第50章 に於ける任意の変更は三分の三参事会娘らの所業、附其の他の事共。

LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA

清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ

Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.


POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM

                    A Prof. Lilavach

Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.

Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).



第五十章

に於ける任意の変更は三分の三参事会娘らトレース・テールシアス・カノーニガスの所業、つけたり其の他の事共。

Capítulo L.

De las discrecionales alteraciones que las tres tercias canónigas tuvieron, con otros sucesos.

[訳註:西canónigo《聖堂参事会会員、律修司祭》、(sexta) canóniga《教会法第六時課≒昼寝スィエースタ》]


県境の峠を通る国道の長い隧道トゥーネルを忌避した結果、狭隘な山道を登る羽目となった挙げ句に距離は短いものの照明の全く無い洞窟グルータに行き着いたこと、その《羽毛持つ蛇セルピエーンテ・エンプルマーダ》の腸内で三人の単車乗りモトシクリースタスと出会い、肛門の内外では図らずも難癖を付けてきた破落戸ガンベーロスの二人組との乱闘騒ぎが出来しゅったいしたことなどが蛇の巣穴ニド・デ・セルピエーンテスから這い出て後、半坐千代の口から滔々と語られるのを、会話に於ける補助的役回りトゥールノス・デ・アポージョ・コンベルサシオナーレス――日本語では《相互的槌打ちマルティジェーオス・ムートゥオス》《間奏の手マーノス・デ・インテルルーディオ》等と呼ぶらしき簡潔な発話エミスィオーネス・ブレーベス――を除けば黙して傾聴していたギネアの新女王であったが、目的地の地下宮跡ルイーナス・デル・パラーシオ・スブテラーネオまでふたつ奥の街区へと迫った地点で赤信号に足止めされたのを契機に、余程堪り兼ねていたかついつい「ちょっと待ちウン・セグーンド・ポールファ」と割って入り、垂涎よろしく留まることを知らぬ猫の口から漏れ続けし言葉の洪水を堰き止めるに至ったのだった。

「――ラ・サンチャの暴れ蜂は儚くも中折れせしその猛々しき尻の針をば高らかに掲げるや、《サンチョよ見たか、ドニャ・キホーテは誓約通り静かなる岡を下り切るまで吾が聖槍をこの腰から抜か……》」従士は馬上の主人に成り切って千叉槍ミリデーンテを天高く突き上げたが、手綱を持ったつもりの左手を一旦下ろすと、「――セイソーつっても箒じゃござんせんから掃除道具じゃねえですし、その、何ですかタラコに対するシラコ的なヤツとも別物ですよ?」

「……分かってるよ風呂屋で見てんだから。あの長槍ランスっつか、白い傘だろ」ミコミコーナは掃除道具の柄を自身の得物でコンと打った。「じゃなくて」

「さよう……《この腰から抜きはせなんだぞ?》」千代さんは一際右腕を頭上へと伸ばしつつ以下に続ける。「次いで惨めたらしく地にひれ伏すハダカデブネズミを見下ろすなり、《さて羽なしの血吸いコウモリ、歯抜けのネズ公め、頼みの綱のチョウチョの羽をわが白蝙蝠に噛み千切られた今ねえどんな気持ち?》」

「騎士さまはそんな小物臭い下卑た物云いはなさいません」王女は細首をやや捻り、定距離を保ちつつ直ぐ後ろに控えていたドニャ・キホーテを見遣った序でに軽く会釈してから傍らの従士に視軸を戻した。「そのチョウチョってのはこう、」

「そりゃ録音してたわけじゃねえもの百パー同じセリフなんざ再現できんがな」

「――ペン回しみたくクルッと、割り箸みてえな柄の部分が回ってチャキーンて刃が出てくるバタフライナイフってヤツか」

「出っ歯の持ち主はどっちかってえと蛙泳ぎの方が似合ってましたし――」

「平泳ぎだろ……犬掻きじゃないんだから」[訳註:西語での名称は《ペチョ》、他の三泳法は日本語同様《マリポーサエスパールダ自由形エスティーロ・リーブレ》ないし英語crawl由来のcrol《四つん這いクロール》と呼ばれる]

「――エビフライならバターよかタルタル、ナイフ出すなら同時にフォークも所望したきところですけども」

壬生狼みぶろでもなきゃ悪魔ディアブロでもない、ブロワ城にもブロッケンにもあらざる塩の都のヴォルフ殿ならば」狼であるならブロッケンよりもジェヴォーダンであろう。[訳註:尤も魔女の饗宴の舞台としてブロッケン山が登場する『ファウスト』の著者ゲーテの中間名ツヴィシュンナームもヴォルフガングではある。尚、モーツァルトの洗礼名に於いては、最初のJohannesヨハンネス Chrysostomusクリュソストムスがその生誕日から付された聖人名に由来することもあって、母方の祖父の名であった次のWolfgangusヴォルフガングス(Wolfgang)を個人名、彼の名付け親であった商人Joannes Theophilusテオフィルス Pergmayrの希語の中間名――独Gottliebゴットリーブ/羅Amadeusアマデウス――を同じく中間名とする解釈が一般的。生地ザルツブルクの語源は《塩の城/砦》だが、独語のBurgには元来《城塞都市》の意味もあったようだ。又、仏ロワール渓谷に立つブロワ城といえばギーズ公アンリ暗殺の舞台として有名]「――箸の一膳で召し上がるのを好まれようよ」

「さ――すが水風呂クレイジーなソルトナイトの旦那ャ……」

「ラ・サンチャ殿が好まれるのは水風呂じゃのうて水垢離みずごりじゃろ」否、慥かに静岡の銭湯では頭から灌水ドゥチャを浴びし阿僧祇花だったにせよ、昨晩飛び込んだ《希望の泉》などは紛れもなく冷たい風呂バニョ・フリーオだったのではあるまいか?[訳註:第十および四十四章を参照のこと]

「――と申し上げたきとこだども」サンチョは番人の片目が青眼化アスラードしたのにも気付かず背後を振り返って以下に続ける。「騎士と楽師の塩繋がりだけで勘が働いたってことなんですかね……閣下の小棒使いシュテープヒェンナーたるを云い当てなさるとは!」[訳註:独Stäbchenerなのだろうが、ベルリンの市境を東南に越えて少し離れた土地に実在する道路名Stäbchener Wegには《シュテヘナー通りヴェーク》のカナ表記が当てられている]

「なんだ変なスティーブってな?」[訳註:西訳では「どのスティーブが推しなんケ・エステーバン・テ・チャナ・マス?」。動詞chanarはgustarやencantar同様に好みや好意を意味する俗語《~を好きにさせる、魅了する》だそうで、ここでは独語のStab+-chen+-er《シュタープ小さいヒェン+~する人アー?》の空耳として扱われている。通常動作主名詞アーメン・アジェンティスを形成する接尾辞-erは動詞に付く筈だから、語感の珍妙さも含めての訳出であろう]

「それはジョブズとかスピルバーグでしょ」好き嫌いは兎も角、幅広い世代が影響を受け恩恵(と弊害)を享受していることに間違いはない!「チョップスティッカーのことでしょ」

「脳天をステッカーでチョップされたのはお前だろ」

「いややったのはアンタでしょ……」伊勢海マル・デ・イセ[訳註:伊勢湾バイーア・デ・イセ]を抜け太平洋を横断し、今頃はアカプルコの浜辺に漂着しておらぬとも限らぬ。[訳註:文の主語は第二十四章で御子神の悪戯により推し盤ルードヴィッヒの糊付け意匠カルコマニーア・コン・エス・ロゴをその頭頂部分に無断で貼付された《死せる山羊の群れネクロカブリーオの兜》。同兜は第三十九章にて五条橋上から落下し、堀川を下流へと流されていった。因みに元の英語では名詞の《棒》も動詞の《貼り付ける》も、《突き刺して留める》が原義の同じstickなので本来は同音だが、外来語machine《機械マシン刺繍機ミシン》やglass《硝子ガラス洋盃・眼鏡グラス》――前者は厳密には蘭glasに由来――同様に発音を異にすることで使い分けている]

「……なあに、海老といや端っこの尻尾を抓むものだし、他ならぬイングラテンプーラのエビザベスの王冠にも」[訳註:西Inglaterra《英国、アングル人の地》/Gran Bretaña《大ブリテン島》]

「「えびざべす?」」

「ええ、それが大プラテン島の処女王が芳名だとのこと」これは一昨夜の隻眼神が足下で、出会ったばかりのドン・ジョヴァンニに教わった知識である。[訳註:第二十三章参照。但しその時耳にしたのはそれこそ名称のみなので、以後エビザベス陛下の外見等に関する知見をどの時機に得たかを類推するならば、考え得るのは昨晩入場券を購入して塔内部へと進入した際に視界に入った広告や土産物売り場に置かれていた商品といった可能性くらいだろう]「――冠というのは物のたとえでしてな、天守の大棟の両端に設えられた鴟尾しびがどうやらシャチとエビなのだそうです」

「シャチとエビ略してシビってこと?……シャビなのでは?」

「それサッカーの人だわ」シビは《鳶の尾コラ・デ・ミラーノ》と書き、屋根飾りデコラシオーネス・デ・テチョの一種を指す。顔は虎でも首から下がパールゴ[訳註:日本の諺《海老で鯛を釣るペスカール・ウン・パールゴ・コン・ウン・ランゴスティーノ》の知識が邪魔をしてカールパと取り違えたか?]という鯱であれば、仮令その口から消火用の水を噴き出していたとしても寧ろノートルダムの吐水鬼ガールゴラス[訳註:西gárgolaもgarganta《喉》同様、嚥下する擬音«garg»――ゴクゴク?――が語源らしい]より違和感がないくらいだ。(いやそもそも彼のアランブラの獅子たちとて嘗てはその牙の隙間から水を吐いていたのではあるが)「ああ、名古屋城のゆるキャラ的なヤツか」

「大胸の両端ってのは[訳註:西cumbrera para techo《屋根テチョの大棟》に対し、cumbreras del pecho《胸部ペチョの山頂》]」透かさずミコミコーナの前方に回り込んだサンチョは、箒を小脇に挿んで自由になった両手で――「こことここの先っぽにシャチホコとエビテンが?」

「天守っつってんだろ」構わず前進を再開せし王女の分厚い大胸に弾き飛ばされた従士は、縞馬の背へとあわや尻餅を突くところであった。「お城の屋根の一番上だバカ、ほらここは歩行者天国ほこてんじゃねんだぞはよ渡れ」

「どんな殿様商売だ……て、店主を呼べ!」

「お前月面ムーンだけじゃなく地球ジ・アースでもそうやってウォークしてろよ少なくともここなら階段ないし」階段エスカレーラスはなくとも喧騒エスカンダレーラスは凄まじい。[訳註:前章の上前津駅名城線乗り場で巫山戯て月面後ろ歩きパソ・ルナールをした千代さんが、背後の上り階段に気付かず踵から蹴躓き転倒し掛けた件を参照されたい]「まァご本人たちが箸にも棒にも引っ掛かんないバンドなわけだし、――」

「ひっで!……あとバックすんのはベアードまででもう懲り懲りですわ」

「野蛮な西洋人らしく大人しくフォーク使えばとも思うが」

「いや全員日本人だよお箸の国の人たちだものよ!」小走りに対岸へと渡った従士が踵を返し、既に点滅している信号にも何ら気兼ねすることなく悠長に横断するふたりの義姉を急かす。[訳註:実際には十歩も掛けずに渡り切れる横断歩道だと思われる]「そこはフォークじゃなくてロックだからくらい言ってくれや」

「まあフォークじゃシャチじゃなくてイルカか……でロックと箸で何の関係があんねん」

「だからフォークじゃ石ころは突き刺せんけど」突き刺せずとも細かい砂利でもない限り、匙の要領で掬い上げることは出来よう。「――お箸ならこやって挟めるでしょが」

「雄雄しく噛み付いたのでは牙も欠けようが、大きな紙なら包んで勝てると踏んだか!」

「ドニャキ様の仰る通り、固い意志にも打ち勝つのはチョップなスティックもしくはペーパーというんがテンプレ……あエビザベス出てきたかわいい」

「どれ、どんな?」先を歩く妹の端末を肩越しに覗き込むギネア姫。「おお……石垣にちゃんとスカート感出てるじゃん」

「プリップリの天むすが主食なプリテン島の女王なのに頭に乗っけてんのはエビフリャーなのな」大プラテン島グラーン・プラテーニャの統治者というのは花が捏造した設定に過ぎぬ。「……いや天ぷらだと色が右のキンシャチと被っちゃうからかな?」

「尻尾は赤いんだからそこまで……この辺だよな」御子神嬢が一旦足を止めて周囲を見渡した。「また気付いたらこのまま一駅戻ってたとか御免だぞ」

「真ん前にバス停立ってるはずだしも一個向こうなのでは?」千代さんは背伸びをして北の果てを臨んでみたものの、車道や並行して伸びる通りの対岸からなら兎も角も同じ歩道から停車場の道標や屋根を視認することは難しかろう。「何の……どこまで話したっけ?」

「バターナイフ……違うわバタフライナイフだよ」ギネアは末妹の手から奪い取った箒の房でその臀部を一発打擲すると、即座に持ち主の手に返却して以下に続けた。「オモチャのではなかったんだよな?」

「手で触って確かめちゃいないんで断言は出来ませんがね」ドゥランダルテで応戦した際、蝙蝠の羽を小刀で裂かれたのではなかったか?[訳註:第十六章の描写は飽くまで著者による状況推測に過ぎない]「オモチャだとしてもありゃ殺傷能力のあるオモチャでしたな」

「そんなん大人のおもちゃの範疇を越えてるが」さしづめ無教養人のおもちゃフゲーテス・パラ・ロス・インクールトスだ。[訳註:《成人向けのパラ・アドゥールトス》]「しかしそんなガチで危ない目に遭ってたとは……そりゃレンちょんの綺麗なお耳にゃ入れらんないわな」

「お分かりいただけたようで何よりな、身寄りなき耳寄り情報でした」

「歯なし羽なしどころか下手すりゃお前自身が耳なし阿呆一あほういちになるとこじゃねえか」ファン・ホッホが左耳を切り落とした時は床屋の剃刀ナバーハ・バルベーラを用いたようだが、果たしてどちらの切れ味が優っていただろう?「この場合年長者のハニャちゃんを注意すべきなのか、それとも健常者のサンチョを殴るべきなのか……」

「泣きっ面に蜂の巣の次は八つ当たりかよ。そんなんオヤツで食中りした方がマシだよ」

「昨夜は猫が歩いて棒に大当たりしたばかりだものな!」氷菓の送り主――彼は行き掛けの駄賃で奇特にも従士の母驢の欠けた蹄鉄すら瞬く間に修理して帰ったのだが――は終ぞ姿を現さなかった。「とはいえ陛下、大勝利などと嘯きましてもそれは飽くまでそれがしとチヨさん自身に限ってのこと。互いの羽剣はねつるぎ[訳註:釣瓶つるべを捩った表現か]に関しちゃ全く痛み分けと云わざるを得ませんのですから」

「互いの?……ああ」

「ネズ公にくみした蝶は吾が白蝙蝠に打ち落とされましたものの、奴は奴で――飛鼠ひそ天鼠てんそだなんて異名が仇となりましたか――糸の切れた如何物いかものよろしく明後日どころか再来年辺りの方向に飛び去って帰ってきませなんだ」

「はいはいドニャキ様の愛刀が天に召されたのにゃ哀悼の意を表しますし、天にスッ飛ばした実行犯もどうせこのサンチョにございますよ」筆者の記憶が正しければ騎士が真夜中に単身で峠を再訪した折、例の三人組の目の前でその白蝙蝠の方も――蝶型小刀もその場に留まっておれば、自分の数倍の高度から落下し瀝青道路に強かその身を打ち付けた好敵手の惨状を目の当たりにしてさぞや胸の空く思いを味わえたであろうに!――一旦は地上へと降りてきた筈である。[訳註:第十九章を再読すると、テッシーこと従士グワディアナ自身の証言によりドニャ・キホーテ不在の間にも一度彼女の日傘は地上に落ちていたことが判る。つまり白蝙蝠は都合三度――先ず破落戸との戦闘時に千代の手からスッポ抜け、次に事故で落下したのをテッシーが再度放り投げ、最後に単車乗りの計らいで花の手に戻った後、結局は「立ちませいアリーバ・ヤ!」の掛け声とともに頭上へと投擲した――空高く飛ばされたことになるのだ]「話が飛び飛びになって叶わんぜ。まったくカンクーンってんなら目的地までジェットでひとっ飛びしてくれても良さそうなものだが……関空って名古屋?」

「関空のカンて何なんだか考えて物云え」

 日本の猫がその狭き額で考えている間に、日本語の話者ではないながら一応人間ではある筆者が解説しておこう。カンクーのカンは《関所プエースト・デ・コントロール》、クーは《空港アエロプエールト》を略したもので、正式名称は関西国際空港アエロプエールト・インテルナシオナール・デ・カーンサイである。カンサイとは《関所の西側》を意味し、京都や大阪を中心とした都市圏を指す。これに対しカントー《関所の東側》則ち首都圏に位置し、国を代表する世界への玄関口プエールタ・アル・ムンドといえば東京国際空港アエロプエールト・インテルナシオナール・デ・トーキオだろう。[訳註:単数形なので羽田と成田の何れかひとつだけを指示していることを考えるとかなりいい加減な解説と言える。国際線に限れば就航都市数・便数・旅客数の何れに於いても新空港たる後者に軍配が上がるものの、国内線を含めると圧倒的に羽田が多いようだ。尚、大阪府内には関西国際空港の他に大阪国際空港――伊丹空港――があるが、一九九四年の関空開港以降はその名に反し国内線専用の基幹空港として運用されているとのこと]


では今東国の猫たちが徘徊中の地域ではどうかと言えば、物語が展開している夏から丁度十年と半年前伊勢湾海上の人工島に開設された名古屋空港があり、こちらは《半人半馬センターウロ》の愛称で親しまれている。となると仮にラ・サンチャの騎士が昨日は終日がそうであったように人馬一体ヒネーテ・イ・カバージョ・コモ・ウニダッの体で街へと繰り出していたならば、きっと――それが天馬ペガーソにせよ身動き取れず剣呑極まりない木馬クラビレーニョ・ペガダメンテ・ペリグローソ[訳註:《クラーボ》と《釘付けされたペガード》が関連付けられているのは、クラビレーニョが地上に固定されて飛べない馬だからである]であったにせよ――羽の付いた替え馬レモーンタス・コン・ラス・アーラスを工面してくれていたに違いない……などというのは気紛れな吟遊詩人バールドス・カプリチョーソスがやりがちな都合の良い事実の改変なのだ。というのも実際この空港は《センタウロ》ではなく《航空施設セントラエーロ》であり、正式名称も日本中部国際空港アエロプエールト・インテルナシオナール・デ・ハポーン・セントラールだからである。[訳註:名古屋市の中心部から近いのは県営の名古屋飛行場アエロードロモ・デ・ナゴーヤ――小牧空港――で、セントレア開校前の名称がまさに《名古屋空港》だったのを鑑みれば、実際利用する予定のない外国人にとっては些末な差異かも知れないが、こちらも誤解を招く説明には違いあるまい。著者は英語由来のCentrair及び西centauroに寄せる形で«Centraero»と表記させたものの、語順として自然なのは矢張り«Aerocentro»であろう。尤もそうなった場合は《航空施設セーントロ・アエーレオ》の意味合いがより強まる一方で、――名詞centro《中心》と動詞contraer《縮ませる》の複合語的な語感《国土の中心部へと収斂する?》の相俟った――《中部地方レヒオーン・セントラール》の印象は薄まってしまったかとも思うけれども]

「バス停があってセブンがあって――[訳註:著者は自ら俎上に載せたCentraeroとこじつける為、宮跡正門前に到着した御子神嬢に«Sin traer nada, sin llevar nada...»《何も持たずスィン・トラエール・ナダ(に生まれ)、何も持ち帰れずスィン・ジェバール・ナダ(死んでいくのに、我々はその狭間で何かを我が物にせんと闘いに明け暮れる)》という如何にも悟り顔の中学生が言いたくなるような有り勝ちな文句を言わせ、続く花の科白への橋渡しとしている。自動的にこのnadaが、返却しようとわざわざ持ち運んだ通行証――及び三者各々が所有携行する背中掻き棒・折り畳み傘・棕櫚箒といった得物――に対する反語表現となってしまった]」

「«La... portate ogne speranza,...»」騎士は傍らに立つふたりの目に付かぬよう、控えめな所作で地獄の門プエールタ・デル・インフィエールノ扁額プラーカ上書きしたソブレスクリビオッ。[訳註:第四十二章終盤にて豚箱へと連行された相方マルッペとは音信不通のままひとり取り残され、その後それでも単身会場への侵入を試みる恐れのあった――そして実際にその暴挙を遂行した――破落戸ノリオへの牽制として空に刻んだ魔除けの一文「全ての希望を捨てよラッシャーテ」が、結局その効力を発揮しなかったことに少なからず意気消沈しつつも、《希望の泉》を経たドニャ・キホーテはこれからその《地獄の門》を潜る自分たちの為手前勝手にも文言を「希望を持てポルターテ」へと書き換えたのである]

「これって別に今降りてっても怒られませんよね」夜間であれば煌々と灯っていたに相違ない照明が朝方の今は消えているのだろう、千代さんは地底の宮殿へと続く階下を一旦は見下ろしながら、四角く切り取られた闇に吸い込まれるような心持ちを掻き消すかの如く仰々しく首を振ると、偶然視界に入った地上の対象物で不安を紛らわせる。「このおじさんにでも引っ掛けとくとか」

「いやそっちのが誰かに持ってかれる可能性高いべや」おじさんティーオというのは何かの看板であるようだ。「……つか日曜も営業してんなら確実に下のスタジオのスタッフよか早く来るだろうしってか九時くらいから店開けんだろし、したらリアルアフロが出てきて見つけて捨てられちゃうかもだぜ」

「いやいや下のハコの備品だって書いてんの見りゃ判んだから、少なくとも勝手には捨てやせんでしょ……仲好いかまでは別としても顔見りゃ挨拶くらいはすんだろうし」ともすれば親切心から地下会場の係員在席時を狙って彼女らの代わりに返却してくれるかも知れない。「って別にリアル床屋の人までこんなアフロっつかパンチ?とは限らんだろうに」

「下のってか床屋も同じB1ぽかったけど、てめここまでご足労しといて何で階段の二十段かそこら下りるの面倒くさがってんだ今更……」

「えっとメンドーサだかメドゥーサだかが勝ったというよりですね」従士は車道の方へと目を逸らした。「……ヤバキチョーが」

「いやそんなヤブキジョーみたく――歌舞伎町?みたく云われましても」

「成程《藪を突付いて》とは云い条、此方のきざはしからはじゃなりジョーなりが出ずとて、鬼まで出ぬとも限りませぬ故」ラ・サンチャの蜂が下降通路の最初の一段へとその一歩を踏み降ろす。「――陛下は暫し穴の外にてお待ちくだされ」

「ドニャキ様がお降りになるのでしたらわらわもご同行願い出ますわ[訳註:まるで自分こそが階下に要件がある主体者であるかのような物言いだ]」ミコミコーナは末妹を押し退けて騎士の腕に組み付いた。「恐れながら野犬だ狼だが彷徨うろついてる地上に従士さんとふたりきりで取り残されたんじゃ心細いですからマスカラ」

「Para servirle, mi Señora...」ドニャ・キホーテは王女を背に庇うような格好のまま徐ろに腰の物を抜くなり、極めて慎重な足取りで深淵への下降を再開した。「お足元、何卒お気を付けなさいますよう」

「……やだやだ」半坐家の長女は地上階の低い天井を仰ぎつつそのような年増染みた悪態レンコール・ソルテローン[訳註:日本語話者からすれば年寄り臭い程度の感想しか持ち得ないものの、字義通り訳出すると《独り者の恨み節》ともなることを鑑みれば、花を御子神嬢に盗られて嫉妬しているというようにも解釈できよう。バンギャ話で騎士を置いてきぼりにした静岡篇と立場が逆転した形だ。因みに後述される蘊蓄を考慮して、翻訳でも«...Yada-yada.»となっている]を零すと、渋々義姉ふたりの後に続くのだった。

 拙著の読者にはその著者とは対照的に学識に富んだ方が多いだろうから既にお気付きのことと思うがこのyadaという単語、日本語では«iyada»の省略で《私は好かないノ・メ・グースタ》を意味し、一転して英語だとyada-yada-yadaで《とか何とかブラ=ブラ=ブラ》の同義となる。更に信仰心篤き皆さんならば当然の如くお察しの通りこれはヘブライ語で《肉体的に知ることコノセール・カルナルメンテ》[訳註:猶ידע。但し/jaˈda/は飽くまで現代的な発音であり、旧約聖書を音読する際のより伝統的な発音方式とされるティベリア式では/jɔˈðaʕ/《ヨダア゙?》のように読むのだとか]を指すわけで、即ちこの半坐千代という娘は――ご安心召されよ、彼女は偶然崇拝者カスアリドーラトラではあっても偶像崇拝者イドーラトラではないそうですから――無意識の内に見境ない超妖女ファム・ファタリッスィマ・インディスクリミナーテ[訳註:因みに西fatalistísimaであれば直前の偶然崇拝に対する《超運命論者ファタリースタの》となろうか]の放蕩振りへの警鐘を鳴らしていたとも、或いは慮れるのである。まあどれでも同じだヤ・ダ・イグアール


阿僧祇花は元より、半坐千代もこの階段を下るのは初めてだった。

「まァ普通に開いてないわけだが」筒状取っ手マニーハ・トゥブラールを握った拳を二三度前後に揺らし、扉が施錠されていることを確かめたギネア王女が妹たちを顧みながら告げる。昨夜は不測の事態に起因する残業オーラス・エークストラスが生じた為[訳註:第四十七章にて花が入浴中に御子神の口から明かされた情報に拠れば前夜のアマデウスの弥撒は、闖入者のせいで中断した分の演奏を会場側が終演時間を延長するという配慮により最後まで予定通り完遂することが出来たとのこと]普段より従業員の始業時刻が後ろ倒しとなった可能性もあるが、夜型の営業形態であればそもそも午前中から開店する理由がない。「――しっかしワシが言うのもなんだがよ、来いとチケまで渡されときながらそれ会ったばっかの遍歴の騎士と従士に押し付けて自分はスッポかしたミコガミさんが何故か異教徒のミサにお参りしてさ、逆に通り掛かるってだけの理由で何の関係もないオカマ共のショーに紛れ込んだ三茶のJK・JCが本来の目的だった、その為に一週間も、何百キロもチャリ漕いできたっつうライブに、しかも現地まで来てんのに入りそびれるってなホントに……事実は小説よりもイエローとしか言いようがないよな」

「このタイミングでしみじみ言われてもな」昨夜はアマデウスの調べの代わりに苦汁アマルゴール[訳註:《黄色アマリージョ》共々、胆汁が想起させるような羅amarus《苦味、酸味》が語源]を舐めた当の従士が忌々しげに目を細めて以下に続ける。「パロミ女王はともかくミコガミーナ姫殿下のエロスはイエロー通り越してレッドカードってかおピンクカードで一発退場どころか二発で妊娠三発で産休の申請ですわ」

「え、えろすんまへん」長姉は頭を掻きながら低頭した。「……お前そこまで云うならいっそ《一発でイ――》」

「気に病むには及びませぬ陛下、何せ黄色はキの字ともキ印とも申しますでな」同じ音でも《キの字レートラ・デ・キ》では歓喜ゴソ希望エスペラーンサ、《キの印セニャル・デ・キ》では狂気ロクーラ妄執オブセスィオーンを表すのだが(《ホの字》といえばこれは懸想エナモラミエーントを意味するので、黄色人種ラサ・アマリージャと呼ばれることに何ら抵抗を感じぬ日本人との交際を夢見る外国人諸氏は念の為記憶の隅に留めておこう!)、あのひまわりの連作セーリエ・デ・ヒラソーレスを残した画家が黄鉛アマリージョ・デ・クローモを多用したことからもこの色の心理学的両義性アンビグエダッ・スィコローヒカには並々ならぬ説得力が――それが語られるのが他ならぬ我等が《ツキマワリヒラルーナス》の片割れの口であったのなら尚更のこと![訳註:但し第四十四章は電視塔の展望台にて花が自身らを喩えたのは《タキビマワリヒラピーラス》)――ありはしまいか?……おお疑いを抱く悪ガキ共ピエーレス・デ・フーダス[訳註:西piel de Judas《ユダの皮》で悪戯っ子を意味するのは、外面は従順でも内心では悪巧みを企てている様に由来するものか。黄色を裏切りトライシオーン卑怯コバルディーアの象徴と取る見方もある]は、ダ・ヴィンチやジョットの描いたユダの上衣トゥーニカを見よ!

「やれやれきび太郎印のももだんごの在庫はお腹のポケットどんだけまさぐってももう品切れなんですから、ご入用なら未来デパートなり過去アパートなりに発注してくださいな」手持ち無沙汰の千代さんが非常口表示の誘導灯くらいの照明しか点灯していなさそうな地下の床面を、矢張り些か乱暴に掃き散らしながら少しずつ凹みつつあった自身の腹部を叩いた。「退治しようにも鬼はなしじゃもなし、あるのはJALもANAも就航しないカンクーンの穴蔵だけときちゃ、さっさと無用なお宝返却した上でうちらの体内にも内蔵されてるという内臓への燃料をとっとと補充しにでも行っちまった方がよっぽど賢いというもんですぜ」[訳註:《未来の百貨店フゥトゥーラ・ティエーンダ・ポル・デパルタメーントス》《過去の集合住宅パサーダ・ビビエーンダ・デ・アパルタメーントス》]

「むしろ穴しかないのがカンガーンなんだし[訳註:宦官が一瞬だけ話題に上がったのは第三十六章の客室内だが、去勢というのは何も外性器の全てを切除する処置ではないわけだから、穴しか残っていないという発言は些か偏見に満ちている]、だいたい過去のアパートじゃ発注どころか発送先に指定しても受取人不在じゃねえか」猫型機械人形が未来の通販に頼んだ商品は現在の住居に送られてくるわけだが、未来から見れば現在が過去に当たるという理屈を踏まえれば強ち間違いではない。「いやさ、そいえば今回の冒険の一部始終は東京に凱旋したサンチョが残りの夏休み潰してラノベ化するって話だったから」

「しねえっての! ラノベ化もヘノベ化もせんですってばどこまでニコ助のテキトーな思い付きを引っ張るねんな!」

「ヘノベて何やねん、素麺かいな」王女はもう一度《宮門プエールタ・パラシエーゴ》、というより《王室門ラ・レアール》[訳註:意味合いとしては《門の現物レアール》]――というのも地上に設えてあるのはその戸枠マールコだけだったからなのだが――の戸板パネーレスを軽く蹴飛ばして以下に続けた。「傘と並んで引っ掛けられるか思ったけどわざわざ滑り落ちそうなとこぶら下げるよか、折角机放置してくれてんだしこの上載せときゃハコの人もすぐ気付くべ」

「まァここならいちいち降りてきてこんなもん盗んでく輩も居ないですかな」

「あっ思い出した、電話した時パロミちゃんが言ってたんだけどさ」通路脇に――恐らくは簡易受付台モストラドール・スィーンプレ・パラ・レセプシオーンとして設置されたものだろう――置かれた会議用長机メサ・デ・レウニオーン・レクタングラールの上面を小突きながらミコミコーナが以下に続ける。「岡崎でドニャキ様あの舞台、お立ち台というか……キャットウォーク?」

「おキャット様?」従士にとって、少なくとも月面よりは歩き慣れているに相違ない!

「ランウェイっつうんか、あそこ上がって満場のお客ん前で何か英語で、演説だかお芝居だかしたらしいじゃん」同僚の歌唱中に突如現れたトルデシーリャスの女王フアナが客席で見上げる千代さんを拉致し舞台裏へと連れ去った直後、それを救出せんと花道に攀じ登った騎士が観客の視線に応えて披露したダンマルク王子の長口上のことだろう。[訳註:第十八章参照。英戯曲『ハムレット』第三幕第二場冒頭からの引用]「直に目撃してたんは他のオカマ様でパロミソは、マイクが拾った音声聴いてただけっぽいけど」

「ああ……やっぱアレは旦那ャ様でしたか」千代が肩を竦める。「楽屋にモニタありましたけど私ゃそれどこじゃなかったもんで」

「それなら従者ちゃんもさぞかしそのおキャットアイで拝見したいことでしょう!」その従者ちゃんエスクデリータ=チャンがその猫口を開きかけたのを遮って更に続けるミコミコーナ。「昨晩のアマデウスの歌や演奏も思ったよりはまずまずでしたけど、ラ・サンチャ様の檜舞台の方がうまうまというか、需要的には重要に決まっとる」

「ウマウマ……ウッウッウマウマか、何だっけそれ」

「それはバルサミコ酢不要なヤツやろちょっ黙っとれや」聖母像を前に懇願するかの如く両手の指を組み合わせて、「願わくば……あ、憚りながらニューギニア女王戴冠式の大切な余興に、妾だって是非とも眼福……耳福?――に肖りたいですわ!」

「何と?」これも何処かで聴いた科白であった。[訳註:第二十三章の電視塔下で、花の独白を盗み聞きしていたドン・ジョヴァンニが発したもの。日本語同様に《目が幸せ!ディチョーソス・ロス・オーホス》と比べると《耳が幸せ!ディチョーサス・ラス・オレーハス》はやや聞き慣れぬ表現のよう]

「私だったら大福でもたらふく食べた方がお多福顔にもなりそうってなもんですが」

「どぞどぞ……土足でも問題ないっしょ」牝牛の王女は机上に残されたままであった、今後予定される公演の宣伝だろう、チラシボラーンテス折畳み冊子フォジェートス・プレガーブレスの束を――蛇腹本レポレッロの、もとい野兎レポリーノの従士殿[訳註:女殺しの伊達男と同席したが為、花の気紛れで勝手に従者扱いとされてしまったのだ。第二十六章参照]は果たして主人や同胞たちと、既に帰京されているであろうか?――率先して端に寄せると、それを以て主演女優(或いは女優の幼馴染)が登壇する為のお膳立てポネール・ラ・メサとした。「その方が陛下もおももの物を脱がせやすいしりきいし」[訳註:ここでの《陛下》が一人称として用いられている点に注意]

「いや自分で脱ぐというか、外せるっしょキッツキツのコルセじゃあるめえし」

「お前いっそ東京戻るまで装着しとけよ何で外しちゃったの?」ギネアは千代の空きっ腹を叩いた。「また気ぃ緩めてっと静岡ん時にも増し増して下腹部がオタフク顔になんで?」

「だから増してとか言われてもアレで女子中坊の平均値だってのに何センチだか憶えてないけど!」

「忘れたい記憶だから?」体重と違いそうそう頻繁に計測する機会――せいぜい年に一度の健康診断チェケーオ・メーディコくらいか――がないからであろう。

「殿下の胸囲みたいな驚異的な数値じゃないからでしょ[訳註:西tamaño de busto《胸部ブーストの寸法》とbastante《充分なバスターンテ》を掛け合わせて《数値的に乳分なヌメーリカメンテ・ブスターンテ》?]」慥かに、自他ともに意識せざるを得ないとすれば御子神嬢の体型の方が勝っていることに異論はない。「おんどりゃ昨日はリア中っぽくて良しとかのたまってたくせによ」[訳註:第三十六章の葡萄酒食堂および第四十章の着替え場面にて]

「ささキーキーうっさいサンチョさんは放っといて……フットライトは携帯のしかご用意できませんのが心苦しゅうこざるが」

「参りましたな」鬼女オーグラス女悪魔ディアーブラスの代わりに脚光カンディレーハスまで持ち出されては引くに引けないというものだ。[訳註:西diablaで劇場の吊り照明を指すらしいが、こちらも足場の照明の語釈で載せている辞書もある。鬼は先程の《鬼が出るか~》を引いたものだろう。因みにcandilは燭台や洋燈を意味する単語で、蝋燭カンデーラと語源を一にする]「こういった状況を冗語ではmontar el pollo...《雄鶏に乗る》乃至《跨る》と呼ぶそうじゃが」[訳註:冗語とは無駄話を意味する言葉ゆえ、もしかしたら城語カステリャーノ――城国の言語レーングア・デ・カスティーリャ――と記すべきかも知れぬ]

「オンドリ……メンドリにではなく?」四足の女王レーイナ・クアドルーペダは家禽を種にあらぬ想像に耽ったものとみえる。「いやニワトリなら後ろからか」

「キキリキーならもうこ結構」夜を徹して行われた寺墓地の清掃を思い出して身震いする猫の従士。「だいたいバッテリーすぐ切れるようになったんはあの夜からなんですぜ?」

「どの夜?」寿司を食べて別れた夜である。「コケッコーなら朝じゃないんか」

「朝までコースですわ……慈善事業して呪いというか仏罰?受けてちゃ世話ないや」

「いやね、」騎士は机の天板エンシメーラを撫でながら以下に続けた。「――元は«montar el poyo»ってのが正しいらしいがね」

「ポニョに乗る?……変態じゃないか!」

「えっ別に変態ではないだろ」ポニョとは魚の少女ニニャ・ペス――雌の稚魚アレビーン・エーンブラ?――のことだ。「背中に乗っけて運んでもらってるとかだろイルカショー的な」

「ポヨというのは石の縁台ですじゃて」嘗ては多くの家屋で玄関扉の脇に設えられていたものなのだ。[訳註:つまり民家の軒下で一段高い所に上がり、通行人相手に演説を打つ様子から《騒ぎ立てて悪目立ちする》といった意味合いで使われるようになったものだろう。後に先述のY発音現象ジェイースモによりyとllの発音が混同された結果、《台座ポヨ》に代えて《雄鶏ポリョ》が用いられるようになり、恐らくは喧しいだけで意味を為さぬ鳥の鳴き声――登壇者が張り上げる声だけでなく野次を飛ばす聴衆の雑音も含まれる――の印象と相俟って、荒馬や猛牛を乗り熟すロデーオ宜しく暴れる鶏に跨り衆目に醜態を晒すといった、些か珍奇な絵面をも想起させる慣用表現になったものと考えられる]「先人曰く《演壇は板場より姦しく、機場はたばよりも毳毳けばけばしい》のだとか」

「それ言ったら花束は花壇よりも終演後の舞台役者にこそ相応しいんじゃなくて?」

「サンミコもいい加減しつっこいお方だね」いつしか慢性的な暗所恐怖症ニクトフォービア・クローニカ[訳註:第三十八章では《一時的なテンポラール》と記していた]に罹ってしまったらしき青猫は一刻も早く光の降り注ぐ地上へと戻りたいらしい。「舞台役者っつったってこの男装女子さまのお御足は大根というよか白アスパラだし、ハムレットってよりせいぜいウィンナレット程度の腿周りしか、どう見たってないじゃないですか」

「そういうお前の太腿の間はトイレットくらいしか付き合いがねえだろ」

「またそれか……頻尿で貧乳なのは別の中坊だっちゅうの」仮令頻尿メオーネスでなくとも最低限の文明を培った霊長類である限りは、おしっこメーオスと付き合う数だけ小便器メアデーロスとも仲良くしておくに如くはない。「憶測で物を申しますけどね、たしかに『アマデウス』の方は舞台劇かもしれませんが」

「サリエリのヤツ?」

「そう――ラ・サンチャのドニャキが模範とする『アマディス』ってな、アレは多分『ドン・キホーテ』と同じで小説なんですよ」的を射た憶測アティナーダ・スポスィシオーンであった。「お芝居ではなく」

「しばいたろか~ってアマデス?……坊さんではなく?」

「ディスですって。ディスらないでくださいよ」

「だからデスっただけだろが……メガデス的な意味で」

「死ねってか、尚のこと悪いわ」主人に死なれては従者も御飯の食い上げだレ・アカバレッ・コスターンド・ラ・コミーダ!(死ぬのがメガネなら兎も角)

「いやアメダスみたいで何か人の役に立ちそうじゃんアマデス……アメダスの名称が何を指してるかは知らんが」これは《気象情報自動取得機構スィステーマ・デ・アドキスィシオーン・アウトマーティカ・デ・ダートス・メテオロローヒコス》の通称であり、具体的には日本国内に千箇所以上設置されている気象観測を目的とした無人施設のことだ。これまで幾度となく指摘した通りアメには《雨》の語義がある為、略称としても語呂が良かったのだろう。

「飴を出そうが鞭を入れようが役立たずは役立たずですがな!」並木道アラメーダス[訳註:西álamo+-eda《箱柳ポプラ+木立》から成る]ならば大陸を横断せずとも欧州圏内で腐るほど観賞することが出来るが、これが狭くてしかもどん詰まりの地下道ともなると葉擦れを鳴らすような涼風が吹くこともなく、湿気と熱気がさぞや滞留した空間であったものとの想像が付く。

「ドMなら全然立つだろ!」

「何が!」

「やめんか」口論に励む姉妹の間に割って入るドニャ・キホーテ。「姫姉様もそのくらいでお控えくだされ」

「ひっひめねえさま……感動の余り青き衣まくり上げて金色こんじきのモノが滴り落ちそう」

「嬉ションじゃねえか、こんなところでやめてくれ警察呼ばれる」その場合は《金色の野カンポ・デ・オロ》ではなく《泌尿器系の分野カンポ・ウロローヒコ》へと赴くべきである。「そんなアンモニア臭匂い立つべしなんてことになったら衣より先にこっちが顔面蒼白になるわ」

「暁とか曙とか謂うからにゃ、青よりは赤に近い白み具合であろうよ」爽やかな一日の始まりにそぐわぬ遣り取りに思わず騎士は相好を崩した。尤も《早起きせし者をば神は助くア・キエーン・マドゥルーガ・ディオース・レ・アジューダ》とはいえ、夏場の九時ともなればもう大分陽も高い。[訳註:暁を夜明け前、曙を明け方と解釈しそれぞれmadrugada/amanecerと訳されているが、前者はmaduro《熟れた》と同語源である為に青よりも赤が似付かわしいことが斟酌できよう]「三人寄ればとはよくぞ謂ったもの、ふたりの話を聴いておるとはて『アマディス』の書き手がモンタルボならば、『アマデウス』の戯作者もモンタルポで差し支えぬように思えてくるから不思議じゃ」[訳註:本稿でも度々言及されてきたドン・キホーテも愛読せし由緒ある騎士道小説«Amadís de Gaula»の著者はGarci Rodríguez de Montalvoでその姓は羅語のmontem albus《白い山》に由来し、名詞のalbaも朝まだきの白んだ空を指す言葉である。一方で戯曲«Amadeus»は英国人ピーター・シェーファーの作で、映画版の脚色も自ら手掛けている。《モンタルポ》は当然montar el polloの短縮形なのだが、固い巻パンや菓子パンを意味するbolloや動詞boyar《浮かぶ》の活用形boyo――英語にもboyから派生したboyoボヨウ《野郎、ガキ》があるが、例えばウェイルズ等で用いられる場合は幾分侮蔑的な語感を伴うと謂う――は兎も角イスパニア語にvollo/voyoなる単語は存在しない]

「モンタルボでもモモタロボーイでもいいけどもキビダンゴやミートボールは別口で調達してくださいな」筋骨隆々の牛肉洋菓子ビーフケイクと比べると一口大タマーニョ・デ・ウン・ボカードゆえ持ち運びにも重宝しそうだ!「うちらはだんご3姉妹じゃないんですから」

「よく知ってんな。生まれてないだろまだ」ここに安藤部長が控えていたらきっと《グレタ・ガルボでも》と口を挿んだことだろう![訳註:ガルボ最後の出演作は一九四一年公開の『奥様は顔が二つ』なので、女子高生が生まれるより半世紀以上昔に活躍した女優ということになる。尚、第三十二章は名古屋電視塔の下で蓮嬢が発した英語の台詞「パリ市民がエッフェル塔に上るのは~」の引用元である『ニノチカ』は三九年の映画]

「一度バカ売れした曲なら金になる内は団子がカピカピになってさすがに食えなくなるってくらいまでは売られ続けるものです」

「いや自分らで売れ残り食う分にはいいけどあくまで商品として出すなら賞味期限過ぎた時点で下げろよ」

「まァ嫌なら買わなきゃいいわけで、食中りってのはあっても曲中りってのはそうそうないでしょうからな」寧ろ著作権が切れてからが勝負である。「つまりアンパンマンやアンマンパンみたく、我が身を削って文字通り身を切ってまでカバオくんだのカバジェーロだのの畜生を養う気なんかはさらさらパウダーシートって話よ」

「何だアンマンパンて、アンマンをパンで包んだもんか?」

「モチのロンもといもちもちのパンです。アンパンマンだってアンパンをマンで包んだものですから」

「¡Eso me basta a mí...!」ドニャ・キホーテは靴を履いたまま、薄っぺらい舞台上へと片足の踵を載せた。「おふたりともパパゲーノの鳥黐とりもちよろしく幻術に絡め取られておるわい」

「ありゃ、乗るんですかチキンに?」

「待ってました」

「アマディスの右腕ガンダリンも、ゴンドリンの名剣はいするガンダルフも――」こちらを振り返った騎士は一旦女乗りとなってア・ムヘリエーガス[訳註:騎乗時に馬の片側で両足を揃える横鞍座りのこと]から――セビリアの代理で女誑しムヘリエーゴを演ずる必要もなかろうに!――ふたりを見下ろした。「盲のツバクラメや転がったまま起き上がらぬツバメゴロンドリーナの背なよりは地に足付いたオンドリポジョの方に跨るじゃろて!」

「なるほどゴンドーラじゃガンダーラにも辿り着けまいしな」慥かに漕刑囚レメーロスの数十人くらいは繋いだ櫂船ガレーラの一隻も用意すべき航海だ![訳註:ガンダーラは現代のパキスタンに存在した王国であるから、日本からにせよ地中海や大西洋沿岸からにせよ漕ぎ手ひとりの平底船で目指すというのは流石に現実味を欠くだろう]「……そしてゴロンドリーナって何かクセになる響き」

「然り――こいつなら燕返しや目眩まし、延いては枕返しまでも警戒せにゃならん気疲れとて省けましょうぞ」

「サンチョのシャルロッテにってんならまだしも、他のオスの上に跨っちゃったらイポグリフォが嫉妬しますぜ!」

「跨ってはねえよ座ってるだけ」

「いや間違っちゃねえけど、騎乗するならせめてダチョウかチョコボ――」

 地面から見上げると長身の少女騎士が机の上で立ち上がれば天井に頭が閊えてしまうのではと危ぶまれたに違いないが、妹にとっては鶏のグラつく四つ足クアートロ・パータス・フローハス――責めないでいただきたい、エルは前肢の役割を普段は無様に羽撃く以外で使った例のない小羽アリータス[訳註:どちらかと言うと食用としての手羽先を指す単語。尚、人称代名詞を省きがちな西語で敢えてélと書き足しているのは、机を意味するmesaが女性名詞だからであろうか]で無理やり代用させているのだから!――の方に気を取られていたし、姉の方は目の前に屹立する一対の脚線美に甚く目を奪われておったとみえ、舞台女優が最初に口を開くまで彼女に腰より上があることすらもすっかり忘れてしまっていたのである。


J'aime, hélas! c'est assez pour être malheureux.

 花は一旦中断すると、口を閉じたまま二三度喉を鳴らしてから――想定した音階から外れていたのだろう――矢張り同じように空咳を零し暫く瞑目したが、やがて両手を――ドニャ・グリコ宛ら――天井を支えるかの如く突き出すなり作品オーブラを再開した。

Ah! que l'amour paraît charmant!

Mais, hélas! il n'est point de plus cruel tourment.

Que je trouvais d'appas dans ma naissante flamme!

Que j'aimais à former un tendre engagement!

Je payerai bien chèrement

Les trompeuses douceurs qui séduisaient mon âme.

[訳註:「愛しい、口惜しくも!充分だろう不幸の理由としては/吁!愛の斯くも惹き付けること!然れど、口惜しい!残虐な拷問以外の何物でもない/如何なる魅惑を見出だせよう我に芽生えし炎の中に!/喜びだったのだ恋の約束を取り交わすのが!/対価など申し分なく払おうではないか/我が魂を惑わせし偽りの安らぎトロンプーズ・ドゥーサーが為ならば」和訳訳者。最後の仏douceurは《甘みドゥーサー》とも訳せることから、折角遥々会いに来てくれたのに顔を見るなり早々に引き上げてしまった甘味姫ドゥルシネーアこと安藤さんへのやや稚気を帯びた憎まれ口をも読み取れるやも知れぬ。それこそ第六章は箱根峠での「ああ吾が身の惨苦そしてああ薄倖アイ・ミーセロ・デ・ミ・イ・アイ・インフェリーセ!」といい、世の英雄たちというのはどうにも自ら憐れむ不幸自慢を好むものらしい]

「――このくらいにしておきましょう」

 劇場玄関の外に設えられた仮舞台エスセナーリオ・プロビシオナール――それでも雄鶏ポジョよりは若い驢馬ポジーノに近い高さがあった筈だ――を、平土間オルケースタ[訳註:或いは管弦楽団演奏席の位置]から口を開けたまま見上げていた御子神と千代さんは、花束の贈呈は疎か拍手を送る機会すら逃して只々呆気に取られていた。

「……中間声域バリトンよりはまだ望みがあるかと敢えて試してみたものの」騎士は両肩を竦めて己が不出来の弁解に徹した。「――これじゃ端から諱に因み、敢えてペリオン王とゼーラント伯が息女のあいの子フロレスタンの方を諳んじるべきじゃったかしらん」

「……ご覧アンドお聴きの通り、エコヒイキな天が粋な計らいで五物ごぶつ十物じゅうぶつも大盤振る舞いしちゃったトバッチリで」従士は長姉の肩に手を置いて以下に続けた。「――私やニコ助のような零物ぜろぶつというか、いっそオダブツな子供がブツの足りない数だけ生まれてくる結果となるんですよ」

「俗物とはいえ生まれた時点でお陀仏は切ないな」零和遊戯フエーゴ・デ・スマ・セロという名前が付いていただろうか、その場合ラ・サンチャやエル・トボソの従者などはそれぞれ負数――つまり短所――のみを与えられてこの世に生まれ落ちたことになってしまう。[訳註:安藤部長や馬場嬢との間では第一章にも似たような遣り取りがあった]「……今度はイタリア語ではなかったように聴こえたけど」[訳註:《今度は》とは、昨夜会場前で花とヴォルフが吟じ合った『解放されしエルサレム』が――文意の聴解はからきしだったにせよ――何語の詩であったかくらいは理解されていたことを示している。第四十六章を参照されたい]

「リュリとキノーによる歌劇ですじゃ」歌詞の中で何度か繰り返された巻き舌のRエッレス・ビブラーンテスがミコミコーナの抱く仏語の発音フォネーティカから幾分掛け離れていたのかも知れない。「多少時代は下りまするがヘンデルやバッハの作も御座います」[訳註:モンタルボによる小説『アマディス・デ・ガウラ』の初版は一五九〇年、歌劇への翻案はリュリ版/ヘンデル版/バッハ版の初演がそれぞれ一六八四年/一七一五年/一七七九年で何れも『ドン・キホーテ後篇』が出版された一六一五年より後世のものとなる]

「じゃやっぱ最後のはモナム~って云ってたのね」

「御清聴の通りで[訳註:正確にはmon amour《我が愛モナムール》/mɔ̃.na.muʁ/ではなくmon âme 《我が魂モナーム》/mɔ̃.naːm /のようだ]……そらチヨさんや、静かなるテルマエで陛下も仰せであったろう……ミンクスとプティパに依るバレエ版『ドン・キホーテ』に就いて」

「言った言った!」演劇ではないが――ドン・キホーテを扱った別の著名な音楽劇も[訳註:英題«Man of La Mancha»]人名そのものではないにせよある種の冠作品ティートゥロ・エポーニモには違いない――舞台芸術の一ではあった。「わらわらたしかにおおせであったぞ!」

「つまりバレエの『ドン・キホーテ』があるんだから『アマディス』だってドフラ……フラメンコにくらいなってるぞと」

「いやこの距離で視えてなかったんかお前そんな踊っちゃいなかったろうが」この足場で激しい舞踏を演じれば最悪雄鶏の背骨を砕くことにもなりかねない。最後のパハ一本が駱駝カメージョの背を圧し折るなら、最後のパタ一本はカバージョの四肢さえも崩壊させよう。「バレエの方もヒロインはまァメンコっぽいステップ踏んでたかもだけど」

「ああ……何でしたっけシンゴだかセンコーだか?」

「カトリだそれは……いや違うキトリか、あの後気になってググったんよ」[訳註:静岡篇の第十章に加え、五条橋上でサラマンドラと一戦交えた第四十章でも言及があった]

「なるへそメンドリなら卵も生むけど、オスだから焼き鳥一択ってわけですな」雄鶏の背に――跨るのではなく――直立したままの主人を仰ぎつつサンチョが追従ピローポを加えた。「天使の如き歌声でありながら何となく色恋で嘆いてる狂おしさは色濃く感じ取れた気がしましたよ……箱根の山奥と違って着衣しててもちゃんと狂えるということも、これにて晴れて証明されたのが収穫といやあいえましたでしょうか」

「箱根と違って着衣でもってどういう意味だおい、そこ詳しく」

「てことは何だ、昨晩の閣下はきっと我が主ドニャ・キホーテに歌姫――歌騎士か――の素質を見抜いたというかおメガネ……お耳、お補聴器?――に叶ったからこそのあの一場面てのが、まァどうやら事の真相なようですな」あの一場面エサ・プレシーサ・エスセーナとは花が楽団の声楽家より直々に御言葉を(何なら贈り物までも)賜った件のことである。それはヴォルフ閣下が決して休暇中の女子高生の外見に惑わされたわけでないという弁明にも聴こえた。

「お補聴器って何やねん……女神ディーバっつんだよそういうのは」

「デーバ――出っ歯?ってワードが出てきた後じゃあんまし神々しく響きませんがの」

「もう止してくれ」ラ・サンチャの蜂――はて彼女の地声ボス・ナトゥラールは果たして斯様にも高かったろうか?――は膝を折った。「対高音域コントラテノールどころか高対高音域コントラルトすら覚束ないのに歌うに事欠いて高対音域オート=コントルに挑もうとは……耳の穴なきマンドラゴラも思わず目口を閉じる我が出しゃばりの絶唱が、後生だから遠くサンタ・クララを牛耳りし――もといトルデシーリャスに囚われし大人たいじん大耳おおみみ様まで届いておらねば助かるのだが!」[訳註:声楽で音域といえば大まかには高い順から女性soprano > mezzo soprano > (contr)alto > 男性ténor > baryton > basseの六段階――男性の声種は仏語表記にした――へと分類され、男女の中間には更にcontreténor > haute-contreが含まれるが、前者が頭声つまり裏声を用いるのに対し後者は胸声のまま極めて高い音階を発する点に特徴がある。要はアマディス役がオートコントル、腹違いの王子であるフロレスタンがバリトーノなので主人公の方が幾らか負担が少ないとはいえ、女性の最低音域であるアルトですら苦しい花がそれよりも低い声を絞り出すのはそもそも無理があったということ。尚、コントラテノールというと門外漢の我々などはどうしても近代以前の去勢歌手カストラートを思い浮かべてしまう為、自身の四半人前の歌唱が一応本職のパロミ女王の耳に入っては恥ずかしいと、きっとそのような苦衷の表明なのだと勝手に忖度してしまうではないか?]

「ちょちょちょいやいやプリマドンナの振りだけしといてプリマハムの方は割愛ってんじゃ」銭湯でも聴いた社名だが、この第一腿肉プリーモ・ハモーンとは則ち《極上の豚腿ハモーン・スプレーモ・デ・セールド》を提供する旨を標榜せし日本の大手食品加工企業――5Jシンコ・ホータス雪山モンテ・ネバードのような――である。「――板の上にも上り損だし、我々としたってイタリア男性並みに至れり尽くせりする機会をみすみす逃す羽目になるじゃないですか」

「何云ってんだお前」

「やだから脱が……装備を解いておあげになるんでしょうや」

「ああ、そういう文脈だったか」それがシェーンブルン再訪の目的であった。

「別におっぱいが無いならオッペラ……オペレーターになればいいじゃない的な動機じゃなかったはずでしたよ」

「それだと逆に音響ピーエーとか照明の人っぽいが」舞台技術の裏方たちエキーポス・デ・トラモージャである。「オペラ歌手って何てんだ……オペラー?」

「オペリスタでしょうな」但し伊語ではヴェルディやプッチーニ等作曲家コンポスィトーレスの方を指すのだという。[訳註:西語でもまま《歌劇の歌手カンターンテ・デ・オーペラ》と呼ぶ方が一般的だろう。尚、伊operaも英operatorも語源は羅opus《仕事》に遡るが、独語Operatorオペラートゥアは電子計算機に於ける演算指示の記号――演算子の意に限定されるとのこと]「美声の芸神ムーサカリオペーに愛されし者たちです」

「オペリスタでもオベリスクでも何でもいいけど――」方尖柱オベリースコをご所望ならば、階段を上がった脇の便利店の角にも一本立っている。「地下とはいえここ防音扉の外ですからねしかもクソ響くし、も少しリスクマネージメントてえヤツを考えてお歌いなされ」

「相分かった」

「路上からでも聴こえてたかな……まあ車のがうるせえだろし。朝飯食ったらカラオケ行くか外ちんたら歩ってても暑いだけだし」伊勢海に吹く軟風ブリーサの香りを嗅ぎ、潮騒ルヒードに耳を傾ける予定はどうやら返上されてしまった模様だ。「日本のオケ屋にオペラどんだけ入ってるかは分からんがまァオッペケペーならあんべ」

「オッペケ……そいつァなんのムーサです?」《原爆の父》オッペンハイマーに霊感インスピラシオーンを与えた技芸と科学を導く女神ムサ・キエーン・プレスィーデ・ラス・アールテス・イ・ラス・シエーンシアスが居たとするならそれはけだし天女神ウラーニアであろう。(それとも死と破壊を司る女神カーリーの姿を借りた暗黒神ディオース・オスクーロクリシュナだろうか?)

「お前はもちっと日本の文化史を勉強しろな」ミコミコーナはいざ執刀を開始せんとする間際の外科医よろしく両手の指先をピンと天井に向けて伸ばしたが、やがてそれら十指は蛇髪三姉妹トレース・ゴルゴーナスの頭髪さながら銘々が好き勝手に鎌首を妖しくくねらせ始めるのだった。「……さて今日一のオペレーションが」

「カンカンムーサはたしかアフリカ史でしたぜ」マリとギネアならば国境を共有する隣国ですらある。

「カンカン娘は日本だろがい」因みにcancánと綴ると仏人娘たちによるけしからぬ舞踏ダンサ・デ・エスカーンダロスだろうけれど、日本語でkankanといえばこれは怒りで沸騰した状態エスタール・イルビエーンド・デ・ラービアを指す擬音なのだと謂う。湯沸かしテテーラをヤカンと呼ぶことから発生した表現とも考えられよう。「ではでは失礼して勝てばカンクン娘さまのおみ足をば……も一度お立ち台にお立ちいただけますかしら?」

「お手数お掛けします……立つならオベリスクの如くと仰せかな?」

「そりゃもうオベリスクでもアラベスクでも如何様にも……」然もアラビア的な立ち姿ポストゥーラ・デ・ピエ・ムイ・アラベースカと聴いて思い浮かぶのは両手の小指同士を接着させるあの祈りの姿勢だろうか?「シューマンでもドビュッシーでも……ラシドシララシドレミ」

「ブルクミュラー――つまり城詰めの粉挽きに成り切るも良しと[訳註:独作曲家の姓BurgmüllerがBurg+Müller《城+粉屋、製粉業者》に由来することから]」風車の巨人ヒガーンテ・デル・モリーノ観覧車の半百腕メディセンティマーノス・デ・ラ・ノーリアが頭上に屹立しているでもないのに?[訳註:独Müller/Windmühle=西molinero/Molino de viento《粉挽き、挽臼を回す職人/風車、風力製粉機》]

「何を回しとるんですかそんな踏ん張られてもハムのラベルがズラしづらくなるだけで、太腿はちっとも太まりませんぜ?」従士は自分の目の高さにあった主人の膝小僧を軽く小突いた。「そんな屈伸せずにあの……アレ、ミケのビデ像みたいなポージングをしたらよろしかろうに」

「何だビデ像て、それ絶対座ってるポーズだろうが」王女は特に今触れる必要のない騎士の脛廻りを両掌で艶めかしく擦りつつ横目にて猫の従士の軽口を戒めた。「全裸は全裸でもミケのランジェロじゃなくてロダンの方だわ」

「時短のために濁音一個省略しただけでしょ!」ほんの半秒でも早くこの場を脱したい、或いは朝食の席に着きたいサンチョはそう云って口を尖らせる。「誰か来たら注意されるか注意されずにいきなり110番かの二択なんですからね……分かったよじゃあラ・サンチャの旦那ャ様や、ビビデバビデ像の――」

「なっが、字余りが過ぎる」着衣はもとより今度は頭巾帽カプーチャまで被っていそうな彫像だ。

「ビビデ……こんな感じかの」ドニャ・キホーテはまるで楽団の指揮者のように高低差を付けて両手を持ち上げた。

「あっ、これ持ちます?」手荷物の締具シエッレの隙間に挿し込んでいたと思しき魔術師の手を引き抜いて騎士の腰辺りへと差し出すギネア王女。「あの何、魔法のワンド的な」

「忝のうございます」

「ちょい待ち」千代が片手を翳して背中掻き棒の手渡しを遮った。「持つならというか差すならお腰の物になさいませ……そう、今貴女さまが腰にお差しになってる方です」

「屋根があるのにかね?」

「トトロだってバスの中でも差してたでしょうが」雨中の停留所で父親の帰りを待つ幼い姉妹が、父の為に持参した雨傘を偶さか出会した三匹の森の精トレース・エスピーリトゥス・デル・ボースケの内で最大の者に譲渡したのである。「まァ私の喩えが悪うございましたよ……ビビデバビデというよりこの場合はチムチムチェリーの方で」

「チムチムじゃニーだから兄貴じゃねえか、チェリーだし」

「じゃあチムチムネーになさいよもう細かいな。ゴツい戦国武将やら三国志の武人どもだって美少女化される世の中だ」わざわざ女体化せずともメアリー・ポッピンズは初めから女性である。「そもそも名古屋のハコ再訪の目的の半分はそのスーパーカリフラジリスティックを花開くことで《シェーンブルンの》を名乗らせる大義名分を付与する為だったのをよもやお忘れではございますまい」

「やれやれ雄鶏に乗ったら蜂の頭が鳥頭になっておったわ」騎士は自戒の念を込めたのであろう、引き抜いた腰の得物で己の額を軽く打った。「猫の額のその奥にしこたま詰め込まれたとみえるおぬしの聡き物覚えには此度もよくよく助けられたぞ」

「鶏は三歩歩けば忘れるっていうが猫だって三日で恩を忘れるんじゃなかった?」

「端から感じてないもんをどうやって忘れろってんです?」人の財布で散々飲み食いをしておきながら、流石《猫の額の寸法タマーニョ・デ・ラ・フレーンテ・デ・ウン・ガト》が狭き場所の比喩表現であるだけのことはある!「早起きして三文の徳どころか一文にもなりゃせん内に散歩して一両損じゃ、面倒臭いを通り越してメンドリ臭くて叶いませんがな」

「――ん?」

「ふふ、《牝鶏ひんけいあしたす》か……斯様な散切りじゃ鶏冠とさかも結えぬわな」花は軽くなった髪を一撫ですると、今度は折り畳み傘の留め具に掛けた指を一旦止めてから以下に続けた。「しかしチヨさんの申す通りじゃて。花を賞するに慎みて離披りひに至っちゃそれこそ理非も無し」

「昨日は出待ちの奇跡でバタバタしてたし忘れるのもまァやむなしだったかもとはいえ、三度目はございませんからな」今晩には発つのだから、同じ日に二度までもアマデウスの去った宮跡を訪う謂れはない。「あれ、まだ眺めとるんかい……まァ開いて差すのも閉じたまま振るうのもご本人の自由だが。ではミコミコーナ電光石火……ミコさん?」

 預言者の首との接吻を待ち切れぬ猶太の四分領太守が娘イハ・デル・テトラールカ・デ・フデーア[訳註:ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の三男でペレア及びガラリヤ地方の領主)の義娘、より正確には彼の後妻ヘロディアとその前夫であり彼の異母兄でもあったヘロデ二世との間に儲けられしサロメ三世――つまり息子の嫁ヌエーラではなく再婚相手の連れ子(継娘イハーストラ)――のこと]よろしく恍惚なる眼差しをまだ蕾の開いておらぬ晴雨兼用傘へと注いで動かぬ頭上の主人から一先ず視線を外した猫の従士が傍らの牝牛の王女を見遣ると、そちらはそちらで何故かドニャ・キホーテの太腿の一点を注視したまま微動だにせぬものだから些か面食らってしまったのである。


御子神はやがて懐中から自身の端末を取り出すと照明機能を起動させ、薄暗い地下空間を探検中に古代文明が残せし神秘文字アルファベートス・ルーニコスの刻まれた石板でも発見したかのようにその対象へと白い電灯を、次いで己の双眸を極限まで接近させた。

「何やってんのアンタ……こんなとこで何かに目覚めないでおくれよ怖いからさ」千代は彼女が脱着を担当すべき側の脚へと向き直った。当の持ち主こそパロス島の大理石マールモル・パーリオのように強靭だと信じていたに違いないそのくびれた円柱は、そのか細さにしても滑らかな質感からしても傍目には素焼き陶器ポルセラーナ・デ・ビースケで形成したものとしか思われなかったに違いない。「……しっかし全然食い込んでないのな。私がやったら絶対ラベル貼ってあるそこそこお高いボンレスハムのネットというか、いっそ注射する時に腕縛る紐みたくなってますよこれ」

「梢を縛ったことで花果かかへの光合成産物の分配率も高まったことだろう」果樹でいうと脚は幹だろうから、結縛処理メートド・デ・アマッレ[訳註:文意に沿えばこちら――無駄に枝を伸ばすのではなく着果の為に栄養分を集中させる方法――が適当かとは思ったが、本来は効率的に植物の生長を誘引する為に枝の張り具合を調整する結束処理の方を指す用語とも考えられる]を施すならば矢張り腕にであるべき[訳註:関係者に配布される通行証は元々太腿ではなく二の腕に通す代物]ではなかったか?……光合成フォトスィーテスィスも何も、元よりここには陽の光など一向に届かぬ。「そろそろ開花してよい頃合いかな?」

「いっそ収穫してもいいくらいと思いますがね」

「疾うに慎みが過ぎていたらしい!」[訳註:直前の《花を賞するに~》から。満開どころか実が成ってしまった後ではいくら花見をしようにも遅きに失するという理屈]

「ちょっと引っ張りますよ……さっきの話ですがね」騎士の太腿とそれを囲むバンダとの隙間へと慎重に両手の指を差し入れるサンチョ・ハンザ。「私がアマデウスじゃないのと同様にドニャ・キホーテもアマディス・デ・ガリアではないわけです」

「成程、ガリアじゃ独語アレマンで書かれた『フランシアのアマディス』の方かもね」[訳註:西Galia=仏Gaul、西Gaula/Galles=英Wales]

「ラフレシアかはともかく……まァせいぜい盛って目立ちたがり屋でしょう」

「でなけりゃ恥ずかしがり屋か寂しがり屋だが」花は漸く傘の留め具を外した。「猫が狼の従士でないのと等しく蜂だって獅子の騎士ではないさ」

「つまりもし、仮にですよ、カリオペーにあやかるのはカリオケーに入ってからに限るって条件付きではありますが」千代は恐る恐る腿甲ムスレーラから膝甲ロディジェーラへと通行証パセの防護箇所を下降させつつ以下に続けた。「次にオペラる機会がありましたら是非ともそのフロランタンの方を歌いなされませ」

「フロランタン!」紅紫陽花の騎士は思わず膝から崩れ落ちそうになったものの、偶然その位置に保護帯プロテクトールが巻き付いていたお陰で弾性エラスティシダッにより直ぐに元の姿勢へと立ち返ることが出来た。「慥かにフロレスタンじゃ森の騎士とも混同しかねぬところ、花都風フロランタンならば花から出たことに疑うべくもない!」[訳註:ガウラ王の庶子Florestanの語源は羅語のflōs《花》に取ることも可能に思えるが、同じく羅forīs《森》から派生した西forestaに由来すると考えるのが通説らしい。一方で仏Florentinが《フィレンツェの》であることは明白である]

「まァ騎士ではなくて菓子かもですが」ビスケはビスケでも焼き菓子ビスコーチョの方だったわけだ。

「そりゃオリアーナと尿オリーナほどの開きがあるな!」[訳註:オリアーナは大ブリテン王リスアルテの娘にしてアマディスの想い姫。騎士と王女なら釣り合いも取れようが、食物と排泄物を同列に語るのは如何なものか]

「まあまあ、猫舌ラングドシャの従士の主人がフロランタンの騎士ってんならそれなりに――」

 ――ガチャリクラック。重々しい宮殿の内扉の握りが回された音ではない(……無論、歌劇の即興が実演された直後だからといって折畳式筒型帽子ソンブレーロ・デ・コパ・プレガーブレ[訳註:西clac=英opera hat]が投げ込まれたわけでもない!]。

 開かれたのは地下一階に設けられた別の入口であった。主従の視線が一斉にそちらへと注がれる。

「お早いお着きで」「お?……はようです」

「……おはようございます」

「――御精励のところ頭が下がる思いにござるが、」ドニャ・キホーテは戸口から首だけ出した闖入者をかなり高い位置より見下ろしつつ以下に続けた。「朝早うから騒がしゅうて申し訳ないことです」

「……いえ、大丈夫です」ギギギチイイイル……「落ちないようお気を付けて」――ガチャンクロンク

「ご親切に……」戸板に隔てられ既に届いてはおらぬであろう相槌を打ってから、改めて蜂の騎士を見上げる猫の従士。「不法侵入してるのに逆に心配されてしまった。お店の人ですかねアフロの?――いやパンチパーマか」

「アフリカは陽の当たる場所を意味するアプリークスが元とも謂うが」日傘の布はまだきちんと折り畳まれたままである。「――ベルベル人の言葉でイフリといや洞窟を指すとも聞くから、まあ確かなことは分からぬな」

「へえ……アメリカの語源がアメリゴ・ヴェスプッチってのは世界史の教師が解説してたの憶えてますけど、」おお女王の飼い海牛マナティッ・デ・マスコータにして《新世界の発見者デスクブリドール・デル・ヌエーボ・ムンド》とて最初の航海で臆病風に吹かれエンプハード・ポル・エル・ビエーント・デ・コバルディーア――なかなかに的確なる比喩表現ではないか?――、渡り鳥の群れに従い進路を南西へと変じてさえおらねば、今頃は臍の緒で繋がれたような南米の一角に留まらず、旧新アンティーグア・ヌエーバイスパニア副王領を含む南北両大陸を引っ括めその名を借りて《コロンビア》と呼ばれていたであろうに![訳註:憧れの印度を目指すジェノヴァ人航海士クリストバル・コロンの船団はカナリア諸島を出発した当初、大西洋を真西へと直進していたので、そのまま行けば現在の合衆国南東部の沿岸に到達する筈であった。だがひと月を過ぎた頃、未知の航海に遅まきながら恐れをなした船員たちは暫しの協議の結果、陸地が近いであろう鳥の向かう方角へと舵を切ってしまい、所謂《西インド諸島イーンディアス・オクシデンターレス》へと行き着くことになる。尚、コロンビアは語源とカナ表記が共に同じ故しばしば混同しがちだが、国名の場合はColombia、合州国内の都市および特別区(DC)を指す場合はColumbiaと記さねばならぬ点注意が必要だ]「――名前がかわいい以外の情報は何も残されておりませぬ」

「ヴェスプッチならそれがしの親戚筋やも知れぬがね!」[訳註:伊vespa《蜂》>Vespucci]

「じゃあプッチーニともいとこのはとこの男の女くらいではありそうですな」

「乙子の対なら乙女なのではなかろうか」

「まァ、息子の反対が娘ってんならそうなんでしょうが……ところで、ちょいとそこの」千代さんは首を真横へと捻った。「挨拶くらいしときなさいな現状アナタがいっちゃん怪しげに映ってんだから」

「ちょっと見てみ」

「ちょっと見てみじゃないよ実際お立ち台乗ってる脚長モデルさんよかこんな、薄暗い場所でそのデルモの柔肌だか、毛穴だかを超接近かつライティングしてガン見……何?」

「いやこっち来んな」顔を寄せてきた末妹を押し戻すミコミコーナ。「てめえのライトで見ろって、お御足さまはきっかり二本あるだろがい」

「わての携帯今やライト十秒ごとに十パーずつ……よっと」二灯の脚光が少女の大腿部の同じ位置をそれぞれ照らしている。仄暗い地下空間では慥かに異様な光景であった。

「バカか、毛穴探すなトゥルットゥルだよハナやんのハムは」

「探してねえよ?」

「お前自分で膝まで下ろしたんだろが」

「パンツみたいに言うなや……えっと」従士は端末をかざす位置を下降させた。恐らく映写用の透鏡レンテと投光用のそれは横並びになっている構造が想像できよう。となると一部分にだけ光を当てている条件も手伝って、傍から見れば果たして淫猥趣味な撮影家フォトーグラファ・ラスシーバの如しだ。「……ああパスを見れってことか、そう言ってや」

「フロランタンてアーモンドとかをキャラメルでコーティングしたみたいなヤツやんな」

「聴こえてたんかい聴こえてたならお店の人無視すんなや」前提として挙動が不審なのだから、せめて声掛けジャマードに対し返答くらいしなければ本当に通報されかねないだろう。「あの歯に貼っ付く……まァ浴室用の小洒落た照明器具のことかもしれませんがね」

「ここ地下室だけど明かり近付けて書いてあんの読んでみそ」

「目ぇ悪くなるよ上居る時に言えばええのに……あぁぁ、ナンバー」肌理きめ細かな肌の上で白く反射する通行証に目を細める千代さん。「……何番だ? 肝心の番号がない」

「ナンバーはUとERだろが救急救命室送りにすんぞ」ウルガンダ[訳註:アマディス・デ・ガウラとも親しい魔女でオリアナとの結婚式にも参席する仲であった。第九章では小説『ドニャ・キホーテ』の執筆者候補としても名が挙がっている]の仕事部屋サラ・デ・アルテサニーアへのご招待ならば大歓迎だが、そちら[訳註:緊急救命室サラ・デ・ウルヘーンシアスSUエセ・ウERイー・アール]に搬送されるのは出来たらご勘弁願いたいものだ。

「――あっ、《ナンバ》なのね。いや敢えてローマ字表記なのかと」

「この子らここのハコのパスじゃないってこった」

「それに気付くタイミングが何故今なんだ……生死不明な箱の中の猫じゃあるまいに、明るいとこで見りゃ一目瞭然な情報を昨日の晩から三人も雁首揃えといて、」従士は今一度唇を動かして書かれた羅甸文字を読み上げた。「ナンバ……《なんばしよっと》って九州でしたっけ? 九州救命室でしたっけ?」

「九州というかそれ博多弁とかだろ」九州は日本列島を構成する四つの島の内で南西端に位置する。南部という意味ではアンダルシア地方やカナリア諸島の方言を想像すればよいだろうか。「つか福岡も熊本も長崎も……佐賀は言うに及ばずだが、アマデのツアーにゃ入ってねえんじゃねくて?」

「そりゃ名古屋ならまだしも、九州まで飛ぶんじゃ交通費だけで大赤字でしょうよ」

「ナンバ歩きじゃ能に狂言、歌舞伎に文楽かね」花は狭い長机の上を半身の構えでア・ラ・マールチャ・オブリークア歩いて見せる。「時節柄なら差し詰め盆踊りかの」

「ちょちょちょい、動かない動かない」転落せぬように偶然居合わせた第三者から気遣われたばかりである。「ナンパして歩くなんてのは騎士道精神の風下にしか置けぬ、又はカミカゼにさしてもオッケーな下ネタ野郎のシモーヌシニョウ漏れですぜ」

「誰だよシモーヌ」観覧車の吊籠に乗り込む間際ドゥルシネーアが口にした往年のイタリア女優の名である。[訳註:第三十一章参照]「つかサンチョ無しのうちらふたりだけで名古屋歩いてたら二秒に一度はナンパしてくる輩を千切っては投げ千切っては投げ……最終的にはふたりで契りを交わすハッピーエンディングと相成っておっただろうよ」

「いや部長さん帰った途端ネトラレっつかネトリ宣言かよ大胆だな」

「そりゃもうネットリとな!」

「ナンパにはございませぬ陛下。このナンバは俗に南蛮風すなわち平素とは異なる所作が由来とも、難場すなわち難所を進むための足捌きに端を発するとも」騎士は半端に下げられたままであった腿当てキホーテを引き上げながら解説した。思うにエビガンバのというよりも、どちらかと言えばカニカングレーホの歩行方法に似た――おおげに哀れなるは沼津にて人知れず轢殺されしカルキノス!――所作なのだろう。「変わり種では浪速の難波に――」

「浪速って大阪か」

「理解が遅いな」

「地球の歩き方の国内版に『難波の歩き方』ってのが……ん?」どうやらこの娘、長期記憶する容量には恵まれていた一方で、それを呼び覚ます為には些か時間を要する性質だったようである。「――《シェンよと》の東名阪ってそうだ、渋谷名古屋難波だったわ」

「つまりそういうこっちゃ」出し抜けに御子神嬢が騎士の太腿に張り付いたままの通行証の裏側――指輪なら石座プエーンテ、腕時計であれば裏蓋タパに当たる部位――に人差し指を突っ込んだかと思えば、まるで弓を引き絞るように手前へと軽く引き寄せてから滑るように指を引き抜いたものだから、帯が急速に収縮し通行証を元あった位置へと引き戻した。柏手パルマーダを打ったような小気味好い音が地下洞に響く。「……ハナちゃん気付いてたっしょ」

「……なんば、ゆうとっと?」

「あらかわいい」愛嬌のある博多訛りに緩んだ頬を上辺だけでも取り繕うようキュッと引き締めるギネア王女。「可愛く云ってもダメだ」

「可愛く何を云っとるんです?」千代さんは長姉に通訳を求めたが、返事を待つ間にもう一度主人の太腿へと手を伸ばす。「早く済ませちゃわんとまたぞろミコさんにむしゃぶりつかれますぜ」

「武者震いは騎士さまの専売特許だし、それを云うならかぶりつくだ――ろ?」

 不意にフロランタンの騎士が、想像するに従士の手による執拗な追跡を逃れんとしてなのだろうけれども、雄鶏の背から飛び降りたものだから、義理の姉と妹は泡を食いながらも咄嗟に左右へと飛び退くようにして彼女が着地する為の足場を空けたのである。


留め具が外れたままであった故に花弁の一枚一枚はハラハラと棚引いたもののまだそれは所有者の手により開花されてはいなかったので、メアリー・ポッピンズ愛用の雨傘鸚鵡ロロ・パラーグアスが映画の中で見せたような落下傘パラカイーダス張りの効能を発揮することなく、結局は羽を閉じた蜂の騎士を地面へと勢いよく落下させることとなった。

「あぶなっ!」

「おっとっと」細い両足首に掛かる衝撃荷重カールガ・デル・インパークトを少しでも軽減せんが為着地と同時に前のめりに蹌踉よろけた花は、狭い通路の向かい側の壁に嵌められた窓硝子への追突を両手を突っ張ることで何とか回避したのだった。「――おとーとにちょっととっとってっていっとったとになんでとっとってくれんかったとっていっとーと」(Lit. «Te dije que guardara un poco de Ottotto(galletas saladitas de papa en forma de animales marinos) para mi hermanito, y ¿por qué no se lo guardaste?, yo digo.»)

「びっくったァ~!」あわや地上に立っていた従士の方が尻餅を搗くところであったが、こちらは背後の壁――或いは旧シェーンブルンの内扉――が支えてくれたお陰で踏み止まれたものとみえる。先刻床屋の従業員が顔を出した方の戸口を二三秒見詰めてから、「……出てはこないか」

「お前のが声でかいよ」

「いや何語ですよ! イタ語でもスペ語でもないでしょ今のはポルトギャル語か?」

「だから博多弁だって」南蛮渡来の麺麭パンはともかく、日本食の代表格たる《天麩羅てんぷら》の名称が葡語[訳註:名詞temperano《調味料》又は動詞temperarの命令形《味付けしろテンペーラ!》を語源とする説、他に旧教の断食日têmporas《斎日テンポーラス》に因むという説がある。後者では、日本を訪れた宣教団のイエズス会士たちが牛豚や家禽等の肉食を禁じられたabstinência《小斎アブシュティネーシャ》に際し、その代わりとして食していた野菜や魚の揚げ物から想を得た料理だというもの。因みにjejum《大斎ジェージュン》は一日に一度だけ多めの食事を取る戒律で、これら二種類の斎日の組み合わせにより断食が行われた]に由来する事実を知らぬ日本人も多いのだとか。ミコミコーナは腕組みをしてその巨大な一対の半球を支持しつつ以下のような嘆賞を漏らす。「しっかしほんま器用な子やで。何か似たようなんあったよね早口言葉、名古屋弁のも――」

「早口言葉かい!」日本語の《早いテンプラーノ》と《速いラーピド》は同音であるが、早口言葉トラバレーングアス[訳註:語源は《こんがらかすトラバールレーングアを》]を逐語訳するならば《素早い口ボカ・ラーピダ》の方を選ぶべきだろう。件のテンプラも典型的な即席揚げ物料理フリトゥーラ・ラーピダ・ティーピカだが、まあ《天麩羅には早過ぎるデマスィアード・テンプラーノ・パラ・ウナ・テンプーラ》などという気の利いた台詞を吐く私立探偵デテクティーベ・プリバードも居ないとは限らぬ。[訳註:第四十五章でも引用された«it's a bit too early for a gimlet»の西語訳を捩ったもの。但し元の言葉も私立探偵ではなく小説内の別の登場人物が口にした台詞だ]

「……ポッキーを……違うな、ブラックサンダー?」

「しるこサンドじゃなくて?」

「《キットカット――》」

「だッ!」

「《――買っとかんといかんかったのにアンタが買っとかんかったからいかんかったんだわ》」(Lit. «El Kitkat(barritas de galleta recubiertas de chocolate) era lo que deberías de haber comprado, pero tú no lo hiciste y la culpa es tuya.»)

「そりゃきっとカンカンだ、被告はカンクン送りかさもなきゃリストカットもんだぜ!」刑罰であるならアカプルコに送るべし――先刻物された宣言に基づけばそうなるのでは?

「キットカットと名古屋関係なさそうだが」これは英国生まれの茶請けパースタ・デ・テだけれども、それを云うならオットットだって伝統的な土耳古煎餅ガジェータ・トラドゥシオナール・トゥールカだろう。[訳註:商品名《おっとっと》は魚の幼児語《おとと》由来でありオスマン・トルコトゥールコ=オトマーノとは無関係]「まァ抹茶味があるならういろう味だってあるか」

「勝てば慰労会、負けても当節は人道回廊なる処置が施されると聞きます[訳註:西訳では人道回廊コレドーレス・ウマニターリオスの意訳として《市民の避難を容認する道ビーアス・ケ・ペルミータン・ア・ロス・シビーレス・ウイール》が用いられている。因みに前半は《勝者にはウイロウイーロ・パラ・エル・ガナドール》となっているので一見すると優勝杯の代わりに直方体の外郎餅が手渡される情景を思い浮かべるが、綴りがuiroではなくhuiro《海藻》である為、果たして名誉なのか否か判然としない賞品を授与される絵面が生まれてしまったと言えよう。月桂冠の代わりに昆布を頭に巻くのかも知れぬ]」ラ・サンチャの騎士は何食わぬ顔ローストロ・イノセーンテで、特に砂埃が舞ったわけでもないのに自身の膝頭を――いや太腿をか――二三度払うと、王女の前に恭しく手を差し出した。足元に視線を落とせばその爪先はどうやら階段を向いているようだ――騎士の云う《ナンバ式エスティーロ・ナンバ》か?[訳註:つまり花の方が出口に近く、奥に居る御子神に対し半身を開いた姿勢という想定]「奉納先が御門違いとあらば陛下、斯様な穴蔵に長居は無用ですぞ」

「えっ……そりゃまあそうですわね」ミコミコーナはその手を取って誘われるままに上昇通路を上り始めた。

「ちょ、ちょっと」

「晴れて腿当てキホーテスの騎士を拝命したからにゃ両腿の鉄輪かなわを置いていくのは叶わんけども、」花は引かれる後ろ髪もないのをこれ幸いと、従士の声に己が影すら踏ませることなく地上の光目指しずんずんと攻め上っていく。「サンティアーゴの御霊舎みたまやに納むべき青き手絡てがらに代え手柄に飢えた吾が不肖の青猫殿を残していくくらいならばやや吝かでもないな」[訳註:第二十八章の冒頭でも述べられた通り、オルビゴ橋での《名誉の歩みパッソ・オンローソ》をやや片手落ちながら一応は完遂したドン・スエロ・デ・キニョーネスが想い姫ドニャ・レオノールへの愛の証として巡礼路の終点たる大聖堂に青い飾り紐コルドーン・アスールと共に献じた鉄製の輪アルゴージャ・デ・イエッロは、飽くまで首枷であって腿帯などではない]

「しかり……アマデウスの亡骸の傍らに葬られたなら」生き埋めなればこれこそ由緒正しき《人柱ピラール・ウマーノ》だ。「――盲信者の従士さんもさぞかし本望でございましょう!」

「そっ、そんなご無体な――!」

 暴かれた王の玄室トゥンバ・オスクーラ・デル・ファラオーン・ビオラーダに独り取り残されるのは御免とばかり、半坐千代がそれこそ悪魔に憑かれた魂さながら一目散に無人回廊コッレドール・ソリターリオ[訳註:《孤独な走者コッレドール・ソリターリオ》]を駆け上った次第に関しては余分に紙幅を割くまでもなかろう。


残り数段というところで足を踏み外した従士は、膝や脛を段鼻レボールデに打ち付ける悲劇だけは免れたものの、表通りから見ると沼に落ちた空け者が何とか自力で岸から這い上がってきたかのように――でなければ村民アルデアーノスに悪戯しようと上半身のみ地上に現し、獲物が通り掛かるのを虎視眈々と待ち受ける伝説上の河童の如く――映っていたに違いない。

「何這いつくばってんだ下から覗いてんなよ」

「ちょっと……ちょっとっと」心做しか動悸が収まってきたように思われた千代さんは咳払いして仕切り直さんと試みるが、まだ立ち上がるには数秒の猶予ウーノス・セグーンドス・デ・グラーシアが必要なようだ。「今更アングルとか気にすることもないでしょうに、いつもは膝上五十センチみたいの穿いてんだから」

「それじゃヘソまで見えてるやろがい。ワカメ先輩でもそこまで攻めの姿勢見せんわ!」

「――ってもうキレイに折り目正しく巻き直してらっしゃる」歩道に敷かれた石畳の上を踏み付ける長い脚に向けた視線を徐々に上昇させると、一度は開花寸前まで漕ぎ着けた晴雨兼用傘が元の円筒形へと若返りを果たしセ・レフベネシオッ、伸縮自在の花軸ペドゥーンクロを携帯時の長さへと今まさに押し戻された場面であった。「……バクステパス返却の旅は無駄足で、昨日やり損ねた《シェーンブルンの日傘》の、お披露目だか襲名式だかも結局しないんじゃ一体、何のために朝一で、しかもバスと地下鉄まで乗り継いで祭りの後くんだりまで出張ってきたんだろか?」

「まァバスもパスもガス爆発は不発ってことならうちらは命拾いしたんじゃないか」

「いやパスの方は爆発する要素ないだろ」燃やして燃やせないことはないだろうが、直接肌や衣服に貼り付けられる粘着紙製であるならまだしも、腕輪ないし首掛け用ティポ・プルセーラ・オ・コジャールとなるとそう簡単に着火する素材でもあるまい。「どうすんだこれ、博多まで郵送しろってこと?」

「大阪や言うとるやろがいどアホ」

「四百日本円あれば普通に郵便で送れてたのでは……?」[訳註:名古屋市交通局に拠れば、二〇一五年八月時点での市内乗合路線自動車および地下鉄道の運賃はそれぞれ二百十円均一/初乗り二百円だったとのこと。前年四月に消費税率が5%から8%へと引き上げられたことによる値上げもあったようだ]

「吾が友チヨさん、大事はないかね」手際良く得物を腰に差し戻した蜂の騎士が、依然として階段上部の山折り谷折りシグサーグに張り付いたままの妹分に手を差し出す。「今の内存分に滑っておくのもひとつの手とは思うが」

「この子はどっちかってえと足よか口を滑らせがちじゃありませんこと?」

「はぁどうも……大事の前の障子に耳があるなら」引っ張り上げてもらい漸く立ち上がる千代さん。車道を挟んだ対岸の建築物に反射する陽光が暗所に慣れた両目を射抜く。「――壁の後の階段に目がないとも云い切れますまい」

「何、暗がり繋がりで怖い話? ジュンジ的な、夏の風物詩ですかな?」

「会談もとい密談じゃな……壁の物言う世とも謂う」

「階段というか昇段というか、昇級の目はまだまだ消えてないって云っとるんです」この中学三年生は休み明けの内部評価考査プルエーバ・デ・エバルアシオーン・インテールナの合否についての希望的観測ペンサミエーント・イルソーリオを只々語っているのであった。「……ドニャ様の方もお捻りなる足首のご様態は……さっきまた性懲りもなくダイブなされておったが」

「大分良くなった。勝負事にゃまだちと早いかも知れんがの」朝も早うからデースデ・テンプラーノ

「負けたらアカプルコですし、ここは慎重に回復を待つべきでしょうね」豚箱カハ・プエールコの方とて吸血鼠どもを終日――つまり彼女たちの滞在中――収監し続けてくれるかといえば、そう期待できるものでもなかろう。存外罰金や保釈金を支払って、或いは簡単な書類手続きの他は厳重注意のみで既に野に放たれた後かも知れないのだ。昨日のように無節操に出歩くことが賢明とも思えぬ。「今日いっぱい夜行乗るまではせいぜい足を休めて室内で涼しく過ごすか……」

「君ら水着持参でしょ?」静岡の脱衣室アポディテーリウムで目撃済みである。「プルコはNGでもプールとかは?――青々とした」

「いいですけどお高いでしょう……市民プールみたいんだと数百円すかね?」

「地元だとそんなだよな」市営ヘスティオーン・ムニシパールであれば料金は最低限であろう。「十年以上ご無沙汰だけど。下が水なら騎士さまもダイはらダイ思うがままに、お望みとありゃルパンダイブだってご存分にしていただけるんでは?」

「最後のやりたいのは貴女様でしょ」昨夜《寝台に向けて為されるべきもの》と嘯いたのはミコミコーナ自身[訳註:第四十六章終盤を参照のこと]である。水充填式寝台コルチョーン・デ・アーグアというのならまだしも、水面そのもの目掛けて飛び込むのではただの飛び込みサンブジーダ[訳註:西zambullida<zabullir《水中に沈める(埋める)》]と変わらぬ。「まァ腹打ちしたらクソ痛えのは同じでしょうけど……その手にコウモリがなくたってムササビかモモンガくらいにはメタモルフォーゼれますでしょうさ」

「ドニャキ様ならさしづめムシャサビ……いやフトモモンガ」

「ふふ、鼯鼠之技ごそのぎ螻蛄之才けらのさいか[訳註:共に器用貧乏に類する四字熟語。《鼯鼠》にはムササビとモモンガ双方の読みがある]」花は古の漢語らしき格言ビエーホス・プロベールビオス・タル・ベス・チーノスを引用してその細い肩を竦めた。「《螣蛇とうだは足無くして飛び、鼯鼠は五技ありて窮す》――こうなっては飛鼠ひそに成り損ねた峠の吸血鼠どもを笑うに笑えんな」

「そりゃ笑える時にゃ笑ってりゃいいと思いますけど、そもそもうちらよそもんにも門戸は開かれておりますかいね?」市民税の納付者か否かを検査する為とはいえ、よもや子供たちに逐一顔写真や住所の記載された身元証明書等の提示を求める遊泳施設ピスシーナ・インスティトゥシオナールもあるまい。その手の厳重な入館管理を備えているとすれば会員制の施設だろうから、寧ろ使用料もずっと高額になってしまう筈だ。「つかミコさん水着なんか持ち歩いてんの?」

「持ち歩かねえわグラドルかよ」

「常に下に着ている?」

「それしてたのお前らだろ」ヌマンシアの海岸で溺れかけた日の晩は着替える場所もないまま野宿した故、御子神嬢と邂逅した銭湯で脱衣するまでは恐らく三十時間前後もの間水着を着用したまま過ごしていたのであった。[訳註:第八~十章を参照されたい]「この下に装着してたらマイクロ通り越してナノビキニなの」

「ほらチラ見えしてんの下着だと見せかけといて実はって可能性も」季節柄露出の多い出で立ちではあるのだろうが、彼女畢生の趣味オーブラ・デ・ス・ビダ[訳註:西obra《作品》は通常なら研究や事業と訳出するところだが、御子神嬢の扮装趣味コスプレも今のところ仕事ではなさそうなので]を鑑みれば日焼け対策にも余念が無いだろうことが窺える。「単独行動の時はご自由になさって構いませんが」

「――じゃないから恥ずかしくないもん!って?」

「うちら同伴の時にトップレスとかパンツレスで泳がれますのはちょっと……」

「パンツレスって何だボトムレスと云え……いやアシャ田舎の川とかで遊んでる幼児かよ」女子中学生はともかく花の水着姿が拝めるのであればこの界隈の量販店にて購入するのも吝かではなかろうし、場合によっては現地で貸し出しもしているかも知れない。「……まァその前に宿を引き払わにゃ延滞料金取られかねんし……あっ、その前に朝飯食っとくんだっけか」

「朝飯前の一仕事が見事空振りだったからって、朝から唐揚げだブリ照りだってのも重いですが……よりにもよってビーフケーキってのはねえ」

「パンケーキちゃうんか」そちらであれば若年の婦女子が摂る朝食としても至極似合いの一皿であろう。「ハムだベーコンだソーセージだってんならともかく朝チュンな時間帯からマッチョ食いたいとか、色欲旺盛なパロミちゃんでもよう言わん思うわ」

「ああ、チーズがビーフ食ったら共食いんなっちゃうもんな」正確には《乳牛の王女レーイナ・デ・ラ・バカ・レチェーラ牛肉カールネ・デ・レスを食したら》と言い換えるべきだが、これはこれで《卵が先かケ・フエ・プリメーロ鶏が先かエル・ウエーボ・オ・ラ・ガジーナ》問題とも似て非なる、哲学的あるいは猟奇的な命題である![訳註:英cheesecake/beefcakeがそれぞれ露出の多い女性/男性被写体の扇情的写真を指す俗語である旨は前章にて説明されていた]

「人をチー牛みたく定義すんなよ」ミコミコーナは周囲を見回した。「またどっちかの駅まで歩くか……」目の前の停留所に視点を定めて、「――折角だしこっからバスるか」

「バスはパスりましょう。さっき殿下がおっしゃってたようにジモテー以外がうかつに路線バス乗るのは危険が危ない」

「訳分からんとこ降ろされて近くに地下鉄の駅もなくて結局タクシーとか財布が死ぬしなあ」昨夜は夜行乗合の出発時刻に急かされていたエル・トボソの主従に同乗し賃走車タークスィにて名駅前へと戻った御子神嬢だが、不要な出費を許容するほどの持ち合わせはないようだった。如何に奸賊を討ち取り王座の奪還を果たしたといえ、否、であればこそ尚更国庫を預かる者としては常に財政の引き締めを意識することが肝要であろう。濫費家の王族ロス・レアーレス・デッロチャドーレスがそれを賄わんとして臣民に重税を課し、結果として暴政を打倒する為の反乱を惹起するという筋書きは古今東西幾度となく繰り返されてきた歴史ではないか?「ビフテキトーに歩いて最初に発見したとこでテキトーに食うか」

「そんまま歩いちゃって結局ホテルまでとかは無理ですからね」

「いや普通に十一時に間に合わんくなると思うが」

「あとコージの粉はパスで。わざわざ東京にもある店で二朝ふたあさ連チャンというのはどうも」

「ハナちゃんは昨日おらんかったやろ」尤も支店こそ違えど、紫陽花の騎士も昨朝は同じ珈琲店で――行きずりの紳士らカバジェーロス・ケ・エン・エセ・モメーント・パサーバンと――一時を過ごしたのであるが。「方角的にはこっち側突っ切れば大須商店街とかだろうし、九時も過ぎてりゃブロークンファースト……フード提供するようなカフェ的なお店どっか開いてんでしょ」

「めっちゃ朝マックに指差さっちゃってますのが」黄金郷エル・ドラード金色の野カンポ・デ・オロを求めて七つの海を渡る探検者が、所謂《黄金の弓形門アールコス・ドラードス》[訳註:二山で一組――M字――なので複数形]だけ避けて通らねばならぬ謂れはあるまい。「……まァ最悪ドMでもかめへんけども」

「したら大須から地下鉄乗って十時半前に戻れればチャチャッとシャワーだけ浴びてチェックアウチジャスト時間に出てこれんでないの?」

「不測の事態さえ起こらなければですが……いや自らフラグ立ててくスタイルはやめよう」魚が死ぬのは口からポル・ラ・ボカ・ムエーレ・エル・ペス[訳註:釣り針が掛かる部位だからであろう。《口は禍の門》と同義]……黒猫と同様、不吉な予感マル・プレセンティミエーント不幸マラ・スエールテを招くものだ。「むしろバッチ来いやというか、自ら棒に当たりに行く猫でありたいものだね」

「攻めの姿勢か。進路の第一志望当たり屋ならお前だけここ突っ切ってもいいぞ」

「いやそこは普通にみんなで横断歩道渡りましょう」ドゥルシネーアと四つ目嬢を見送る際もやや離れた信号のある位置まで移動してから車道の対岸へと渡ったのであった。「まァ三人いるから場合によっちゃタクった方が安く付くのかも……」対話を切り上げたふたりは恐らく昨晩と同じ道筋を辿らんとして数歩だけ進む。それから末妹が振り返り、「あれ付いてきとらん……ドニャ・キホーテ様よ?」

「今や伽藍の本丸ドンジョンにゃ貴なる鄙人ガラン・イ・ガニャンドン・ジュアンの影やなし、か」ラ・サンチャの騎士は階段の底と、続いて一歩引いた防護柵沿いから巨塔トッレオーン全体を仰ぎ見た。「――さて」

 仮に命運尽きて地獄の業火に焚かれたのであれば、今時分は蛇穴や地下鉄道より猶も深き黄泉平坂フゥエーンテ・アマリージャにて燃え盛る己が肉体への消火活動エクスティンシオーンに勤しんでいる最中か、然もなくば東国のねぐらへとまんまと逃げ果せ、女人から女人へと飛び渡る忙しなきその羽を存分に休めているところに違いない。


縞馬の尻尾より渡り始めてたてがみからその鼻先を下り始めた辺りで、「――あ違うペロ・ノしくったメ・エキボケッ!」と突如チヨさんが足を止め背後を振り返る。

「だめだもう赤やん」

「赤で何があかんの?」大津通西側の歩道に乗ったギネアが末妹の袖を引く。「とりま渡り切れや轢かれんぞ」

「や、そのパスがここのハコのじゃなかったっても紛失したのはここなわけなんだから」騎士の両腿を顎で示しながら、先程まで三度目の肝試しプルエーバ・デ・コラーヘ・ポル・テルセーラ・ベスに興じていた地下宮殿を細めた視線で追う従士が以下に続けた。「――返すのはこっちでおかしかないでしょ。後は名古屋の人がアマデの事務所に送るなり、それか難波のハコの方に直接送るなりはするでしょうや」

「相変わらずバカだねサンチョは」

「なんだと……いや牝牛バカは、もとい発泡葡萄酒カバ?は殿下でしょ」繰り返しとなるが日本語でkabaといえばこれは河馬イポポータモを意味し、羅甸語での逐字訳と同じく漢字でも《川の馬カバージョ・デ・リーオ》と書く。

「考えてみ、今こんまま匿名であそこ置いてってみ?」構わず行軍の再開を促すミコミコーナ。「《あれ、こんなとこあった》で終わりだぜ」

「えっ、一件落着じゃなくて?」

「うちらの――つかアタシはどうでもいいけど、アンタの手間は水泡に帰して魚人姫ぎょじんひめんなんし、折角のアタックチャンスを棒に振ることになんだぞ?」

「攻撃の機会を……棒に振る?」千代は歩きながら箒を構えた。「当たるのではなく?」

「当たらねえわ、フルスイングで空振りよ……このアマデーモン閣下のドジっ子属性が生み出した偶然の産物っつか、何だ不慮の事故自体がなかったことになんだからな」

「アーモンド効果みたく言わんでくださいよ飲んだことないけど」

「お前だってさっきフロランタン云うとったやろがい」この場合は扁桃アルメーンドラ胡桃ヌエースを煮飴や蜂蜜で固めた花都フロレーンシア生まれの噛砕感のある煎餅ガジェータス・クルヒエーンテスを指す。「だからここでよ、――」

「はい」

「サンチョがちゃんと何百円か自腹で出して宅急便か……こんなうっすいのなら封筒ブチ込んで切手貼っても届くか」路上に設置された郵便差出箱ブソーンの口幅を考慮に入れると、投函できるのは指幅二本分ドス・デードスの厚みが限界であろう。「――で、送り主んとこに会員番号何番」

「キンブンキン」

「高島田はええて……[訳註:《何がやっただケ・ビエーン・ケ?》。通常は«¡Qué bien que...!»のように関係節内で素晴らしい内容が追って書かれるが、ここでは«¿Qué bien qué?»]」これはどうやら《神童の子らキンダー・デス・ヴンダーキンデス》の省略形らしい。[訳註:第十章参照]「……何番、姓はハンザ名はサンチョ、そんでちゃんと世田谷区三軒茶屋三丁目何番地って住所忘れず書けば――」

「三軒茶屋に三丁目無いんだわ」

「知らねーわそこまで」ラ・サンチャの名で呼ばれる地域は《夢と魔法の王国レーイノ・デ・ロス・スエーニョス・イ・ラ・マーヒア》として知られる件の鼠どもの国土テッリトーリオ・ナシオナール・デ・ロス・ラトーネスよりもやや狭い――そして神託市国シウダッ・デル・バティカーノのそれより僅かに広い――程度の面積しか持たぬのだと謂う。「三丁目の代わりにサンチョが居るんだろまァ聴けや……んで郵送されてきたのを大阪のスタジオんスタッフが見るじゃん、で来週?んなって《アマデさん名古屋で失くなったヤツ何かファンの方が届けてくれてたっぽいすよ》ってスタスタの人が報告してバンメンの知るところとなんじゃん?」

「なるわ」

「でゆうメールだかネコポスだか――」

「何だネコポスってネコバスのボスか」

「ネコボスじゃねえよそこはどうでもいい、で差出人と住所書いてあったら――」

「ちょ待って、恩着せがましく名乗っちゃうのは厚かましいというかおこがましくないですか?」

「カマカマうるせえな匿名で荷物送られてくる方が怖いわ、読まずに食べんならマシな方で最悪開けずに廃棄だろ? ライブハウスとか病んだバンギャが何送り付けてくっか分かったもんじゃねえし」

「納得できる」《読まずに食べるコメールロ・スィン・レエール》というのは昨夕も聴いた慣用句だが[訳註:第三十七章の客室内で、花が兜の内側に貼り付けてあった書状のことを千代がそのように嘯いた]、これは白山羊と黒山羊の間に交わされた書簡について唄われる童謡の歌詞に基づく。配達される度にお互い相手の手紙を食べてしまうので、何度往復しようとも永遠に要件が不明のまま不毛なメービウスの帯を行ったり来たりする寓話的意味合いを持つ表現なのだ。「しかし住所まで書くのは重いのでは?」

「おま名前だけじゃ偽名使い放題じゃん何も信用でけんわいな。それに――」王女は蹌踉けるようにして横から従士の肩にぶつかって、「住所書いてあったら《拾った高島田ちゃん、後は名古屋のハコ任せにせんで自分で送料負担してわざわざ送ってくれたんだし、何かお礼とかしとくか》ってなれば何かレアな……サイン付きチェキとか何か非売品の――」

「あ!」

「それこそ使用済みピックとかさ」

「策士ミコミコーナ……」鼻息荒く腕組みをする千代さん。「作曲の方も含め是非ともトータルプロデュースでお任せしたいところだ」[訳註:「筋書き/作詞:エスクリータ・ポルミコミコーナ……、恐らく作曲も彼女がすべきでしょうキエーン・キサース・セリーア・メホール・タンビエーン・コンポネール」。一般にcompositor/a《作曲家》はproductor/a《楽曲制作者》と表記される場合が多いようだが、勿論後者はより広範囲の役割を包括した職名であろう]

「ぶっちゃけサンチョの百八の煩悩満たすんはどうでもいいんだがね」御子神嬢は警護役として如才なく周囲に目を光らせながら三歩後を歩く阿僧祇花――読者諸兄は思い出してくれよう、この付近には泡沫に消え去りし寒がるボルランドボルラーンド・フリオーソ・ボッラード・エン・ボルボトーネス奴と劇的な再会を果たせし噴水池があったことを!――を顧みながら、まるでだらしなくニヤケた顔を隠すかのようにその大きな目を細めた。「……大層お気に入られてらっさるご様子」

「別にそんままパクったところで大した罪には取られませんでしょうけどね」

「大した積み荷でもないわけで……ハン――ドニャ・キホーテ様」

「如何なされましたかなミコミコーナ様?」

「そちらの」御子神嬢は月面歩行パソ・ルナールで数歩後退して殿を務める騎士と横並びになるや、「ええと何てんだこれ――ブレスレットアンクレットだと、何《腿輪タイレット》?」

「トイレット?」

「いや太腿丈サイハイだから《サイレット》か」元々日本語にない発音を音写する場合には当然複数の読み方が生まれるものである。「――ですが、束のあいだとはいえ今より数時間は……つか遅くとも来週末までに必着って話なら東京戻ってから郵送でも遅くはないのよね――ってことは少なくとも数日の間は貴女様の所有物となったわけですけども」

「神童からの預かり物ですじゃて、天賦の才と等しく何れはお返しせねばならぬ品にはございますが」神からの贈り物ドーネス・ディビーノスを返上するのはその預かり主クストーディオス(又は借り主デウドーレス)自らが天に召される時だろうから、これは随分と先の話である。「然りながらより正確を期する、正鵠を射た言葉を選びますればこれらはそれがしと我等が末娘こいさんの双方に、則ちそれぞれに一枚ずつの所有権があるものと存じます」[訳註:関西弁の《こいさん》はbosquimán/-ana《藪の民》を捩ってbosquihermana《藪の妹?》と意訳されている]

「コイサンマン?……そいやコイサンマンって何だ?」これはアフリカ南部の砂漠地帯に住む狩猟民族コイコイ人とサン人の総称だ。大ミコミコン王国とは多少距離があるので王位継承権を持つ女子大生が空覚えバゴ・レクエールドでも致し方なかろう。「――だってコイサンチョ」

「お気持ちウレPことこの上なくあの下ある感じではございますけどその所有権はこの箒の名の下に放棄し、ヴンダーキントに返却するその日までご主人様の手元に、もといお足元――オモモモト?にて厳重保管しといてくださることを強く所望しますよ」察するに彼女の関心を惹くには腿輪サイレットではなく薄切り腿肉の衣揚げチュレータ・デ・ハモーン・エンパナーダ・イ・フリータ――《ハムレット》――の方を品書きに載せるべきのようだ。無論それが《青い飾り紐コルドン・ブル》であれば尚のこと食指を動かすだろうことは疑いない![訳註:仔牛や鶏肉の切り身に乾酪と薄切り豚腿を巻き麺麭粉で包んで炒め焼きする仏料理cordon bleuについては第三十五章に細々とした解説あり。勿論ここでのhamletは飽くまでham cutletの略称である]「……あっタイって太腿か。タイツってのはそういうことね」[訳註:英語のthighとtights《きつく締まった》は語源からして異なるが、高校進学前の中学生にとっては些末な異同であろう]

「御厚意に甘えよう」騎士は片手を上げて敬礼し従者への謝意に代えると、そのまま歩きながら以下に続けた。「太腹パンサ嬢の腹巻きもといコルセットにしちゃ、この肉付き肋骨コートレットは些か腹持ちが悪過ぎのようだしの」

「真夏に腹巻きって何かのコートワッザですかね?」

象牙海岸コート・ジボワールであろう」流石にギネアの隣国とあって自然と口から出たものとみえる、ミコミコーナは当意即妙な返答を駆使し末妹を黙らせた。「もっとも《痔にはボラギノール》の方が古くから伝えられるところだが」

「おしりからは一回離れよう、しばらく距離を置こうええ加減」

「平たく申しますと陛下もお召しになりたいということにございましょうか?」ドニャ・キホーテは一旦足を止めると片脚に嵌められた通行証に手を掛けた。

「いやいや滅相もナッシング」サンチョ独りを差し置いて、お揃いの恋人用装飾品ディーヘス・ア・フエーゴ・パラ・パレーハスを花と分かち合いたいといったお巫山戯チーステスの類ではなかったようだ。「お召しというかお名刺代わりと申しますかね」

「朝飯代わりにもなりますかね」

「ならんね」東国の一行は未だ朝食を供するような喫茶店や食事処に行き着いておらぬらしい。「いやメーシングというかネーミングというか」

「何おっしゃってんだアンタ」

「君らチュウ……セイの騎士とか、異世界の冒険者とかってこう、とにかく自分自身とか敵だけじゃなく武器とか防具とかにもやたら二つ名付けたがるやん動物なんかのさ」例えば《山羊の角クエールノ・デ・チボ》のような?[訳註:これは自動小銃AK-47の墨国メーヒコに於ける愛称で、その弾倉の湾曲した形状により命名された。尤も王女の発言が量産品ではなく固有の専用武器を指したものであるのは間違いない]「だもんで何か良さげなのをね、ほらさっき云ってたあの……《モモンガのバクステ》的な?」

「滑空してきた忍者風のネズミが髪に張り付いたみたい」

「だからエクステだろそれは……どうすんだその後張り付いてから爆発すんのか?」流石はカミカゼの傍系リーネア・コラテラール・デ・ロス・カミカーセスに連なる王族特有の発想である。「そんな自爆テロワシントン条約が許すと思ってる?」

「おっとここでついにテロリスター誕生?」CIAの目やNSAの耳を忘れた従士が失言を物する。「もうオクトパスとサロンパスで良い気もするぞ」

「サロンパスはともかくオクトパスじゃあと六枚要るやん」となると現状では《二本脚ドゥオパス》止まりか?「名古屋なんだから気ぃ利かせてシャチグランパスぐらい云うたれや」

「おじいちゃん?」

「こちらがモモングヮならば」ラ・サンチャの蜂は一方の太腿をピシャリと平手打ちすると、他方の通行証を指し示した。「――こいつは差し詰め《ハムスターリング》と呼ぶのが宜しかろうと存じます」

「ああ、ハムスト……なるほどね、延々車輪回し続ける奴らの脚力には」それこそ大風車の羽根を回転させる巨人ブリアレオスの膂力と比して勝るとも劣るまい。「――目を瞠るものがあるしな。こう部屋の隅から隅までヒュッて」

「スプリント勝負じゃかの害虫ゴキブリーノともいい勝負でしょうな」甲虫同士エスカラバーホスでも片や野球選手ペロテーロ、片や料理人コシネーロでここまで扱いに差が出来るのだから因果なものだ。観衆の依怙贔屓を避ける為にも、ケムシクカの競走相手にはウンコカカよりも同じ嫌われ者のクロネズミラタ・ネーグラ辺りを充てがうべきである。[訳註:古代アンティーグオエヒプトでは太陽の運行を司る聖なる甲虫としてケプリ神とも同一視された糞虫が《玉押し甲虫エスカラバーホ・ペロテーロ》、対するゴキブリクカラーチャが《台所の甲虫エスカラバーホ・デ・コシーナ》と呼ばれることから。又、西cucarachaはcuca《蝶の幼虫》に由来する]「じゃあ右がモモンガタロー・ザ・ムライ、左はアムステルダムのハムステルリンと名乗らすがいいですよ」

「ザ・ムライだったんか知らんかった。つかアムステルダム、」港町の旧市街であることを鑑みれば、(愛玩動物ではない)害獣としての鼠は相当数に上りそうだ。因みにムライとは《村の井戸ポソ・デ・プエーブロ》を意味し、日本では一般的なアペジード(家名)のひとつとなっている。これは個人名――我々が使う洗礼名ノーンブレ・デ・ピラのように過去の聖人名の制約を受けぬことからその種類は無数である――についても言えることだが、例えば《山と川モンテ・イ・リーオ》や《町の田圃アロサール・デ・シウダッ》のようにふたつの漢字を組み合わせた名前がかなりの割合を占めるようだ。この物語の主要人物を例に挙げれば《半分座るメーディオ・センタード》《安らかな藤グリシーニア・レラハーダ》《馬の場所ルガール・デ・カバージョス競馬場イポードロモ》等。[訳註:西sentar bien/mal《座りが良い/悪い》で《気に入る/食わない》の意味があるので、medioならば《まあまあ》という訳も成り立つだろうか。尚、安藤姓の由来は《安倍氏と藤原氏》とのこと]「どこの街ってか首都だか分かってるのか君は?」

「スペイン――の首都ではないでしょうがね」八十年戦争でホラント州他の独立を許すまでならば、一応ハプスブルク帝国の領土ではあったかも知れぬ。「今は昔ハム公がダムを築いて出来た都市であることは容易に推理できよう」[訳註:存外当たらずとも遠からずで、地名AmsterdamはAmstelアムステル川の堤防ダムに由来すると謂う。蘭aam+stelle《水+場所》]

「ダム作るのはビーバーとかだろうに」酒飲みの淑女ダマ・デ・ベベールといえばミコミコーナである。「ミコさんリカちゃん派だったんだが」

「ビーバーなんだからカリちゃんでしょ」大ミコミコンはギニア湾沿いの地域に版図を持つ王国だが、幼少の砌より帝王学モナルキーアを修めたであろう王女であればベルベル語ベレーベル[訳註:アフリカ北部で話される言語]のひとつくらいは習得していても不思議はない。「カリカリカリってしっかしネズミ系で固めてくるなあ……まァ私は鼠を捕らない系猫ですけど」

「役に立たん猫やな……ネズミ嫌いのドニャえもんの子分つか妹なら寝てる姉貴を守って寝ずの番でもしてろや」

「私ゃ黄色くないっちゅうに、イエロースなのは殿下じゃないか」青猫の従士は隣で交互に前進する齧歯目の防具一組ウン・パル・デ・プロテクシオーネス・ロエドーラスに視線を落とした。「つか嫌いどころかめっちゃ従えてるし……あれ、モモンガとハムステルはともかくビーバーもネズミです?」

「和名じゃ海狸うみだぬきと書いて《カイリ》と呼ぶそうだが実際には河狸かわだぬきだろうし、」タヌキはアライグママパーチェ[訳註:ナワトル語で《盗人》]とも訳されるが、洗熊オソ・ラバドールではなくイヌ科の哺乳類である。日本の昔話で村人を化かすのは常にこのタヌキかキツネであると、御油を通った折にも説明したやも知れぬ。「――あの上下に生えた立派なだいだい色の門歯を見ればムジナではなくネズ公のお仲間じゃと知れようて……第一海の鼠じゃナマコになってしまうしな」

「ほんに生きペディアよのう……」

「ほんだらモモンガは《生モモの鼠》でハムスターは《干した生ハムの鼠》だな」

「何だナマモモて。桃は普通生で食うだろうに」

「いや煮てジャムとか……コンポート?とか」

「そりゃそうか、妾が間違っておりました」

「許してつかわす。にしても旅の途中じゃ我等に牙を向いて襲いかかってきた羽なしコウモリというかハネモゲラ面のドブモグラどもが――」千代さんは左右に軒を連ねる建物から腹拵えに適当な食事処を探すその目を暫し晴天へと投げ掛けた。「我々に成敗されて今やこんな愛くるしいネズミ属性に転生したと思ったら何とも感慨深いというか、母性に目覚める心持ちでありますことよ」

「ハナモゲラってのは聞いたことあるが……」

「やれやれ、トビネズミにカクシネズミ、サンダネズミにクラネズミとな![訳註:これは順に飛鼠ひそ=蝙蝠、鼴鼠えんそ=土竜、鼺鼠るいそ=摸摸具和、倉鼠そうそ=ハムステルをそれぞれ――鼠偏の漢字は部首を除いた部分を――訓読みしたものか。《かくす》は兎も角、畾の字を《サンダ》と読ませるのは無理があるだろう。一応《とりで》という訓読は出来るようだし、鼺と同じく《ムササビ、モモンガ》と読む鼯であれば《ワレネズミ》でも良さそうなものだが、続く倉鼠が穀倉を想起させるが故か敢えて《三つの田圃》を選択したことが窺える。凝り性のアベンダーニョも流石に逐語訳を断念したとみえ、それぞれ飛行鼠ラタ・ボラドール掘削鼠ラタ・エクスカバドール滑空鼠ラタ・プラネアドール貯蔵可能鼠ラタ・アルマセナーブレと訳出されている。尤もここでのalmacenable――西almacén《倉庫、保管所》――は、動物自体がその小ささから収容しやすいという意味ではなく、倉鼠ハームステルが両の頬袋を膨らませて餌を溜め込む様子を指したもの……と、ここまで著者が理解しているかどうかは不明だ]」ドニャ・キホーテも従者に釣られて天を仰いだ。「『四十八茶百鼠しじゅうはっちゃひゃくねず』ってのならそれがしも耳に憶えがありますれど、これじゃ早晩『ラ・サンチャ千鼠せんねず』の選考に入らにゃなりますまいて!」[訳註:尚、分類上モグラだけは齧歯ネズミ目ではなく食虫モグラ目に該当する]

「そりゃもう寝ずにね……試験日の前夜に現実逃避でやるヤツやそしてそのまま潔く就寝する!」哀しいかな、これは明後日に控える模試を念頭に置いた進級前従士――彼女は騎士叙任前でもあるのだが――の決意表明であろうか?「猫は寝込む……ニコは煮込んでも大した出汁なんざ取れなそうだども」

「ダメだ四十八手いうたら逆に寝技しか思い浮かばん」

「ふむ、クラネズミの方は敏捷はしこく地を駆けるかせいぜいカラカラと回し車転がすのみだがな」どうやらそちらは愛嬌の担当ロル・エンカンタドールらしい。「こちらのモモングヮ――もとい野衾のぶすまにゃ《飛倉とびくら》なんて異名もあるそうだから[訳註:妖怪名については先の飛鼠や倉鼠との混同を避ける為にvolarsobrelalmacén《クラノウエヲトブボラルソブレラルマセーン》という長ったらしい名が与えられている]、千代さんが身に付ければ霊験あらたか飛び級も訳なかろうぜ?……望みとあらば考査の朝だけ、まァ片方だけだが、直直に貸してやらぬでもない」

「何が飛び級か!……サンチョは一段ずつ確実に昇級できりゃすこぶる満足だし、いきなり高二になんざ持ち上げられた日にゃ一学期の中間で全科目ゼロ点という前人未踏の大記録を叩き出す羽目になりますわい!」大半の日本人は《二階級特進プロモシオーン・エスペシアール・デ・ドス・ランゴス》という単語を耳にすると直ぐに対象者が殉職したことムエールト・アル・ピエ・デル・カニョーン[訳註:直訳すると《大砲の許で死ぬ》だが、これは前線の砲兵が迫り来る敵に怯むことなく、最後まで持ち場を離れずに職務を果たす様から来た表現]を理解するのだと謂う。昇級が先だろうが後になろうが命と引換えにするのは御免であろう。となると今夏は真面目に勉学に励んで、半年後の高等部への進学を堅実に果たすより外あるまい。「……って完ッ全に借りパク前提になりつつあるじゃまいかこの御仁は」

「サンチョは借りパクよかモグモグパクパクだものな――って何だかんだでもう結構テクテク歩いてきちゃってるが」両乳房の隙間に挿まれたさらさらサラ=サラの位置を直しつつ、他方の手で額の汗を拭う長姉が立ち止まった。「何となく突き当たり公園沿いに左折しちゃったけどこれ、こんまま行ったら海の方だよね。遠ざかってんよなホテルから」

「まァ単純に日陰寄り歩いてた流れでしょうけども」千代さんが箒槍エスコバーンサで弧を描くように中空を掃いた。「こここう――行って戻ります?」

「ちょい待って……昔こっち来た時はこんなテキトーに徘徊しなかったしな」ミコミコーナは端末に指を這わせる。「……この一個前の通りが赤門通らしいから――ん?、違うふたつ前か……そこが商店街のひとつなんじゃねえかな知らんけど」

「赤門って東大だっけ?」

「いや名古屋だし名大じゃねえの?――つか君に関係あるとすれば赤点の方だろ」

「そいや駅にも赤福売ってましたね」

「うん、赤福名古屋じゃないらしいけど」赤福は三重県伊勢市の和菓子屋である。

「いやこちらは青くない、」傍らの主人に掌を差し出して、「赤きドニャえもん様にあらせられますから、略したらアカモンでげしょ」

「ドニャ様がご進学召されるのはトンキンなんかじゃなくて」この場合、別段ハノイ大学ウニベルシダッ・デ・アノーイを指しているわけではあるまい。「ソルボンヌなんじゃなかった?」[訳註:静岡篇は銭湯内での会話を参照されたい。東京トンキンはハノイの旧称だが、著者の言及した学校名がベトナム国家大学ハノイ校を指すのか、それとも複数ある専門大学としてのハノイ大学の何れかを指したものかは判断が付かない]

「そりゃ私のキボンヌってだけだ」

「ははは、キボンヌって久々聞いた――つか口で言うの聴いたのは初めてかも」

「¡Cuidado con caballos!, ...」

「――えっはい?」「くいだお――れ?」

「...saltando.――いや、ロベール・ド・ソルボンでもカルロス・デ・ボルボンでも宜しいが」足のみならず口までも道を逸れ始めた義理の姉妹の間に割って入るドニャ・キホーテ……それはそうと、先程乗った雄鶏ポジョ跳ね回るサルターンドどころか、微動だにせぬほどに大層大人しかったのでは?[訳註:花が咄嗟に叫んだ科白「馬に注意クイダード・コン・カバーリョス!……飛び出してくるかも」は、第四十一章にてあわや行き掛かった老婦人との衝突事故を引き起こすところであった交差点とこの地点がまさに同一の場所であったことを示している。つまりここでの《馬》とは騎士自身が駆るイポグリフォを指していたという次第だ]「西へと舵を取る限りは定めし間違いも起こりますまい」

「間違いない」ギアナは先導するように、取り敢えず目の前の十字路を右折した。「いやサンチョがハーラーヘッタラーうるさいから」[訳註:西訳では《シャベレチャールラサッジークッチャーラ!》、表記も本家に倣い«Char-la Cuc-chara»となっている。要は《物言え匙よ≒何か食わせろ》ということ。因みに原曲の歌詞は本稿でも序盤から度々引用されてきたが、イスパニア語の動詞chalarには――恐らく只の偶然であろう――《狂わせる、恋い焦がれさせる》という語義があるので、«¡Chala! ¡Head, chala!»にはもしかすると《我を忘れ、頭で考えずとにかく熱中しろ》といった語感があるのかも知れない。再帰動詞chalarseで《正気を失う、常軌を逸する》]

「歌ってない歌ってない」千代さんは日和見主義オポルトゥニースタではあっても歌劇歌手オペリースタではないのだ。「まァ目の前に出されたらボンレスのハムだろが手羽先のハネだろが捨てるところは無いと申しますか、ジューシーなる我が猫舌が骨までしゃぶり尽くして見せますがね」

「ボンレスハムは骨無いと思うが……ああ、ハムステルね」[訳註:千代「Bourbonless hamstealth《ボルボン無しの隠密性豚腿?》だろうがalitas de pollo furtivo《潜行型手羽先》だろうが」に対し、御子神「不可視の豚腿で骨も無しってハモーン・インビスィーブレ・イ・デスエサード、お前はいったい何を食ってるんだ?……ああ、~」。西(avión de) caza furtivoで低被発見性戦闘機を意味するが、cazaには狩りの獲物/餌食の語義もある為に飛行機の翼と鶏の羽を掛けたもの]

 以上のような或いはそれに類する遣り取りを交わしながら、東京トーキオの義姉妹は人通りも疎らな――《三匹の牝猫しか居ないノ・アイ・マス・ケ・トレース・ガータス》とまでは行かぬだろうが![訳註:ここでも人影の少ない状態を示す慣用句《四匹の猫が居るアイ・クアートロ・ガートス》を捩った表現が再登場している]――大須地区の裏通りへと足取りも軽く踏み入ったのである。


郊外の背景音に耳を傾ける限り、その周辺は観光地というよりは閑静な住宅街といった風情で、休日の朝でありながら一旦大通りから距離を取ると、時折擦れ違う駆動音を除けば却ってしんと静まり返っているようだった。

「なんか大須はプチ秋葉っぽい感じなのよね……電気街っぽいというか」

「メイ喫すか?」

「いやまァあってもそんな朝キャバみたいのやってるか分からんけども」ギアナ王女が歩みは止めぬまま背後を振り返る。「さっきのペンギンのが開いてりゃドンキ繋がりでこいつは朝から縁起物だったんだが」

「シャッター降りちゃってましたからねえ……大須シャッター街」鎧戸通りカジェ・コン・コントラベンターナスとは《無人街路アベニーダ・バシーア閉店中の店舗ティエーンダス・セッラーダス》を意味し、過疎化した幽霊街一歩手前の状態ア・プント・デ・プエーブロ・ファンタースマを指す。「アレやっぱペンギンて読むのか」

「いやシルエットになってたっしょ」

「いちおPG12はクリアしとりますのでな」映画協会の評価でいう《保護者の指導を推奨ギーア・パテルナール・スヘリーダ十二歳未満の児童にはパラ・ニーニョス・メノーレス・デ・ドセ・アーニョス》――というお決まりの文言である。

「えっ、サンチョ中三ちょでしょ? R15もイケるっしょ……あっ誕生日まだ?」

「えっ私いくつに見えます?」

「うっざ何、それそんなピンポイントの年齢当てさせるフリちゃうと思うが」真実必要な場合を除き個人的な興味本位で他者の年齢を訊ねる行為は日本に於いてもそれなりに無遠慮と受け取られる筈だが、ある程度親密な相手から問われた際には別の質問で返答するレスポンデール・コン・オートラ・プレグーンタという対処法がしばしば取られると謂う。この国では外見上の若さアスペークト・ホーベン――時には幼さオ・ア・ベーセス・インファンティール――が尊ばれる為か、実年齢より老けていると思われぬように張る予防線プレカウシオーンなのだそうだ。無論そのような小細工トゥルーコ・バラートで自身の年齢を自在に変更できるわけもないのだが。「精神年齢は五歳くらいっぽいけど、脳年齢は五十前後かしら?」

「脳年齢が見えるかい!」

「ノーネンレナには見えんがな……あくまでクソアマサンチョだ五十路の」

「ガ~ラガ~ライソジンジン――てまだただいま~の前ですわ」明朝の今頃には翌日の模試に備え、自宅で一昼漬けに励んでいる最中エンポジャーンド・トド・エル・ディーアかも知れぬ[訳註:西empollarの原義は《鳥が卵を温める》で、卵が孵るまでその場を離れない雌鶏ポジャの生態から部屋に缶詰となり勉強や研究などに打ち込む様子を表すようになった]……(それとも帰宅するや一風呂浴びて、そのまま自室の布団の中へ直行だろうか?)「――あっただいま~って違うわまた別の噴水だわ、噴水好きだな名古屋民」

「湧き水よかワキアセが気になるお年頃だよね」

「だったらさらパウ分けてえな」

 そう、ここは紛うことなきボルボンドの噴水池であった。[訳註:直近の会話からBorbónとBorlandoを混同したようだ]

「頼む二三分でいいから木陰で休ましちくり」

「ハーラー、ヘッタラー」

「今歌うなこのヘッタレーが[訳註:先述の《サッジークッチャーラ》に対し《ゴキリブクカチャーラ》。成る程《台所の甲虫》だけあって食器類とも親和性の高い種名ということか]」そう吐き捨てた御子神嬢は一転してドニャ・キホーテを振り返ると、ややあざとげに小首を傾げ「……よろしくて?」と諒承を求めた。

「宜しも狼煙も陛下が断りを入れる必要などございませぬ、此れなる大須の水泉オーアスィスは――」騎士は嫋やかに手を差し出すと、既に訪れた経験のある公園内へと王女を誘った。「テーベの砂海を流離さすらう大ミコミコン女王にその喉の渇きを癒やさせんが為だけに今此の地で湧いたものなのですから」

「いや飲みはしませんけども」そう断ると、ミコミコーナは蜂の羽音に連れられるがまま園内へと進入し、木洩れ陽も涼やかな池の縁石に腰を下ろした。「……あああ、折角わざわざ湧いてくれたってのに素通りしちゃあ失礼に当たるからな」

「陛下、敷物を――」

「お気遣いなく……おおお大須区で~生まれた~あ~、女や、さかい」行政上の地名は大須区ではなく中区大須であると謂う。「……ほんま~かいな、そうかいな」

「うむ、頭も湧いてますな」ひとり遅れて園の中央へと歩み寄ってきた千代さんが襟ぐりを抓んで胸元に風を通しながら、四方を取り囲むように植樹された木々の揺れる枝葉を見上げる。「バンギャの頭、馬鹿あたま、推せば生命いのちの泉ワクワク――てか」

「頭に湧くのは泉じゃなくて虫かなんかだろ」夏は生ける物たちの季節エスタシオーン・デ・ロス・セーレス・ビーボスである。家の中は兎も角、土の上であれば好きなだけ湧くがよかろう。気付けば一帯を又候蝉の合唱が包み込んでいるではないか。「いや脳ミソが沸騰してる方の沸くなんかな」

「こんだけ暑きゃ真っ裸になりたくもなるわな」そう零して噴水中心に立つ彫像を一瞥するサンチョ。「……ドニャ・グリコならR15で済むだろうけど、こういう明らかに十二歳未満ぽいキッズが公衆の面前でこうも丸出しにしてんのは今の時代、仮にX指定でもアカンのやないですか」

「天使パイセンに年齢の概念あんのかい……《見た目は大人、頭脳は子供》な奴が狭い了見で判断するもんじゃないよ」ギネアは縁石の上に寝そべった。「……ああ冷た気持ちい。ばってんこの暑さはどげんかせんといかん……でごわす」

「何だごわすて。お得意のベートー弁てヤツですか?」

「とーとーとって博多弁でしゃべっとーと」[訳註:九州弁ではあろうが博多弁ではない]

「つか中坊で大人なの交通機関の料金くらいだわせからしか」

「せからしかじゃねえわこのイノシカサンチョめ――つかイシカタッ、ダメだ」暫く横臥するもミコミコーナは顎下に力を込めて自身の後頭部を持ち上げた。「ハニャ様、頭が痛うございましゅる」

「色んな意味でイタい光景ですよ!」

「それがしの石頭ならいざ知らず、止事無き御婦人方が石に枕し流れにくちすすがねばならぬ道理もありますまい」傍らに控えていた花が大地に投げ出されし御子神嬢の足元に跪くや、恭順の姿勢を取りつつ以下に続けた。「お手をどうぞ……ささ床払とこばらいの刻限ですぞ?」

「今のミコ陛下には――」暑気にたりついに精魂尽きたか、力なく冷たい石の上に再度ひれ伏すギネア王女。「もうドニャ・キホーテの膝枕しか勝たん」

「こ、こやつ……昨日の観覧車と合わせて部長さんとドニャ先輩の、幼馴染美人膝コンプするつもりでいやがる!」入れ替わりに立ち上がった千代さんが、眼下に眠れる美女を悪し様に罵りつつ指差した。「犯人はいつもひとり!……この中におまわりさんこいつです」

節榑ふしくれ立った枯木かれきが如き膝と腿が敷栲しきたえではをかしの御髪みぐしに枝毛を生やしかねませぬ」

「ピザの具がハムだろがベーコンだろがソーセージだろが、はたまた果物の方の桃だろうがハニャ先輩から出たチーズならば滴らせる自信がある」

「意味は分からんがもう一言一句が変態臭いな殿下は」寧ろ照り付ける陽光で暖められた外気熱により生ける牝山羊蔵クエーバ・デ・カブローナス・ビビエーンテと化した牝牛の王女の方が、体内の発酵貯槽ターンケス・デ・フェルメンタシオーンに蓄えられた牛乳を今やすっかり熟成した乾酪として排出できる状態なのではないだろうか?[訳註:アストゥリアス地方で生産される青カビ乾酪の名産品《山羊飼いカブラーレス》が洞窟内で熟成されることから、ここでいうcueva de(l queso) Cabronasはその品名を《売女カブローナス》に置換したものと解せる。無論《貯槽ターンケス》とは女王陛下の立派な胸部を指していよう]「うちの旦那ャ様からはバタコはもちろんマルチーズなんざも出ませんし、モッツァレラ並みに伸びるヨダレが止まらんようならそれこそ後ろの流れぬプールコでお口をすすがれては如何です?」

「まあまあチヨさん、《我が涎ぞ常ならむ》と物のいろはにも謳われておるではないか」

「それはアレですか? ヨダレだって放っておきゃいつか乾くんだから気にすんなってな意味ですかね」池の水とて未来永劫満たされているわけではない。この地区が真に幽霊街となれば自然と干上がるであろう!「もっとこう、《諸行ムーチョの響きあり》的な解釈なんじゃござんせんこと?」[訳註:《無常の生のデ・ラ・ビダ・スィン・ペルマネーンシア》に対し《不適切な生活のデ・ラ・ビダ・スィン・ペルティネーンシア》?)

「おっと匂い立つ色も散る花も、夏枯れした老木には期待してくれるなよ?……元より此の対のネズ公は置かれた姉君が御頭からその形善き猫耳を噛み千切ってズラからぬとも限らんでな」不肖の娣子インディーグナ・プピーラが日本文学の古典からの引用を物したことに少なからず驚きながらも――どっこい名古屋城にて金鯱と対峙する間際に彼女はあの出だしの一節を耳にしていたのである[訳註:第三十三章末尾で『平家物語』の冒頭部を引いたのは著者自身なのでこれは勘違い。その二章前でも千代自身が《驕れる者は~》を捩った云い回しを用いていた]――、騎士は剣呑な未来を宣って笑った。「然るにてもラ・サンチャの主従何れのピッツァが耳もとい額縁コルニチョーネを枕とするが吉か思案しますには、矢張り我等がいもにして吾が直参たるハンザのサンチョ嬢を推薦いたしましょう……それがしが薄手のローマ風ロマーナならこの者は差し詰めナポリ風ナポレターナといった体で[訳註:前者は生地が薄く砕けやすいのに対し後者がふっくらと柔らかく取り分け縁に厚みがあるからだが、名詞としては共に《ローマ女/ナポリ女》とも訳せる]、見るだに格段と具合が好いことにゃ疑う余地もありませんからの」

「ナポリタンならトマコロールだしむしろ――」従士がそう云いかけたところで不意に長姉が腰を上げる。「いや立つんかーい」

「すまんな……今はモチモチよりカリカリの気分やさかい」

「誰がモチモチ……いや枕せんけども――いやさせんけどもね」

「卑猥な……いやだからあんま寝心地いいと起きらんなくなるでよ」銭湯で垣間見たよりも従者が幾分細身になった点について――腹枕としての品質低下の観点から――昨日苦言を呈したばかりである。「オアシスも満喫したことだしそろそろ大須ブラーブラーしますかね仲睦まじく」

「急にどした……パイセンに限ってブラが大き過ぎるなんてこたないでしょうが、試しにそこに投げ入れてみたら」従士が波紋の行き交う水面を顎で指示した。「――泉の女神ならぬ天使さんが新発売の天使のブラとでも交換してくれるのでは?」

「《貴女の脱ぎ捨てたブラはこの金のブラですか銀のブラですか》って?……何その銀ブラそんなん装着して人前出れんのガガ様ぐらいじゃねえか」その場合は池に投げた胸当てペチェーラも鉄製である必要が生じよう。牝牛の王女が実際牝山羊カブローナでもあったとすればアイギスエーヒダのそれと同様に山羊革クエーロ・デ・カーブラでも存外許されたやも知れぬ。[訳註:第八章に拠ればメドゥーサの頭部を象りしアエギスの胸当ては、現在花の所有する水着に用いられたとある]「噴水ん中から出てきた時点でビショ濡れだろうしトレードすんならせめて、トリンプじゃなくてピーパイとかの水着になさい」

「ピーチパイ? そっちの桃はパイじゃなくてケツだってばよ……あ、ピーチクパイ?」

「ピーチじゃなくてアレはピークだったと思うけど」調べてみるとpie[訳註:西語《ピエ》と同綴]も焼き菓子パステールではなくピノのようである。[訳註:恐らく《松林檎≒鳳梨ピニャ》の方だと思われる]「いやそっちも何もハムの方の腿だって下半身だわ尻より更に下じゃん」

「それとも金のエンゼル一枚か銀のエンゼル三枚……五枚?――とエンゼルパイ交換してもらうかだな」

「チョコボールの景品は別に、同じ森永製品と交換してもらうシステムではねえだろ。ピンキーパイならかわいいけど……おっと」尻に付いた砂を払い落としたミコミコーナが、噴水池中央の彫像をやや険しい顔付きで見詰めている騎士の姿を目に留めた。「裸族の三天使に見惚れておられる……意外と小さい子が好みなんかな」

「変な言い方すなや……あっコイ、錦鯉めっちゃ放し飼われとるわ」千代さんが縁に膝を付いてナルキッソス宛ら水面を覗き込んだ。「来い来い来い……盗まれんのかしら。こういうの一匹何百万とかすんでしょ」

「何百万するヤツを放し飼いにはせんだろうけど……まァコイ泥棒だってコイのキューピッズが見てる前ではそうそう悪事も働けんのでは?」僅かばかり残された良心に訴えんが為の意匠であったか……尤も天使や女神の視線を背に感じながらする仕事トラバーホスにこそ無類の喜びを覚える倒錯した盗人とて全く居らぬとも限るまい。「一体一体の目ん玉に監視カメラが仕掛けられてると見るね」

「そういう意味かよエゲツな」従士は指先を水に浸した。給餌を期待した魚が寄ってくるのかも知れぬ。「シャチホコと違ってリアルの、ガチ鯉勢なら食べることもできるらしい」

「……変な云い方すんなよ」但しエル・トボソによれば淡水魚は泥臭いとのことだ。[訳註:第三十四章参照。安藤嬢は続けて、鯉の魚体を持つとはいえ金のシャチホコならば無味無臭かもという仮説を物している。鯱瓦の複製は表面に金箔が施してあるし、実物の方も純金ではないにせよ十八金の金板を貼り付けてあるからには味も匂いも殆ど無さそうだ。尤も池の鯉とて――調理に際し鱗を除くか除かぬかの選択は好みに依るだろうが――食べるのは身だろうし、そうなると外皮の素材よりも金鯱内部が木造であることの方が余程問題となるかとも]「天罰下るで。目からビームで消されるで」

「エンゲルが消~す~」夜更かしが堪えたか欠伸を噛み殺す猫の従士。「――何でしたっけ昨日アンドーさんが言ってたあの……物騒な天使?」

「天使なのに坊さんなんか。何だっけブッ殺――《殺し屋の天使》?」

「お坊さんが殺しちゃダメでしょ神父さんとか牧師ならともかく」この敬虔な信徒クレジェーンテ・ピアドーサにとって《神を愛せよアマラース・ア・ディオース~》に始まる一戒エル・ウン・マンダミエーント以外は端から頭にないらしい![訳註:旧教では第五戒が《汝殺すなかれノ・マタラース》に該当する。千代さんが最初の《何よりも先ず神を愛せよアマラース・ア・ディオース・ソブレ・トーダス・ラス・コーサス》以外眼中にないのは、彼女がアマデウスの信者である以上の信仰心を持たぬ身ゆえであろう。第一戒は通常《最初にして最大の戒律エル・プリメール・イ・グラン・マンダミエーント》等と呼ばれる。本稿では第二十一章以降、登場人物の口や著者の文章の中で何度か十戒が取り沙汰されてきた]「5648ごーろくよんはちじゃ四桁だし違いますね。たしか字余りというか数字余りで惜しくも却下になった案でしたから」

「――《皆殺しの天使》」

「「それだ!」」寝台の上で白粉を叩いていたセ・エスターバ・エンポルバーンド時分の会話である。[訳註:第四十章を読み返すと多少記憶の齟齬があった模様で、《ミナゴロシ≒37564》は御子神嬢、それに続く文言を求められた安藤部長が咄嗟に口にしたのが《テンシ≒10+4》となっている。四桁というのは施錠された携帯端末を解除する為に設定される暗証番号のこと]

「«Las crías habrán tenido sus razones para marcharse…»」ラ・サンチャの蜂は羽の生えた幼子たちを水面の向こうに望みながら――これが羽の生えた鼠であれば蓋しこの池を渡り中央の舞台へと上ることも難しかったに違いない![訳註:蝙蝠≒吸血鬼として、穢れを浄めてしまう流水を渡河することが出来ないという民間伝承を引いているのだろうが、上空を飛んで渡ることの可否については扱う作品によって解釈が分かれよう。尤も鏡に姿が映らぬ為に正体が露見するのを恐れるという要素を持ち出せば、水上を飛行する行為に対しても忌避感があっておかしくはない]――、然も感慨深げに推論を展開した。「«...¡Sí!, las razones que tienen los ratones cuando sienten que se hunde el barco.»」[訳註:《女童らクリーアスが立ち去るにも理由があるだろう……そう! 小鼠どもラトーネスが沈むと感じた時に船から逃げ出すのと同じ理由が》。西críaはcrío/-a《小さい子供/未成熟な大人》の女性形と取るか、人や動物や植物の幼体ないしそれらを養育する行為そのものを指す名詞críaと見るかによって印象が変わるやも知れぬ。つまり傍らで見守る義姉妹ふたりを指すのか、無性アセクスアールと思われる目の前の三天使を示しているかの違いである。因みに接尾辞-ónはcabeza>cabezón《巨頭》、salchicha>salchichón《太い腸詰め肉》のように多くは語義拡大に際して付けられるものだが、rata>ratónに関しては英語のrat>mouseの関係に似て縮小辞的な役割を果たすようだ。無論ここでは現在花自身の太腿に巻き付いている通行証《モモンガとハムステル》のこと]

 サンチョとドロテーア嬢は騎士がイスパニア語での朗誦レシタード[訳註:著者は登場人物――対象はほぼ花のみなのだが――の発言が日本語ハポネース西語カステジャーノかの区別をする指標として多くの場合後者を斜字体イターリカにて表記しているけれども、例外も多いことから日本語版の本稿では特に註記していない]を終えた後も暫くの間は、その花蕾の如き口元と裸の天使たちの間を交互に見比べるのみで己の唇は依然閉じたままであった。

「おぬしらが今も留まっておるのを鑑みるにどうやらこの葦舟あしぶねも」ドニャ・キホーテは徐ろに視線を落として以下に続ける。「――暫くは波に呑まれず、自然同舟の友をはしけに乗せて独りともより見送らずとも済むという次第じゃ」

「モモ太郎とハム太郎が肌に馴染んでるようですな」

桃園とうえんのラブ曰く《羽ばたけフレッシュ、キュアエンジェル!》――とな」

「キュアエンジェルなんて居ましたっけ? 最近の?」

「サンチョは現役で視てそうだが……十歳くらいじゃ微妙か」まだ保護者の監督下にバホ・ラ・ギーア・パテルナールあった時代である。「終盤キュアピーチがキュアエンジェルに……そいやウェディングピーチってのも居たな、愛天使だか恋天使だかの」

「よく憶えてますねマジで。ちゃんと学校の勉強もしてます?」

「ドニャ・キホーテ様、両腿に装着された伝説の防具の付け心地は如何ですか?」

「キホーテの松明剣ティソーナ鋳込剣コラーダといった按配です」千年前の《モーロ殺しマタモーロス》、然しものロドリーゴ・デ・ビバールも一度に両手を塞ぎ、二刀流エスティーロ・デ・ドス・エスパーダスで難敵と渡り合ったわけではなかろうが!

「ティソーナとコラーダだそうな……そのお御足で一歩踏み入れば、泉の水はたちまちピニャコラーダへと変ずるのだそうな」

「特売の安い輸入肉もコーラに漬け込むと神戸牛ばりに柔らかくなるんだそうな」

「まァいうて柔らかけりゃいいってもんでもないが……コーラゲンたっぷりの霜降りになるでもなし」和牛はその肌理細やかな肉質により、筋繊維の間に網の目状の脂肪が行き渡り、結果として口溶けの良さと優れた旨味を齎すのだという。「昨日の牛すじワイン煮込みは美味かったけどな」[訳註:第三十七章参照]

「では今日はそのカバだかサイババだかに漬け込んだお肉を頂きにとっとと参りますかね」

「お?……炭酸水に漬けるまでは許せるが発泡酒となるとさすがに気が抜け――引けるな」泡物エスプモーソスでなければ麦酒で煮込むのも好いだろう。炭酸のみならず酵母レバドゥーラにも蛋白質を分解し肉を柔らかくする働きがあるのだとか。「つかこんな時間からお姉さん酒かっ喰らって許されんのかいな」

「えっと酒浸さけびたらせるのは食われる立場の牛肉の方であって、肉食牝牛さんを飲む側に想定しての発言ではなかったのですが」喉を通り腹に収まるのであれば同じことだ。「ほらミコパイ……ミーコパイ?――も舎弟さんとこに愛車置いてきてるわけだし、うちらも愛馬はホテルの馬小屋に留守番させてますからね」

「君らふたりは歩きだからって飲ませませんよ」法律では飲酒した未成年自身より、側に居ながらそれを看過した大人の方が罪も重いのである。

「飲まねえわ。我ら主従がチャリオットで貴女だけ徒歩ってんじゃ集団行動できねっぺ?」昨日シャルロッテの出番が日の落ちるまでやって来なかったのも、偏に予期せぬ来客を東京から迎え彼女たちと同行する運びとなったからに外ならない。「尻軽だからって足軽扱いは忍びのうござるよ」

「そっただこと云ってグデングデンに酔わせた挙げ句そんまま飯屋に置き去るつもりじゃなかっぺ?」

「いやいやどんだけ呑みますつもりなのか!」昨夜の醜態が脳裏を過ぎる。踊り子バジェリーナの如く舞い、鯨のように呑むのでは舞台上の狂女フアナと同類ではないか![訳註:酒豪のパロミ女王は岡崎での公演にて前半は酔漢の《牛丸》改め《鯨丸》役を演じ、後半では一転女装王レイノーナとして歌唱した。第十八章を参照のこと。因みに踊り子バイラリーナは本来bailarinaと綴るべきところを、西ballena《クジラバジェーナ》と洒落る為に伊語風のballerinaで記されている]「そいやこの御方は心が酒浸ってるんだっけ……そりゃ歩けなくなるほど泥酔してたら見ざる聞かざるからの置き去るを選択する所存ではありますがね」

「着飾ってたんは昨日の夜限定だったくせに」

「そん節はお世話になりましたッ!」昨夜は着付けだけでなく化粧係も担当してもらったのだから頭が上がらぬのも当然といえば当然であろう。「まァ無理にとは云わんけど飲める時っつか、飲みたい時くらい好きにお飲みなさいな……私なら特に食いたくなくても、目の前の鼻先に出されちゃったらついつい口の中へと運んでしまうでしょうがな――」

「チヨさん!」

「ちょっ、はい?」ギアナ姫と別の泡状の噴出オートロ・ボルボトーン・エスプモーソについて協議していた矢先にあらぬ方向から突然名を呼ばれたものだから、我等がハンザ嬢は幾分声を上擦らせながらの相槌となってしまった。「おハナさん?」

愈以いよいよもってキホーテを称するに足るモモハムの資質[訳註:脂質も兼ねる]を手に入れ脚に履きしキハーナと並び立つに相応しく、おぬしも漸くサンチョのパンサたる所以を骨身に染み込ませて参ったではないか!」

「ほ、骨身はともかく脂身の方はお会いした頃よりも削ぎ落とされてるつもりですが?」

「Bebo cuando tengo gana,...」阿僧祇花はひょいと雄鶏ポジョの――否、縁石ボルディージョの上に躍り上がるや、池の周りを時計回り乃至反時計回りに歩き始めた。「...y cuando no la tengo, y cuando me lo dan,...」

「美貌……は食わねど……団子を?……ミルクチョコレートもか」

「ああ、今度はギアナじゃなくてガーナなんね」象牙海岸共和国レプーブリカ・デ・ラ・コースタ・デ・マルフィールを挟んだ近隣国同士である。「団子じゃ高楊枝よか竹串だろうけど」

「...por no parecer o melindroso o mal criado, que a un brindis de un amigo, ¿qué corazón ha de haber tan de marfil... no,」失礼、演者の集中を乱してしまったようだ。[訳註:著者が御子神の発言に対して余計な解説を挿んだ為、花が《大理石マールモル》を《象牙マルフィール》と云い間違えてしまったという意味]「...de mármol, que no haga la razón?――団子でも天狗でも、タンゴでもありゃせぬ。《テンゴ》ですじゃ」

「はぁぁ、よかった~」ミコーナが安堵の吐息とともに両肩を下ろす。仮に彼女の乳押さえスヘタドールが鉄製ではなく絹や木綿で誂えた品であったところで、押さえられる対象スヘートが重ければ肩甲上腕関節に掛かる負荷が高くなるのも已むを得まい。「《ゴ》ね、《ゴ》なのね……ビックリしたァ」

「テンゴ、ガーナ……でんがな?」

「ベーボ」見えぬ酒坏を口元へと近付けた手を、下顎を上げると同時に傾け――「クワンド・テンゴ・ガーナ」

「……おいらは、飲みますぜ……飲みたい時に」

「――イ・クワンド・ノ・ラ・テンゴ、」次に首を左右に振る。

「たとえ飲みたくなかろうが――って、ちょ?」

「おら、」ミコミコーナが末妹の柔らかい臀部を軽く蹴り上げた。「主従のしゅの方だけ甲板に上がってたんじゃ、右舷左舷のバランス取れずに船が傾くべ?」

「……ああ、俺もこれに乗れって?」

「――イ・クワンド・メ・ロ・ダン」見えぬ酒坏を持った両手を差し出し、そのまま受け取る側に転ずる――今や象牙の擬態役者マルフィル・マルフューそのものだ![訳註:著名な擬態俳優ミーモマルセル・マルソー/Marcel Marceauの名のceをfiに置換したついでに姓の方もMarfieuに変えている。花の描写は飽くまでアベンダーニョの想像に過ぎないが、慥かに何の手掛かりもなく千代さんが西和翻訳をしてみせたと考えるのは如何にも非現実的であろう。尚、北仏オイル語に«iau»の綴り方はないものの、fieuであれば少年や若者等を指す言葉として存在する模様。その一方で南仏オック語のfieu/fiauは共に糸を意味し、それぞれ南部プロヴァンス地方/中南部のオーヴェルニュやリムーザン地方で用いられている単語なのだとか]

「……《俺の酒が飲めねえのかああん?》って言われちゃ」円環状の舞台に上った従士は彫像を挟んで騎士とは丁度正反対の縁の上を、方位磁石の赤い針に対する青い針よろしく同じ速度で前進した。「――空気を拝読して素直に乾杯つかまつりまっする」

「¡Ay, caramba!...algo más, ¡¡carambola!![訳註:卑語の婉曲表現に由来する前者カラーンバ同様に後者カランボーラも驚き怒り痛みや嫌悪感を示す間投詞だが、語源は星果フルータ・エストレージャとしても知られる五斂子ごれんし。この語には一挙両得や紛れ当たりの意味もあるというから、千代さんの和訳がある程度当てずっぽうであることも踏まえた賞賛半分皮肉半分の、些か捻くれた言葉選びとも受け取れる]」ドニャ・キホーテは一周し終えるとその足を止め、勢い良く吹き出す飛沫とあどけない天使たちに視界を遮られつつその向こうで見事な通訳を務めた千代さんに惜しみない拍手を送った。「成程《悪しき女中どもマーラス・クリアーダス》ならば暇を出すに吝かならずじゃが、おぬしの如き《良き家来ブエーナ・クリアーダ》を手放すとなるとこりゃ、塩振りを任されるよな正しく賢き主人にゃ到底許されぬ悪手に相違ないわい!」[訳註:《正しき者が塩を振る》に関しては第四章参照]

[訳者補遺:花が引用した«bebo...»に始まるサンチョ・パンサの台詞を小説『ドン・キホーテ後篇』第三十三章から逐語訳すると、「おいらは飲みますぜそうしたい時に、そうしたくない時だって、盃を差し出された時にゃね、そうすりゃ堅苦しいとも育ちが悪いマル・クリアードとも思われずに済むし、だいたい友が乾杯ブリーンディスしてくれるってのに、どんだけ大理石みたいな硬く冷たい心の持ち主であることやら、気持ちに応えて酒坏を空にケ・ノ・アガ・しない奴なんてのはラ・ラソーン?」のようになろう。実はその前の«Las crías...»も一九六二年に公開された不条理劇映画でブニュエル監督メヒコ時代の代表作とも名高い『皆殺しの天使エル・アーンヘル・エクステルミナドール』内の台詞であり、本来は«Los criados...»つまり《召使い達クリアードスが(屋敷から)立ち去るのも~》なのだった。西mal criado/malcriadoの対義語はbien criado《育ちが良い》だが、騎士はcriadaを形容詞ではなく名詞すなわち女の家来として上記のようにbuena criadaと云ったのである。ところで最後のhacer la razón《理由/理性をする/作る?》という表現は一見して難解に感じられよう。民俗学者で詩人のロドリーゲス・マリンや記者で批評家のエレーロ・ガルシーア――共にセルバンテス研究の泰山北斗――に助力を請うと、《乾杯の対象として葡萄酒の入った盃を差し出された人が«haré la razón.»と返答した上でその酒を飲み干し、乾杯してくれた相手の申し出と人生に敬意を表する時の飲み方》――のような解説が施されている。しばしば耳にする慣用句に《君には理由があるティエーネス・ラソーン≒君の言っていることは正しい》というのがあるのを考慮に入れると、この《私は理由を作るアレッ・ラ・ラソーン》という未来形の文も、同席者たちによる祝福や激励、無事や成功の祈願に対し《この乾杯に正しい意味を与える≒皆さんの心遣いに報いるだけのことをやってみせるぞ》との意気込みを表したものとも推察可能だ。或いは単純に《お前らが酒を飲む口実を与えてやるぜ!》なのかの二択であろう]

「お褒めに預かりサンチョめもますます素振りに精が出るってなもんで」従士は棕櫚箒を天高く構えると、孔球棒パロ・デ・ゴルフの要領で足元へと振り下ろした。穂先が微かに水面を掠り飛沫が迸り散る……直接打擲こそされなかったにせよ、不意を突く衝撃で水質を濁されただけでも池に棲む海鯉どもカルパカーンポス[訳註:《海馬イポカーンポ》に倣い西carpa+campo《鯉+海の怪物》という理屈。鯉は淡水魚なわけだし西campoには羅語から派生した《野原》の語義があるが、そもそも古希語のκάμποςカンポス自体にも海と関連付けられる要素は無いように思われる。となると可能性として残るのはκάμπη《毛虫カンペー》――怪物としての蛇や竜と同じ扱いだろう――を起源とする説か?]にとっては甚だ迷惑だった筈だ!「こんな住宅街の公園で悪臭騒ぎなんてのに比べたら下僕と握手するために後楽園まで出張った方が少しはマシにございますしね」

「たかが悪臭騒ぎなんぞで駆り出される戦隊ヒーローも切なみ深えな」噴水音の邪魔をそれほど被らずに聴解することが叶ったミコミコーナは、子供たちの憧れたる架空の英雄たちが地元の青年団アソシアシオーネス・フベニーレス・デ・アーンビト・ロカールさながらの地味な治安維持に係り合わねばならぬ境遇を慮った一言を添えた。とはいえ近年――我等の愛したアカプルコとまでは言うまいが!――安全神話ミト・デ・ラ・セグリダッが崩れつつある極東の先進国に於いて、異臭事件アスーント・デ・マル・オロールが《たかがソロ》ということもなかろう。「つか十歳前後の記憶って何でこんな鮮明なのか……えっ、記憶力のピークって二十歳とかじゃなかったん?」

「使用済みピックでも加工済みピッグでも返礼品ってことならありがたく頂戴しますし、やれ栗はイヤだ[訳註:西criada?]の柿はヤダだの、秋刀魚や松茸なら遠慮なく貰うだのってバチ当たりな要求はしませんよ。スペインの高級ハムさんだって生前は贅沢のひとつも言わずに出されたもんを黙って貪り食っとったと聞きます」

「イベリコ豚が食ってっるんはドングリだと思うがな」充分に贅沢食材コミーダ・ルホーサである。

「中でも団栗ベリョータ種に限られましょう」全体の九割は飼料セボ種と聞く。一足早く地面に飛び降りたドニャ・キホーテは縁石の下を反対方向へと戻り始めたので、数秒を待たずして三姉妹は再び鼻を突き合わせることとなった。「綺麗な団栗娘やベリャ・ベリョティータ半鷲半獅子殿ドン・グリフォン牝馬嬢ドニャ・イェグワの間の子たる吾が愛馬とおぬしの御母堂にして羅馬王朝ロマーヌフ女帝ツァリーツァ[訳註:露царица/西zarinaサリーナ]でもある――」

「ツァ……チャリーちゃん?」もうカエサリーナでもシャルロッティーヌでも構わぬ!

「――チャリーチャでもあられるカルラマーニャ陛下を厩に押し込め馬草を食わせておきながら斯様な申し出は心苦しくもあるのだが、」

「は――」――グルルルルル。[訳註:西gruñir《動物等が唸る》]

「はっ、腹で返事すな!」テンゴギアナ王女が天使たちの排水にも勝る勢いで噴き出した。

「……いや、あの」余りに調子の合った相槌に自分でも半笑いとなる千代さん。「ドングリコがお池にハマるだけならまだしも、希望の泉のドニャ・グリコさんまでハメられてまうのには抵抗がある」

「何だっけ?……《胃の中のカワズは恥知らず》だっけ?」[訳註:第十一章参照]

「たい……大概はな」サンチョ嬢サンチータは己の小腹パンシータ[訳註:ここでは《太腹パンサ》の縮小形だが、メヒコ料理の牛胃煮込みも同じくpancitaと呼ばれる]を押さえつつ応戦する。「ただし胃の中のカエルはアマディスガエルじゃなくてチチウシガエルだとそうおっしゃったのは他ならぬ殿下ですからな……それを信じる限りにおいて今の騒音の発生源も十中八九、いや十二三くらいの確率でそちらのヘソ出し腹踊り子ベリーダンサーだと断言できますことよ」

「へ~そうなんだふーんキュアベリーリスペクトですが何か?」

「じゃあキュアバストもリスペクトしてポロリもあれば?」

「おやめなさいな御両人」真中の妹エルマーナ・メディアーナ[訳註:異母妹・異父妹の場合は《半分姉妹メーディア・エルマーナ》]の常として、花が即座に割って入った。「意中の相手が雨蛙だろうが牛蛙だろうが好きに鳴かせておけばよいのじゃ……腹中に猫を飼うよりなんぼかマシというものよ」[訳註:西tener (siete) gatos en la barriga《腹に(七匹の)猫を持つ≒悪意がある》だが、これは飽くまで腹の上であって中ではなかろう。翻訳でもenではなくdentro de《の内部で》が用いられている]

「えっとそれは……エベレストに登るまでは腹の中の猫の生死が分からねえとかそういうヤツでした?」

「腹じゃなくて箱じゃねえのか……して何でエベレスト……気圧差?」高地では空気が薄くなる故に、胃の中に閉じ込められた猫が(胃酸で溶かされる前に)酸欠で死ぬかも知れないと?……いや、銭湯の玄関前で内部の様子を窺っていた際、花が手短に講釈したエヴェレットの多世界理論テオリーア・デ・ムーチョス・ムーンドスのことを云っているとみた。[訳註:妊娠中の母猫の腹の中という発想があっても良さそうなもの]「――富士山じゃダメなんか」

「ロクに勉強もせんで、オウムさんが鳴きますよ?」

「そんなおふくろさんが泣くよみたく云われても」

「シュレディンガーってのは名前からしてドイツ人でしょ」ナチ党に占領されていた期間を除けば――《神童》と同じく!――墺太利人アウストリアーコないしハプスブルク帝国臣民とでも呼ぶべきである。「飛行機で格安ツアーも無い時代に日本なんかそうそう来れねえだろ」

「ヒマラヤの方がもっと大変だろうに」そもそもヒラリーとテンジン・ノルゲイが初登頂を果たしたのも二次大戦後のことである。[訳註:一九五三年五月。猫を使った思考実験を含む論文が発表されたのはポルスカ侵攻以前の三七年だ]「山登りしてる暇なんざないわ」

「いやでも日本よりは近いし……」

「ドイツ人ならブロッケン山で我慢してろや」

「ブロッケンって山のことだったんかい……そもそもエベレストって何語よエベーレスティング[訳註:ずっと休憩エバーレスティング万世不朽エバーラスティング?]なマウンテンってこと? 頂上まで直通のエベレーターもないくせに、いやもっとアジア感溢れる名前付けろや」

「名前はあるだろっつかサンチョお前リア小の時にMXで視てたくせに知らないのは無いだろ?」[訳註:第三十八章終盤に言及がある]

「何の話よブロッケン?――は弟が……『キン肉マン』?、視てませんよ私は」

「チョモランマって何語?」これは《天地万物の母マードレ・デル・ウニベールソ》等と訳される。「中国――じゃねえか、ネパール語?」

「あっ、チョモランマは聞いたことある。あれエベレストのことだったんかい」支那北方(滿大人)語チノ・マンダリーンでは《聖母峰ピコ・サンタ・マードレ》という呼び名もあるらしい。「呪泉郷なんだし中国じゃないか?」

「ティベットの言葉でしょう。ネパールでは《天の額サガルマータ》と謂うそうです」

「下がるのか!……《小股が切れ上がったいい女》ってのは江戸っ子の好みだそうだけどそうか、下がっちゃってるのか……」《マタ》とは脚の間エントレピエールナを指す日本語なのである。[訳註:西語では《よく切り込みの入った小股エントレピエルニータ・ビエーン・コルターダ》。複数の解釈が可能な訳出である]「8848ぱちぱちよんぱちメートルとかお高く止まってる割にサゲマンなのかよ」

「高低差ハンパないな」麓まで転げ落ちるのに果たして何時間を要するだろうか?「サケマンというか酒饅さかまんというか、シャケマンなら美味そうですがね……サゲパンマンはちょっと、拍手喝采よりかはブーイングもんですわ」

「《3776みななろう》的な憶え方でいえばまあ、《母、夜這い》ってとこ?」

「ひっで、息子さん逃げてー!」それでは《破廉恥奸物の母マードレ・デル・ペルベールソ》である。[訳註:文法的には《邪悪な母マードレ・ペルベールサ》か《邪道の母マードレ・デ・ラ・ペルベルスィダッ》とすべきだろう]「ヨバまでだと未遂かな」

「夜這いをするにゃ気が早過ぎましょうし」騎士は得物の柄を伸ばしては縮めてを二三度繰り返してから以下に続けた。「――このまま猿芝居を続けても蟹の横這いというもの。我がまれなる棒先も行き先を定めかねておりまする」

「えっとちょっと待って……こっちまっすぐで大須本通」携帯端末に目を落としながら先ずは正面を、それから左側を指差して、「――こっち行くとマンマツデラ……万松寺ばんしょうじ?――どおりか」

「マツの付く通りはデラやめときましょう。でら縁起が悪い、ずら」

「どっちに飯屋が多いか分からんけど。まァ駅はどっちからでも近いだろうから」

 一行は直進を選んだ。公園の敷地外に出る刹那もう一度噴水の周辺を見回してみたものの当然そこにボルランドと両淑女の姿など見当たらぬ……羽の生えた愛らしい三尻トリトラセーロス・ボニートスに会釈すると、花は変わらず先を歩く姉妹の無用心な背中を守りつつ鯉の泳ぐ池を後にしたのである。[訳註:大須公園の彫像は三体とも南側に顔を向けているようだから、もし千代たちが東から入園し西の本通へと抜けたのであれば最後に花が目にしたのも実際には天使の横顔ということになろう]


大須本通までは牛の歩みで進んでも物の一分と掛からないようだった。

「ベーボくんがドリンクならイートは何ちゃんでしたっけ?」従士は穂先を担いでいるのとは逆の肩越しに主人を顧みて訊ねた。

「《私は食べるコーモその気になった時にクワンド・テンゴ・ガーナ》」

「コーモ、コーモ・ロコモーコ」それは鼻糞モコ狂っているロコのではなく鼻糞を食すお前が狂っているのであろう!「……あっ《米を食べるコメール》[訳註:第七章での花の呟きをその語呂の良さから記憶していたのだろう]ってこれか、てことは《飲み物ビバレッジ飲むベベール》?」

「Viva, tienes las de ganar.」

「ぞうはババール……コメ兵あったじゃん」御子神嬢は昨朝千代と再会した直後――そしてエル・トボソと馬のババール嬢と出会う直前――に口にしていた[訳註:第二十四章の名古屋駅構内横断中の場面を参照されたい]、高価な再利用品レシクラーヘ・デ・ルホの買い取り販売を行っている有名企業の大看板を道路沿いに見上げた。全国展開しており東京にも数店舗を擁するが、本店があるのはここ名古屋なのだ。「さすがにフードコートとかまでは入ってなかろうが……サンチョさあ、ハムケーキでもキュアイベリーコでも好きなもん食えばいんだけど」

「ケーキならおとなしくチーズケーキ頼むわ!」挽肉の包み焼きエンパナーダ・デ・カールネ・ピカーダが良くて腿肉だと具合が悪いという法もあるまい。[訳註:英西語の対照表としては、cake=pastel/tart=tarta/pie=empanadaと考えておけば一先ずは間違いない]「生ハムメロンならともかく生ハムモモじゃそれこそ《生腿も桃もモモの内》つか、親子丼ならぬドッペル丼になっちゃう」

「知らんけど、朝飯はある程度セーブしとけよ。今から米俵一俵分食うとか無しな」

「た~わら~のね~ずみ~じゃあ~るま~いし!」これは穀物庫に棲み着いた鼠ラータス・ケ・アビータン・エン・ウン・グラネーロ(前記した愛玩用の倉鼠ラス・アルマセナーブレス・コモ・マスコータとは別種)が藁製の袋サーコス・デ・パハに詰め込まれた年貢用の米アロース・コモ・エル・トリブート・アヌアールを食い荒らして――「こ~めくってヒョー!とでも? ヒョーヒョーヒョーとでも?」

「いやヒョーてフライングバルセロナアタックかよ、バルで酔っ払ってんのか俵の鼠」読者の中にはこの空中攻撃アターケ・アエーレオの使い手である仮面マースカラ鉤爪ガッラの《西班牙忍者ニンジャ・エスパニョール》をご存知の方もおられようが、彼のもうひとつの生地たる日本では《ベガ》ではなく炎を操るという悪魔《バルログ》の名を授かっていることも併せて憶えておくと宜しい。嗚呼、アステカ最後の皇帝クアウテーモク宛ら《落ちる鷲アーギラ・ケ・カーエ》乃至《降り立つ鷲アーギラ・ケ・デスシエーンデ》を意味すること座コンステラシオーン・デ・ラ・リラの一等星ベガの方がこの美しい格闘家により相応しかったであろうに![訳註:西Vegaは苗字にも女性名――サラマンカの守護聖女パトローナでもあるベガの処女ビールヘン・デ・ラ・ベガつまり聖マリアに由来――にも用いられるが、上述された架空の忍者は美貌ながら男性である。尚、一般名詞としてのvegaは《平野、低湿地、牧草地》等の意味を持ち、地名のラスベガスもネバダ砂漠に於いて水の確保が比較的しやすい肥沃な緑地帯オアースィスだったことから名付けられた]「米俵じゃなくて酒樽かじってたんかよ……これどっち行く?」

「どっちでもいいっすよ。ネズ公どもの世話なら今は私よかドニャ様が当番ですからな」

「ハニャ様はワンピだったけどお前さん、――」御子神嬢が従士の背後に片手を回し、襯衣越しに留具コルチェーテスの辺りを抓んで引っ張った。

「ちょって!」一瞬だけ胸部を圧迫されて喉を詰まらせる千代さん。殿の騎士が後ろに蹌踉けかけた従者を支えてやる。「――あ、ありがろんごぜえま……ちょまッ!」

「ガリア理論?」

「――ビキニだったしょや」してやったりレ・ピジョッといった笑みを浮かべつつギネア王女が以下に続けた。「公衆の面前でマリアちゃんみたくなんのイヤっしょ?」

「マリアちゃん? どこのマリアちゃん? マリア充として名高い?」

「ほら処女懐胎」自分の凹んだ臍の前に大きな半球を描くミコミコーナ。「マグロの解体なら好きだろうけど」

「グロいつか、見たことねえわ生では」サンチョは腹鼓パンサーダ[訳註:過食症トラストールノ・ポル・アトラコーンの語義もあるらしい]を打つには幾分元気の足りない腹部を擦った。「なんか食後プール決定みたくなってますけど、オケとか室内のが涼しさもひとしおなのでは」

「室内プールもあっかもだし、塩味優先なら海水浴場検索するって案もある」

「ないない、こんな天日干しされたらシオシオんなる」それとなく溺れ癖テンデーンシア・アル・ウンディミエーントのある主人を今一度振り返る猫の従士。「スィーブリーズ、プリーズノースメル」

「水練にゃ些かの心得はあるつもりだがね」

「睡蓮……レン姫さまのお心を得てるからって?」

「水泳の練習のスイレンだろ」

「えっと浜辺に駆け付ける救急車が鳴らすのはサイレンでしたっけ?」

人魚セイレンの調べがこの聾ならぬ耳に届きゃ、読んで字の如く《微睡む蓮っぱな》と化して労せず夜明けを待つも良し」水生植物のスイレンネヌーフェルは漢字で《眠気の蓮ロト・デ・ソニョレーンシア》と書かれるが、音だけ聞くと《水百合リーリオ・デ・アーグア》と変わらないのである。「幸い地下牢ドンジョン帰りなれば蝋の耳栓にも多少の備えがある」

「そりゃ朗報ですけど、夜明けを待たれちゃ人間に戻る前にバスが出ちゃいますぜ」

「おぬし、ビキニが気に食わぬというならば」次女が歩速を上げて、先を歩くふたりの間に割って入る。「――食われる前に食うてしまうという手もあるぞ」

「食われる前に何を食うんですかね」御子神が花の接近と接触を歓迎して動こうとしないものだから、千代さんは少し脇に避けて花の分け入る隙間を作った。「ニキビは御免ですけどお気にのビキニなら気に食わなくもない……ですがキビダンゴみたく丸めて食えるもんでもないでしょうに」

「食える下着って何かなかったっけ?」

「それはただのパン……いや、ランジェリーだからジェリービーンズで出来てるとかのオチじゃないのか?」

「いやもっと普通の、メン製というか」

「パスタ的な意味で?」

「いやコットンの方の」それは綿飴アルゴドーン・デ・アスーカル[訳註:英cotton candy]なのでは?「まァコットンだろうがシルクだろうが胃の中で消化できなきゃ意味ないか」

「箪笥の虫食いを見れば食えないこともないんでしょうがね」それは虫(衣蛾ポリージャ・デ・ラ・ローパ等)だからであろう!「何のために作るんだそんなの……なんかエロ目的?」

「さあ……災害用とか?」

「食いもん無くなったらはいてるパンツ脱いで食うの?……自分のでも使用済みはイヤだなあ洗濯だってしてる余裕ないだろうし。そもそも消化できないんじゃ栄養にもならんわけだし」まだ食用の野草を探して齧った方が生産的かも知れぬ。「あっでも空腹を紛らわす的な効果があるか」

「«Veni, vidi, vici...»」上と下の姉妹の会話の妨げとならぬよう今度は一歩前を歩き二人を先導する形となっていた騎士が、前方を向いたままふと呟いた。

「あっ、ウィキで調べてみ……《食えるビキニ》」

「――否、«veni, vidi, vendi...»とも謂うくらいじゃからの」花は古典式発音に倣って«v»を/u/、«c»を/k/と読んでいた。「よしベーネ、ここはひとつ《きたベーニかったビーキビキニビキーニ》と洒落込もうではないか!」[訳註:著者は敢えて«veni, vici, vicini»と音写しているが、読者には/’be.ni ‘bi.ki bi.’ki.ni/の音を想定してもらおうという算段に思える。羅vini/vidi/vici/vendiで《来た/見た/勝った/買った》。因みに西語圏ではbikiniとbiquini両方の表記が併存する模様]

 そう嘯くとラ・サンチャの蜂の騎士は空きっ腹の従者にも況して精力的に、太平洋上の環礁アトローンに由来する名を持つ些かH爆弾的な水着トラーヘ・デ・バニョ・アールゴ・アチェメンテ・ボンバースティコ[訳註:hachementeなどという副詞は存在しないが、概ね《アチェ的な意味で》と謂う意味か。本来bombásticoは言葉や文章を大袈裟に誇張する人を示す形容詞だし、勿論bomba HのHがhidrógeno《水素》の略であることなども言を俟たない]――この文字が日本で一般的に何を意味するか博学なる読者諸兄ならば先刻ご存知であろう!――を提供してくれそうな店を求め、前後左右も隈なく渉猟し始めるのであった……「¡Ven aquí!」[訳註:「こちらに来い!」――命令する動詞の活用が単数形なので、背後のふたりにではなく目当てとなる飲食店に対して放った科白だと考えられる]


アフリカの王女が凛として延びた背筋のドニャ・キホーテから目を離さぬまま、傍らを歩く背中を丸めた猫娘ガティータ・ホロバーダに耳打ちした。

「本当に出てきたらお前が先に食えよ」

「何? 何の話です?」眉を顰める千代さん。「ビキニなんか出すカフェがありますかよ……最悪海の家なら水着で接客する姉ちゃんとかも居るかもですけど」

「メイ喫でもビキニデーとかあるかもよ?」

「あってもオプションだろ……いや朝からお帰りなさいませお嬢様で出迎えられたかないわ」こっそり玄関から忍び込むところをうっかり女中頭アマ・デ・ジャーベスにでも見付かった日には、婚前の朝帰りを厳しく詰問される事態も避けられまい!「つか女好きのパイセンの方が食おうと思えば食えんじゃねえの?」

「中身なら相手によっちゃイケる気すっけどな」成る程、男の身体ビフケーケスとなると齧り付くには幾分肉質が硬過ぎる感が拭えぬ。「ナイロンとかポリエステルの水着じゃ腹壊しそうだし、まずは毒見というか……それこそマウスというか、モルモット?」

「いや実験動物じゃねえか!」

「騎士さま?」王女は声量を上げて先を飛ぶ蜂を呼んだ。「モルモットもネズミでございますわねえ……何ネズミ? モルモンってのは地名なんだっけ?」[訳註:末日聖徒イエス・キリスト教会に於いては預言者の名前]

「は――て、」ドニャ・キホーテは忙しなく辺りを見回しながら無い顎鬚を扱いた。「……テンジクネズミかと」

「西遊記じゃねえか」

「西遊記だと猿がメガネでサンチョは……豚だっけ?[訳註:第二十六章の牙城一階玄関口の遣り取りを参照のこと。御子神嬢は河童]」天竺……印度の豚プエールコ・デ・ラ・イーンディア

「¡¡Pufff!!」虚を突かれた騎士が噴き出してから酷く咳込みその場に蹲ったものだから、後ろのふたりが俄に狼狽して駆け寄り、彼女の一転して丸まった背中を擦ってやる。

「「どしたどした……」」

 柄にもないノ・エラ・ティーピカ・デ・エジャ、阿僧祇花は何を思って斯様に悶絶していたのか?……何のことはないニ・エラ・ナダ・エスペシアール、義姉妹たちの言う蘭語起源のmarmotが我等の呼ぶところの所謂《寝坊助嬢の地栗鼠マルモータ・ムイ・ドルミローナ》ではなく新印大陸の小兎コネヒージョ・デ・イーンディアス――より国際的な呼称を選ぶならば《ギネアの仔豚セルディート・デ・ギネーア》――を指していたからである。[訳註:同じ齧歯目でも天竺鼠モルモットはテンジクネズミ科、大地栗鼠マーモットはリス科に分類される。西dormir como un bebé/ un tronco/un lirón/una marmota《赤ん坊/丸太/ヤマネ/ジリスのように眠る》は何れも同じ意味。天竺鼠の原産地は南米の山岳地帯であり、アンデスの先住民が剥皮や食肉目的で家畜化したものが現在は愛玩動物となって世界中で流通している。日本で天竺の名を冠した理由は単に《遠方の、舶来の》程度の意味付けだと考えられるが、英名のguinea pigについては諸説ある。輸入される際に西アフリカのギネアを経由したというもの、和名同様ただ遥か遠くの異国を想起させる地名であったからというもの、十七世紀の英国では一匹が一ギニー金貨――当時の二十シリング――で取引きされていたことに由来するというもの、guineaはウサギの古称coneyの変化した形で《ウサギブタコウニー・ピッグ》こそが元来の名称だったというもの等々。要は「それは寝坊助マーモットの千代さんではなくギネアモルモット女王の陛下の方でしょう!」と脳内でツッコミを入れたのである]


[訳者補遺:ここで煩雑な本章の章題に関して見立てを追記しておきたい。先ずalteraciones discrecionales《自由裁量の変更》とは当然、折角早朝から足を運んだ在矢場町の公演会場では件の通行証を返却せずに持ち帰ったことを指していよう。問題は続く«las tres tercias canónigas»だ。分解すると《三人のトレース三分の一のテールシアス女性参事会員カノーニガス》だが、女性形のcanónigaは単独で«siesta canóniga/siesta del canónigo»則ち教会の典礼に於けるhora sexta《六時課》を指し、これが《昼寝》の類語として世界中で知られる西siestaの語源となっている。尤も現在では昼食後の仮眠を意味するスィエスタも昔は《昼食前の居眠りカベサディータ・アンテス・デ・コメール》であったようで、これは聖職者たちが正午の祈りの前に一休みと称しこっそり転寝する習慣があったことに端を発するのだとか。本稿では朝食――若しくは朝昼兼食デサジューノ・アルムエールソ――前に一行が休憩がてら大須公園に立ち寄り、暫しの間涼を取ったことを示していよう。では何故siesta/sextaではなくterciaなのかといえば、劇中の時間軸が六時課≒正午ではなく三時課≒午前九時前後であった故に外ならない。名詞のtercioは《1/3》だがここではtercera hora《三番目の時間》と同義だ。換言すると、半人前ならぬ《三半人前の小娘ども》が三人揃って漸く一人前といった、登場人物と比べれば大分年長であろう著者の若さへのヤッカミが鑑みられるホロ苦い命名とも解釈可能なのである]

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