聖獣イノケンスフェラ

 トレフル・ブランたちは、魔導士教会平和維持局危険排斥部に所属している。この長い名称はもちろん一般人にはあまり浸透していないが『魔法騎士アーテルウォーリアー』と言えば大抵は通じる。


 この世界には、『光の魔王』もしくは『白き闇の王』と呼ばれる悪が存在する。魔王は人間を苦しめるために世界中に手下を放っていて、これらは魔獣とか魔王の眷属と呼ばれ、獣の形を借りて人間を襲う。形に決まりはないが、犬や烏、魚や虫など多くの形態があり、共通点は白色をしていること。

 この魔獣を討伐するために編成された魔導士部隊を魔法騎士アーテルウォーリアーと呼び、トレフル・ブランたちはその研修生として世界を旅し、実務経験を積んでいる最中なのである。


 この魔獣という連中は、生物ではない。詳細は解明されていないが「魔王の魔力によってこの世に顕現した」と魔導士協会は定義している。たとえば一頭の白い馬がいたとして、それが魔獣ならば十馬力のパワーに加え、簡単な魔法を使うことも出来る。

 闇を払うと同時に、その闇を人間の役立つ力に変えることを研究してきた結果、魔獣を亜生命体――魔力塊と生物としての両面を併せ持つ魔性の生き物――に再構築する術式が生まれ、これによって誕生した生き物を聖獣イノケンスフェラと呼ぶ。


 トレフル・ブランたちは、以前に魔獣の討伐依頼に立ち寄った国で、この聖獣イノケンスフェラを預かることになった。個体の識別番号が必要なのでその申請は魔導士協会に送っているが、なにせお役所仕事というものは時間がかかるから――とユーリはウラノフ中尉に弁明する。

 彼は「ふむ」とか「ほぅ」とか曖昧な相槌を打っていたが、最終的に「要するに、今は無許可なんじゃな?」と片方の眉を跳ね上げた。

 トレフル・ブラン急いで、持っていたメモ帳にある人物の連絡先を書き付けた。

「本部の担当者に聞いてみてください。書類はまだだけど、一緒に行動する許可は下りてるので」

「ふむ。まぁ身分証明書のほうは本物のようだしな。確認してみるが、なにせこの時期じゃからすぐに回線が繋がるか……君たち、いつまで滞在す予定だね? 宿泊先のホテルは?」

 ユーリが返答すると、ウラノフ中尉は「なんかあったら声をかけるから、騒ぎを起こすんじゃないよ」と言いおいて、その背は人混みに紛れた。一応信用してもらえたようだ。


 キーチェがトレフル・ブランに尋ねる。

「連絡先の担当者って誰のことですの? 聖獣イノケンスフェラの管理部門なんて、たぶん繋がりませんことよ」

 トレフル・ブランは、ポケットに万年筆をしまい込んだ。

「いるじゃないか、俺たち新米の面倒を見るのが仕事なのに、人手が足りないからって本部に詰めて正月まで仕事をしてる人が」

「教官を巻き込んだんですのね、お気の毒に」

 と同情しているらしいキーチェに向かって重々しく告げた。

「これはコネと権力の適正利用って言うんだよ」


 見習い魔道士には、一組にひとりの指導者がつく。初級魔道士試験には指導者の推薦状が必要で、適性を見るためにおよそ一年間行動を共にするのが一般的なのだが。

 この度、魔道士協会本部にて欠員が発生したところへトラブルが舞い込んだらしく、トレフル・ブランたちの担当教官は本部から動けなくなってしまった。そこで彼ら三人は、修行とキーチェの用事を済ませることを兼ねてこの国を訪れたのだ。


 オリオンが、形のいい鼻でくんくんと冬の湿った空気をかぎ分ける。いいニオイを見つけ、大喜びでユーリを引っ張っていく。

「ちょっと待ってよ……わ、カラフルなオードブルだ。手巻きパンケーキのイクラとキャビア、赤いスープ、野菜の酢漬けサラダの前菜セットが、今夜なら半額だって!」

 そこはレストランだった。オレンジ色の優しい光が漏れる窓の木枠に積もった雪をはらい、べったりと張り付くユーリ。「串焼き羊肉、牛肉のとろとろ煮、牡蠣の香草バター焼き……」と、言語能力が食べ物オンリーになってしまった。

「まぁ、リクルス産クリームチーズを使った3種ベリーのタルトですって! 新年限定、紅茶のおかわりし放題。寒い時の紅茶ってどうしてこう美味しいのでしょうか……」

 普段はみっともないとユーリを叱りそうなキーチェまで、窓枠に飾られたメニューをがっつり吟味し始める。

(確かに、寒い中歩き回って少し疲れたし、そろそろ人混みから離れたいしな)

 トレフル・ブランも店内の様子を見ようと、こじんまりとしたテラス席側に回り込んでみた。そして張り紙を見つける。

「テラス席ペット可」

 寒さのためか、テラス席には人がいない。

 トレフル・ブランはふたりの同行者を呼び、華やかなリースが飾られた古い木製の玄関扉の前に立った。

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