第31章 日出処の貴婦人たちを連れたドニャ・サンチーオに依る偉大なる勲功が宣されるが、此れが獅子の騎士がブリアレオスに喫した敗北の敵討ちを企図したものか然らずば純然たる偶然かは扠置き、概ね七倍の(後略

LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA

清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ

Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.


POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM

                    A Prof. Lilavach

Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.

Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).



第三十一章

日出処の貴婦人たちを連れたドニャ・サンチーオに依る偉大なる勲功が宣されるが、

此れが獅子の騎士がブリアレオスに喫した敗北の敵討ちを企図したものか

然らずば純然たる偶然かは扠置き、概ね七倍の腕を持つ巨人を討ち取ったのである

Capítulo XXXI.

De donde se declaró una gran hazaña adonde doña Sanchío con las nobles del naciente,

tratando de vengar la derrota del caballero de los leones contra Briareo o como alternativa de pura casualidad,

venció al gigante con los séptuplos manos más o menos.


さてもその後十の目光る四匹の雌猫クアートロ・ガータスの一行は程なくして五十の頭に百の腕持つ巨躯と対峙することに相成る訳だが、その巨大な鉄の車輪ルエーダ・フェーリカ・ヒガンテースカを真っ先に目に留めたのが我等が薔薇娘ローダンテであったのは果たして偶さかであったのだろうか?[訳註:羅rhodanthe《薔薇の花》、西rodante《回転する物》。因みにrueda Ferris/rueda giganteも共に観覧車の意]

 無論彼の地は最早、《四匹の猫クアトラ・ガッツ[訳註:日本語でいう《猫の子一匹いない》に近い意味を持つことは前章で既に述べた]》というよりは《毛皮と羽根ペル・イ・プローマ》[訳註:絵筆と羽筆、つまり絵画と文筆を意味する。共にカタルーニャ語だが、第十四章の末尾で花の命名した千代の騎士号が同じ西班牙語エスパニョールでも加須カステジャーノcaballera de los gatos《猫の騎士カバリェーラ・デ・ロス・ガートス》ではなく加泰カタラーンcavallera dels gats《猫の騎士カバリェーラ・ダルス・ガッツ》であったことは一応振り返っておこう]という様相で、アルトドルファーの筆でも借りねばとまでは言わぬまでも、上手い具合に一団の指揮を執っていた毛むくじゃら嬢ドニャ・ペルーサ頭髪ペロを数十本ほど拝借せぬ限り到底描き切ることも叶わぬくらいには――おお、筆者もいつの日か東京を訪れた折には是非とも入店を果たしたき猫喫茶カフェッ・デ・ガートスの店内はけだし(愛らしさは兎も角数に於いては)こんな状況なのでは?――有象無象の猫どもムチェドゥンブレ・デ・ガートスに塗れていた[訳註:伝馬橋とは打って変わり人通りが多いということ]。その情景をアベンダーニョが巧み且つ文学的に描き切れぬ理由については著者の力量を責めるよりも、その場に饒舌無比のドニャ・キホーテが居合わせなかったことを嘆くべきだろうけれども、仮令ラ・サンチャの騎士が運良く四人に同行していたところで射干玉の黒髪カベージョ・ネーグロ・アサバーチェの多くを喪った彼女は既に羽根を抜かれた羽アーラス・スィン・プルーマスしか持たず[訳註:蜂ではあっても蜂鳥ではないという意味?]、何れにしても墨壺ティンテーロに浸して線を引く用すら為さなかったのではあるまいか?

 尤も足下を這いずり回る猫が四匹であろうが四千匹だろうが、遥か数十ブラーサス[訳註:西braza=estadoは両腕パル・デ・ブラーソスを広げた長さ]上空から見下ろす百の瞳には蟻かせいぜい鼠かくらいにしか映らなかった筈だ。巨人が気に留めるとすれば鬼門の方角ディレクシオーン・デ・ラ・プエルタ・デモニーアカ僅か百倍尋エスタダーレス[訳註:約三百三十米。鬼門については第十三章で花が説明を加えているが、著者自身による解説はないままである]に聳える隻眼の神くらいのもので、それこそ邪眼天使サリエルか不動明王、魔眼のバロルバラル・エル・オホ・マリーニョ毘沙門天バイスラバーナが如き形相で睨め付けていたとて不思議はない。否、そもそも蜂の騎士が十四行詩を献じた[訳註:第二十三章を参照のこと]無手の巨人スィンマーノスが何故その諸手を不具としたのか……それらを胴から断ち放ったのこそがこの大車輪ルエーダ・グランデ――つまりは《車裂きの車輪ルエーダ・パラ・デスパラサール》、四肢を括り付ける為の或いはこれ自体を以て轢き潰したか――とも考えられるし、今我々の――より正確には少女たちや他の道往く人々の――目に引き千切られた腕が映らぬのは梟示されている内にエン・ラ・オールカすっかり鳥どもの嘴で啄まれてしまったが故とも推し量れる訳である。

 それはまさしくパリパリースのエッフェル塔を凌駕せんとして建造されたシカゴチカーゴのフェリス車輪が如く、千代たちの目には未だ映っておらぬ電波塔の今も照り輝く威容を、対抗心剥き出しのまましかと見据えていたのだった。


以上に記したような如何にも野性的な出で立ちフィグーラ・フェリーナを大通りの西の彼方に認めた《愉快な仲間たち》は当然肝を潰したが、映画愛好者と思しき安藤蓮部長であれば《ネコの道エストラーダ・フェリーナ》[訳註:『フェリーニの道ラ・ストラーダ・ディ・フェッリーニ』]とでも呼びたくなるような伝馬橋からの散策をつぶさに眺めてきた我々をしても、嘗ては《猫を殺したケ・マトッ・アル・ガト》とされる好奇心クリオスィダッですらこの八月アゴーストの空の下ではただ只管上品振ってコン・ハイロスィダッ[訳註:形容詞jailoso《上流階級に属する》。語源は不詳だが、南米特有の言い回しのようだから恐らく英highから派生した造語であろう]回り続ける以外の方策を持たざる有様としか思えぬ始末である。[訳註:拙訳を読んでも文意が掴めぬと思われるが、原文からして意味不明な文章。無理にこじつければ、最後の《好奇心≒観覧車の車輪ルエーダ》を主語とする一文に於いて動詞rotar《回るロタ》を形容詞roto《壊れたロタ》に掛けることで、後述される聖カタリナの逸話への布石と為す意味が込められているという解釈も辛うじて成り立つ――ような成り立たないようなといったところ]

「ああ何かで見たことあったわ」先頭を歩くギネアのペルーサが目を凝らしながら口火を切った。「アレだ、サンシャインなんとか」

「背ェひっくいな!」

「池袋じゃねえから――つかお前ぇが言うな」

「チヨさんドニャ・キホーテ様の従士としては」エル・トボソのドゥルシネーアが思わせ振りに話を振った。「色々と思い当たる節があるのではなくて?」

「節ですか? フシ……フジなら富士山でしょうし、ニシンだったら三より八なんでしょうけども[訳註:第十三章では千代「不死身じゃないんですから」花「富士見といえば」という遣り取りがあるが、ここでは《二四》をフシ・フジ・ニシと読み分けている]」在りし日のラ・マンチャの騎士がコンスエーグラで遭遇した風車の冒険を富士の裾野で主人から聞き及んでいた猫の従士は[訳註:勿論ドゥルシネーアは風車と観覧車の相似を指摘した訳なのだけれど、実際には劇中に於いてドニャ・キホーテが従者の前で《風車》という単語を口にする場面は一度も確認されていない]、中学校で受験する考査の最中を除いて頻繁に発揮される持ち前の記憶力を総出動させ、何とかして主人の想い姫への気の利いた返答を探し求めた。「――ハチ、ああ発症とか重症とか……そういやそんな中二病の――中三症?の話をなさっておられたかもしれませんな」

「八章……そのくらいか」

「あっ、あん時ハチにこだわってたのがあん直後に蜂の騎士を襲名する伏線になってたんかな今思えば……」

「何?」

「いやいや」アシナガバチは兎も角狂犬ジョリーとの戦闘などは、沼津の浜辺での水難同様口端に出さぬに越したことがない。「なん――南方の巨人だか北方の巨神兵だかを」

「部長、そんでメガトンカエルというのは?」

「何それ?」

「ウシガエルってのは聴いたことあっけど、ゾウガエルってのもいるんすかね」

「やお前メガトンって何キロか分かってんのかよ」

「そ――そりゃ豚の品種によって重さもマチマチでしょうからまずはそれを指定してくんないと。黒豚とか金華豚とか、あと何だイベリコ豚とかあんでしょ」

「ワレナベニトジ豚とか?」[訳註:《スベテノジャッキニニアイノタイヤガアル豚セールド・デ・カダガトティエネスルエーダ》という訳は、英語の《全てのジャックにジルが居るエヴリ・ジャック・ハズ・ヒズ・ジル》の捩りであるとともに、猫と扛重機ジャッキが同じgatoであることを踏まえ現在の話題の中心たる車輪ルエーダとも絡めた、技巧的な合いの手として千代に返させている。前章の謎掛けで刺激されたが故の試行錯誤だろう]

「まあ普通は百グラム単位だろうしな」トンケイルトンキーロ豚一瓩ウン・キロ・デ・セールドを聴き違えたのは四つ目だが、心優しい御子神嬢も話を合わせたとみえる。「つって名古屋まで来て矢場とんってチョイスもヤバいと思わんでもないけど」

「いい加減になさいな、姫君は巨人のことを仰せなのです」

「ああヘカトンカエルってことか」千代が割って入ったことで発言者本人も己の意図を思い出したようだった。

「ああはいはい、グルグル回ってるからか」恐らく小説『ドン・キホーテ』は未読にせよ、ドレの挿絵くらいは何処かで目にしていると思しきミコミコーナがいち早く勝手に得心して口を挿んだ。

「行っては帰るというわけですな……」訳知り顔で何も理解していない従士が話を繋ぎつつ以下に続ける。「やはりゴジラサイズの化け蛙なんですかね、ドゥル姫様?」

「アレはねえ……ヘクトだから多分手が百本あるとかそんな巨人だったんじゃないかな」

「明らかに多すぐる!」例えば洋琴奏者ピアニースタのように左右の手――実際には十本の指――を別々に動かすのは左右双方の脳半球を駆使することとなりかなりの負担が掛かるし、余程の訓練を経ねば脳梁クエールポ・カジョーソに依る動作の均一化から逃れるのも難しいとされる。「オクトパスカルが上限だろ……あ、でも食用になるなら沢山生えてくれてた方がベターなのか……その点いかがですか解説のハンザさん?」

「私は死んでもおかわりするもの」[訳註:《私が死ねばスィ・ジョ・ムエーロ私の代りに次を補充できるオートラ・プエーデ・レエンプラサールメ》の風刺的模倣パローディアとして《私は死ぬとしてもスィ・ジョ・ムエーロ死ぬまで皿を替え続けるボイ・ア・レエンプラタールメ・アスタ・ケ・メ・ムエーラ》と訳されている]

「お前もクローンのくせに食への執着ハンパないな、何人目なんにんめ通り越してトータル何人前なんにんまえ食うのよ」そう呆れつつも、大食いの末妹スクルド・グラーサが寿司屋でそれを実践しなかったことに内心感謝する色狂いの長姉ウルド・ルフリオーサ。[訳註:第十一章参照。尤もお代わりもタコの握りに限定されているなら然程財布も痛むまい]「なんだオクトパスカルて、八本足のあらいぐま想像しちったじゃねえか」

「腕は百本で頭が五十個付いてるんですよ確か」

「きっしょ!」目が四つ程度ではとても異形フェノーメノを名乗れぬと半ば安心したニコニコーナが尚も嘯く。「というか明らかに過剰っすね……さっきのお腹から犬がたくさん生えてる人魚、何でしたっけ?」[訳註:前章に詳しい]

「ええっと、スキュラ?」

「スキュラっすスキュラ、アレもキツいけどナンボかマシでしたよね」スキュラの腹部から生えた犬の首は一般に六頭分とされる。「その人は手術かなんかで五十人に分割してやれば丁度計算が合うし生活もしやすいんじゃないのか?」

「いやギリシャ神話とかの時代にそんな外科手術可能な医療技術は望めねえだろ……カエルの解剖じゃねんだぞ」

「ああ……」昨夜名古屋港を望む橋の上から眺めた遊園地の大観覧車ノーリア・グランデの堂々たる立ち姿を独り思い返す千代の口から思わず吐息が漏れる。今や何週間も前の出来事であったかのような心持ちだ。「千手観覧ってのもあながち間違いじゃなかったってことか」[訳註:第二十二章を参照されたい]

「でもシャルドネ姫、ドンキのジッ様が特攻した風車ってアレ三枚かせいぜい四枚羽根とかでしょ?」カンポ・デ・クリプターナに立ち並ぶ風車群の羽根は四枚である。「流石にハンドレッドハンドは盛り過ぎじゃござんせんこと?」

「ミコ姉さん《ハンドレッドハンズ》な」

「うっせえな韻を踏んだんだよ、あと109いちまるきゅうの東急ハンズ様に訴えられたら怖いだろ!」

「は?……あっ、109ってとうきゅうで東急ってことだったの!――チヨさん知ってた?」

「いや知ってたしそれよりこれから新宿南口歩く度に腕が百九本ある巨人を想像しちゃうじゃねえかよ。奇数でバランス悪いし」109の巨人にご興味お有りの読者諸兄は渋谷駅のハチ公口を出て件の交差点の前で空を仰ぐと好い。「……あっと姫様すみません」

「え?――ああ、」アフリカの王女の問いを無視した形になっていたことに気が付くドゥルシネーア。「でもまあ千手観音も千手ないですよ」

「おいJARO!」

「というかたしか左右……何本だっけ、多分二十本ずつプラスこうやってる手二本だから、実際には四十二本とか、少なくとも五十本は生やしてらっしゃらなかったかと」

「てことは経歴詐称というかプロフ詐欺とゆか――過大申告?の比率でいえば観音様といい勝負か」ミコミコーナは徐々に近付く巨大な車輪を見遣りながら以下に続けた。「その点観覧様の方は結構頑張ってるんじゃね……でもまァ百はないかな」

百足むかでも日本に生息してるのは大体四十本くらいしか足生えてないっていうし」

「ムカデは百本足って書くんだっけ?[訳註:西語でもムカデはciempiés《百足シエンピエース》、同じく多足類の馬陸やすではmilpiés《千足ミルピエース》と書く]……虫よりも観音様のが見栄っ張り度合いがエグいな……煩悩の塊か」

「ゴンドラで数えたらそうですけど中央から伸びてるアレ何だ鉄骨?の本数なら案外イケるんじゃないですか?」何故か千代が食い下がった。まるで現行の章数の水増しを要求したドニャ・キホーテが乗り移ったかのようではないか!

「どこにイクつもりなんだか……まァじゃあメガネ、何本生えてるか数えてみ」

「ア、アタイがですか?」密着型透鏡レンテス・デ・コンタクトであれば裸眼の振りも出来ようものを、今の彼女が遠くて見えないでは許されまい。「でも顔が五十個ってことは目はやっぱ百個でしょ? こっちが偵察してることがカエルにバレたらヤバトンなのでは?」

「いや心配無用だ。かのテムズ川河岸にて鎮座ましましのロンドンアイ先輩だってアイってくらいだから目はひとつだろ」成る程そうなるとオディーンや輪眼の巨人ヒガンテ・コン・ウン・オホ・レドンドシークロペとも立場は同じだ。「頭が何十個あろうがお目々は単眼てこたぁお前さんの方が四倍目が利くって寸法よ」

「なる……なんだか知らんがとにかく分かった」

 以上のような、若しくはそれに類する遣り取りを交わしている間も猫の道を進む四匹が皆大通りの南側にばかり気を取られていたが為に、誰一匹として自らの直上を仰ぎ見る者が居なかったとすれば、それこそが日輪が如き魔眼マル・デ・オホ――サカエの眼サカエ・アイ――と陽光ルス・ソラールの名に恥じぬ神々しき風体ディビーノ・アスペークトの為せる業だったのである。[訳註:尤も建物の正面は太陽を背に受けて黒々と翳っていた筈だが]


四つの目が車輪を半周した辺りで、その下にある唯一の口が唐突に叫び声を上げた。

「えっ、アレ何かコラボしてる?」単騎で数歩前に駆け出す馬場久仁子。「あっ、あはっ、チヨさんチヨさん!」

「急に走り出すなよ、何だ?」

「彼――つか彼ら! 回されてますよ!」[訳註:第二十四章では「彼女もっと回しますよエジャ・プエーデ・ペダレアール・ムーチョ・マス」と発言しているが、当然(自転車の)踏板をより速く漕ぐペダレアール・ムーチョ・マス・ラーピドという意味である。ここでは動詞pedalearと卑語のputear《台無しにする、罵る/売買春を行う》と掛け合わせ、「エル――というかオ・メホール・ディーチョ彼らエージョス!、輪𪟧されてますよエスターン・スィエンド・プタレアード・デ・ピエ・エン・ピエ!」なる大胆な意訳が試みられている。西de mano en mano《手から手へと》のマノピエに置き換わっているのは足技と脚力が物を言う競技であるが故と察せられるものの、これが《脚の間エントレ・ラス・ピエールナス=股間》でなかったのはこれでもまだ著者の心に幾許かの道徳心が残っていることの証左と解釈したい]

「何言ってんだお前」

「白昼堂々どうしようもないな盛りの付いたメガネは……」慥かにこの場にあの風流を解する赤き蜂が居れば、波斯国の諺プロベールビオ・ペールサを捩って《薔薇の花片を以てすら蹴散らしてはならぬニ・ペタレアール・コン・ウナ・ロサ》くらいの文句は云ってのけたであろうに![訳註:こちらは動詞patalear《蹴飛ばす》と名詞pétalo《花弁》の合成語。慮るに、清い少年たちの純潔(純穴もしくは先達に倣って《菊の蕾》という雅語とも置換できよう)を奪うこと、もとい足蹴にすること断じて罷りならぬという文意か。因みにペルスィアの諺とは西«No hieras a una mujer ni con el pétalo de una rosa.»則ち《女人を傷付ける(叩く)べからず、仮令その為に用いるのがバラの柔き花びらであっても》]……しかし首を突き出して小尾船ゴーンドラに描かれた慢動画アーニメの登場人物――自転車競技に青春を捧げる高校生たちの物語だ――を確認すると、御子神も堪え切れず噴き出して以下に続けた。「――ふはっ! サンチョサンチョ煽られてる煽られてる、マジで」

「オノダクーン」

「いやメガネチビに自己紹介されましても」小野田くんというのは主人公の名で、小柄で丸い眼鏡を掛けた如何にもなオタク少年チコ・オターク・ア・ラ・ペルフェクシオーンだが、いざ自転車に跨るや狂ったように坂道を駆け上るのだ。「……コラボしてんのか」[訳註:記録を調べてみると、名古屋市中区にある商業施設サンシャインサカエの目玉ともいえる街の然る象徴的的観覧車では二〇一五年七月二十九日より二箇月の間、劇場版の開始に合わせて『弱虫ペダル』との共同企画を実施していたことが確認された。回転する吊籠一つ一つの外装には各登場人物の印刷薄膜貼付エンボルトーリオが施されていた模様]

「サンシャインを名乗るだけあってやっぱ女ヲタ寄りってことかいな」音楽に通暁しておられる方ならモーツァルト作曲の『太陽神アポロン夜香蘭ヒュアキントス』――おっとまた花の名が……――を思い出されたやも知れぬ。太古の昔より太陽の軌道オールビタ・シルクンソラール曲がりくねった若衆道カミーノ・スィヌオーソ・デ・アモール・エントレ・イグアーレスとが斯くも分かち難い仲にあったことを示す事例は枚挙に暇がない。[訳註:サンシャインシティとサンシャインサカエの間に直接の繋がりはなく、乙女ロードもシティの施設内にある訳ではない]「――でニコチーナ何本あった?」

「何が?」

「腕やろがい」

「あっそだった、やり直しじゃん」気が逸れた故に数えた数を忘れてしまったようだ。

「今度そのアニメキャラみたいなテヘペロしやがったら舌噛み切らせますから、先生ちゃんと言いましたからね?」[訳註:《舌を出したクスクス笑いリスィータ・コン・ラ・レングア・サカーダ》]

「やだって回ってるから……どっからどこまでだったか数えんのムズくね? ムリくね?」

「折角絵が付いてんだから好きなキャラ起点にするとか色々あんだろ」

「天才か」

「いやクルクルパーなりに頭回しなさいな」ミサ通いする中で激しく頭を回し続けたが為に馬場嬢はクルクルパーマペルマネンテ・オンドゥランテ[訳註:語感からいって《波状オンドゥランテ》より《渦状縮毛ペルマネンテ・リサーダ》とでも訳すべきであろう]になってしまったのだろうか?「つかサンチョも箱根とか越えてきたんだべ? メガネとペアで真波サンチョガク君じゃん」

「いやあんま弱ペダ知らないんですけど何すかサンチョガクて」そもそも従士が箱根を越えたのはドニャ・キホーテの供としてであって、この四つ目などはつい数時間前に東海道新幹線に揺られながら低地を通過しただけだろう。「第一私が乗ってきたのはあくまでロバですから」

「そんなあくまで羊ですからみたく言われても」因みに千代さんの兜の号は《死せる山羊ネクロカーブラ》である。まだニコの死角となるように首の後ろにでも垂らしているのか?「でもたしかに蜂の騎士殿ならこのヘクトンカエルの――何だっけ?」

「ヘカトンケイル」とドゥルシネーア。

「――のメガトンパンチを交わしつつインポフグリフォンの尻に鞭打ってでも突撃せずにはおれんでしょうな」

「ダンナに今必要なのはグリフォンよりテレフォンですよ」

「お馬さんはお城に置いてお出になられたご様子ですし」エル・トボソの一言に反射的に身を竦める猫の従士。

「じゃあ鉄骨のどっかに引っ掛かってるってこともないか……いや地上からじゃいくら背が高かろうが届かんわな」この観覧車は乗り場が建物の三階にあるようで、則ちぶらりと百本の腕の内垂直に垂らした一本の最も低い位置(指先ジェマ)でも地面から五パソス以上あるに違いないのであった。「槍投げみたくあの燃える日傘を投げればブッ刺すくらいは可能かな。的はクソでかいわけだし」

「それは――そいつはどうでしょうね……」そうしらばっくれた千代ではあったものの、彼女には主人の圧し折られたデュランダルテが大車輪の鉄骨の隙間はもとより、賢人フレストーンの魔術で風車へと変化させられた巨人の腕四本の内の一本に張られしアスパの一枚の代りに、県境を隔てるサカモンテシーノスの峠に生い茂り陽射しを遮る樫の木の枝々の狭間にこそ置き去りにされていたことをこの場で開陳する気が起こらなかった。騎士の武勲を喧伝する絶好の機会ではあったにせよ、吸血鼠との命懸けの死闘ルチャ・デセスペラーダ・インクルーソ・ア・リエースゴ・デ・ス・ビーダが王女たち――取り分け主人の安否を何より気に掛けていようその想い姫――を恐怖の余り失神させかねぬことを重々に弁えていたからである。[訳註:第十六章参照。但し、十九章にて一旦折れた日傘が花の手に戻っていたことに関しては当然千代の与り知らぬところだ]

「でかいマートはスカイボートというらしいっすよ」横からニコが携帯の検索結果を報告する。

「スカイでもスイカでもいいけど何本あったんだよ結局」

「うん二十八プラマイ2くらいで」

「なぜ誤差が出た」

「とにかく伸るか反るか、乗ったかそっぽ向いたかは別にしても」腕を二十八本(千代の提案した算出方法に則れば五十六本)前後生やした巨人が愈々以て眼前に迫り来ると、ドゥルシネーアは一行の進退に於ける総意コンセンソを求めた。「キハーナ様がもしこの風車を前にしたら見て見ぬ振りして通り過ぎたとは思えません」

「ドルシャネ様のおっしゃる通り――あっ期せずして信号が青になったぜ、渡ろ」本来の目的を失念したミコミコーナは年弱の三人を引き連れ、横断歩道を南へと渡り始めた。「スカイツリー並に高かったらアレだけど、全員でツリー一本分くらいの高さだったらアシがドラゴンドラおごったるよ」

「おおっミコミコ姫太っ腹!――否、太っパイ!」《太い腹デ・グラン・バリーガ》が気前の良さマグナニミダッを示すように、余裕のある生活が貧者への施しを可能とするのである。とはいえ可能だから実行するとも限らない訳だが。「ツリーってよじ登んのに幾ら掛かんの……六百三十四円?」

「幾らだっけアレ……たしか二千円くらい取られた気がする」

「たっか!」エッフェル塔の展望台ミラドールとて二十欧貨エーウロスかそこらは取るだろう。

「しかもそれ途中までな。一番上の展望台?に上がるには更に千円徴収……だったよね?」

「まァバカと金持ちは高いとこが好きと申しますしな……」

「ババちゃん達も遠足で行ったことあるんじゃない?」

「ああでもギリ小学生だったと思うんでその半額くらいじゃないすかね」高々二三年前の話である。尤も千代ら十代アドレスセンテスにとっての二三年前は既に萎びたアルガードス・ジャ我等の十二三年前程度には感じられるかもしれない。「学校の団体予約とかならもちっと割り引かれてたんかな……あっホントだサンシャインって書いてる」

「日陰~~」

「サンシャインだかアシュラマンだか知らんが」先陣を切ったアフリカの王女が屋外に設えられた電動階段に一歩踏み出す。「地獄のコンビネーションも余と姫のドゥルシネーションの前じゃ屁の突っ張りはいらんですよ」

 成る程阿修羅といえば三面六臂の鬼神ディオース・フェロース・コン・トレス・カーラス・イ・セイス・ブラーソス、ブリアレーオの似姿レトラート――の縮小版オ・ス・ディスムニシオーン――としては申し分ないし、少なくとも仁王や明王、毘沙門天よりも相応しい。悪魔に知恵があるのは悪魔であったればこそならず、その年の功故ポル・ビエーホである。けだしミコミコーナにもこれと同じことが言えよう。


屁の突っ張りソステーン・デ・ペド[訳註:又は《屁の支え》]》といって乳押さえスヘタドール[訳註:日英で用いられる呼称ブラの元となったフランス語のbrassièreの起源はブラ(仏bras/西brazo)に装着する防具のこと。これはある意味でbracelet《腕輪》の兄弟筋(姉妹筋?)と言えるが、イスパニア語のsostén及びsujetadorはそれぞれ動詞の(乳房を)《保持するソステネール》《固定するスヘタール》から派生した単語]を纏った臀部ナールガスを連想した方もおられるかと拝察するが、要は用を為さぬことを示す慣用表現である。尤もきちんと女性用下穿きブラーガスを身に着けていたところで役に立たない点に変わりなくはあるけれども。[訳註:正規の下着を穿いたとて臭いは漏れてしまうという意味か。恐らく日本語の語源としては《屁で張り手をされても痛くはない》の方が理解し易い。ただ矢張り臭いであろう]

「ああ二階にSKEのシアター入ってんだ」SKE48とは名古屋市栄を拠点に活動を行っている女性偶像集団であり、嘗て芦屋湖から沼津に下る夜道にてあの烏小路石松が俎上に上げた秋葉原のAKB48の姉妹団体である。[訳註:第七章で学士が列挙したのはあくまでAK47及びAKO47であり、特に後者は墨田区両国を中心に活動した兵庫出身の刺客集団グルーポ・テロリースタである]「女子高生もAKBとか好きなん?」

「う~ん好きな子もいますけど、何となく小学生以下の女の子と中学生以上の男の人をメインターゲットにしてるようなイメージですね」

「まァ中高生は同性のタレントだったらもっと読モとかそういうの見るか」

「ミコ姉さんは可愛い女の子も好きなんなら詳しいんじゃないんですか?」

「いや数多過ぎっしょ、あん中から好みの子探すのめんどいし」何でも団体毎に四十八人の正規要員が登録されていると謂う。学士が《烏合クラウデッド・クロウズ》――つまりカラスの集まりムチェドゥンブレ・デ・クエールボス――と揶揄したのもその為だが、その中にあって一羽の白鳥シースネ紅鶴フラメンコを見出す愉悦が愛好者ファーネスの胸中には慥かにあるのだろう。「別に身近にもっと可愛い子いるしな。だったら金出して握手するよか無料でもっとスゴ――」

「あ!」

「なんやねん」御子神が隣の美少女の肩――若しくは腰――に回そうとした悪しき指先を引っ込めながら振り返る。

「いや……だから、四十八人居りゃ腕は九十六本だろうし」

「ああ、ほぼほぼあの――ソレ、ヘノカッパカエルか」

「ヘカトンケイル」

「それ、つまりこのサンシャインにせよスカイナントカにせよ名実ともにそのケイルの一味であることが明らかになったからには、――着いた」電動階段の終点たる三階に降り立つ王女。「我等がドニャ・キホーテが喧嘩仕掛ける大義名分も充分ってこってすわね」

「決闘ね」

 半坐千代の慧眼に拠れば、AKBア・カ・ベSKEエセ・カ・エはブレアレオ、コト、ヒヘスの三兄弟と同じく兄弟群グルーポ・エルマーノ――否、姉妹群グルーパ・エルマーナか[訳註:男性名詞をわざわざ女性形にしたことで直訳では《姉妹の臀部グルーパ・エルマーナ》という意味になってしまった]――の関係とのことであるからして、これらこそ大阪や福岡、それどころか遥かフェリペの海域ソナ・マリーナ・デ・フェリーペ[訳註:比律賓海マル・デ・フィリピーナスのこと]を越え栄達の都シウダッ・デ・ラ・プロスペリダッ[訳注:インドネシアの尼Jakarta(梵जयकर्ता《勝利へと導く》)を拠点に活動する団体はJKT48と呼ばれるそうだ]にまで版図を広げた世界規模の多腕型女巨人群グルーポ・ムンディアール・デ・ヒガンタス・ムルティブラーソスなりという衝撃の事実が今白日の下に晒されたのだった。[訳註:二〇一七年以降にはバンコクやマニラ他複数の東南亜諸都市にも精力的に勢力拡大しているとのこと]


四匹の猫は音もなく自動扉を潜った。

「中ツタヤじゃん……おお、ポップでか」ツタヤとは書籍・音楽・映像・電視遊戯商品等の販売や賃貸しを手掛ける日本最大手の連鎖店である。店名の由来は写楽の版元エディトール、蔦屋重三郎だとの説もあるが定かではない。

「あ、ミコさん今日トウドウ・ジンパチの誕生日なんだって」

「またジンパチかよ! この街にはパチプロしか住んでおらんのか?」箱根の高校生東堂尽八も恐らく忍者の根津甚八も、取り分け名古屋に所縁ある人物ではないだろう。[訳註:但しサンシャイン栄を運営している企業の親会社たる京楽産業は自動球遊器パチンコの製造元大手である]

「チヨさ~ん、指差すやつやって~――って指紋付けるなってアレほど!」

「言われた通りにしたのに」従士の脳内では《指差ししてくれアーステ・セニャラール》が《目潰ししてくれピーカメ・ロス・オーホス》に自動翻訳されたとみえる。

「あでもナルシスト山神のポップないよ」訪れた愛好者が各々の贔屓と並んで記念撮影できるよう、人気の高校生自転車乗りの面々を印刷した等身大の看板がひとりひとり陳列されているのだ。

「いらないよ」

「ヤマガミさんならミコガミさんとも昵懇の仲なんじゃないですか」従士は足を止めた王女たちの背後から、如何にも関心の薄そうな声音で口を挿んだ。「知らんけど」

「マキちゅわ~~ん!」

「ミコマキガミ?」

「うっざ、同じワカメならウテナに出てくるワカメになるわ」

「パンチラの?」

「アレはパンモロだろ」サザエさん(原註:第十四章のうなぎ屋での解説に詳しい)の年の離れた妹である。「河童もオカッパも今日は看板におじゃる」

「おっしゃてる意味がワケワカメヘアーです」[訳註:『弱虫ペダル』に於ける東堂尽八の好敵手・巻島と、慢動画『少女革命ウテナ』に登場する剣道部主将・西園寺が共に波状にクセの掛かった緑色の長髪であることから。但し『弱ペダ』に於いては手嶋や御堂筋など他の登場人物をワカメに擬える例もある点に注意]

「訳分かっとるやないかい」――とここで、屋内に入るや中学生ふたりと不毛にじゃれつく己の稚気より我に返った御子神嬢は、彼女ら下層民ラス・バーハスとは段違いの最重要客人ラ・インビターダ・マス・インポルタンテたるエル・トボソの姫君を放ったらかしにしていた愚に恥じ入り以下挽回に努める。「ごめんごめん薔薇の花嫁姫宮アンドーさんはジャンプとか読む人?かしら、かしらかしら?」

「弱ペはジャンプじゃないよ」

「――え? ああ、少年漫画はあんまし知らないですね」余程特殊な共同体コムニダッ・タン・ペクリアールにでも属さぬ限り、知らずに不都合を被るというものでもなかろう。「ちっちゃい頃はちゃおとか読んでましたけど」

「あっじゃあ東堂いづみの方か!」[訳註:プリキュア連作を始めとする東映動画制作作品群の原作者名義だが、その実態は社内で使われている共同筆名である]

「それ多分なかよしですね」

「詳しい! まァワカメヘアーなら女子にもちゃんとみちる様という……」ミコミコーナは他愛ない会話の最中も、ドゥルシネーアが窓の外から視線を外さないことに今更ながら気が付いた。「何見てんの?――っておい!」

「どしたマキちゃーん?」

「うっせ三下ビジュアル、外見てみ」マキマキーナは麗しきドゥルシネーアの視線の先を靭やかな人差し指で指し示すと、然も不本意という顔でこう付け加えた。「やべ指差すやつやっちゃった」

「おっとおいおい真下通ってて気が付かんかったのかよ!」

「いやお前もな」北側に張られた一面の水晶板の向こう、利用客が乗降する為に一番低い位置まで到達した、回転する女巨人のこれまた硝子張りの拳――或いは顔――を透かして四人の十の眼に飛び込んできたのは、散策の終点たる《驚安の殿堂》だった。

 何のことはない、彼女たちは目的地を背負った形でポニエンド・ス・メタ・アル・オーンブロ横断歩道を渡っていたのである。

「しっかしよりによって真ん前とはな。灯台下暗し、一寸先は闇堕ちとはこのことよ」

「ドンキホーテと観覧車の巨人が面と向かって睨み合ってるとなると……」姫は言葉を濁したが、推し量るに殿堂の中の阿僧祇花を幻視したのだろう。元より蜂の騎士とて(もしこの界隈を通り掛かっていたら)獅子の騎士が瞼の裏に浮かんだに相違ない、それくらい感慨深き取り合わせコラボラシオーンではあった。

「ペンギン目ぇそらしてっけどな。ビビってんのか?」

「まァメドゥーサを相手取ったペルセウスの例もありますでな」千代がいつ調べたものか、主人のような口振りで人鳥を擁護してから以下に続けた。「このフロアにおられんようならブラついても時間の無駄でしょうし、下りて向かい入りますか?」

「うーん、ま闇属性の一寸法師じゃあるまいし敵の腹ん中入り込んで中から傘でチクチクなんて卑怯な真似はしそうにないしね」

「あの方は有名無実と申しますか無実であることでも有名な高潔な豪傑ですから、正々堂々正面から戦いを挑まれるでしょう」想い姫の手前出来る範囲で騎士を持ち上げる気前の好い猫の従士。「もっとも私のようなけつもブルーなら血液も高貴ノーブル(原註:騎士はレノーンブレを取り貴族リコオーンブレフルートを取るという意味だろうが、明らかに彼女は平民プレベージャである)なるサンチョ・ハンザに云わせてもらえりゃ戦はまず勝つことが一番ですから好機チャンスは逃さず先手必勝、このマーゴの手で一突き二突きすりゃ巨人も胃潰瘍が痛いようてなもんでこちらにしたって相手の命を取る前に降参させることが出来て無用な殺生をせずに済むわけですけど」

「落語はもういいから、とりま出よう」王女は殿軍レタグアールディアを中学生たちに任せると、さっさとエル・トボソの手を取り退却を開始した。「私めがお連れしましょう。願わくば下りると同時に信号もブルーへと変わってくれますように――」

「ひとり五百円です!」

「あ? お前ら下々なら兎も角うちら王族にゃ最低五百億は積んでもらわねば」現代日本では持参金ドテを用意するのもどうやら花婿の役割とみえる……それにしても五百兆キニエントス・ビジョーネスとは![訳註:欧州諸国の多くでは命数法に百万進エスカーラ・ラルガが用いられている為、五百億をそのまま訳してしまうと西cincuenta mil millonesとなり座りが悪い。五百キニエントスを活かす都合上、千倍水増しされてquinientos billones(万進法エスカーラ・コルタでの五百億)と訳出したのだろう]

「――じゃなくて、四名様で〆て二千円になります」空艇スカイボート乗り場の前で独り頑張るニコニコーナ。「税込みって意味じゃスカイツリー一名様以下」

「ああ……乗りたいのね」頼まれてもいないのに自分から買って出た条件である。大アフリカを担う身としては如何に他愛ない約束事であれそう易々と反故には出来まい。「アシどっちかてぇとハイキュー派なんだけど……よろしいですかスイーツ姫?」

「スイーツ……」

「スイーツかっこはじらい姫」[訳註:「スイーツプリンセーサ丸括弧内に恥じらいエントレ・パレーンテスィス・ラ・ティーミデススイーツ」]

「恥じらってはおりませんけど……この大きさなら一周十分かそこらでしょうし、いいんじゃないでしょうか」寛容なるドゥルシネーア。「あっ私の分は払いますよ」

「いいって、握手券よか安いし」無料の接触など存在しない![訳註:英語の諺«there ain't no such thing as a free lunch.»の昼食ランチ接触タッチに入れ替え、英文のまま使っている。日本語の《只より高いものはない》]「ホレ、ノグッちゃんダブルで」

「ホイきた」紙幣を受け取るや再度乗り場近くへと駆け去るニコニコーナ。

 片やミコミコーナは「本来なら私のこの子に対するお熱病の研究に当てるべき資金だったのだが[訳註:著者は《黄熱病フィエーブレ・アマリージャ》の語感に対応する形で《愛し呼び掛ける熱病フィエーブレ・デ・アマール・イ・ジャマール》と訳出している]」などと嘯いて、エル・トボソとの物理的触れ合いコンタクト・フィースィコを正当化するのであった。

「やれやれ、この様が我が主の目に触れた日にゃジェラシックパークの哀れなヤギヤギーナよろしく無残にむさぼり食われて――」

「おい怖いこと云うなよ」

「――食い千切られたその美脚の一本だけが宙を飛びゴンドラの天窓にドカンとぶつかるのを我々三人(原註:ミコガミを除く)は目撃することでしょう」

「ジェラ紀は一億年前のオワコンだろが」《生ける時代遅れアナクロニースモ・ビビエンテ》たる遍歴の女騎士カバジェーラ・アンダンテにそんな理屈が通用するとでも?「でもドニャキホティーレックスになら食われてもいいかも」

「まだ言ってる――壁に耳あり障子に花ありですぞ」

「匂い嗅ぎたい……つかなんでアタシここ数日の間で急激に百合キャになってんだ?」

「でもアレってほとんどが白亜紀の恐竜なんですよね出てくるの」

「ドルシネーアは吐く息も甘く蕩けるようじゃて」[訳註:《白亜紀の恐竜ディノサーウリオス・デル・クレターセオ》に対し「ドゥルシネーアの吐く息には白痴紀でも貨幣価値があるバレ・ス・プレーシオ・ディネラーリオ・エン・エル・クレニターセオのじゃて」]

「コスプレ写真見てるだけじゃこの変態淑女感は伝わりませんでした」尤も際どい衣裳を好んで着熟していた旨は静岡の銭湯前にて語られている。[訳註:第十一章にてその一枚を垣間見た花は「破廉……晴れやかな」との所感を述べた]

「姫には秘めておいてね……お帰り」まるでフリーズビ犬ディスク・ドッグのように駆け戻ってくるニコの差し出した掌の上に目を留めた王女が俄に顔を顰める。「両替して終わりかよ、チケ的なもんは?」

「これがチケ的なもんです」

「うん、日本語しゃべれ」

 馬場久仁子はそれ以上の日本語ハポネースを話す手間を惜しんだのか、三人をその場に立たせてポネールセ・アイッ空艇への乗船方法コモ・セ・エンバールカンを一読させるのだった。


それぞれが屋外に通ずる改札口に硬貨を投入すると一回毎に平々凡々なる回転木戸モリネーテ・コリエンテ・イ・モリエンテが開き、その都度粉挽きだか船乗りだかの女性セニョーラ・モリネーラ・オ・マリネーラ[訳註:この施設の観覧車が風車モリーノの特徴とボテの名を兼ね備えていたことから]が朗らかに声を掛け何かを手渡した。[訳註:因みに訳者が二〇一九年中秋前後に訪れた際には、文中のような五百円直接投入型ではなく券売機で購入した搭乗券を通す形式でした]

「こちらご搭乗記念のしおりになりまーす」

「あっどもー」改札を抜け、自動扉を潜ると今日何度目かの熱風に晒される。「おうふ、緑じゃなくて赤頭じゃん……メガネは誰だった?」

「めがね」

「メガネがメガネ引いとる!」主人公が描かれた栞を引き当てたようだ。今にも笑い転げんばかりのミコミコーナ。「ランダム配布じゃなかったんかい!」

「ババちゃん私のあげるよ。今日お誕生日のジンパチ君だった」

「ヒーメヒメッ!ヒメッ!スキスキダイスキ――」

「いえ、それは姫ご自身でお持ちくださいませ」差し出されたニコの掌の上に蓋をする形で猫の従士がその手を覆い被せた。「その護符がパチの騎士の呼び水になるやもしれません」

「ぱち侍じゃないんだから」

「ご希望のゴンドラありましたら指定していただけますよー?」と別の係員。

「いやうちら別に推しキャラとかいないんで」ギネス[訳註:原文まま]の王女は次に乗り場へと滑り込んできた――否、直下へと振り下ろされた女巨人の拳のひとつを指し示すや以下に続ける。「あっワカメ行っちゃった……じゃあのキモキモの人でいいです」

「よりによって! あと二――」慌てて備え付けの早見表ターブラを確認する馬場嬢。「――三個待てばヤマガミさんだから、一生のお願い!」

「ちっしょうがねえなあ……いいですか?」

「大丈夫ですよー。ではもう少々お待ちくださいませー」偶然利用客の少ない時間帯であったのが幸いしたようだ。混み合っている中で人気男子高生を指名しようものなら何周待たされるか分からなかったところである。

「すいません」

「パイセンはジンパチよかつぼ八とかたこ八の方がお好きなんでしょ」

「たこ八ってタコ焼きだっけ?」

「タコッパチはデコッパチ?」ニコの問い掛けを聞き、寄り掛かっていた硝子窓から徐ろに腰をもたげる王女。「やめやめてっ、おでこ広がる!」

「デコデコーナ」

「さんを付けろよネコ助野郎」

「やっぱりジンパチ君だから八月八日なんですかねえ」安藤部長の何気ない一言は従者をして八王子で交わされた主人(と鎌倉の少女)との馬鹿馬鹿しい謎解きを思い出させしめたに相違ない。[訳註:第四章、庵堂玲愛の口癖と誕生日が相関した件を参照されたい]

「あれ、母の日って八月八日?」

「お前ぜってえカーネーションとかあげたことないよな」

「母の日パパの日ババアの日」

「一日で家族半分分済ませんなよ」取り分け三回分の軍資金トリープレ・デ・ロス・フォンドス・ミリターレスを供出してくれた祖母には三倍分感謝を捧げねばなるまい。千代は携帯画面と回る小尾船を見比べながら以下のように報告した。「三十秒に一個周って来るペースですな、やっぱ一周十五分前後」

「昼ちょい過ぎるか」

「十五といや」とニコ。

「盗んだバイクで走り出す?」

「そうそれ――いやバイク盗まないですけど」

「バイタは舎弟さんの家から何も盗んでないでしょうね?」

「誰が売女だ、そのチケット[訳註:恐らく搭乗記念しおりのこと]は学生アルバイターの血と汗と涙と鼻水の結晶だぞ」

「いかがわしいバイトじゃなきゃいいけど」猫は小猿に向き直った。「――で十五夜が何?」

「今月のババニコの誕生日(原註:千代や久仁子は学年度内にドゥランテ・エル・アニョ・アカデーミコ十五歳となる)にチヨさんは何をオクレ師匠?」

「興味なすぎていまいち曖昧なんですが私の記憶ではお前さんの誕生日来月では?」

「ちっちっチヨさんの云ってるのはあくまで誕生月日がっぴであって誕生日ってのは毎月来るもんなのだよ[訳註:「一年の中の誕生日フェチャ・デ・ナシミエント・エン・カダ・アニョは年に一度切りだがひと月の中の誕生日ラ・デ・ナシミエント・エン・カダ・メスは毎月訪れる」]」ニコニコ詐欺の面目躍如だフラウデ・デル・ニコニーコ・レ・アセ・フスティーシア。「分かりた?」

「月命日みたい……」[訳註:《月毎の忌日アニベルサーリオ・メンスアール・デ・ファジェシミエント》、安藤さんの呟き]

「分かりた。じゃあ今年からは私も更に一歩進んでニコの誕生年月日ねんがっぴだけを祝うことにするわ[訳註:同様に「お前の一生の中の誕生日だけをラ・デ・ナシミエント・エン・トダ・トゥ・ビダ・イ・ナダ・マース」]」我等がネコネコ夫人も然る者であるタンポーコ・エス・コムーン・ヌエーストラ・フラウ・ネコネーコ。「あっもう十五年前に終わってた、ラッキ」

「月日、月日だけでいいっす!……エロガッピもそう思うよね?」

「やだな、カッピカピにしてそう」実の詰まった西瓜サンディーアス・レチョンチャスの王女は空のまま通過するゴンドラを透かし見ながら大通りの向かいを眺めた。「ペンギンはピッカピカにテカってるな」

「ガッピーバースビー」[訳註:《誕生バース日?》]

「ご用意よろしければそろそろこちらにてお待ちくださいませー」

「ほーい」粉挽き女性の誘導に従い四人は、遂に桟橋の間際まで追い込まれる。「――あれ、サンチョは腰の孫の手を抜かんでよいの?」

「なんで?」

「いや巨人のお腹を突き破るか食い破るかして脱出すんでなくて?」

「マーゴの手はそんな鋭利じゃないし私もエイリアンではない!」

「タコ足のエイリアンって火星人限定なの?」

「そいやタコで思い出したけど、ハナちゃんがガラガラッて風呂屋の引き戸開けて入ってきた時にさあ……」[訳註:第十章、主従が御子神と邂逅した件を参照]

「風呂屋ってまたずいぶんと太古の記憶を掘り出してきましたね」

「やあやあ我こそはみたいな感じで剣抜いて」立ち上がって透明のドゥリンダーナを構えるMICO☆MICO、流石に外連味あるしなの作りはお手の物だが如何せん場違いの感も否めない。「――《つい最近も天狗の山に潜む》……何だっけ、タコのクラーク・ケントだかタカクラケンだかをブチのめしたとか何とか」

「人聞きの悪いことを申されますな」高倉健といえば日本を代表する任侠映画の名優であったが、奇しくも二〇一四年十一月に惜しまれつつ泉下の人オンブレ・バホ・ラ・マナンティアールとなっている。クリストファー・リーヴもその十年前に亡くなっているものの、不幸な落馬事故で車椅子生活となった《嘗ての正義の味方エロアンテス》に我等が輝ける鎧の騎士カバジェーラ・エン・アルマドゥーラ・ブリジャンテドニャ・キホーテが馬上から槍を向けるとは到底思えぬ。[訳註:第四章で蛸杉と対峙した折は登山中であり、愛馬イポグリフォも山の麓に置いてきている]

「クラーク・ケントって北海道かどっかでこうやって」今度はニコニコーナが腰を上げ、有名なアメリカ人教師の銅像を真似てか物憂げな視線を浮かべつつ遠く地平線――街中でそんな物が見えるかは兎も角――を指し示す。「あっ指差すやつやっちったてへ」

「ボーイズ・ビー・シドビシャスだっけ」

「悪の道にいざなってどうする」よりによってヒロインエロイーナよりヘロインエロイーナを愛した悪徳の化身エル・ミースモ・ビーシオなどに?「ったくぬるま湯で育ったバンギャはこれだから……つかそっちのクラークはそんなピンポイントじゃなくてこう、こんな感じだろ」[訳註:実在するさっぽろ羊ヶ丘展望台に立つクラーク像の右手は、指差しではなく宙に翳すような形で開かれている]

「ははそっちのが中二っぽい、ラッパーか」

「はいお足元お気をつけくださーい」女巨人の百ある拳――或いは五十の大口――の内のひとつが音を立ててあんぐりと開かれた。

「どもー。ささ姫、このミコミコーナの手をお取りくださいませ」

 然もあれ大ミコミコンも恐れ知らずが過ぎはしないか? 以上のように千代をけしかけておいて素知らぬ顔を決め込むとは……! というのもあのセビーリャだかシエナだかの家来クリアーダですらその指に触れた拷問用の車輪ルエーダス・アルパーダスを悉く粉砕せしめたというのに、我等がラ・サンチャの従者セギドーラがその魔法の棒に手を掛ければ、仮令それがヘリオスの戦車カーロであろうと如何なる厄災を齎すか考えぬ訳でもあるまいに?[訳註:ドン・フアンの従者の名はカタリノンだが、車輪に関する伝説を残したのはイスパニアではなくエヒプトの聖カタリナである。尚、第二十三章冒頭で花が吟じた十四行詩ではこのアレクサンドリアのカタリナについても触れられていた]


考えてみれば如何に観覧車ノーリア[訳註:アラビア語起源の言葉で第一義は《水汲み水車ルエーダ・イドラーウリカ》。西rueda 共々女性名詞]だの車輪ルエーダだのと謂っても、平底船ゴーンドラに描かれた自転車乗り達シクリースタスは(恐らく)全員が男子高校生だろうから、インファンタス家エル・インファント風車モリーノ・デ・ビエントと同様に矢張り男の巨人であるのかもしれない。(ということは一度SKEの少女たちが彼らに取って代われば、その瞬間に巨人も雌性化するであろうセ・フェミニサラッ

「お、涼しい涼しい」

 しかもその顔は一台につき南北にひとりずつ印刷されている筈なので、五十の頭というエカトンキロスの要件も満たしている。[訳註:当時の写真を見ると、実際には片面に二名の人物が描画された吊籠もあったようだ]

「いってらっしゃいませー」

「きまーす……」殿しんがりを務めた半坐千代が自ら敵のペチョに潜り込むと、それを待っていたかのように外部から手動で扉が閉じられた。「ちょちょ、何しれっとうちのドンナの姫君の横陣取ってんですか貴女はずうずうしい」

「ずうずう弁はそちどもの方じゃろう、よもや王権神授説を知らぬとは申すまいな」不安定に揺れる四人乗りの小舟の中で踏ん反り返る王女は、あろうことか傍らに腰掛けたドゥルシネーアの肩に手を回す横暴振りを見せた。「神々に選ばれたる我ら上々かみがみ[訳註:通常の読みは《うえうえ》だろう]の者と汝ら下々が同船したることこそ大変な無作法なのですよね~ドゥルシネーア・デル・トボソヤナ」

「おっと……」

「何が下々ですよ」四肢を突っ張り甲板の中央セントロ・デ・ラ・クビエールタに踏ん張る猫の従士。「どう考えてもここじゃミコミコーナとニコニコーナがセットのお値段でしょうが……ふたりとも下ネタで三杯下飯しもめしが食える手合いじゃござんせんか」

「うちらシモネタなんか嫌いだもんね~、カミネタしか食わないもんね~」

「じょ、上ネタじゃなくて?」ネタとはタネ《セミージャ》の逆さ読みレール・アル・レベースであり、《上のネタアルタ・ジャミーセ》ならば高価な食材イングレディエンテ・デ・アルタ・カリダッ――例えば寿司のような――となり、《下のネタバハ・ジャミーセ》だと下品な冗談チーステ・スーシオを意味する。「お嬢様、今メガネをどかしますからどうぞこちらへ」

「えっうちがシーモネーターの横?」

「まあシモネッタ・ステファネッリよりはシモーヌ・シニョレの方が好きですけど」

「シモネッタって人の名前?」映画の街チネチッタみたいなものである。

「それ見たことか、ドニャ・キホーテの奥様セニョーラ紳士シニョーレ派のご婦人なんすよ」

「そんな尿漏れみたいな派閥があるかよ」

「ほら、ミコミコーナ様はシモネッタどころかもうフォルティッシモですから――いやそんなんじゃ生ぬるい、プリンセス・フォルティッシッシッシッシモ」

「そんなすべてがFになるがあるか!」fffffともなれば落第フラカーソどころか退学エクスプルシオーンだ!

「二等分しようとするから話がおかしくなるんよ」千代の背中を見上げていた四つ目がその裾を引きながら冷静な解釈を物する。「部長とそれ以外、もしくはハナレン――いやレンハナとそれ以外の愉快な仲間たちと考えるべき」

「いやそりゃそうだけど……」外見だけなら御子神が垣根を飛び越えてしまうことはふたりの従者も認めていた事実であり[訳註:第二十五章の駐輪場前での遣り取りを参照のこと]、ここは彼女をこちら側に引き摺り下ろせただけでも良しとするよりあるまい。

「そうだよ、ニコニコミコミコと来たらサンチョはシコシコーナだぞ」

「しこしこ! うどんか!」(ni (o fu)=dos/mi (o san)=tres/shi (o yon)=cuatro)

「まあでも撫子とか綺麗だし」ナデシコとは麝香撫子クラベールのことだが――

「ウドンキもいいけど」母の日に花を贈ったことのないニコには通じなかったようだ。[訳註:英carnationがcarne《肉(の色)》に由来することは容易に想像が付くが、一方で西語のclavelは花の丁子クラーボ(日本語同様これは蕾の形状がクラーボと類似したが故の命名)と香りが似通っていたことに拠る]「チヨさんだからヨコヨコでは?――やっチョコチョコ?」

「もうなんでもいいよ……」降参して馬場嬢の隣に腰を下ろす猫の従士。「それでいいからせめてその麗しき肩に回した嫌らしい手をどけてくださいな、嫌がってるじゃないか」

「嫌がってないでしょ!……むしろヨガってるよ!」

「良がってはないです、全然」

「ヨガってはないですよね、失礼しました」ここはミコミコーナも素直に右手を引っ込めた。

「ヨガるってこんな感じ?」

「それ座禅、つかパンツ見せんな」改めて船室カビーナの内部を見回す王女。「でも中は割と普通な。もっと横にジンパチが座って接待とかあるかと思ったんだが」

「それだと三人乗りになっちまうでしょうが」実物大の人形ムニェーコ・タマーニョ・レアール?「ジンパチ個人に乗るならともかく」

「タコに乗れる遊園地ってどこだっけ?」

「あっそうだタコ」乗船前に打ち切られた問答を思い出したミコミコーナ。「ブチのめしたタコ倉健は何人乗りだったん?」

「――高尾山のタコのクラーク・ケントについてはブチのめしたのではなく、」従士がありのままを述懐する。「戦わずして勝利したのです。ドニャ・キホーテの貫禄の前じゃ七つの海をタコって来たさしものクラーケンも顔面蒼白の戦意喪失、この先弁当のオカズにするにしたって今度は《タコさんルーザー》と名付け直さにゃならんくらいで、そりゃもうシザーハンズをして《ブルータコお前もか》と言わしめるほどに」

「ブルータコはともかくシザーハンズはどっから湧いて出た? デップ温泉?」

「カリビアンに出てくんのってイカじゃなかったっけ? タコでした?」

「じゃ《イカくんルーザー》で」

「いやまあ両方とも燻製は燻製かもだけども」

「もっともシザーハンズことカニカマレッドのカルキ――ノン神殿?の奴については降参する暇もなく不慮の事故で我が主に踏み潰されてしまったようなのですが……化け蟹って何でしたっけ?」

「カルキノス?」

「そう……そういったカルキノスのような運命のイタズラを除けばドニャ・キホーテはいたって平和的に道中遭遇した人に仇なす怪物どもを無力化してまいったのでございます」

「なるほど」

「泣く子もオシッコ漏らず無慈悲っぷりでドニャキの通った道には草も生えぬみたいに聴いてたからさ、もっと笑えないくらいヤバトンな橋を渡ってきたイメージだったけど意外と安全というか、虫も殺さぬみたいなぬるま湯並にヌルい道を歩んできたのね」

「虫は殺しました」沼津での水禍や強姦魔どもとの乱戦メレ・コン・ロス・ビオラドーレスといった、己のお目付役チャペローナとしての職責を問われ兼ねぬような事件に関しては――仮令それが騎士の望みにそぐわなかったにせよ――秘匿すべきであることは既に繰り返し述べた通りとはいえ、只々徒らに呑気な自転車旅行を送ってきたなどと軽く思われては従士自身にとっても不本意であるし、何より主人の名誉を損なうことになろう。「スズメバチの脅威から幼稚園児たちを守り抜いた体験こそが他ならぬ《蜂の騎士》の二つ名をドンナ様が名乗るようになった由来ですし、あと野良狼の餌になりかけてたクソガキのひねくれパサモンテを救った《狼の肛門の冒険》などは殺しこそしませんでしたけどバカ犬が二度と子供に噛みつこうなんて思わなくなるくらいにはトラウマを植え付けられたでしょう……つっても万が一刺されたり噛まれたりしてたらこっちもアナフィラの騎士とか狂犬病の従士とか呼ばれる羽目になってた筈ですからヤバいといえば適度にヤバかったと申し上げてよろしいかと存じますだ」

「ところでトラウマとリストラってどっちがかわいいと思う?」

「リストラ」

「相変わらずよく口が回るなあ息継ぎくらいせえよ…」主譲りの病的な長口上ディスクールソ・ラルゴ・イ・モルボーソ・エレダード・デ・ス・アマに感嘆の色を隠せぬ様子のギネアの王女。「全然頭入ってこないけど……お前がスカイボートだったら十五秒で一周しちゃってたろうね」

「でももう四分の一くらい来ちゃってんじゃない?」

「デモもサンプルもねえわ四分くらい経っとる」

「愛しのドニャ・キホーテ様のご武勇については驚きと尊敬をもって拝聴いたしましたので、――」安藤蓮は務めを果たした従者を労ってから改めて窓外に視線を向けた。「折角乗ったんだから少しは外の景色でも眺めませんこと?」

「たしかに」

 四人は窓枠に嵌め込まれた滑らかな水晶板に張り付くと、地上三十米前後の高さから眼下を俯瞰し始めた。


暫く少女たちが風景に集中したので、船室内に流れる音楽を除けば何も聴こえない沈黙が数秒続いた。

「人がゴミーゴに見えるほどには高くないですね」[訳註:《人型のゴミが見えるほどにはパラ・ケ・ノ・ベーア・ラ・バスーラ・ウマーナ》]

「ハナ先輩もさっきのナナちゃんみたく仁王立ちしてたらこっからでも分かるのでは?」

「いやいやハナちゃんがナナちゃんになったらレンちゃん死んじゃうだろ!」唐突に理不尽なことを言うミコミコーナ。

「殺されちゃった……」

「れんちょん殺さんでほしいのん! ななっつんもそう言ってたのん!」

「メガネギャのくせに『NANAナナ』読んでないとか」

「アニメはCSで視たのんでも最終回が意味不だったのん。映画もテレビで視た記憶があるけど忘れたのん」

「何でお前がのんのん言うのよ」《のんの》とはアイヌ語で花を意味するという。「……お話にならんな。レンちょんは漫画読んだ?」

「むしろレンちょんは漫画でしか知らないんですけど……」どうやら少女漫画の話だったようである。「着実に『ガラ仮面かめ』の道を辿ってるというか」

「ガラ亀の歩み……」(ガラカメ――則ちガラパゴスゾウガメトルトゥーガ・デ・ロス・ガラーパゴスの歩行はせいぜい分速半米ほどだと謂う)[訳註:東太平洋上に浮かぶ諸島の名として有名なガラパゴスだが、西galápagoはそもそも原義である《鞍》の形状に似た特徴的な甲羅を持つ巨亀そのものを意味する]

「『てんない』とか『ご近所』とか先に読んでる身としては異色というか、謎の違和感を拭い去れない作品ではあります正直」

「言った!……別にこの場に信者とか居ないんで言いたいことを言いなさいな」

「まあナナが駄目だって言って」ドゥルシネーアは何故だかはにかんで以下に続けた。「じゃあハチの騎士様にロンゲの人とくっつかれてもちょっと待ってってなりますけどね」

「レンなのにナナ視点」ミコが噴き出した――花がロンゲの人とくっつく?「サンチョはあの出てくるバンドどっちでもいいけどメンズだと誰が好みなの?」

「いや私も漫画の方は最初の数巻しか読んでないんですけど……」文脈からして、《レン》という名の《ナナ》の恋人がそのずっと先の巻にて命を落とすのだろう。「《メメフ》って何だろ……?と思ってたら数秒後に《ナナへ》だったと気付いた時が一番の衝撃でした」

「や、矢沢に謝れ! ついでに永ちゃんの方にも!」

「またAセクBチクの話に戻ってしまった」

「いやそんな佐藤栄作B作みたいに云われましても」ふたり並べると双子の喜劇女優ピリ・イ・ミリのようだけれども、前者が政治家の名で後者はそれに肖ったという俳優の名前である。但しこの場でまたぞろノーベル賞の功罪について論じる無粋は避けようではないか?「……何の話だっけ?――あっナナちゃんか」

「ナナちゃんじゃないんだし下ばっか覗いてても仕方ないですよ」駅前に立つ展示人形マニキッは地上を行き交う通行人たちを見下ろし続けることで付近の治安維持に努めているのだ。

「おおたしかに……地に足もお尻も着いてないとはいえ今は自動運転なんだから」サンチョがエル・トボソに賛同して以下に続けた。「いつまでも下を向いて涙でミッキーの絵を描いてるこたないですわ」[訳註:第十七章の岡崎篇では、頭上の交通標識にばかり気が向いている従者に対しドニャ・キホーテが路上にも気を配りながら走行するように諭す場面がある]

「奴のシルエットだったらうちらでも何とか描けそうだけど」[訳註:黒丸三つ]

「シルエットといえば乗った直後から気になってたんですが」気付けばもう十五分の内の六分を消化してしまったではないか! 巨人ブリリャドーロ[訳註:ブリアレーオの誤記]が重量挙げ選手アルテローフィロであれば、丁度加重円盤付き鉄棒バーラ・コン・ディスコス・デ・ペーサスを頭上に持ち上げた時のような腕の角度となっている筈だ。堪えどころである。「――アレ」

「指差すやつ」

「ん~?」通りに面する北側に座した――といってもそれは安藤部長自身による選択ではなく、御子神が彼女を先に乗船させたことに起因するのだが――ドゥルシネーアの膝元に覆い被さるように姿勢を傾けたミコミコーナが、一時下心プリメーラ・インテンシオーン[訳註:通常は《第一のプリメーラ》ではなく《第二の意図セグンダ・インテンシオーン》に当てるべき訳語である]を忘れて驚嘆の色を示した。「何か刺さっとる!」

「「何々?」」猫と小猿が背凭れに腕を掛けて身を捩り、いざ振り返ってみると――サンシャインルス・ソラールとは斜向いに建つア・ラ・エスキーナ・ディアゴナルメンテ・オプエースタ建物から生えた、余りに巨大な小尖塔ピナークロ・デマスィアード・ヒガーンティコの威容が猫の従士の縦長の瞳孔プピーラス・ベルティカーレスと俄に重なり合ったのである。


おお読者の皆さん、十数分前に筆者が当て推量でコン・コンヘトゥーラス物した予言は果たして真実となった!

「刺さってんじゃなくてビルから生えてんでしょ」

「おわー、こっちのヘクトパスカエルよか全然でかいじゃん」空艇の片腕ウン・ブラーソの長さはせいぜい十数ブラサス、その最高到達点もナナちゃんの十倍に満たぬ――つまりは(手数が多いことを除けば)十人並の巨人ヒガンテ・コリエンテなのだ。「つか未婚女そっち側座ってて何で今まで気付かなかったよ?」

「誰が独身王族だ」ミコノーナとは独身女性チカ・ソルテーラを意味するが、自分より若い娘たちにこれだけ囲まれていれば孤独ソルテーラを感じる余裕もないだろう。「お前らだってまだ結婚できなくても(原註:日本では女性の結婚可能年齢が十六歳)彼氏作っちゃいけねえって法はないんだぞ」

「余計なケアマネージメントなり[訳註:「自分の乳の中に入ってろメーテテ・エン・ラス・テータス」]」差し向かいでテタ・テト虚しい応酬を挿んだ後、千代は北東に出現した巨人よりも看過できない事態に言及する。「そしてどさくさに紛れて姫君の高貴な膝枕にこうべを垂れるのをおやめなされ!」

「というかミコさん脇腹痛くないですかその体勢」[訳註:隣り合った座席の狭間に肘掛けブラーソ飲料容器置きポルタバーソスが設置されている為だろう]

「いや全然」差し詰め隣に座った美少女の横顔に見惚れていた故に、北東に聳え立つ眼前のオーディンの頭――或いは一本角ウニクエールノ[訳註:《一角獣ウニコールニオ》]――にまで視界が広がらなかったとみえる。「うむ、膝の枕詞はドゥルシネアとはよくぞ謂ったものぞな」

「私は猪鹿いのしかか何かですか……」[訳註:《ししじもの/鹿ししじもの》は《膝折り》に掛かる枕詞]

「イノシカチヨさん」

「もう我慢ならん、姫様シートチェンジしましょう」腰を浮かせる猫の従士。

「サンチョの腹枕なんか腹筋付いちゃったから寝心地悪そう」

「寝かすかよ!」

「朝早かったから眠いんよ」慥か静岡市で乗っていた自前の車を置き去りにしてまで、電車の始発に飛び乗り駆け付けたのである。[訳註:第二十四章での御子神自身の発言に拠る]

「だったらサンチョ自慢の腕枕――からのスリーパーホールドでご存分に永眠させて差し上げますよ!」

「ダメだよチヨさん二の腕はおっぱいと同じ感触なんだから!」

「何でメガネはいちいち感性が昔の中学生男子みたいなんだ見た目もだけど」ミコノーナは不自然な姿勢のまま斜向いの床屋の娘を見上げて以下に続けた。「今自分ので比較してみ、お前の場合ぜってー腕の方がプニプニしてるから」

「な、何を~――ほ、ホントだ」愕然と項垂れるニコニコーナ。「まあうちは分類学上ハナ先輩の仲間ですから」

「ハナちゃんは品のある感じだけどお前のはただ貧しいだけだろ」

「プリキュアサイズは正義の証ってバッチャが言ってた」

「こいつ二次性徴をあと二回残してるんですよ」

「おほほほ、その意味が分かるな?……分からない?」それは第四次性徴カラクテーレス・セクスアーレス・クアトルナーリオスまで続くということだろうか? 変態生物メタモールフィカ・クリアトゥーラさながらである。「おのれ……ふんだミコ姉さんだって三十過ぎたらどうせ垂れ乳の母がたるみたれどもになってるに決まってる」

「どんだけ垂れたらそうなるんだ」

「アンタいい歳こいてまだ自己バスト更新中なんですか?」これはもう乳母クリアンデーラになるより当てがないと云わんばかりの猫の従士。

「いい歳って何だコラ」

「……アレ、垂れ乳の母であってる?」

「垂乳根だろ……」千代が訂正した。尤も《ぶら下がる乳テータス・コルガンド》では乳房ペチョが垂れているのか母乳レチェが滴っているのか判然としない。[訳註:著者は垂れ乳を《垂れた胸のデ・ママス・カイーダス》、垂乳根を《授乳するデル・アママンタミエント》と訳出している]「まァ驕れる者は久しからずってことです」

「盛者必衰の理をあらはす……」膝の重みに耐え兼ねたドゥルシネーアも加勢する。

「平家にあらずんば虎子を得ずってヤツだね!」

「集中砲火!――オゴるもんが破産するってんなら今から五百円徴収してやろか」

「それはそれ……覆水盆に返らず、こぼれた乳を嘆いても無駄だ」[訳註:勿論千代も支払い済みの観覧車の料金と避けられぬ老化現象を二重の意味で儚んでいる訳だが、著者はよく聴かれる俚諺のまま《何故溢れた牛乳のことで嘆くア・ケ・ジョラール・ソブレ・ラ・レチェ・デラマーダ?》と意訳することでより明確に両者を関連付けている]

「垂乳根でもソナチネでもいいですけどそろそろ腿が」[訳註:《垂乳根アママンタミエントでもボロい商売ママンドゥーリアでも》。部長の科白としては品がない印象を受ける]

「そんな一玉1トンはありそうなデカメロンふたつもぶら下げてりゃ、キョニュートンの法則にも抗えねえってなもんですわ」[訳註:著者はDecamelónと綴っているので、単に巨大なだけではなく《十個分のデカ舐瓜メローン》という語感が強い。流石に誇張表現だとは思うが、もし真実ならクーパー靭帯の負担も尋常ではあるまい]

「メロンも木から落ちてくんの?」もし智慧の果実フルート・デル・コノシミエント舐瓜メローンであったならアダムやジョブズ、更には白雪姫とて死なずとも済んだであろうに![訳註:丸かじり出来ないから?]

「猿ほどは落ちてこないやろ」

「それな。さすがチョーサーンが云うと謎の説得力!」

「ボッカッチョだよババちゃん」

「ボカッチョもフォカッチャも区別付きませんよ小猿には」

「いやフォカッチャでメロン挿めんでしょ、バナナがせいぜいだわ」

「はん、骨張った猫の腹枕なんぞ用済みのお先真っ暗よ」跳ね起きたミコミコーナは凝りもせずに今一度エル・トボソを抱き寄せる。「お菓子姫も蜂の騎士も、今後はふたり揃ってこの垂れる前の乳枕でピロートークと洒落込んでもらうのことさ」

「うわ、ほんとおっきいですね」

「そんなレズビアンナイトをイスラム教徒が認めるか」千代は差し詰めアラディーンやアリッ・ババッくらいしか知らぬとみえるが、千夜一夜ラス・ミル・イ・ウナ・ノチェには女性同士の恋愛を扱った挿話もあった筈である。「お生憎、パフはパフでもうちのドンナ様が渇望するパフはパフザマジックドラーゴンとかの類なんですの」

「なっつ! 小学校の音楽で歌わされたわそれ」半世紀近く前の民族歌謡ムースィカ・フォルクだが、この竜は不死故に老いを免れ得ぬ少年少女たちの子へ、更にはその子供たちへと歌い継がれているのだろう。パフとは立ち籠めた煙ヌベ・デ・ウーモ一陣の風ラーファガ・デ・アイレを意味する言葉であり、そう呼ばれるからにはこれも――性格は穏やかながら――火炎を噴く怪物に間違いあるまい。「……パフパフって何だっけ、ドラクエ?」

「ドラゴボじゃないすか? ほら亀仙人がブルマにやらせた」

「やったのは豚だろ」

「豚か」

「ブタミンパワーの話はもういいよ」

「メフメフってキャラいませんでした? メフメフ何世とか」

「メフメトじゃないの」花に劣らず世界史に強い安藤部長が代わって答えた。「オスマントルコの皇帝スルタンだよ、ほら東ローマ帝国滅ぼした《征服者ファーティフ》の二世とか」

「お前さっきサンチョが云ったメメフに今更引きずられてんじゃねえよ」

 結局景色には殆ど注意が払われていない――と思った矢先、

「あっ名古屋城!」

「うそうそ」

中学生ふたりが北側の船窓に張り付いた。


時計を見れば、太陽の南中高度と同調して回るジンパチの小尾船は既に下降を始めた頃ではなかろうか?[訳註:勿論正午と南中時刻は一致しないので、これは著者がいい加減に書いているだけである]

「……何処よ?」

「ほらアレアレ、屋根瓦っぽいのが……あっ隠れた」

「名古屋城見えたとしても方角的にこの――大津通?のこっち側の筈だよ」ドゥルシネーアが携帯画面に表示された地図と見比べながら後輩たちに適切な説明を施した。

「マジか……パフザマジッカドラゴンか」

「その眼鏡は飾りかよ」接眼透鏡レーンテス・デ・コンタークトを外している以上伊達メガネガーファス・ファールサスではあるまい。「君はもうドランクドラゴンの眼鏡の方くらい存在感消してなさい」

「じゃチヨさんはドランクドラゴンのブタミンパワーの方?」

「表へ出ろ」

「魔法の竜といえば先程従者さんがおっしゃっていた――」アフリカ大陸をイベリア半島から引き剥がしながら――おお、こんな時に力をくれる筈のエラクレスは今何処に?[訳註:ヘラクレスの棍棒の一振りによりアトラスの山が砕かれ、欧州と阿州プロビンシア・エウロペーア・イ・ラ・アフリカーナが分かたれた代りに大西洋と地中海が繋がったことでタリク山ヒブラルタール海峡が生まれたというギリシャ神話の一節を思い出していただこう。言うまでもなくここで引き合いに出されたヘラの栄光エーラクレスとは、これまで沼津の九頭竜イードラ・デ・レールナや富士山麓の地獄の番犬セルベーロ、そして女戦士たちアマソーナスとも渡り合ったドニャ・キホーテその人を指す]――、尻切れ状態だったア・メーディオ・アセールラ・サンチャの騎士が冒険のひとつを完結させるよう求めた。「浜名のハマッシーさんと、私がお慕い申し上げているキホーテ様との、丁々発止の鍔迫り合いの続きも是非ともお聴かせ願いたいですわ」

「はあ……え?」

「ドラゴンに刀は持てんだろうから、唾を飛ばした口喧嘩かもしれませんわよ」

「いや、ハマッシーは竜というより……只の恐竜でしたから」

「恐竜だって竜の一種だろ」コモドオオトカゲドラゴーネス・デ・コモードを《生ける恐竜ディノサーウリオ・ビビエンテ》と呼ぶからには御子神嬢の指摘も蔑ろには出来ぬ。「ネッシーのパクリってことは首長竜かな?」

「はいっ、」そこにニコが異を唱える。「ふなっしーがフナムシの妖怪ならハマッシーはハマグリの妖精という線もあり得るかと」[訳註:ふなっしーは梨の妖精]

「浜名湖ってハマグリ獲れるんだ」花が隻眼の全能神を前にして詠んだ十四行詩の中に表れる《貝合わせエンパレハール・コンチャス》とは、このハマグリ――浜の栗カスターニャ・デ・プラージャ――の貝殻を用いて行われる遊びである。一見西洋歌留多フエーゴ・デ・ナーイペス神経衰弱メモラーマを彷彿とさせるが、平安の古来より女児の遊戯として伝わる伝統文化だという。尤もサンティアゴの巡礼者同士が道すがら行き合う度にそれが無二の片割れパレーハ・インムターブレかどうか試していたら、神聖なる旅ビアーヘ・サグラードであった筈の道程も司祭が待つ祭壇へは永遠に辿り着けぬ花嫁の通り道パスィージョ・デ・ラ・ボダへと一変してしまうだろう![訳註:巡礼者は一般的に帆立貝の貝殻を身に着けていることから]「つかここでさっきのハマグリー回収すんなし、シジミかアサリみたいな顔しやがって」

「メガネだからタタミかな?」タタミとは海に棲むカタツムリカラコール・マリーノの一種なのだとか。[訳註:イシダタミガイのこと]

「――で、ドニャ・キホーテはその……首を長くして浜で待ってらした竜のハマッシーさんとは如何様に戦われたんですの?」

「えっ?……ああ、ハマッシーとは戦ってません。不戦勝です」

「不戦勝?」

「はい姫様、高尾山のクラーク・ケント同様顔を合わせるやドニャの圧にたじろいで勝手に降参しましたもので」より正確を期するなら《勝手に降参させたロ・カターロゴ・コモ・レンディード》であろう。「その後はヨッシーみたいなもんで、パナマ湖ではもっぱら我らの移動手段として活躍しました」

「背中に乗って?」

「いやお腹に入って」[訳註:第十四章を今一度参照されたい]

「何だそれで一寸法師かよ」

「いや中から刺してませんて、昨日のテキーラは今晩のトモシビに使えって謂うでしょ」

「初めて聞いたわ」朝食の席では何とか我慢した麦酒セルベーサへの渇きを抑えながらミコミコーナは徐ろに窓外を見やった。「四十度くらいあれば火ィくらい付くか。フレーミングショットだっけ?」

「あっ左手のヤツ?……人差し指からバーンて」

「アレって厳密には気化したアルコールに引火してるだけみたいですけどね」

「高校生詳しいな!」我が国では知らぬ間に飲酒最低年齢が引き上げられていたが[訳註:イスパニアでは州に依って法律が異なるものの、概ね十六歳から十八歳に変更されつつある模様]、《二十歳まで飲酒皆無セロ・アルコオール・アスタ・ロス・ディエシオーチョ・アーニョス》を謳いつつ高校を卒業するとともに許容してしまう慣例が日本にもあるようだ。尤も花や蓮はまだ十六ないし十七である。

「湖上でキャンドルナイトなんて幻想的ですけど――」混凝土製の誕生日焼菓パステール・オルミゴネーロ・デ・クンプレアーニョスから生えた蝋燭の眩い光――正午の陽射しを照り返しているのだ――に目を細めながらエル・トボソが話題を戻す。「首長竜の背に馬乗りじゃ心配とはいえ、お腹の中じゃ転覆して溺れるなんてこともなかったでしょうねえ?」

「ああ、はいはいそういうことね」ギニアの王女はここに来て漸くハマッシーの正体に気付いたとみえる。日本で屋根付きの足漕ぎ小艇イドロペダール・コン・テーチョといえば白鳥型が一般的なようだが、大まかな造作は然程変わらない。「恐竜だって満腹なら水上でも安定してんだろうしな」

「そりゃ……溺れる者は久しからずと申しますゆえ」あべこべアル・レベースである。[訳註:先程の『平家物語』の引用では《驕慢は凋落へと続くオルグージョ・プロセーデ・ア・ラ・カイーダ》と訳されている為、落下カイーダの前の入水インメルシオーンはあり得ない――つまり溺れるにはまず船から落ちねばならぬという理屈]

「そりゃ掴む藁もなかったらすぐ沈むんだからそうなるだろ」傍らの甘露姫ドゥルシネーアの手を掴もうとして払いのけられた西瓜サンディーアス――奇しくも日本語では水禍アクシデンテ・エン・エル・アーグアと同じ読みであると謂う――の、もといデカメロンの王女は座席の上で轟沈しつつトカーダ・イ・ウンディーダ以下に続けた。「ってボート遊びしてただけかい。もっとうなぎの化け物を蒲焼きにしたとか、放射能汚染で異常発育したハマグリを巨大七輪で炭火焼きにしたとか景気のいい武勇伝はないのかよ」

「そんな第五ふ――首長竜丸じゃないんですから……」放射能怪獣モーンストゥルオ・ラディオアクティーボゴジラの発想が、米国による南太平洋ビキニ環礁での水爆実験で日本のマグロ漁船が被爆した事件から生まれたことは、最初の映画が半世紀以上前に封切りされた当時から広く知られている。

「放射能汚染されたハマグリじゃ煮ても焼いても食えんでしょ」馬場嬢がアコヤ貝コンチャ・デ・オーストラのような双眼を輝かせつつ安藤部長に続いた。尤もこれまでに浜名湖周辺で高い放射線数値が観測されたり、最も近い――掛川の南東二十粁に位置する――浜岡原発で何か事故が起こったという記録もない。「オゴられる者だって最低限の品質は要求しますぜ」

「まあ湖に落ちなくたって食中毒でおっ死んじゃ意味ないしな」汚染されたハマグリどころか主従などは新鮮な国産うなぎをご馳走になったほどである。「……で?っていう。ヨッシー子分にしたならクッパの一匹くらいマグマにでも落としてこいよ」

「クッ……クッパは落ちませんでしたが、正義の心でナンパガッパを一匹落としました」

 こともあろうにこの日を選んで落ちるだの溺れるだの沈むだのと……太陽も既に沈んだ《嘗ての絶対君主国家モナルキーアンテ・アブソルータ》への配慮を今少し心掛けていただきたいものである![訳註:取り分け第二十三章に於いて、アルマダ海戦が決着を見た一五八八年八月八日にイスパニア無敵艦隊に属する多くの船舶が沈没した史実に言及していたことを参照されたい]


何やら船室内で何らかの案内アヌンシオが始まったようだがよく聴き取れない。

「何か回ってる……」

「――とかどうでもいい話してる内にとんがりコーンがドンキで隠れちゃったなりよブタゴリラ」

「何だコロ助平」

「あのトンガリはさっきババちゃんが調べてた名古屋テレビ塔みたいですよ[訳註:第二十五章を参照]」頻りに携帯と睨めっこしていたドゥルシネーアが、少女たちの疑問に終止符を打った。

「えっキマシタワー五兄弟?……六?」

「百合姉妹だそれじゃ」ミコミコーナが塔先端の触覚アンテーナを除けば既に視界から消え去った電波塔の幻影を仰ぐ。「つかつまりうちらナナちゃんとこから二三キロ歩いてきたってことか結局……」

「それでナンパガッパというのは?」この場でドニャ・キホーテの武勇伝に関心がある唯一の少女が、猫の従士にことの次第の続きを話して聴かせるようせがんだ。

「――厳密には勝手に落ちたんですが」警察沙汰になるような事件を起こしたと勘繰られたら具合が悪いと思い直した千代は、主人の活躍の規模を些かながら縮小しつつ以下に続けた。「なにぶん私と蜂の騎士は湖岸より二三十メートル離れた位置に浮かんでおりましたゆえに」

「それじゃトチ狂って自分から身投げしたさっきの河童と同じじゃねえかよ」

「ちゃ、ちゃうねん……イチから説明いたしましょう」従士にはあの湖上の冒険に纏わる責任の回避と危険性の隠蔽、それでいてドニャ・キホーテの勇名をも両立させる咄嗟の機転アグデーサ・テンポラールが求められたが、そう都合好く継続して[訳註:前章で千代が見せた、冴えてはいるが実用性に乏しい謎掛けの機知を指している]頭のネジを回転させる為の定期的な油差しルブリカシオーン・ペリオーディカを彼女が日々怠ってきたことも又否定し難い事実であった――それにしてもこの娘は何だってこうも早口で捲し立てるのだろう! 偶には息を潜め耳を澄まして必死に聴き取る者の身にもなってみるがいい!「……あれはある晴れた日の夕方でした。ラ・サンチャの騎士ドニャ・キホーテとお供の猫の従士がハマッシーを御しつつ、おかの上で何か異常がないかと湖の上からパトロールしておりましたら、それは可愛い小学生をナンパしているクソみたいなチンピラごぼうが目に留まったのです」

「おっ、穏やかじゃないわね」

「小学生ナンパするくらいだからせいぜい盛りの付いた中坊くらいでしょ」

「いやお前もだろうが」

「――実際には中坊と中年の中間くらいと思しきゴロツキーでしたので」人気のある遊園地の湖畔で子供に声を掛けるのだから恐らくはからかい半分、よもや連れ去ろうという気までは無かったのだろうが、寡婦や乙女の庇護者が制裁を加えるには充分の破廉恥罪ペカード・ベルゴンソーソに相違ない。「そいつがいたいけなる少女の細腕を掴んだ時にこれは事案だと――」

「おっと防犯ブザーの出番ですわ」

「いや学校帰りじゃねえから」それどころか夏休みの真っ只中である。日本の子供の多くは通学用カバンモチーラス・エスコラーレス携帯用警報機ジャベーロス・デ・アラールマを付け非常時に備えているものと考えられよう。「すぐさまダンニャ様は右手を差し出しこうおっしゃいました――《投げる物を》と」

「恐竜の腹ん中にあって投げられる物って何だ?……うんこか?」ハエやウサギかフンコロガシ等の食糞動物アニマーレス・コプローファゴスでもない限り、胃腸にうんこカカを溜める習性を持つ生き物がいるとすればジャコウネコの糞を煎じて飲む珈琲愛好者カフェアマンテくらいのものだろう![訳註:コピ・ルアックは糞をそのまま焙煎・抽出して飲むものではない]

「普通に胃石とかなのでは?」

「遺跡に埋まってるようなうんこはそれもう化石でしょう」

「はあ」[訳注:西gastrolito《胃石》とは胃の中の食物を擂り潰すことにより消化を助ける目的で動物が故意に飲み込んだ小さな石を指す。著者は安藤さんの常識的な指摘に対する御子神の反応として「それは胃糞学的見解ビスィオーン・エスガストロローヒカ?」と返させている。これはgastro(entero)logía《胃病学ガストロヒーア消化器学ガストロエンテロヒーア》とescatología《糞便学エスカトロヒーア》を掛け合わせた造語であると同時に、visión lógica《論理的な物の見方》を捩って学術的な糞食――もとい粉飾を施したもの]

「ヨッシーが脱糞するのは卵ですぞ?」[訳註:《糞するカガール》には自動詞・他動詞双方の用法があるそうだが、少なくとも訳者はcagarが何か直接目的語を伴っているのを見たことがない。但し鶏のように排泄器官が生殖器官を兼ねている場合、ニコの物言いも強ち的外れではなかろう。因みにヨッシーには性別がないとのこと]

「何だよ卵を脱糞て。排卵と言え」産卵プエースタと言え。尤も無精卵であるのなら排卵オブラシオーンとも然程大差はないのかも知れぬ。

「もう、のび太さんのエッチ!」

「卵ならエッチじゃなくて孵化ハッチでしょ」時折珍紛漢なことアルゴ・ルディークロを宣うエル・トボソ。[訳註:恐らくは西ridículo lúdico《戯れルーディコ馬鹿げたリディークロ(こと)》のカバン語か、若しくは英ludicrousなり羅ludicrusなりを下敷きとした造語であろう。因みに舞踏狂の陽気な隠しの怪物ポケーモンたる《ルンパッパ》にはLudicoloの洋名が与えられている]

「みなしご?」

「アレ今みつばちハッチらしいけどな……つかダメガネはお前だろって」成績が駄目ノータス・ナルガーダスなのは猫の方だけれども。[訳註:西nalgadaとは尻叩きの意。第十六章でもダメガネナルガーファスナールガ眼鏡ガーファス》と訳出されている]「――で? その腹の中に落ちてた忍タマだかラン太郎だかを蜜蜂殿が投げたら、そのロリコン野郎にクリーンヒットして湖に落ちたと」

「やだなそれじゃ傷害罪じゃないですか……そいつには当たりませんでしたけど」もうひとりの幼女好きロリコールニオの側頭部に命中したのである。[訳註:但し、花が狙ったのは実際に穹嬢の手首を掴んだ方の破落戸だったと考える方が妥当性が高いので、その点に於いては千代が事実を改竄した可能性も勘案せざるを得ない]「突然予期せぬ方向から乱たま――忍太郎が飛んできたもんだからキョドって足滑らして……でその間にそのカワイ子ちゃんは無事トンズラーすることが出来たって寸法にござい」

「そんなことが……」まさか真実人助けの旅路であったとは……花の二人目の人格セグンダ・ペルソナリダッが見せかけでなかったことに、安藤蓮は今更ながら驚嘆の色を隠せない。

「あっでもハマッシーでガードされてたんでうちらの面は割れてないっすから、危険は全然危なくなかったんですよ?」……成る程、あの時点ではそうだったのだろう。

「――投げたのってもしかしなくても黒たまご?」ミコミコーナは四日前の経験から何か思い当たったようだった。

「えっ?……はい」

「風呂屋で食ったヤツ?」

「え、お風呂で卵なんて売ってる? 牛乳と一緒に?」ニコの感じた違和感も尤もで、浴場施設にて販売しているとすれば街中の銭湯ではなく温泉街だろう。「あっそうだチヨさん黒たまごキティさんは?」[訳註:第六章で一時帰宅した千代は、電話中にニコから大涌谷の限定品を土産とするように頼まれている。余談だが、社名のサンリオの由来は《山梨の王》ではなく、西語のSan Río《聖なる河》が元になっているというのが公式見解だとのこと]

「は?……ああ、箱根は素通りしただけで別に何処の土産屋にも入んなかったから」

「まどかマジカ!……そんなの絶対おかしいよ」[訳註:教会式の羅甸語ラティーン・デ・ラ・イグレースィアではmagicaを伊語風つまり⁠[maˈ⁠ʝika]のように読む]

「箱根の立ち入り規制ってもう解除されてるんですか?」

「えっどうだろ……ああ噴火警報出たままなんだっけ?」

「何か番台のおっちゃんも同じこと言ってたな」となるとサラマンドラの学士が沼津で手渡したあの五個入りのゆで玉子の出処は未だ藪の中から現れぬ……

「にしてもまさかはぐれ悪魔コンビの土手っ腹ん中でゆでたまごの話を聴くことになろうとは……え?っていうか」

「さっき米屋で食った白たまごも美味かったよね」

「白玉粉みたく言うなや、シロノワールとゴッチャになるやんけ」

「――ていうか?」後輩ふたりの茶々を挿んでドゥルシネーアが聴き返した。

「ん?……いやね」今度はつい四十分ほど前の体験を思い返し、何か閃いたと思しきミコミコーナ。「お姫よ、存外すぐ城に戻るよりもショートカットになったやも知れませぬぞ?」

「ショートカット……と、おっしゃいますと?」

「急がば回れまーわれメリゴーランってことよ」この航海には波もなく乗員たちが船酔いマレーオを患うこともなかった筈だが、ギネアの王女は凝りもせずゴーンドラの揺れを装ってドゥルシネーアの柔らかな膝の上へと覆い被さった。「――観覧車って何て言うんだっけ?」

「ああ、また……ホラそろそろ終点ですよ」

「チヨさんキマシタワーを前にしてまたミッコミコの奴がレズビアンナイトに」

「じゃあ地上も近いことだしアラジンの魔法のダンプにでも轢いてもらうか」

「そ、それは怖えぜ。まァ異世界だろうがアホニューワールドだろうが後で好きなだけ転生したるからあと三分だけ……」目を閉じて左頬に神経を集中させる。「低血圧やねん」

「真っ昼間に低血圧関係ないだろ!」同じく低血圧で朝が弱い[訳註:第十五章にて、旧本坂隧道へと侵入した際に本人がそうボヤいていた]従士が一喝した。

 寝起きというなら兎も角、一日中立ち眩みマレーオが収まらぬようでは今後の操船マレアーヘにも支障を来すこととなろう。これから眼下の雑踏マレマーグヌム[訳註:《偉大なる海》が原義で混沌を指す]に再び漕ぎ出すとなれば尚更である。


不意にゴーンドラの扉が開いた。

「お疲れ様でした足元お気を付けくださいませー」

「ケツの圧が足りないならその自慢のパイ圧で何とかしなさいな」急かすように立ち上がる半坐千代。御子神の目が覚めるのを待っていたらもう一周してしまう。またオゴらせるにしてもその為だけにまた十五分浪費するのは惜しい。「あっすいません」

「パイ圧」笑い転げるニコニコーナ。「略してアッパイ……フォッカチオだっけ?」

「ボッカッチョね」ラ・サンチャの主従の旅も九日目ノナメローンを数えるが[訳註:『デカメロン』の原義がギリシャ語の《十日間》である為。但しnona-はラティン語の接頭辞]、姉妹が袂を分かったままでは後もう一日分の冒険が用意されているものか定かではない。「チョーサーが書いたのは『カンタベリー物語』――よいっしょ、あっあらお優しいこと」

「どうぞお手を」[訳註:姫の手を取ったのはいち早く下船した千代]

「食ったことないですね」

「お世話になりました」着地と同時に係員に会釈するエル・トボソ。「カンタベリーっていうのはイングランドで大聖堂あるとこ。カトリックじゃなくて国教会の方ね」

「じゃあストロベリー物語を書いたチヨさんは何人です?」

「え……っと、アメリカ人かな?」亜米利加のいちご白書ストロベリー・ステイトメンツ・オブ・アメーリカである。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバーは――よっと」あわや取り残されたかというところでミコミコーナも何とか飛び降りたようである。「イギリス人よね」

「またご利用くださいませー」

「どもー……ちっ、」若い少女たちの後を追って板張りの空中桟橋を駆け下りていく。[訳註:千代の録音機が彼女の科白を拾っている限り、実際の距離は数米と離れていない筈]「永久の苺畑がB級コンクリートジャングルに出戻りしちったよ味気ねえな」

 出口の自動扉を潜ると元の書店前である。

「――れ、メガネ何処行った?」

「多分カワヤです」

「貧乳な上に頻尿かよ……さっき川でしてくりゃよかったのに」

「冷房で冷えちゃったんじゃないですか」

「奴は明らかに水分摂りすぎっす」数分おきに聞こえた喉を鳴らす音は正面の乳牛バカ・レチェーラではなく概ね隣の仔馬カバジータのものだったようだ。[訳註:例えば西語には《ヤスリのように食べるコメール・コモ・ウナ・リマ》《遊牧民騎兵のように飲むベベール・コモ・ウン・コサーコ》という表現があるが、著者はこれまで一貫して牛飲馬食を直訳してきている]「そしてミコミコーナは糖分摂りすぎ」

「シロノワールほぼほぼ独りで食った人に云われましても」王女は硝子張りの窓外に目を遣ったが、既にジンパチの船はブリアレーオの豪腕で再び視界から消え去っていたことだろう。「――ったく三六〇度ビューだった筈なのに、サンチョが十五分ずっと漫談してたせいでお菓子姫の横顔と太腿しか憶えてないわ」

「それが糖分過多だってんだよ!」

「ドンキとキマシタワーも記憶の片隅に残ってるぞ。タワーは先っちょだけだけど」

「それ元ネタ何なんですか?」

「そいや今日何でこんな苺推してるんだろ……あっ、姫様も人に訊いてばっかじゃなくてたまにはご自分でお調べなさい携帯持ってんだから」

「はぁ、すいません……」検索までして知る必要を感じなかったドゥルシネーアが脇に目を逸らすと――「あれババちゃんもう戻ってきたの?」

「混んでたのでドンキで借りようかと」声が離れている。「どうせだしもっかい乗ろうぜ」

「いや文章が繋がってないんだけど。また上ったところで観るもん何もなかったろ」

「いやアンタこそ三六〇度ビューはどうした」千代は部長と顔を合わせると深い溜め息を漏らした。

「まァ今度は十五分フルで姫の桃の香りがする腿枕安眠コース選べるならもう一周付き合ってもいいけど、ガキふたりの分はもう出さんぞ」

「言ってて恥ずかしくないんかねこの方は……」あのシモネッタであれば顔から火が出るエンロヘセール・デ・ベルグエンサどころか車内で爆死したことであろう。「でさっき言ってた苺のショートカットがどうこうってのは?」

「そもそも苺でないショートケーキって何だ」

「それ言ったらそもそも何が短いんだよ賞味期限か?」

「ショートブレッドのショートから来てるらしいですけど……あっまだ手振ってる」観覧車乗り場の出口より奥まった場所に位置する改札の前で頑張っている後輩に呆れながらドゥルシネーアが補足する。「それと別に苺は本体じゃないですから、ほらシュウマイのグリーンピースみたいなもんで」

「逆でしょ」

「逆ですね」

「じゃあもしかしなくてもメガネの本体は眼鏡じゃないのかな」

「アンパンマンの顔みたいなもんでしょ、首チョンパされても動けるみたいだし」

「トカゲのしっぽ的な」

「王族の光と影はおふたりだけで充分すから」《光と闇クラーラ・イ・オスクーラ》が正しいかも知れぬ。従士は光の姫の手を引くと、今度は電動階段に繋がる二階セグンダ・プラータ[訳註:欧州式に則っているが三階のこと]の出口に向け歩き出した。「姫、もう参りましょい。これ以上二三個コンビに付き合って時間を無駄にすんのは真っ平メンゴですわ」

「ではこっちのお手は私めが……」

「置いてかんといて!」

結局四匹の猫は揃って自動扉を潜った。


密閉空間から屋外に踏み出す度、この日名古屋に集う人々は蒸気浴室サラ・デ・サーウナへと踏み入ったかのような錯覚を覚えたことだろう。

「水族館で涼もうと思ったのに」踊り場で先行する三人を追い抜いた床屋の娘の四つの目を、太陽神アトーンが放った無数の燃え盛る指先――恰も《山の神ディオース・デ・ラ・モンターニャ》東堂尽八と百腕の巨人エカトーンキロス習合したスィンクレティサードが如き威容ではないか?――が否応なく突き刺した。[訳註:壁画等で見られるアテン神からは慥かに放射線状に伸びた無数の手が描かれているが、こちらもクラーク同様特に人差し指だけを突き出している訳ではなく掌を翳す或いは差し伸べるような意匠である。因みにこの施設の地上と三階を繋ぐ電動階段は丁度観覧車乗り場の下部に位置しておりそれが屋根代わりになっているし、そもそも建物の北壁面なので直接に陽射しが当たることはないだろう]

「いやもうお前池袋帰れよ」

「さっきチヨちゃんも云ってたけど名古屋有名な水族館ありましたよね、多分港の方まで行かなきゃですけど」用意周到で生真面目な安藤部長は出発前あるいは新幹線の車内にて如才なく下調べしたとみえる。「何だっけシャチとシロイルカ……ベルーガ?」

「何それ超見たい!」場違いな反応レアクシオーン・フエーラ・デ・ルガールを見せるニコーナ。「何なら調べるーが?」

「それもうイヌヤマ行くのといっしょっしょ、徒歩圏内か地下鉄十分以内にしよぜ」最寄り駅までなら空艇一周分の時間地下鉄に揺られれば辿り着けるのだから、寧ろ比較的近場ではある。移動距離とて犬山城までの半分以下だ。「カミコもそう思うよね?」

「カメコここにはいませんよ」

「出来ればサンシャインとかウルトラバイオレンス避けれるとこ」

「ちゅっちゅるっ、ちゅっちゅっちゅるっ、イェイ!」馬場嬢が機械階段エスカレーラ・メカーニカを音律に乗せて駆け下り、そして着地したアテリソッ

「うるせえぞ未就学中坊!」

「朝目覚めたらハーイテンションかよ……」立っていれば自動で運んでくれるものを、急いでいるでもないのにわざわざ自分から足腰を酷使しようというのだから十代とは甚だ元気なものである。「――そして声を掛けてもノーリアクション」

「いや眠いの貴女だけだし」

「もうお昼ですしね」平日は毎朝九時前から学校で授業を受ける若い三人には理解し難いことだが、歳を重ねる毎に夜間こそが生活の中心になるということなのだろう……否、勤め人も条件は同じ、きっと大学生活が特殊なのだ。「とりあえずお向かい入りましょう。連絡もまだみたいだし」

「漏れそうなのか?」[訳註:「緊急的尿意のせいかア・カウサ・デ・ラ・ウルヘンシア・デ・オリナール?」]

「漏れもそう思う」[訳註:「最悪の事態を避ける為にパラ・オリジャール・ラ・ペオール・スィトゥアシオーン」]

「渡っちまいやしょうぜ」青信号が灯る横断歩道の前で足踏みしていた四つ目を余所に、他の三人は自動階段エスカレーラ・アウトマーティカの為すがままに任せ、悠々と地表へ降り立つ。おお、半年後の従士を暗示しているようではないか?――というのも自動的に進学できる中高一貫教育エスコラリサシオン・コンビナーダを日本では《機械階段式の学校エスクエーラ・デ・ラ・スィステーマ・エスカレーラ・メカーニカ》と呼ぶからなのだが。[訳註:今千代が利用しているのは下りなので勿論これは皮肉である]「このままじゃ失禁を禁じ得ない」

「今渡ったらサンズリバーの片道切符だぜ」

「もうトロツキーしてるからっ!」

「サンズをば……[訳註:第二十一章を読み返すまでもなく《三頭》である]」河岸に立った千代は無意識の内に腰の孫の手を引き抜いていた。「――あっロバのなんだっけ」

「何だ人前で、痒いのか?」

「いやちょっと……我がオシリスが」

「オシリスってお尻が黒い神様だっけか?」

「いや全身が……青とか緑じゃなかったかしら」最早自分で調べろとも言うまい――ドゥルシネーアが記憶を手繰り寄せるようにしてミコミコーナの質問に答えた。「弟に殺されて冥界の神になったっていう、ほらイシスの旦那さんでホルスのお父さん」

「親父がオシリスで息子がホルスか……自由だなエジプト[訳註:実は第十九章で花が似たような戯言を物したが、その場に千代は居なかった]」王女は従士から尻掻き棒ラスカクーロを引っ手繰ると、北東の方角に聳える天衝く塔ラスカシエーロ目掛け威勢良くブンブン試し振りしてから床屋の尻の後ろに構えつつ以下に続けた。「掻くより引っ叩いた方が小猿の貧相な尻もヒップアップできるんでないかしら」

「腫れるだけだろ今でも充分赤いわ!」これがもし青痣モレトーンであれば晴れて彼岸の神ディオース・デル・マス・アジャッの仲間入りである。「ミコ姉さんこそミイラみたいにしぼむ前にその二玉のデカメロンをスパンキングするとかしてアンチエイジングにいそしんでみては?」

「これニコニコ、無礼が過ぎるぞ」千代が口を挿んだ。「ご本人も先達ておっしゃっていたように三十路に突入されてからご存分にお垂れなさいますのじゃ」

「ネフェルチチが垂れ乳になったらツタンカーメンも立たん仮面になっちゃうだろ」

「立たん仮面、仮面って何だよ」発掘時に遺体から落ちたという立派な陽物ファロ・インポネンテの後を追うように折れ、その後接着剤で修復されたとされる(こちらもオシリスの象徴たる)顎髭を伸ばした――黄金の仮面であろう。[訳註:カイロの考古学博物館収蔵の黄金仮面の破損と杜撰な修復に関する醜聞は二〇一五年一月に報道されているが、それとは別にこの顎髭は元々着脱式だったようだ]「タキシード変態仮面様?」

「変な会話……」そもそも意味のない遣り取りの最後に女子大生が(恐らく発言した本人をしても)意味の解らない科白を吐いたことで、善良なエル・トボソは嘆息せずにはいられなかった。「ネフェルティティはツタンカーメンのお母さんですよ」

「ああ、じゃあ垂れ乳でもしょうがないのか」尤も王の子供に乳を与えるのは乳母の仕事ではあろうけれど。

「義理ですけど……慥かツタンカーメンのお父さんとの間に出来たアンケセナーメンがツタンカーメンの奥さんで、お父さんと娘のアンケセナーメンの間にも子供がいたんじゃなかったかな」

「ちょっと待って分からん、相関図書いて」

「というか違う漢字の相姦図の方が凄い感じに……あ」このやりたい放題のお父さんパードレ・デ・ルエーダ・リーブレ[訳註:《自由輪ルエーダ・リーブレ》とは踏板を回し続けずとも惰性で回転を続けることの出来る自転車の機構のことだが、ここでは、漫画作品と共同企画中の観覧車興行に絡めつつも歯止めの効かぬ絶倫を示す修飾語として用いられている]というのがアメンホテプ四世――つまりは悪名高き革命家アケナトンその人である。「青くなりました」

 四匹の猫は午前中に南岸へと渡った横断歩道を、同じように北側へと引き返したのだった。


ネクロカブリーオの兜を戴く猫神バステトを除いた三柱、則ち鴇神トト牝牛神ハトホルそして睡蓮神ネフェルトゥム[訳註:馬場久仁子の表象としてトト神が選ばれたのはトキイビスサギガルサが同じペリカン目――加えてトキは《朱い鷺ガルサ・ロハ》とも書く――であるのと、もうひとつの姿が狒々であることが理由であろう。尚、トトは兎も角男神のネフェルトゥムを安藤部長に当て嵌める際に著者が躊躇しなかったのは、このnfrネフェルという神聖文字の意味するところが――ネフェルティティのそれと同じく――《美》であった故と推測できる]は、縞馬歩道パソ・デ・セーブラを渡り切るまでに頭髪を数本焦がされたに違いない。

「さっきの話じゃないけどエジプト神話ってウンコロガシも神様だったんだもんな。太陽もうんこも糞味噌ってこと?」

「ウホッ、前方後円糞」

「ピラミッドは方墳だろどっちかってぇと」

「日本だったらテントウムシなんでしょうけど」漢字では《天道虫ビチョ・デ・ソル》と書くが、これは太陽に向かって飛んで行くからだと謂う。[訳註:西語の天道虫マリキータの語源は《聖母マリーア》で、maricón同様オカマの意味も持つ。尤もこれは中世の農民がアブラムシ等の虫害に苦しみマリアに祈ったところ、聖母が害虫の天敵たる無数のテントウムシを遣わして彼らを救ったことに由来するという説がある。何でも体色の赤が聖母の衣を表し、黒き斑点は七つの美徳の象徴となったのだとか。糞虫の呼び名が《玉造甲虫エスカラバーホ・ペロテーロ》であるのを鑑みるに、両者の扱いは日西であべこべのようだ。尤も《玉押黄金たまおしこがね》なる和名もあるにはあるが]「ケプリでしたっけ神様……あとツタンカーメンの名前にも入ってるアレ、甲虫スカラベとかありますもんね」

「ああ糞食スカトロのスカってそれか」

「違うと思います」[訳註:共に古希語を祖とするが、スカラベの方は《甲虫カラボス》の語頭に後からsが付いたものと思われる]

「顔が哺乳類とか鳥類までならギリ理解できるけど顔が虫ってイカしてるよね!」

「イカれてるの間違いだろ」

「それ仮面ライダーに面と向かって言ったら蹴られますよ」仮面を被った単車乗りモトリースタ・エンマスカラードの面はバッタサルタモンテスの顔だからまだ許容し得るけれど、ケプリに至っては甲虫背ロモ・デ・エスカラバーホが顔なのだから何処を向いているのかすら判然としない。「そだ、近くのトイレ探せるスマホケプリとかあるかしら」

「うんこなの?」

「うんこじゃないです」

 一牛道尺アークトゥスの川幅を戻るのには三十秒と費やされなかった。

「顔がペンギンの神様もいましたかねやっぱ」入店前に足を止め、可能な限り直上へと顔をもたげたニコが、下顎を垂らした間の抜けた表情で問う。

「古代エジプト人ペンギン知らねえだろ」旧約聖書を鵜呑みにする訳でないにせよ、ボロ布ピンゴスであれば奴隷や貧民が身体に巻いていただろう。「さあここで小林一茶の生まれ変わりたるサンチョ・デ・ラ・サンチャ先生がペンギンから一句捻り出してくださるそうです」

「くださりませんよ! 流れ的にも捻り出すとか凄い嫌なんですけど」

「季語はペンギンかな?」[訳註:人鳥ピングイーノは一般的に無季語に分類されると謂う]

「あっ、一茶からの三茶なんですね」イッサとは一杯の茶ウン・テを意味し、芭蕉と並ぶ江戸時代の代表的な俳人の名でもある。[訳註:西tomar el té《茶を頂く》というのはよく聞くが、tomar un caféが正しいのならun téという表現もありなのだろう]

「サンサニッサイッサ、はいっ」

「ちょっ、」宮廷道化師ブフォーン・デ・ラ・コールテじゃあるまいし、こうも度々気の利いた洒落チーステス・インヘニオーソスを所望されては敵わない。大体喜劇テアートロ・コーミコなら寧ろミコミコーナ自身が買って出るべきところである!「……ヘカトンカエル、負けるなダパンプここにあり」

「ペンギンだっつってんだろ!……あとドニャキの子分が巨人の方応援ってどうよ? お尻ペンペンじゃ済まんぞ」

「おう、メランコリーコ……」憂い心の騎士カバジェーラ・デル・トリーステ・コラソーンがこの場に居合わせなかったのは幸いであった。「……ペンギンの子、飛ばねえ鳥はただの鳥だ」

「本当にそうか?」

「焼き鳥だ」というより飛ぶ焼き鳥パーハロ・アサード・ケ・ブエーラはただの焼き鳥ではない。「姫様お助けください」

「何が?」

「ペンギンで一句」

「ペンギン……あら、三日月に乗ってるんだ」

「あっはい一句出来た――《この世をばわが世とぞ思ふミコ乳の、ミコさんの山に出でし乳かも》」ニコニコーナが加勢に入る。「これはデカメロンを収穫しただけで世界を獲ったつもりでいるどこかの王女を詠んだ句です」

「パクリだし混ざってるしそれ以前にそれ三日月じゃねえしな」

「ウ、ウジャトの眼……」[訳註:これは安藤部長の独り言]

「更に七七しちしち付いちゃってるし」従士にとっても四つ目の援軍は期待外れであった。とはいえ無学な彼女らにすら諳んじ得る短歌カント・コールトがあるとは![訳註:第二十八章の伝馬橋にて花が万葉集を引いている]「月じゃなくてペンギンだっつの」

「... My little ceramic penguin in the study always faces due south.」ここでエル・トボソが一息で呟いたのは小説からの引用だろうか――恋人に劣らぬ流暢な発音に、後の三人は口をあんぐり開いたまま暫しの間日光浴することとなった。「――いやサウスイーストか」

「サウナスイート?」アレマニアかフィンランディアにでも行けば巡り合うこともあろう![訳註:英sauna suite《続き部屋の蒸し風呂サウナ・スウィート》]「――ヒメ?」

「……アンドーさんて帰国子女だったん?」

「恥ずかしながら生まれてこの方パスポートを取得したことがありません」流石はラ・サンチャの最優秀主演女優ラ・メホール・アクトリース・プロタゴニースタ、《獅子の皮を着た驢馬アースノ・ベスティード・コン・ピエール・デ・レオーン》も《羊を被った狼ロボ・ベスティード・デ・オベーハ》も自由自在のようだ!

「えっ修学旅行パリとかローマでしょ?」

「残念、京都とか沖縄でした」

「普通!」

「この唐突に横文字を繰り出してくる感じ……」千代は無意識に肩を竦めた。「……では現役大学生のミコガミさん和訳の方を」

「英語のクラスとか取ってないんですけど……」中学生がふたりとも陽射しを受けつつ店頭に留まったのは、暴君ミコミコーナが人鳥に見下ろされながら遣り込められる姿を見逃したくなかったからに相違ない。屋内から吹き出てくる冷風が、王女の頬を垂れる冷や汗を更に凍り付かせた。「――ドゥルシネーアもっかい、もっとゆっくり」

「大した意味はないですけど……《my littile ceramic...》」

「《私の小さなセラミック?の……》」

「《penguin in the study...》」

「スタディーって何だっけ……書斎?」

「《always faces due south.》――南東向いちゃってますけど」

「デューってなんだろ、マウンテンデュー?」《ミコさんの山々に出でし乳レチェ・ケ・フルージェ・デ・ロス・モンテス・ヘメーロス・ミコ=サン[訳註:ひとつ前の訳では単数だった《山》が《双丘》に置換されている]》がそのデュー[訳註:英dew]、つまりロシーオなのだろうか?「えっと……《書斎に置いたセラ――瀬戸物?のペンギンはいつも南を向いています》」

「字余りにも程がある、やり直し」

「やっぱペンギンも南の島とかあったかい場所に憧れてるってことなんやね」

「お前南極ってどこにあっか知ってる?」

「ささっ和菓子の恩にして洋菓子の仇たる麗しのドゥルシネーア[訳註:西paja《藁》から派生語したpajónは《稲や麦を刈った後の根株/藁で覆われた土地》、転じて《無精髭、ボサボサの縮れ髪》の意味を持つ。つまり《日本菓子の友人アミーガ・デ・ドゥルセ・ハポネースにしてモジャモジャ菓子の敵エネミーガ・デ・ドゥルセ・パホネース》――どんな菓子なのか想像も付かないが、《毛むくじゃら嬢ドニャ・ペルーサ》からの影響があることは間違いない]」ミコミコーナは改めてエル・トボソの姫君に向かい合うと、「――このままケプリ神が転がしてきた太陽の運行するがままに晒され続けてられてはお身体にサワりますぞ」その美しく清らな白磁肌ピエール・デ・ポルセラーナ・ベジャメンテ・プーラの二の腕を捕まえた。

「あ、熱い……」

「こら」

「あっずるい、私も触りますよ?」

「うう……」

「もう、のび太さんのワンタッチ!」

「スケッチ抜かすなよ」

「つかお前ら朝から姫様になんタッチしてんだよ?」《壁にシロアリパレーデス・ティエネン・テルミータス扉に台風メアリプエルタス・マリーア・ラ・トルメンタ》という格言[訳註:第十六章で千代が口にした戯言を著者が捩った表現。尤も観覧車に乗る直前、千代は《障子に花ありプエールタス・ティエーネン・フローレス》なる科白を吐いている。因みにマリアと命名された熱帯低気圧ウラカーンがドミニカとプエルトリコに上陸し壊滅的な被害を齎したのは二〇一七年]を否が応でも思い出さずにはおれぬ猫の従士。主人を早く見つけたい反面斯様な場面を目撃されたが最後、真実三千三百の尻叩きを喰らいかねない。「……同時多発テヘペロしてもダメだ!」[訳註:《同調的含み笑いテロ攻撃アテンタードス・テロリスィータス・スィンクロニサードス》。ひとつ前の西訳で舌を出した様を説明しているとはいえ、どうもterrorista+risitaから来る語感は如何にも狂気的で茶目っ気を前面に押し出したテヘペロの印象からは程遠い]

 こうして両脇を抱えられた佳人が《殿堂》の内奥へと連れ去られてしまった故に、猫の従士も三人の後を追って入店するより他に手がなかったのである。


詩作ポエトリより陶芸ポッテリの目利きに秀でたふしだらな嫡女エレデーラ・デ・プテリーアは[訳註:英西対訳はそれぞれpoetry/poesía, pottery/cerámica, prostitution/puteríaとなる。poteríaという西語が無かったことからその代用として御子神嬢が娼婦プタ紛いの冠辞を負う憂き目に合った。尤もそれとて陶磁器のような肌を持つ姫との物理的接触に執着した本人の過失と言えなくはない]一階の菓子売り場の前に来てもいっかな愛しのお菓子エナミーガ・デ・ロス・ドゥルセス[訳註:西amiga+enemigaだが《愛を勝ち取るエナモラール》の色合いも強い]の手を離そうとしなかったが、反対側に陣取る小猿がせがんだ手洗いへの同行を当のドゥルシネーアが了承してしまったが為に、結局は《甘い菓子は最後にドゥルキス・イン・フンド》[訳註:羅dulcis in fundo、《楽しみは最後まで取っておこう》の意]とばかり暫しの別離に手巾を噛み締める結果と相成った。

「サンチョさっきのさ」

「えっ何?」突然声を掛けられた半坐千代が身構える。

「わざわざ橋のある……橋はどっちにもあるか、カッパ橋のルート選んだのってさ」

「カッパ橋?――ああ河童出没地点ってことね」

「やっぱハナちゃんが居るかもって思ったから?」

「……ショートカット云々って話ですか」従士はただ交差点でその汚名を雪いでやった髭の男から得し情報に一縷の望みを懸けたに過ぎぬ。「太宰府で冤罪符えんざいふ買ってた兄ちゃんがあっこで人助けしてる人がいたとか言ってて」[訳註:旧教の《全免償インドゥルヘンシア・プレナーリア》に掛けた形で《第一怠惰インドレンシア・プリマーリア》という訳語が当てられている。自己弁護を怠ったという意味か?]

「勝手に言葉を作るなややこしいから、人間失格かよ」贖宥状インドゥルヘンシアを手にしたからといって皆が皆人として失格インディーグノ・デ・セール・ウマーノなどということはない![訳註:現在でもサンティアゴ巡礼を終えた巡礼者には受付事務所オフィシーナ・デ・アコヒーダにて巡礼証明書コンポステーラを発行してくれるが、これも嘗ては贖宥状の一種であった]「その奇特な御仁こそ我らが蜂の騎士さまその人だろ?」

「いやハズレだったみたい」

「どして?」

「その被害者含め三人いたって話なので、唯一無二の従者であるこのチヨさんがアンタ方と同行してる以上ドニャ・キホーテが誰かと一緒に行動してるなんてこたありえんでございましょ?」

「なんだその謎の自信は……」呆れるミコミコーナ。「アンドーさんが来ちゃって焦ってんのか? 猫ジェラシーか?」

「そっちこそ適当な語彙を増やしてる!」

「まァ五十歩百歩譲ってドニャキが孤独を噛み締めてたとしても、その場に三人居合わせるってのは別に不自然じゃねえでしょ?」

「何で?」

「さっきの河童だよ」

「河童……濡れガッパ」オルランド――ラムダである。《濡れ烏クエールボ・モハード》といえば青み掛かった黒を示し女性の髪色の理想とされたが、これが濡れ河童カッパ・モハードとなると一転泥と苔が入り混じったようで何とも汚らしい印象を受ける。「濡れガッパを救助してたの?」

「は?」

「もっともカッパや雨ガッパは濡れてこそとは思うが」

「パッカちっげーよ、だからぁ」ギネアの姫が以下に推論を述べた。「ラ・サンチャの精華ドニャ・キホーテが昼下がりに血湧き肉躍る冒険を探し求めて――」

「脇汗で盆踊りもいいけど昼下がりじゃ午後ですよ。うちらが通過したのは午前中」

「うっせ話の腰を折んな!」御子神がサンチョの兜を叩いた。「――探し求め彷徨っていると、橋の上でキッショい河童にナンパされている可憐な――」

「ダウト」

「最後まで聴けって」御子神が再度サンチョの安全帽を叩く。「――可憐な乙女のピンチを目にし怒り心頭、偶然手に持っていた玉子をその河童の皿目掛け投げ付けた!」

「何ですか偶然手に持っていた玉子て」

「玉子のひとつふたつ、年頃の娘や遍歴の騎士なら常備してんだろ常識的に」年頃の如何にかかわらず、これが大抵の男マジョリーア・デ・ロス・オンブレスならひとつふたつ玉子ウエーボスをぶら下げていようとは思いもするが。「――で、それが命中して皿を割られた河童は哀れ川の中に落ちて川流れ、乙女のピンチを救ったドニャ・キホーテは感謝され、出歯亀に乗って龍宮城へと拉致監禁」

「それだと蜂の騎士も水没しますやん」

「河童だって岸までは泳ぎ着いてただろ!」若しくは乗ったのが陸亀であれば向かう城も地上に建っているのが道理だ。

「黒たまごは浜名湖の一件で売り切れましたよ」慥かに静岡の三姉妹と風呂屋の親父、そして土左衛門――の相棒が食らったので全て、〆て五個入りの商品だった筈である。「余ってたところで消費期限切れ過ぎでしょ。生卵なら実は冷蔵庫の外でも二ヶ月はイケるんだとどっかでやってましたが」

「今の季節じゃムリだろ」

「ムリーリョですな。調理済み茹で玉子じゃ尚更でしょう」連日摂氏三〇度を超える中、自転車に揺られつつ持ち運んだとなれば二日過ぎただけでも口に入れるのは遠慮したいところだ。「それこそ茹でた孫を喰らうサトゥルヌスですら腹壊すレベルにござる」

「それムリーリョじゃねえだろっつか、わざわざ調理して食うとかグルメかよ」この日が土曜日であったが故の発想であれば見上げたものだけれど[訳註:英Saturday<Saturnus]、残念ながら息子のユピテルにオリュンポスを追われたローマの農耕神には孫を茹でることは疎か、その顔を愛でる機会すら与えられなかったことだろう。「そもそも投げんのは黒たまごである必要ない訳でさ、殺傷能力なら白たまごだって別に変わら――」

「またしらたま――」

「ぅおおおいぃぃっ!」耳元に息が掛かり跳び退くサンチョ。「ちょっと!――やめろっつったろマジで」[訳註:第二十五章の駐輪場前でも全く同じ遣り取りが交わされている]

「早かったな」小猿の唐突な帰還にも動じぬ暗黒大陸の次期女王。「お前ちゃんとケプリにカプリまで黒たまご転がして流してきてもらったか?」

「だからビッグベンじゃないってリトルベンだって!」

「青の洞窟をドス黒く染めないでくださいよ」小猿の赤い尻グルーパ・ロハ[訳註:《青の洞窟グルータ・アスール》。尚、西grupaは通常馬の尻を指す単語]の直ぐ後ろからすらりと長い脚が隠れ見えた。

 そういえばカプリ島でも何年か前に異臭騒ぎがあったけれど、流石に屎尿投棄や腐った卵が原因ではあるまい。フンコロガシに海を渡る能力があるならば話は別だが。


「お――っと」千代は視線を逸らすと、無数の商品が陳列される棚に向き直った。

「黒くないですってエメラルドイエローですって」

「何だエメラルドイエローて、トパーズとかアンバーとか色々あんだろうが」

「じゃあメローイエローで」

「いやメローイエロー今世紀入ってから売ってんの見たことないけど」

「そして混ざり合ったら晴れてエメラルドグリーン」

「――で、白たまごがどうなさったんですか?」ドゥルシネーアが話を戻した。

「そだ、また浜名湖の白玉粉の話?」

「いやっほら……アレ、白玉がどうとかいう歌が」一先ず千代との密談で何らかの結論を得てからと考えてか、演劇部のふたりの耳に花の現状に関して余計な憶測を吹き込むのは保留すべきと判断したらしき御子神嬢が、この場では適当にお茶を濁す策を講じた。「万葉集だか古今和歌集だかにあったよなと思って」

「白玉について詠んだ歌は新古今和歌集じゃないっすかね、後白玉天皇の」[訳註:後白河法皇が編んだとされる歌集は『梁塵秘抄りょうじんひしょう』だがここでの関連はない]

「お前は何も知らんくせにテキトーなことを言うな」

「《白珠は、人に知らえず知らずともよし》」例の如くエル・トボソが諳んじる。白玉ボラ・ブランカと聞けば大抵の日本人の頭には米粉アリーナ・アロースを捏ねて丸めた伝統的おやつポーストレ・トラディシオナールが浮かぶであろうが、本来は銀白の月光を閉じ込めたが如き真珠の玉ボラ・ペルラを表す言葉だ。「《――知らずとも我し知れらば知らずともよし》だったかな? 他にも十首二十首あったと思いますけど」

「この唐突に縦文字も繰り出してくる感じ……」千代も暫く閉口したが、役者というのは兎角詩だの金言だのを憶えたがるものなのだ。「……では現役大学生のミコガミさん翻訳――現代語訳の方を」

「……しらたま――《白髪頭は人に知られなければ知られないに越したことないものだなあ……》」

「まだそんなこと気にする歳じゃないでしょう」

「二十歳過ぎたら解る……で、《――だが知られなくても自分では知っちゃうもんで、そうなったらもう白を切るしかないよね》」

「白髪一本ならともかく白髪頭を気付かれないようにしたいならビゲンなりブローネなりでとっとと染めろよ。つかどう考えても他人の方が先に気付くでしょ」

「おま平安時代にビゲンなりブローネなりあっかよ、髪染めんなら墨一択だろ常識で考えろや」実際に日本古代から中世に掛けての貴族文化に於いて、未婚の女性が人前に顔を晒すということは先ず無かったようだから、美醜の基準も顔の造作よりは肌の白さ、そして肌の白さよりは髪の黒さが重要視されたと謂う。そう、濡れ羽色コロール・デ・プルマーヘ・モハードだ。「というか姫、流石に字余りにも程があるでしょいくら後白玉つって」

「ビゲンがなければコーラで染めればいいじゃない」可楽コラ珈琲カフェッで染髪を試みても、微かに茶色く変色するだけで決して黒くは染まらないのだとか。[訳註:そもそも黒髪から茶髪にする為に考案された眉唾な迷案である。尚、小文字でcolaと書く場合は《尻尾》]

「五七七を二回繰り返す詩型を旋頭歌せどうかといいます」

「そんなんあんの?……いやセドウカかどうかはいいんだけど」日本の定型詩ベールソス・フィーホスが俳句や短歌以外の形式を持たぬなどということもないだろう。但し矢張り五音と七音が基調ではあるようだ。「こいつらに付き合ってるとヘッドがホワイトになりますよねってな話で」

「ヘアーっしょ」

「そういえば英語で白頭ホワイトヘッドっていうとニキビのことらしいですね」

「え?……まァ吹き出物の方がリアルでストレスが直結しそうだけど」よもやと自分の頬っ辺を摩り、余計な凹凸がないのを確かめる唯ひとり二十歳を超えたミコミコーナ。「出来ればニキビアクネよりも絶頂アクメの方で噴き出したいとこだわ」[訳註:より直截的に下品なので字義通りの訳出は避けるが、《白い頭カベーサ・ブランカよりも団栗状の頭カベーサ・グランデの方で》となっている]

「あと慥かペンギンの語源も――」元来北半球の海鳥アベ・マリーナを指したイスパニア語が英語に転化し、更に英語から逆輸入(レインポルタシオーン)の所産として出戻った借用語プレースタモだという説を筆者は聞いたことがあるが?「ウェールズかスコットランドの言葉で《白い頭》なんじゃなかったでした?」

「えっ、さっきのペンギンそんな十円ハゲみたくなってたっけ……ストレス?」禿ではなく白髪の話である。「いやドンキのペンギンてサンタ帽被ってるから分からんな……意外とハゲ隠しだったり」

「ドンペンっすあのペンギン」

「そんなピンドンみたいな名前付いてたんだ!」

「そしてピンクのメスはドンコ」何と雌人鳥ピングイーナもいるのか?[訳註:動詞pindonguearは無目的にブラつくことを意味するが、pindongaとなるとこれは街娼を指す。因みにドンペンの趣味は《ドンキ巡り・夜の散歩》とのことなので強ち的外れではないし、ドンコの腹部に描かれている意匠が(相方がカタカナの《ド》なのに対し)真っ赤な《心の象徴スィーンボロ・デ・コラソーン》である辺りも意味深長である]「つかペンギンの語源とか人生のどんなタイミングで調べるんですか姫は?」

「さあ」照れ笑いするドゥルシネーア。愛らしいケ・アドラーブレ

「うどん粉じゃなくて白玉粉の話じゃなかった?」そもそもは白たまごの話であったが、千代も御子神の意図を汲んでそこまでは言及しなかった。

「いや白玉粉の話もしてないけど」

「うんこの話は?」

「人のいっぱい居るとこでやめなさい」ドゥルシネーアが年長者らしく後輩を窘める。

「さっきからこいつの喰い付くワードって幼児から小学校低学年レベルだよな」己のことは棚に上げて突き放すミコミコーナ。

「すいませんこのメガネ精神年齢が胎児なんです」

「自我すらも!」一般的に自我エゴ自己認識イデンティフィカシオーン・デル・ジョ)は二歳から三歳までに形成される。

「バブー」

「あっ、魚卵ちゃんが否定してる」ここでいう《魚卵ウエーバ》とは鮭の卵デ・サルモーンを指す為、色も白や黒でなく赤もしくは紅色カルメスィッであろう。

「何故だろうこのタオパイパイからは全くバブみを感じないんだよな……」

「タオパイパイって桃白白ももしろしろって書くんじゃなかったっけ」王女は傍らの猫の従士の尻を勢い良く叩いた。[訳註:桃尻尻? 因みに西語でpaipáiというと扇子や団扇を指すが、これは秦国語で神を拝んで平伏すことを意味する《拜拜バイバイ》を由来とした言葉]

「いって!」

「むしろサンチョみたいのを言うんじゃないか?」

「み、見てきたように言うな!」見たままを言ったのであろう。但し通常白桃メロコトーン・ブランコといっても白いのは果肉だけだ。[訳註:例えば岡崎産の白桃は果皮も白いのが一般的。静岡の銭湯については第十章参照]「ど、どどん気をお見舞いするぜ」

「あ、指二本差すやつ」

「あとバブみの用法間違ってるから。流行り言葉を無闇に使うのはやめなさい」

「いやどこで流行ってんだよ……」どうやらバブみ(バブバブ言う感覚センティード・デル・バルブセーオ)とは母性マテルニダッのことらしい。[訳註:正確には《特定の年下女性に対して感じる自分の母親になってほしいという願望》を指し、二〇一五年前半から広まった電網上俗語表現であるようだ]「ささ、ミコニコの近くにおりますとキモヲタが伝染しますぞ……」

「でも何気に姫も発言の節々にオタ臭さが滲み出てるよね」

「あっ、分かりみ」

「いや否定はしませんけど……」尤もどちらかといえばラ・サンチャの騎士の同類パリエンテだ。

「じゃあ今度からプリンセス・バブルガムね」

「いいですけど何です、ピーチ姫みたいなゲームのキャラですか?」中南米ではそのままスイーツ姫ドゥルセ・プリンセーサと呼ばれるキャンディー王国の統治者ゴベルナンテ・デル・ドゥルセ・レーイノである。[訳註:米カートゥン・ネットワーク製作の慢動画『アドベンチャー・タイム』の中心的女性登場人物にして大金持ちの変態科学者。同作が日本で最初に放送されたのは二〇一二年だが、二〇一五年三月からは地上波での放送も開始された。尚、女性形のgobernantaは上流家庭の家政婦長や宿泊施設の客室部門責任者を指す為、女性である場合もgobernante或いはgobernadoraと呼ばれる]

「ひっで、さっきは泡姫って呼ぶなとか命令しといてうちの姫部長はいいっての?」

「お前も細かいこと憶えてんな!」

「ババちゃんバブルガムのバブルは風船だから」[訳註:西語でも《風船噛飴チークレ・グローボ》]

「じゃあ何ですか、ダッチワイフってこと?――痛っ」

「ビックリした……年下の口からダッチワイフとか初めて聞いたぞ」我々にとってはトルデシーリャスの女王の口以来二日振りだ。[訳註:第二十章参照]

「もう……何百万人いるか知らないけど全オランダの既婚女性に謝りなさい」悪意はないとはいえ自己に対する不敬の罪デリート・デ・レサ・マヘスタッよりも、九千粁離れた王国の臣民の名誉を気遣うエル・トボソの姫君……八十年戦争の折に彼女が国を治めていたならば、ウェストファリア条約とて十九世紀の英国紳士カバジェーロ・ビクトリアーノデヴィッド・ニーヴンとその従者ス・スィルビエンテカンティンフラスが地球を一周している間[訳註:八十日間]に締結できていたことだろうに!

「ソーリー、ナウウィーアートモダッチ」オランダは徳川幕府が二百年以上に渡る鎖国体制を敷いて来た江戸時代に於いて、唯一交易が許されていた国家である。つまらぬことで日蘭関係を損ねるのは芳しくなかろう。「じゃあ《だっちゃ》ってのはオランダ方言?」

「アレは佐渡ヶ島だか鬼ヶ島だかじゃなかったっけ?」[訳註:漫画『うる星やつら』の作者・高橋留美子は、主人公の鬼娘ラムの語尾は自身の郷里である新潟ではなく仙台弁から借用したものだと後に語っている]

「鬼とかサディストだったら」無駄話を早々に切り上げようと、ドゥルシネーアが三人を追い立てる。「――勇敢なる蜂の騎士様に退治していただかなくちゃですけど、チヨちゃんお城からはまだ連絡ないんだよね?」

「ウンともドスンとも、トレスンとも」流石は進級を控えた中学三年生! もう数字を三まで数えられるとは![訳註:西un, dos, tres...《いち、にっ、さん……》]

「しょうがない」嘆息するエル・トボソ。「暫くは任せておきましょう」

「ん?――運を天に?」

「……まあそんなとこ」外国人観光客も多いのだろう、そこかしこで英語や秦語が飛び交っている。ドゥルシネーアは携帯画面を瞥見し時刻を確認した。「じゃあ半……じゃ時間ないか、四十五分に入り口で集合くらいにします?」

「いんじゃない?」

「異議なさ」仮令ここが二十四時間営業の激安の密林フーングラ・スペルバラータだとて、昨晩から十数時間に渡って宝探しをしたり掘り出し物アジャースゴの武具を渉猟したりなどという酔狂もおるまいが……「電話掛かってきたら姫には即お知らせしますので」

「お願いします」

 地上十数階に及ぶ[訳註:但し総合量販店の店舗は四階まで]風見の塔トーレ・デ・ヒラールダ――人鳥風情に風見鶏ベレータ・デ・ガジョのような風を読む才があるかは心許ないけれど、昼夜問わず不眠症のドン・ドンペンの鼻が商機を嗅ぎ分けられぬ道理もあるまい――にしてその内部を四千匹の猫が行き交う《殿堂》の入り口にて、半坐千代とその一行は三十分先の再会を約してから一旦散開したのだった。


嗚呼賢明なる読者の皆さんは信じてくれますでしょうか?、もし筆者が傷を負った鳥アベ・コン・ダーニョなどでなければ――余が今抓んでいるヒマワリの種ピーパス・デ・ヒラソールとペコちゃ……ミス・パロミータの純潔に誓って[訳註:鳩の餌だから小鳩嬢ミス・パロミータ? イスパニアへの旅行経験を持つ日本人のあるあるに、偶然口にした乾燥ヒマワリの種ピーパス・デ・ヒラソール・トスターダスの包装に描かれた《金髪のペコちゃん》に驚くというものがある。販売しているチュルーカ社は不二家から意匠の使用許諾を得ている訳でもなく、それどころか勝手に商標登録すら済ませてしまっており明らかな剽窃プラーヒオに見える一方で、地理的に競合しないこともあってか取り締まるのが難しいのだとか。尚、向日葵ヒラソールの語源は日本語と同様に《太陽に沿って回る花フロール・ケ・ヒーラ・スィギエンド・エル・ソル》であろう]――名古屋までの一万粁をひとっ飛びしてでも「これ以上車輪を空転させるなマス・バーレ・ケ・ノ・アガーイス・マス・ヒラール・ラス・ルエーダス[訳註:《無駄なことをするな》の意。長丁場の自転車紀行と観覧車にて時間を空費した直後である点に留意されたい]」と少女たちに忠告したでしょう!――というのも仮に彼女らが塔の天辺まで踏破し、悪魔の塔トーレ・デル・ディアーブロの最上階で待つ魔王レイ・デモーニオを討伐したところで、ドニャ・キホーテの花弁は疎か薄翅アラ・メンブラノーサの一枚すらも持って帰ることは叶わぬのだから。

 ところで人鳥ピングイーノには羅甸語起源説イポーテスィス・デ・ウン・ポスィーブレ・オリヘン・ラティーノもあるそうで、それに拠れば元の単語は《肥満ピングウィス》――つまり極寒の地でも耐え得る太った身体クエールポ・ゴルドが由来なのだと謂う。ヒョロ長くアルト・イ・デルガード、寧ろ骨張ったウエスード老騎士の名を冠した企業のファチャーダにしては如何にも皮肉イローニコ――興味深いことに日本語ではこれを《皮と肉ピエール・イ・カールネ》と書く――ではないか?

 尤も巨大企業メガエンプレーサとしての飽くなき成長クレシミエント・インサシアーブレを、ドン・キホーテの――その脳が作り出した風車の巨人の規模すらも越えて――留まることなく肥大する妄想と彼が世界中に拡散せしめた文学史に於ける普遍的影響に敷衍して論じることも又、可能なのである。(便乗するようだが、無軌道にディスィパダメンテ増え続ける本稿の章数についても右に同じくイーデム謹んでウミルデメンテ加筆しておこう)

 皮と肉といえば、古代中国の五行思想テオリーア・デ・ウースィンではそれぞれが白き金属メタル・ブランコ黄色の土ティエーラ・アマリージャ、そして金星と土星に対応していると謂うが、成る程これなどはエル・トボソの美神ベーヌスと大ミコミコーンの肉欲的で気難しい暴君ティラーナ・カルナール・イ・サトゥルニーナに相応しい表象かも知れぬ。

 それでは次章からは――これももし可能であればだけれど――紅き炎フエーゴ・エスカルラータの如く燃え盛る血潮に衝き動かされて此の地へと至ったラ・サンチャの痩せた騎士が、蒼き水アーグア・アスラーダばかり飲んでいる内に骨だけのように細くなってしまった無二の従士と袂を分かって何処で何をしているのかをもう少し追ってみることとしよう。[訳註:単純に主従の持つ紅玉と蒼玉の吊るし玉が発想の元なのだろうが、五元素シンコ・エレメントスと対応する五色および五機能フンシオーネスは《木・青・筋/火・赤・血/土・黄・肉/金・白・皮/水・黒・骨》を基幹とした分類が正しい]

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