第02話 一本の傘を巡って

「……今の、見――」

「――てないですっ!!」

「んなワケないでしょっ!?」


 で、ですよねぇ~!?

 この状況で否定するのは、自分でも厳しいとわかってました。はい。


「んあぁ、バレた……! 面倒臭いなもぅ……!」


 品行方正、学業優秀。清楚可憐で無口な美少女サイレント・プリンセスこと音無詩乃が、それはもう随分と荒っぽい口調で毒づきながら、頭を抱えている。


 あまりの衝撃に停止していた俺の頭が、徐々に平時の回転を取り戻す。


「え、えっと……一応確認するけど、マジで音無? 《サイレント・プリンセス》の音無詩乃で間違いないよな?」

「は、何言ってんの? どう見てもそうでしょ。ってか、その中二臭い呼び方しないで」


 何とも耳心地の良い鈴を転がしたような声なのに、ビックリするくらい厳しい物言い。


 物憂げで神秘的と称されるその琥珀色の瞳は、心底嫌そうに、面倒臭そうに、そしてウザそうに細められており、俺をキッと睨んでくる。


「あぁもう、ほんっと最悪。ずっとバレないようにしてきたのにぃ……」


 なるほど。

 どうやら、音無はこの口の悪さを知られないように、高校入学以来この三学期初めまで無口を貫いてきたようだ。


《サイレント・プリンセス》の理由がコレだと知ったら、皆泣くぞ。マジで。特に男子生徒一同は。


「どうしよう……ホントどうしよう……!」

「お、落ち着けって音無」


 頭を抱える音無に、俺は一歩踏み寄る。


「正直めっちゃビックリしたけど、別に他の誰かに言ったりしないし。秘密にするって。約束する」

「はぁ? 何でどこの誰かも知らないアンタとの約束を信じれるワケ? 間抜け?」


 あっ……どうしよう。

 ちょっと、ムカついてきたかも……。


 自分のこめかみがピクつくのがわかる。


「あ、あのなぁ、音無。いつ人に見られてもおかしくないこんな場所で素を見せたのはお前。それで困ってるのもお前。俺には何の関係もない。間抜けはお前だ」

「は……はぁ!? 喧嘩売ってんの!?」

「買ってんの!」


 俺はそう言い返して、周囲の環境が作り出していた《サイレント・プリンセス》の幻想をすべて自分の中から放り捨てる。


 そして、ため息一つ吐いてから、音無の隣を通り過ぎるように歩き始める。


「じゃ、俺もう行くんで」


 バッ、と傘を広げる。


「は? ちょ、待ちなさいよ!」

「なに?」


 今にも雨のカーテンへ足を踏み入れようとしていた俺の制服の裾を、音無がギュッと掴んで引き留めてきた。


「わ、私……傘ない……」

「だから何?」

「えっ、私を見捨てて帰る気っ!?」

「ええ、はい。そのつもりです」


 もちろん最初は助ける気でいた。

 明らかに故意的にへし折られた音無の傘を見て、同情を抱かないわけがない。


 しかし、残念ながら、その気持ちもこの短い会話の中で消し飛んでしまった。


「じゃ、そゆことで」

「ま、待って……!」


 再び歩き出そうとするが、やはり音無は俺の制服を掴む手を緩めない。


「私、傘壊れてるから……」

「から?」

「……傘、ちょうだい?」


 よし、帰ろう。


 俺は三度足を進めようとする。

 しかし、やはり音無は諦めるつもりはないらしく、


「あぁあああ、待って待って!」

「……なに?」

「入れて!」

「はい?」

「私傘ないから、入れて帰って!」

「……それが人にものを頼む態度か?」

「っ、うっざ……!」

「もう帰る」

「あぁもう! わかった、わかったから!」


 最後のチャンスだ、と俺は心に決めて音無の方へ振り返る。


 しばらく音無はこちらを睨んできていたが、徐々に頬を紅潮させて視線を右往左往させて、覚悟を決めるようにギュッと拳を握り込んだ。


 そして、それはもう屈辱に満ちたような今にも泣きだしそうな瞳で見上げて、言ってきた。


「……ぬ、濡れるのイヤなので、一緒に傘に入れてくださいっ……!」


 ……うぅん、何だろうこの気持ち。

 一種の爽快感か。


 あれだけ口悪く言葉をぶつけてきていた音無が、恥を忍んで頼み込んでくる姿を見ていると、言葉では言い表せない優越感を感じてしまった。


 俺、意外とSっ気があるのか?


 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 正直ここまで言わせておいて見捨てるのは、流石に鬼畜の所業なので、俺も初心を思い出して救いの手を差し伸べることにする。


「はぁ……ほら、どうぞ」

「っ、最初からそうしろっての……」

「今なんか言ったか?」

「何でもない!!」


 俺が傘を左手に持ち帰ると、音無がその左半分へ身体を滑り込ませてきた。


 俺の身長百七十二センチなので、音無は大体…………


「百五十センチないくらいか?」

「百五十一センチ! 超えてるから、百五十!」


 だ、そうだ。


 それなりの身長差で下から不満げに睨んでくる音無を尻目に、俺はやっと雨の中へ踏み込んだ。


 バチバチバチ、と雨粒が傘を叩く音を聞きながら、俺は音無の生意気な道案内に従って歩いて行った――――



◇◆◇



「り、立派な家……いや、お屋敷だな……」

「ふん……」


 星輪館高校から二人で一本の傘を共有しながら雨の中を歩くこと二十分。


 今、俺は丘の傾斜に沿って家々が立ち並ぶ高級住宅街の一番高い位置まで来ていた。


 というのはもちろん物理的な表現だ。

 ただ、それは実質この土地の値段を表す言葉にも言い換えられるだろう。


 その証拠に、眼前のセキュリティーバッチリと言った風貌の門を潜った先には広い庭があり、そのまた向こうに三階建ての立派なモダンハウスが鎮座している。


 三階から出たところにあるのはテラスか?

 あそこからの眺めは最高だろうな。


 俺が感嘆と畏怖の感情を同時に抱いている間に、音無が門を開けていた。


「ほら、ぼさっとしてないで早くして」

「え?」


 俺は一瞬、音無の言わんとしていることが理解出来なかった。


 だって、家についた今、俺はもうここで帰るつもりでいたのだから。


 しかし、音無はそんな俺の腕を小さな手でギュッと強く掴んで言った。


「っ、私の秘密を知った奴をここで帰すワケないでしょ!?」

「えぇ……」


 どうやら、俺は音無邸に招かれることになったらしい――――

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