ユーリの作戦
「おはようございます。ぐっすり眠れた、という顔ではありませんわね」
ホテルのレストランでは、すでにきちんと身なりをととのえたキーチェが朝食を食べている最中だった。
ひき肉と細かく刻んだ野菜を包んだ揚げパン、玉ねぎがとろとろになるまで煮込みチーズをかけたスープ、葉物野菜にりんごとくるみを乗せたサラダ、ジャムソースのかかったヨーグルト。
パンはおかわり自由なので、昨日までのユーリは大喜びで朝から大食漢ぶりを発揮していたのだが。
トレフル・ブランとキーチェの気まずい沈黙の中に、渦中の人物が現れた。いつもなら朝は跳ね放題になっているはずの赤髪はきちんと結わえられ、洗顔も済ませているようだ。
(毎日キーチェに叱られ続けて、心を入れ替えた、とかではないんだろうなぁ)
おそらく、早く外出したいから準備を整えて来たのだろう。
三人はそれぞれ一人前の食事を完食し、まだホテルのロゴの入ったスウェットを来ていたトレフル・ブランはキーチェに急かされて支度を済ませ、揃ってホテルを出た。
三人の宿泊するホテルはショッピング街にほど近い立地で、今日も正月休みにショッピングを楽しむ大勢の人たちが往来に溢れている。
こんなとき、ハンサムで愛想の良いユーリは女の子のグループに声をかけられたり囲まれたりするものだが、発している雰囲気が静かすぎるのだろう、誰にも声をかけられないままビジネス街に到着する。
ユーリが足を止めたのは、通信局の前だ。信書や荷物の輸送、電話の交換を行う、魔道士が多く働く建物である。この国では国営だったはずだ。
「それじゃあ、作戦を聞こうか」
そうトレフル・ブランが言ったのは、もちろん無謀な内容であれば制止するためである。
「君の言うところの、コネと権力の適正利用をしようと思ってる」
背の高い建物を見上げてユーリが答える。黒い瞳には決意の光がある。
実家に頼み事をするつもりかな、と思っていると、彼が電話交換手に依頼して呼び出し先は、魔道士協会本部。三人にとってなじみ深い人物の名前が挙がる。
「なるほど、教官を巻き込むことにしたのか」
子どもばかりであれこれ画策するよりは、より現実的な手立てを示してもらえるかもしれない。
教官の名前はソーカル・ディーブリッジ。三人の指導係を務める中級魔道士で、隊を組んで戦う
見た目はものぐさな中年男性で、美容と礼儀にうるさいキーチェの天敵である。髪はぼさぼさ、剃り残しの無精髭。ツギハギだらけのコートを愛用し、たいてい咥え煙草をしている。時間にもルーズだ。
そんないい加減な性格をしている彼だが、自分に出来ないことを出来ると大言壮語したり、他人の手柄を自分の手柄にカウントするような薄っぺらい見栄とは無縁の男だった。
交換手が電話を繋いでくれた。やや粗いが、聞き覚えのある低い声がスピーカーから聞こえてくる。
「あー、この電話は現在使われておりません。メッセージ再生後、10秒立つと爆発してデータが消えます。正月からかけてくんじゃねぇよ、ドッカーン」
厄介事の気配を感じ取ったらしいソーカルが、全力で聞きたくないアピールをしている。
「すみません、教官。少し相談したいことがあって……」
ソーカルの全力アピールを無視して(意図的にではなく、気が張り詰めていて気付かなかった可能性が高い)、ユーリが奴隷の少女にまつわる出来事を話した。
スピーカーから相槌の代わりに唸り声やため息が聞こえる。
「……それで、俺、やっぱりあの女の子を助けたいです。力を貸してもらえませんか。お願いします」
スピーカーはしばらく沈黙を保っていたが、急にお鉢がトレフル・ブランにまわってきた。
「おい。面倒事に巻き込まれそうになったら、真っ先に理屈をこねまわして回避しようとするトレフル・ブランは何をしてる」
「俺は、昨日すごく頑張りました」
「……そうか、ご苦労だった。なんとなく想像できたわ」
はーーーっ、と盛大なため息のあと、ソーカルはユーリに話しかける。
「その奴隷が欲しけりゃ買えばいい。たぶん、お前はそんだけの金を用意できる身分だろ。そうしないのは何故だ?」
「俺は、女の子をお金で売り買いしたくありません。それにたぶん、その子がいなくなれば、あの貴族はほかの奴隷を用意するんでしょう」
「前半は夢想、後半が現実だ」
ソーカルは無情に断言した。
「仮にその少女ひとりを救ったところで、世界から金でやりとりされる人間がいなくなるわけじゃない」
「だけど、千里の道が遠いからといって一歩も踏み出さなければ、いつまでも現実は変わりません。教官、今日できる一歩を手助けしてほしいんです――魔道士協会には『徴発』という権限がありますよね?」
徴発とは、軍需物資などを強制的に取り立てることを言う。主に軍が民間から物資を取り上げるときに指す言葉だが、実は魔導士協会は全世界でこの権限を使用することができ、それは現地警察組織より強い実行力を持つ。
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