Act4.「変化と不穏」

 リリーの死に戻り――彼女曰く“転生”から二年。

 十七歳の彼女を取り巻く世界は、以前と大きく異なっていた。

 

 リリーは憑き物が落ちたように激しい嫉妬と憎悪から解放され、神殿の一員として穏やかな日々を過ごしている。

 相変わらずリリーには少しの神力も無い。見目麗しい美女に変身した訳でもない。未だにサクラと比較され、面白おかしく話のタネにされることもある。だがそれを聞き流すことが出来るようになっていた。綺麗に着飾り重要な祭事を任せられているサクラを見ても、別世界の存在だと静かな心で眺めることが出来るようになっていた。


 困りごとといえば、ユリウスへの恋心が諦めきれていないことだ。野原で言葉を交わしたあの日をきっかけに、ユリウスは度々リリーに会いに来るようになった。彼の親しい態度にリリーは戸惑いながらも、嬉しく思う気持ちは抑えられず、無謀な期待を抱いている。


 関係性に大きな変化があったのは、彼だけではない。心を入れ替えたリリーは今年、父に墓参りを許されたのだった。




 ――街のカフェテラスで、リリーは一人の女と向かい合い座っている。リリーより二つ年上のその女は、サクラとは異なる魅力を湛える美女だった。薄手のドレスが際立たせる、豊満な胸やしなやかな腰の曲線美は、下心なしにもつい見ってしまう。ぽってり厚い唇から舌が覗く度、リリーはドキリとした。


「先日はいかがでした?」

「はい、ローザさんのお陰で、母のお墓参りができました。有難うございます」

「ふふ、わたくしは何もしていませんわ。全てリリー様の頑張りの結果ですよ」


 ローザと呼ばれたその女は、街の花売りだ。

 ローザは、母の命日が近付き鬱々としていたリリーに声を掛け、悩みを聞き、墓前に供える花を見繕い、彼女の背を押した。ローザのお陰でリリーは勇気を出すことができ、父と対話し、ようやく母の前に立つことが出来たのだ。


「ローザさんが選んでくれた花、母が好きな花だったみたいなんです。無口な父が、小さな声で教えてくれました」

「それは良かったですわ。きっとお母様も喜んでいらっしゃいますわね」

「はい。……あの、よろしければまた……お茶にお誘いしてもいいでしょうか?」

 リリーはティーカップを握り締めながら、恐る恐るローザを見る。

 同性の気安い友人という存在が、リリーにはまだ居ない。話し上手で聞き上手なローザと居るととても楽しく、彼女が友人だったならどれだけ素敵だろうと思った。


 期待にソワソワしているリリーに、ローザは薔薇色の頬を綻ばせる。


「勿論ですわ。わたくしももっと、リリー様とお話したいですもの」

「ほ、本当ですか……嬉しい」

 リリーは背中のソワソワが、じんわり温かく胸に広がるのを感じた。こんな風にお茶ができる友人が出来るなんて、夢にも思わなかった。街を歩く他の女性達のように、連れ立って流行りの店を眺めたり、ちょっとした贈り物をし合うこともできるのだろうか。


 楽しい未来に想いを馳せるリリー。ローザも嬉しそうに、笑みを濃くした。


「ところで、先日リリー様とユリウス様がご一緒されているのを見かけましたが……お二人はご友人なのですか?」

「え? あ……はい」

「実はわたくし、以前魔物に襲われそうになったところを、あの方に助けていただきまして……ひと言感謝を伝えたいのです。今度はあの方もご一緒に、」


「あっ、お姉様!」

 ローザの声を遮る、小鳥の歌声の如く可憐な声。誰もが聞き惚れるその声は、リリーにとって世界で一番聞きたくない声だ。嫉妬や憎悪は薄れたといっても、脊髄反射で嫌悪が全身に現れる。リリーは青い顔で、声の方を振り返った。


「お姉様が街にいらっしゃるなんて珍しいですね。こちらの方はご友人ですか?」

(お前は大人しく引きこもってろってこと? ……そんな訳ないわね。サクラだもの)

 サクラの裏表のない性格を、リリーはよく知っている。彼女は義姉との出会いを無邪気に喜んでいるだけなのだ。


 ローザはサクラの登場に驚いた顔をしていたが、すぐに笑みを整え、席から立ち上がり丁寧に挨拶をした。


「サクラ様、初めまして。ローザと申します」

「あら、サクラのことを知っているのですか?」

「当然ですわ。サクラ様はこの国をお守り下さっている、聖女様でいらっしゃいますもの。お目にかかれて光栄の至りです。噂以上にお綺麗な方で、一瞬言葉を失ってしまいましたわ」

「そんなこと……あなたみたいに美しい方に言われたら、照れてしまいます。あの、サクラもご一緒しても?」


 駄目! とリリーは断りたい気持ちでいっぱいだったが、ローザはサクラを歓迎した。空いている椅子に腰かけたサクラは、ローザと楽し気に談笑を始める。会ったばかりの二人の会話は、リリーとローザの会話よりも自然で、友人同士みたいだった。サクラは人に取り入るのが上手いのだ。


 リリーは美女二人の楽しそうな様子に、疎外感を抱く。


「まあ! ローザさんはお花屋さんなんですね! 実は今、祭事で使うお花を探しているのですが……相談に乗っていただけませんか?」

「ええ、勿論ですわ。では後日――」

「急ぎで必要なんです。今日これからは、駄目ですか?」

「今は……」

 サクラの急な願いに、ローザが困った顔でリリーを見る。リリーはローザが自分を優先してくれることを期待した。しかし、サクラがローザの手を取り目を潤ませた瞬間、諦めた。暗い顔で二人から視線を逸らす。


 サクラのそういう顔は、最早暴力だ。誰も逆らうことなど出来ない。


 ローザは頷き、リリーに申し訳なさそうな顔で「今度はわたくしからお誘いしますわ」と言うと、サクラに手を引かれその場を去っていった。リリーは冷めたお茶と、食べかけのケーキを悲しげに眺める。


 久しぶりのサクラとの接触は、リリーを最悪な気分にさせた。


 最近はろくに顔を合わせることも無かったというのに、突然親し気に話しかけて来て、そのくせローザとばかり会話をして、彼女を連れ去ってしまったサクラ。天真爛漫というより、あまりに自分勝手な振る舞いだった。


(サクラってあんな子だったかしら? さっきのあの子は……まるでわたしの楽しみを邪魔しに来たみたい)


 考えてみれば、神殿の中でも高位な聖女であるサクラが、自ら祭事用の花を買い付けに来るというのもおかしな話だ。もしかするとあれはデマカセで、ただ自分からローザを引き離したかっただけなのかもしれない。……何のために?


 嫌がらせだろうか、とリリーは思った。

 そして、そう思いたい自分を嫌悪した。


 サクラが自分と同じように、下らない事に手を染めていればいい。皆が愛する天使のような少女は、実はただの幻想に過ぎないのだと……そうであって欲しいと願っている。


 サクラが完璧でなくとも、自分が不出来なことに変わりはないのに。


(変われたと思っていたけれど……わたしはやっぱり、わたしなんだわ)




 *




「あの……サクラ様? どこまで行かれるのですか?」

 ローザは先を行く薄い背中に声を掛けた。


 サクラは、今度の祭事で使う場所を実際に見ながら相談したいと言い、ローザをどこかへ導いている。しかしいつまで経っても目的地には辿り着かず、その内に日が傾き、二人の影はどんどん濃くなっていった。いつのまにか辺りには人気が無くなっており、ローザは不安を抱き始める。


「サクラ様、わたくし今日はもう……」

「ここです」

 サクラは振り返ると、その細腕からは考えられない程の強い力で、ローザを茂みに突き飛ばした。


「うっ……え?」

 地面に尻餅をついたローザは、何が起きたか分からず、呆気に取られサクラを見上げる。そこには夕陽に赤く染まった、愛らしい少女の顔。……造形は、確かに愛らしい。だが表情は――


「ローザさん。あなたは花というより、害虫ね。毎度毎度、どこから湧いてくるのかしら」

「え? あ、あの」

「さようなら」

 サクラがローザに手を翳す。その中心に集まる光は、魔物を屠る聖なる神力だ。しかしそれは対象が人間であっても、威力に変わりはない。


 次の瞬間、ローザは飛散した。

 断末魔の叫びすら無かった。


 地面から蔓のような虫がズルズル這い出し、ローザの欠片を持ち帰っていく。死んだ生き物を糧に生きている、危険性の低い低級の魔物だ。ローザの神力は微弱なものだから、それを喰らった魔物が増強する恐れはない。サクラは、冷静にその様子を観察する。


 一人の女の痕跡は、あっという間に土の中に消えていった。


「……もう、二度と咲かないで」


 サクラはそれだけ言うと、その場に背を向けた。

 彼女の目には、後悔も罪悪感も存在しない。


 ただ一つの想いだけが、燃えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る