴヤだからでは?」ビクーニャとはアンデスの山岳地帯に生息するラマに似たラクダ科の哺乳類だが、その女王の如く気高い毛皮はかなりの高値で取引される。
「いや聞き捨てならんのだけど……まあここは、敢えて聴かなかったことにしとこ」御子神嬢は鏡に映った自身の巻き髪を軽く持ち上げてから、「――ほいドライヤー」
「どもども」――
千代さんは
従士が扉を閉じようと戸板を脇へ押し退けるや、並んだ寝台の一方に腰掛けたミコミコーナがその扇情的な口唇に自身の人差し指を押し付けているのが目に入った。
(……
「おかえり」
「「うあっ」」不意に上半身を起こす阿僧祇花にその前後で肝を冷やす姉妹。「ビクッとなった~……いやにゃった」
「――なさいおふたりとも。ミコさん下見の成果はいかがでした?」
「した――下着?」
「そのお借りしたっていう……狩り場の」
「何ですかミコーナ殿下、こんな時間から男漁りですか?――《
「黙らっしゃい」
「あら残念」
「開けっぱになってる方が危ないわ何の為に鍵持ち歩いてんのよ」千代は卓上の可塑性瓶を手に取って一口煽ってから以下に続けた。「つか仮じゃなくて今からそっちお行きなさいなってば」
「でも例のプールも付いてないみたいだし」
「誰も泳がんでしょうが。例のバスルームなら同じの付いてんよたぶん」
「まあまあ、その前に」冷蔵庫を開けるミコミコーナ。「――新種発見で乾杯しようぜ」
「おっとそうでした」
「白いたまごっちで申し訳ないけど」
「温玉もう出てるよって――えっ?」長姉の手に握られた
「いや独りでに」
「んなわけあるかい」
「ほらハナちゃんも居たし……ふたりでに」
「こらこら」義姉と義妹が浴室に籠もっている間にこっそり盗み飲みしたなどという身に覚えなき嫌疑を掛けられては頂けない。「天使の分け前というのじゃないですか?」
「そうそう、さっきも言ったっしょエンジェルズ・シェア」慥かに位階に依らずどんな天使でも人間の膀胱よりは酒樽の中から
「
「パンツ穿いても酒吐くなってな」卵用容器を音を立てて開封する。「それではご来場の皆様お手元の方……乾杯の用意は宜しいでせうか?」
「はいお願いします」
「姉さま方殻ごと飲み干すおつもりで?……ヘビか何か?」
「先に剥いちゃったらグラス感出ねえだろ」
「そういうことか」王女の真意を汲んだ末妹が卵を持ち上げる。「はい……まだ?」
「では我ら三姉妹の奇跡の再会を祝して~」
「キセキて!」
「「「かんぱ~い」」」――チンチン!「ウィ~ニ~か……えっとたしかチンチンはビジン語なんだっけ?」[訳註:第十八および三十六章参照。正しくは他言語話者間で意思疎通する為の
「何だよそのお前は帰れみたいな目は。ウィンナーはもう終わったよさっき」[訳註:勿論ここでの独Wienerは主従が参席しそびれた《シェーンブルンの夜伽》を指す]
「サンチョ割る時白身布団の上にこぼすなよ半熟だから」
「あそっか、そうだ」
「割る前に振ると中の白身が殻から離れるらしいよ」
「シェイクですな」両掌で卵を包んだ千代さん、戯けて片方の肩の上へと持ち上げる。「あんまやんと黄身割れるか。温泉卵とポーチドエッグって同じ?」
「全然違うわ。あれは殻割って中身だけ熱湯にブチ込むヤツだろ」
「落とし卵ですね」
「割るとドロっとね、出てくんの」
「前うちのチカさんが何かにカブれて作ったエッグベネディクトらしき何かは白も黄色つかオレンジも、八割方凝固していた記憶があるんだが」
「そりゃたまたまだろう……チンチンといえば」慎重に殻を剥きながら、アフリカの王女が花へと向き直ってその顔色を窺いつつ以下に続けた。「チンチラは何の略だっけ?」
「略?……略というか、アンデスのチンチャから来てるんですかねえ」
「チン――チンチャ?」
「ほら、トルタがトルティーリャになるみたいな」
「トルタってタルト?」元を辿れば同じであろう。[訳註:焼き菓子を意味する羅turtaは《(生地を)撚り合わせた》が語源か。因みに南米では西tortaもtartaも甘い洋菓となるようだが、前者に限るとイスパニアでは特に丸くて平たい
「……チンチャ、チンチーリャ」
「チンチャだってよ」安堵とも落胆とも取れる声色でサンチョへと首を巡らす。「チンチャがチラ見したら何だっつんだよ」
「知らんがな。そもそもチンチャって何よ」[訳註:第三十七章の序盤に著者による詳説が見られる]
「三茶みたいなもんだよ」そう云って悪戯っぽく笑う阿僧祇花。「――ラ・サンチャ?」
「地名か」
「チンゲン茶屋ってこと?」
「あちゃうわチンチラてアレだわリスみたいな……ハムスケみてえなヤツだよグレーの」
「ペットのネズミかよ」原産はチレだが、現在毛皮獣ないし愛玩動物として流通しているのは養殖されたものばかりだと謂う。「それがドアとかタンスの陰からさみしそうにこっちチラ見してくんのか?」
「それじゃもうチンチラチラだろ……ダメだ酒と先入観で脳みそバグってた」酒は兎も角、
「買う時気付くでしょうに……マツコの玉子には塩付いてたのにな」
「マツコのタマとかリアルなこと云うなよ」王女は花に訊ねた。「マツコて誰?」
「私の――エビ用のソースならまだ少し残ってますが……」未だゴミ袋へと移さず傍らにあった弁当の容器を今一度膝の上に戻す。「流石に情緒がないか」
「いや折角のご厚意です。頂戴しましょう」使いかけの小袋を指先で抓み受け取り、殻で象られた即席の盃の縁から黒い液体が注ぎ込まれた。「ご覧なさいな……闇夜に望月が」
「うさぎが餅でもついとりますか?」
「――掛けたるタルタルもなしと思へば」
「タルタルじゃなくてすみません」
「いやむしろオイスターが星空を彩って……何なら風流にも白い雲が掛かってるまである」
「不吉っつか不健康そうな色使いですよ」千代は塩分の過剰摂取に警鐘を鳴らしつつ自分の洋盃を掲げた。「サンチョは卵本来の味をそのまま頂くことにしますわ」
「では私も」
「……その頃ミコミコーナは、右手に収まる小宇宙の中で輝く満月の光に幻惑され――」
「意外と黄身濃くて美味いっすね」茹玉子のように口中が砂を噛んだかの如く渇くこともないようであった。「弾力」
「おいしいおいしい……ごちそうさま」
「――我を忘れていつしか一匹の狼へと……」殻の上下を反転させて一息に卵黄を飲み干すと、「ソース
「一匹だけシャワー浴びてないメスオオカミ居た気がすんですけど」
「――お風呂場に向けて今旅立つのであった」
「だから自分の部屋に向けて今旅立ちなさいって。お金払ってんでしょ?」
「狼女って云ってよせめてさ」卵殻を容器に戻して客室の隅に置かれた屑籠へと放り投げる……
「メガネのせいでもうフェイスタオルくらいしかの……いやタオルだけ持ってきてここで浴びる意味が分からんし」
「おっつぁんがよ、あの時タオルさえ投げてくれりゃ……」
「そうださっき狼男さん……
「えっいいん?」
「本当はこういうのって一度洗ってから使うものなのかもだけど」
「かめへんかめへん、むっちゃ助かる」差し出された袋ごと受け取って、「アシもでかいタオルまでは持ち歩いとらんからさ」
「髪濡らさなきゃちっこいタオリーリャでもじゅうぶん拭けるっしょ!」
「いや洗うさ汗かいてんのに。頭皮の皮脂の過剰分泌がヒシヒシと伝わってきておる」
「うちらみたくオカメウンコ被ったわけでもないのに……いやせっかくタダで名古屋ロールしてもらってんのに」王女の髪は現在優雅な螺旋を描きつつ垂れ下がっているとされる。「もったいないやんけ!」
「おめ舞妓さんじゃねんだから一週間そのままってわけにいくかい!」
「ベントーギャのくせにそれで髪拭いて鏡見たらアマデ色の髪のオト――男好きになっててもうても知らへんで」おお、恨みがましいこの化け猫は今朝方ネクロカブリーオの頭頂部に不意打ちで貼られたルートヴィヒの
「アマデ男に好かれたのはドニャキ様一択だわ」スエズ湾だかアカバ湾だかを挟んで両者にどのような意思の疎通があったのか、その場に居なかった我等は勿論のこと、居合わせた彼女らにとってすら看破し得たとは到底思えぬ。「まァ閣下とオレの間にはある種の戦友的な絆が芽生えておらんかったとも言い切れんけど」
「ずいぶんと大きく出たじゃないか」件の侵入者を撃退する際に実際如何なる荒事が出来したのかについても、ラ・サンチャの主従にせよ我等盗聴者にせよ御子神嬢の証言の他に拠るべき手掛かりがないのである。「時代はキズナじゃなくて手綱なんじゃなかった?」
「いいんだよどうでも。強いて言うなら東西横綱だわ」宿敵たる立場の両雄が、共に手を取って悪漢を撃退した(或いは私刑に処した)のだった。「ミコミコーナはアマデなんぞより亜麻色の髪のドゥルシネーアとの甘いひとときのがずっと深く心に刻み込まれてるしな」
「亜麻色ってベージュみたいな色っしょ?」
「え?」
「何だババアのパンツ被せるって……ああそういうことか」紙袋を手にした矢先に出鼻を挫かれたギアナは知らず知らずの内に(酒瓶ではなく)十秒足らずで飲み干せるような別の缶の栓を開けていた。「いやどういうことなのか……つか亜麻色ってサンチョが云い出したんじゃなかった?」
「私が云い出したのはたしか飴色です」然程の違いはない![訳註:第三十三章参照]「いやドルチェ姫的にはキャラメリーゼと呼ぶべきか?」
「レ――ドゥルシネーアの髪は濡れ羽色じゃなくて?」
「ハナちゃん《カラスの》を付けて!」カラスに頭髪を濡らされたのはその花ちゃんの方だったのだが。[訳註:前の二章に拠れば千代さんが頭部に被った糞害は何れも兜を挿んでのことである]
「若しくは
「ぬばたまの黒髪に白きつるつるたまご肌ってな」これは言うまでもなく殻を丁寧に剥いた茹玉子の肌理細かな球面を模した隠喩だ。「まァね、色々ありますよ」
「色々な色男を知っているエロ女が言うんだから間違いない」従士は隣で懲りずに喉を鳴らす御子神に警告を物した。「シャワー途中で尿意催しちゃってもちゃんと隣の便座に移動してから出してくださいねめんどがらずに」
「お前サンチョが閣下からさっき直接お言葉を賜われたんも、ひとえにお前のご主人様のおかげやぞそこんとこ解ってる?」
「そんなことはないでしょう」
「いや完全にオコボレでしょ。パッと見て同じ尼さんのカッコしてたから」恐らく屑籠か、収まり切らなければ絨毯の上に打ち捨てられていると思しき一組の(
「ケッ、出し汁大いに結構。カツオ節でもヨロ昆布でも――」これを目の前で聞かされたドニャ・キホーテの心境や如何に?[訳註:第四十二章の鶴舞公園内噴水池の畔にてマルッペ相手に交わされた謎の出汁談義を踏まえた老婆心]「椎茸からでも好きに取りゃいいが松茸、てめえはダメだ」
「誰が松茸から出汁取んだよセレブかよ」マツタケ《
「ボーボーは生えてこねえよどっちも……生えますか?」
「そんなカイワレ大根とか、お店で売ってるエノキなんかならともかく[訳註:野生の榎茸は一本一本の傘が広く柄も太いものが多い]」何と答えるべきか返事に窮した花は取り敢えず話題を転じた。「でも昔は椎茸の方が貴重品だったんだよね……価値が逆転したのは戦後くらいなのかな?」
「それ見たことか。ヤツなんざその程度のもんよ」
「ヤツなんざて、庶民のくせに何の恨みがあんのさマツタケに……革命でも起きたの?」
「きのこたけのこ
「ほらアカマツって元々は――」花は説明しかけて開いた口を一旦閉じてから、「近代日本の燃料事情とかって興味あります?」
「ビックリするほど無い」ギネアは紙袋の口を開く。「燃料よか食料……たく閣下も気が利かんよな、乙女の気を引きてんならタオル一枚なんぞよりワインに合うキノコ系の缶詰のふたつみっつか、せめてきのこの山かまつたけのこの里でも――」
「いや福袋じゃねんだから」声楽家は少女ふたりの余りに悲惨な出で立ちを見兼ねたからこそ、販売用に持ち込んだ物品の中から彼女たちが衣服を拭浄できる物を――わざわざ階段を下り地下へと戻ってまで!――見繕い手渡してくれたのだ……食べ物までせびったのでは真実ただの物乞いではないか?「それ以前に酒のツマミとか、それ少なくともアンタの気を引く意図は皆無でしょうに……もうここのお風呂使っていいし邪魔もしないからとっととタオル借りて浴びてきてくださいよ」新たに別の菓子袋を開封しつつ、「こんままダラダラしてたら更に続けてもう一本開けかねん」
「ファック……ぶくろ」何故か王女は、必要物を取り出さぬままに一旦紙袋を閉じた。
「こりゃ完全に出来上がってますな」千代は立ち上がると、床に設置された冷蔵庫まで足を伸ばす。「お年寄りみたく風呂場で転倒とかしそうならやっぱご自分のお部屋で転倒してもらいましょう……白玉子も食ったことだしそろそろアイスで〆ます?」
「あれ、私入ってる間に交換してきたの?」
「そんな一本のガリガ――ああああ、」大きく首肯する猫の従士。「な~るなるなる《一杯のかけそば》ってそういうことか[訳註:第十一章参照]……どこかの武将じゃあるまいし一本のガリガリを三人の娘に分け与えるなんてケチな真似はさせませんよ」
「悪かったなダッツ三つ買ってこないケチな似非姉貴で。毛利のおっちゃんも四五百年経ってからこんなとこで変な引用されるとは思わんかったろうに」
「姉さんが弁当と卵と飲みモンのついでに買ってきてくれたんす」
「重ね重ね……」義理の次女は低頭する。「でもロートシルト――ロスチャイルドならもっとヤがったと思いますよ」[訳註:嫌がった≒矢があった。ロートシルト家の紋章に描かれた五本の矢は創始者マイヤーの五人の息子たちの表象とされる]
「そりゃチャイルドをロスした親御さんなんかの苦しみに比べたらアマロスなんざ知らん内に解消されてるよ」
「だからあまちゃん視てなかったんで分からんすっつか失うものがねえ」
「……アマデウスの方じゃなくて?」花が長姉の
「そっちは年末まで金貯めて冬の陣に行きますよ渋谷か下北か……」従士は中学生らしからぬ悟り切った笑みを――揚げた芋を頬張りながら――浮かべた。「新宿か……それとももうこの辺が足の洗い時なんですかね?」
「サンチョはもうその方が幸せなんかもしれんな」このまま
「どうしてです?」全く興味がなかったであろう安藤部長に加え、宗派の異なる――それはもう
「ルドビじゃなくてアマデの?」千代は目を丸くした。「おいおいどうした。敵に塩ならぬ塩の騎士を送り込んでライブ会場に死体の山を積み上げようってテロ扇動系の陰謀説?」
「それもう
「何でしょう?――QRコードなら聞いたことありますけど」[訳註:英Quick Response《即時反応≒迅速な読取り》]
「PRというかアピールっつうか……」しかも直後には情熱的なプエルトリコ人でも赤面しかねぬような
「サンチョの耳には別にセレナでもゴメスでもないように聴こえましたが」
「生意気にディズニーかよ……日本人ならポケモンで喩えんかいッ!」
王位継承者が衝動的に紙袋の中へと手を突っ込み、勢いもそのままに(正面切って異を唱えた
「――ウップス、何か落ちやしたぜ?」一瞬身構えた半坐千代は、攻撃が中断されたのを見てとるや対岸へと身を乗り出して、御子神嬢の尻の直ぐ隣へと手を伸ばした。「……えっもしかちっこいタオルもセッ――」
「たおらんたおらん」
「……ん?」それは恰も
「こっち見んな、サンチョちょい手ェ出してみ……いや両方要らんわロケットパンチ打つなや」王女は従士の手から上下の開いた布製の浅い筒を引っ手繰ると、突き出された片腕に通し――嵌めた。
「……
「アホ?」
「アホらんアホらん」先刻のミコーナに倣いつつ[訳註:前の«¿Toallar?, ...no.»に対し、«¿Ajorcar?, ...no.»。実在する動詞にahorcar《
「血圧計るヤツ?」
「アホるな[訳註:«¡No te ajorques!»は《
「バッ……あっもしか楽屋入れるヤツ?」千代は浴衣の袖の上に通された
「いや……」
「――あっこっちにも入ってた」片方にしか入っておらぬとなれば、仮に渡したい相手が一人であった場合には届く確率も半分となってしまう。「……やっぱセットのお値段?」
「
「未使用分も含めてミサ後に撒くようなのって普通ステッカー状のかさ、せいぜい
「えっ、貰っちゃって良いもんなの?」
「いや普通終わったら返すヤツだよ」
「で……すよね」従士が
「まァだとしたら紙袋一個にまとめて入れとけよって話だろけどな」
「やっぱ黙って貰っちゃったらマズいすかね……医者じゃないけどハンザイシャになってまう?」[訳註:最初に医者と結び付けたのは第二十六章の馬場嬢だが、第九章末には本人自らが《ハンザ・ザ・ハンザイシャ》なる不名誉な二つ名を生み出している]
「どうだろ流石に盗難届までは出さんと思うけど。使い捨てのゲストパスとかと違って一応ハコ側で管理してんしょ」地下の床に落ちていないか物の数分探すくらいはするだろうが、それで見付からなければ予備を持ってくるだけだろう。「バレねえだろうとはいえ拾得物横領罪にはなんだろから、犯罪者だけどギリ容疑者にはならねえってだけなんでは?」
「……明日もっかい行って返してくっか」もう戻ることなどないと、そう嘯いたその口も乾かぬ内に!「め、メンドッ!……面倒さ、ほせ」
「昼間とか開いてんのかなあ?」ミコミコーナは自身の携帯を取り出した。「閉まってるにしても誰かスタッフが中に……名古屋はミサ今晩だけだったんな?」
「分散させても隙間目立つだけだし」一方で先週の東京では日程が三晩に及んだにも拘らず、彼女は友人に汚された自分の尻拭いをすることさえ叶わなかったのであった……何せ
「この時間になったらもう無人っしょ」半券には番号くらい記載されているだろうし、手許に無くとも端末で検索すれば数秒の手間に過ぎないものの、何れ日が昇った後でなければ用を為すまい。「まあ郵便受けに押し込むとか出来なくもないかな二枚くらいなら?」
「行くならまた地下鉄かまた……ああああ結局チャリどうしよ明日?」千代は敷布の上に身を投げると悶絶するように転げ回った。「バスは今から予約しとくべき?……幾らくらいっつってたっけ?」
「暴れるなよ揺れる。往きと同じで復路もまた漕いでくんじゃないの?」
「無茶おっしゃるな」跳ね起きたかと思えば、腕に通していない方の通行証を主人の胸元へと恭しく差し出して、「先輩どうぞ」
「……どうも」
「返すんなら配布しちゃダメじゃん一緒にしときなや」王女が従士の顔に操作していた液晶画面を向ける。「明日の夜限定だといっちゃん安くて
「よんご!――当然一人当たりすよね?」
「当の然」次いで端末を裏返すや、背面に付いた
「気が利くじゃまいか! さすが出身地アフリカ!」
「じゃまいかアメリカだバカ。ちょっと寄って」
「まァ恩着せがましくこれ口実に、」千代は空になった弁当の容器や菓子袋を脇に避けると、花の隣に腰を下ろす。「ちょいと失礼して――単にドニャキの生写真を、しかも風呂上がりの、自分の携帯に保存したいだけってのは分かってる」
「分かってるならいちいち口に出しなさんな……騎士殿それ、」ミコミコーナは少しばかり唸ってから以下に続けた。「――ハナちゃ腕細すぎんから、いっそ太腿とかのが映えるかも」
「なんて?」
「え?……こういうことですか?」花が長靴下を履くような手振りを見せる。
「いやいくらなんだって先輩の太腿よか私の二の腕のが細いよッ!」
「それ
「ノラクロだか白黒だかはともかくこん中で――」千代は主人と揃いの浴衣の裾を整えつつ反論した。「この建物の……つか今うちらいるニャゴヤ市ん中でミネ感あるのってアナタくらいでしょきっと」
「ほらシールとかのパスだとこやってさ、」王女が自分の片腿をピシャリと叩いて、「脚に直で貼ったりもすっから」
「それサロンパスじゃねえの?」
「いや折角だからお御足をってあっ、今パンイチか……ん?」着替えが枯渇した故に今晩まとめて洗濯してしまうという話であった。「ダメッ、シャロンがストーンしちゃう!」
「ランジェリーナ・ジョリーじゃねえんか」
「あは、下着くらいならドライヤーでも直ぐ乾かせるので」花は茶目っ気のある笑みを見せながら、
「ですよな……まァ新品の予備持ち歩いてるから必要なら差し上げるけども」
「何? エロいのはいかんよ?」
「エロイカ……いえ、私には――」花は左右合わせて十本ある筈の指の内、特に一本を誇らしげに掲げて以下に続けた。「既にこの子がおりますので、宜しければお写真にはミコガミ様が入ってくださいな」
「え」
「私なんかの貧相な細腿よりはずっと見栄えがすると思うんですけど」
「過分なるお申し出なれどアシがアマデなんぞのパス身に付けて」今朝方ルトヴィの意匠を兜に貼り付けられたアマデッコ[訳註:第二十四章参照]と、完全に立場が逆転してしまった格好だ。弥撒に列席しただけでも弁解しがたい背信行為なのに、この期に及んでアマデウスの通行証を太腿に貼り付けた画像が仲間内に露見でもした日には、苛烈な魔女狩りに遭うのが目に見えている。「――あまつさえ写真に残すのおかしいだろ」
「ミコさん目が怖いよ」
「なるほど」
「それ以前に推しのハナ様略して《推し花》とのツーショットチェキなら一枚千円払ってもお釣りが五兆円来る計算だがよりによって、サンチョなんかと同じフレームに収まった暁にはこいつとオレのどちらかが遠からず心霊になるってことだぜ?」
「ほほう、何の変哲もねえスナップ写真を後付で心霊写真に加工してくスタイルですな」被写体の誰かが撮影後に命を落とすことで?「じゃオッパイセンはその乳の間に一升瓶でも挿んで映ればええんでないの?」
「ワイーンのフルボットルはポン酒のハーフボ――半升瓶以下やで」サケや醤油を入れる大瓶の一升といえば、十分の一カンタラよりやや多く一アスンブレより少し少ないくらいの分量[訳註:第三十九章冒頭でも言及された単位。1cántara=8azumbres]――約一・八
「七百五十だと大体八分の三升瓶ですね」未成年の阿僧祇花は、正気に戻っても相変わらず酒に詳しかった。「日本酒なんかは四合瓶が多いみたいだからもうちょっと小振りかな?」
「おハナさんほんとは隠れて飲んでるでしょ?」
「え、ロケットパンチ打つのは何号?」
「だ~からロケパンは号じゃなくてゼッ――」
「あっアレだアトムだ! ロケパンのひとつも打てずに何のための鉄の
「おお……一理、あるけども」『
「《一里の道も千歩まで》とはよくぞ謂ったもんよ……」
「いや一里って多分四キロくらいあんぞ。千歩て、もう駅前の足長ナナ様――ナナ様でも千歩ではキツイか、相当大股でも」
「そこはホラ陸上の、三段跳びみたく……千段跳びで」
「ポがダンになっとるやんけ……まァひとっ飛びで且つ助走も無しなら、離陸して最短はじめの一歩でもう着陸ってのもアリ寄りの
「鉄腕アトムのお尻から出るのは
「やばいハナちゃんテヅカ警察だった」
「いや岡っ引き以下の下っ引きです」花は座っている位置を少しばかりずらして長姉の入る空間を作った。「じゃあミコさんここに入ってもらって」
「ハニャ様真ん中でいいよ年の順で」
「あ、恐縮です」
「そんなに片手に花片手に雑草が嫌かよ!」
「やだってお茶っ挽きが汗臭い汗臭いスメハラ云うからこっちも気を使ってんやん」
「お茶っ引かねっての」
「おちゃっぴいだよね[訳註:第四十章と同様に繰り出された《
「いやいやこのくらいで……女子高生物質を過剰に接種すると後が怖いし」
「汗はそんなことないですが」花が義姉の顔を立てつつ以下に付け加えた。「――まァお酒の方はかなり芳しいですね」
「かはっ!」ミコミコーナは大仰に仰け反ってから、「……この子は寝酒にします」
「おお感心かんし……いやそれ以上飲んだら急性アルチュール鉱毒になんじゃね」
「そんなランボーな」
「くっそさっきまで鳥のウンコ臭かった奴らに臭い云われちまうとはな!」飲み干したのが未発酵の葡萄果汁であれば、
「「――え?」」
「いやこいてないけども」王女は居住まいを正した。「そうそう姫のお毛々がよく見えるように」
「オケケて何やねん……ああ部長さんのアレか」[訳註:前章で安藤部長が別れ際、花の手指に結んだとされる自身の毛髪のこと]
「女子校で百合で美少女同士ってだけでもアツいのにそれプラス幼馴染みだもんね~」御子神嬢は前方に突き出した手の指先で
「ソビエト連邦?」[訳註:キリル文字での頭字語では露СССР]
「まァさすがにBLだとリアルでお目に掛かる機会は今後もないだろうけどな」
「いいから早く撮れよ腕疲れません?」
――
「キン肉マンうちの弟が昔読んでた」
「もっかい」
――
「《ハナは私だけのモノよ!》ってなお姫の独占欲が垣間見れまするぜ」
「見して見して……オッパイン挿まなかったんかい」他のふたりに配慮してか酒瓶は枠の外に押しやったようである。「意外とドニャキよかドゥルシのが怖かったかもですね……ツンデレというか、ツンギレ?」
「別にツンではなかっただろ冷静なツッコミ役ではあったけど、それはお前らふたりが度し難いバカだったからであって」ギネアは自身も度々その
「いやセクハラの自覚あったんかいわれ」
「セクハラ?」[訳註:《
「――じゃなくて、」
「セク――キガハラは美濃ですから、まあ岐阜県はお隣ですけども」
「あっそいや私、先輩と別行動で名古屋入る前偶然関ヶ原の戦い跡みたいなとこ通りましたよ?」[訳註:桶狭間の間違い。第二十二章参照]
「え……自転車でそこまで遠回りできる?」
[訳者補遺:西訳では以下の通り。
御子神「
花「何と比べて?」
千代「そういや私たち、
花「それじゃ
「う~ん」不意にミコミコーナが敷布の上に倒れ込んだ。
「どしました? 云わんこっちゃねえ、吐くならせめてビニ袋広げるまで待ってくれ」
「何ですか?」女子高生が上半身を捻って片耳を近付ける。「――撮ったから寝るって」
「呑んだからでしょ……いや寝るな風呂入れ」寝台の上に飛び乗った従士が王女の両頬を両手で挟み込む。「寝るんなら自分の部屋行って寝れ!」
「パトラッシュ……なんだかとても眠いんだ」
「ネロとは云ってねえ、そして私ゃ大型犬じゃにゃあ」どちらかといえば
「……じゃあアバンストラッシュ」
「ストラッシュでもないわ」千代は肩を竦めて起き上がると、傍らで同じように眉尻を下げる先輩に助言を求めた。「実在する犬種ですか?」
「さあ……ビッグスプラッシュって名前の犬は聞いたことあるけど、あれはチベタンマスティフだったか」世界一高額な犬種として知られる。それにしてもヌマンティアに続く水禍に見舞われた今宵の主従が云うに事欠いて
「えっ、セントバーナードじゃなくて?」
「アニメだとデザインが変更されてるから、直前の『ハイジ』に出てくるヨーゼフにかなり寄せてる感じで」筆者が子供の頃に生家で視聴した記憶とも合致する。「まああっちはそもそも原作には出てこないんだけど」
「詳しさ!」
「スイスだからサン・ベルナールということなんかな」
「かくいうサンチョは『あるブスな少女』も『フラダンス』も原作どころかアニメすらまとめ動画でしかまともに視たことないんすけどな……お~いミコ殿下~、オール電化~」返事がない。「ダメだ、ただのしかばねなのでしばかねえと」
「しばかないで……ほい」
「何すか」何を手渡されたかと思えば客室の鍵であった。「何、オブって連れてけって?」
「酒よりも疲労でこの老骨が動かんのだ」ギネアは何だか嘗てのラ・サンチャのような物言いで以下に続けた。「しばらくここ占拠すっからふたりともワイの部屋使ってよいよ?」
「えーっ……まァベッドはふたつとも新品なんだろうが」移動するのは億劫だが、然りとて寝惚けた牝牛を担いで輸送する手間に比べたら格段に楽な仕事であることに疑う余地はなかった。「どうします?」
「私は構わないけど、――」花は御子神の肩を揺さぶった。「シャワーは後でもいいですからせめてお布団の中入ってください。お部屋かなり涼しくなってるから」
「歯ブラシもしなせえよ。ポリフェノールカラーの歯は色男も色女もきっと遠ざけるぜ知らんけど」
「……じゃあ白いのだけにする」寝返りを打って枕に顔を沈めるミコミコーナ。化粧を落とす気力もないと見える。「あれ、残ってんのどっちだっけ?」
「いやむしろ白の方がペーハー低いみたいですし、あんまりダラダラ呑んでるとお口ん中酸蝕症になっちゃうかも」
「三色ワインてこた、残り一色はロゼってヤツでしょうな」
「君らダブルでドッペル母ちゃんか」
「こんなでかい娘いまさら認知しませんようちら。自分の母乳吸って生き延びてくれ」
「人類オカン計画は、女子会文書通りに遂行されるのか……分かったからドニャ様におやすみのチューを所望する、ほっぺたでいいから」
「いや私の部屋!……いやチューしないけども」青猫はそう云って嘆息した。「つかこの露骨な差別私のニコへの当たりがどうとか言えんでしょもう」
「はい、おやすみなさいませ殿下」赤蜂がそう云って敷布の上に投げ出されていた御子神嬢の手を取ると、その甲にそっと唇を付けた。「ほどほどに良い夢ご覧になったら浴室の方へ」
「やっべ惚れ、る……ぐう」
「ぐうて」主従は一旦顔を見合わせると同時に口を開いて、「「
怨敵脅し目のパンダフィランド――嘗ての権勢も何処へやら、哀れ巨人の亡骸は生皮を剥ぎ取られた挙げ句、糞避けに使われて今や屑籠の中だ!――亡き今、果ては前途洋々の凱旋帰国を果たし大ミコミコンを継承するのみという段になってその大願も志半ばで倒れた王女の
俗に《
「っかしあのダラシネーヤ殿下ときたらとてもフソジニーの年長者とは思えませんな」両手に荷物を抱え、昇降機へと続く廊下を歩きながら千代がボヤいた。「普通中高生の目の前であんな飲んだくれる?」[訳註:二十路の読みは《ふたそじ》。三十路と
「そう? いやむしろかなり面倒見の良いお姉さんだと思うけど」暇だったからといえばそれまでだが、出会って間もない十代の子供たちに付き合って一日中街中を歩き廻ったのだ、唯一の成人女性として彼女たちを見守る責任を全く感じていなかったわけでもあるまい。「でも白いお顔が随分と赤く……まァ部屋の照明のせいもあるか」
「そもそも赤ワインて全然赤くないんよね。黒ワインよね」従士が押下した下向きの矢印はけだし黄色くも青くもなかったであろう![訳註:巡礼路に於いては黄色の矢印がサンティアゴ行き、青が南のファティマ行きを示す]「醤油と間違えて冷奴に掛ける恐れ……ロゼのがまだ赤感ある」[訳註:第三十二章では羅tinctus《染められた》を語源とし特に赤葡萄酒を指す際に用いられる単語tintoが、中南米では黒い珈琲にも使われている点に著者が言及した件がある。因みに色の明るいものを
「まァお寿司で使うお醤油だって《ムラサキ》だしねえ……それ云ったら白の方だって」一般に糖質の多い白よりも抗酸化作用に優れた赤の方が、就寝前に嗜む葡萄酒としては適切だろう。尤も丸々一本開けてしまうとなれば、何れも不養生には違いないが。「黄色インか黄緑ワインになっちゃう」[訳註:《
「なるなる、キーロインだったらサーロインのが……黄緑よりかは血みどろワイン?」[訳註:「
「ふふ、サングリアね」
「まったくだ。旅館でもこのカッコで出歩くのはハズいすわ」もう疾うに日付は変わっている。この時間帯に擦れ違うとしたら、宿泊客ではなく仕事中の従業員くらいか。「何も荷物全部移動さす意味もなかった思うけど、何故か靴だけは置き去りという」
「はは、まあイロイロありますよ」主従揃って
「ほんと、イロイロありましたわ」蜂と猫を迎え入れた箱が下降を始める。「スプラッシュだのスプラッタだの……僕ももう疲れたよ」
さてこの《イロイロ》とは直訳すれば《
「――あっ、アイス食うの忘れた!」
おお、
「
おっと!……
思い出してほしい。カラスの
それはそうと、偉大なるヴォルフ閣下にはこのアベンダーニョも伏して謝罪せねばなるまい……彼の声楽家は決して嘘偽りでその愛らしい追従者を徒らに謀ったわけではなかったのだ![訳註:彼が単に《
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