第2話 発表、そして否定 (2)
「わざわざ来てもらったのに、すみませんでした」
帰り道、玉木がこう言って頭を下げた。一瞬、何を言っているのかわからなかったが、すぐに思い当たって、
「江波さんのことか? 別に気にしてはいないよ。実際、よその高校の部活に顔を出すようなヒマ人には違いないんだから。それに、彼女があんな態度を取る理由も見当はつく。小野寺さんと話していた時に、わざとらしく音を立てられたからな。たぶんだけど、ぼくが彼女を狙っているでもと思ってるんじゃないか? それで、可愛い後輩を変な男から守ろうとしてるんだ。
まあその心配は、あながち的外れでもないんだけどね」
「え、そうなんですか?」
玉木は驚いた顔で聞き返してきた。
「と言っても、彼女が考えているような意味ではないけどね。高校一年で、あれだけ書けるのはすごいと思う。その意味では、確かにぼくは、小野寺さんにひかれているかもしれない」
玉木は、ああそういうこと、と言ってうなずいた。
最初に小野寺の作品を読んだ時は、驚かされたものだった。ある中学校の文芸部員と卒業間近の先輩との淡い恋愛という、言ってみればありがちな話だったが、その繊細な心理描写には目を見張るものがあった。惜しむらくは、きらきらと輝くような調子に終始していて、苦みや渋みといった成分が欠けていたところだろうか。しかし、高校生にそれを望むのは難しいし、なまじ紛い物を混ぜられるよりは、純粋な未完成品の方が好ましい。
感心したぼくは、他の小説も読ませてもらった。かなりの量が書きためてあり、どれも細かい傷はあったが、それ以上に作者の才能を感じさせるものだった。あの時はぼくも熱くなってしまって、高校生を相手に文学論を並べてみたりもしたっけ。
ただ、ここしばらくは、新作を見せてもらっていなかった。高校生になって環境が変わったことで、スランプに陥っているのだろうか。新作があるなら読みたいと言ったのは、そんな状況を心配してのことだったのだが、江波には変なふうに聞こえてしまったのかもしれない。
「彼女の小説を読んだ時は、おまえと出会えたのは幸運だったなって、改めて思ったよ」
「ぼくは由貴ちゃんのおまけですか」
玉木は笑った。その後、すぐに笑いを引っ込めて、こんなことを聞いてきた。
「そういえば、さっきのあれはどう思います?」
「さっきの、って?」
「岩瀬が見つけた、新人賞ですよ。あの文章、部誌のテーマとまったく同じでしたよね」
文芸部の部誌というものは、例えば「部員によるリレー小説」など、何らかのテーマを設けることが多いらしい。次の号のテーマは「指定した文章を冒頭に置いて、一つの作品を書き上げる」に決まっていた。そしてその課題の文章が、先ほどのネット記事にあった「だけど、あなたたちもやっぱり信じてくれないかもしれない」うんぬんという言葉と、一言一句、同じだったのである。
「偶然だろ? 岩瀬さんは、何か小説のヒントでもないかと思って課題の文を検索してみただけで、私じゃないと言っていた。ほかの二人も、応募なんてしてませんと言ってたじゃないか」
「でも、あの文はけっこう長いですよ。まったくの偶然で一致するなんて、ちょっと考えられないです」
「あの課題を用意したのは江波さんで、なんとかいう小説から借用したんだったよな。受賞した人も、同じ小説からもってきたんじゃないか?」
「借用といっても、そのままじゃないんです。元になったのは戦前の作品で、オリジナルだと言葉遣いが古いんで、現代風に直してあるんですよ。直し方まで同じなんて、さすがにおかしいでしょう」
「それもそうだな……待てよ。小説の賞って、応募を締め切ってすぐに受賞発表じゃあない。発表されたのが最近なら、締め切りはかなり前のはずだ。課題が出てからだと、応募に間に合わないんじゃないか?」
「間に合うと思います。今年の課題は、四月の頭には出してましたからね。あの新人賞の締め切りは四月の末でした。筆の速い人なら一ヶ月あれば、短編一本を書き上げることはできるでしょう」
そういえばそうだった。部誌は例年、十月初めの学園祭と、三月の卒業記念の年二回発行されるのだが、毎回、原稿が遅れが問題になっていたそうだ。その上、今年は部員のうち二人は新入生、残る部長もあの岩瀬で、小説を書くのに慣れていない。そのため、締め切りまでに余裕を持たせようと、四月早々にテーマが決められていたのだ。もっとも、いまだに原稿がほとんど出されていないため、こうして夏休み中の部員招集となっているのだけれど。
だが、だとすると、
「じゃあ、あの三人の誰かが、受賞したのを黙っているっていうのか?」
「誰かっていうか……たぶん由貴ちゃんでしょうね」
玉木が、あっさりと犯人を断定した。
まあ、そう考えるのが自然だろうな。岩瀬はほとんど小説を書かないし、木葉が書くのはBLものばかりだ。BLが悪いと言うつもりはないが、「合歓木」という雑誌はかなり歴史のある純文学系の月刊誌で、当然、歴代の新人賞も純文学の作品が受賞している。コテコテのBLでは、おそらく無理だろう。
「だとしたら、どうして私じゃないなんて言ったんだろう」
「もしかしたら、あんまり騒がれたくないのかもしれませんね。現役高校生が受賞、なんて知られたら周りもうるさくなるでしょうし、下手をしたら、誰かに写真を撮られてネットにあげられる、なんてことにもなりかねない。それで勝手に炎上して、彼女が叩かれたりしてね。そんなことになるよりは、無名のまま静かに小説を書いていたいのかもしれません」
「なるほどな」
ぼくはうなずいた。ここの部員たちとはそれほど親しく付き合ってきたわけではないけれど、確かに小野寺は、無口で引っ込み思案な印象だ。彼女なら、そんな選択もあり得そうに思える。
「だとしたら、ぼくらとしては、何もせずに黙っていた方がいいのかもな」
こう言うと、玉木は虚を突かれたような顔になった。
「あ、そうか」
「そうだろ」
「そうですよね。言われてみればその通りです。誰が受賞したかなんて、他の人には関係ない話ですもんね」
「だいたい、彼女と決まったわけでもないんだしな」
「そうですね。どっちにしろ、余計な詮索はしない方がいいのか。話したくなったら、本人から言い出しますよね」
玉木はうなずいた。が、その後で「それにしても、由貴ちゃんがねえ」と小さくつぶやいていた。どうやら彼は、受賞したのは小野寺に違いないと信じているようだった。
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