第2話 忌み人形アリス

 数日後に届いたカントリードールは、やはり悲しげな表情をしているように見える。


 ——アリスちゃんの悲しみが、まだこの子の中に残ってるのかな……。


 髪を撫でながら顔を見つめていると、息子がそばへ寄ってきた。


「ママ、ぬいぐるみを買ったの?」


「うん。可愛いでしょう? 仲良くしてあげてね」


「でも、このぬいぐるみ……ちょっと怖い」


「怖い? 怖くないよ、こんなに可愛いんだから」


「う、うん……」


 ユリコは座って、カントリードールを渡そうとしたが、息子はユリコの背中に隠れてしまった。


 ——呪物だとは言ってないのに怖がってる。子供はそういった気配に敏感だと聞くし、本当にアリスちゃんが、ここにいるのかもしれないな……。


 心霊現象などは苦手だったはずなのに、不思議と怖くはなかった。本当にアリスの魂がカントリードールに宿っているのなら、愛情を注いでやりたい。


 ガチャッ


 音がして、玄関で物音がしている。夫が帰ってきたようだ。


「はぁ……。ご飯の準備をしないと」


 カントリードールが入っていた段ボールを片付けていると、夫がリビングに入って来た。


「ただいま。あぁ、疲れた」


 わざとらしく大きな声で言う夫に、ついイライラしてしまう。


「お帰りなさい」


 カントリードールを左腕に抱き、反対の手で段ボールを持って立ち上がる。すると夫が、大きなため息をついた。


「お前、そんなものを買ったのか? 俺が稼いだ金なんだからさぁ、無駄遣いすんなよ」


「……私だって働いてるけど」


「たかがパートだろ? 俺は正社員で、丸一日働いてるんだよ」


「私はパートだけじゃなくて、家事も子育てもしてるわよ? あなたは家のことも子供のことも、何もしてないじゃない」


「仕事が忙しいんだから、できるわけないだろ!」


 バンッ! と音を立ててドアを閉めた夫は、風呂場の方へ向かった。


 ——忙しいのはパパ活でしょ? 安月給のくせに、偉そうに……。


 ふと気がつくと、息子が私を見上げていた。


「あ、ごめんね。喧嘩をしてるわけじゃないからね」


「お父さんは、ママにありがとうって言わないから、お父さんが悪いと思う」


「ありがとう。悠太は優しいね」


「僕は知ってるよ。ママはご飯を作ったり、掃除をしたり、服も片付けてた」


「そっかぁ、悠太は見てくれてるんだね。でもお父さんはいつもいないから、知らないのかもね。魔法使いみたいに杖を振ったら、ご飯が出てきて、家の中が綺麗になっていて、服も綺麗になってると思ってるのかな?」


「えー? 魔法なんてあるわけないのにねー? あははっ」


 本当に優しい息子だ。親バカなのかもしれないけれど、こんなに優しい子は、他にはいないと思う。息子がいてくれるから、頑張れる。頑張らないといけない。


 ——なんとかしなきゃ……。


 左腕に抱いているカントリードールに目をやると、視線がぶつかった。じっとこちらを見ている小さな目が、頑張れと言ってくれているような気がした。




 夫と息子が眠った後は、ソファーでドラマを観てから眠るのが、日課になっている。


 パートが終わっても、やることはたくさんある。一人で家事を全部やりながら、息子の世話もするのだから、自由な時間はほとんどない。仕事が終われば自由にできる夫とは違うのだ。


 いつもは一人でドラマを観るが、今日は横にカントリードールがいる。ぬいぐるみのはずなのに、誰かと一緒にいるような感じがするのが不思議だ。


「アリスちゃんもドラマを観てるのかな。でもこのドラマはすごいドロドロしてるから、アリスちゃんは、面白くないかもね」


 ドラマは、詐欺師の罠に嵌った女性が泣いているシーンだ。


「アリスちゃんは、外国の子だから知らないと思うけど、日本には『嘘ついたら針千本飲ます』って言葉があるんだよ。……あいつもパパ活なのに仕事だって嘘をつくから、針千本飲ませてやりたいよ」


 嘘をつく度に飲ませたとしたら、今までに一体、何本飲むことになっていたのだろうか。


 ぽとっ、と音がしたので横へ目をやると、カントリードールが倒れている。ブランケットが当たってしまったのだろうか。


 ユリコはカントリードールを持ち上げて、膝の上に乗せた。そして指はないので、丸くなっている手の先を持つ。


「嘘ついたら針千本のーますっ」


 手を上下に振ると苛立ちは消えて、なんだか楽しい気分になってきた。のほほんとした顔のカントリードールも、楽しそうにしているように見える。


「話し相手がいるって良いね」


 カントリードールを膝に乗せて、ドラマを最後まで観てから、眠りについた——。




『急な会議が入ったから遅くなる、飯はいらない』


 夕食を作り終えた頃に、夫からメッセージが届いた。


「どうせ会議じゃないんでしょ。もっと早く連絡をしなさいよ」


 テーブルに、自分と息子の分の食事を並べてから、追跡アプリを開いた。するとやはり、夫は会社を出て、ホテル街にいる。


「本当に、嘘ばっかり!」


 苛立ちを抑えきれなくて、椅子の上に置いてあるカントリードールを持ち上げ、ぎゅっと抱きしめた。夫は嘘をつくことに、罪悪感はないのだろうか。


「ママ、どうしたの?」


 リビングに入ってきた息子が、目を大きくした。


「ううん、なんでもないよ。お父さんは今日も帰ってこないみたいだから、お父さんのハンバーグも食べていいからね」


「本当? やったぁ!」


 何を作っても無反応の夫と違って、息子はいつも美味しいと言ってくれる。最近は夫の好みは無視して、息子の好物しか作らなくなった。どうせ帰って来ないので、夫の好きなものを作っても意味がない、という思いもある。


 食事を終えて片付けをしていると、玄関の扉が開く音がした。


 ——えっ、もう帰って来たの?

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