Act3.「やり直し」

 それからのリリーは、出来るだけサクラと距離を取るようにした。しかし家族である以上、全く関わらないという訳にもいかない。サクラの姿が視界に入る度、その名前が耳に届く度、嫉妬の渦がリリーを襲った。だがリリーはその都度、自身の悲惨な最期を思い出して耐えた。


 余計な事を考える時間を減らす努力もした。熱心に礼拝に参加し、神殿の雑用を買って出るようになった。


 これまで何一つ役目を持たず、ただ陰鬱な顔で引きこもり、時々出歩いては厄介ごとを引き起こしていたリリー。そんな彼女のらしくない行動に、皆は眉を顰めた。遂にイーヴル家から勘当されたかと揶揄ったり、辛い仕事ばかりを押し付けたり、わざと汚した場所を延々と掃除させ続けることもあった。


 自尊心だけは高いリリーにそれは苦行だったが、サクラを追いかけていたあの頃よりも心は楽だった。体が疲れればすぐに眠ってしまえることも良かった。

 “これも試練”と言い聞かせ、不器用ながらも真面目に取り組んでいると、人々も見慣れたのか、徐々に嫌がらせは減っていった。


 その内に気の良い者は、神力の無いリリーでも出来る薬草の採取や薬の調合を教えてくれるようになった。半年が経つ頃には、リリーは神殿の一員として馴染み始めていた。


 以前は無力な自分を思い知らされることを避け、何もせずにいたリリーだが、実際にやってみると案外出来る事はある。それが誰にでも出来る簡単なことだったとしても“出来るようになる”という経験はリリーの心を満たした。



「何をしているんだ?」

「……へっ!?」

 町外れの野原で野イチゴを摘んでいたリリーは、突然掛けられた声にびくりと肩を跳ねさせる。


 耳の奥にじんわり余韻を残す、低く穏やかな男の声。この声を聞くと、リリーはいつも思考がバラバラになり、血が沸騰して、逃げ出したくなった。どうやら死んでもなお、彼――ユリウスに抱いていた恋心は存命らしい。


 リリーは汗ばむ顔を隠すように俯いて、野イチゴの入った籠を持ち上げ、彼の方を見ずにそのまま立ち去ろうとする。――が、足を止めた。これでは前と同じだ。素直になれず逃げ続けた、弱い自分のまま。


 前の世界で、何もせず燻らせるだけ燻らせた恋心は、ユリウスとサクラが結ばれた時に逆恨みとして燃え上がった。戦わずに負けたから、諦めきれなかったのだ。


 ――折角生まれ変わったのだから、想いが通じなかったとしても、綺麗な失恋にしたい。少しでも美しい思い出にしたい。もう二度と、醜い悪女として彼の中に残りたくはない。


 リリーは唾を飲み、ガチガチに固まった体をゆっくり彼の方に回す。


「の、の、野イチゴを摘んでいたの」

 裏返った声の情けなさに、リリーは潜り込める穴を探した。どこにも無かった。

 

 ユリウスはまさかリリーが返事をするとは思っていなかったらしく、目を見張る。そして少しの沈黙の後で、小さく笑った。柔らかく零れた笑みは、リリーのぎこちなさを馬鹿にするものではない。リリーは彼の温かさを思い出し、目の奥を熱くさせた。


(やっぱりユリウスは……優しいわね)


 自分にもサクラにも他の者にも、ユリウスは分け隔てなく優しい男だった。成長するにつれて捻じ曲がっていったリリーにも、幼い頃から変わらず友人として接してくれていた唯一の人物である。


 大切な幼馴染で、密かな想い人であるユリウス。彼の凛とした端麗な顔立ちには、一目惚れする女が後を絶たない。一目惚れせずとも、彼を知れば知るほど惚れていく女も多かった。

 整った容姿、爽やかで誠実な人柄、それに加え優れた剣技と神力で、国から将来を期待される聖騎士ユリウス。まさに、物語の主役に相応しい男だ。


 そしてリリーはもう一人、物語の中心に立つべき人物を知っている。

 ユリウスとの差を、サクラとの差を突き付けられたくなく、リリーはいつもユリウスを避けてきた。


「野イチゴか。そのまま食べるのか?」

「い、いいえ……ジャムの作り方を、教えてもらったから」

「そうか。最近は、皆と仲良くしているみたいだな。良かった」

 目を細め優しく微笑むユリウスに、リリーは熟れたイチゴになる。誤魔化すように質問を返した。


「ユ、ユリウスは、何でここに?」

 その名前を口にするだけで、泣きそうだった。


「明日から討伐遠征に出るから、その前にゆっくり昼寝でもしようと思ってな。この場所は俺のお気に入りなんだ。……昔はよく“幼馴染”とここで遊んだな」

 ユリウスは、意味深長に幼馴染の顔を見つめた。しかしリリーは彼の言葉の前半が気になり、それに気付かない。


「遠征? 魔物討伐の? 暫くって、どのくらい?」

「……予定通りなら、帰ってくるのは三月後だな。状況によっては伸びるかもしれない」

「そう、なの。……その……気を、付けてね」


「――なんだ、今日はやけに素直だな。ずっとそうだったら良かったのに」


 ユリウスはそう言って、リリーが見たことのない不思議な表情を浮かべた。

 照れも忘れてまじまじ見入るリリーの頭を、ユリウスが軽く小突く。まだ午前中だというのに、彼の顔にはうっすら夕日が射していた。


「俺がいない間、留守を頼んだぞ」

「頼まれても……わたし、結界も張れないし、魔物も倒せないわ」

「もっと重要なことがある」

「え、な、なに?」


「美味しいジャムを作って、俺の帰りを待っていてくれ」


「……味の保証は出来ないわよ」

「やっぱり素直じゃないな」

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