変幻自在のもふもふ
ベルを鳴らすと、しばらくして若い女性のウェイトレスが出てきた。お祭りのためだろうか、髪をピンク色に染めているようだ。
「いらっしゃいませ〜。3名様でお待ちの……6名様?」
「テラス席を使いたいんですが」
「あ〜少々お待ちくださいませぇ」
ピンク髪の店員が走って奥へ消える。そして、黒いジャケットを着た男性ウェイターとともに戻って来た。
中年の男性ウェイターは頭を下げる。
「申し訳ございません、オオカミはご遠慮いただいております」
「家庭犬です」
と、トレフル・ブランは言い切った。ここでもう一度
男性ウェイターの、2割程度の申し訳なさがブレンドされた笑顔は崩れない。
「さようでございますか。しかしながら当店では、おひとり様につき小型犬一匹までとお願いしておりまして……」
トレフル・ブランは自分を見上げてゆったり尾を振るブランカを見下ろした。どう頑張っても小型犬と呼べる大きさではない。
「またのご来店をお待ちしております」
男性ウェイターの声に見送られ、店から離れる三人。理屈屋のトレフル・ブランも、それ以上の文句は言えなかった。
ホテルに戻ったのは深夜3時を過ぎたころ。
ギシギシっ、バタバタ、ぼふんっ。
ふたつしかないベッドの片方で、夜の激しい運動が行われている。迷惑千万だが、ほぼ毎晩のことなのでもう注意する気力もない。
ユーリとオリオンの取っ組み合いである。
オリオンがユーリに飛びつき、押し倒して顔や首を舐める。ユーリが体勢をひっくり返してオリオンにのしかかり、腹をわしゃわしゃと撫でまわす。身を退こうとしたユーリの腕をオリオンが咥えてまた押し倒す。そんな動作を延々と繰り返し、ユーリもオリオンも楽しそうに目を輝かせて遊んでいる。
一方ブランカは、ベッドに腰かけて左手に本を持つトレフル・ブランの膝に顎を乗せ、まぶたを閉じておとなしくしていた。時折耳がぴくっと動くので眠ってはいないようだが、基本的に読書の邪魔をすることはない。
ようやくひと段落ついたらしいユーリが、乱れたオリオンの毛を撫でつけながら言う。
「美味しそうだったよな、あのレストラン」
「本当に。魅力的なお料理とお値段でしたわ」
何故かキーチェもいる。
彼女はひとつしかない椅子に腰かけ、アレウスの頭を撫でている。足元に座ったアレウスは、ぐーんと背筋を伸ばして頭をキーチェの胸に押し付け、至福の表情で目を細める。サイドテーブルには紅茶と紫色のジャム。しばらく自分の部屋へ戻る気はなさそうだ。
新年というものは、人間を眠らない生き物に変貌させるのか。
普段は、日付が変わる頃には夢の中にいるトレフル・ブランは早く眠りたかったのだが、なんとなく言い出せないまま本のページをめくっている。
「大型犬に見えるかもしれないけど、これでも十分小さくなったんだけどな」
ユーリの言う通り、本来のブランカたちは、大型の馬ほどの大きさがある。戦闘時以外は小型化してエネルギーを抑えているのだ。
キーチェがふと首を傾げた。
「お願いすれば、これより小さくなりませんかしら。子犬くらいに」
「よし、やってみよう!」
ユーリはベッドに仰向けに寝っ転がっていたオリオンを起こして、正面に向かい合って座った。
「なぁ、オリオン。もっと小さく、ペットの犬みたいになってくれないか?」
オリオンはにこっと歯を見せて笑うと、目を閉じてぐーっと背中を伸ばした。その体は淡い輝きに包まれ、やがてその光が収まると、ベッドの上にはまんまるの茶色いもこもこした生き物が乗っていた。
ふわふわの長い毛、ほとんど毛に埋もれている顔と手足、体の毛と一体化して境界が分からなくなっているふわふわの尻尾。いつも笑っているようなつぶらな瞳。
「すごい! これは、ポメラニアンだな!」
ユーリは、小型化したオリオンを抱っこした。腕の長いユーリの片腕に収まる程度のサイズだ。小さくなっても元気は健在で、へぇへぇ舌を出しながらユーリの頭に飛びつくオリオン。
「面白そうですわね。アレウス、あなたもお願いできますか?」
アレウスは得意げに頷くと、同じように淡い輝きに包まれた。
登場したのは、薄茶色の毛皮に、特徴的な大きな耳。うるうると大きな瞳。尻尾の先だけは黒く、大きさは小柄なキーチェが片手で支えられるほど。
「まぁ! これはフェネックじゃありませんか?」
砂漠地帯で穴を掘って生活する、イヌ科の最小種と言われる砂キツネだ。
(それは犬ではなくてキツネなのでは……?)
とトレフル・ブランは思ったが、あまりの可愛さについ手を伸ばして撫でてしまった。とてもやわらかい毛皮だ。いつまでも撫でていたくなる。
すると、二人からの視線……というより、圧力を感じた。
「はぁ。ブランカ、付き合ってくれる?」
ブランカは了承のしるしだろう、一度ゆったりと尾を振ると、淡い輝きの中に自身を閉じ込めた。光から解放されたとき、そこに座っていたのは、長い胴体と小さく短い四本の手足、長い尻尾、やや尖った顔。全体に細長い印象の生き物、真っ白いフェレットだ。
「きゃあ! 小さくて可愛い!」
歓声を上げるキーチェの腕から肩にのぼって一周すると、奥のベッドに飛び移ってユーリにも同様に愛嬌をサービスする。
フェレットはイタチだよ、と言おうとしたトレフル・ブランの元へ帰って来たブランカは、肩に上り、首筋に巻き付いて小さな頭をスリスリとこすりつけた。人間よりやや高めの体温と、わずかな重み。
「うん、そのままでいいや。イタチだって、犬だよね」
という意味の分からないセリフが自身の口から飛び出したことに驚いたトレフル・ブランだが、取り消しはしない。どうしようもなく可愛いこの生き物を手放したくない。
寝不足は判断力を鈍らせる。そういうことにしておこう。
明け方が近づいたころ、フェレットの形をしたブランカと額を寄せ合って眠った。
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