第10話
「これ、なんでウチがトップ張ってんねやろ……」
高層ビルの最上階にある新しいオフィスで、ナオミは窓際に立っていた。夜の街を見下ろす景色は美しかったが, その分だけ現実感が薄れていく。
一ヶ月前まで、深夜のコンビニでレジを打っていた自分。今や、一般社団法人の代表理事。机の上には、まだ慣れない新しい名刺が積まれている。
「ナオミさん、明日の記者会見の原稿、確認お願いします!」
「代表理事、全国放送のインタビューの件ですが……」
「理事長、銀行協会からの申し入れが……」
次々と飛び込んでくる声に、ナオミは息が詰まりそうになる。
「あ、はい……ちょっと、トイレ……」
慌ててオフィスを飛び出す。トイレに駆け込み、個室に身を隠した。
「無理やって、これ絶対無理や……」
震える手でスマートフォンを取り出し、タロウに電話をかける。
『どうした?』
「タロウ、ウチ、もう限界かもしれん。みんな期待しすぎやし、責任重すぎるし……」
『まあ、そら そうやろな』
意外にも冷静なタロウの声に、ナオミは少し落ち着きを取り戻す。
『でもな、お前にしか出来へんことやねんで』
「なんでウチなん? カナコさんとか、キタガワさんとか、もっとすごい人おるやん」
『そうやなぁ……』
タロウが考え込むような間を置く。
『でもな、この話を思いついたんは、深夜のコンビニでレジ打ってた時のお前やろ? 既存の価値観に縛られてへん、自由な発想。それこそが一番大事なんちゃう?』
「でも……」
『昨日な、イトウ先生と話してて面白いこと言うてはってん。社会を変えるような大きな変革って、たいてい予想もしてへんところから始まるんやって』
「……」
『コンビニのバイトが考えた突飛なアイデアが、社会を変えようとしてる。そこに意味があるんや』
トイレの個室で、ナオミは膝を抱えて座り込んだまま、タロウの言葉を聞いている。
「知らん間に、なんかえらいことになってもうた……」
『せやな。でも、お前らしくやったらええねん』
「ウチらしく?」
『うん。肩の力抜いて、等身大のお前でええ。難しいこと分からへんかったら、素直に分からへんって言うたらええ。みんな、そんなお前の言葉に共感して、ここまで来たんやから』
外から、事務局員の話し声が聞こえてくる。みんな真剣に働いている。自分の妄想のような考えを、こんなにも真剣に形にしようとしてくれている。
「タロウ……」
『なんや?』
「ウチな、やっぱりみんなの気持ちに応えたいねん」
『ほな、それでええやん』
立ち上がって鏡を見る。相変わらずの若い女の子の顔。しかし、目の奥に、少し違う光が宿っているような気がした。
「とりあえず、明日の記者会見、どないにかせなあかんな」
『そうそう、その調子や。で、記者会見の内容、聞いてくれへん? 俺なりに考えたんやけど……』
「さっすが! やっぱタロウ頼りになるわ〜」
『まあ、お前が考えた社会実験の参謀は、幼なじみの仕事やからな』
電話を切って、オフィスに戻る。みんなが心配そうに見ている。
「すみません、ちょっと気分が……」
「大丈夫ですか?」カナコが駆け寄ってくる。
「はい、もう平気です。それより、明日の記者会見の件……」
ナオミは深く息を吸い、みんなに向き直った。
「高卒のフリーターの私に、何ができるか分かりません。でも、この活動に共感してくれる皆さんと一緒に、自分なりにできることをやっていきたいと思います。……これ、明日の記者会見で言っていいですかね?」
カナコが満面の笑みを浮かべる。
「それ、すっごくいいと思います。ナオミちゃんらしい」
窓の外は、もう完全な夜。しかし、オフィスの明かりは、まだまだ消える気配がない。
「よし、みんなで頑張りましょう!」
自分の声が、思った以上にはっきりと響いた。
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