第2章
第6話
区民ホールのロビーは、予想外の人だかりで騒然としていた。ナオミは受付で配布する資料の束を、慌ただしく追加コピーしている。
「えっ、あと何人?」
「現在150名を超えています。会場のキャパを大幅に超えてしまいました」
受付を手伝ってくれている区役所職員が心配そうに報告する。当初予定していた会議室では明らかに収容できない。急遽、区民ホール本体への変更を余儀なくされた。
「なんで、こないな人数来とんねん!」
自分で始めた話ではあるが、ナオミは自分の目を疑っていた。一週間前、区報の片隅に載せた小さな告知。「より平等な社会へ─「ヤマダ」姓への統一の可能性を考える会」という、どちらかというと怪しげな見出し。せいぜい10人も来ればいい方だと思っていた。
ところが─。
「あの、私、東京から来ました!ブログで見て!」
「関西の行政書士会から来ましたけど、資料まだありますか?」
「システムエンジニアの団体で話題になってまして……」
ロビーは熱気に包まれ、次々と声がかけられる。名刺を差し出してくる人、スマートフォンでメモを取る人、熱心に話しかけてくる人、人、人。
「ちょ、ちょっと待ってーや」
パニックになりそうなナオミを救ったのは、区役所の施設管理担当だった。
「ヤマダさん、本会場の準備ができました。皆様、こちらへどうぞ!」
大ホールに人々が流れ込んでいく。ナオミは壇上から、埋まっていく客席を茫然と見つめていた。最前列には、スーツ姿のビジネスマンたち。中列には、様々な年齢層の一般市民。後方には、なぜかマスコミらしき人々まで。
「これ、冗談やろ……」
震える手でマイクを握り、ナオミが口を開く。
「本日は、あの、こんなにたくさんの方々に、お越しいただき、ありがとうご」
まだ挨拶の途中ながら、一気に会場から拍手が起こった。見れば、最前列の一人が立ち上がり、情熱的な表情で拍手を送っている。それに続いて、次々と人々が立ち上がっていく。
(お、おかしいって。なんでスタンディングオーベーションで始まんねん)
壇上のナオミは混乱を隠せない。準備したパワーポイントは、小さな会議室用。メモの字も小さい。しかし、会場の熱気は、そんなナオミの動揺もろとも飲み込んでいく。
「はい、手が挙がっていますね。では、そちらの方」
「カワグチ・マサシです。行政書士会を代表して。具体的な法的手続きについて、全面的なサポートを約束します!」
なんかすごいの来た。ナオミは戸惑いつつも続ける。
「あ、はい、ありがとうございます。それでは次の方……」
「ヤマモト・ケイコ、IT企業の者です。データベース構築、システム連携、全て無償で協力させていただきます!」
「は、はあ」
「イトウ・ヒロシ、大学教授です。社会学的観点から、この革新的な取り組みを徹底的に分析、支援させていただきたい!」
「お、おう」
次々と挙がる手、次々と表明される協力の意思。ナオミの頭の中は真っ白になりつつあった。
(なんか、ほんまにえらいことになってきてへんか?)
壇上のナオミが動揺を隠しきれない様子を見て、会場からは温かな笑いが起こる。その笑いは、しかし、否定的なものではなく、むしろ期待に満ちた、希望に満ちた響きを持っていた。
スマートフォンのフラッシュが光る。メモを取る音が響く。熱心な議論の声が会場のあちこちで湧き起こる。区民ホールは、まるでマグマが噴出する前の火口のように熱を帯びていた。
(タロウ、お前にこれ見せたら、なんて言うんやろなあ)
混乱の中、ナオミはふと、この突飛な妄想の参謀となった幼なじみの顔を思い浮かべていた。
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