【SF短編小説】共鳴する記憶 ―七万四千年前からの警鐘―(9,904字)
藍埜佑(あいのたすく)
第1章:共鳴者の覚醒
装置が放つ青白い光が、研究室の壁に不規則な影を描いていた。
「シンクロ率、依然として8.2%です。規定値の10%に到達できません」
風蘭(ふうらん)は、モニターに映る数値を見つめながら、小さくため息をついた。周囲の研究員たちの視線が、彼女に集まっているのを感じる。メモリア――記憶同調装置の前に横たわる彼女の姿が、壁面のスクリーンに投影されていた。
「風蘭さん、今日はここまでにしましょう」
優しい声が響く。研究主任の九条竜彦(くじょうたつひこ)教授だ。端整な顔立ちに似合わぬ優しい瞳を持つ彼は、40代半ばにして既に神経考古学界の重鎮として名を馳せていた。
風蘭は黙って首を横に振る。
「もう少しだけ…… 何かが、見えそうなんです」
彼女の脳波モニターには、通常では見られない特異な波形が表示されていた。0.1Hz以下の超低周波。その存在は、従来の神経考古学の常識を覆すものだった。
風蘭・シャルマ・野々宮。インド人の父と日本人の母を持つ彼女は、25歳にして既に神経考古学の博士号を取得していた。しかし、彼女の真の価値は研究者としての能力だけではなかった。
「共鳴」――それは人類の遺伝子に刻まれた集合的記憶と同調する能力を指す言葉だった。
2045年、人類は驚くべき発見をする。カール・グスタフ・ユングが提唱した集合的無意識の実体が、脳内のミクログリア細胞のネットワークに保存されていたのだ。この発見により誕生した「記憶神経考古学」は、人類の過去を直接読み取ることを可能にした。
しかし、誰もが同じように過去と繋がることができるわけではなかった。大多数の人間は、せいぜい数世代前までの記憶にしかアクセスできない。その中で風蘭は特異な存在だった。彼女の脳波には、他の研究対象者には見られない特徴があったのだ。
「風蘭さんの脳波が不安定になっています!」
助手の叫び声が響く。モニター上の波形が激しく乱れ始めていた。
その時、風蘭の意識が急速に深みへと沈んでいく。まるで深い海の底へと引きずり込まれるような感覚。そして……。
「火だ!」
突如として彼女の声が響き渡る。それは明らかに彼女の声ではなかった。より低く、より荒々しい。古(いにしえ)の言葉だった。
「空が、空が割れる!」
風蘭の目の前で、かつて存在した世界が鮮明に立ち現れる。七万四千年前、インドネシアのトバ火山。人類史上最大の火山噴火とされる大災害の記憶。しかし、彼女が見ているものは、教科書に記された歴史とは大きく異なっていた。
そこには、現代とほぼ同等の文明が存在していた。
空に聳える超高層ビル。地上を疾走する磁気浮上式の乗り物。そして、人々の額には奇妙な輝きを放つ装置が取り付けられていた。
「これは…… 集合意識接続端末!?」
風蘭の声が震える。しかしその直後、激しい頭痛が彼女を襲う。意識が急速に現実へと引き戻されていく。
「バイタル急変! 直ちに中止します!」
九条の声が響く。緊急停止プロトコルが発動され、メモリアのシステムが急速に停止していく。風蘭の意識は、ゆっくりと水面に浮かび上がるように、現実へと戻っていった。
「大丈夫ですか?」
九条が心配そうに覗き込む。風蘭はゆっくりと上体を起こした。
「はい…… でも、信じられないものを見ました」
彼女の声は興奮に震えていた。
「七万四千年前…… あの時代に、私たちと同じような文明が存在していたんです。いえ、もしかしたら私たちよりももっと進んでいたかもしれない」
九条は眉をひそめる。
「それは……確実ですか?」
「はい。彼らは既に集合意識のネットワークを構築していました。でも、何かが起きた。トバ火山の噴火は、単なる自然災害ではなかったのかもしれません」
風蘭の言葉に、研究室全体が静まり返る。もし彼女の見た映像が真実だとすれば、それは人類の歴史観を根底から覆すことになる。
「詳しい解析は明日にしましょう。今日はもう十分です」
九条の声は穏やかだったが、その目には普段は見せない真剣な色が宿っていた。
風蘭は黙ってうなずく。しかし、彼女の内部では様々な感情が渦を巻いていた。喜び、困惑、そして何よりも強い使命感。彼女は確信していた。自分は何か重要なものを見つけ出してしまった。そして、それは既に逃れることのできない運命の糸となって、彼女の人生に絡みついていたのだ。
研究室を後にする時、風蘭は何度も振り返った。メモリアは静かに青白い光を放っていた。まるで、彼女を再び誘うかのように。
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