他人に自分を在らしていいんすか?!

@hajii

第1話

サッカー選手としての世界進出をかけ、彼女とアメリカに繰り出す予定であった一歩そんな矢先、彼女の妊娠が発覚する。

責任を取ると宣言をしていたはじめは、結婚を決意。

あっという間に同棲生活が始まった。

彼女の男癖にやや不安感を覚える一歩だが、来る未来を全て受け入れる、の誓いを胸に生活を共にする。

怒涛の三月に、転職活動も無事に済ませ、初のサラリーマン展開を迎えることとなる。


あれよあれよと

同棲が始まり、愛かも恋かもわからない感情の狭間で、一歩は愛に関しての一つのことに気がついた。

彼女を幸せにするものすべてに感謝をするのである。ということだ。これは、師匠のかつて言っていた、「自分の周りも幸せでいなかったら、自分も幸せであるはずがない」という考えに基づくものだ。これを知らなかったら、おそらく今よりももっと悶々としていたことだろうとゾッとする。


実際想像してみてほしい。例えば美味しい食事を食べる時、同じような感情でその食事に向き合っていなかったら、その人が別のことに気を取られていたら、おそらくその食事を芯から楽しむことはできないだろう。幸せは共有してこそ、心と体の芯から感じることができるものなのである。であるとするならば、束縛などと言うものは健全な同棲生活のためには、もってのほか論外である。彼女の人生に必要な幸せのパーツを否定して自分の幸せにしか焦点を当ててないことに他ならない。

だから彼女が自分のによるもの以外でも幸せになることは、必要不可欠であるのだ。そこに感謝すべきなのだ。

感謝の力は偉大なのである。お酒にもありがとうだし、遊んでくれる友達にもありがとうだ。


彼女の趣味を応援、程よい距離感で、など色んな言い方がされるが結局のところ彼女の幸せ時間を応援できるか、いや感謝できますか、ということなのだ。それが見返りを求めない愛なのである。


押すばかりでもだめで、引く時も大切である。

最近わかった、彼女の生態の一つだ。

どうやら彼女は、ずっと求められ続けるのも刺激が薄れてしまうからよしとしない。逆に僕がなにかに没頭していて、彼女を見なくなった時、彼女はすこしふくれる。これは非常に良い発見である。この特性に関してを先輩は早期に発見していた。だから「むずい」とちらっと言っていた。やっとその意味がわかった。押し引きの絶妙なバランスを日々の生活で言動で表現しなければ、彼女の心は掴み続けれない。

確かに自分もそうである、追われ続けると飽きてしまうが、追われてたのに急にそれがなくなった途端、どこか不安感を覚えてしまう。人間とは実に単純なものだ。


今の物語が急に始まりを告げた。

8月からだ。

この物語が始まった以上、この一連の出来事を面白おかしく、また実りあるものにする以外に選択肢はない。


外してはならないこと、この場合のホームランは、

なんなのだろう。

ともかく家を愉快で安心できる回復場にすることは重要である。


早期に結婚、かつ授かり婚は離婚率が高いと名高いが、そのジンクスにハマるのは面白くない、「俺たちは違うぜ」ってなところを見せたい所存ではあるところだ。


そのために必要なこと、

魅力的であり続ける。

大切に思う。幸せを応援する。

笑顔絶やさない。



さて、哲学の時間だ。

人はなぜ必死に生きるのか。

それぞれ本当にいろんなシチュエーションの中で生きているから答えは一つではない。自分が納得するところがその答えである。のだが。

先のようないろんな思考を練っていると、結局「なんのために生きるんだっけ」に行き着くのだ。


最悪の事態を想定してみよう。今でいう最も怖いことは、離婚、、なのか。。?

うむ、そう思ってしまっている自分がいる。

それはおそらく十中八九、彼女の幸せに自分の幸せを置いているからである。


であるから、彼女という存在がいなくなった途端それを埋めなければならなくなる。


自分の幸せを他のところにも置くべきなのだ。


そうすると、なんのために何を叶えるために生きているのか。


昔の人は賢明であった。

この世のものは儚い。いつ崩れ、いつ失われるかもわからない。

だから、空想の世界を作り、その世界へ行くために日々をこなすことを是としたのだ。


結局、これが叶えたい、ではなく、こんな世界にいたい。から頑張るのであろうか。


失われることのない、生きてる限り恒久的なモチベーションの源が欲しいものである。


お金を得てどうする。

家庭を守ることができる

子どもを良い環境で育てることができる


ではその両方がなくなった時、どうなる。


自分の生きる根源。いや、生きとし生けるものの根源といっても過言ではない。

それは、「必要とされること」


以前の職場にきた、生徒の親戚である生物学者が言っていた。

生物学的に言うと「生まれた理由なんてものは、ない。生は全て偶然の中にたまたま発生したものである」らしい。

おそらくきっとそうなのだろう。人間は知能が発達していて、見えないものまで考えてしまう想像力を持ってしまっている。

生きる理由なんてものは、壮大な妄想の世界なのである。


だが、僕が思うことが一つある、それはこの世に生まれるもの、そして生き続けるものには「どこかの何かを支えてる、仕事をしている」という共通点がある。


植物も、どんな小さな生態系であっても。


僕はそれを感じたいのであるきっと。


自分の存在は誰かのためになっている。それがきっと生き甲斐なのだ。


わかった。


自分は、生きてる限り、

自分が身を置く環境に存在するみんなが幸せで、その幸せを共に感じていたいのだ。

テトラの時もそうだった。あの泥臭く駆け上がってる時、ココロトの時も待遇やなんやらを何も考えずに好きな人間といろんなことを分かち合う瞬間。それが楽しかったのだ。



自分の存在で周りを幸せに楽しくする力。

それがお金を稼ぐことであったり、人と関わる力なのだ。


サッカーのモチベーションもきっとそうだ。

自分の存在を証明しつつ、それが誰かの感動になる。それが叶えられるのがサッカーだった。


しかし此度の同棲生活は、それとは違うベクトルの思考が必要であるように思える。


なぜなら、僕が思うに彼女の求める幸せは

「帰ったら家に誰かがいるという安心感、そしてその彼が自分への揺るがない愛を持ち続けていること」であると思う。

彼女は男女の刺激は外で求めるタイプなのだろう。もしダメだったとしても私には彼が待ってくれている。そんな安全策のような存在が欲しかったのだろう。


言ってしまえば都合のいい関係なのだ。全て。


それで終わるのは癪である。


楽しいことには変わりない、しかし、癪なものは癪だ。


であれば、彼女の幸せを満たしつつ、こちらも何かしら打って出ようではないか。


それは、夢を叶えるという一手だ。

やはり、アレしかない。アレを実現させるのだ。




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