三鬼先生の昼休み

丹路槇

三鬼先生の昼休み

 スクラブを擦りつけるようにして白い鉄扉に寄りかかり、ゆっくりと南階段へ入る。

 午前中は内科の初診外来、昼は月に一回のCPCで、三時からの教授回診までほとんど時間がないのははじめから分かっていた。エレベーターを待たずに九階まで駆けあがれば、社食のラストオーダーに間に合うかもしれないな、というくらい。それなら、研修医控室に戻って十分だけ目を瞑って体力を回復させる? まさか。もともとそういうのがてんでうまくできないから、今しがたナチュラルローソンで食べ飽きた菓子パンとカロリーメイトを買ったわけなんだから。

 階段は患者さんも立ち入りができる、オープンスペースに扉があった。一階から三階は外来エリア、階段は四階まで続いていて、途切れた階段の向こうにある扉はICUに繋がっている。さすがにそこの扉はスタッフのICカードで認証しないと通行できなかったし、一階の階段扉は併設カフェの端にあったから、きっと非常口か何かに見えるんだろう、この階段の存在は普段からあまり多くの人には気づかれていないようだった。

 俺はその三階と四階の間にある踊り場まで行って、毎日短い昼休みを、窓の景色を眺めながら菓子パンを齧って過ごしていた。

 病院の敷地内には果樹が植わった緑地があって、細い道ひとつ挟んで小学校があった。寒空の中、半袖半ズボン姿の児童が、校庭で縄跳びに励んでいる。年末まで紅葉が見られた木々の葉もすっかり落ちて、蜜柑みたいな黄色いきれいな果実もいつの間にかなくなり、今は通用口の近くにある木が濃いピンク色の小さな粒みたいなのをたくさんつけている。Googleレンズで調べたら沈丁花の蕾なのだそうだ。咲いたらどんな花なのか、それくらいしか仕事場の楽しみがないのが、ちょっと切ない。

 卒業した大学の附属病院で臨床研修をすることになったのは純粋にマッチング採用のくじ引きみたいなもので、学年の中で卒後学外に出るほど優秀でもなく、しかし箸にも棒にもかからないというほど戦績は惨敗というわけでもなかった。僅かな選択肢から、俺は同級生の学内就職がいちばん少ない附属病院を選んだ。開院十年ほどの新しい病院で、周産期プログラムのない、立地はいいが家賃も高い、マイナー科に弱いがスタッフがとにかく優しい。病床数400の大学病院にしては小ぢんまりしたところで、配置された初日、隣にいた同期が「膠原病医になりたい」と言ったのになんとなくつたれてしまったようなかっこうで「志望は血内です」と口が滑ってしまった。保身に走れば専攻すべきなのは圧倒的にメジャー科、呼吸器でも消化器でも循環器でも何でもいいけど、独立してクリニックや医院をやりたいなら血内なんて選ぶ必要はない。むしろ人手不足で使い走りの下積みがやたら長そうだし、そのまま大学を辞められなくなってしまうかもしれない。

 在学中に成績優秀者に貸与される奨学金制度にも無縁だったことに今更ながらやや安堵している。たぶん、臨床研修が終わったら即刻ここから出ていくだろうな。今の同期は他大出身者ばかりで在学中の自分を知らない気楽な関係だったが、それゆえに、ここへ俺を繋ぎとめるものもないと思った。

 食べ終えた菓子パンの包装をローソンのポリ袋へ押し込み、ペットボトルの水であまり咀嚼していない食べかけを流し込む。カロリーメイトのチョコ味を半分だけ食べるか、丸ごと夕方まで取っておくか悩みながら、紙箱の開け口に親指をあてて押した。スクラブの胸ポケットに入れたIP電話が着信を報せる。庶務の固定番号が表示されて、インシデントレポートの提出催促だろうと顔をしかめ、そのまま手からストラップを放した。

 今日は何時に帰れるかな。しばらく宿直もないから、明日も七時五十分には病棟に上がっていないといけない。晩飯もコンビニでいいかな。ポリクリの時はローテのグループと毎週のように飲みに行っていたのに、この頃は吉野家へ寄るのだけでも億劫に思えるようになっていた。単純に寒さのせいにしておきたい。恋人がいれば別の張り合いもあるのかもしれないけれど、あいにくそんな予定もないし。

 開けかけのカロリーメイトの箱を両手に持って手摺によりかかっていると、四階の扉ががちゃっと開いた。きゅっと靴がフロアに擦れる音がしたから、ナースシューズだろうと勝手に思った。背を丸めて窓の下に見える緑地を黙って見下ろす。災害時にはトリアージテントが建つ芝生のエリアには、ベビーカーを持った母子が散歩に来ていた。

 軽快な足取りはとんとんと一定の速度で階段を下りていき、踊り場のところで折り返すと、三階の少し手前あたりで止まった。いや、音が聞こえなくなっただけできっと三階のドアを出たのだろう。もしかして明けのあとに残務につかまった看護師がようやく解放されて、今からロッカー室へ着替えに向かったのかも。この病院はいいスタッフがたくさんいるけれど、どこの部署も基本的に十分な配置はされていないから、みな超がつく忙しさの中で働いている。研修医なんてその中では客みたいなもので、宿直明けに二日も強制で休みが取れるしバイトも禁止だから、もっとも権利を守られている職種と言えるだろう。

 階段で一度止まった足音が、またとんとんとこちらへ向かって上がってくる。忘れものだろうか。気まずいよな、お互い。カロリーメイトをポケットにしまい、ポリ袋の口を縛って、自分もこの場を退散しようと手摺から離れた。

 踊り場の方へ向き直った時、懐かしい顔をみて思わず「あっ」と声が出た。

「ああ、ひと違いかと思った。三鬼、先生、おれのこと覚えてる?」

 黒いスニーカーを履いたスーツ姿の男性は、かつて俺を何度も窓口に呼び出しては叱って課題を助けてくれた、教務課の職員だった。世話になったのは医学部の二年から四年くらいの間、確か共用試験の少し前あたりで突然姿を見なくなったから、てっきり退職したのだと思っていた。

「忘れられるわけないじゃないですか。能崎さんだ、なんでここいるんですか」

「名前も覚えてるの? すげえ、全然変わってて先生だって自信なかったよ。何年ぶりだろ」

「三年、ちょい、とか」

「まだそんなもんか。おれが歳取っただけだな」

 3Mの白いマスクをしていても、能崎さんの笑顔は記憶ではっきり見えている。今どこにローテ中かとか、同級生とまだ連絡を取っているかなどの月並みな話をされ、その答えで会話が終わらないように慎重に言葉を選んだ。このあとの教授回診の予定をすっぽかしてしまいたいくらい、今日の昼休みに踊り場に来たことがここ最近でもっともラッキーな出来事のような気がしたのだ。

「能崎さんは」

「ああ、転入者のルミネスバッジ届けにきたの。看護部のポストでも良かったんだけど、師長いたら声かけたいことあって」

「バッジ? 今、放射線いるんですか?」

「いや、庶務やってるよ。事務はどこでも異動あるから、今はここの管理課」

「カンリカ」

「そ。先生、また出すもん出さないでうちから催促とか来てるんじゃないの」

 学生時代はよく「おい三鬼、お前」って呼びとめられていたのに、能崎さんはもう俺を先生としか呼ばない。あの時と同じように揶揄われているのに、こっちも当時のように子どもじみた態度で「うるさいなぁ」とか「知らない」とか言って邪険に躱すこともできなくなっていて悔しかった。階段の数段下にいる能崎さんは、俺より背が高いのに、今はこちらを眩しそうに見上げている。

「能崎さん、IP何番」

「何それ、ナンパか」

「……昼、食うとこなくて、困ってんの」

 これは本当の話で、四月から此処へ毎日通勤している俺の憩いの場は職場の外でもほとんど見つかっていなかった。臨海地域の埋立地にできた病院の近郊には、タワーマンションと東京二〇二〇オリンピックに合わせて建てられた施設ばかりだ。病院を出て駅直結の商業施設にはグルメ街があるようだが、ランチを済ませて戻ってくるタイムトライアル休憩は現実的じゃない。

 急拵えで引っ張り出してきた本音に隠した不純な感情について、能崎さんは気に留めなかったようだ。

「うん、飯行こう。一時過ぎならおれいつでも出れるよ。先生暇な日に電話して」

 四桁の端末番号を聞き、その場でIP電話に打ち込んでワンコール鳴らした。着信を確認した能崎さんは一瞬だけ目を細める。彼のマスクの内側の笑顔を俺が想像している間に、さっと踵を返すとスーツ姿は三階の扉の向こうへ消えていった。

 

 翌週、指導医が外勤で不在の木曜日に、病棟の回診を終えてから能崎さんへ連絡してみた。今月は消化器センターのローテで午後にDRの検査が一件入っているくらいで研修の比重も辛くない。月に三度の宿直、いわゆる〝寝当直〟も終わっていたから、次月に行く小児科の予習を合間にする余裕もあった。というか、同期からの助言でそれをしておかないと小児科が重すぎて死ぬと聞いていたので、そういう根も葉もない言葉にすぐに怖気づいて柄にもなく復習を始めたのだ。

 小児科は学生時代ポリクリの他に診療参加型の選択実習で他科より多く回っていた。臨海の附属病院とは別の、横浜あざみ野にある古い附属病院で小児病棟の実習をしていた時、俺はたぶん医者じゃなくて保育士になるのが向いていたんだろうなと思った。その時の指導医は助教になる前の専攻医で、大学で言えばポスドクくらいの若いドクターだったが、丁寧で面倒見がよく、用がない時も病棟を回らせてもらっていた。談話室で暇そうにしている患者の子どもたちに絵本を読んだりしていたので、よく検査時間に遅刻させたり病棟に迷惑もかけていたが、子どもを相手する場所だからなのか、看護師も他の場所より当たりが柔らかで寛容だった。

 だったら研修医も小児プログラムがある施設に採用マッチングを登録すればよかったのでは、と思うが、当時の俺にとってその実習期間は国試対策の勉強から逃れる箸休めに過ぎず、自分のやりたいことを選択するという場に浮上しないものだったらしい。

 まあ、今度の研修でどうにかなって、再来年度の入局どうこうに影響があるかは今もまったく分からないけれども。

 十一時過ぎ、能崎さんは電話に応答しなかった。折り返しを待っていたのは五分くらいで、別のことをしていたらすぐに忘れてしまっていたけれど、十二時になる十分ほど手前で不意にIP電話が鳴る。

「はい、もしもし」

「お疲れ様です、管理課の能崎です。先ほどお電話……」

「能崎さん、三鬼です」

「あ、先生か。折り返し遅くなって悪い」

 もう出られるか、と聞かれて、電カルの端末席を立ちカンファ室をのぞく。部屋の隅でカップ焼きそばを食べている新人看護師と目が合い軽く会釈して頭をひっこめた。白衣を脱いでスクラブの上にウルトラライトダウンのコンパクトジャケットを着て行けば、下がスラックスでもボンタンでもない変な格好だけどまあいけなくはないだろう。もともとクロックスが嫌いで今日も紺色のスニーカーを履いていたから、更衣室に戻らなくても病院の外に出られそうだ。足下に違和感がないか念入りに確認しながら「三分で下いきます」と答えると、「そんなに急がないでいいよ」と笑われた。

 能崎さんが連れて行ってくれたのは、病院から三ブロック離れたドラッグストアの裏にあるインドカレーの店だった。店の壁にはネパールの国旗やガネーシャのポスターが飾られている。クロスの上にビニールが敷かれたテーブルを案内されて、メニューを持った店員に話しかけられた。イントネーションが独特で言葉に変換するまで時間がかかってしまったけれど、たぶん「本日のカレーはナスとマトン」と言ったのだと思う。

「美味しかったのとか、おすすめありますか」

「おれもここ三回目だけどね。バターチキンと野菜は美味かったよ。今日はキーマ食おうかな。先生もメニュー見て」

 ラミネートされたメニューを受け取りながら、首元までジッパーを上げたダウンジャケットを脱がない俺に、前くらい開けても大丈夫だと彼が小声で告げた。職員寮のそばにある立地のせいなのか、主な客はドクターや警備員、時たま臨床実習の学生や製薬会社の営業が寄るくらいで、近隣のマンション住民や子連れなどはあまり見かけないのだという。

「あー……服、難しいですね。本院のまわりは、蕎麦屋でも中華でも、スクラブで余裕だったから慣れないです」

「な、こっちは駅前の通りに飯屋もあんまりないし、街が静かだから。次、黒のチノパンとか履けば」

「なるほど。そういえば女子がけっこう履いてます。あれそういうことか」

「そういうことか分かんないけど。先生、インドチャイ飲める?」

 ふたりの注文をまとめて能崎さんが店員を呼んでくれる。手元のスマートウォッチを見ると、休憩の時間を取ってから十三分が経過していた。いつもは十五分くらいですぐに持ち場へ戻るから、一時間の休憩を使い切るまで現場から離れるのはかなり久し振りだ。

「能崎さん」

「何」

「もしその、自分がちゃんと、研修医に見えてるんだったら嬉しいんですけど、能崎さんに先生って呼ばれるとすごい緊張します」

「なんで、もう医者でしょ。免許取って診療して。お前ちゃんと卒業したね」

「そう、けっこう危なかった……」

「嘘、冗談だよ、危なくねえだろ。ふらふらしてんのにさ、いつも流して走ってるみたいに見えてたよ、こっちは」

 なんでそんなことまで憶えてるの、という一言は、怖くて口に出せない。代わりに元クラス委員や首席の同期の名前を出して、今あいつはどこそこ病院にいる、などの当たり障りない情報を幾つか話した。能崎さんは俺たちが二年の春のオリエンテーションで教務課の担当として現れ、クラス委員と折に触れ連絡を取り合っていた。医学部医学科は学年で約百二十人、いくら仕事とはいえ、全員を記憶していることは不可能だろう。俺が話した数人は、卒業後も学内に残っていれば入局後間違いなく出世コースのメンバーだ。反対に成績不良者は、毎度のようにポータルサイトやら電話で呼び出されるから、悪名として残っている可能性はある。俺はどうかな。二十人くらいがいっぺんにリストにあがっている時には一斉に催促されるくらいはあったけれど、月並みに手を抜いて、まずいところはちゃんと及第点を取って、適度に世話を焼かれつつ、進級して卒業していったひとり。

 テーブルにカレーの入ったステンレス製の容器が配膳され、それから大きなナンの乗った籠がふたつ並べられる。ふっくら膨らんだナンにオイルが光っている。キーマカレーの表面に浮かんだ泡がぷつっと弾けた。いかにもスタミナ満点のランチという、香辛料のぴりっとした匂いがする。美味しそうなものを目の前にして、久々に昼の時間に空腹を感じた。

「いただきます」

「礼儀正しいな、おれもいただきます」

 能崎さんはさっそく手を伸ばしてナンをちぎり、ボウルのカレーにひたしてぱくっと食べた。動作は男らしいのに、指が細くて手入れされたみたいに綺麗な爪がほんのりピンク色をしている。ストローを持つ手は右なのに、匙がわりのナンを口へ運ぶのは左手だ。美味い、とか、未だ外は寒いなとか、相槌だけで済むなんでもない会話を聞きながら、その薬指に嵌った銀色の指輪を見た。

 俺が能崎さんとこんなに長い時間ふたりきりでお喋りをするのは、四年の夏の呼び出し以来だと思う。

 

 共用試験の直前、正課が無くなった自習期間に、ポータルの通知で唐突に課題が出された。試験に合格して後期のカリキュラムへ進む医学生が、附属病院での臨床実習にのぞむのにあたって、教員から真新しい白衣が授与される、医学部白衣式がある。その時に配布される学年冊子『ヒポクラテスの青葉たち』へ掲載する決意表明文の提出がその課題だった。

 完成した冊子は全講座主任教授とポリクリ診療科へ配布される。指導医に読んでもらうことを念頭に、今までの研鑽や今後の展望をきちんと明記すること。無機質な言い渡しの指示文を斜め読みして、すぐに画面を閉じる。

 試験対策の勉強もギリギリのスレスレなのに、ばかばかしい課題だと思った。まっ先に思ったのは、サークルに積極的参加をしていた社交性のある連中は、先輩たちから原稿をもらってコピペするんだろうな、ということ。

 身内にゴーストライトしてもらおうかと一瞬考えたが、その手間すら億劫になり、結局、思いつくままに入力したテキスト数行を添付して、締切の時間を五時間くらい過ぎてから、指定のアドレスに提出した。

 翌日、すぐにポータルサイトに加筆して再送するようにという連絡がきた。一回目は定型文、無視しているとその次の日に能崎さんの名前でまた通知が送られる。画面越しに「今はそれどころじゃないんだよな」と口だけで返事して放置していると、さらに電話の追撃がくる。

「時間取れないの分かるけど、一生残るもんだから、なんとか書き直しして送って」

 それも生返事して実質無視したまま、数日過ごした。

 試験の三日前、友だちに誘われて大学の図書館で半日勉強した帰りに大学の構内を歩いていると、自販機でお茶を買おうとしていた能崎さんに見つかった。

「三鬼いるじゃん。少しで終わるから、今から講義棟寄ってくれないか」

 教務課の窓口で待たされて、すぐに鍵を持って出てきた彼に五階へ連れて行かれる。裸のノートパソコンとマウスを小脇に抱えた事務員は、ポケットから鍵を取り出して、講義室から少し離れた通路の中にあるPBL教室へ俺を入れた。ドアは開けたままで、入ってすぐに明かりをつけ、窓に取りつけられた古いブラインドを上げる。

「悪い、急にとっつかまえて」

 もっと厳しく叱られると思ったのに、その時の能崎さんは穏やかだった。学生とふたりきりで、後から余所へ訴えられたらたまらないと思ったのだろうか。

「いや、俺ですよね。立志文出してないから」

「うん、印刷屋の入稿、明後日でさ。ちょっと焦ってた。三鬼にもしつこく連絡するのも悪いと思ったし、ここで二、三十分直してもらって、終わればいいなって。こっちの都合で申し訳ないけど」

 立ったまま会議テーブルの前に屈み、持ってきた自分のPCでマウスをカチカチとやる能崎さんを見て、俺も慌てて鞄からタブレットPCを引っ張り出して会議机の白い板面に乗せた。

「申し訳なくないです。すぐやります」

「そう。じゃあ書いたらもう一回おれに送って。すぐ読むわ」

「あの」

「何」

「できたやつ、そのまま読んでもらっていいですか。ひとりで書いても、へたくそのままだから。俺、昔から作文とことんだめで」

 返事を待たずに画面に視線を落とし、数日前に一度送ったWordファイルをもう一度デバイスにダウンロードした。本文の内容は、出席番号と名前以外はぜんぶ消したいくらい稚拙でひどいものだったが、繰り返しのところを消したり言葉を置き換えたりして直し、末尾に少しずつ文章を書き足していく。

 向かいに腰かけた能崎さんは、持参した端末で仕事をしながら、俺が話しかけるとすぐに顔をあげ、呼びかけに答えてくれた。

「です、です、です、って続くと、やっぱ変ですか」

「どうだろ。『努力します』とか言い切りの目標にする感じにすれば。こことか」

「そうします。……はあ、まだページ半分しか埋まんない」

「分量より、何言ってるかだから。卒業してからやりたいことも書いとけば。特にないなら、専門でやりたいこと見つけたいとか、ポリクリで何が楽しみか、とか」

 そうやって、小学生の読書感想文に付き合うみたいに彼が面倒を見てくれたおかげで、俺の立志文も同級生と大差はないくらいの、人並みの出来になった。最後に全文を読み返してもらってから、提出用アカウントにテキストを添付して再送する。

 メールの本文に書いた、〈遅くなってすみませんでした。三鬼〉を音読した能崎さんが、まだコロナ前でマスクをしていない顔にほんのり笑みを浮かべ、たぶん自分の端末でも添付を開いて読み返しているんだろう、「三鬼じょうず。いい文になった」と言って、ぱたんとパソコンの画面を閉じた。

「ポータル、電話も……無視してごめんなさい」

「こっちこそ。お前だけつかまって、運悪かったな」

 その日はPBL教室の施錠をした能崎さんと、エレベーターの前で別れた。記憶は定かではないが、いつも先生や先輩にそう言うのと同じで、彼にも「さよなら」と言って階段を下りたのだと思う。二日後の月初が共用試験CBTの本試前の体験受験日だったが、試験場や教務課の窓口に能崎さんの姿はなくなっていた。

 

 ちぎったナンでボウルの内壁を撫でて残りのルーをつけながら、この数年は何処に行っていたのか、率直に本人へ聞いてみた。

「あれ、言ってない? 人事異動だよ。あの後は大学の法人部門に配置で、寄付金の仕事とかやってたかな、それで夏から臨海病院に移ってきたばっか」

 彼はもうカレーを完食していて、アイスのインドチャイをストローで美味しそうに飲んでいる。ガラスのコップに当たって結婚指輪がカチッと鳴るのがやはり気になった。PBLの日、能崎さんの手には何もついていなかったはずだ。

「そうなんだ。教務のひとって、ずっとそこにいるんだと思ってました」

「おれもそういう気持ちだったけどね。お前の代は特に、一年次の寮出て、二年で城南校舎にきた時から見てたじゃん。やっぱ卒業、見送りたかった」

 まあそういうのも関係なく、事務は割と唐突にそこここへ行くんだけど。呟いた声には諦めの色が滲んでいたけれど、なぜかそれが悲観的とは思わなかった。

「今度の異動で、先生になった三鬼見れたしな。まあ、悪いことばっかじゃない」

「インドカレー美味しかったです。能崎さん、また暇ある時……」

 その時、胸ポケットに入れていたIP電話がブブッと鳴った。端末にほとんど番号を登録していないので、どこからの着信か分からない。さっと手を差し出して応答を促した能崎さんに軽く頭を下げ、通話ボタンをタップして小声で応答した。

「研修医の三鬼です」

「先生お疲れさま。放射線室の園田です。今日の午後オネザワさんの検査ですけど、病棟から下りてくるのが三十分早くなりそうです。一時ごろに室に入ってもらうスケジュール、どうですか?」

 左手首につけたスマートウォッチは十二時三十八分を指していた。大丈夫です、と応答し、通話を終えてすぐ、前を開けていたジャケットのジッパーを首元まで上げる。

「先生忙しいね。戻るか」

 先に席を立った能崎さんが伝票を持って会計するのを慌てて追いかけた。ご馳走してくれようとするのに割り込んで、コイントレーに無理やり千円札を置く。

「次も声かけさせてください。都合あう日だけでいいので」

 今までにない強気に能崎さんが一寸退いて返事を忘れているのが伝わった。学生の時からこれくらいやる気出せよ、とか思われただろうか。でも今はもう、職種も年次も違うけれど、いちおうは彼と同じ病院の同僚だ。能崎さんが先生と呼んでくれるのなら、いつまでも恥じらっていないで思うように行動してもいいのかもしれない。

「お前、そんな昼休み困ってんの」

 食事を終えてまたマスクを着けた能崎さんの見開いた目が印象的だ。睫毛は薄くて短い、眉毛の形がきれい、前髪が少し重めのさらさら、パーマをかけたら似合いそう。彼の顔を明け透けに凝視してしまってから、いたたまれなくなって視線を外した。研修医が控室や社食を使わず、階段の踊り場で菓子パンを齧っているのを見ていたら、それくらい分かるだろう、と居直って、店を出てからしばらく能崎さんの少し後ろを歩く。拗ねた子どもみたいで格好悪いのは分かっていて、押し黙ったまま、ジャケットのポケットに両手をしまった。

 信号のない交差点を渡り、病院の正面看板の脇を通る時、DRならこっち、と言って、能崎さんは敷地の脇にある緑地に入った。いつも階段から見下ろしている木々の間に引かれた小径を抜ける。

 上からだと気づかなかったが、樹木の間には小さな花壇が幾つかあって、毛の生えた葉を伸ばしたハーブみたいな知らない植物が花を咲かせていた。モンシロチョウがその間を飛んでいる。自分より上の方で、鳥の囀りも聞こえた。

「ここ、あったかくなったら、昼に出るのいいかも」

 きょろきょろと見回しながらなんとはなしに呟くと、先を行くスーツの背がこちらを振り返り、そうだな、とうなづいた。

「な、先にあそこの沈丁花が咲きそう」

 やっぱりレンズで調べた通り、それ沈丁花なんですね。なんで花の名前なんか知ってるんですか。それよりも尋ねてみたいことはたくさんあったが、答えを聞いた時の俺がどんな顔ができるのか、まるっきり想像ができなくて口を噤んだ。

 ざっと吹く風に顔を逸らすと、裏手の通用口の上に大きなガラス窓が映る。景色が好きで昼の暇つぶしに使っていた南階段が、外の緑地からこう見えているのか、とその時に初めて気づいた。当たり前だが上からの眺めがいいのと同じで、窓で明り取りしている階段も、下からどうぞご覧くださいとばかりに筒抜けだ。

 自動ドアが開く間、一緒に立ち止まると、能崎さんは「おれは階段」と言って右に折れる。

 もしかして、ICUから階段を使うよりももっと前から、俺がここにいるのを知ってた? あいつ見たことあるな、誰だっけ、とか考えながら、なんとか思い出してくれたんだろうか。それで何度か通りがかって、近くで顔を確かめてやっぱりそうだってなって、引き返して俺に声をかけてくれたんじゃないのか。ねえ、そうでしょう、能崎さん。もしかしたら俺はずっと、あの時に言いたかったのにやめたこと、まだ喉に詰まってる感じがしていて。

 南階段の扉に伸ばす手をぱっと遮って、「前に外から見てた?」となんとか絞り出すと、能崎さんはふっと小さく息を吐き、「秘密」と言うだけで、そのままドアの向こうに去っていく。

 不織布のマスクに隠れた彼の相貌が眩しそうに笑っているのが、目の奥にずっと残った。

 

〈続〉

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