4.



 屋敷の庭園には色とりどりの花が生えている。

 赤とか黄色とか白とかそんな感じ。

 あとは草と、木も生えている。

 噴水とかもあった気がするよね。

 昔は執事長が管理していたけれど、加齢で手入れが難しくなってきたので今は街の職人に依頼している。

 らしい。

 お察しの通り、庭のことはあんまりよく知らない。

 見えていた頃から草花には大して興味が無かったし、今となっては、まあ草より花の方がちょっと匂いが強いかしらねってそのくらい。お母様や妹が花言葉とか花冠とかふわふわきゃっきゃしている間、私はお爺様と山で木の実をもぐもぐしたり獣をバンバンもぐもぐしたりキノコをもぐもぐして二人仲良くグルグルブクブクバタンキューしたりしていた。

 何度お爺様と並んでお屋敷の廊下でお説教を受けたか数えきれないけれど、吹雪の山道で片足を失って自力で山を下りてこられたのはあの経験のおかげなので人生なにが役に立つか分からないわよねという話を前に侍女にしたら鼻で笑われたことがある。

 山道を歩き回るのが難しい体になってからも、部屋の中だけではどうも物足りないのでこうして、庭園を歩き回っている。石畳の道から外れないように、というのが一人で歩く条件だ。猟銃の重みも土雪の重みもないけれど、草花や土の匂いと風の流れる音はここにある。

 靴と義足の底が石畳を踏む音も、慣れた今では心地良く感じるようになった。

 ああ、それと。

 匂いと言えば、もう一つ、あの頃と変わらないものがある。

 「イングリド、なにかあったの?」

 振り返って訊ねると、返事までに少し間があった。

 「……フランベルジュ様が離れにお見えです」

 「あらまぁ」

 「いつも通り、ご立腹の様子でした」

 「あらあらまあまあ」

 比較的のんびりしている両親と違って、妹のフランはどうも短気で困る。いったい誰に似たのだろう。

 山中の沢で獲った魚をすぐさま捌いて食べようとしてその場で火起こしを始めたせいで危うく山火事を起こしかけたお爺様の顔が脳裏に過ったけれど、似ていると口に出したら妹の機嫌が斜めどころか直立してしまいそうだ。

 「いかがなさいますか」

 「あの子を待たせるのは得策じゃないわね」

 散歩に出てからいつもの半ばほども歩いていないけれど、仕方ない。

 「お願い、イングリド」

 侍女の方へと手を伸ばす。

 一人で歩くよりはさすがにはやい。

 「かしこまりました」

 返事に続いて、受ける手がそっと添えられた。

 私の侍女の手。働き者の手。少し冷たい手。

 けれど触れた手は引かれず、また、少しだけ不思議な間が空いた。

 「どうかした?」

 「いえ」

 侍女の手に、ほんの少しだけ力がこもる。

 「お嬢様には私の居る場所が分かるのですね」

 いつもより聞き取りにくかったのは。

 か細かったからか。

 震えていたからか。

 外の風に少しだけ邪魔をされたからだろうか。

 「声がするのだから、そこに居るでしょう?」

 多分そういうことではないんだろうな、と分かっている。お互いに。

 それでも「左様で」と、侍女は私の手を引く。

 正しくは。

 どこに居るのかが分かるのではなく、そこに居るのが分かるというだけ。

 あの日々と同じ。

 あの日と同じ。

 獣の匂いが、するから。

 「お急ぎならば担いでお運びいたしますが」

 「えーんーりょーしーまーす」

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