2.



 「ねえ、イングリド」

 「はい」

 「私の左足、どこか知らない?」

 届く範囲を手の平でぺちぺち探してみたけど見つからなかった。

 「はい。外出用の義足でしたら、玄関の方に」

 とっとっと、と紅茶の入る音と共に侍女が答える。

 「あら、そうなの」

 「昨晩お休みになる前に寝室の床に放り出していらっしゃったので、手入れをして片付けておきました」

 「あらーそうなのー」

 やっべ、と藪蛇に目を泳がせながら紅茶を受け取る。泳がせたところで何も見えないので、どこにも逃げられていない気がする。人間は水中で呼吸出来ないのだから泳ごうとすること自体がおこがましいのである。そんなものは魚に任せておけばいいのだ。水泳とか、鳥人間なみに好きな人だけがやってればいいことだと思う。

 ちなみに私が目も足も健在の頃から泳げなかったこととは何の関係もない話だ。

 「グレイランドの石工は素晴らしい腕前なのだけれど、それはそれとして重たいのよね、あの義足」

 「お出かけでしたらお持ちしますが」

 「え、私を?」

 「いえ。ああ、いえ、それでも構いませんが」

 「あーうん義足で大丈夫でーすお願いしまーす」

 以前、帰り道で侍女に「歩き疲れたから家まで運んで」と冗談半分でお願いしたら街中からファイヤーマンズキャリーで屋敷まで運送されたことを思い出した。こんな目で良かったと思ったのはあれが初めてだ。視力が残っていたら周囲の視線で凍死していたかも知れない。

 あとでお父様と妹にたいそう叱られ、お母様には大笑いされた。いやでもあれ私だけが悪かったかな、と思わなくもないのだけれど。

 「行き先は本館ですか?」

 「ううん、庭を少し散歩するだけ。お昼前に少し片付けたい仕事があるから、執務室の掃除をしておいてもらえるかしら」

 「かしこまりました」

 左足を無くしたのは視力を無くすよりも少し前のことだったので、どんな状態なのかは見て知っている。

 まず膝下辺りから先を失って、それから、手当てを受けるまでに時間がかかったせいで太腿の中間から先を切除することになった。

 現場が吹雪の中の山道でなければもう少し早く治療出来たと周りは嘆いていたけれど、氷点下で野ざらしにしていたおかげで出血も痛みも見た目よりいくらかましになったという見方もある。

 命は拾ってきましたよ、とピースしてみせたらお父様と妹に人差し指と中指を折られそうになった。あのときばかりはお母様も半ギレだったしちょっとやばかったかも知れない。

 でもお爺様にはよくやったと褒められたので、悪い思い出ではない。

 というか「ようやったようやった」と連呼しながらブッ叩かれた背中の方が足よりよっぽど痛かったし呼吸出来なくて死ぬかと思った。いやごめんさすがに強がりだね足の方が痛かったね普通にね。

 思い出に浸りながら、そっと紅茶を口に含む。

 「お嬢様」

 少し低いところから侍女の声が聞こえる。

 ごとり、と床から重たい音がして、ああ、義足を持ってきてくれたらしい。

 「なあに?」

 「足の傷は、痛みますか」

 「んー? んー……」

 どうだろう、と左足を撫でてみる。

 手術跡には義足用の接続具が付いていて、傷口に直接触れることは出来ない。

 石材の冷たい感触と太腿の柔らかい感覚を指でなぞって、手の平で覆う。

 「そうね、痛いのかも」

 私の傷口はそこにない。そこではない。

 本当に痛むのはきっと切り落とした場所ではなく、あの日切り落とされた足そのものだ。

 「なら、いいのですが」

 「え、いいの」

 痛まないと言った方が安心したかな、と少し後悔したところに、侍女の言葉は意外だった。

 「痛みが、自覚があるうちは、いいのです」

 侍女はそう言って。

 かちゃかちゃと、食器を片付ける音がし始めた。

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