第2話

 前を歩く翠に、私は後ろから尋ねた。

「それで? どうするつもりだ?」

「この世界から出られる場所を見つけるよ。庭には見当たらないから、館内のどこかだと思う。近くに行けば、わかるから」

「しかし、これから殺人が起こるんだろう? 動き回っていいのか?」

「どうだろうね。誰かが被害に遭って、うろついている僕らが怪しまれる可能性は出てきてしまうかもね」

 そう言いながらも気にしていないのか、翠は淡々と喋っている。

「面倒なことに巻き込まれたくはないが」

「出来ればね。でも探さないと、出られないままだ。それに・・・・・・」

 翠は立ち止まって、私に振り返った。

「確認したいんだけど、この小説は完結しているのかな?」

「えっ?」

 私は、あいつが執筆していたときの様子を思い出した。

「あいつは書き直していたな。なかなか進まない、と」

 翠は眉根を寄せた。

「となると、この小説は未完なわけだね」

「それがどうかしたのか?」

「どのような話になっていくのか、物語が決まっていないということは、終わらないということ。物語が終わるなら、出口が見つからなくてもこの世界を完結させて脱出することが出来た。つまり、探偵に事件を解決させることだ。でも未完なら、それは出来ない」

「そうか、そういうことになるな」

「それに、事件のトリックや犯人が、小説の中で明確に定まっていないのなら、僕らが犯人に仕立て上げられてしまうかもしれないし、第二,第三と犯行が続いてしまうことも考えられる」

「それだと、私達が犯人から狙われる可能性もあるのか・・・・・・!」

「そうなると厄介だな。定番の設定になっているし」

「定番?」

「この小説の世界では、クローズド・サークルという推理小説では鉄板の設定になっているんだ」

 翠は廊下の窓に視線を移す。

「ほら、外が吹雪でしょう? ということは、僕らはここから出られない。閉じ込められているような状態なんだ」

「助けを呼べないのか?」

「呼んでもこの吹雪じゃすぐには来られないし、たいていは連絡が取れないんだ。電話線が切断されているとか、圏外とかね」

 翠は再び歩き出した。私もついていく。

「私はあいつがどこまで小説を書き上げていたのか、わからないぞ」

「それなら、まだ事件を起こすところを書いていないといいんだけど」

「犯行が起こらないのか?」

 翠は頷いた。

「でも、事件が起こると、この小説の世界に犯人がいることが確定してしまう」

「推理小説だから、事故や自殺というわけにはいかないか」

「そうだね」

 ふたり並んで歩いていたら、

「よっしゃぁ!」

 と突然、近くの部屋から歓喜の声が聞こえた。男のようだ。

「何だろうね」

 私は扉の横のプレートを見た。

「遊戯室となっているぞ」

「それじゃあ、入ってもいい部屋だね」

 翠は遊戯室の扉を開けた。えんじ色のカーペットが敷かれており、部屋の中央にはビリヤード台、右側の壁際にダーツの的、左側の棚にはボードゲームが収納されている。ビリヤード台の向こうにはテーブルゲームがあった。

「おや、君達も遊びに来たのかい?」

 神崎が私達に気付いて声をかけてきた。

 ダーツで石橋と橘が遊び、そばにあるテーブルゲームの椅子に神崎が座って見ていたようだ。

「いえ、僕らは別荘の中を見て回っているところで。今、声がこの部屋から聞こえたので、気になって来てみたんです」

「あぁ、ごめん。つい嬉しくてさ。声がでかくなっちゃったな」

 頭をかきながら、橘が言った。

 的を見ると、中心に矢が刺さっている。

「橘くんが決めたよ。私の負けだ」

 石橋が少し残念そうに言った。

「せっかくだから、君らもやってみないか?」

「えっ?」

 私は人間の遊びに興じたことはないし、興味もない。

「それじゃあ、一回だけ僕がやります」

「そうこなくちゃな。神崎さん、次はあなたも」

「そうですね。では、石橋さんの代わりに」

 三人の対決を石橋と共に眺めていたが、私は飽きてしまった。部屋の中を見回すが、これといって、出口に繋がりそうな怪しいものは見当たらない。ここに長居しても意味はなさそうだが。

「君はこれを知っているかい?」

 私の様子に気付いたのか、石橋がテーブルゲームを指して私に尋ねてきた。

「テーブルゲームだ。翠・・・・・・兄ちゃんから聞いた」

 一応、兄弟という設定通りにしておく。

「そう。よかったら、やってみるかい? 古いものだけど、ちゃんと動くよ」

 私は石橋に教わって、言われるがままシューティングゲームをやった。

「くそぉ。強いな、君は。まさか、こんな実力者だったなんて」

 気付けば、ダーツは終わっていた。橘が翠に向かって悔しそうに呟いている。

 どうやら、翠が勝ったらしい。

「もう一勝負、どうだ?」

「すみません。せっかくのお誘いですが、弟が図書室に行ってみたいと言っていたので、今日はこれで」

「そうか」

 私を引き合いに出すとは。

「それなら、私が参戦してもいいですか?」

 扉の方から声が聞こえた。私が振り返ると、伊藤が遊戯室に入ってきていた。

「えぇ、もちろん。では、次はビリヤードでどうでしょう?」

 まだ飽きずに続けるようだ。

 翠は私に近付いて言った。

「ずいぶん、熱中していたみたいだね」

「暇だったから、少しやってみただけだ」

 私は思わず翠から視線を逸らした。気付いていたようだ。

 私達は遊戯室を出て、館内の探索を再開した。

「勝負を受けていて、よかったのか? 収穫があるようには思えないが」

「いや、あったよ」

 私は首を傾げた。翠はフッと笑った。

「あの部屋に出口はない。でも、気になる人はいた」

「誰か不自然なことをしている奴でもいたのか?」

「いや、そうではないけど・・・・・・ここは何の部屋かな?」

 翠は白い扉の前で止まる。

 他は茶色い扉ばかりなのに、何故ここだけ?

 翠はノックした。反応がないことを確認すると、扉を開けた。

 部屋の中は本棚がずらりと並んでいた。図書室だ。本をゆったりと読めるように配慮しているのか、ソファやテーブル席もある。

 翠はぐるりと室内を見渡す。

「ここ・・・・・・感じる」

 そして、図書室の中を歩き始めた。

「どうした?」

「近いんだ。出口に繋がるものがここにはある。ただ・・・・・・」

 翠は本棚を巡り、私はソファやテーブル席を調べた。

「見当たらない。このどこかにあるはずなんだけど、隠されている」

「魔女の仕業か?」

「そうだろうね。もっと念入りにやらないとダメかな」

 私は面倒だなとため息をついた。その時だった。

「きゃあああ!」

 廊下の奥から甲高い叫び声が聞こえた。これは嫌な展開だ。

「まさか、もう殺されたのか?」

「仕方ない。ひとまず、行ってみよう」

 私達は叫び声が聞こえた方へ向かった。奥にある部屋の前に桐生がいた。

「どうしたんですか?」

 翠が声をかけると、桐生は開いている扉の中を指差した。

「旦那様が・・・・・・」

 私達は部屋の中へ入った。

「来てはいけません!」

 部屋の中では、机に突っ伏している峰岸とその近くに鳴海がいた。峰岸の首の後ろには何かが刺さっている。

「峰岸さん、亡くなっているんですね?」

 翠が鳴海に問うた。

「残念ながら」

「その首に刺さっているものは、アイスピックですか?」

「えぇ。これで一突きということですね。明らかに致命傷です」

「どうした! 何があったんだ?」

 あとから続々と他の者たちもやってきた。これはよくある流れだ。

 叫び声を上げる者、呆然とする者、怯える者などがいる中、順子が取り乱した様子で峰岸に近寄る。

「あなた!」

「いけません、奥さん! 近付かないで下さい!」

 鳴海が制止の声を上げ、そばにいた伊藤が順子の両肩を掴んで止めた。

「あぁ、そんな! どうして」

 順子はその場に崩れ落ちた。村上が彼女のそばに付き添う。

「峰岸さんは後ろから何者かによって、アイスピックで首を刺されています。これは殺人です」

「誰なんだ! こんなことをやったのは!」

 石橋の声には、驚愕と恐れが滲んでいる。

「まだわかりません。でも、この中の誰かがやったと言えるでしょう」

「この中に?」

「外は猛吹雪です。念のため、戸締まりを確認する必要はありますが、外からの侵入者が峰岸さんを殺害した可能性は極めて低い。くわえて、峰岸さんの首の後ろにアイスピックが刺さっているということは、それだけ近付いても峰岸さんに怪しまれなかった人物。ですから、この中にいるというわけなのです」



 私は書斎に集まった人々を伺った。そして人数が足りないことに気付いた。

「橘さんがいませんが?」

 翠も気付いたようで、誰にともなく訊いた。石橋が答えた。

「彼はトイレに行ってたんだ。異変に気付かなかったのかもしれない」

「では、橘さんにも知らせておいた方がいいですね」

 鳴海が机の周りを調べながら言った。

「私が行ってきます」

 石橋が書斎から出ていった。

「警察が来るまで、遺体はこのままにしておきましょう。みなさんからお話を聞きたいので、一度リビングに移動をお願いできますか?」

 鳴海が私達一人一人に視線を向けた。さっそく、探偵の出番というわけだな。

 私達はぞろぞろと書斎を出ていく。順子だけは変わらず村上に付き添われていた。

「これから、事件の概要とそれぞれのアリバイが確認されるわけだな。あの探偵によって」

 私は前を歩く探偵の背を見ながら、翠に小声で訊いた。

「えぇ。何事もなければ、だけど」

 その時、遊戯室の扉が開いたのが見えた。石橋が血相を変えて出てきた。

「石橋さん? どうされたんですか?」

 様子がおかしい石橋に、鳴海が尋ねた。

「た、橘さんが! 死んでる!」

「えっ!」

 誰かが驚愕の声を上げたかと思うと、鳴海が一目散に遊戯室へ走っていく。私達もあとに続いた。

 橘は遊戯室のビリヤード台とテーブルゲームの間にうつ伏せで倒れていた。鳴海が橘を確認している。

「首を絞められた痕がありますね。たしかに亡くなっています」

「そんな、橘くんまで・・・・・・」

 順子はその場で泣き崩れた。

「奥様!」

 村上が順子に寄り添った。他の者は愕然と言葉を失っているようだ。

「立て続けに殺人が起こったぞ」

 翠を見上げて囁くと、彼は厳しい顔つきで前を見据えたまま言った。

「早々に終わらせようとしているようだ」

「なに?」

「おそらく、これはもう作家さんの筋書きじゃない。魔女の力によるものだ」

「どうして言い切れる?」

「今までの流れは、推理小説の定番通りだった。だから、峰岸さんが殺害されたことで、この後は全員のアリバイを確認し、調査していく。そう進んでいくはずだった。だけど、それぞれの証言を検証する前に、第二の殺人が起きた。第一が起こってすぐだ。これは、推理小説を今まで書いたことがない作家さんが考えた展開とは思えないね」

「となると、さっさと全員殺してこの小説を終わらせ、私達の力を奪おうということで合っているか?」

「そんなところでしょう。力を奪うために、恐怖心を駆り立てることが必要だから」

 翠は私に視線を移すと、場違いな笑顔を浮かべた。

「さぁ、行くよ。この世界の出口へ」

 翠は私の手を取って、遊具室を出た。

「月野さん!」

 鳴海の声が聞こえたが、お構いなしに廊下を走る。向かう場所はわかっていた。

 翠は図書室の扉を開けて部屋の中央に立つ。

「どうする気だ?」

 翠を見やると、私は目を見張った。翠の特徴的な翠色の瞳が怪しく光っている。その瞳で周囲に目を走らせると、ある一点に視線が止まる。

「これか」

 翠は奥の壁に飾られた絵画に歩み寄った。その絵には、峰岸と順子が庭にたたずむ様子が描かれている。

 翠は絵画を横にずらした。

「これは・・・・・・スイッチか」

 壁と同じく白い小さなボタンが隠されていた。翠がそれを押すと、近くの本棚がスーッと動いた。本棚の裏に、深緑の扉があった。

「この中だ。行こう」

 扉を開けると、下へ続く階段があった。私達は壁にあったスイッチで電気をつけ、下りていく。その先にあった扉を開けて中へ入ると、そこは峰岸が使用していた書斎と同じような部屋だった。唯一違っていたのは、机があったところには台座が置かれていた。その上で、何かが光っている。

 私達はそれに近付いた。台座の上にあったのは一冊の本だった。

 タイトルには『雪の山荘に潜む闇』

「これが、この世界の要だ」

「どうしたんですか?」

 私達は扉の方へ振り返った。

 そこには神崎が立っていた。

「ふたりして遊戯室を出ていくから、みんな驚きましたよ」

「追いかけてきたんですか、あなた一人で」

「他の皆さんもあなた方を探していますよ。何かあったので・・・・・・」

「やはり、あなたでしたか」

 翠は神崎の言葉を遮った。

「・・・・・・何のことですか?」

「あなたが峰岸さんと橘さんを殺した犯人だということです」

「えっ?」

 私は耳を疑った。

「この男が? でも何故?」

「それは知らない」

 翠は笑顔でさらっと言った。

「何の根拠もなく、他人を犯人扱いとはひどいですよ」

 神崎は眉間に皺を寄せた。

「たしかにそうですが、この世界にはもう、関係ありません」

「関係ない?」

「この世界は未完のまま作家さんの手から離れ、途中から別の筋書きで進もうとしていますし、僕は探偵ではありません。トリックがどうとか、犯人の動機とかそんなことを調べて知るつもりも暴くつもりもないんです。ただ、この世界から脱出するだけです。彼を連れて」

 翠が私を一瞥した。

「よくわからないが、何故私を犯人だと思ったんですか?」

「それは、あなたから魔女の力を感じるから」

「魔女だと?」

 私は神崎を観察した。だが、私にはわからない。

「それに、あなたがこの部屋に入ってこられたのが何よりの証拠です」

「部屋に入っただけで?」

 神崎は苦笑した。

「図書室の扉には結界を張っていました。他の人が入ってきて、邪魔してこないようにするために」

 私はそんなことをしていたなんて気付かなかった。いつの間に・・・・・・。

「ですが、あなたはここにいる。魔女の力を有するあなただから入って来られた」

 神崎から笑顔が消えた。

「作家さんはあなたをこの小説の犯人にして、完成させるつもりだったのでしょう。作家さんの考えや思いが原稿にこもっていて、それを魔女が利用したというところでしょうか」

「・・・・・・ならば、私がここへ来た理由もわかるだろう」

 神崎の声が変わった。女の声だ。瞳の色も紅く変化している。

 魔女は私達に近付いてくる。

「僕らの恐怖心を煽れなかったから、直接僕らの霊力を奪いに来ましたか」

「そう。おとなしくすることだ。苦しみたくなければ」

「その言葉、そのままお返ししますよ」

 魔女は歩みを止めた。

「僕の霊力をあなたが奪えると思っているのですか?」

 翠色の瞳が光る。翠はその瞳で魔女を見据え、怪しく微笑んだ。

「たしかに、あなたの霊力を全て奪うのは不可能と言えるし、そんなことをすれば全ての世界のバランスが崩れてしまう。全てはあなたに還り、またあなたから全てに光を与える。あなたはそういう存在なのだから。でも・・・・・・」

 魔女は不敵に笑った。

「本来なら関わることのないあなたが、この世界に降りてきてくれたんだもの。少しくらい、力を恵んでくれてもいいのでは?」

「色々な方から奪ってきたんですから、もう十分でしょう」

「いいえ、まだ足りない」

「それでも、お断りします。あなたは彼の友人を奪ったのですから」

 魔女は私を見た。私は無意識に身構える。

「作家の男の家にいた猫ね。何も心配いらない。私に霊力をくれれば、あなたもあの男の元へ行けるでしょう」

 魔女の周囲の床から紅い触手が現れた。私に伸びてくる。

「いけませんね」

 翠が翠色のオーラを発した。紅い触手が消えていく。

 翠が私の前に立った。

「彼はもう僕の友人です。勝手なことをしないでもらいたい」

 魔女の顔が歪む。

「この世界は私の支配下にあるのよ」

「そうでしょうか? 僕がなんなのか、お忘れですか?」

「おい、翠」

 私は魔女から翠に視線を移した。翠が何をするつもりなのか、なんとなくわかった。

「この世界は作家さんが思い描いていたものとは異なっています。ですから、いいですね?」

 魔女から目を離さずに、翠は私に訊いていた。

「・・・・・・かまわない。あいつもこんな世界、望んでいないだろうからな」

 私の言葉を聞くと、翠は自身を包む翠色の光を強めた。オーラの輝きがこの世界を包む。

 眩しくて目が眩むが、少しずつ目を開けた。

 翠のオーラが広がり、部屋のあらゆるものが消えていく中で、一瞬だけ見えた。

 その中心には、真っ白な光があった。



 目を覚ますと、見慣れた景色があった。あいつの家の庭だ。そして、畳の感触。

「おはよう」

 翠があいつの机の前で座っていた。

 私は起き上がった。机の上には、あいつの原稿が置かれている。

「帰ってこられたんだな」

 翠は頷いた。

「魔女は?」

「消滅したよ。あの世界と共に」

「そうか。なら、もう大丈夫なんだな」

「いや、そういうわけではないよ」

 私は驚いて翠を見た。

「あれは、魔女の力の一部。それがこの原稿に宿ってあの世界にいたんだ。魔女自身が完全に消えたわけじゃない」

「そうなのか」

「今後、銀露は狙われるかもね」

「えっ!」

「霊力が強いから。僕らから奪えなかったのは、本人も感知しているだろうし」

 私はため息をついた。

「面倒なことになった」

「そうだね。銀露はここで飼われていたの?」

「いや、私は気ままに旅をしている。あいつは動物好きでな。ちょうど今日のように、寒い時期に私が偶々、ふらりとこの前を通ったらブツブツ喋っている声が聞こえた。庭から入ったら、机にかじりついている男がいた。そして、そばにはストーブがある。

 私は暖を取らせてもらうことにした。あいつは嫌がらずに受け入れてくれたよ。食べ物や水まで用意してな。それから、時々ここへ来ていた」

「気に入っている場所だったんだ」

「そうだな。だが、あいつがいないなら、もうここへ来る必要はないな」

「じゃあ、僕のところへ来る?」

「えっ?」

 翠は私の額に手を触れてきた。その途端、映像が流れ込んでくる。

 これは・・・・・・図書室?

「本屋だよ」

 私の思考を読んだらしく、翠は言った。

「僕の本屋『蒼月書店』だ。色んな世界を転々としてる。でも、君なら迷わず来られるでしょう。気が向いたら来て。僕の店には、魔女は入ってこられないし」

 翠は庭に視線を動かした。

「そろそろ、誰か来るね。作家さんの親戚か、友人か、近所の人か」

 外から話し声が聞こえる。翠は立ち上がった。

「僕は行かないと。銀露はそのままの姿でいいの?」

 私はハッとして、自身を見下ろした。まだ人間の姿のままだ。

 すぐさま猫に戻った。

「作家さんには申し訳ないけど、僕らが勝手にどうこうするわけにはいかないから、このまま行くよ。彼のことは、これから来る人にお願いしよう」

「もしかして、誰か来るのは、翠が呼んだのか?」

 翠はニコニコと笑った。

「虫の知らせという名のテレパシーってやつ、かな」

「・・・・・・お前は本当に何でもありだな。この後、どうするんだ?」

「今日は蒼月書店に戻るよ。そろそろ、アイスコーヒーが飲みたい」

 私は机に飛び乗り、それから翠の肩へ移った。

「それならこのまま、私も行こう。どうせ、もともと行く先を決めていなかったからな」

「わかった。じゃあ、連れていくよ」

 翠は目の前に手をかざすと、空間が歪んだ。そして、一瞬の後に襖が現れ、それを開けた。

 一本のまっすぐな道が続いており、その脇には季節関係なく、様々な花が咲いている。空の蒼い月が照らすその道を、翠は歩いていく。

「もしかしたら、私はお前の姿を見てしまったかもしれない」

 翠は瞳に穏やかな光を宿して笑った。

「見られたんだ? やっぱり、銀露は霊力が強いね」

 しばらく歩くと、再び襖が現れた。そばには満天星ドウダンツツジが咲いている。

 翠は襖の取っ手に手を掛けた。

「さぁ、ここが僕の本屋だよ」

 私が蒼月書店に来たのは、これが初めてだった。


 

                              ー了ー

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蒼月書店の奇々怪々 ー外伝ー 望月 栞 @harry731

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