第5話

 一週間後。ナオミは事務所の扉の前で立ち止まっていた。昨日まで貼られていた「準備室」の文字が消え、新しい看板が掛けられている。


「ヤマダ化推進協会」


 艶やかな金文字が、朝日に照らされて光っていた。


「もう、ここまで進んでもうたんやな……」


 ドアを開けると、既に事務所内は活気に満ちていた。パソコンを打つ音、電話の声、資料をめくる音。様々な音が交錯している。


「あ、ナオミさん! おはようございます」


 受付には見知らぬ女性が座っていた。名札には「事務局」の文字。


「お、おはようございます……」


 困惑するナオミの背中を、カナコの声が押した。


「ナオミさん、来てくれたんですね! 見てください、これ!」


 差し出されたのは、分厚い資料の束だった。表紙には「日本全国ヤマダ化推進計画 第一次案」と印刷されている。


「えっ、もう最後まで作ってんの?」


「いえいえ、これはまだ序章ですよ」


 カナコは嬉しそうに説明を始める。


「各都道府県での展開計画、法的手続きの簡略化への提言、社会的影響の試算、それに広報戦略まで。みんな、すっごく真剣に考えてくれてるんです」


 会議室からは、熱心な議論の声が漏れてくる。法律の専門家らしき男性が、ホワイトボードに図を描きながら何かを説明している。


「タロウさんにも相談したんですよ。大学の先生方も興味を持ってくれて、社会実験としての理論的な裏付けを作ってくれてますよ」


「タロウに? いつ?」


「昨日、大学に行ってきました! ナオミさんの幼なじみって聞いてたので」


 ナオミの知らないところで、物事がどんどん進んでいく。一週間前、おそるおそる設立趣意書にサインした時には、まさかここまでの展開になるとは─。


「あ、そうだ。これ、見てください」


 カナコがスマートフォンの画面を見せる。ニュースサイトのページが開かれていた。


「『市民による新しい社会改革の試み─ヤマダ化推進協会の挑戦─』だって。もう記事になってますよ」


「うそ…」


「これ、タロウさんが監修してくれた理論がすごく評価されてて。『単なる名字の変更ではない、新しい社会の在り方を問う実験』って」


「いや、タロウもいつの間に理論化しとんねん。暇か!」


 事務所の壁には、既に今後半年の予定表が貼られていた。説明会、講演会、署名活動─。目が眩むような予定の数々。


「カナコさん、これ、ホンマに私がやり始めたことなん……?」


「もちろんです! ナオミさんのアイデアがなかったら、これは始まらなかった。だから!」


 カナコは断固たる決意を秘めたまなざしでナオミを見つめる。


「代表として、これからもよろしくお願いします」


 窓の外から差し込む朝日が、新しい一日の始まりを告げていた。ナオミには、この日差しが、とても眩しく感じられた。


(さっきのアレ、断ってたらガチでガン詰めされてたんやろうなあ……)

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