第32話 怖くて私は嘘をつく
「来い、アリシア」
馬車の中で、ご主人様が私に言った
「・・・はい」
馬車の中、私は立ち上がり、ご主人様の方へと歩く
「あ」
「おっと」
転びかけた私をあっさりとご主人様が抱きとめる、難なく、あっさりと
大きな、たくましい腕は、衣服を通してもはっきりとわかる
「ごめんなさい」
私はご主人様から離れようとする
でも、ご主人様は私を、離さない
大きな腕は、私をすっぽり抱きしめている
私は自分がもう真っ赤なのを自覚している
でも自覚してもそんなのどうにもできない、ここは馬車の中なのだから、二人きりなのだから、ご主人様は王様で私は奴隷なのだから、だから、私にはどうにもできない
どうするか決めるのはご主人様であって、私じゃない
「ご主人様、あの」
「大丈夫か、アリシア?」
もちろん大丈夫だけど、ご主人様は私に確認する
「大丈夫です、ありがとうございます」
「気を付けるんだぞ?」
「はい」
「ほら」
そう言ってご主人様は座席に座って、私を膝の上に乗せた
「あの、ご主人様」
「なんだ?」
「あの、重いんじゃないでしょうか?」
「いつも執務室でお前を膝にのせているだろう?」
「・・・はい」
「俺が一度でも重いと言ったことがあるか?」
「いえ・・・」
「アリシア」
「はい」
「ここがお前のいるべき場所だ・・・逃げるんじゃない」
「・・・」
「わかったな?」
「・・・はい」
執務室と違って、大勢の人が外にいる
窓に私たちの姿はきっと映っている
私はうつむく
大勢の人たちが、ご主人様に私が甘えているように見えるだろう
恥ずかしい
「アリシア」
耳元で声を聴く
逃げ場がない私は、私の体はただ、すくむ
「どうした?そんなにびっくりしたか?すまない」
ご主人様は、わざとやっているんじゃないだろうか?
たぶん、わざとじゃない
ご主人様の声を耳元で聞かされる、不意打ちで
それはまるで体全体が耳になったみたいで、全身に響く
私の一番奥深くまで、声が、届く、ご主人様の声が
大好きな声を、今は、今だけは聞きたくない
聞きたいけど、聞きたくない
「アリシア、すまない、驚かすつもりはなかった」
「・・・大丈夫です、ご主人様」
私は全然大丈夫じゃないけれど嘘をつく
「そうか・・・じゃあ、このままでいいな?」
「・・・」
「アリシア?このままでいいな?」
わざとじゃないわざとじゃない、ご主人様はわざとじゃない、たぶん
「このままでいいな?アリシア」
「はい・・・ご主人様」
このまま、ご主人様の腕の中で、馬車に揺られて・・・
何時間も・・・
「先は長い、アリシア、俺に体を預けて、休め・・・力を抜いて、俺に体を預けろ」
「・・・はい」
私はご主人様の腕の中で、力を抜く、だんだんと
そうすると、ご主人様の体に、私の体がぴったりと吸い付くように、重なる、気がする
体に力を入れないと、二度と、離れられなくなるような恐怖が、そう、恐怖が生まれる
もう二度と離れられない
・・・違う
私が怖いのは、離れられなくなることじゃない
離れる時が、怖いんだ
こんなにぴったりと体を重ねたら、服越しでもこんなにぴったり体を触れ合わせたら、次離れるとき、
たとえば休憩のために馬車を止め体を離すとき、私は泣くかもしれない
たとえば夜、寝るとき
『おやすみアリシア』
『おやすみなさいご主人様』
そうやり取りしてご主人様が私の部屋から出て行くと、私はしばらくご主人様が出て行ったドアを見つめる
戻ってきてほしくて見つめる
また明日会える
毎日毎日会える
そう自分に言い聞かせても、寂しくて寂しくて、涙が出る
・・・あれと同じように、今、ご主人様から引き離されたら、私は泣いてしまう、間違いなく
でもご主人様は泣かない、きっと、どうせ
私が泣いても
『どうしたアリシア?なぜ泣く?なぜ?』とおろおろするぐらいだろう
ほんとにご主人様はずるい
ほんとうにいろいろ、わざとやってるんじゃないかってぐらい私をいつも、こんな気持ちにさせるし
それでいて私が泣くと、すぐおろおろして
私はそんなご主人様がいつも憎くて憎くて
私はね、あなたより7つも年上なのよ?
なのになぜ、こんな扱いされなきゃいけないの?
あなたはいつもこんな風に、私を子どもみたいに扱う
私が奴隷になる前は、『姉上』って私を呼んで、敬語で私に話して
・・・・
・・・・ずるい
本当にずるい
ねえどうしてくれるの?
私が覚えているあなたのすべて
小さいころからのあなたのすべて
いろいろな年齢のあなたを思い出して
この腕に抱きしめた記憶を思い起こそうとするのに
記憶の中のあなたはなぜか、決まって今の姿に、大人の姿になってしまうのよ
そして、その声で、大人の男性の声で、私の名前を呼ぶの
『アリシア』って
呼び捨てで、私を呼ぶの
記憶の中のあなたを呼び起こすつもりが、いつもいつも大人の姿のあなたに変わっているのよ
私はびっくりして、逃げなきゃってなぜか思って、でも気づくといつもあなたの腕にもう囚われていて
私はもうどこにも逃げられなくて、あなたを見上げるのよ
そしてあなたは私をじっと見降ろす
私は思い出すの
ああそうだ私はこの人の奴隷に、この人のものになったんだ
私はもうこの人のものなんだ、って
私をどうにでもできるあなたの腕の中で私はあなたの慈悲を乞うことしかできない
私はどうにもできなくて、目をつぶる
そうするとあなたの吐息が近づいて、耳元で囁くの
『アリシア』って
「アリシア」
「・・・ひっ・・」
私は悲鳴を上げた、小さく
今のご主人様の声は、今までで一番私の体に響いた
私の一番奥深くまで、届いた
そしてそこから、全身へと、響いていく、反響していく
そしてまた、私の一番奥へと帰っていく
「ア、アリシア?おい、大丈夫か?おい、アリシア」
「だ、大丈夫です、びっくりしただけです」
嘘をついた、また
全然大丈夫じゃないのに
今までで一番すごかったのに
「・・・震えているぞ、アリシア」
「大丈夫です、ご主人様」
この視察の邪魔になりたくないし、それに、お城へ戻されるなんて絶対に嫌だから
だから私は、強く言い張った、大丈夫だと
「そうか」
「はい、ご主人様」
絶対離れたくない
絶対に
「私は大丈夫です、ご主人様」
目が合った
「・・・」
「・・・」
ご主人様も、私も、動けない
あ、しまった、と私は思った
私たちの距離は、キスにちょうどいい距離
「アリシア」
強く
すごく強く抱き寄せられ、キスを、される
「んんん!んんん!」
私は声にならない
私を抱きしめる力はもっと強くなる
痛い
でもそれより、唇が、口が
「アリシア、アリシア、お願いだ、逃げないでくれ」
ご主人様の必死な目
私は目を閉じる
見つめていたら、私は、二度と逃げられなくなる
「アリシア、アリシア」
でも目をつぶっていても、ご主人様の声が、唇が、腕が、声が、私を逃がさない
私はもう、逃げられない
もう、二度と
「・・・」
ふと、抱きしめる力が緩んだ
唇も、離れている
すごく寂しくて怖くて、私は目を開ける
ご主人様が、泣きそうな顔で、私を見ている
「・・・アリシア、嫌だったか?」
嫌なわけない
嫌なわけない
何ひとつ、嫌じゃなかった
あなたのすべて、私は、何一つ嫌じゃなかった
でも怖かった
すごく怖かった
二度と
二度と戻れなくなる
そう思ってすごく、怖かった
私は震えている
とても卑怯なことを思いつく
あなたの優しさを、利用する
私はうつむいて、頷いた
嘘を、ついた
「・・・すまない、アリシア」
その声に私は、胸が痛くなる
でも私は、嘘をつき続ける
私から一ミリも離れてほしくないのに、嘘をつく
「・・・すまない、でも、俺はお前を逃がすことはしない、絶対に」
うれしい
「・・・でも今は、何もしない、何もしないから、アリシア、俺の腕の中にいてくれ・・・お願いだ」
私は卑怯だ
ごめんなさい
「・・・はい、ご主人様・・・」
そう答えて私はご主人様に体を預ける、少し震えたまま
ご主人様はそっと私を抱きしめてくれる
ごめんなさい
私はもう一度心の中で謝る
私の嘘を、謝る
私の大切な、世界で一番好きなご主人様に、世界で一番優しいご主人様に・・・謝る
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