第13章 此処ではキキリキー聖墳墓と魔舟の湖の間を繋ぐ姫街道中にて、二姉妹の間に交わされた彩り豊かな会話が続く

LA INGENVA HEMBRA DOÑA QVIXOTE DE LA SANCHA

清廉なる雌士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャ

Compuesto por Salsa de Avendaño Sabadoveja.


POST TENEBELLAS SPERO LVCELLVM

                    A Prof. Lilavach

Los personajes y los acontecimientos representados en esta novela son ficticios.

Cualquier similitud (o semejanza) a personas reales es involuntario (o no deliberado).



第十三章

此処ではキキリキー聖墳墓と魔舟の湖の間を繋ぐ姫街道中にて、

二姉妹の間に交わされた彩り豊かな会話が続く

Capítulo XIII.

Donde se prosigue el coloquio colorido que pasó entre las dos hermanas en el Camino de las Princesas,

entre el Campo Santo de Quiquiriquí y el Lago del Barco Encantado


水曜の朝、午前5時ミエルコレス、ア・ラス・シンコ・デ・ラ・マニャーナ

「ぶわっ」

 これは実に珍しいことだが、頭上に響く雀の囀りと壁を乗り越えて眠り姫たちの寝顔を白ませる東雲の空に真っ先に洟提灯を割られたのは、暁の女神エオスの化身たるドニャ・キホーテではなくこともあろうに朝腹の従者――又の名を《山椒の従士エスクデーラ・デ・ラス・ピミエンタス・サラマンドラス》と称する――チヨ・ハンザの方であった。

「うお、なんだこれ」目の高さに広がるは無数の墓石。暫し放心した後、千代さんは状況を把握する。「――ちょっ、そうか……そうだった」

 従者が頭を直上にもたげた為、そこに綺麗首クエージョ・マラビジョーサを預けていた騎士は弾みで重心を狂わされ、背面の石壁に後頭を打ち付けてしまった。柄にも合わず不覚レスバローンを取ったのである。

「ぬ……」一頻り目蓋を強く瞑ってから、徐ろに見開いて呟く。「痛いアイアイ

「ちょっと先輩、おさるさんじゃないですよ」従士が主の肩を揺らす。

「猿よりも、……三畜の一等上はどうした? 鶏口牛後の言葉通り、早暁を告げる鶏人にわとりびとの朗唱は一鶴の其れにも勝るというのに」

「こけこっこう」はたと己の役所に思い至った千代は、はにかみ気味に鳴いてみせる。「――違うか。コッコ……クック、ドゥードゥル……どう?」

よしブエノ、目は醒めた」

「じゃあコックがいる所に行きましょう。二十四時間営業だったら何でもいいから。もう牛丼でもいいから」朝っぱらから重いもん食べたかないのではなかったのか。

「成程、一番鶏よりもおぬしの腹時計の方が信頼出来ようというものじゃ」花は大地に根差して点在する周囲のマタに目を遣った。「昨晩あれだけざわめいていた虫時雨が今ややさぐれ、チヨさんの腹の虫に晴れ舞台を譲っているのが何よりの証拠」

「腹の虫だろうが茶碗蒸しだろうが、虫の知らせには違いありませんからね。このまま座ってちゃ、遠からず早起きの坊主が屏風に上手に住居侵入の被害届を――あててっ」壁に寄り掛かっていた背骨を擦り、次いで軽く腰を浮かすと固い土の上で体重を支えていた尻を撫で撫で呻く千代。「ケツいてえし……寄る年波には勝てませんて。《老化は走るな》という言葉がこの年になって心に響いてくるわ」

「まったく御居処おいどとは言い得て妙よな。今以て無自覚に持ち主の腰を重くしておるのじゃから」対してドニャ・キホーテはすっくと立ち上がった。「さあベンガ」[訳註:イドとは精神分析学に於いて本能的な衝動や欲求に相当する原動力を示す用語だが、下半身が無意識を司るというのは甚だ意味深である]

「ああどうも」主の差し伸べた手を掴んだ従士は、反動を付けて起立する。「たたた……寝違えたかも。お寺の人って何時頃起きてくるんでしょうね。ん、ああダメだ」

「如何した?」

「いやね、ホラお風呂屋さんで折角満タンにして出てきたのに、夜中あんな無闇にライト点けっぱしてたせいで……」半坐千代は花の顔前に携帯の画面を翳す。「――まさに行き当たりバッテリー」[訳註:矢張り劇中使用されている千代の携帯端末が放った灯火は、著者の記述にあるような液晶画面の背面光レトロイルミナシオンの流用などではなく、懐中電灯用途に則せし歴とした照明機能のそれだったのであろう]


結局何基の墓石を磨き、幾度手桶の中の水を入れ替えたのだろうか。

 昨晩急遽開催された鳥肌対決フエーゴ・デ・ラ・ガジーナは、文字通り騎士と従士のいずれかが止めるまで続けられる招かれざる慈善活動ボルンタリアード・ノ・ソリシタードであった。発端は千代の気まぐれであるが、彼女が如何なる理由で突然闇夜の墓地を清掃したい欲求に駆られたものか、我々は知る術を持たないし、それについては彼女の主人とて同じ筈だ。所謂走者の昂揚エウフォーリア・デル・コレドールであったかも知れぬ。

 しかしながら言い出しっぺのキエン・サコ・エル・テマ千代さん自身が朝から続いた長途の旅路で疲労困憊していたこともあり、朦朧として半ば気絶同然に倒れ掛かったその瞬間、その彼女を咄嗟に受け止めたのが疲れ知らずの超人ドニャ・キホーテ。騎士はそのまま壁際の、煩わしい防犯用灯火の当たらぬ場所まで従者を運んで行くと、優しく寝かし付けたのである。実に美しきは姉妹愛エルマナダ、という訳だ。[訳註;通常であれば男女ともに兄弟愛エルマンダというイスパニア語が用いられる。西hermanadadは著者による造語だろう]

 義妹に肩を貸しながら花もそのまま眠りに落ちたのであるが、それが彼女らが云うところの丑三つ時であるとするなら、睡眠時間もせいぜい三時間程度か。仮にこの禅院に修行僧がおったなら夜明け前には起床していようから、手順を踏んで僧房内に宿を借りるならいざ知らず、露宿する為だけに境内に闖入した主従が偶さか仏眼オホス・デ・ブダを免れたのは九死に一生ポル・ウン・ペロと呼ばざるを得まい。

 とはいえ時間の問題であるのも確かである。尤も従者の携帯端末の充電も切れていれば時報を告げる寺の鐘も撞かれない現状、今が何時か彼女たちには分からないのだが。

バテルであれば幾らでも湧き出るのだがね」ドニャ・キホーテは苦笑した。[訳註:西waterとは手洗いの意味で使われるのが普通。電気と違い蛇口を捻れば幾らでも手に入る水と、旅烏の身であれば何処であっても、それが仮令屋外であっても厠になるという如何にも男性的な野性味とを掛けているのかも知れない。無論、少女ふたりが三軒茶屋を発ってからの五日間で、天然の手洗いを使用する事態は幸いにも今のところ出来していない]

「バテるのでよければ私も年中バテてますよ」千代は傍らの手荷物から電解質を含んだ飲料を取り出すと、自分が一口含んでから「あ、先にすいません」と云って主に差し出した。

「おぬしの申した通り、曙空に染まった兵馬を此処より一望すると――別の方陣ファランヘには気の毒だが、」花は手渡された水をぐびぐびと煽った。「――何れの鎧姿も眩いばかりに輝いてひとつとして見劣りする者がない。チヨさんの仏心ぶっしんには百の武神に並ぶ通力があるらしい」

 一望すると――ということは、結局泥の撥ねた進藤家の墓があった列は粗方清掃したということだろうか。小さな寺墓地といえどこれは大した功徳オーブラ・デ・ビエンである。

 ふたりは忍び足で手桶と柄杓を寺の水場に返却すると、特に繋がれてはなかったにもかかわらず勝手に逃げ出すこともなかった忠実な愛馬たちの許へ、ほぼ四半日振りにエン・カスィ・ウン・クアルト・デ・ディーア引き返した。

「ただいまー」従士はシャルロッテの鞍を撫でながら小声で挨拶する。「ただ今お前に乗っかるには、わがヒップはカチカチにむくみ過ぎているやもしれぬ」

「座布団でも敷いておくべきだったな」

「先輩だってお尻痛いでしょうに。昨日肩車した感じだと、私と違って引き締まっちゃいるけども、プリケツと呼ぶには些か肉々しさが足りませんからね。皮も余らず肉も百分の一倍ってんじゃ、地面の硬さがダイレクトに伝わってたんじゃないですかね」

「重ねた馬齢ではチヨさんの比じゃないからね、鈍感なのだよ」イポグリフォに跨った騎士は、腰の逸物を差し直すと南に向け改めて拍車を掛けた。一先ず線路沿いに出ようというのだろう。

「鈍感……鈍感ねえ?」従士もそれに続く。

「然もなくばそれがしが、夜明けの梵鐘を聞き漏らすことなどあるまいからな」そうは云っても、町の檀那寺の規模であれば鐘楼カンパナーリオが無くてもおかしくはない。[訳註:そもそも早朝や深夜にいちいち鐘を鳴らされたら、時計のない時代ならまだしも現代では近隣住民から苦情が出ている筈だろう]

「漏れて困らないものならいくらでも漏らせばいいですよ」千代は無責任なことを云うと、鞍上から浮かせた尻をもう一度擦った。「まったく川で洗濯する婆さんにメッタ斬りされた桃だって、ここまでの痛みを感じなかったでしょうに」

「不平不満であれば心の赴く儘に漏らすがいいさ。それがしも然して困らぬからな」

「漏れて困るものといえば……今は漏れそうってほどでもないけど、とりあえずどっか店入りましょうか。朝カラとかでもいいし」

「朝から唐揚げかね」

「脂っこいですって……いや、むしろ今が閉店時間なのか?」千代は反射的に携帯を取り出す。「っと――、ああああ使えねえ!」

 近くのカラオケ店の営業時間を調べることが出来ない従者だったが、慥かに彼女の危惧した通りで、多くの店舗が今まさに早朝までの深夜営業を終えたばかりであったことだろう。改めて店が開くまでにはこれから数時間を待たねばなるまい。

「となると――」花は首を左右に振って凝りを解すと、千代にとっては些かなりとも残酷に響くであろう宣告をものした。「おぬしの粥腹かゆばらには暫しの間耐え忍んでいただくとして、この朝涼あさすずに乗じ今暫く馬を進めることとしよう」

「え、え~っ。そいつはアルカリ性です」従士は半ベソをかく。「絶対反対断固拒否」

「断固拒否とは穏やかでないな」

「折角うなぎが待ち受けてるってのに、それまでに野垂れ死んだら元も子もないでしょ。ここは小腹を満たしとくのが騎士の嗜みと心得ます」

「死出の路としても悪名高い、彼のアンデスの熱帯雨林渓谷ウナ・ジュンガで吾等を待ち受ける前代未聞の冒険を、チヨさんが心待ちにしておるのはそれがしも心得ておるつもりじゃ」[訳註:《死の道カミーノ・デ・ラ・ムエルテ》とは、南米ボリビアはユンガス地方の断崖に伸びる山岳道路の別名である]

「うな重が……」千代が涎を啜った。「オケ屋が閉まってても、駅前まで行きゃマックでもモスでも――あ、ファミレスの一軒二軒あるっしょ」

「うなぎ屋[訳註:案内人ウナ・ギーア。第十二章参照]といえば、伊語の《案内人チチェローネ》の語源にもなったキケロチチェロは以下の如き言葉を残しておる。曰く、《Cibi condimentum est fames.》と」

「キビってきびだんごのキビですか」

「きびだんごのキビではない」主は一蹴すると、従士に一瞥をくれて付け加えた。「そうよな、謂わば無駄飯食いのこと……いやそれではキビキダか」[訳註:羅cibicida]

「いいから前見て運転してください」

「それに、そうじゃ、他ならぬテレサ・パンサも亭主の新たな門出に臨んで――」

「ピンク・パンサー?」日本の、それも現代の女子中学生が知っているのだから、存外息の長い架空の人物ペルソナーヘ・フィクティーシオである。[訳註:米映画『ピンクの豹』の公開は実に半世紀前である]

「莫迦な、サンチョの女房のことじゃ」

「あ、パンサか」千代は胸を撫で下ろした。「――ってことは、ちびでぶのサンチョは結婚できてるんだな。まァよかった……かな?」

「そのテレサも、ぶら下げられた人参に釣られて勲功に逸る連れ合いをこう諌めておるのじゃ」騎士は仕切り直す。「――曰く、《La mejor salsa del mundo es el hambre, y como ésta no falta a los pobres, siempre comen con gusto.》と」

「あ、わかった!」

「何だね」

「《空腹は最高の調味料》」

「御明察!」花は両手を手綱から離してみせると、勢い良く拍手する。「流石は偕老同穴の間柄。肖りたいものじゃて」[訳註:テレサ・パンサの台詞をそれらしく邦訳すると「世界最良の味付けサルサは腹ペコさ、そんでこれに関しちゃ貧乏人が事欠くことはないからね、あたしらはいつでもなんでも美味しく頂けるってわけさね」。ラティン語のcibiは食物のことで、キケロの言葉を直訳すると《食事の調味料は空腹》となる]

「そのテレサさんが安藤さんレベルのきれいどこだったら私もあやかりたいですけど」演劇部の花形である安藤蓮部長であればテレサ役でも難なく演じられようが、テレサ・パンサがそこまでの器量好しであったなら、当のサンチョも家を飛び出して狂った老騎士になど付いて行かなかったであろう。「並盛り一杯とか百円バーガー一個で空腹が紛れるほど私の胃袋は上品じゃありませんから、そこんとこはお気になさらず結構結構コケコッコーですよ」

「自前の鶏小屋があるのなら、何羽か締めて焼き鳥にでもするがよかろう。差し詰め――《三位一体の従士エスクデーラ・デ・ラ・トリニダ》じゃな」

「焼くんだか煮るんだかハッキリしてほしいですな」

「チヨさんの辛口を中和するなら三味さんみより七味くらいが程好いだろうがの!」

「嫌味を云われてるってのだけは理解!」鼻を鳴らす従士。「辛いんだか酸っぱいんだか。サンチョのお里だとやっぱクック……コッカドゥーディリ、ディーとかなんですか?」

「何だろうね……」花は小首を傾げる。「キキルキー、かしら」

「ははは、何その魔法の擬音」

「祇園といえば[訳註:「祇園精舎といえば?」]、おぬしの先祖たるサンチョ・パンサが主人の《愁い顔の騎士》なる異名に纏わる問答の後に語った俚諺がこんなであった――《死者には埋葬、生者にはパンを》」[訳註:『ドン・キホーテ』第十九章終了間際]

「小太りのおっさんも意外とまともですね! 見直した……そして今のうちらにぴったりの格言だこと。ぴったしカンカン」

「これの元になる言葉は恐らく《死者は墓穴へエル・ムエルト・アル・オージョ生者にはパンをイ・エル・ビボ・アル・ボージョ》じゃと思うが――チチェロに引き続いてハンザのチヨさん、こちらは如何かな?」

「え?《死んだ奴は墓場へ、生きてる奴は》……なんだろ?」今一度寺墓地を振り返ってから、数秒を待って前方に向き直るや、「《――酒場へ》?」

 騎士は瞠目すると、静かに無い兜を脱ぐ仕種で忠臣の名答に応えた。

 このような、そしてこれに類する雑談を交わしている間に、主人を追って踏板を漕ぐ遍歴の従士は知らず知らず掛川駅とは逆の、つまり浜松に至る西方に向けて愛驢シャルロットを走らせていたのである。


今日も今日とて日本晴れオイ・タンビエーン・エス・エル・ディーア・デ・シパンゴ。西の空はいまだ紫雲を残しているが、主従の背中は既に充分な熱を宿している。

「今日も今日とてカンカン照りですか」千代は魔王エルルケーニッヒから必死に逃れる父子とは対照的に、惰性だけが頼りの力ない足運びを続けながら唸った。「髪の毛が灼かれてるのを感じますね……背中越しなのに目がチカチカするわ。太陽が黄色いってヤツ」

「チヨさんの口からカミュが飛び出すとは魂消たまげたぞ」こちらは前言通り、涼やかな早朝を目一杯に謳歌しながら騎士が答える。「御多分に洩れずおぬしもそれがしも、この東海道では異邦人に相違ないがな。檀家の墓石を枕に眠りこけておったのが異人嫌いセノフォビアの坊さんにでも見付かっていたらば、それこそ大目玉を喰らったであろうよ」

「そりゃカンカンですよ。カンカンムーサーですよ」

「同じムーサでも金満家の王ではなく、黄金で象られしアロンの仔牛を目にした方のムーサ宛らに腹悪しであったに違いない!」ムーサもモーセモイセスも同じ起源を持つ姓なのである。そして自身が《魔法の板》を持つドニャ・キホーテは、端から黄金が持つ魔力などに惑わされはしない。「牛といえば、今思うと先刻後にした僧院は、山門が丑寅、則ち鬼門にあったのだね。陰火いんかや妖かしからしたら万客招来の札を掲げているようなものじゃて」

「ウシトラどころかこっちからすりゃトラウマですよ」千代は昨晩の恐怖を思い起こすと鞍の上で身震いした。「まァトラウマがどっちの方角かは知りませんけども」

「寅は十二支であれば北寄りの東北東だろうが、四神としてなら西だからね。これで午が南なら裏鬼門にもなるかな」

「馬が西向きゃ尾は東だろうし、それと《前門が虎なら後門は狼》とか謂う限り――ちょいお下品ですが、[訳註:《肛門は狼》?]」ふたりが左門少年を救った《フェンリルの冒険》のことだろう。「こっから見て沼津が東を向いてる以上、やっぱ虎も西向いてるんでしょうな」

「吾等ラ・サンチャの主従も然りだ」

「あっ、すごい発見かも」

「何が凄いのじゃ?」

「いやほら、ウシトラの方角が鬼門なのはアレじゃないですか? 鬼が虎のパンツをはいてるからじゃないですか?」

「順序があべこべではないか」花は呆れながら、信号に引っ掛かったか路上競技用自転車を一時停止させながら続ける。「それをいうなら鬼の角も牛の角じゃぞ」

「ああ、アレって牛の角だったんだ」従士は感心した。「焼き肉食べたくなってきますね」

「先晩は《坊主肉食や朝から焼き肉》などと抜かしておったくせに」

「《今朝から――》ですよ」ふたりともよく憶えているものだ。

「どちらでもよいわ。矢張りおぬしこそ《獅子の従士》という異名がぴったりじゃよ」

「だから畏れ多いですって」

「シシにも色色あるからの」そう云ってドニャ・キホーテは前進を再開する。[訳註:そうなると、初めから《ししの従士》という漢字を当てるのが正しかったのかも知れない]

「チヨさんは《山椒の従士》か《チキンの従士》で満足ですよ」

「酉であるならまさしく西を行くべきじゃな」

「ひゃあ」今度は従者の方が呆れた声を上げる。「猫も杓子も西が大人気ですね」

申酉戌さるとりいぬのひと続きは皆、西を向いた動物だ」

「え? ああ……そうやって《きびだんごは空腹の調味料》って話に戻るわけですね」日本人にとって最も馴染み深い昔話といえば、犬猿雉を引き連れて鬼退治を敢行し、富を持ち帰った『モモターロ』(但し里芋タロといってもこれは根菜ライースというよりは果実フルータの精霊で、敢えて訳出するなら『桃少年チコ・メロコトーン』又は『桃から生まれた長男プリモヘーニト・ケ・ア・ナシード・デル・メロコトーン』が近い)である。一説にはここで謂う《オーグロス》とは高麗半島から製鉄技術を伝えた旧き渡来人の隠喩で、当時の大和政権ゴビエルノ・デ・ヤマトに依る彼らへの侵略・虐殺・略奪を正当化すべく生まれた伝説なのだとも。[訳註:登場人物による桃太郎への言及自体は第十章冒頭の時点で既に確認できる]「そしてその意味するところは、もっときびきび動けという」

「深読みのし過ぎじゃ」騎士は弁解した。「朝駆けを無理強いしたのは申し訳ないが、それ、《朝菌ちょうきん晦朔かいさくを知らず》と謂うし今は少しでも西に脚を進めておくのが得策だと、それだけのこと。五行説では西は金を表すし、きびだんごには興味なくとも金銀財宝と聞けばおぬしの食指も動こうというものよ」

「出発前なら色々と使い道もあったでしょうが、今更金銀財宝をいただいても時既に遅しですね。今の私を動かせるとすれば、鳥ならば焼き鳥だし、犬だったらせめてウナギイヌでも連れて来てもらわなきゃ」ウナギのイヌペロ・デ・アンギーラというのはその名の通り、うなぎと犬を交配して生まれた日本の妖怪である。食用であるかについては定かではない。「――それが無理なら去る者は追わずでお願いしますよ」

「《侍の犬より芸者の猫がいい》か。眠り猫なら叩き起こせば済むけれど、従士が三猿になってしまったら然しものドニャ・キホーテをしても、アマディスに至る中途で立ち往生も已む無しじゃろうて」騎士はそう云って苦笑すると、真顔に戻って従者を宥めた。「次の宿場に着いたなら、犬顔ではない正真正銘のうなぎを食わせてやるから――というのも今日この日は、本年の夏日の中でもそれを食うに於いて他にない佳日であるからだが――、今は口よりも脚を動かしておくれ」

「脚のついでに口を動かすお許しもいただけるなら、キシリトールでも噛ませてもらいますよ。何せ昨日の夜は歯ブラシも出来ませんでしたからね」(推し量るに虫歯予防の効果を持つ噛飴ゴマ・デ・マスカールのことであろう)

「猿轡の代わりになるなら此方から頼んででも是非噛んでいてもらいたいものじゃ」家来の不平を何とか押し留めた主は、少しでも目的地に早く到着出来るようにイポグリフォの横っ腹を強く蹴り上げる。「《牛馬犬猿鶏之しし食う勿れ、以て外には禁令あらず》――従者に狗肉を噛ませるくらいなら、それがしが幾らでも苦肉を喰ろうてやるよって」

 朝食は控え目をよしとする千代が殊勝にも焼き肉への衝動を堪えてくれたお陰で早朝の行軍が捗ったドニャ・キホーテ主従は、それから三時間も経たない内に、念願のアマデウスの聖堂カテドラルまで残すところ僅か百キローメトロスの街、騎士が云うところの《破魔の松ピノ・アセシーノ・デ・デモーニオス》へと辿り着いたのであった。


東海道を只管ひたすらに西進する間、うだる暑さで水筒を空にしていた遍歴の従士は、浜松駅近くの大通りに面して立っていたカラオケ店の大きな看板を目にするや大きな声で主を呼び止めた。

「ちょっちょっちょ、タンマ。先輩、ストップです」

「どうした?」

「私ここの会員証持ってるんで。とりあえずここ入りましょう」

「はて」騎士は首を傾げて停車する。「てっきりおぬしは朝餉を所望しておったと思うたが」

「まァそれはそうなんですが、」千代は勝手に駐輪して店頭の空いた空間を占拠すると、主人のイポグリフォを誘導しながら続けた。「――天網恢恢てんもうかいかいにして漏れそうなので」

神に懸けてポル・ディオス・ケ・スィ!」人の好いドニャ・キホーテは、溜息を吐きつつも従者の後に続いてから以下のような苦言を呈した。「疎にしておれば漏れるのも道理じゃろうて! 天つ神とて楚楚として粗相せしむるチヨさんの膀胱の面倒まではそうそう見てもおれまいからな。其処はせめて《網呑舟どんしゅううおを漏らす》ようにとでも云うべきところだ」

「ドンシュウだろうがドンペリだろうが今は結構ですよ。《膀胱はトイレを選ばず》という諺に従って、今はとにかく空いてる店に入るのが理想というか利口です」

「やれやれ、空海様に倣えば、トイレを択ばぬのと同じくトイレを誤ることとなり兼ねぬな」正しくは《筆を択ばずノ・エス・メティクローソ・エン・ス・ピンセル》及び《筆の誤りエキボーカ・デ・ス・ピンセル》である。その道の達人は道具を選ばぬが、同時にどんな達人でも失敗はあるということだ。「三畜評樹の鶏が一段落ちて猿になったが最後、後は木から落ちるのみとなれば三猿でなくとも目も当てられぬわい」

 そう愚痴を零しながらも、従士に愛馬を繋がせた花は先導するその背中を追って中に入る。

「それにここならご飯も食べれるし」千代は人気のない受付台に両肘を乗せると店員と相対した。「こんちは……おはようか。うわ、朝くっそ安いんですね。笑える」

「いらっしゃいませ。何時間ご利用ですか」

「そうすね。ああ、じゃお昼まで」料金表を一瞥し即決する従士。

「十二時過ぎまでですと四時間でよろしいですか?」

「はい。あとミルクティーとコーヒー両方ホットで」膀胱は飲み物をも選ばずウナ・ベヒーガ・ノ・エス・メティクローサ・エン・ス・ベビーダ、なのであろう。「あ、できればなんですけど。広めの部屋でお願いできます?」

「かしこまりました。ではこちらお持ちくださいませー」

「はーい。あ、ここって持ち込みできんだっけ……」部屋の番号札が入ったカゴを手に取った従者は、車輪付きを牽くもう一方の手をふと停止させたが、結局そのまま歩き出した。「まァいいか。今はトイレット・イット・ゴーです。トイレリゴー」[訳註:ディズニー映画『アナと雪の女王』が日本で公開されたのは二〇一四年なので、恐らくこの物語に於ける遍歴の前年である]

「筆入れだろうとトイレだろうと、便所だろうがモヘンジョだろうが誤りなきことに如くはなしじゃ。おぬしの荷は運んでおいてやるから、とっとと用を済ましに行け」

「お言葉に甘えてとっととハムタロってきます」そう云って主に大荷物を委ねると、半坐千代は前方に見付けた手洗いの標示目掛けて小走りに駆けて行ったが、花が個室の中で漸く点灯装置を発見し腰掛けた頃にはもう、さも清々しい調子で廊下側からその部屋の扉を叩く彼女の姿があった。「ただいまー、つかおじゃまします」

 廊下に流れる有線放送は煩いが、夏休み中とはいえこの刻限では利用客も少ないのだろう、両隣の部屋から下手な歌声が響いてくるということもないようであった。只、遠隔受像機画面からは引っ切り無しに、何やら広告的な録画映像が流されている。

「光芒に勝る速さではないか。然てこの流れだと、また女去勢歌手カストラータ十八番の牛首の詩を拝聴出来るようだね」音楽史上、女性の去勢歌手カストラート・フェメニーノが存在したのかどうか、不勉強な筆者には知る由もないが、ともあれ騎士は高尾の夜での千代さんの熱唱を記憶していたのである。[訳註:正確には八王子である。第四章参照]

「歌いませんて。シェンよと直前なのにアマデ以外の曲なんて歌ったら、閣下にアイゼルネの刑に処されちゃいますから」

「Verpisst!... アマディス・デ・ガウラの軍規ディシプリーナには、如何なる禁令を犯そうと鉄の処女アイゼルネ・ユングフラウが如き野蛮な拷問が科せられる法はなかろうに!」図らずもverpisstフェルピーストは排尿を意味する卑語ヘルガである。[訳註:独verを失敗を意味する接頭辞と捉えれば、動詞verpissenからは《ハミション》という意味合いが読み取れる。いずれにせよ千代には解るまい]「しかし英語が赤点なのに独語が堪能とは一体どういう料簡かいね?」

「そりゃまァ、うちらにとっちゃ国語ですからね。どどいつやれって言われるよりはオストライヒなドイチュ語で、しゃべれと言われた方がまだまだ対応できるてもんですよ」そう嘯いた千代は、背凭れや座面が心做しか固めな低反発素材の長椅子にドッカリと腰を下ろす。それから一転して、背中を反らしたり前屈したりして周囲を見回した。「こっちにも電源ないか……あ、荷物ありがとうです」

「時のイスパニア王カルロス一世は以下のようにものしたとされる。余にとって西班牙語エスパニョルは神と、伊太利亜語イタリアノは女と、仏蘭西語フランセスは男と、そして独逸語アレマンは余の馬と語る際に使う言語である、と」

「はァ……じゃあ英語は?」

英吉利語イングレスは鳥と、じゃったかな」

「鳥?」

「若しくは叔母たるカタリナ・デ・アラゴン」

「バードにドラゴンたあ……動物と語らうとはずいぶんメルヘンかつメンヘルチックな皇帝だったんですねそのカルロスは。日本語では何と話したんですか? 猿?」

「日本語は話さなかったかも知れんな。《El hombre es tantas veces hombre cuanto es el número de lenguas que ha aprendido.》という言葉も残っておるが、戦国時代の日本と国交があったとは思えぬ」[訳註:意訳すると、「人の価値は修めた言語の数だけ増す」といったところか]

「馬と話せても日本語話せないようじゃ、その王様が名乗っていいのははせいぜいカルピス一世止まりでしょうね」カルピスというのは日本人なら飲んだことのない者のない、《初恋の味サボール・デル・プリメール・アモール》を持つとされる乳酸菌飲料だが、一説にその商品名の語源は《牛の小便カウ・ピス》であるとも謂れている。[訳註:正しくはカルシウム熟酥サルピスだそうです]

「尤も此れは当時の人種構成を政治的に翻訳した言葉であり、皇帝自身の発した正確な言句は後世の知るところではないのだがね。如何様にも転用できる。例えば、《ドイツ言語ゲルマノルム・リングアムは軍事に、ヒスパニア語イスパノルムは愛、イタリア語イタロルムは言論、フランス語ガッロルムは貴族の言葉だ》という記述もあれば、他の者は《Si loqui cum Deo oporteret, se Hispanice locuturum, quod lingua Hispanorum gravitatem maiestatemque prae se ferat; si cum amicis, Italice, quod Italorum dialectus familiaris sit; si cui blandiendum esset, Gallice, quod illorum lingua nihil blandius; si cui minandum aut asperius loquendum, Germanice, quod tota eorum lingua minax, aspera sit ac vehemens.》と聞いたと書かれていたりもするのだから」[訳註:「神と対話する用のある者はイスパニア語で話すだろうが、それはイスパニア人の厳粛さと風格故である。友人とであればイタリア語、何故ならイタリア訛りは親密な者のそれだからだ。誰かを誘惑するならフランス語、彼らの言葉よりも繊細なものはない。もし誰かを脅したり荒々しく命じたりしたければドイツ語だろう。彼らの言葉は総じて脅迫的なまでに粗暴で激しいからである」カルロス一世自身はフランドル生まれ、母語はフランス語だったという]

「なるほど、馬イコール軍隊なわけですね」器用な従者は長々しい主人の口舌を聞き流しながらも、要点だけは聴き漏らさずに返答した。この少女、日本語の読解に関しては赤点知らずなのである。「但し、出来れば今のは食後に聞きたかったですな。眠れない夜は数学や理科の教科書を読めというアリストテレスの格言が正しければの話ですが」

「教科書を読めという件は恥ずかしながら知らなんだ。しかし彼が食後の眠気について論じたのは読んだ覚えがあるから、恐らくその行だけ飛ばしてしまったのであろうな」

「恐らくその通りでしょう」千代は曲目を記した分厚い冊子には目もくれず、提供可能な食事の一覧表を捲りながら舌舐めずりをした。「昨日の晩飯が寿司で今晩がうなぎとなると、やはりその合間を繋ぐ大役を務めるのは肉系の料理が求められますかね……その辺のところ、カルピス一世は何と言い残してますか?」

「ふむ、カルロス一世則ちカール五世が食の天秤バランサに関して縷述るじゅつした言行録に心当たりはないな」[訳註:イスパニア王カルロス一世と神聖ローマ皇帝カール五世は同一人物]

「一世の方なら載ってますけどもえっとカールですか……スナックバスケに入っていたかな」掲載された写真を隈なく確認する従士。「すいませんないっぽいですね」

「ないっぽかろうね」

「もうしわけないです。ポッキーは付いてるっぽいのですが。それはそれとして――」従士は頁を繰った。「唐揚げって気分じゃないんですよね。《チキンの従士》としては共喰いになりますし。トンカツとか……やっぱ牛ですかね。《獅子の従士》を返上して《牛の従士》を名乗りましょうか」

「成程バカコブ胃パンサは切っても切れぬ仲[訳註:西panzaとは反芻動物が持つ四つの胃の内の一つ目で、焼き肉でいうミノに当たる]……否、」騎士は無い髭を擦る手を止めた。「地球が一転する前に、おぬしの異名は二転三転しておるではないか。三つ四つとあっては二つ名とは呼べぬわ」

「私は二つ名よりツナサラダがありがたいですけど……ツナはないのか、まァいいやシーザーで」ドニャ・キホーテの二つ名も二転三転していた筈であるが、主人想いの千代がその辺りを突くことはなかった。「しゃあない、共喰いになるけど若鶏と……シェーンブルンだけにウィンナーとポテフラ――いやこのチーマヨのヤツにしよう。正直なとこ牛ヒレステーキのガーリックソースがけとかあればモアベターでしたが」

拐引かいいんされし哀れなエウロパに幸あらんことを!」常に弱き者の庇護者たらんとする《嬉し顔の騎士》は、ゼウス扮する白牛に拐かされた美少女のその後の安寧を祈願するとともに、己の家来が犯し続ける大食グラの罪の赦しを神に請うた。「いっそ《ニンニク牛の従士エスクデーラ・デ・ラ・バカ・デ・アホ》の称号でも掲げるがよいわ」[訳註:西vacaは牝牛、ajoはニンニクの意]

「でらでらバカでアホとか、いっそ清々しいな! まァ食わぬ阿呆に食う阿呆ってね」主の忠言には構わず室内に備え付けられた電話の受話器を手に取った従士は、数秒間受付の応答を待った。「馬鹿の大食いと痩せの大食いが両立するなら、三段論法を用いることによって私は――あっ、注文いいですか?」

「成程、それがしがそなたに学ぶべきはその食い意地、否、食って食って食い飽きる心意気かも知れぬ[訳註:悔い厭きる、か?]」そう云うと、ドニャ・キホーテは卓上に放置された食事の品書きをつらつらと眺めた。そうして受像機から流れる騒音に負けない程度の大声で、「たこ焼きと甘藍キャベツを追加じゃ」と命じた。


それから三分程で各々の飲み物と軽食の数組が、そしてその後二度に分けて食事が運ばれると、従士は空いた皿を舐めるが如き勢いで料理を平らげていき、騎士の方とて家来並みとはいえぬまでも、粗衣粗食の彼女からは想像し難いくらいの口糧をその腹中に収めた。

 千代が背景音楽代わりとして適当な楽曲を続けざまに選択送信していた為に、彼女たちが食事中に交わした会話は残念ながら明確に聴き取ることが叶わなかったのだが、それでも牛頭天王や妖獣人との熾烈な戦いが繰り広げられる予定であったあの最初の夜のことについて我々が思い起こす拠り所としては、主従の不確かな遣り取りだけで不足があろう筈もなかった。というのも、店員によって給仕された北海の魔獣クラーケンの変り果てた姿が、厚徳の騎士ドニャ・キホーテの紅涙ラーグリマス・ローハスを誘ったからである。

 高尾の山で大人しく己の軍門に降ったタコ杉は最早彼女の半身も同然なのであってみれば、名将スピノラがオラニエ公に示した恩情と同等の慈悲がその大蛸の触手テンタークロス・デル・グラン・プルポは云うに及ばず、吸盤ベントーサのひとつひとつに至るまで注がれるべきであったのにもかかわらず、ラ・サンチャの精華は終にその神聖なる義務を果たさぬまま、哀れなその肥えた肉塊プルパ・プルポーサを己がかいなに抱くことと相成ったのだ。[訳註:西pulpaの本来の意味は果肉。タコは例えばユダヤ教などでは《悪魔の魚ペス・ディアーブロ》として禁忌視されているが、欧州の中でもイスパニアやイタリアなど地中海沿岸では一般的な食材である。ところで先晩の寿司ネタにタコは入っていなかったのだろうか?]

 心優しい従者は、そんな《江戸のかたきが静岡で袋叩きに遭う》なんてことはそうそうありはしないし、そのタコはあのタコとは別のタコであろうから心配には及ばないと云って主人を慰めたので、それを聴いたドニャ・キホーテも納得して涙を拭くと、たこ焼きを一皿全てひとりで食べてしまったものだから、忠義立ての深過ぎた己を呪った従士がもう一皿たこ焼きを追加注文する始末であった。

「マックやファミレスもいいけど」九時を前にして大方の皿を空にした千代さんは、行儀良く個室の弾性長椅子に寝そべりながら満足そうに述べた。「――公衆の面前じゃこういうこたあ出来ませんからね。広い部屋を頼んだのもこういう企みあってのことですよ」

「老獪な家来を持った凡ての主が寝首を掻かれんことを!」騎士は改めて従者の柔軟なる機転に舌を巻いた。「だが《牛の従士》とは言い条、其の本人が牛の首を被って主人の身代わりとなってくれおるのであらば、此のドニャ・キホーテに限っては杞憂であろうよ」

「もう」(mouとはmu同様、牛の鳴き声を表す日本語の擬音)

「《喰ふて寝て牛にならばや桃の花》か。それとも日の目を避けて惰眠を貪る吾等は差し詰め《牛に成る合点ぞ朝寝夕すゞみ》かな」共に俳聖グラン・マエーストロ・松尾芭蕉が残した句であり、怠惰に過ごした者は来世で畜生道レイノ・アニマルに堕ちるという意味である。[訳註:これは明らかに著者の勘違い。後者は芭蕉の弟子の各務支考かがみしこうの作だし、前者に至っては与謝蕪村の句。戒めというよりは寧ろ、ダメ人間の標榜するのんびり生活ビダ・スィン・プリーサ礼賛の精神が窺えよう]

「ご主人様もどうぞご一緒に。獅子舞ならぬ牛姉妹うししまいになりましょうよ」冷房の効いた部屋の中、悪魔の囁きが艶かしく響く。「丑三つ時に失われた時を求めて」

「此処は《親が死んでもじき休み》という先人の教えに従うとしよう」花は苦笑しながら、千代の持って入った旅行小鞄を開いた。「面白い――双頭の鷲では月並みだが、双頭の牛というのはそれがしも聞いた例がないからな」[訳註:双頭の鷲アーギラ・ビセーファラは、神聖ローマ皇帝カール五世を生んだハプスブルク家の紋章でもある]

「ぐう」

 我らがその躍進を期待して止まない東国の勇者にして、栄誉ある《蜂の騎士》の称号をも冠するラ・サンチャの荒くれ者ドニャ・キホーテは、――寝冷え防止の毛布代わりだろう――取り出した輪奈織りトアージャ・デ・リソを寝入り端の千代さんの身体に懇切丁寧な手際で掛けてやった。次いで入り口付近の壁に歩み寄ると、室内照明の押し釦はそのままに調光器のつまみを最大限に絞り、音響機器の主音量も目一杯下げる。それから薄暮の仄暗さに包まれた空楽団部屋の長椅子の内、既に微睡んでいる従者が前以て空けておいてくれた空間に、ゆっくりとその身を横たえるのであった。


正午を回って更に暫く経過した刻限――故あって筆者は、彼女らが刻んでいる凡その時刻を知ることが出来るのである。尤も劇中の個室内に時計が設えてあれば、携帯の電池が切れている主従にも正確な時間が承知されているのであろうが――、阿僧祇花は俄に双眼を見開くと、そのまま徐ろに起き上がり電話の前に仁王立ちとなった。

 それから二秒後、呼出音が鳴りかけたその瞬間に、競技かるたカルータ・コンペティティーボの選手さながらの手捌きで――これは目にも留まらぬ早業で獲物を地上から引き離す鷹か隼のような俊敏さなのだが――受話器を鷲掴みにすると、虚を衝かれたであろう受付従業員の開口を待った。ラ・サンチャの精華には、このように霊妙不可思議なる直感セクスト・センティード・ソブレナトゥラルが備わっているのである。[訳註:日本語の歌留多の語源となったcartaが西語や葡語に於いて女性名詞であるのに対し、karutaが男性名詞扱いなのが面白い。遊戯フエーゴが男性名詞だから?]

「――相分かった。では然様に取計ろうてもらおう。それから、」花は傍らで寝返りを打つ従者を顧みた。「茶をひとつ……いやふたつ。アッサムでもアンクルサムでも構わないから」

「ゴッサムシティがどうかしましたか」千代が目を擦りながら起床した。「ロンサムナイトが……ファァ、ア? どうとか」

水曜日ミエルコレス![訳註:《ミエルダ!》の代用表現]――起こしてしまったか」ドニャ・キホーテは受話器を戻すと、改めて椅子に座り直して云った。「お早う」

「んあ、おはようございます……今何時だ?」

「急くことはない。今し方、相方の目覚ましに取っときの気付けの一杯を頼んだところじゃ。おぬしのお陰で此処数日は、朝な夕な孤独ロンサムネスとも御無沙汰にしておるからね」騎士は従者が余裕を持って身支度できるよう、利用時間を延長したのである。「いや、一晩くらいはそんな夜もあったかな」[訳註:第六章参照]

「やっべカッサカサだわ。お風呂出た後、ちょっち姉さんに対抗しちゃったからな」

「カサノヴァかね」

「カッサカサのヴァーさんです、私が。まァ私は普段ライブとかでもない限り顔塗りませんが、あの年になったらそりゃノーメイクノーライフってなもんでしょうけど」千代は己の若さをひけらかしつつ席を立った。扉を開ける序でに部屋の灯りを点ける。「ちょい顔洗って直してきます」

 そうして従士が化粧直しから戻ってくるのと、店員が牛乳茶を運んできたのがほぼ同時であった。

「あ、あったかい紅茶とか超嬉しいかも」

「旅装が整ったところ恐縮だが、半日ばかりおぬしには無理をさせたからね。日が落ちるまでゆるりとしよう」

「たしかに、昨日あのまま焼け野原のお姫様のとこに厄介になってたら、――姫様の舎弟のとこか。今頃お日様に焼かれながらひいこらひいこらチャリ漕いでたわけですから……いやむしろまだ眠りこけてたかもですね」猫舌を自認する従士は、用心深く紅茶を啜りながら昨晩のたられば話ラス・インコーグニタスに興じる。「ミコミコーナパイセンも今頃、痴女狩りに会って丸刈りにでもされてなきゃいいですがね」

「まったく御婦人に対する礼儀というものを知らぬ従士じゃて!」主は紅茶碗タサ・デ・テを指先で弾くことで従者の発言を諌めた。「百万歩譲って姫殿下が痴女であろうが魔女であろうが、チヨさんの好きなアイゼルネの布団に包まってお休みになったことなど終ぞなかろうから、おぬしは自分のマルガリータの心配だけしておるが良いぞ」

「心配はしちゃいませんが、今はこちらが一方的に音信不通な状態ですから。早いとこ河岸かしを変えて、電源パクれるとこを見つけないと……」河岸を変えるカンビアール・ウナ・リベーラ・ア・オートラとは、相も変わらず年寄り染みた物云いだ。「とか云いつつ、もう少しこの涼しい部屋で休憩する案にはサンチョも賛成です」

「¡El Mayor!」

 それから三軒茶屋の若牝牛姉妹エルマーナス・バキージャスは午後の旅程についての作戦会議レウニオーン・エストラテーヒカに入った。

「今日水曜ですよね……で今はお昼だから、残り木金土で――」

「三日と半日だね」

「三日半ですか」千代は指折り数えて立ったままの指をうねうねと宙に踊らせた。「東京から名古屋までのルートで、浜松ってどの辺りなんですか?」

「通る駅馬路はゆまじにも依るが、まま七分通りは走破したであろう」

「なるほど七三ってことですね……ええと、金土日月火で今日が六日目だから――」算数は得意である。「ペース的には余裕あんのかな? でもミサ当日の朝くらいは、名古屋城の天蓋付きベッドの上で迎えたいというのが正直なところ……ライブは体力勝負ですしおすし。いや、うなぎ」

「其の願い、きっと叶えよう」騎士は出来ぬ約束プロメーサ・インポスィーブレをした。

「え、名古屋城ですか? 天蓋付きベッド?」日本人は古来より床に布団を敷いて寝るものであると聞くが、城持ちの姫君となれば違うのだろうか?「――あ、うなぎか」

「何なりと」

「まァたしかに、妄想の自由は日本国憲法でも保障されてますしね」それをいうなら思想ペンサミエントの自由だろう。[訳註:《妄想の~》は《暴食の自由リベルタ・デ・パンサミエント》と意訳されている。西panzaの原義は《太った腹部》]「公民で憶えてるのそこだけです」

「其れこそが憲法の要諦であろうな」騎士は従者の初歩的な誤りを正さなかったが、そのまま続けてこう付け加えた。「尤も先晩の掛川城よろしく金鯱の浮寝うきねとこが、安眠を期待できる環境か否かは保障出来ぬところだが」

「それはおっしゃる通りすねえ、明け方までサーチライトを浴びせられてたらとても夜までスタミナもちませんわ」

いばら姫ドルンレースヒェンが如き豪奢な寝台で狸寝入りせずとも、チヨさんほどの花娘であれば白雪のような露天の寝床に横たわっておるだけでいつか、王子様が迎えに来てくれようものさ」

「見ず知らずの女の死体にいきなりキスする変態なんて幾ら王子でもやですよ」従者が尤もなことを云った。成る程、晴れて玉の輿に乗ったところで、毎夜変態男ペルベルティードの相手をせねばならぬのでは気苦労も多かろう。「だったらドニャ・キホーテ様のチューで目覚めた方が寝覚めもよかろうってなもんです」

「ああ」

「……いやいやいや黙らないでくださいよ」言い出しの千代の方が照れてしまった。「言葉の綾ですから」

文目あやめも分かずとは謂うが……いや、光栄だと思っておこう」こちらは照れているのか何だか判らない。存外寝起きの頬を赤らめているやも知れぬ。

「まァ別にお城に泊まることはないですけど――せめて三泊の内二泊くらいはちゃんとしたホテルなり屋根とシャワーのあるとこで寝たいなと。つうか既に野宿に慣れちゃってるのが自分でもどうかと思いますが」一旦帰宅した半坐千代をしても、それを除いた四泊の旅程の内、真っ当な宿泊施設で夜を過ごしたのは只の一度切りである。「ああ、ミサ後も一晩泊まったら後四回あるのか。汗だくメイクのまま野宿はないな」

「此れがラ・サンチャの鹿島立ちにて鎖甲懸くさりこうがけを穿く前ならばそれがしも、遍歴の従士が連夜の夜営如きで不運を託つとは度し難き不覚仁ふかくじん也と叱責したであろうが、」ドニャ・キホーテは傍らに立て置かれていた名剣ティソーナを手に取ると、それを恰もモンテシエピ礼拝堂にある聖ガルガーノの剣のような勢いで個室の床に突き立てるや、今日に至るまでの従者の忠誠を讃えた。「千五百スタディエにも及ぶ道程を唯一人の供廻りとしてよくぞ健気に仕えてくれたものとすこぶる感謝しているのじゃ。本来であれば治めるべき島のひとつふたつ褒賞として与えてやるべきだが、手元不如意ゆえ正に取り付く島もないというのが申し訳ないところ。せめて残りの旅枕くらいは石よりは羽根に、抱寝にするのも長脇差ながどすではなく友禅にしてやろう。手始めに今宵は裏の出世城に奥御殿を間借りして――」

「ここにもお城があるんですか!」千代は驚嘆する。「それにつけても城とドンキは日本中どこでもあるんですねえ」

「街道沿いに領分が配され、各藩の城下に宿しゅくが置かれたのであれば、人の集う場所に城があるのも不思議はない。諸大名には気の毒だが、参勤交代の御蔭で長路も整備されたろうしね」江戸時代には国中の地方領主が、自領と将軍の治める都の間を一年置きで行き来する義務を課せられていた。その都度巨額の費用が掛かる上に妻子まで人質に取られたというから、中央集権体制が三百年近く続いたのもそういった老猾な謀反防止策が功を奏したということなのだろう。「《殿堂》の方はどうかね。あるかね」

「どうせ浜松にもあるんでしょうけど、入ると何か買っちゃうから見つけないようにしましょう」

 以上のような決意表明をしたラ・サンチャの従士は席を立つと、脈絡もなく入り口横の受話器を取って料理を注文した。とはいえ「タコの唐揚げクルヒエンテ・デ・プルポ・フリート」と云い掛けて、即座にそれを「ナンコツ揚げカルティーラゴ・デ・ポジョ・フリート」に訂正するくらいの配慮は欠かさなかったのである。


座席に戻った千代は、遅まきながらも「あ、先輩も何か頼みます?」と訊ねた。

「結構毛だらけ蛸足だらけじゃ。それより《殿堂》で何か買っちゃうとまずいのかね?」

「……いや現金がもうそんなないんで」それでも目の前の食欲には勝てないのだろうか。カラオケ店で信用板払いが出来るのなら、《殿堂》で出来ぬという法はあるまい。

「何、銀貨アルジャンが?」[訳註:西訳では「金が無いノ・アイ・プラータ?」]

「だから無いじゃんですってば」[訳註:同じく「金がなければ飯もないノ・アイ・プラータ・ニ・プラートス」]

「おやおや」ドニャ・キホーテが自慢の一振りから手を離すと、それは音も立てずに傾いて卓子の角にぶつかった。「《Los dineros del Sacristán, Cantando se vienen y cantando se van.》――歌と共に金子が消えるのは、墓守も防人も子守も同じという訳だ」[訳註:十六~七世紀イスパニアの詩人ゴンゴラの作。《墓守の金は、歌と共に来りて歌と共に去りぬ》]

「一曲も歌ってないですけど……えっと、このカードでお金も下ろせるのかもしれませんけど。もしくはドニャ様のポケットの中には通帳が一冊あって、叩いてみるたび残高が増えるとか」従者は預かっている主の財布を恭しく広げ、その内部を遠慮なく具に点検した。「清貧の騎士としてはきちっと節約すべきでしょう……でもうなぎは食べないと浜松湖に失礼ですから、そのためだったら今晩くらいは最悪――」

「その板切れを以てすれば路銀を調達するに難くない。尤も乞丐かたいに身を窶すというのなら、門付かどづけでもして宿銭やどせんを稼ぐか――」金銭に無頓着な騎士は日傘の手入れをしながらそう応じた。「其れこそ鰻屋に一日奉公でもするかね?」

「うなぎ屋さんでバイトすればまかないでうな重が出るだろうし、多分ひまつぶしでひつまぶしが食べれるくらいうなぎが余ってることでしょう。客として食べたら何千円も取られそうですけど」従士は札入れから花の《魔法の板》を一枚手に取って隈なく眺めた。「昨日の話だと、始皇帝の時代の金持ちが一日でゴールドカード一枚使い果たすくらい散財するのなら、庶民はどのくらいの予算で生活してたんでしたっけ?」

「ドゥカードというのは中世以降欧州で流通した金銀の鋳造貨幣じゃよ。秦代であれば何だろう……」いずれ兌換紙幣パペル・モネーダ・コンベルティーブレのない時代の話である。「例えばこれは鳥の目といってもチヨさんご自慢の鳥目ではなくお鳥目ちょうもくの話ではあるけれど――市井が半両銭一文で遣り繰りする中、金貨一斤を一夜で徒費する趙高のような姦臣も或いはおったやもしれぬ」

「へえ」従者は落胆の色を隠さなかった。「大枚はたいて出てくる食事がパン一斤ってんなら、金持ちなんてなるもんじゃないですな」

「……食パンの一斤よりは幾分軽いと思うがね」ヒンは中国を中心に古くから東亜細亜広域にて用いられた重さの単位である。一斤が六百グラーモス程であるという。[訳註:秦代の金貨一斤は三百二十瓦。現代の日本で使われる食パンパン・デ・モルデの重さの単位としては、四角い鋳型モルデひとつ分が一斤であり、三百四十瓦前後とのこと。因みに、金貨一斤の価値は半両銭一万枚に相当する]

「それか、パン一斤分が全部純金とかであれば百万円……五百万円くらいにゃあなりますかね!」

「はてな……」流石のドニャ・キホーテも返答に窮したようだ。「頃日けいじつの金相場については明るくないが――食パン焼型一斤大の大きさなら少なく見積もって一億、いや一億五千万円程になるんではないかしら」

「一億……いくら先輩の財産が底なし沼だっつったってそういう非常識な金額とは関わりないでしょうなあ」《底なし沼ポソ・スィン・フォンド》では寧ろ借金苦である[訳註:西pozo sin fondoを直訳すると《底なし井戸》]。ここは《乳の出る牝牛バカ・レチェーラ》、若しくは有り体に言って《金の出る牛キャッシュ・カウ》と呼ぶべきだろう。「どっちにしたって帰りのことも考えんといけません」

「帰りとな?」

「まさか箱根駅伝じゃあるまいし、」エキデンとは長距離継走マラトーン・デ・レレーボのことで、我が国のバレンシアでも世界大会が催されている。[訳註:第一回は二〇一四年五月の開催]「――復路もチャリンコ漕いでってわけにゃいかんでしょう」

「其処はそれ、家に帰る迄が遍歴であろうが」

「遠足ですってそれ」これは非常に有名な慣用表現である。「やっぱりグリリンとシャロロンは東京まで郵送せねばなりますまいて……まァ、シャロロンに関しては新しく買った方が安そうですけど」

「御母堂を買い換えるとは薄ら寒い物云いだね」他人の支払いでボロいママチャリが新しくなるのであれば、廃車になった時の出費が節約される分、当の御母堂たる千佳夫人の懐は逆に温まろう。

「ドニャ・キホーテ先輩だってアレですよ、あの――」従者は昨晩の日暮れ時に風呂屋で耳にした会話を何とか思い出そうとした。「パンダ顔のフィッツジェラルド?を退治しなきゃならんのでしょう。電車使うにせよ車で迎えに来てもらうにせよ、ミコミコーナ姫殿下と出来るだけ早く再会するためにゃ、馬と一緒じゃ間に合いませんぜ」

「The poor son of a bitch...」花は梟目の男アウル・アイド・マンがギャツビーの亡骸に手向けた哀愁溢れる台詞を呟くと、ギアナが誇る大ミコミコン王国を災禍に包んだ強面の巨人ヒガンテ・コン・カラ・デ・マロに於ける大胆な仮説をものした。「突兀とっこつたるパンダフィランドがジャズ・エイジの寵児であるなら、麗しのフラッパーは差し詰めゼルダかデイジーとなるだろうよ。然りとては吾等の目指す尾張には、此処浜松にも所縁あるしかみ像があると聞くから、其の面構えに依っては其奴こそ紛う方なきフィッツジェラルドかも知れぬ。尤も件の『徳川家康三方ヶ原戦役画像』が真実次郎三郎大権現の肖像であったというのは眉唾物であるし、仮にそうであったにせよパンダ顔というよりはタヌキ顔というオチだろうがね」[訳註:二〇一五年八月、つまり奇しくもこの物語の時系列と丁度同期する形で、名古屋にある徳川美術館蔵『顰み像』が家康本人の肖像ではないという新説が発表され、現在最も有力であるという。まさに《事実と史実の相違》を物語る一例であるが、七月末日から家を離れている阿僧祇花がこの情報に接しているとは思えないので、彼女の云う「眉唾物」がどういった根拠に依る発言なのかについては謎である]

「デイジー姫は何となく分かりますが、ゼルダというのは男じゃないですかね」[訳註:ゼルダというのは合州国の作家フィッツジェラルドの妻の、そしてデイズィーは小説内で主人公の元恋人の名前だが、恐らく千代は電子遊戯の登場人物名と混同および勘違いしたと思われる。ゼルダは囚われの姫君の名でありこちらも王女様。多分主人公のリンクとごっちゃになっている辺り、作品そのものに直接触れたことはないのだろう。又、訳者の個人的印象では、ある程度の知名度があるピーチ姫に比べ、デイジー姫の方はそこまで有名じゃないと思うのだけれど……どちらかと言えばドナルドダックの彼女では?]

「ゼルダというのはゲルマン語に於ける女性名グリゼルダ、若しくはイディッシュ語の名ジーリッヒの女性形だよ。其れ其れが《暗闘》だとか《恩寵》というような意味を持つのだが――」《暗闘バタージャ・オスクーラ》とは如何にもドニャ・キホーテ好きのする響きである。「とどのつまりはチヨさん、おぬしがミコミコーナの意趣返しに気を揉む必要はないということじゃ」

「たしかにMICOエムアイシーオーの身体なら他に揉むべきところがたくさんありますが」千代は己と花のいいとこ取りチェリー・ピッキングをしたミコ姫の裸身を思い浮かべると微かに舌打ちをする。[訳註:英語のcherry-pickには《処女厨》というような意味があったと思うが、若き乙女ふたりを翻弄した御子神嬢の形容としては強ち間違いではないかも知れない]「物事をケツから語るのもよろしくないかもしれませんね。《終わりよければ》とは謂いますけど、結末だけ決めてから後は逆算して行動するってのも現実世界じゃそうそう通用しないでしょうし、帰り道の心配をしたらそれこそ鬼に笑われるかも」

「そうとも限るまい。結文から物語が生まれることは珍しくなかろう。それ、スナークがブージャムであった例もある」

「ジャムのスナックってえと、梅ジャムとソースせんべいのマリアージュとかですかねえ……そういや最近全然行ってないわあそこの駄菓子屋」

「だがしかし――」花は韻を踏んで言葉を継ぐ。[訳註:著者は「あそこの駄菓子屋」を《その菓子屋エサ・ドゥルセリーア》、「だがしかし」を《深刻に過酷なことだがエス・ドゥーロ・エン・セーリオ》と西訳している]「今はハンザチーヨと高校進級をマリアージュさせねばならぬからね。大宰府の天神様になら傅きこそすれお財布の現金様を拝んでいる暇はない。その終わりよい結末を尾張にて迎える為に逆算すると、本日は此れより三時間ばかり理数科の学習に励んでもらう必要があるのだよ」

「おうふ……」従者は瞑目すると、緩やかに仰け反って後ろの壁に頭を打ち付けた。

「悶絶躃地びゃくじするより前に、帳面の一帖いちじょうでも出さんかね」

「出します出しますから。でもちょっとその前にひとっ走りして、景気付けにそこら辺のコンビニで食パンとジャム買ってきます」これこそが《底なしスィン・フォンド》の面目躍如だ。「プーの一族に仲間入りするくらいなら、チヨさんはプーロのパシリに甘んじることにしますわ……プージャムが何のジャムか教えてくれたら探してきますよ。ドンキなら売ってるのか?」[訳註:第八章冒頭を参照のこと。但しルイス・キャロルの詩に登場する生物はPoojamではなくBoojumである]

 《牛の従士エスクデーラ・デ・ラス・バーカス》が主人の財布片手に部屋を飛び出すのと、店員がナンコツを運んで来たのもまた、ほぼ同時であった。


さてさて、篤学の士ベカーダ・エストゥディオーサドニャ・キホーテがきっかり三時間の講義を終えた時、脳と胃の双方が栄養でみっちりと満たされ飽和状態となっていた従者が改めて小一時間程仮眠という名の午睡を嗜む許可を求めたものだから、主従が建物を出発する頃には西の空に照り輝く日輪も、残り数刻を待ってそのアポロンの二輪馬車ル・シャル・ダポロンを車庫に収めるところであった。

「そうだ、ホテル探す前にどっかコインランドリー的なヤツ探さないと。ルームサービスでもいいけど割高でしょうしね……んしょ」千代は洗濯物で膨らんだ――無論これは比喩的表現だが――車輪付きをシャルロットの前カゴに乗せながら云った。「このままじゃ今晩風呂入った後ドニャ先輩には――サラシは置いてきちゃってるし――また私のキャミ型のナベを意味なくダブダブと着るか、それが嫌ならサラシ代わりに救急セットの包帯、か……タオル? ああ、それかご自身の長い洗い髪でも巻き付けてもらうことになりますな。まァ如何にもタコにも巻きやすそうなお身体ですが」

「蛸はもう結構」騎士も颯爽と軍馬に跨る。「《結構は阿房の唐名からな》とも謂うからな」

「コケッコーでいうなら私だって鳥カラも蛸カラも当分は結構ですわ」タコの唐揚げは撤回した筈である。「《でらバカでアホな従士》ってありがたい二つ名の方は、しばらく頂戴しておきますけどね」(«dela»というのは彼女たちが目指す名古屋の方言で、super-といった意味合いか)

「結局牛肉も大蒜にんにくも食ってないのだから、もうその称号について引き摺るのはよそうではないか」常時気が抜けているようでいて、どうしてなかなか耳聡い従士の粘着質なエンゴマーダ口振りを窘める主人。「尤もおぬしが此の地で釣り上げんと欲しているのがウナギではなくタラであるならば、其れこそ《鱈の従士エスクデラ・デル・バカラオ》とでも呼ばれれば好いがね。だがあれは山椒を振るというよりは塩漬けにするものじゃ……此ればかりは火竜の加護を受けたチヨさんといえど異論あるまいて」[訳註:山椒魚と火竜は共に西salamandraと訳出できる]

「もちろん異論はありません。ドラゴンと対等だとか謂う話の私のロバの、そのカゴがかなり重いという点についてもですけどね」[訳註:第三章参照]

分かった分かったエンテンディーダ・エンテンディーダ、ランドリーでもランドレでも、吾等が必要な処に必要な時分必要なだけ寄ろうではないか」ここはドニャ・キホーテも従者の希望に従った。[訳註:西landreというのは、金品を隠す為に衣服の中に付けられた秘密の袋のことらしい。よもやラ・サンチャの騎士にへそくりがあるとは思えないが]「決戦の地たる尾張は正に兵馬倥偬こうそうの様相を呈していようけれど、些かいまだ道は長い。《くつわを急にしてしばしば策うつ者は千里のぎょに非ず》じゃよ。ゆるりゆるゆる松並木でも眺めて参ろうではないか」

「松と並じゃ雲泥の差ですがね」共に料理など――取り分け前者は寿司やうなぎ等の高級食――に於いて三段階の等級付けをした際の、ピノバンブシルエーロの最上、ルホーソメディアーノレグラールの最下を表す。「浜松というにはまだ浜も松も見ちゃいませんし」

「どうだったかな。あれは東海道からは外れていたかも知れぬな」

「東海道から外れてたって北海道まで外れてるわけじゃないでしょうし、そこは柔軟に……ややっ」従士は愛驢を急停止させた。「ちょっ、いいですか?」

第七天国セブンス・ヘブンいい気分――ではないか」先に行き掛けた主人がイポグリフォの手綱を引いて馬首を巡らせ、戻って来ると更にこう続けた。「土曜を待たずして又候第七天アラボトの能天使カシエルに腰兵糧を強請ねだろうという腹積もりかね?」

「ちゃいますて。ほら、」千代が便利店前の十字路に立つ控え目な標識を拳で叩くと、その看板はコンと乾いた音を立てて細やかな存在感を示す。書かれた通りに読み上げる《山椒の従士》。「姫街道――ですと。何ですかこれ。乙女ロードみたいなもんですか?」

「みたいなもんじゃろうな。《浜に姫ありゃ池には乙女》と謂えば丁度そう、《天に竜有り地に驢有り》が如しよ」浜とは当然此処浜松のことだが、池というのは東京にある乙女たちの聖地・池袋のことである。

「被せてきますねえ……」シャルロットがその美名を拝領した出立日の会話がここでも引用される。[訳註:第三章の八王子に至る道中を参照されたい]「私もニコに連れられて一度切り行ったことあるくらいですけど――いや二三度くらいか」

「欧州の主要都市を結ぶ軍用の舗装道路を敷設したことで名を馳せるローマ帝国だが、トシマの要衝アプリキタスに面する乙女ロードもそのひとつで、その戦略的重要性はアッピア街道に比肩するものと謂われてきた……我自ら《蜂どもの女騎士エクウィティッサ・アピウム》なる異名を取る以上ここは引き合いに出しても許されようて。而してあの通りの発祥は実に紀元前にまで遡るのじゃ。共和制時代、ゼンラの戦いにてイケブクロをその版図の一部に組み込んだローマが、特に戦果の著しかった男色愛好の女兵士たち一軍を労う為に其の手の商品の市を築き、其の往来を鎖で囲んだのが始まりとされる――[訳註:ラテン語のapricitasが太陽光サンシャインを意味するとすれば……そういうことである。全裸の戦いは、第十一章でも引用されたゼラの戦いを下敷きとしているのだろう。又、ここでいう《鎖》とは《腐り=BL》とも通底していることが察せられる]」花はここまで、恰も世界史の教科書を朗読しているかのような名調子で滔々と述べ立てると、二千年の昔にエウラシアを横断した征服者たちの威容に想いを馳せた。成る程、イケブクロのクロがクロと語源を一としているのであれば、若き放浪学士リセンシアーダ・エランテの掲げた奇矯な新説ヌエーバ・テオリーア・エクセントーリカも俄に真実味を帯びてくる。[訳註:こない]「この勝利を報せる為に時の将軍ユリウス・カエサルが腹心に送ったという言葉――《来た見た買った》は余りにも有名じゃな」[訳註:花は第十一章でも御子神嬢相手に似たような台詞を吐いている]

「はァ……そんな由緒正しき大層なロードだったとは露知らず、どうせなら歴史的背景を学んだ上で来てみたかったですね私も。次に行く時は、畏敬の念を込めて神聖イケブクローマ帝国と呼ぶことにしますよ」知られざる文化史に感銘を受けた従者は、西陽を避ける為にまた何処からか色眼鏡を取り出して装着すると以下に続けた。「――って別に私は乙女でもなけりゃホモ好きってわけでもないんですが。まァナニをしたって人に迷惑かけなきゃ個人の自由ですけど、ほら《男穴おけつ[訳註:汚穴か?]に入れずんば痔にならず》とも謂いますし――君子危うきに近寄らずというか。やらないかと言われてもやらないよときっぱり断れる大人になりたいものです。平凡上等、《何でもないような事が幸せだったと思う》って昔の偉い人も歌ってたでしょう」

「幸いなる哉、栽尾さいびしようにも吾吾には《愛あれど植える尾はなしあいうえお》といった具合じゃからの」[訳註:栽尾の意味についてご存じない読者の方々は、その漢字の組み合わせから各自ご想像ください]

「いや一ミリも分かりませんけど……細微な意味まで知りたいとは思いませんし、何となく上品な話題じゃないことはお察しな感じですかね」千代もまさか自分が振った話題がここまで紙幅を割くことになろうとは思いも寄らなかったであろう。「つまりはアレですか、乙姫ロードの方もあんまり上品じゃない店が軒を連ねてるロードってことですか。ソースはミコミコーナ、みたいな」

妲己だっきに唾棄するはおぬしの勝手だが、姫と名の付く世の止事無き御上臈方に、そうそう卑賤な悪女はおるまいよ」

「いやパイセンは別にいい人ですけどね」従士は弁解した。「別にというか、普通にいい人でしたよ」

「乙姫ロード、もとい姫街道は――」騎士は真面目な解説を始める。「所謂脇街道のひとつじゃ。今切いまぎれの渡しというのはチヨさんも聞き覚えあろうが、遠淡海とおつおうみの南端を通る本街道には俗に謂う《入鉄炮出女いりでっぽうとでおんな》で悪名高い荒井の関所があったのだ」

「な……」憲法でも保障された権利を最大限に活用する千代さんは、ここでもまた妄想を逞しくして答えた。「また妖怪かなんかですか」

とらまえられた女衆も、或いは化けて出たかも知れんがね」花は昨晩の幽霊騒動を思い出したか、若しくは妖怪ヨーカイ《入鉄炮出女》の姿を想像してかさも愉快そうに笑うと、その後の説明は程良く割愛して続ける。「換言するに、姫様に限らず女所帯の旅人にとっては、北廻りの本坂通り、つまり姫街道の方が都合が好かったということよ」

「あ、なーる……つまりそっちの方が楽だったってことっすよね」現代の日本に通行手形パセ・デ・パサヘーロスの提示を求められるような関所バレーラスはない。欧州連合UE圏内――正確にはシェンゲン協定国間であるが――の移動に旅券が不要であるのと同様、国内の通行に制限を設ける機関はない筈である。「――じゃあお姫様街道を行きましょうか。名古屋には行けるんですよね?」

「行けるね」

「遠回りになるとか」

「距離としては然して変わりはないのではないか知らん」

「ほう……うなぎ屋さんが少ない、とか」

「流石に其処までは存ぜぬが――」ドニャ・キホーテは鼻を鳴らして答える。「寧ろ東海道と比しても、湖畔伝いということではより水際に親しい道行きであったように思うので、少なくとも少ないということはないのではないかな」

「よっしゃ、」シャルロットの前輪を重い前カゴごと高々と持ち上げた千代さんは、その鼻先を北向けに転じるや並々ならぬ意気込みを垣間見せた。「――それではドニャ姫様、早速プリップリのうな重求めてプリンセスロードを選択しませんか。プリーズ。あ、洗濯もあるんだったわ」

「はっはっは。此方こそ謹んで御供仕りましょうぞ、千代姫君」騎士は騎士で従士の背を軽やかにポンと叩くと、愛馬の横っ腹にも小気味良い蹴上げを加える。「其れにつけても面映きこと……吾が愛妹の輿入れの儀に、よもや流浪のそれがしが立ち会う運びとなろうとは。此れも天佑神助てんゆうしんじょの御導きじゃて」[訳註:千代姫という名は日本史上に幾度か登場するが、その中に徳川家光公の長女・霊仙院がいる。彼女は後に尾張藩主の正室となったので、花はそれと掛けて従士をからかったのだ。無論いずれ訪れるであろう別離を惜しんでという趣もあっただろうが……]

 しかし姫街道の元の名前である本坂通りが、途中で本坂峠を通過する経路であることに由来するのを知っていたならば、賢明なる流浪の従士が進んで北廻りの道に乗り出すなどという選択も、恐らくはなかったことであろう。


十五分程北進した主従だったが、街道筋には並木は疎か、松らしい松の一本も見出すことが出来なかった。

「まァ松自体には興味ないからいいですけど。松茸でも生えてりゃ別ですが……松ぅ竹ぇ梅ぇって」千代は姫街道の先の先を見渡しながら踏板を漕いだ。「――松ってのは、要するに上中下の上ってことですよね?」

「松は上だろうね」[訳註:一般的には松は特上、上は竹に相当するのではないだろうか]

「そいや、」自分から切り出した話題を容易に放り出す従者。「浜松城ってのはまだ先なんですか? さっき、これ、で云ってた」

「此れ、かね」

「それ、です」ふたりは並走しながら、何らかの手振りを用いた意思疎通をしているようだ。共に馬上にあることを鑑みれば、片手だけの簡単な仕種であろう。

「其れだと人招きだな」ドニャ・キホーテは悪戯っぽく北叟笑むと、改めて前方に向き直った。「――有財餓鬼の加護を賜ったおぬしであれば、其処は右手を上げるべきじゃろうて」

「ウザいガキってアナタ……」有財餓鬼とは金や食べ物を乞い続ける地獄の亡者ムエルトス・デル・インフィエルノのことである。なかなかに辛辣だが、素直な従士は云われた通り、手綱を持ち替えると今度は違う手を眼前に掲げた。「こっち?」

「然様然様、千代猫には其方の方が似合いじゃ」従順な家臣の様子を今一度顧みた騎士は、そのまま大きく後方を振り返って続ける。「尤も浜松城は、吾等が其の土手の道哲寺を発って間もなく通り過ぎたがね」[訳註:道哲寺には、吉原で一二を争う人気であった太夫の愛猫が葬られていると伝わる。招き猫発祥の多説ある中のひとつ]

「え~」

「戻るかね」

「いやまァ、それには及びませんけど。こちとら松を待つ器量もなければ城を面白がる趣味もありゃせんですから」

「そう気を落とすにも及ばんさ。尾張を目指す道中であらば――」花は天を仰ぐと、東海道の地図を頭の中に思い浮かべた。「遠からず次の城下町が待ち受けておろうから。何なら今宵の宿は、其処な奥御殿で厄介になるもよし」

「何処のお城ですかそれは」

「岡崎宿じゃろう」岡崎といえば目的地である名古屋の一歩手前である。

「ああ、やっぱ岡崎って通り道だったんだ」

「何と?」

「いや何でも。偶然前通りかかるか分からんし」千代さんは詳しくは説明しなかった。「えっと……こっからどれくらい? あ、キロで」

「高高百、否、八十キリョメトロリウム止まりではないかな」

「ムリムリムリムリエスカルゴですって。岡ザキだか岡ザラキだか知りませんが、そんな呪文を喰らっちゃあ一発でパーティー全滅ですがな。少なくともラ・サンチャが誇る《ジューシーな従士》レベルの雑魚なら即死ですわ」千代は懲りずに新しい二つ名を捏造すると、二日続きの強行軍を何とか思い止まらせようとして主に懇願した。《多汁の従士エスクデーラ・フゴーサ》というのは英語と日本語の組み合わせだ。咄嗟に考え付いたにしては気が利いているが、肉汁(又は果汁)の多い女子という意味ではなかなかに自虐的な形容である。或いは汗っかきスドーサというような含意があったのかもしれない。「個人的にはもう八キロだって漕ぎたかないです。世の中の遍歴の従士の大抵は、我らが《蜂の騎士》みたく不死身じゃないんですから」

「富士見といえば、」今度は東側――つまり右手――に首を捻った騎士が、思い出したように呟く。「此処暫く、裸富士の婉容ともつとに御無沙汰ではないか」

「そういえば」

「同じ松でも三保の松原のようには行かなんだかね」

「まァ最低限の恥じらいってもんを持ち合わせてたってことですかね。裸じゃなくなったからって、冬になったらちゃんと見えるのか知りませんが」山の神が女性であるのには、西も東も違いがないようである。「ってここってまだ静岡県ですよね? 東京からも見えた富士山が静岡県内から見えないってのは、ちょい不甲斐ない感ありますな」

廬山ろざんの其れに倣いて、《富士山の真面目しんめんもく》を身を以て示してくれたらば、チヨさんの見識を深める最良の教材となったであろうに」

「それはそれは、」何やら理解した気になった従士は真面目に返答した。「――富士山も面目丸潰れですな」

「其のようですな」

「ほら、《フジロックにオウム鳴く》とか謂いますし。意味は分かりませんが――」これは日本人が五の平方根ライース・クアドラーダ・デ・シンコを暗記する際によく用いる記憶術ムネモーニカであるが、余り正確ではない。√5 = 2.2360679...となるべきところが2.2620679...となっている。彼女は数学が苦手なのだ。[訳註:そもそも何の語呂合わせか知らずに憶えていたのだろう]「ここからじゃ全然見えなくても、会場じゃ大盛り上がりってこともあります。こればっかりは実際に現地に行かなきゃ見識も深まらんでしょうがね」

「百聞は一見に如かず、だね」

「ザッツ・レフト!」

「左様という意味かしら」

「その通りでして」富士麓祝祭フジロックフェスティヴァルというのは日本版木居ウッドストックのようなもので、毎夏富士山麓にて大々的に開催されている催しである。バンドギャルを自認している半坐千代も、一度くらいは足を運んだことがあるのだろうか。「もちろん、百見が一口に如かずってのがご当地グルメですけども」

「そういうことなら、」花は再び後方に大きく身を捩った。「――おぬしの恋い焦がれるうなぎ屋の看板が百舌もず速贄はやにえ宜しく突き出ていたのを、百足宛らの屹度きっとした足取りで吾等主従は今仕方通り過ぎたように思うが?」

「うおっ、ちょ、マジすか」千代も釣られて振り返る。「……なんつって」

「――戻るかね?」

「過ぎたる店に戻るはなお及ばざるが如しです」

「……その心は」

「ああいう店ってのはですね、事前に調べてから入るもんなんすよ。高級店なんか、一生に何度行けるか分からないし尚更ですわ」そう云いながら従士は、日頃の習慣で懐から携帯を取り出した。

「ほうほう」

「まァレビューとかはあんま当てにならんですが、ネットにはクーポンだとかそういう……あがが、アホすぎる」充電の切れた携帯をそのまま懐に戻す。「――そういうお得情報が転がったりしてるもんで。特に貧乏人にとっちゃあ、この手の宣伝は知っとかないと損しますわな」

「ほうほうほう、御高説謹んで承った」粗野ながら賢い供人を持つ幸福を噛み締めた主は、改めてその寵臣に意見を求めた。「歴歴たるハンザ語録に倣えば差し詰め、《情弱安んぞ広告の志を知らんや》と謂うところよの」

「おお、まさにそれでございます」千代はお世辞でなく、本心から感嘆した。「――ドニャ・キホーテ様も段々と日本語がお上手になってまいられたようで何よりです。つか情弱ってネットとかが普及してから出来た言葉だと勝手に思ってたんですけど、そんな中国四千年みたいな諺の時代からあったんですね。すげえ」因みにこの諺の出典元である司馬遷の『史記』が成立したのは紀元前一世紀初頭なので、その歴史はせいぜい二千年程度である。[訳註:因みにこの伝記小説『ドニャ・キホーテ』が執筆されているのは西暦二〇一〇年代中頃だから、情弱という単語の歴史もせいぜい数~十数年程度であろう]

「ネットというのが縵網相まんもうそうを示しておるのなら、二千と五百年は遡られよう。あなや、世に謂う《インドラの網》が其れであるならば、更に千年は稼げるかしら」共に仏教と婆羅門バラモン教の神の名である。[訳註:縵網相というのは神の名ではなく、仏の身体に備わっている特徴のひとつ。インドラも帝釈天と名を変えれば、仏教の天部神の一柱となる]

「ああ、インドラの……ネット。そういうことか」千代は得心した。「インド語?ではそう言うのかな。インドラネット」(印度で最も多くの人に話される公用語はインド語インディオではなくヒンディー語インディである)[訳註:イスパニア語でindioという場合、インド人と同様アメリカ原住民を指すことも多いが、ここでは千代の発した「インド語」をそう訳出している。無論のこと《インド語》という言語は存在しない。又、hindúという場合でも、インド人とヒンドゥー教徒双方を意味する為、前者についてはhinduistaという用語を使うべきだとする向きもあるとか]

「とはいえインドラの網もインパラの肢も、今現在予後不良なのではなかったかな」

「おっしゃる通りで。イングランドのアホくらいには不良品ですわい」《ブリテンの阿呆ブフォン》では『リア王』の蒸し返しレアビエルタである。従士は再び携帯を取り出すと、「つまり夜になるまでにはこいつを充電して、万全の体制で晩御飯を頂きたい所存にございますってことでございますよ」と云って高々と掲げたのだった。


十分と経たない内に、《山椒の従士》はもう一度姫街道の道標を発見した。

「左らしいっすねプリローは」

「其のようじゃな」プリローが姫街道プリンセスロードの略称であることを心得た上で、騎士はイポグリフォの鼻面を北西に向けた。

「そろそろ小腹も空いてきたし、早めにコンセントをパクれる場所にありついときたいとこですが……ややっ、」漕ぐ足を止めて歯車の空転音ソニード・イナクティーボ・デル・エングラナーヘを響かせた千代は、金招きの右手パタ・デレーチャ・ポル・ラ・パスタを額に翳しながら報告する。「あそこに見えるは松の木じゃないですかね」

「おぬしの云う通り、クロマツか――否、幹の色合いからしてアカマツか知らん」

「バカ松とはまた、可哀想なネーミングであるとともに自転車泥棒の名も思い出させる罪な名前ですこと」学士の烏小路卿と別れてから早五十数時間である。今この時も、黒馬のケルピーが乗り手を川の中に引きずり込んでいないものか、音沙汰も無ければ知りようがない。「――おお、浜松キターッ……って、何だこれ」

「如何した?」

「いや、なんか想像したのと違ったつうか」主従は最初の松の木を通過する。「もっとなんつうかこう……トトロの森みたいな、道の両側からグワーッみたいのを想定してたんですけど」

「其れは耳に聞くだに壮観であろうな!」

車の行き来も然程の量ではなかったので、ラ・サンチャの主従は暫く車道を悠々と並走しながら、徐々に目的地ゴル――それが何処かは知らないが――との距離を縮めるのであった。

「なんかお粗末並木だなあ」千代さんは大層失礼な台詞をものした。[訳註:翻訳では西avenida de los pinos《松の木ロス・ピーノス通り》を改変しde Filipinos《比律賓(人)フィリピーノス通り》。マドリッドにはAvenida de Filipinasという大路が実在するが、これが女性形の語尾を取っている理由は、この道路が黄金時代の王子の名を冠した嘗ての植民地たる太平洋上の島々と同じ《フェリーペ諸島イスラス・フィリピーナス》と呼ばれていた事実に由来する。この場合、軽口の失礼を詫びるべき相手がいるとすればそれは勝手に比較対象とされた他ならぬ比国人の方々ロス・フィリピーノスに対してと考えるのが妥当だろう。蛇足ついでに多少尾籠な陋見というか勘繰りを述べると、これは英語圏の読者に«feeling penus»と空耳(空目)させることを狙ったとも考えられるし、或いは西語のgilipollas《バカチンヒリポージャス》との語感の類似性を念頭に置いたものとの解釈も可能だ。いずれにせよ大層失礼な解釈であり、不肖の著者ともども慚愧に堪えません]「姫街道にしてはショボいっつうか」

「《百聞一見》の例には事欠かぬ訳だ。《待つ間が話の種》じゃよ」花は寸刻前の会話を引き合いに出すと、くすくすと笑って続ける。「それに日輪を隠す勢いでおどろおどろしく両側からグワーッと来られた日には、丸腰の旅人にとっては還らずの森さながら。悲鳴街道に改名する必要に迫られようが」

「そりゃ……違えねえけど」

「ほうれ、一本一本ようく御覧じろ。見事な枝振りではないか。松なる言葉には神仏を祀るという含みがあるのじゃ。そう考えて見れば、正に一柱一柱とでも称呼すべき威容に、歴代の騎士の末座に控えるそれがしも畏まらざるを得ませぬよ」

「ご主人様に畏まられちゃ、家来は困っちゃいますがな」ドニャ・キホーテが畏まったのは、飽く迄も松並木に宿りし神々に対してである。「まァここはドニャ・キホーテの顔を立てて、私もかしこみかしこみ物申すこととしやしょう。とりま松は売るほど拝見したわけで――現在進行形で拝見してるわけですし、後は浜の方を見たら浜松コンプリートってことですよね」

「遠州灘からは遠ざかっていようがね」彼女たちは北進しているのである。

「そんなもんは海上自衛隊の演習地にでもすればいいんです。ほら、」千代は首の後ろを指差した。「今もうなぎの看板あったし……あっ、ちょっと、そっちには如何にも名古屋臭のする店が――なんかかわいいし」

「洒落た店構えじゃな」

「南口の店はこんなじゃなかった気がするけど。まァあっちは路面じゃないしな」千代さんの口から漏れ出る話題としては意外であるが、南北問題ディビシオン・ノルテ・スールは世界中何処の国でも、どの地区に於いても憂慮されている深刻な課題なのだろう。[訳出:これは単純に、千代たちの地元である三軒茶屋駅の南口のこと。調べてみると慥かに、名古屋生まれの有名珈琲系列店の店舗が駅前の建物に入っている]「こうなるとうなぎの養殖場だけじゃなく、エビフライの養殖場にもうちら大分近づいてるってことで間違いありませんわ」

「浜名湖の浜を目指すならばそろそろ西に舵を切るべきじゃな」

「え、西? 西ってどっちでしたっけ」迂闊な従士はてっきり、今も西を向いて進んでいるものだと早合点していたようである。

「御天道様はどちらを向いているかね」

「え、ああそうか……」まだ十二分に明るいとはいえ、日は大分傾いている。

「遠からず大通りグランビアに行き当たろう。其処の四つ辻を弓手――つまり左折すれば好い」

「お言葉に従いますよ」千代は太陽の行方を目で追いながら答えた。「脳みそゆんで上がったこちとら今じゃ右も左も分かりませんけど、多分お茶碗を持つ方の(原註:日本は皿や椀を片手で持ち上げることを食事作法の基本に掲げている世界的に見ても数少ない国とされる)……足がもげる前に今宵の寝床に到着できれば満足ですから」

 静岡県の地図を確認してみると、彼女たちの通っている道筋は随分と遠回りであるように思われる。掛川を発つ時点で姫街道に入る道筋を選んでいたなら――というのも姫街道の東側の起点は掛川と浜松の間にあるからなのだが――、成る程、海沿いを伝って名古屋を目指す東海道経路とも距離の面では大差ない。しかし一旦浜松まで南下してからもう一度北側の街道に入ろうとすると、これは大きな迂回路になるだろう。[訳註:この点については著者の指摘した通り、花がどれだけ県内の地理を把握していたかに依るとはいえ、恐らく彼女が恣意的というよりは意図的に廻り道を選択していた可能性も低くない。加えて言及するならば、南側の起点である浜松から北路に戻るにしても、律儀に真北に近い方向に進む必要はなかったのである。江戸時代ならいざ知らず、因陀羅網インドラネットさながらに網の目状の道路網が整備されている現代であれば、カラオケ店を出て直ぐ北東を目指したほぼ直線的な最短経路を選ぶことも出来た筈だ]

 阿僧祇花は、出会って間もない後輩にして臨時雇いの妹分たるエルマニータ・エンプレアーダ・テンポラルこの口数の多い従者との愉快な道中をより長くマス・ラルゴそしてより冗長にイ・マス・ラルギッスィモ味わいたかったが為に敢えて、上述の如き巨大な稲妻型をしたコン・フォルマ・デ・レランパゴ・エノルメ、無駄の多い道行きを通ることにしたのではないか。そんな風に筆者の目には映った――もといこの耳に響いてきたのである。


別のうなぎ屋の看板を発見して間もなく、騎士の予言通り比較的広めの道路が姫街道を東西に貫いているところへ行き当たった。今度は花も、食事に立ち寄るか否かの意思確認を取ることはしなかったが、従者は従者で湖に近付けば近付く程に質の好い夕餉に肖れるのではないかという希望的観測イルシオンに陥っていたようである。

「遮断物というか、」主人に引き続いて交差点を左に折れた千代さんは、夕焼けに目を細めながらボヤく。「――遮蔽物か、がないからめっさ眩しんですけども。なんか周りも何もないし、前方にも何も見えないっすよ大丈夫ですか」

「《Mille viæ ducunt homines per sæcula Romam.》――凡ての道はローマに通ず、じゃ。げんするなら、目隠しでもすればよい。それがしが手を引いて連れて行って遣わす」

「ホモ街道からも外れちゃってますけどそれでも通じますかね」千代は改めて黒眼鏡を装着し直した。「いやローマに通じてる必要はないが……湖畔のホテルにアローマ香る大広間とか付いてんなら、ぜひとも通じてほしいところです」

「やれやれ」

「道路は続くよどこまでも、野を超え山越え浜越えてーっと」

 三十分も経つと千代の軽口も鳴りを潜め、只々力ない息遣いのみが聞こえるばかりとなった。頭の回転にせよ舌の回転にせよ、終わりの見えない踏板の回転と同時進行で働かせるのに彼女の内燃機関では到底馬力不足なようである。

 暫くの間高速道路と並走したかと思うと、後は畑と民家だけに挟まれた田舎道を只管西進して行く。何しろ眼前遥か彼方に輝く太陽だけが頼りなのだ。それ以外の目印はない。

「あほら、フラワーパークですって。花公園ですよハナ先輩、寄ってきましょう」何かと休憩を取りたがる従士は、至る所で何とか主人の注意を惹こうと試みるも、湖を目指すドニャ・キホーテの堅固な意志が引き寄せた偶然は、敬虔な偶然崇拝者カスアリドーラトラを標榜する千代の期待を悉く裏切るのである。「ちょ、こんな時間にもう終わってんのかよ……いや開いてるけどもう入れないのか。折角私タダだったのに」[訳註:因みにイスパニア語で《偶像崇拝者》はidólatraとなる。畢竟casualidólatraは、それと偶然を意味するcasualidadを組み合わせた著者による造語]

 西へアル・オエーステ、西へ、そして西へ。[訳註:英語でgo westと言った場合、《死ぬ/衰える/用無しになる/消耗する/紛失する》などの意味がある]

「嗚呼、ヤシの木じゃーん! ハワイじゃーん……」果たして千代は、ハワイを旅行中の無二の親友ニコのことを思い出したかどうか。そもそも浜松の湖岸に椰子が生えているのかも定かではないが。[訳註:結局馬場家が何処に家族旅行する予定だったのかは判明していない。ハワイかグアムかサイパンか……そしてこの時点で主従はまだ浜名湖に到達していないので、椰子の木を目撃したとすれば沿道ということだろうか……生えてるか?]

 それから三分余、今度は愛馬を急停止させたラ・サンチャの騎士が一声を上げた。

「見よ遍歴の従士よ、目睫に迫るティティカカの大湖を!」花は浜風を受けながら、漸く辿り着いた浜名湖の湛える豊水をその艶めく唇から飲み干さんとするかのように、諸手を左右に広げながら微かな波音に耳を傾ける。「湖精ニニアナ湖獣ナウエリトよ、耳あらば聴け。此れなる大きな湖ラーゴ・マヨールを渡ればチュクイトの街、到頭大インカ発祥の地に入ることとなろうが、汝等は此の荒くれ武者が汝等の神聖なる棲家を一跨ぎするに際し、如何なる通行税ペアヘまたは供物オフレンダを請いよるのか……何なりと申してみよ」

父母ちちかかってなんか継父ママちちみたいな矛盾を感じますけど――って、おおっ!」少し遅れて湖岸に出た千代は、見通しの悪い隘路と主の背中に隠れてそれまでは見えていなかった風景が目の前に広がると、益体ない戯言を中断してドニャ・キホーテと同じような奇声を発する。「うおおおお、おおぅ、湖だ。すごっ、琵琶湖より広いんじゃないですか」[訳註:琵琶湖の面積は浜名湖の約十倍である]

「滋賀にも掛けぬだろうね」

「ようやく浜松着いたって感じしますね」従者はウンと云って伸びをした。

「念の為云うておくが、浜松湖ではなく浜名湖じゃからな」従者の混同を今になって訂正する騎士。「しかし……成程、徒渉する旅人が捧げ物をする迄もなく、先方からジャムを霊糧マナとして恵んでくれおるやも知れぬ。ハマナというからにはな」[訳註:英jamをイスパニア語読みすると《ハム》となるが、どちらの意味で云ったのかは不明。豚腿ハモンを恵んでくれるのならば《肉の従士》千代もさぞや喜んだことであったろう]

「またプージャムですか」記憶力に長ける山椒の従士は当面の問題を議論する為、人気ない浜辺に佇み物思いに耽る花を現実に引き戻した。「どっちにしろ自転車じゃ湖は渡れないんだから、ジャムもマーマレードも諦めてとっととホテルとうなぎ屋を探しましょう」

「だがチヨさん、太陽神インティは未だ妹に其の制空権を譲ってないし、それがしも姉としておぬしを導く権利を有しておるのだぞ。マナを賜るからにはムーサの鶴声よろしく、或いは湖面も南北に割れぬとも限らぬではないか」[訳註:インカ神話において月を統べたのは、太陽神の妻だとも妹だったとも謂われる。マナというのは埃及エヒプトを逃れたるモーセの祈りに答えた神がイスラエルの民に与えた食べ物。浜名湖も紅海のように真っ二つに割れたら馬でも渡れるじゃないかということなのだろう]

「湖面が割れる前にケツ面が割れるって云ってんですよ[訳註:「月面」とも聴こえるが、文脈からして「尻の面」という意味だと解釈した]」海原に向けられた感慨も一段落した従者は、早速長旅の疲労を思い出してしまったようだ。「あそこの白いのはホテルっぽいけど……でかいとこよりショボいとこの方が泊まらせてくれやすそうな気がするし、水際の散策は明日にして、とりま今来た道戻りませう」

「彼のシシー・フィッツジェラルドの左目は偉大な片目閉じグラン・ギニョとして持て囃されたと聞くが、対してそれがしは――」今度のフィッツジェラルドは英国女優である。「差し詰めおぬしの左手に嵌められた操り狂言グラン・ギニョルか。よいよい、《El que no oye consejo no llega a viejo...》」

 すっかり聞き分けの良くなった荒くれ武者は静岡と愛知を分かつ紅海に別れを告げると、自ら先兵アバンサーダとなって隘路を引き返し始めた殊勝な従士の後に続くのであった。[訳註:厳密には浜名湖の西岸もまだ静岡県内である]


途中千代が低空にア・バハ・アルティトゥ余計な物を発見してしまった故、当初の目的を失念してそれら――初めに観覧車、次いで露西亜の山モンターニャ・ルサ[訳註:日本では《噴出推進滑走貨車ジェットコースター》の名で親しまれる遊戯設備。旧くは雪上をそりで滑り降りる木製の巨大滑り台に由来し、冬の露西亜で開発された娯楽が原点となったと謂われる]の軌道――に引き寄せられる内、一行はどうやら北側の入り海に迷い込んでしまったようだ。

 成る程、彼の鼻の長い剣豪詩人の記憶が確かであったならこの第十三章でこそ、再び雷神トールの化身となった我らが剛力無双の女剣士ドニャ・キホーテ・デ・ラ・サンチャと、麗しき銀輪の女神アリアンロッドを犯そうと忍び寄る大蛇ヨルムンガンデルとの血で血を洗う壮絶な決闘が期待できたやも知れない。[訳註:第八章で花の身に仮現したとされる北欧の神は、トールではなくてオーディンである]

 又もや湖岸に出てしまったからにはそのまま再び陸地側に引き返すのも勿体無いと思ったのだろう、従士は手近なところに建っていた仮小屋カセータに歩み寄ると、自転車を死角へ隠してから窓口の受付係に声を掛けた。

「あ、すいません。ちょっとお尋ねしたいんですけども……」

「はいどうぞいらっしゃいませ」遊園地の若い女性従業員が明朗な反応を示す。

「はい、お客じゃなくてすみません。この辺で安く泊まれるホテルとか旅館とか……あっ、それとこの近くにうなぎ屋ってあります? ありますよね?」

「あ、えぇっと……私もそんなに詳しくないんですけど、」女性は軽く前置きをしてから以下のように続けた。「――あっちの、西側の湖岸沿いのお土産屋さんとかある通りに、結構うなぎ屋さんが何軒かあったように思いますけど」

「よっしゃ、勝った!」千代は拳の突き上げボンバ・デ・プーニョ。「あ、すいません。そうだ、それより先にまず携帯を充電でき――」

「目あらば見よ、チヨさん!」不意に背後で咆哮する《蜂の騎士》ドニャ・キホーテ。

「目はありますけど、ちょっ……あ、すいません」一旦係員に向き直り愛想笑いを振り撒いてから、山椒の従士はさも面倒臭そうに主人に訊ねた。「何ですか?」

「Die unglückliche Fahrt auf dem venezianischen Nachen!」花はそう叫ぶとシュトラウスの交響詩の旋律を鼻歌タラレーオで奏でながら、湖を前に見えない楽団の指揮を始めた。[訳註:シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』の第八変奏――《魔法の舟での不運な航行ディー・ウングルックリッヒ・ファート・アウフ・ヴェネツィアーナシュン・ナーフン》の一部だろうと思われる]

「ベネツィアーニションナーヘンじゃあらへんですよ。何が――」

 そう云って訝る従者の視線を湖上の一点を指示することにより誘導した騎士は、湖畔に繋がれた何艘もの小舟を眺めながら満足そうに嘯いた。

「マナの湖風に紛れて、恐れ知らずのバルバリア海賊をも脅嚇せしめるような奇怪千万たる冒険の薫りがそれ、おぬしの繊細な鼻面にも届いてはきまいか」

 矢張りスィラノ・ド・ベルジュラックの勘違いは揺るがないと見えて、ドニャ・キホーテと山岳露人ルソ・モンタニョーソの胸躍る対決はお預けとなったようだ。というのも筆者はこれにてこの章を幕引きとするつもりだし、その先は続く第十四章に任せる手筈だからである。

 いずれにせよ、恐れ知らずの蛮勇な主人公と夕暮れ前の凪いだ水面の婚姻マリアージュを想像して、当然のように一昨日の災禍を想起した哀れなる我らが《ジューシーな従士》が更なる脅嚇の餌食となっていたであろうことは、賢明な読者諸兄の旺盛な想像力に頼るまでもなく論を俟たぬものとしてもこれは一向に差し支えあるまい。

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