5.



 私と妹は四つ違いの姉妹だ。

 母は産後に一時期大きく体調を崩し、妹も生まれて間もない頃は身体が弱かったため、お父様や周囲の人間は二人にかかりきりになった。

 私が幼少期のほとんどの時間をお爺様と過ごすようになったのは、それがきっかけだったと思う。

 お母様も回復してからは妹につきっきりで。

 お父様はそれまでの穴を埋めるように仕事に専念し始めて。

 私は社交界に出るような歳になってもまだ、お爺様に遊び相手をしてもらっていた。

 幼い頃に妹と遊んだような記憶はほとんどないし、学園は同じでも通っていた時期がずれているし、家で顔を合わせても時節の挨拶が関の山。

 そんな妹がわざわざ私の居る離れにまでやってきて話をするようになったのはつい最近になってから。

 私が片足と視力を失って。

 お爺様が亡くなって。

 幼馴染みと交わされていた許嫁の約束が、私から妹の方に移り変わったのが原因、もとい発端だった。

 「ちょっと。聞いているんですか、姉さん」

 「ええ、もちろん。耳は目よりもいい方なのよ」

 「笑えないんですけど」

 テーブルを挟んで対面のソファに座っているのに、妹の声は全身に響いてくる。常にお腹から声が出てる感じは、やっぱりお爺様にそっくりだ。

 「それよりも、姉さん。姉さんが、今度の顔合わせに出ないなんていう話を小耳に挟んだんですけど?」

 頬がひりつく。たぶん今、めっちゃ睨まれてる。

 「あらー、そんな話を誰から?」

 「お母様がぽろっと。その後、お父様とメイド長にも問い詰めて吐かせました」

 「……あらーそうなのねー」

 こうなるから、妹には直前まで内緒にしてほしいとお願いしておいたのに。私が離れにこもっている間に本館の力関係と勢力図が塗り替わっているらしい。

 顔合わせというのは、妹とその婚約者の両家顔合わせのことだろう。

 婚約が正式なものになったので、うちの屋敷で食事会をするのだと聞いている。

 「それで、本気なんですか」

 そっちこそ正気なのか、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 家族同士の顔合わせに、この用無しの役立たずがどの面を提げて出ればいいのか。

 ……みたいなことを気にする性格の人間ではないと妹にバレてしまっている時点でこの対話は詰んでいる。

 「来年の式には参加するわ。それで充分でしょう」

 「ちっとも充分じゃありませんけど?」

 ひときわドスの効いた声で、ティーカップどころかソファまでびりびり震えているような錯覚を起こす。

 「姉さんの考えは分かりません。分かりませんが、私に隠れてこそこそ裏で根回ししてまで顔を出したくなかったって部分だけは理解しています。そういうことならどうせ理由もさぞ話しづらいことなんでしょう」

 ええ、ええ、そうでしょうとも、なんて。

 懐が深そうな相槌の割に声の芯が攻撃的過ぎる。

 領主の家の次男と婚約ほやほやな社交界の主役とは思えないその刺々しさが姉としては心配なところだ。

 そんな態度ではキズモノになった姉の身代わりに差し出された哀れな妹という噂が真実味を帯びかねないじゃないか。

 「そのつもりがない人を無理に引っ張り出しても仕方がないので、食事会には欠席でも構いません」

 「それはどうも」

 「代わりに二つほど。せっかくなので、これだけは直接確かめておこうと思いまして」

 また、頬がひりつく。

 「姉さんは私のことを恨んでいますか」

 「いいえ、別に、特には」

 なんとなく何を訊かれるか分かっていたので、言葉はすんなりと滑り落ちた。

 妹が何を負い目に感じているのか。

 どうして私に怯えているのか。

 姉じゃなくたってそれくらいは分かる。

 「なら」

 不自然に布の擦れる音がした。

 妹が、スカートの裾を握り締めた、のかな。

 「姉さんは、どこかへ消えたりしませんよね?」

 さっきまでの硬い語気が嘘のような、弱々しい声。

 一瞬、本当に妹が喋ったのか分からなくて。

 次に、質問の意味が判らなくて。

 「パラベラム様」

 反応出来ない私を、侍女の声が現に揺り戻す。

 「ええ、まあ、居なくなる予定は特にないわね」

 指先でティーカップを探して、こぼさないように持ち上げる。

 「私たちが結婚して、屋敷を継いだ後も、ここに居てくれますか」

 「そうね。お邪魔でなければそうするわ」

 そうしてようやく紅茶に口をつける。良し悪しが分かるほど親しんでいないので、美味しいかどうかは訊かないでほしい。

 「姉さんは」

 「……さっき、二つって言ってなかった?」

 「姉さんは野蛮で、薄情で、胡乱で、面倒です」

 私の言葉を難なく無視して妹が連ねる。

 「でも、家族なんです、私の、私たちの」

 「そうね」

 冷めた紅茶の苦味が舌の端に残る。

 ぎし、と床の軋む音がした。

 「そうです」

 向かいに座っていた妹が椅子から立ち上がったのだと、声の位置が変わったことで理解する。

 「今日はこれで失礼します」

 「そう。じゃあ、また今度ね」

 「それが家族に向ける挨拶ですか」

 「変だったかしら」

 「まあ、姉さんですから」

 微妙に要領を得ないうえになんとなく失礼な言い分なのに、妹の声は微笑み交じりに軽やかだった。分からないことを訊ねるときよりも罵倒気味の方が舌の滑りが良いなんて、我ながら困った妹だ。

 前に本人にそう言ったら「それは相手が姉さんだからです」と普段の三倍の早口で返されたけれど。

 「ああ、それと」

 向かって左手に七歩ほど。

 応接間の扉の前から妹の声がする。

 壁に響いているから多分、振り返らないままで。

 「いちいち私に殺気を飛ばしてくるのはやめなさい。姉さんに腹が立つのは事実ですし話しているうちに紅茶をぶっかけてやろうかと思うことも二度や三度では済みませんが、ええ、私は姉さんの敵ではありません」

 去り際、妹の声は私の頭の上を通り過ぎて。

 ふわりと動いた獣の匂いで、侍女が深く頭を下げたのが分かった。

 「では、ごきげんよう」

 いつも通りによく通る挨拶の後。

 大袈裟な足音が、廊下に溶けて、遠ざかっていく。

 根が自信家で真面目なのだから。

 愛されることを受け止められる強さが在るのだから。

 幸せに怯える必要なんて、ないのになぁ。

 「叱られちゃったわね、イングリドったら」

 「叱られていたのはお嬢様です」

 そうとも言う。

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