第2章:古代文明の記憶装置

 翌朝、神経考古学研究所の会議室は異様な緊張に包まれていた。


「これが、昨日記録された風蘭さんの脳波データです」


 九条がスクリーンに投影した波形を指さす。通常のベータ波やガンマ波の下に、うねるように連なる超低周波の波形が見える。


「0.1Hz以下の周波数帯域で、特異な共鳴現象が確認されました。これは、我々の知る限り、前例のないパターンです」


 会議室には研究所の幹部たちが揃っていた。中でも最も注目を集めていたのは、所長の霧島誠一郎(きりしませいいちろう)だ。70歳を超える老科学者は、記憶神経考古学の創始者の一人として知られる。


「興味深い」


 霧島が眼鏡の奥で目を細める。


「従来の理論では、古い記憶ほど高周波のキャリア波に載せられているとされてきた。しかし、これはその真逆を示唆している」


 風蘭は静かに説明を聞いていた。昨日見た光景が、まだ生々しく脳裏に焼き付いている。


「風蘭さん」


 霧島が彼女に向き直る。


「あなたの見た映像は、本当に七万四千年前のものだと確信していますか?」


「はい」


 風蘭は迷いなく答えた。


「見た世界は、間違いなく超巨大噴火の直前のものでした。そして、その文明は……」


 彼女は言葉を選びながら続ける。


「私たちが想像していた原始的なものではありませんでした。彼らは既に高度な科学技術を持っていた。特に、意識の直接的なネットワーク化という点では、私たちをはるかに超えていたと思います」


 会議室がざわめく。


「しかし」


 研究主任の一人が声を上げる。


「そんな文明が存在したのなら、何か物理的な証拠が残っているはずです。建造物や機械の残骸、あるいは……」


「必ずしもそうとは限りません」


 九条が遮る。


「もし彼らの技術が、意識やエネルギーの制御に特化していたとすれば、物理的な痕跡はほとんど残さなかった可能性もある。実際、現代でも量子コンピュータの小型化は急速に進んでいます」


 議論は白熱する。しかし風蘭の心は、既に別の場所にあった。彼女の脳裏に、古代文明の人々の姿が浮かぶ。彼らは何を目指し、そして何を恐れていたのか。


「私は、研究の継続を提案します」


 九条の声が、議論の混乱を収める。


「風蘭さんの特異な能力は、人類の歴史の謎を解く鍵となるかもしれない。もちろん、十分な安全対策は必要です。しかし……」


 彼は一瞬言葉を切り、風蘭を見つめる。


「これは見逃すことのできないチャンスです」


 霧島所長は、しばらく沈黙していた。そして、おもむろに口を開く。


「承認しよう。ただし、条件付きだ」


 彼は風蘭に向き直る。


「あなたの脳波には、他に類を見ない特徴がある。それは言い換えれば、予期せぬリスクが存在する可能性を示唆している。週に二回まで。それ以上の実験は認めない」


 風蘭は黙ってうなずいた。その表情からは、昨日の不安は消えていた。代わりに、強い決意の色が浮かんでいる。


 会議の後、九条は風蘭を呼び止めた。


「正直に答えてください。昨日の経験で、何か異常は感じませんでしたか?」


 風蘭は少し考えてから答える。


「はい。でも、それは『悪い』異常ではありませんでした」


「どういう意味です?」


「まるで…… 自分の中に、新しい回路が開かれていくような感覚でした。それは怖いものではなく、むしろ……」


 彼女は言葉を探すように一瞬黙り、そして続けた。


「むしろ、自然なものに感じられたんです。まるで、本来あるべきものが、やっと目覚めたような」


 九条は深刻な表情で聞いていた。


「注意深く観察させてもらいます。少しでも危険な兆候が出たら……」


「わかっています」


 風蘭は穏やかな笑みを浮かべる。


「でも、大丈夫です。これは……私の運命なんです」


 その言葉に、九条は何も返すことができなかった。彼には、風蘭の瞳の奥に、かつて見たことのない光が宿っているように見えた。それは不安を感じさせると同時に、どこか神秘的な魅力を放っていた。


 それから数日後、風蘭は再びメモリアに挑戦していた。今回は、より詳細なモニタリング装置が取り付けられている。


「準備はいいですか?」


 九条の声に、風蘭は小さくうなずいた。


 青白い光が彼女を包み込む。そして、意識は再び深い闇の中へと沈降していく。今回は、前回よりもずっとスムーズだった。まるで、体が覚えているかのように。


 そして、彼女は再び古代文明の世界へと没入していく。今回見えてきたのは、巨大な研究施設の内部だった。そこでは、現代のメモリアに似た装置が、はるかに大規模な形で展開されていた。


「これは……集合意識接続実験施設?」


 風蘭の意識は、まるでカメラのように空間を移動する。そこには、数百人もの人々が横たわっていた。全員の額には、光る装置が取り付けられている。


 突如として、一つの意識が彼女に触れた。それは……。


「まさか!」


 風蘭の心拍数が急上昇する。その意識は、彼女と同じ「共鳴者」のものだった。七万四千年の時を超えて、彼女に呼びかけてきたのだ。

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