第30章 ペニンポリに拠れば語られる事どもの最中にサンチョ・ハンザはテバサキを食さぬが、そうであったとて、お前の肩の重荷は軽くなるであろう
LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA
清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ
Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.
POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM
A Prof. Lilavach
Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.
Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).
第三十章
ペニンポーリに拠れば語られる事どもの最中にサンチョ・ハンザはテバサキを食さぬが、
そうであったとて、お前の肩の重荷は軽くなるであろう
Capítulo XXX.
De cosas en las que dice Penimpoli que le avinieron a Sancho Hanza sin comer tevasaquís;
pero aun así, te vas a quitar un gran peso de encima.
[訳註:《
此度の花の事例には当て嵌まらない≒千代に向けての言である点にご留意願いたい]
Zum zum zum, la abejita va.[訳註:《スムスムスム、蜂の子が行く》]
この蜂の羽音が日本人の耳には以下のように聴こえるという。
Boom boom boom, bees are buzzing...¡BOOM![訳註:
読者諸賢の内で怪獣映画に親しまれた方がおられれば、
又、Bumbiという語感からはbimbo、則ち貧者が連想されよう。《
「あとアレだ、ブンビーさん!」女児慢動画の
「おっ、流石は《蜂の騎士》の家来!」
「なんで?」半坐千代が御子神嬢を振り返ると、見慣れた美相より
「何?」
排気音からして大型貨物車両だろうか――自動車が急制動を踏んだかと思えば、一拍置いて何事もなかったかのように運転を再開したようである。
「――何してんの! 放せっ、放しなさいよぉ!」
興奮した若い女の甲高い叫び声が、数台の四頭立てが行き交う往来を挟んでこちら側にまで届いてくる……一体何事か?
「な、何ぞ?」千代さん以外の三人の少女も北側を向いて様子を窺った。
「ちょっ、行ってきます!」
「えっ、おい!」
「そこで待っててください!」
信号が青に変わるやそう云い捨てて単騎横断歩道を駆け抜けていった猫の従士の背中を呆気に取られながら見送った残りの三人は、余りに唐突な出来事にその場を動けなかったのか、若しくは人混みに紛れて仲間の行方を見失ってしまったが故か、或いは追い掛ける前に赤信号が点ってしまったからか、いずれにせよ陽光を遮ってくれる南側の建物から飛び出た炎天下の歩道の上に為す術もなく取り残されてしまった。
日本人といえば慎ましく温和で礼儀を弁えた国民性を思い浮かべる方も少なくないと思うが、我々がひとり残らず陽気で情熱的ではないのと同じく――尤もこれは観光立国としての
「放してますよ、放してますから叩かないでください」
「アリアこっち! ママの後ろ来なさい早く!」母親と思しき女が手首を強引に掴んで引き戻したものだから、
「――いや、撮ってないです」徐々に声が近付いてくる。[訳註:無論実際に近付いているのは横断歩道を走る千代の方である]
「撮るならこいつだけ撮んなさいよ! うちら被害者なんだから!……早く通報――」
「ちょっ――っと、待ってください!」
「何よアンタ」
「ちょ……うっ」大きく咳き込むラ・サンチャの従士。柄にもなく全力疾走したのが仇となったか。「あと、二秒……待ってくだ――」
「二秒も待てないわよ」業を煮やした母親は片手に持っていた携帯を突付きながら以下に続けた。「携帯からでもイチイチゼロでいいのよね……アナタそいつ捕まえといて、逃げないように」
「……逃げませんよ別に」
「こっち向きなさいよ、向けよ!」
「老婆心ながらご忠告申し上げますが……」漸く呼吸を整えた千代が口を開く。「恥をかきたくなけりゃその電話は切った方がよろしいかと」
「は?……あっちょっと待ってて」緊急事態を想定し身構えていただろう
「ほら、野次馬は散った散った。信号変わっちゃいますよ」どちらに肩入れするでもなく、恰も液晶画面内で再生される動画の中の
「ちょっと、証人なんだから誰か残ってよ!」
「そりゃま弥次さんも江戸じゃ商人だったかもしれませんが、」未読の『東海道中膝栗毛』の梗概を、
「伊勢と変態と何の関係があるんだよ?――てかお前誰だよ?」
「そりゃまエビだのカニだのは変態してくれなきゃうちらも食べれないし困るじゃないですか――お前?」フィロソーマ幼生がプエルルス幼生に変態したところで、我々の食卓に並ぶまでには更なる成長を待たねばならぬだろう!「私は通りすがりの……何だろ、天秤の騎士の従者ですけども」
「は?」
「騎士としちゃまだ叙任前なもんで切った張ったはごめんですが、いざこざの仲裁に関しちゃ家来の方が優れてるってこともあるみたいでして」千代はミコミコーナとの邂逅[訳註:第十章参照]を思い出しながら心なしか胸を張って答えた。「とりまこの人も逃げないとおっしゃってますし、その電話は一度お切りになった方が――」
突然割り込んできた第三者の口上に何やら混乱した母親が、怒りに任せて通話終了印を押したらしい。自分から掛けておきながら
「……ありがとうございます」
「赤の他人でしょ? 口出ししないでくれます?」幾分落ち着いたか、語気も大分和らいだ感がある。
「はァまァ、赤が青に変わるまで突っ立ってた他人って点では私もお母さんもこの人も同じだと思うんですけど……義を見てせざるはセザールというか、見ざる聞かざる言わざーると申しましょうか……」ふと置き去りにした三人を行き交う自動車の隙間に見透かしながらも、従士の口は休むことなく回り続けた。「あ、メガネザール何撮ってやがんだ――いや、多分この場で白黒付けられる証人は私だけな気もしたので、出しゃばりは無用と思いつつも致し方なく」
「じゃあいいから白黒付けてみなさいよ」子どもは相変わらず大声で泣いたままだが放ったらかしだ。「黒かったらアナタも突き出してやるから」
「こわ……では遠慮なく。えっとお子さんを見て何か変わったとこはありませんか?」
「は?――アンタこいつに何か付けられたの?」ここで漸くしゃがみ込んだ母親が、娘の衣服を
「いや、まァ流石にそろそろお子さんの鼻水とヨダレは拭いて上げた方が……」
「あっ、そいやアンタさっきイケメン武将にもらった風船は?」
すると女児は一旦泣き止むや、鼻を啜りながら「あ」と言った。
「それなら恐らくあそこに漂ってるのが――」従士は南の空を指差す。
「「あ」」親子が声を揃えた――と、折角貰った風船が手の届かぬところへと飛んでいってしまったことに漸く思い当たった女児が、今度は急激に襲いくる喪失感に背中を押され、堰を切った水車のように涙を零し始めた。
「もううるさいなあ、アリアが放すからでしょう?」道理を説いたところで泣く子を黙らせる用は為さぬだろう。「また貰ったげるから……で、風船が飛んでくのとロリコンが抱きつくのに何の関係があんのよ?」
「いや別にこの人がロリコンという訳ではなくて――」千代は一旦振り返り、《
「違いますよ」
「そもそもロリコンってこんなちっちゃい子も守備範囲内なんですか?」
「……それは自称ロリコンの方に訊いてください」男は何か疚しいことでもあるのか顔を背けながら答えた。
「そりゃそうだ」前方に向き直る猫の従士。「とにかくこの人がマリアちゃん?に抱きついて――抱き止めて?いたのはロリコンだからではないということが云いたかったわけで」
「全然話が繋がってないんだけど」苛立たしげに返答する若い母親。
「ツナ缶もサバ缶も好きですがねえ」従士は溜息を漏らした。「人を裁かんと欲するなら最低限検証せねばなんないことがありますでしょ。手に持ってた風船が風に飛ばされたらちっちゃい子どもはどうします普通?」
「はあ? 何もしないわよ。追い掛けりゃいいでしょ」
「車が通りゃ風も起こるでしょうしね。じゃあ目の前で子どもが急に、ガンガン車走ってる車道に飛び出したらどうしますかね、普通……人として」
女は一転して押し黙った。
「……向こう側から見えた感じだと、信号待ちしてた人たちはほぼ全員――この人を除いて――自分の携帯に目が行っていましたから、風船が飛んでったのもその子が飛び出したのも気付かなかったんでしょう。お母さんも含め」子供とは目の高さが違うとはいえ、宙に浮かんでいた風船の動きすら目に入らなかったとすれば
母親は歯噛みしているのか何も言い返さなかった。
「その点この
「ちっちゃい子が車道側に立ってたらヒヤヒヤして何か見ちゃうでしょ」男が自分の弁護人に対して弁解を加えつつ、懐中から携帯端末を取り出して言った。「それに別に四六時中これをいじってなきゃいけない法律もないでしょうよ。そうじゃなくても充電すぐ切れますし」
「――だそうです」……半坐千代に弁護士は向いていない?[訳註:第二十六章の御子神の科白より]
母親は無言のまま子供の手を引いてその場を立ち去った。一巡見送った青信号が再び点いたからか、単に居た堪れなくなり一刻も早くその場を離れたかった為に予定とは別の経路を取って何処か行先を目指すことにしたからなのかは不明だけれど、筆者がそのような状況を思い描くことを可能にしたのは徐々に小さくなっていくあの
そうして北側の歩道には猫の従士と見知らぬ若い男だけが残った。
「あらら、お礼も謝罪もなしかよ」
「どなた様かは存じませんが」嘆息する少女を前に会釈する男。「――お陰様で命拾いしました」
「は?――ああいえいえ、私がしゃしゃり出んでもご自分で説明すりゃ済んでたんでしょうけども、何だか他人のいざこざに首を突っ込むくせが付いたのか何なのか……」
「はは、あそこで俺が何言ったって誰も信じなかったでしょう。あのママさんの剣幕を前にしちゃあ」事実を説いたところで我を忘れて怒る母親を納得させる用は為さぬ。「その、猫の従士?さんの説得がなかったらあのまま公衆の面前で袋叩きにあってた筈ですよ」
「まァ説得が通じなかったらその場でお兄さんが切腹すりゃいいわけですし」
「……切腹するくらいなら無実の罪を被っておとなしくお縄に付きますよ」
「そりゃそうだ」
「ああ、命の恩人に何かお礼をしませんと」
「え、いやいやお礼だのオレオレだのは間に合ってますから。お気持ちだけで」そう云ってから今や太陽の中に吸い込まれてしまった風船の行方に気を取られた千代は、次いで遠くの赤信号とその下で携帯を構えている同胞を見比べる。「――まだ撮っていやがる」
「何が?」
「――お気持ちも結構ですわ。私も実はですね、散々野宿させられたんで家のない方々の気持ちは分かってるつもりです……信号変わったら行きますね、人を待たせてますので」
「そうですか、お時間取らせました。それにしても――」若者も横断歩道の向こうを見渡しながら、尚も感嘆の声で続けた。「さっきの橋の人たちといい、世の中まだまだ捨てたもんじゃないね」
「端の人? 盗み撮りしてた奴ですか?」
「端っこの奴ではなくて、……俺は今向こうから来たんですが、あっちにちっちゃい橋が架かってて、なんか川に落ちそうになってる男の人を引っ張り上げようとしてたみたいで」
「名古屋意外とあちこちで事件が同時多発する街なんすねえ……大丈夫かなあ」千代は事件がなければ自ら起こす主人を憂いつつもその身を案じるのだった。「つって冒険よかマシだが――でお兄さんは落ちそうになってたのが幼女じゃなかったので助けなかったと?」
「もういいですよそれは。あんな狭いとこに三人も居ちゃ寧ろ邪魔だっただろうしね……今度から相手が子供だった時の救助は別の方にお任せすることにしますから」地獄への道が
「え、あっはいアディオスアミーゴ」
「それと俺は別にホームレスじゃないですよ。こんなカッコしてるのが悪いんだけど」
「あっそうなんだ、ごめんなさい」
「いえいえ、ありがとうございました」
存外洒落の通じる男であった。
「……ん? お前も渡らんのかい」
「サンチョさーん」すると携帯を向けながら駆けてくる床屋の娘。ことが済んだと見計らって様子を見に駆け付けたというところか。「――チョ、知り合いだったん?」
「全然レッド、つか盗撮やめろし。カメコかよ一発レッドカードだぞ」
「いやなんか揉めてるっぽかったから、裁判になったら使えると思って」
「示談だよジネディーヌ、証拠とかもう要らん」従士がニコの携帯の
「お前がやめい」後を追ってきたミコミコーナが猫の額に手刀を打ち下ろす。「何かあのお母さんめっちゃキレてたけど、何があったんだ?」
「ミコ姉さんジネジーヌ・ジダンて何した人だっけ?」
「は? 頭突きだろ、一発退場」二〇〇六年世界杯決勝のイタリア戦は、筆者も受像機で観戦しながら爆笑したのを憶えている。これは想像だが、日本人の多くは彼のことを/zizu/ではなく/zizo/と呼んだことだろう。[訳註:元フランス代表の蹴球選手ジダンの愛称が
「レスラー?」それまで執拗に映写機を向けていたカメコメコーナは素直に録画停止釦を押すと、携帯端末を衣類の隠しに収めた。「頭突きは眼鏡が危ないので」
「あのヒゲは一体……」ドゥルシネーアが既に数十米は離れているだろう男の後ろ姿を目で追いながら呟く。
「あれ、お姫は男子の髭ダメな姫?」
「え?――いや髭自体は全然いいんですけど」一旦自分の携帯電話を取り出して、その液晶に向け人差し指を伸ばしたエル・トボソの姫君ではあったものの、結局は頭を振ってそれを懐に戻すのだった。「まあいいか……後で」
「ヤバそうだったらお巡りさん呼んでくりゃ良かったのに」エティオピーアの王位継承者は来た道を振り返りながら、
「近……危なかったな」実際警察沙汰にはしたくなかったのである。しかも本当に他人事だったのだから。「ん~」
「どうしたの?」口吻を尖らせて唸る千代にドゥルシネーアが問い掛けた。
「変な顔して」
「四つ目は黙って通ってろ!」[訳註:「¡Cállate y pasa, Cuatro ojos!」]
「ど、どういう返し?」独りだけ横断歩道を渡り直して南側に戻れということか?
「――いや失礼。さっきの髭男子なんですが、あっちの橋から来たっつってたのにこっち向いて信号待ってるっておかしくないですか?」
「……たしかに」
「別に気が変わったとか、ボーッと歩ってたら目的地を通り過ぎてたとか色々あり得るんじゃね?」それならそれで、携帯でも使って道を調べていて良さそうなものだが。「まァサンチョがうちらを灼熱地獄に放置して何に首突っ込んでたかはこれから尋問するとして、とりまこれ以上さんさんさん太陽の光に晒され続けるのは無理っす」
「右にセイム」
「あっこから降りれば新宿の地下街みたくなってて向こうにも行けんじゃね?」二本の主要道路の交差点と接する歩道の角にポッカリと口を開いた、大樹の根を辿って降りれば
「えっだったらホテル出た時点で降りるべきだったんでは?」そもそも少女たちは暫くの間――ドニャ・キホーテやエステ家のふたりが下っていった――その穴の傍らに
「だったらメガネだけ陽の当たる道を歩けばいいだろ!」
「そりゃないぜセニョリータ」陽光に反射する眼鏡と同調するように煌めく汗を拭いながら、馬場久仁子が女子大生の後を追って暗穴の中に消える。
「ん~?」
「ほら、チヨちゃん行こ」まだひとり首を傾げている従者に主人の想い姫が呼び掛けた。
「あっはい、シーセニョーラ」
以上の経緯でコリントの
半坐千代が階段を下り切ると、ミコミコーナとメコメコーナが腕組みしながら駅改札を通過する疎らな人の群れを睨み付けていた。
「地下鉄だけかよ」嘆息する御子神。「桜通線つうからには東西に伸びてんだろうが……別に目的地もないのに電車乗んのもな」
「山手線みたくグルグル周ってんなら涼みながら時間潰すって手もありやすぜ旦那」[訳註:市内で環状線の構造を取っているのは名城線で、桜通線からの乗り換えとなるとふたつ先の久屋大通駅まで移動する必要がある]
「若ェもんは時間が無限にあると思っていやがる!」折角新幹線まで使って遥々やって来たのに、地上を観光しようという意気込みすらないようだ。「とりあえずメガネドラッキュラはあっちに地下通路続いてんかどうか確かめてきなよ」
「何でドラッキュラ?」
「えだっておばあちゃんのなけなしの年金を吸い付くそうとしてただろ」
「やだからそれは慈しみの心ですやん……」
「だが断る」
「ドラ娘の方は向こう戻ったら別ルートあるかどうか見てきたもれ」ミコは西側を指すと、恰も自国の家臣であるかのように指示した。「グルっと回って来れっかもだし」
「あらあらミコミコン王国に専制君主の誕生だこれ」
「私も行きましょうか?」
「いや部長が来るならウチの方でしょちょっと!」
「姫、お立場をお弁えくだされ」
「でもチヨちゃんさっき走ってましたしお疲れだろうから」
「大丈夫っすよドニャ・アンドゥルシネア。秒で帰ってきますんで」
「それじゃ……お願いします」
「いてらー」
「いやお前もだぞ。はよ行けや」
先刻とは異なり緊急性はなかったので全速力というわけではないのもの、猫の従士は持ち前の身軽さで小走りに地下鉄の通路を駆け抜けた。
「やっぱ出口しかねえわ」多少頬が上気したくらいで息切れするほどに鼓動を早めるには至らなかったとみえ、ユニモールの東側終点を一通り見渡すや直ぐに踵を返す千代さん。
「おっ早い、でも
「そりゃミコ殿下は苦しゅうないでしょうよ……つうかそちらの姫君ならともかく、ミコミコーナと私の間にゃ別に真っ当な主従関係は結ばれておらんはずなんですが」従士がそう云うのも、
「うん知ってた」
「ひでえ」
「お疲れ様でした。お茶飲みな」
「メルシープリンセス。私は姫の治める国に住みたいです」猫の従士は恨みがましい視線をギネアの王女に送りながら付け加えた。「こんな冷酷無比な青の他人の暴君じゃなく」
「うっせえなジダンすんぞ!」
「ぼっ、暴君ネロネローナ!」咄嗟にネクロカブリーオの兜を頭に乗せる千代さん。「パリにお帰りください」
「ジダンってマドリードじゃなかったっけ?」生まれはマルセイユである。「そいや赤の他人ってフラ語で何ていうの?」
「えっ私フランス語取ってないんですけど……えっと、ランジェ――ルージュ、とか?」それでは
「洒落とるね。で、そのエトランジェ・ルージュで青髭のおっさんとヒステリックブルーの子連れママとは何やってたん?」
「バルブ・ブル……
「たしかにヴェルサイユとかヴェルサーチってカッコじゃありませんでしたが、アレはジジイと見せかけて意外と若そうでしたよ」
「訊いてないけど。つか今の子供にもヒッピーとか通じるのか」
「ご主人様のお馬とも相性の良さげなお名前ですしね」これは安藤嬢の言う通りで、長たらしく
「いやちょっとした誤解を、静岡以来の岡目八目で解いて差し上げた次第でして」
「お前ほんとことわざとか好きな」年寄り染みた若年の口振りに呆れるミコミコーナだったものの、彼女が駿府城下で風呂に有り付けたのが偏にその
「たっだいま戻りま――っした!」そこにメコメコーナが駆け込んでくる。
「そしてこいつが
「えっ何て?」息を整える為に口を尖らせて深呼吸する小猿の従者。「何か左に行くとエレベーターでまっすぐ行って階段上ったら普通にさっきのとこから高速の下潜って渡ったとこに出ました」
「うん知ってた」
「ひでえ」
「いや書いてあるし」改札を出て掲示が無ければ駅の利用者も不自由だろう。「じゃあまあしゃあないから3番から出てみっか……今からまた(原註:名古屋の中央)駅の方に引き返すのもな。いい?」
「お任せします」
結局一行は地下鉄を素通りし、ニコが確認したのとは別の出口を目指して尚も行進を再開した。
「――で? いくらオカメは沈黙つっても無言のままじゃ伝わらないんだが。うちらテレパスじゃねんだから」
「えっ、ああ……いや誰がオカメだよ」
「何何、オカマの話?」馬場嬢が両者の間に割って入ると、今度は部活の先輩の顔を覗き込み訊ねた。「オカマ仲間?」
「うっ、まだその設定生きてたんだ……」メルリンによる性転換の呪詛[訳註:第二十五章では千代が思い付きで口から出任せを重ねた為、安藤嬢の姿が誰の眼に髭の男性と映っているのか結局よく分からないままとなっている]については設定が複雑すぎて最早筆者も把握できておらぬ。これではアンデルセン――若しくはドン・フアン・マヌエル――の記した『
「マカオのオッカッマッ!」
「いやそんなパジャマでおじゃまみたく言われましても[訳註:《
「あっそだ、ホテルのお礼云わんと……流石にホテル代まで払ってもらってたらマズいですよね――あべっ」蝋版を手にして従士が固まった。「充電切れてたから連絡先訊いてなかったわ。ミコさん銭湯の更衣室に私充電器忘れてました?」
「え~、ドライヤーとかに紛れてたんじゃねえの? 自分で管理しなさいよ」
「あっそれはありえる、かも……驚きの白さ」
「教えよっか」
「おっ、お願えしますだ」御子神から差し出された端末に表示される電話番号を横目に、地上へと繋がる階段の下で携帯画面上の数字を十数桁押下した千代だったが、――
「しないん?」
「……何らかの成果が報告できるようになってから、かな?」
「成果?」
「うおあっちぃ!」
いざ
「日陰あるだけなんぼかマシだな」コスタリカでは《
「異議なーし」
「あ、どうせだったら」千代が枝道を指して云った。「――こっち通っていいすか」
「ん、いんじゃない? 車うるせーしな」
「さっきからミコさん塩過ぎる!」
「いや別に名古屋は好きよ?」ここぞとばかりにドゥルシネーアの肩を抱き権勢を誇示するミコミコーナ。「それに甘い物食べた後は塩っぱいもん食いたくなるでございましょ」
「そ、そんな乙女を太めにジョブチェンジさせる悪魔の無限ループが果たして許されるというのか」従士が主人の恋人に引っ付く王女の袖を掴んで引き剥がしに掛かる。「いいから離れなさいよこの熟れ過ぎ謙信が」
「いやん、じゃあ姫は差し詰め黒蜜きなこの信玄餅やな」成る程甘い餅とて
「こんな敵の傷口に塩を送り込むような残忍極まる次期アフリカンクイーンなんぞに……我らが蜜溢るる約束の餅肌を嫁に出すことは出来ませんな!」
「色々と混ざっとるやんけ……しかし蜜あふるるとかお前も大概だわ」
「ソルティードラゴンなんか側に居ない方がこの方のしおらしさもひとしおです」
「な~にがひとしおか。お前は三茶の化け猫らしくソルティードッグでも舐めとれ」
「いいだろう猫なめしてやるから持って来いにゃそのソルティードッグとやらを」
「駄目ですよ未成年にそんな……ギルティーキャットになっちゃうよ」
「ほう、ギルティーは罪の味というヤツですな」
「つまりお茶摘みというヤツですな」けだし印度で愛飲されるという
「口を開けばマーライオン
「何そのいちご大福みたいな新種のスイーツショップは」
「苺摘みでもスター宮でもいいけどいい加減うちの可愛い部長を言葉で辱めるのはお止めくださいよ」
「えっ私辱められてた?」
「ウチはプリパラ派閥ですがね」
「恥ずかしいのはお前だろ」御子神が千代に耳打ちするような素振りを見せつつ、わざと大声で以下に続けた。「あいつが噂のプリパラおばさんじゃないの? 幼女先輩の邪魔にならんようにサンチョがゲーセンでちゃんと監視せんとだぞ?」
「アイツといえば――」
「会津?――誰?」
「いや違った、伊豆だ。伊豆の踊り子」
「踊り子ってオカマくらいしか思い付かんが。アレを男の娘と呼んでいいのか……」単純に
「あ、うん。泊めてもらった」
「本籍までは知らん……つか電話だけで会ってはないぞ」
「でしょうね。で舎弟さん住んでんのどこでしたっけ?」
「それは焼津」似た地名が多くてなかなか憶えられないようだ。「ハンザさん地理ヤバいんじゃないの~、むしろ赤点じゃない教科って何?」
「あっ、だから焼き茄子だったか」[訳註:第十二章の《焼津のナスヴィー》を参照]
「ナス?」
「嫁に食わすな」
「チリの首都はたしかパーマでしょ」とニコ。
「こいつご覧の通りアホのアヒージョなのに赤点ないんすよ」
「マイアヒ~ジョ!」
「詐欺師だし要領がいいんだろ。点の代りに臀部は赤いんだろうし」繰り返しになるが、ニホンザルの尻は赤いのである。「赤点は何ていうの、フラ語で?」
「また……ポワン・ルージュ?」フランス語の授業を取っていない割には反射的に回答してくれる博識なドゥルシネーア。「いやエリミナトワ……ノットゥ・エリミナ――自分で調べてください」
「いや私赤点じゃないし――で舎弟がどうしたって?」
「やっだから元気にしてらしたのかと……あの後お泊りだったんですよね?」
「えっミコ姉さんの彼氏ですか? ムコムコーナ?」
「枯れて死んではいたけど別にあーしんじゃねえから」
「うっそ身体壊してたってこと?」
「しおしおのおじいちゃんなん?」耳年増なる床屋の娘の脳裡には恐らく、扇情的な女学生が若い身空で老いらくの大学教授を誑し込み、落としそうな単位に
「一個下かな。基本引きこもりだから」
「死んだの?」
「いや猫じゃねえし」飼い猫は死の間際に飼い主の元から姿を消すという
「そういや旅行とか言ってましたもんね」
「居ない間は勝手に使っていいって言ってたから帰り皆で寄ってけば?」復路も自転車であった場合、これはかなり有難き申し出となろう。無論それでは千佳夫人に課せられた三日後の夏期講習には到底間に合うまいが。
「いい人っすね」
「でもミコミコのいい人ではないんでしょ? なのに同棲してんの?」
「同棲じゃねってばよどうやってあっこから学校通うんだ」静岡で新幹線に乗り換えても二時間以上は要する筈だ。「奴もゼミとかない時に、実家の誰かが持ってるマンションに蟄居する為だけに借りてんだけで普段は東京住んどるぞ。ほらコミュ障こじらせてるから」
「人に会いたくなくてわざわざ人里離れた村に閉じ籠もってんのにそこにわざわざ押し掛けてって上がり込んで、しかも別にエロい関係でもないとか最悪ですな」
「舎弟ってそんなもんでしょう」
「いや別にご本人が僕は貴女の舎弟ですって認めてるわけじゃないっしょミコさんが勝手に認定してるだけで」
「自分で言ってる方がキモいだろ!」
「しかもこの人人ん家で全裸で歩き回ってるらしいんすよ」トルデシーリャスで一宿したカスティーリャ女王の屋敷の中では自ら
「全裸じゃねえよ!」
「痴女や、痴女がここにおる」大学生の
「女子校の教室だって似たようなもんだろが。お互いに男除け女除けになるから持ちつ持たれつなんだよ」
「ミコセンは男も好きなんでしょ? 彼氏居ると思われたらいい男を釣り逃すんじゃ」
「じゃあいい男出せよ!」いちいち
「布教はしませんよもったいない……つか」この話題を振ったそもそもの理由を思い出すや、千代は早速核心を突いた質問を繰り出した。「つまり舎弟さんはミコミコーナのバデーにもハートにも全く興味ない?」
「ないだろう……あちしもないし。たしかに顔は可愛いけどだったら可愛い女の子のがいいしな」パロミは逞しい
ギネアの王女が振り返ると、――動物的本能が危険を察知したのか――ドゥルシネーアは先頭から
ミコミコーナは諸手を上げて
「ハートがブロークンだぜ……」大仰に空を仰ぐ。「そんで前に成城の奴のアパートの合鍵を掻っ払ってたんだけど」
「このパーティー前科者多いな」
「飲み会の後、家まで帰るの面倒でそいつん家近かったから行ったのよ深夜に」
「ヨバーイ」
「で鍵開けて入ったらそいつシャワー浴びててよ」
「ちょっと待て舎弟さんはその飲み会出てなかったのかよ」
「来るわけないじゃん人付き合い悪いのよ」
「それなのに押し掛けるとか厚かまし過ぎる……」静岡ではその厚かましい人間に世話になったのだから、千代さんも
「タシーロかよ」タシーロとは
「タシロって出っ歯だっけ?」
「ヒゲだろたしか」焼津のアドニスであれば、顔には髭や
「えっ、お昼カツ丼の流れ?」カツ丼とは
「でこっちもそのままベッドインしたいのを堪えて……ホラ一応女子だからさ、酔っ払ってるしとりまえず化粧落として汗流したいしでそのまま服脱いで、気付かずというか気にせず風呂場入ったわけ」
「一応女子とは!」
「少年漫画のラッキースケベですか?」[訳註:著者は第二章にてlucky scabbyという英語を当てていたが、ここではlucky succubee《幸運な
「その時も頭洗いながら横目で一言正気じゃないとかボヤいただけで別に出てけでもなく目を背けるでもなく普通にスルーされたんで、じゃあいいかと思ってそんまま一緒に湯船浸かったよ」
「うわ……マジじんま」あの
「長く連れ添いすぎてお互い異性と認識できなくなってもはや夜の営みも無くなった夫婦みたいな乾き具合ですな」
「チヨちゃん……」余りにも恥じらいに欠けた会話に
「で、で? 美少年は無反応だったんですか?」好奇心旺盛な
「だから全スルーだったって」
「フィジカル的な意味でも?」
「あ?……ああ、別にガン見はしてないが」ミコミコーナが目を細めたのは
「つまり舎弟さんのクララさんは寝たきり?」
「クララ?」
「いやチヨさんクララは車椅子なんだから寝たきりはおかしいでしょ、まァ眠ったきりならありえるけどフィジカルな、姿勢、体勢という意味では――」
「いやうるせえわ分かったよつまりクララのバカは座ったまま?」
「えっと……なによいくじなし?」
「実はひんぬうの男装女子だったってオチはねえですかい?」
「そんなハナ様じゃあるまいし……ブラブラしてんのくらいは見えてたよ」
「な、なるほど……」千代さんは歩きながら腕組みし、ひとり思索に耽った。「これは脈アリってことなんじゃろか?」
「ばっかチヨさん脈が無いからこそションボリなんでしょうよ」ニコニコーナは
「やめなさいババちゃん」
「アマデっ子は中坊からしてこんなんばっかなんだな……違うわ何だっけ玉すだれ?」
「高島田だろ……いや高島田じゃないけど」[訳註:第十章の《キンブンキン》参照]
「タマシマ――玉もでかくなんの?」
「こいつはエロガキというよりはただ女の腐ったようなクソヲタなので勘弁してあげてください」
「ちっ腐ってやがる……腐海に手を出してはならぬってババ様に教わんなかったのかよ」
「ババ様は俺だが?」
「お前はウンコの方のババだろ」
「何を、リアルババアめ!」
「ふたりともおやめなさい」
「姫、お耳が汚れます」千代はドゥルシネーアの純潔を案じつつ以下に続けた。「別に下ネタというかトマス――じゃない、
「アキッレなんとかじゃなくて?」[訳註:第八章の浜辺での遣り取りを参照のこと。尚、伊語では希神話に於ける俊足の英雄も十六世紀を生きたボローニャ生まれの人文学者も共にAchilleだが、イスパニア語の表記での前者は通常Aquilesと綴られる]
「……アッキ――れた、本当に相思相愛だよこのふたりは」[訳註:アキッレ・ボッキの名を口にし得る女子高生など、花を除けば彼女と以心伝心の仲にある者を置いて他におるまいと、千代はそう考えたのである]
「ボロネーゼって緑のヤツだっけ?」
「何だ緑って」
「赤白緑とかでらイタリア」
「てめえは床屋なんだからでらフランスだろ」日本の理髪店の店頭にも
「賛成!」姿勢良く挙手する床屋の
「もうサンチョには苦味か旨味しか残ってないじゃん」慥かに《
「え、辛辣なチヨさんは辛口じゃねえの?」
「辛いのって味覚じゃなくて痛覚らしいよ」今は不在の恋人に劣らず博識なるドゥルシネーア。「ほら英語でもホットって言うでしょ、温度も皮膚感覚の一種だから」
「なるへそ! たしかに辛いもん食うと体温上がるしね」
「まァ当たらずとも唐辛子という感じで[訳註:「
「いや戦隊物じゃねえし」プリキュアよりも遥かに歴史の長い超戦隊作品群――米国製パワーレンジャーの原作――の系譜に於いては、その多くが赤色を中心とした五人の戦士であり、それぞれに何らかの
「ん? Gって何だっけ?」懲りずに口を挿むメガネザル。「カップ?ショック?」
「Gってそりゃおめえ――ガイ?」
「ゲイだろ」
「ゲイって肉?野菜?」
「ババちゃんゲティスバーグとハンバーグは関係ないよ」
「あっそういうことか。LGBTとBLTも関係ねえぞメガネ、四人組でも三人組でもない」
「いやだって赤白緑の流れかと思って」随分と脂身の多い
「た、頼むからメガネ一分黙ってろ」千代さんの懇願を受け、流石のメガネも口を真一文字に結んだ上、両手の人差し指で
「いやホモっつうかアレは
「ああ……なるほどエーセク、それは大いにあり得ますかね」
「チヨさんエーセクて何?」盟友の一睨に慌てて再び口を覆うニコニコーナ。
「相変わらず物を知らん奴よ……AセクというからにはB地区の上位互換だろうが」……
「何だよB地区の上位互換て」
「えっそりゃ……あ、おしゃぶりとか?」
「何、赤ん坊だから性欲がないってこと?」
「あの御方と卒なく疎通できるのなんざ世界広しといえどアベヒロシくらいのもんですよ」
「ああまァ、奴ならラテン語とかも堪能だしな……」
「Aカップでも母乳って出んの?」
以上に記したような、世界樹というよりは
伝馬橋の上に居たのは
「シケた川だな」流石はエティオピーアからギネアまでを丸々その版図とする大ミコミコーン王国[訳註:鵜呑みにするとアフリカ大陸を横断する広さになってしまうが、セルバンテスは飽くまで双方の内どちらかに位置すると記しているだけ]の
「ここって位置的にお堀から流れてきてるんじゃないですか?」
「オホリって? オカマ掘り?」
「今度下品なこと言ったらお猿さん罰ゲームね」
「つ、ついに部長までが猿呼ばわり!――うちは馬ですて!」
「まあ意馬心猿とも謂いますし」これは
「大体オカマってのはてめえで名乗るもんであって、てめえみたいなカマンベールとブリーチーズの違いも分からんケツの青カビお猿がとやかく言うもんじゃねえんだぜ」たしかに
「いやカマンベールがブルーチーズじゃないくらい知ってますけど」
「そういう些細なことはケツを拭いた紙と一緒に水に流しましょうや……」御子神は足を止めると、欄干に肘を乗せながら下流へと物憂げな視線を向けた。遮蔽物がない分、南北に風が良く通る。
「何故そこで黄昏れる……」程なく対岸へと達しつつあった馬場嬢は足の遅い後続を振り返りボヤいた。「ほら、チヨさんもそんなとこで止まらない」
「――んあ?」
「はよ、日陰あんとこ」
「ここ渡って川沿いにグルっと周ったらホテル引き返すか」反転して手摺に背中を預けたミコミコーナが表決を求める。「北と南どっち周りにする?」
「距離的に大差なくね?」ニコも橋桁の中程まで戻ってきた。「ねえ……チヨさんどした何見てんの?」
「いやなんか……」
「何が結んであんのそれ、シャツか何か?」ミコが横目で問い掛ける。「うわ何ここきったな!……玉子?」
「これもそうなんですけど……」それに応えて視線を落とす猫の従士。
「……携帯?」ドゥルシネーアが足元を覗き込む。
「――が供えてある?」
「こっわ!」女子大生が胸を揺らせて欄干から飛び退いた。
「何何ここ自殺の名所なん?」小猿が長い尻尾を振り振り欄干を伝って寄ってきた。「飛び降り自殺なら普通靴じゃないの? あと遺書」
「それは他人が供えるんじゃなくて本人が揃えてからダイブすんだろ」
「そもそもこっからダイブしても死なんでしょ……道頓堀よかマシっぽいけど」
「でも現代人なら紙じゃなくてスマホのメモアプリってこともあるかもですよ」
「何が?」
「遺書」
「やだこわいこわい、こわいから」存外気の小さいミコミコーナ。嗚呼
「こんな真っ昼間っから地縛霊も自爆テロもないでしょうよ」掛川の寺墓地で明かした夜[訳註:第十二章参照]に王女が同伴していたらさぞや
この時一段と強い川風が乙女たちの長い髪をはためかせたが、それとて不遇のミコミコーナ――彼女はパンダフィランドに簒奪されし失地を回復せんとラ・サンチャの騎士の助力求めて旅する道すがらなのだ――を勇気付けようと、遥か遠き
真っ先に
「か」目を凝らす。「――っぱ?」
東岸の橋の袂に、全身をしとどに濡らした
「何だアイツ……亀の次は出歯河童かよ」眉を吊り上げるアフリカの王女。
「やだこっち見てる。キモ……」
「――はてまさかとは思うが、浜名湖から海伝いに遥々追ってきたのか……?」
「浜名湖?」従士の呟きに反応したミコミコーナ。「さっきのうなぎパイの?」
「パイ……パイといえばミコガミーナのが天然物でなく養殖だったらば――」
「だったらば?」
「シリコン玉として一玉オトリに――痛って!」猫の額が強か打ち据えられたようだ。「ふっ、二玉もあるんだから半分になったらむしろ軽くて王女もお楽でしょうに!」
「一玉二玉ってうどんキホーテかあたしは?」うどんとは
「笑い事じゃないすって」部長のすっと伸びた背にいち早く隠れると、ニコが一同に注意を喚起した。「なんかこっち来たし」
「ああ、あの……」
「姫様、お下がりください」千代は安藤部長を己が背に隠すと、愈々目前にまで迫り来た闖入者の暗く濁った眼を見据えながら以下に続けた。「ミコ姉さんはご婦人と子猿をどこか安全な場所まで」
「なんだって蜂の騎士が居ねえ時に限って妖怪風情と鉢合わせるよ!」そう嘆いたミコミコーナは、隣で猫の従士がネクロカブリーオの兜を目深に被り直し、
「どうなっ――てんだ名古屋は……あの、ちょっと」男は嘔吐いたような音を出してから二度咳き込み、そして然も忌々しそうに舌打ちした。「そこ、いいですか」
「いいですけど一旦止まってください」
「……はい」抗うことなく素直に足を止める。息遣いからも甚く憔悴しているのが窺えた。
「めったくそ汚れてらっしゃるようですけど――」値踏みするかのように目を細めるミコミコーナ。成る程、神にも見放された狂騎士が信仰に通暁しているとは思えぬ訳で、ラムダからBDを除いたくらいがお似合いかも知れぬ。[訳註:BDとは《
「水も滴ってる……」部長の肩から覗く眼鏡。「滴ってますよ姉さん」
「見えてるよ……水にもよるだろうが」
「こっちは?」
「うるせえな蜜あふるるってさっきサンチョもホザいてただろ」
「何この貰い事故感……」《魔術師の手》の剣先が微かにブレる。
「またオカマ?」
「これはそのあの、さっきまでが、崖を……上ってて」業を煮やしたオルラムド[訳註:Orlambdo]が言葉に詰まりながらも割って入った。
「崖ェ?」恐らく年上だろう泥塗れの男が川下からの
「まさかのリアルアイカツおじさん?」
「何でおじさんまで崖登るんだよ」一般的に日本でアイドルカツドウ――
「……あの、いいから、もう――それ俺のシャツだと思うんですけど」手摺に結わえ付けられた布切れを指し示すオルラムド。「どい――どいてもらっていすか?」
状況を鑑みれば
「……ざいます」消え入るような声で形だけの礼を口にしつつ二歩三歩進み出る。「――あ携帯、助かった」
「自分で飛び降りたんですか?」武器は下げぬまま従士が問うた。
「あ?……ああ、あつ、暑かったから」
「いやんなわけねえでしょ、阪神ファンかよ」携帯を拾い上げようと腰を屈めた男を見下ろしながら、ミコミコーナが冷たく言い放つ。「あっ名古屋だからタイガースじゃなくてドラゴンズか」(前者が日本職業野球の中で大阪を、後者が名古屋を
「ああなるなる、ここでさっきのストロベリーとハマグリーの話に繋がんのか!」
「メガネいい加減姫様から離れろよ暑苦しい……何だハマグリーって」
「アサリーだっけ?」
「田舎の子供ねえ……」
「チヨさん頭に皿乗ってる?」
「皿もサラサラヘアーも乗ってねえよ」流石にもう害意はないと見て、従士も孫の手を下ろした。「カッパカパどころかカッピカピやで」[訳註:それぞれ「
「くっそ」どうやら泥に塗れたまま乾いてしまった手指では端末の液晶画面が反応しなかったらしく、オルラムドは一旦それを元の場所に戻し、両掌を脚衣に擦り付け指紋の中までこびり付いた汚れを何とか落とそうと腐心しているようだった。
「はあ……ちょっと指出してみ」見かねた御子神嬢が、持っていた水入りの可塑性瓶の蓋を外して男の前に翳した。
「え?……あ、すみません」迸り出た透明の水で数秒間指先の泥を洗い流す。
「そっちのシャツは汚れてないんでしょ。そっちで拭いたら?」
「ああ、そうすね……あざます」
「いくら暑いったって田舎の清流じゃあるまいし、」
「え?」
「……ん? 三人は要らんってことは」十分足らず前に耳にした
「ふたり!」突然ラムドは欄干に掛けられた手拭いでの乾燥作業を中断するや、背筋を伸ばして橋の東西を見渡した。それこそ外敵を警戒する
「じゃあ違うか……ん?」無い髭を扱く千代さん。
「何ビビッとん?」
「へ?――別にビビってないすけど」否、不味そうな獲物すら手慰みに弄ぶ、如何にも嗜虐的な
「「「「は?」」」」ずっと静観を続けていたエル・トボソですら妙な声を上げずにはおれなかった。
「はって」
「いやおめえ子供が溺れて流されてんのに悠長にシャツ脱いでわざわざここに結んで、しかもご丁寧に携帯までここに置いてから助けに飛び込んだんかよ」
「いや……」
「人間様のガキよかアンドロイドの方が大事ってか」
「ちょっとミコミコーナ」弱い者いじめを見兼ねた猫の従士が長姉の
「それは、だから、暑くて飛び込もうと思ったら――流れてきて」思わず噴き出したドゥルシネーアが、細やかなる咳払いを以て己の不調法を誤魔化した。恐ろしきミコの前では如何なる男も
「そんな余裕あったんなら靴も脱いでけばよかったんじゃないの?」マコマコーナ[訳註:形容詞macoで《狡猾な、悪賢い》]の追及は尚も続く。「片っぽ失くなってんじゃん」
「ですからっ、シャツを脱いで携帯を置いて、さあ靴を脱ごうって思った時に子供が流れてきたから……」
「いや桃太郎じゃねんだから」
「どんぶらこ~どんぶらこ~」ニコが小気味良い合いの手を挿み込む。
「こ――子供の命と、食いもん同列に扱うとか……頭おかしいんじゃないすか?」
「いや桃太郎の桃は子供の命と同等でしょ」
「そりゃそうだ。桃から生まれたからって差別すんなし」
「す……みません」たしかに仮令母体から産み落とされずとも、その子供の人権は保障されて然るべきである。これはこの男の物言いに非があったと言わざるを得まい。
「――で? 子供は?」
「はい?」
「助けた子供はよ、どーした?」
「……母親に、追ってきた母親に、返しましたけど」
「母親ァ?」
「めっちゃ感謝されました。涙ながらに」
「でその母親は涙ながらに感謝しながらその命の恩人が河童みたいな状態にドロドロのズブ濡れになってるの放置して、礼だけ言って去っていったわけ?」
「もうその辺にしときなよぉ」
「キュウリの一本もくれなかったのかね?」
「別に、別に礼とかが欲しくてやったわけじゃ……ねえし」
「ですよねー、情けは人の為ならず」[訳註:《
「為にならないのに助けちゃだめじゃん」聞き手がドニャ・キホーテかドン・ジョヴァンニであれば、ここはヤコブ書の一節で遣り込めたことだろう。[訳註:二章十三節に記された《
「うるせえ黙ってろ」従士は四つ目をやんわりと恫喝し、次いでギアナの王女を押し留めつつ以下に続けた。「桃太郎か桃尻子か知りませんが無事に陸揚げできてよかったじゃないですか、ねえ……こんな黒々しい川じゃおばあさんも洗濯しちゃいねえでしょうし。ささっ、暑いしもう行きましょうや――」
「へっ、やれやれだぜ……これが我等が桃太郎侍ドニャ・キホーテ様だったらば」
「ドッ?」俄に周章をきたすカッパーフィールド。願わくばその場から消え去りたかったことであろう![訳註:便宜上ここでは«Kapparfield»と綴られているが、英語姓Copperfieldの語源は《銅の採掘場》]
「――その桃をあの燃えよ剣で一刀両断するまでもなく、鎧の下に着込んだアエギ――なんだっけ?」
「あ? ああアイギスね」
「――アイギスのギンギラギンのセクスィー水着の魔眼で、中身がオスかメスか、活発な男児か只の河童か見破ったことでしょうよ」ミコは静岡の銭湯で垣間見た花の水着――沼津の殿堂で学士により購われたアテナイの神具――を思い浮かべたが、千代の仮説に拠ればその霊力は水着を脱いだ後も騎士の胸に宿ったままとされる。「まァ蜂の騎士なら携帯も不携帯だし? たとえ下に水着着てても服のまんま人命救助で橋から飛び込んだろうがな」
「なっ」
「そういえば従者さん――」予感が的中した?
「えっ、いや」
――この時、誰かの蝋版が石の上でカタカタと震えた。
各々が自分の持ち物に反応を示したが、ある者は手に持ち又ある者は荷物や
「……出ないんですか?」ここぞとばかりに話題を逸らす
「出ていいの?」
「アナタのなんでしょ?」
「じゃあ」すっかり自尊心を喪失したと思しき借りてきた
「どどした?」
「――うん……ど、どした?」
「いや大丈夫だけど……何て?今から?……まあ? 新幹線飛ばせば?……二三時間では着くと思うけど――」それから男は十数秒「
「暑いし行くか」既に関心を失っているミコミコーナが一同に行軍の再開を促した。声もなく頷く面々……
「あっうん、それは全然……いやちゃんと払うよ、そんなんいいから気にしないで……」
「どっち曲がる?」[訳註:東岸に渡った後、左折して北回りに戻るか右折して南回りに帰るかということ]
「んじゃあ駅着いたら電話すっから……待ってなくていい待ってなくていい、友達も一緒なんでしょ? 何分頃着くって分かったら連絡すっから、駅構内とか近くの喫茶店とかに居てくれればこっちで探して行くから。別に現着でもいいし……うんじゃ、今からすぐ出るから……いいっていいって全然やじゃない、だってもったいなんじゃん余らしたら」
「でも姉さん右はかなり遠そうっすよ」
「じゃ後でね――愛してるよ、エリカ」
「さっぶ」
《乳牛の王女》を先頭とした隊列だけあって行軍速度は相変わらず牛の歩みなのだが、お陰で彼女らだけでなく我々も
「よっしゃぁぁぁあああ!」
突然の奇声に度肝を抜かれ、反射的に橋の中央を振り返る《千代さんと
「よぉおおっし――よしよしっ!」
「な、何だアイツ……」
「怖い」
「ざんみゃあみゃーがれ!」
「……早く行こ」
「えっ、うそ――やばない?」
「イッきまーす!」
河童は手足に
「あやべ」宙空で瞬時に自らの短慮に思い至ったオルランドは、
――
しかしこれは
だが猫の従士は俊敏に駆け出していた。
両手でネクロカブリーオを脱帽しながら大股で二三歩跳ねたかと思えば、手摺からその上半身を大きく乗り出して――
「おっ……おお、入った――あやべっ」
あわや眼下の水上へとつんのめった同胞を、いち早く駆け付けた馬場久仁子が引き上げる。
「ダンケダンケ」
彼の放った一投は
「チヨさん何その反射神経および運動神経は……神経を疑う」
「うん、疑っていいから放せ」従士は収穫された
「ヒビいっとるやん」
「いやこれは最初っから」
「お前行動力凄いな」ミコミコーナも拍手しながら戻ってきた。「本気で世直し考えてるんじゃなかろうな」
「いや、……カシコホンに罪は無いですから」
少女たちの脚線美の遥か下で、川面を叩く耳障りな水音が響く。それから数秒間沈黙が訪れたかと思えば、喘ぐような息継ぎの声が漏れ聞こえてきた。
「それ、川に沈んだと思って探してるんじゃない?」ドゥルシネーア姫の的を射た意見を勘案し、全員で橋の下を覗き見る。
「カッパさーん、携帯無事ですよー!」水飛沫の騒音に向け端末を掲げて見せる従士。「ダメだ、聞こえてねえ……掻っ払ってないですよー!」
「元あったとこに置いとけばいんじゃね? どうせまた戻ってくんだろ」……溺れた子供をもうひとり救助してから。「潜ったところでこんな川、中で目ェ開けらんないだろうにホントにこれ探せてんのかね」
「カッパなら沼とかに棲んでんでしょ。目とか光るんじゃないですか?」
「深海探査艇かよ」千代はそう云って他人の不幸を
一行が替え馬の橋を渡り切る頃には、恰も
人いきれを避けたいという無意識も働いてか、四匹の猫は誰が指示するでもなく自然と橋の袂を右折して、折り返すまでには三倍の距離を歩くであろう南回りの経路を選択した。
「つかあの河童、これからつがいの雌ガッパとその雌ガッパズガールフレンズと会うんだろ? あんなヘドロ塗れのヘドラみたくなってどうすんだ?」首を捻るミコミコーナ。「それともみんな河童だから気にせんのかしら……」
「チヨさんお城のシャワー貸したげれば?」
「何でだ……新幹線乗るつってたし、自分ち一旦帰って自分ちのシャワー浴びてから出掛けるんでしょうよ人として」男の言葉を鵜呑みにすればそうなるだろう。[訳註:彼が名古屋を旅行中の恋人に対し、自分は東京に残っている振りをしたということ。単なる
「そらそうや」
「新幹線で二三時間ってことは東京か大阪っすかね?」
「まァ乗り換え込み込みでそんなとこだろうな。しかし狂った野球ファン以外でもあんな風に川に飛び込む奴おるとはね……同じマジキチでもラブリーなハナちゃんとは好感度が逆ベクトルだわ」そう口にすると同時に己の失言を認識した王女は、エル・トボソの姫君への釈明に窮した。「――いや騎士様のマジキチはアレ、全然違うマジキチだから」
「真面目できちんとした……」[訳註:それぞれ《
「そうそれ、流石サンチョ」
「マジカルキッチンかもよ!」[訳註:ニコの発言を著者は《
「なんそれ、クッキンアイドルかよ」[訳註:《
「屈強な筋肉のアイドル[訳註:《
「風呂で見た感じだと筋肉質って印象はなかったけど、まァマンガかよって感じの細さではあった。中入ったらいきなりバシャーンて音聞こえて――な、サンチョ」
「ああ……水垢離ね」
「にしても今のも凄え音だったなバッシャーン!つって」
「古川や河童飛び込む水の音……バッショーンつって」
「風流の欠片もないな」
「あの音はカッパさんというか……濡れネズミというか」この時従士の脳内では、浜松の湖岸であどけなきソライダ嬢に粉を掛けようとした破落戸ふたりの内のひとり――他方の男は直前に脳天を撃ち抜かれている――が落水した時に立てた反響が
「こ、このあらいぐまを放ったのは誰だあっ!」
「それ海原さん――いやラスカルか」
「ラスカルを野に放ったのはスターリングですね」
「ドルチェ姫のそういうバカ共の会話に混じりたい感じ好き……スターリングって何だっけ、バラの品種だっけ?」《
「たまには自分で調べましょう」
「……トロツキーがトロトロしてる間にスターリンがスタスタ追い越していやしくもレーニンの後任の椅子に座っちまったってことです」
「何だそりゃ、ロシア革命?」
「ドニャキ先生はどんな教え方しとるんや!」猫の従士よりも期末考査の結果は奮っていたという小猿が天を仰いだ。
「憎まれっ子こそ世にはばかりいまそかりってことだよ!」
「はべりだろ」何でも動詞の活用に於ける
「……ペペロンチーノ」[訳註:第二十章で花が云った「
「まァでもはばかりといえば
「いやいやいや文脈的にどう考えてもアンタのことだよっ!」反駁する機会を逃さないニコニコーナ。「さっき何であんなカピバラさんにブチ切れてたんですか? 何がそんなにムカ着火インフェルノだったん?」
「……どっかで聞いたなそれ」岡崎の楽屋であろう。「カムチャッカ?」
「いや全然ファイヤー止まりだったけど。だって何かイラつくじゃんああいうの」
「かわいそうにカピバラの
「いやコールドスリープじゃないかな」
「あたしゃ自分の好きな子以外の恋心が凍結しようが永眠しようが全然知ったこっちゃないね」斯様に傍若無人なアフリカの王位継承者でも、例えば贔屓にしている楽隊員の前では猫を被るのだろうか?「河童も川流れたんだからお前もはよ木から落ちれ」
「登ってねえし! ミコミコーナこそ川に飛び込んで泡姫になりなさいよ!」
「それアリエルじゃねえか――あり得ねえよ!」王女は黒い川を見下ろしながら以下に続けた。[訳註:伝馬橋からひとつ南の錦橋に掛けては堀川と少女たちが歩いている木挽町通の境に建物が並んでいる為、首を振っても川の流れは視界に入らない筈。因みにディズニー映画『
「うーん、なんかこっちも普通に大通りっぽいですね」桜通に負けず劣らずの喧騒が徐々に近付いてきた。
「大通りだろが阿波踊りだろが歩けるんだから文句言わない!」
「ドニャ・キホーテが阿波踊りの大群なんぞと遭遇したら大変ですよ……ねえ姫様?」
「ああ、……軍隊の方の大軍が合戦の場に赴く光景に映るかもね」
「――もしかしたら先輩って『ドン・キホーテ』読んだことあります?」
「ん?」
「ここ真っ直ぐ行ってどっかで右折したら十分かそこらでさっきのホテルには戻れんだろうけど」橋畔に立った王女が一同を振り返って言った。「まァ戻ってどうするって話でもあるんだが」
御子神嬢の指摘も尤も至極だったので、四人は一先ず交差点の前にて一旦足を止めた。
南側に架かる錦橋の交通量は替え馬のそれの百倍といった趣きで、そう考えるとこの橋桁に先刻我々が目撃したような
「――にしてもたった十分とか二十分そこらでもう二件も冒険というか事件というか……事案?に遭遇するとは」猫の従士は頭を抱えた。「どうなってんだこの街は!」
「それさっきの野郎も同じこと言ってたな」
「たしかに……いやでもここにコナンが居たらあと十人は死んでた」
「望んでもねえのにコレってことはよ、これが自分から好き好んで巨人とか怪獣の土手っ腹に突っ込んでくような揉め事を探し回ってるうちの旦那様ならどうなることやら……」
「まァでも、探すのをやめた時見つかる事もよくある話らしいし」それも(我々は)何処かで聴いた文句である。[訳註:第十九章を参照されたい]「そういう意味じゃサンチョはもうバケモン共と阿波踊りでも踊るしかないんじゃないかしら」
「死霊の盆踊り……」この映画の原題は『
「私ゃもう墓参りも済ませてんですから、」――但し他人の墓である。[訳註:勿論第十二章に於ける掛川は寺墓地での狐火騒動のこと]「こんな時季に怖いこと言わんでくださいよ……つかドゥルシ姉様まで」
「そうっすよ姉さん方、《求めよさらば与えられん》ってかの老子もおっしゃってたっしょ?」
「お前さっき牛に乗ってる老子しか見てねえだろ」[訳註:第二十六章参照。正しくは水牛]
「どの老師だよ、武天老師か?」武天老師が乗っているのは牛ではなくて亀である。「甲羅もグラサンも付けてなかったし、ハゲでもヒゲでもなかったけど……共通点エロガッパくらいしか」
「エロガッパって何?」千代さんも何度か使った言葉だが、これは河童の頭頂部の皿が丁度修道士の
「ドルチェ
「ガッパーナじゃなくてガッバーナだけどね、一応」ドルチェ姫は存外
「そんなバッカーナ。結局ねえ《求めよさらば~》って誰の言葉?……ねえ?」
「ミコさんも携帯持ってるんだからグーグルに訊いてください」便利な世の中になったものである。「これ渡っちゃいます?」
「今宵のドルチェネーアはあんま甘くなかったぜ……ちょっと陰ってきたし今んとここっちでいいんじゃね? また渡り直すのめんどい」
「ねえエロガッパとは? 屁の河童?」
「うるせえな、ニコニコーナもアイドル活動してねんだから屁くらいこくだろ」
「……まあ嗜む程度には」
「あっ蘇我入鹿だって、《さらば与えられん》の作者」
「マッジか!」
「ミコさん……混ざってる混ざってる」[訳註:発言者として記されているのはイエス・キリストだが、それを紀聞したのがマタイとルカだからであろう]
「えっと――すんません名古屋にもドンキありますかね?」半坐千代が割って入った。
「そらあんべよ。市内に二三軒はあんじゃね?」同じ
「そんな人を生き字引とか生きた化石みたいに言われても」
「そうすよ失礼な、それを言うなら生きペディア姫でしょう」
「いやいや生きた化石よか何だ、生ける貴石宝石貴金属っつか……ホラいっそ奇跡の生き仏様ですよ?」《
「あ知ってる、即身仏ってヤツすね」――《
「そんな肌荒れてる私……?」玉のような頬に手を当てるドニャ・ブダ。三蔵法師から随分と出世したものだ。[訳註:第二十六章を参照のこと]「あとミコ姉さま今その手に持ってるのは何ですか? 自分で調べなさい」
「でもあんまり文明の利器に頼り過ぎるのもどうかと思うのよ」正論である。「というわけでメガネ調べといて」
「メガネ調べとく」もうすっかり大ギネアの
「ダメだこりゃ……でもチヨちゃんさっきのはお手柄だったね」
「さっき――《カッパ橋の冒険》ですか?」それではドンブリーノの兜の
「かっぱ橋?……ホラあの河童さん、あのまま携帯川ポチャしてたらあの後絶対カノジョさんとも会えなかったでしょ」
「ああ、何か言ってましたね。待ち合わせ場所着いたら連絡するとか何とか」
「今のガキって自分ちの
「私もバックアップとか、クラウドストレージとか全然やってないんで携帯死んだら即アウトですね」
「即死ん仏だなそりゃ」[訳註:《
「現代人は科学の進歩に頼り過ぎて生物として退化してるよね」全て人任せの王女は人間として退化し始めているかも知れぬ。「スマホ依存症とか、ライナスの毛布かよって」
「カッパだからライナスのキュウリじゃないですか?」二組の
「茄子なんだか胡瓜なんだかどっちかにせえよ……出た?」
「出た――あっでも地図アプリのが早えや。もっちょい待ってちょ」
「従士さん何か買い物?」
「いやこれといっては……何というか」《
「まあ察した」[訳註:第二十四章で安全帽に貼付された粘着札を綺麗に剥がし取る為の粘着帯や手肌用乳液を購入する為という理由も考えられる]
「えっと現在地が……矢印こっちで、あっ逆だわ」竜の方角を指し示すニコーナ。「ドンキこっちっぽげな」
「マ、マジッド・マジで?」[訳註:第十九章の花のセリフを参照されたい]
「うわ、チヨちゃんよく知ってるね」
「何がです?」
「ドンキホーテ何店になってる?」
「何店……名古屋、名古屋えいてん」
「左遷じゃなくて?」
「それはB店」
「栄店でしょ」
「あっサカエか、サカエでございまーす」
「どら猫の従士なら追わずともここに居るぞ。魚は咥えてないがな」
「栄えてる方の名古屋か……」桶狭間の古戦場にて交わされし、犬を連れたご婦人との会話を思い出した千代が徐ろに呟く。[訳註:第二十二章参照]「ペロちゃんと散歩連れてってもらってんかしら」
「ちわわー、三河屋でーす」三河というと主従も通過した豊橋や岡崎を含む地域のことで、家康の生地でもある。信長の出身はといえば尾張――則ちここ名古屋だ。[訳註:半坐家の飼い犬がチワワ犬であることも思い出していただこう]「早朝以外はあんま行きたがらないんじゃないの? 夕方でもクソ暑いし」
「朝か……男どもは下で吠えてても無視すっから期待できんし。チカさんも当てにはならんな」
「何の前触れもなく実家の犬のことを心配しだすチヨさん。ホームシックかね?」
「三河屋さんって酒屋だっけ――サブちゃん?」慢動画『
「まだBLTの話してんの?」
「北島じゃなく?」
「サーブとレシーブで掛け算」[訳註:「
「チョー気持ち悪い!」過去に乙女道を訪れた者だけが理解するがいい。
「お前らその時ってもう生まれてんだっけ[訳註:アテネ五輪は二〇〇四年の開催]……ほんじゃあドンキで何か飲みもん補給してから戻る?」
「えっいいんですか?」
「まァコンビニよか安いだろうし……や別に酒は買わないよ?」
「何か未練が見え隠れしてますけど」
「――よね。時間食ったら栄駅?から地下鉄で帰ってくればいいし、その方が早いべ」
この時ミコミコーナに何か手抜かりがあったとすれば、現在地から目的地までの――恐らく
我等が
「雲はありがたいけどなんか風強えなこりゃ」
斯くいう猫の従士とて、連れの――しかも未成年の――失踪とあっては本来なら即時最寄りの警察署へ届け出を出すに如くはなしと思しき状況の中で斯様に悠長にことを構えているのを怪訝に感じられる読者の方も少なからず居られよう。これについては彼女が拾った
「目が、眼鏡が飛びそうなんすけど」
「メ、メガネがしゃべったぁ?」
「そんなネ、ネコがしゃべったぁ!みたく云われましても」
「それ三日月ハゲな」《
「ややこしいですね」
「あれって口パクパクしてるだけなのにどういう原理で人語話せてんの?」
「さあ、オウムとかインコなんかは声帯の代わりに別の発声器官持ってるみたいですけど」
「すご……なんというトリビア・ハッセー」
「あ、うまい」
「誰? ハッセー尾形?」
「いやその発想はなかった。まあでも動物とか無生物は基本喋るよね」
「ヌ、ヌイグルミがしゃべったぁ!」
「キ、キグルミがしゃべったぁ!」
「その一線は超えちゃダメだろ」《
「ハマッシーさんは黙して語らずでしたがね」湖上の
「ハマッシーってどこのゆるキャラだ……横浜?」
「浜松――というか浜名湖じゃないですか?」
「さすが姫」理解が早い。「メス湖のメッシーナ姫とは頭の作りが違いますわ」
「いやウェット&メッシーの変態はさっきの河童だし、お昼オゴってくれるメッシーちゃんはお前だろ」因みにメッスィーナといえば《
「いや……私の記憶が定かでしたら、お寿司屋さんでは殿下ご自身がそう自称なさっておられたのではと」云い逃れする従士。「ほらオスシーラがどうとか」
「それ云ってたのはドニャ・キホーテだろ」[訳註:第十一章を参照のこと]
「
「何かハニャ様も魚を釣って捌いて食うとかどうとか、そんな話してたわ」
「部長スキュラって何ぞ? ドラキュラを酢で締めた刺し身?」
「〆鯖じゃねえんだぞ」
「あのねえ、人魚のお腹に犬の頭がいっぱい生えてる感じの美人さん」
「そ、それどういう状況?」
「あと何だっけ、下半身が蛸足みたいなバージョンも有りましたよね」
「いや訊かれても……」それは
「うえ、ドン引き……ドン引きホーテ」
「それさっきも聞いた。やり直し」
「でも髪の毛が蛇のメデューサだって元は美少女だったのに嫉妬した女神のせいで変身させられちゃった訳でしょ? スキュラもそんな感じ、メッシーナ海峡だからシチリアだったかな?」
「あれ、メッシってバルセロナ代表じゃなかったでしたっけ?」
「お前一応言っとくけどバルセロナって国じゃねえぞ」
「いや知ってますけど。バレリーナみたいなもんでしょ」
「でもイギリスだとスコットランド代表とかウェールズ代表とかありますからね」
「いやアシもサッカーとガウディくらいしか知らんけど……そもそもメッシってスペイン人じゃねえよな」尤もイタリア系ではある。「ねえねえネーヤ姫とハナちゃんはいつもそんな話して遊んでたの?」
「いや、いつもそんな話して遊んではなかったですけど……どんな話?」阿僧祇花が優等生として学校に通っていた時分に安藤蓮嬢と如何なる会話を弾ませていたかなど、残念ながら我々には知る術がない。「チヨちゃんとバ――ニコさんはいつもどんな話してるの?」
「ご覧の通りこいつぁ主にというかむしろレンズとフレームだけで構成された無機物でござんして[訳註:厳密に言えば例えば
「いやさっき自分でメガネがしゃべったぁ!云うて驚いてましたやん」
「どうせアマデウスとかあまちゃんとか雨ガッパとかの話だろ」
「ちょっと塩っぱいちゃんは黙っててくれます?」床屋の娘がラ・サンチャの
「バッカおめえ尼さんと巫女さんは姉妹みたいなもんだろ」
「えっそうなん?」
「えっ私?――いや私も視てなかったけど、多分違う方のアマさんだと思うよ」日本語で《アマ》といえば
「救助対象選り好みとか、それプロのアマさんとしてはどうなん?」
「連ドラの原作アンデルセンじゃねえだろ」
「まあでもマーメイドの直訳は海の女ですし、当たらずとも唐辛子――」ドルチェネーア姫がサンチョの提唱した仮説を補完せんと口を出した。「遠からずじゃないかな」
「流石は甘いマスクと甘酸っぱい美声で我が主を惑わした甘党の姫様、つまりマーメードもマーマレードも甘いに越したことはねえってことですわ」
「あらあらそちら様こそアマディスに仕える従士さん、如何様に甘言弄してドニャ・キホーテ様に取り入ったものか是非ともその手練手管をご教授願いたいですわ」
「やっぱ演劇部の部長だけあってこんな小芝居でも堂に入ってるな」感嘆の吐息を漏らすミコミコーナ。「ドニャキとは毛色の違う芸達者ですわ。手練手管とか言葉で聴いたの生まれて初かも」
「どういう意味?」
「手練をググるよりは暖簾を潜り、手管にもましてくだらん管をグダグダ巻くテクに磨きを掛けてきたゆえの置いてきぼりでござんすよ」何を云っているのか要領を得ないとはいえ、それだけになかなか説得力のある物云いだ。「――お後がよろしいようで」
「いや全然宜しくないけど」
己の食い意地と怠け癖を正当化する時にだけは弁の立つ我等がラ・ハンザの家来に愛想を尽かし一度は去った蜂の騎士、そのご帰還の一報はまだ届かない。
路上を浚う風足は収まってきたが、それらは歩行者にとって束の間の日傘を提供した夏雲をも流し去ってしまったらしい。
「この娘は口から産まれた口太郎だからしゃあないけど、も少し騎士殿のお目付け役としての責務をまっとうしてほしかったものよね」四つ目から
「えっちょい待って」馬場久仁子が端末を取り出して再度地図応用程式を呼び寄せる。
「お店はこっちサイドなのよね?」
「たしかそう」仮に南側なのであれば早めに横断しておいた方が効率的ではあろう。
「くっちゃべってる間に通り過ぎたとかないよな」
「う~ん、ん?――あと半分くらい、かな?」
「え、うちら結構チャキチャキ[訳註:ちゃっちゃと?]歩ってた気がすんだけどマジか」
「チャキチャキっていうか、チヨちゃん喋り方が噺家みたいだよね」チャキチャキとは
「いやそれな」風呂屋でもそんな話題は出た。[訳註:第十章参照]「でもオッサンチョってば笑点視たことないらしいよ」
「うっそおかしいよ」
「おかしかないだろ」
「ヤマダくーん、キクちゃんの座布団二枚持ってって!って、絶対聞いたことある」これは司会者が出した
「キクちゃんって誰よ」
「木久蔵さんだよ!」
「ああ、座布団の上に座るから菊の御紋ってことか」《
「ほらおかしーでしょ!」ミコミコーナが声高に同意を求めた。「普通女子中生が菊と聞いて肛門を思い浮かべないでしょ!」
「ん? どういう意味? 水戸黄門?」惜しい、
「え?……あっ、そういうことか」苦笑するドゥルシネーア。「いや、おふたりとも頭の回転が早いというか、凄い分析力」
「別にスゴくはないですが……まあアナリストという言葉もあることですし」
「ほら頭いとおかしーのよ!」薔薇の蕾のような唇からついつい噴き出さすにはおれなかったエル・トボソの
「アナリスト?……またオカマの話?」
「いや何でそこだけすんなり分かるんだお前は」
「――でキクゾーさんて誰よ、モリゾーの親戚筋?」
「いやモリゾーじゃなくてほら、日曜夕方の……トモゾーの前にやってんじゃん」日本でなくとも
「そういやまる子みたいとも言われたな……」
「言った言った。要はババ臭いってことなんだが」
「何を……ババを差し置いてババ臭いとは何事か」
「自分で言うなよ」
「いやだからさっきも云ったかもですけど」千代は自己弁護に徹することにした。「ドニャ・キホーテと旅してる内に口調が
「いや明らかに違うだろ。古臭いって意味じゃ近いけど、ドニャちゃんはどっちかっていうと歌舞伎役者っていうか時代劇?」両者の間には
「うち落研ないけど、よかったら演劇部入る?」
「入りませんよ!」
「ひっで!」
「なんかうちらが通過する時に限って信号赤なのは何でなんだぜ……[訳註:進行方向が常に青信号なせいで、いつになっても日陰が出来ている南側に渡れないということ]」殿堂には大分近付いた筈である。「どうします待ちます?」
「だってドンキこっち側なんでしょ?」ミコミコーナは数
「おいっす」
「じゃあ景気付けに春風亭サンチョ師匠、何か一席高座を務めておくんなさいよ」
「講座? 進研ゼミはDMのマンガ止まりで、取ったことはないので無理っす」
「やだチヨさん口座番号のことだよ」[訳註:それぞれ《
「そういうのいいから」
「でも笑点も大喜利も知らなくて落語の演目知ってたらそっちのが凄いですよね」
「それはそう」他に暇潰しの手段に思い当たらなかったギネアの王女は尚も――演劇部のふたりを差し置いて!――従士の登壇を求めた。「ジュゲムジュゲムでもまんじゅうこわいでもいいから何かやってよ」
「ああ、まんじゅうこわいなら知ってますね」
「やってみ」
「でも知ってるのは最後の一フレーズだけです」
「云ってみ」
「《――そして最後に熱いまんじゅうがこわい》」
「いやどんだけ饅頭食うのよ」もう東に舵を切ってからそろそろ十分は歩いた筈だ。「林家ニコンペエあと何分?」
「ニコニコプン……うそ、あと三分の一くらいだから五六っぷんぷん丸?」
「うわ……午前中からうちらどんだけ歩いてんだよ」大雑把に計測して一レグア前後といったところか。「アル中の方がよっぽど健康的だよ」
「アル中がヨロヨロ歩き回ってたらそれこそ失われた週末になっちゃいますね」
「牛のように飲んで寝週末にしたいよまったく」それを実行すれば、
「私も寄席とか行ったことないんで詳しくないですが……何だろ謎掛けとか?」
「なぞなぞ?」只の
「違くて……ほら、《○○と掛けまして××と解きます》っていう」[訳註:より平明に《
「片栗粉を掛けまして水で溶きます?」[訳註:《
「あんかけ作ってどうするよ[訳註:《
「そうそう、あと《整いました!》って芸人さん居たじゃないですか」
「居たわ、何だっけ……ねず、ねずみ――ネヅ・ジンパチ?」
「それは真田十勇士ですね」フランスの
「役者で居なかった?」
「居ますけど」ドゥルシネーアもその芸人の名前[訳註:ねづっち]までは思い出せなかった。「――どう従士さん、出来そう?」
「いや鼠に出来たって猫の従士にゃ出来ませんよ、そもそも落語家じゃないんだから」
「でもお前人生の落伍者だろ?」
「こらこらこら、」落第するとしてもまだ半年先の話である。「前途ある若人に何てことを……自分こそギアナ高座にでも上がったらいかがですか?」
「じゃあこうしよ、面白かったらお昼の件はチャラにしたげるよ」はてギネアの紋章にどんな花が描かれているのか筆者は寡聞にして知らないが[訳註:劇中の千代さんは勿論
「え、……マ、マジパン?」
「マジパンチョマジパンチョ」そもそもアフリカの富を手中に収める王女は赤貧の中学生に
「ちょちょちょいちょい!」慌てふためく従士。
「こういうのは閃きが大事だろ。はいっひらめけドンキッキ、どうぞ!」
「ミコさんミコさん、まずお題出さなきゃ」
「えっ私が払うの?」
「そのお代じゃなくて」エル・トボソが
「ああ……ジンパチも訊いてたなそういや」優れた芸人に求められるのはどんな要望にも応え得る
「うっ、よりによって……」
「おお、たのしみ」恋い焦がれる勇者が如何に謳われるか、ドゥルシネーアは期待を込めて耳をそばだてた。
「欠席裁判みたくなってるなあ」こちらはこちらで、従者の口からどんな憎まれ口が飛び出すかを大きな眼で見届けんとするニコニコーナ。
「ちょ……ええっと、そうですねえ」
「整った?」
「整わないので出来の良し悪しも問わないでほしいんですけど……[訳註:Si me hubiera arreglado, os habríais alegrado...《もし整っていたならば、皆さんにも楽しんでもらえたでしょうに》]」
「いきなり半疑問形」
「……」半坐千代は目を細めつつ
「本当に整ってなかった!」
「……あっ、――と掛けまして、ミツバチと解きます」
「早くも駄作の予感!《どちらも敵を刺すでしょう?》」
「ミコさん」
「ごめんごめん」ミコミコーナは首を竦めながら
「ミコさんミコさん、《その心は?》」[訳註:《
「あっそか――その心は?」
「――どちらもスに戻るとハニカムでしょう」[訳註:「どちらも家で
ふたりの王位継承者は目を丸くして顔を見合わせた。
「噛むなら《歯に》ではなくて《歯で》ですね」沈黙を破ったのはメガネザルのニコニコーナだ。[訳註:「それ《
「面……黒かったですか?」恐る恐る審査結果を伺う猫の従士。
「というか面喰らったわ。感心して言葉を失ってしまった」
「やった」
「ふたつ掛かってましたもんね。従士さんご立派」
「お褒めに預かり光栄至極に存じやす」
「サンチョ下ネタとかネギとかくだらんこと以外にも頭回るんだな」
「労いもネギ嫌いも充分ですから、ランチの件はなにとぞよしなに」
「苦しゅうない、褒美にドンキでラベル剥がしの何かあったらおごってやるよ」
「よしっ」千代は握り拳を固めて束の間の勝利に酔い痴れた。これで後顧の憂いなく今宵のミサに
「何か今や顔立ちすらも整って見えるもん」惜しみなき賞賛の嵐が注がれる。「化粧さえまともにすればサンチョでも下層アイドルくらいは目指せるぜ」
「それさっきうちも言った!」
「ミコさんみたいにコスプレしようがダビに付されてダビデの星となろうが、そのままバーチャル世界の住人として市民権を得ようが今晩さえ乗り切れればパブロフのピカソも無条件反射で人生バラ色の時代到来にござる」
「ユダヤ教って火葬するんだっけ?」[訳註:原則として土葬だと思われる]
「口数だけじゃなくて鼻まで伸ばしやがったよ」《
「ようこそモンキーランドへ!」メガネザルが歓迎する。
「たしかにハナだったら高い所にでも――」陽射しを避け俯き加減で歩いていたドゥルシネーアが、ふと南寄りの空を仰いだ――「……チヨちゃん?」
「何です?」従士は姫の靭やかな指先の指し示す方向へと視線を伸ばした。「……ん? な、何だありゃ?」
「何何――げっ!」
「おいおいちょっと待て、こんな街中に……名古屋民頭おかしいな」
利発なる猫の従士に倣い、筆者もほんの数秒前までの彼女をお題に謎掛けを試みよう。
「
一度その巨人の
記憶力と読解力に優れ且つ洞察力にも恵まれた読者諸兄であれば、一行が
断っておくが、彼女らを待ち構えていたのは
では
「切った……切ったわねえ」マリア・デラーニは騎士の後ろ髪を熱風で靡かせながら、鏡に映るその輪郭の変わり様に目を見張った。「パーマ掛けていいならオードリーみたくも出来るけど――春日じゃないよ?、でも折角でらサラツヤなんだし」
「パーマは一日にして成らずですじゃ」阿僧祇花は首を左右に振ると、軽くなった頭部の感覚を堪能するかのような満面の笑みを浮かべた。「それに切った張ったの荒事稼業がお姫様の真似事しても始まりますまいて」
「まあお姫様もこれ見たら惚れ直すでしょうけど、
「パーマを見ずして?――《
「水蒸気使うヤツ。水パじゃ通じないか」
「それがしの従者などは《凡ての道は乙女ロードに通ず》と申しておりました」そうは申しておらぬ筈だ。[訳註:第十三章にて主従が姫街道に入る辺りを参照されたい]「此度はローマに止めておきましょう」
「乙女ロードって池袋でしょ?」正しくは
「ラ・サンチャをご存知か?」
「知ってる知ってる、オタクの友達が池袋で月収の半分を溶かして帰ってきたよ」
「《
「困窮ってお姉さんまだ十代でしょ?」美容師は櫛を掛けると同時に肩に落ちた髪を払い落としながら以下に続けた。「もう独り暮らししてるんです?……お仕事当てよっか?」
「当たるも八卦、その
「デルモ!」
「
「イカもタコも大丈夫、さっきの彼氏さんから頂いてますから」
「なんと!」
「フィニッシュ――おっし完璧!」
「うむ、如何にも斯くの如しじゃ」
「まあアレだ……結局顔が小っちゃければ短くしても美人は美人ってことさ」生まれの不公平を痛感したマリア・デラーニは思わず肩を竦めたが、それよりも己の美容師としての腕にこそ自信を深めるべきであろう。
「
悪い魔女が建てた高い塔に幽閉されし麗しの姫君を救うのこそ騎士の職務であり、騎士自身がおめおめと囚われていては話にならぬ。蜂の騎士は兜の緒を締め直すと、回転式の玉座から威勢良く立ち上がった。
「そうだ、名古屋くんだりまで髪切る為に来たってことないですよね……今晩まだこっち居ます?」美容師が尻隠しから二枚の紙切れを取り出す。「さっきもらったんですけど……てかもらいました?」
「――おや?」
「どうせ早上がりの子たちは彼氏とかと花火観に行くんだろうし、――あでもっ」一旦差し出した紙片の一方をさっと引き戻すマリア。「全然興味ないとかだったらアレなんだけど、どうせ他に誘う人も居ないし」
「はい」
「確実に行かないってこともなければ一枚どうぞ。場所とか時間は書いてあるから」
「
「来た……あっ、連絡先――」昇降機の扉が開く。「小っちゃいとこなら行けば会えるか。ほら何だっけ、すべての道は――」
「パーマに通ず」
「それそれ。じゃ、どうぞどうぞ」箱の中に追い立てる
「でしょうな」
「ではではでらお気をつけて、ありがとうございましたー」
「「「ありがとうございましたー!」」」顔の見えない他の
「¿Está ligado...?」花の会釈をマリアが見留めたか見留めないかという辺りで両者の間合いは物理的に閉ざされ――
そして箱が地上へと降下するまでの数秒の間、手渡された紙切れを穴の開くほど見つめた騎士は、「捨てる髪あれば――か」と苦笑いしてからそれを懐中に仕舞ったのである。
ドニャ・キホーテはポセイドーンの孫娘でもなければ
しかしながら騎士や美容師が覗き込んだ鏡を我々は手にしていないし、現在彼女がどのような髪型であるのか、延いては数分前までどのような髪型であったのかすら実際のところ知る由もないのであるから、この点の判断は今後発見されるであろう文献や史料の中で誰か登場人物がその風采について――本人を前にしながら[訳註:本人を見た誰かが、本人不在の場に現れた従者の前で……でも構わない]――詳らかに語っていたり、その場に居合わせた絵心ある者による挿絵やあわよくば写真などが紛れ込んでいることに期待して、博捜渉猟の手間を惜しまず日夜精励恪勤することが肝要だ。
さて前章末で筆者が付した予言は半坐千代のそれと同じく外れに外れたけれども、よもやこの真実の物語の決着が付くのにもう十章が費やされることはあるまいし、縦しんばそうであったにせよ耐久力に些か難ありの筆者の筆も道半ばで折れてしまうに違いないので、次章かその次の章、或いは記念すべき終章に至るまでのいずれかの章内にて、従士か若しくは主人のどちらかは少なくとも
だがその前に――今この時、四人の猫たちの前に立ちはだかる巨人を先ずはどうにかせねばなるまい。
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