Act5.「告白」
リリーがローザとお茶をした日から、一週間が経った。サクラの言っていた祭事は神殿で執り行われ、会場には美しい花々が飾られていたが、それはローザの店の物では無かった。
今回は単に条件が合わなかっただけかもしれない。それでもリリーは、サクラの手からローザが離れたような気がして、密かに胸を弾ませた。すぐにローザに会いに行った。だがいつも花で彩られたワゴンが停められていた場所に、彼女の姿はなかった。
ローザの店は移動式だ。定期的に売り場を変えているのかもしれない。
リリーは街中を探してみたが、ローザを見つけることは出来なかった。
「リリー、どうした? 元気が無いな。腹でも減ったのか?」
「あなたと一緒にしないでくれる?」
いつもの野原に並んで座るリリーとユリウス。最初こそ彼の前で挙動不審を晒していたリリーだが、穏やかな時間を幾度も繰り返す度、気安いお喋りが出来るようになっていた。……相変わらず、素直ではないが。
「何かあったなら、話を聞かせてくれ」
「聞いてどうするのよ」
「俺に出来ることがあるなら、力になりたい。何も出来なくても、一緒に悩みたい」
茶化す隙の無い真面目な顔のユリウスに、リリーは心臓を跳ねさせる。彼と居ることには大分慣れた筈だが、最近は以前とは違う妙な緊張を感じることが多くなっていた。
「そういうこと言うと、誤解されるわよ」
「誤解?」
「相手がわたしだからいいけれど、普通の女の子だったら“好意を持たれている”って、勘違いするってことよ」
「問題ない」
「あ、あるでしょう……サクラに嫌われるかもしれないわよ」
「どうしてそこでサクラが出てくるんだ?」
心底不思議そうに、ユリウスは首を傾げる。
「どうしてって……」
「どうやら誤解しているのは、お前の方みたいだな」
「え?」
ユリウスは体ごとリリーに向き直ると、決意を固めたように息を吸い込んだ。そして怖いくらいの真剣な眼差しで、力強く言葉を紡ぐ。
「俺は、お前以外にこんなことは言わない。だから、何も問題ないんだ」
「……は」
リリーは何を言われているか分からず、呆けた。その後ユリウスの口から愛の告白と思わしき言葉が飛び出しても、自分の耳がおかしくなっただけだと思った。彼の赤く染まった頬や熱く揺れる瞳を見ても、白昼夢でも見ているのだろうと思った。
しかし、その硬く大きな手が自分の頬に触れた時、ようやく現実を自覚する。
「あ、あの、わたし、」
「返事は今すぐじゃなくていいから、真剣に考えてくれ」
「……わ、分かったわ」
その後、いつもと同じようにユリウスに屋敷まで送り届けてもらったリリーだが、あまりの出来事に道中のことは全く覚えていなかった。
寝支度を終えたリリーは、ベッドの上でユリウスのことを考える。浮かれる気持ちが全く無いといえば嘘になるが、信じられない気持ちの方が大きかった。
喉から手が出るほど欲しかった初恋の人。義妹の恋人――夫となる人。
彼が自分の方を向くだなんて、過去に何度も見た都合の良い夢みたいだ。
(どうして? この世界では、ユリウスとサクラは結ばれないの?)
確かにこの世界では、彼らはまだ恋人同士ではない。しかしリリーは、二人はいずれ愛し合うものだと思い込んでいた。それは、いざその時が来た時のための心構えでもあったが、何より過去の二人を知っているからこそ、それ以外の可能性は考えられなかったのだ。
――ユリウスとサクラは、まるで物語に出てくるような、絵になる恋人同士だった。
人々を守る聖騎士と聖女。二人は同じ志の元、心を通わせるようになった。戦場で大怪我をしたユリウスを、サクラが治癒の術で助けたことから距離が縮まったという。
(……あれ? そうだったかしら?)
いや、違う。自分とユリウスが幼馴染であるように、サクラもまた彼の幼馴染である。仲睦まじく遊ぶ二人を見て、両家の親が二人の婚約を進めたのだ。
(……ううん、そうじゃないわ)
違う、違う。婚約はあくまで二人の意思である。サクラが迷惑な男に付き纏われ困っていたところを、彼が恋人を装い守っている間に、嘘が本物になった。二人が両家に話をし、願っても無いことだと祝福されたのだ。
(思い出したわ。そうよ、そう。それが本当の記憶)
リリーは半ば強引に自身を納得させた。死の影響か、事実と異なる記憶が混在している。そのどれもが実際に目で見たようなリアリティに溢れており、リリーは泣きたくなった。あの二人の恋模様など、一つだって知りたくないのだ。
(……この世界は、前とは違うって、信じていいのかしら)
今のユリウスは、サクラに特別な好意を抱いていない様子だった。
目を閉じ、昼間の告白を思い出す。彼の声がまだ残っているみたいに、耳の奥が熱かった。
『俺は子供の頃から、ずっとリリーが好きだった。だがリリーに避けられるようになって、嫌われたと思っていた。……だからまた、昔みたいに話せるようになって、本当に嬉しかったんだ』
昔からリリーが好きだったと言ったユリウス。もしかすると、前の世界でも――とリリーは考えてしまうが、それは無意味なことだ。
リリーはこの世界の、これからの彼とのことを考える。
(わたしは……ユリウスの言葉を信じたい。この世界の可能性を信じたい。彼と、一緒に居たい)
夢にまで見たその手を取らないことなど、出来る筈もなかった。
*
翌朝、リリーはユリウスが励んでいるであろう訓練場に向かっていた。彼がそこから出てきたら、一分一秒でも早く想いを伝えたい。はやる気持ちを抑えきれず早足になるリリーを、誰かが呼び止める。
「リリーお姉様」
可愛く可憐な声。ぞくりと、背筋が凍る気配。
「……サクラ」
リリーを呼び止めたのはサクラだった。
白い朝日の中に浮かび上がる少女は、夢の延長のように儚げだ。久しぶりに真正面から見たその顔は、柔らかな逆光でぼやけており、表情ははっきりと見えなかった。
サクラは長いドレスの裾を優美に揺らし、ゆっくりとリリーに歩み寄る。
「……何の用かしら」
「そんな怖い顔をなさらないで、お姉様。たった二人の姉妹なのに、用が無いと声を掛けてもいけないのですか?」
サクラの声が悲しみを帯びる。リリーは喉までせり上がっている悪言を呑み込んだ。
(わたしはいつまで、この子に振り回されているのかしら)
リリーはこの二年で、過去の自分から変わることが出来たと思っていた。しかしサクラと直接関わると、すぐにまた以前の自分が出そうになる。醜く愚かな悪女のリリー・イーヴルが蘇ってくる。
どれだけ逃げ回っていても、リリーは結局サクラに囚われたままなのだ。
サクラに抱いている嫉妬や憎悪、そこから生まれる卑屈な感情。それらを清算し乗り越えなければ、リリーはサクラの物語から抜け出し、自分の物語を綴っていけない。
リリーは静かに深呼吸し、サクラと向き合った。
「……そうよね。二人きりの姉妹だものね。ごめんなさい」
心の奥にずっとしまい込んでいたそれは、口に出せば案外サラリとしていた。朝の清涼な空気が、リリーの中のドロドロとしたものを洗い流していく。
サクラは少しだけ間を空けてから、ふわりと笑った。
「お姉様は、本当にお変わりになりましたね」
「え? そう、かしら」
「そうですよ。以前は心を閉ざしていらっしゃるようで……周囲に厳しいところがございましたもの。サクラには特に。……正直、少しだけ怖いと思うこともありました」
サクラは始終穏やかな口調で、柔らかな言葉を選ぶ。その優しさがかえってリリーの心を抉った。
「でも最近は、別人みたい。明るくなられて、お父様や神殿の皆さんとも、ユリウス様とも仲良くされて。こうして、サクラともお話ししてくださって……!」
涙声の桜は、感極まった様子でリリーの胸に飛び込んだ。その温もりに、リリーは泣きたくなる。世界で一番嫌いな相手の筈なのに、彼女の熱は何より体に馴染んだ。
リリーはサクラの寛大さに眩暈がする。酷い態度ばかり取ってきた義姉の幸せを、心から喜ぶサクラ。彼女と自分の差は永遠に埋まらない。彼女は、別次元の崇高な存在なのだ。
だが、もうそれでいい。
(わたしは、わたしでいいんだから)
「お姉様……お姉様が毎日楽しそうで、幸せそうで、サクラは本当に……」
(……サクラ)
リリーは、サクラの小さく震える背に手を回そうとする。
その時、サクラが顔を上げた。
「本当に、死ぬほど目障りでした」
「……え?」
サクラは笑っていた。だが、笑っていなかった。
見てはいけないものを目の当たりにしたリリーは、一歩後退る。
「サクラ……?」
「リリーお姉様は、変わってはいけなかったのよ? 優秀なサクラに嫉妬して、誰より愚かで弱くあるべきだったのよ? サクラが愛されるためだけに存在する、引き立て役。嫌われ役。それが、何も出来ないお姉様に、唯一出来る事だったのに」
「何を言って、」
「今はサクラが喋っているのよ!」
パシン、とサクラがリリーの頬を叩く。神力のこめられたその一撃は、リリーの頬を裂き、一筋の赤を引いた。リリーはよろめき地面に倒れる。
ユリウスに愛を告げられた時よりずっと、目の前の現実が信じられなかった。腰が抜けて足に力が入らない。
「お姉様、そろそろ元の役どころに戻りましょう? 孤独で卑屈なリリーお姉様こそ、リリーお姉様なの。……ふふ。ユリウス様のことは心配しないで」
あどけなさの残るサクラが、艶やかな女の顔をする。嫌な予感がしたリリーは「待って!」と声を上げるが、サクラはそれを鼻で嗤うと“リリーの向かっていた方向”に歩いて行った。
「あ……ああ」
リリーは愕然とその背中を見送るしかできない。追いかけなくてはいけないと頭では分かっていても、体が動かなかった。
サクラがユリウスに好意を持って接近した時、どうなるかは目に見えている。ローザの時のように、彼もサクラに連れて行かれるのだ。知ってしまったサクラの本性を告げ口したところで、誰が信じるだろうか?
(あれは、本当にサクラなの?)
どうしても信じられなかった。
この世界の汚い部分など、少しも知らない顔をしていたあの少女が、あんな顔をするなんて。義姉に対して、あんな事を言うなんて。
これまでリリーは、サクラにも醜い裏の顔があれば良いと思っていた。しかしいざそれを目の当たりにした今、少しの喜びも無い。
何故か、とても大切なものを失ってしまったような虚無感に襲われた。
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