第7話

 説明会の熱気が冷めやらぬまま、一週間が過ぎていた。ナオミの携帯電話は、もはや充電が追いつかないほどの着信と通知で震え続けている。


「もう、これあかんて。スマホ、バッテリー持たへんわ」


 コンビニの休憩室で、ナオミは画面を見つめながら溜息をついた。チャットグループのメンバーは既に500人を超え、24時間休むことなく議論が続いている。法律家たちのグループ、システムエンジニアたちのグループ、社会学者たちのグループ─。それぞれが独自の切り口で「ヤマダ化計画」を分析し、提案を重ねていた。


「ナオミさーん、休憩終わりですよー」


 店長の声に慌てて立ち上がる。が、その瞬間、またしても着信。発信者名を見て、思わず固まった。


「ん? タロウ?」


 震える指で通話ボタンを押す。


『おい、ナオミ。お前、とんでもないことしでかしたみたいやな』


「あ、あのさ、タロウ。これには説明が……」


『イトウ先生から俺に連絡あってな、面白い社会実験やって言うてはったわ。俺も協力させてもらうで』


「えっ?」


『というか、もう論文の構想練ってる。「現代日本における集団的アイデンティティの再構築─名字統一化運動の社会学的考察」。ええタイトルやろ?』


 ナオミは言葉を失った。タロウといえば、いつも皮肉っぽく社会を分析する超インテリ。そんな彼が、コンビニバイトの妄想を真面目に取り上げようとしている。


「待って、待って! タロウ、私まだバイト中で」


『あ、そうか。んじゃ、明日研究室に来てくれへん? イトウ先生も会いたがってるし』


「研究室って、大学? 私、受験すらしてへんのに……」


『関係ないやろ。お前が発案者やねんから。じゃ、明日な!』


 一方的に電話が切れる。ナオミは呆然と画面を見つめたまま、動けなくなっていた。


「ナオミさん? お客様、待ってますよ?」


「あ、はい! すみません!」


 慌ててレジに戻る。が、頭の中は完全に別の場所にいた。タロウの研究室。大学教授。論文。見知らぬ世界が、突然目の前に開かれようとしている。


 レジを打つ手が、少し震えていた。客に差し出す釣り銭を、思わず落としてしまう。


「申し訳ありません!」


 床に散らばったコインを拾いながら、ナオミは考えていた。これは夢なのか現実なのか。深夜のコンビニで思いついた妄想が、どうして、こんなことになっているのか。


 そして翌日。


「うーわ」


 大学のキャンパスに立ち、圧倒的な建物群を見上げるナオミ。就活中なのか、スーツ姿の学生たちが行き交う一方で、カラフルでファッショナブルな出で立ちの学生も楽しそうにしていて、まるで別世界のような雰囲気が漂っている。


「おーい、ナオミ!」


 振り向くと、タロウが手を振って近づいてきた。普段の飄々とした雰囲気はそのままに、なぜかやけに嬉しそうな表情を浮かべている。


「まさかお前が、こんな社会実験始めるとは思てなかったわ。面白なってきたで!」


「いや、ウチも思ってへんかったわ」


「イトウ先生、めっちゃ興味持ってはるし、他の研究室からも問い合わせ来てるんや。ほんまにすごいことになりそう」


 タロウの興奮が伝染するように、ナオミの心臓も高鳴り始めた。これは、もう後戻りできない何かが始まっている。そんな予感が、確かな形を持って迫ってくる。


「な、なんかもう、怖なってきた……」


「そやろ? でも面白いやん。人間の本質に迫れる実験になるかもしれん。明日からは、お前も研究者の一人や」


「えぇ……」


 思わぬ運命の流転に身を縮まらせながら、ナオミは今後のことを思うと気が遠くなりそうだった。

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