5話 闇の仕事

急にスマホが鳴った。


「桜井、久しぶりだな。いや、初めましてか。」

「誰なんですか?」

「俺は、お前の依頼主だ。」

「依頼主?」

「あなたは知らないと思うが、お前の体の持主、今は、結城というんだよな、結城の依頼主だったんだよ。」

「結城さんのことを知ってるんだ。」

「そりゃあ、そうさ。結城は、今、俺の下で働いているからな。」

「さっきから依頼主とか、働くとか、どんな仕事なんですか?」

「公安の下部組織で、情報を盗んだり、日本国に危害を与える人を暗殺したりという仕事だよ。日本人は平和に何も考えずに過ごしているが、それは俺たちが見えないところで、種々の画策をしているからなんだ。」

「そんなことがあったのね。でも、それで素人の私とどう関係があるんですか?」

「まあ、今のあなたとは関係ないともいえるんだが、今井というと、優秀と有名人でな、これからも手伝ってもらいたいんだ。言い換えると、あなたがその体になる前、今井は私たちの組織で働いていたんだよ。その時もそうだったんだが、そんなに頻繁じゃなくてよくて、仕事がある時以外は、今までのようにプライベートな生活を楽しんでいてもらっていいから。」

「何をしていたんですか?」

「いわゆるハニートラップだな。いろいろな人から、色仕掛けで情報を盗む役割だ。そういう情報に基づき今後のアクションが決まるんだから重要な役割だぞ。」

「よくわからないので、今すぐ返事ができません。結城さんに相談してみます。」

「それもありだな。まあ、よく考えてみてくれよ。」


私は、もとの私の体となった結城さんとコンタクトを取ってみた。

昔の自分に会うのはとても違和感があったの。


「どう、楽しんでる? 僕はそれなりだけど。」

「純忠満帆とはいえないけど、楽しいことはあったわ。昔好きだった人と会えて、楽しいひとときを過ごすことができた。でも、すぐに別れちゃったのよ。すでに婚約者がいたから。」


未だに思い出して雫が目から落ちる。


「すっかり女性なんだね。それだったら、ハニートラップの仕事もできるんじゃない。」

「それそれ。どういうことなの。それを知って私と体を変わったの?」

「たしかに、自分のジェンダーには昔から違和感を感じていた。でも、それだけじゃなくて、ハニートラップをして、体を切り売りしている自分が許せなかったんだ。男性から抱かれるのも、気持ち悪かったし。だから、そんなことから逃げ出したかったという理由もあった。」

「それと私とは関係ないでしょう。そうだったら、そんな仕事を辞めれば済む話しじゃない。」

「そんな簡単じゃないよ。ところで、僕も男性になれて楽しい時間を過ごせた。でも、自分じゃないとできない仕事ということで、結局、この仕事に戻っちゃったんだ。ごめん。IT会社は辞職しちゃった。今は、闇の組織でフルで働いている。やりがいはあるから。」

「私は断ろうと思ってる。そんなことできる気がしないし。」

「これは僕からのお願いになるけど、是非、この組織に入ってもらいたい。やっぱりハニートラップの仕事って必要なんだ。たぶん、この顔、体が、相手に不信感をいただかせずに、懐にさくっと入るのに最適なんだと思う。やってほしい。」

「それは、あなたのテクニックでしょう。」

「いや、大丈夫。慣れもあるから。」

「そんなこと言われても。」

「もう一つ、重要なことがあるんだ。このことを知った以上、組織は君を放置できない。誘いを断れば、暗殺されてしまうと思う。」

「そんな、ひどい。」

「もう僕と体を交換したときに運命は決まっていたんだ。」


こうして、私の闇の仕事が始まった。

最初は、外務省職員がロシアに情報を流しているのは本当か調べて欲しいというものだった。

日本人なのに、日本を裏切るなんてひどいとは思う。


その職員は35歳で、外交官にはよくあるけど羽振りはいいらしい。

官庁の給料はすくないけど、実家が金持ちだから。


調べているうちに、職場での飲み会の後は決まって同じショットバーに行っていた。

今日は彼がこのショットバーに来る日。


私は、レーストップスとミニスカートにシースルーのレースをまとってカウンターに座っている。

このトップスはバストを際立たせる。

男性の目は、私の足に釘付けとなる。だから、この組み合わせは大好き。


1人でカウンターに座り、カクテルを傾けている。

目の前のボトルは光を浴びて輝いている。

部屋には、広い窓から街の光が照らすけど、真っ暗でシックな雰囲気が漂う。

1人ひとりの前だけ、小さなライトがグラスだけを照らす。


羽振りがいい外交官職員が通うというのは理解できる。

たしかに、上品で高級感が漂う。

ここを訪れる人たちもエリート達だと思う。


寂しそうにカクテルを揺らし、目をうつろにしておく。

ハイヒールを脱ぎ、ストラップに足をかけ、ぶらぶらとさせる。

だれか素敵な男性と話しをしたいというように。


狙い通り、外交官職員は私に声をかけてきた。


「お嬢さん、お一人ですか? ご一緒させてください。」


何も返事しないうちに、私の横に腰掛けた。

強引でありながら、自然なのは立派ね。

仕事じゃなければ、付き合ってもいいかもしれない。

いえ、売国奴だから、ありえないか。


「お嬢さんは、ここによく来るんですか? あまり見たことがないけど。」

「今日が初めてなんですよ。なんとなく、吸い寄せられるように、ここに来ちゃった。」

「そうなんですね。なんか寂しそうだったけど、なんか合ったんですか? 言いたくなければ、言わなくてもいいけど。」

「聞いてくれます? 私、ずっと憧れていた男性がいて、やっと一緒に旅行に行けることになったんです。」

「良かったじゃないですか。」

「それで一晩過ごして、朝に、とんでもないこと言われたんです。」

「どんなこと?」

「婚約していて、もうすぐ結婚するなんて言うんですよ。しかも、私とはセフレとして付き合い続けようなんて。」

「ひどいやつじゃないですか。」

「そうでしょう。どうして、こんな人を好きだったのかと思っちゃった。」

「大変でしたね。でも、あなたは素敵な女性だから、そんなクズは忘れて、次の恋にいけば、素敵な時間を過ごせますよ。」

「そうかしら。そんな素敵な人がいるといいけど。」


私は、だいぶ飲んだの。

酔っ払った方が、自然だし、罪悪感も忘れられる。

もし行為に及んでも、ピルで避妊できるはず。


「僕がいるよ。」


途中で、目の前の男性が私の耳元で囁いたことだけは覚えている。

朝起きると、私は産まれたままの姿で、男性の腕に包まれていた。


「あ、起こしちゃったかな。ごめんなさい。」


私は、下から彼を見上げ、微笑んだ。

こんな姿だから覚えていないけど、エッチをしたんだと思う。

彼の手を外し、椅子にあったインナーを着た。


「もう少し寝てて。シャワー浴びてくるから。」

「そうだね。もう少しゆっくり寝ているか。」

「いつも疲れているんでしょう。そうした方がいいわ。」


私はシャワールームを出て、もう一回、彼の横に潜り込んだ。

彼のぬくもりが感じられて暖かい。


「もう、上がったのか?」

「ええ。昨日のこと全く覚えていないけど、何を話したんだっけ?」

「彼からセフレと言われたとか、今、IT会社に勤めているとか、寂しいとか言ってたよ。名前は、桜井 澪といっていたから、昨日は澪と呼んでいた。これからも澪でいいよね。」

「そうなんだ。澪でいい。あなたは、なんていう名前なの?」

「昨日は、澪は、僕を浩一と呼んでたけど、酒井 浩一というんだ。外務省に勤めている。」

「すごいわね。外務省って、エリートって感じね、浩一。」

「そうだね。海外の大使館勤務だと、それなりに贅沢しないとバカにされるんだよ。でも、給料は少ないから、実家とか結婚相手の実家でお金を出して裕福感を出す必要があるんだ。だから、官庁勤めだけじゃなく、人生としてもエリートじゃないとできない仕事と言えるね。」

「すご〜い。憧れちゃう。」

「そうだろう。どう、付き合ってみない。」

「そうね。まだ会ったばかりだけど、軽い女性と思われたりしないかな。」

「大丈夫だよ。昨日話していて、頭がいい人だと思った。しかも、スタイルもモデル並だし、顔は女優でも通用する。そんな人の彼氏となりたいな。」

「なんか、アクセサリーみたいに思ってる?」

「そんなことないよ。言い方が悪かったかな。こんな素敵な人と付き合いたいと言っているんだけど。」

「嬉しい。じゃあ、今日はどうしようか。」

「今日は休みだから、横浜でもブラブラしようか。」

「いいわね。近くだけど、これまで行ったことなかったの。レンガ倉庫とか行ってみたかったの。」

「じゃあ、出かけようか。」


私たちは、横浜をのんびりと歩いていた。

おしゃれなカフェでランチをとり、三井アウトレットパークにも行ってみた。

UNTITLEDというお店で一緒にトップスを選んでもらったの。


「ねえ、どっちが私に似合うかしら。」

「どっちもいいけど、洋服買いたいなら、今度、知り合いのハイクラスのお店に連れていこうか。気に入った服があれば買ってあげるよ。」

「本当、ありがとう。じゃあ、今回は見るだけにするわ。」


こんな風に彼とは3ヶ月付き合い、最近は、彼の自宅にも遊びに行く関係にある。

ある晩、彼が飲んでるお酒に自白剤を入れたの。

自白剤は、映画のような薬じゃない。


どういう仕組かはわからないけど、ハイになって、自制が効かなくなるらしい。

そして、調子に乗ってペラペラとはなしてしまうらしい。

聞いているとおり、彼は話し始めた。


「僕は、優秀なんだよ。」

「わかってる。どういうところが優秀なの。」

「僕は、知っている通り日本の外務省で働いて、同期で一番の出世頭なんだ。」

「それはすごいわね。でも、同期で誰かは一番なんだから、それだけじゃね。」

「ばかにしているのか?」

「そんなことないよ。もっと、浩一のすごい所を聞きたいの。」

「それだったら、とびっきりの話しがあるんだ。僕は、ロシアの政府からも評価されていて、毎日のように会話しているんだ。」

「どんな会話なの?」

「日本の自衛隊の基地とか、装備の配置状況とかをこの前は伝えたかな。それと引き換えに、ロシアのウクライナ攻撃の現状を聞き出して、自衛隊に伝えておいたんだ。自衛隊からは、日本の情報と引き換えに得た情報なんて知らずに、僕を表彰するんだ。笑っちゃうよね。」

「すごいわね。ロシアからも大切にされていて、日本政府からも表彰されるなんて。」

「そうだろう。俺はすごい人なんだ。もっと好きになっただろう。」

「本当、大好き。」


私は、最後のキスをした。

そして、眠った彼を横目にホテルを出た。

その足で、組織のボスのところに行き、彼の情報を伝えた。

これで、今回の仕事は終わり。


私は、煌々と光が窓から漏れるビル群の中を歩いている。

こんな遅くまで仕事をして、何が楽しくてここで働いている人は生きているのかしら。

大切な人がいて、そのためにお金を得るためだけで働いているのかもしれない。


横をタクシーが通り過ぎる。

後部座席にいる男女が口を重ねていた。

きっと、お互いに大切な人と幸せな時間を過ごしているのね。


私は女性の体になったけど、こんなことをするためだったのかしら。

初めは湊くんと付き合いたいということから始まった。

でも、もうその望みは潰えてしまった。


今は、いくら大切なこととはいえ、体を男性に差し出す仕事をしている。

この体の持ち主が嫌だったことはわかる。

このままでいいのかしら。


でも、IT会社の給料は少ないし、副業としては助かる。

なによりも、誰も気づいていないけど、日本のために役立っているというのがいい。

スマホをみると、次の仕事が来ていた。

今度は、この体の持ち主だった人と一緒にとあった。

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