第28話 キス
何か欲しいものはないか?
何か食べたいものはないか?
どこか連れて行ってほしいところはないか?
そんなことをご主人様は毎日のように私に聞く
奴隷である私に主がそんなに気を使ってはいけないと思うんだけど、
でも、
ひとつだけお願いしたいことを私は思い出した
「馬に、乗りたいです、ご主人様」
「馬?」
「はい、ご主人様と一緒に、馬に乗って、出かけたいです」
「そうか、わかった用意しよう」
ご主人様は即決即答なさった
「あの」
「なんだ?」
「・・・ありがとうございます、ご主人様」
「何でも俺に言えアリシア
なんでも叶えてやる
お前が俺のものであることを忘れない限り、
俺がなんでもお前の望みをかなえてやる」
「・・・ありがとうございます、ご主人様」
そして次の日
「・・・あの、ご主人様」
「なんだ?」
「あの、馬、一頭しか」
「それがどうかしたか?」
「あの、私、どの馬に」
「もちろんこいつだ」
「ご主人様はどの馬に」
「・・・もちろんこいつだが?」
「・・・」
「どうしたアリシア?」
「あの、別々に乗るんじゃ・・・」
「・・・アリシアいいか、お前はこの先一人で馬に乗ることはない
お前が馬に乗るときはいつでも、俺と一緒に馬に乗るんだ
それ以外にはない」
「・・・」
「さ、行くぞアリシア」
そう言ってご主人様は私を抱き上げ、馬に乗せて、ご自分も馬に乗った
私はご主人様の前、横向きに座らされた
「これでは安定しませんご主人様」
「何が問題ある?
お前は俺に体を預ければいい」
「・・・」
私の思い描いていた乗馬とは違う
「アリシア、俺の言うことがきけないのか?」
「いいえ、違います、ただ、一人ずつ乗ると思っていたので・・・」
「そうか、あきらめろアリシア、お前が一人で馬に乗ることはこの先一生ない
お前が馬に乗るときは、いつでも俺に体を預けて乗る、それだけだ」
「・・・はい、ご主人様」
「さて、行くぞ」
そう言ってご主人様は馬の手綱を引っ張った
私はぎゅっと、ご主人様に体を預けた
馬の背中は揺れる
しっかりしないと手綱を握っていても落ちることがある
でも、怖くなかった
私は怖くなかった
横向きに座って
手綱も握らせてもらえないで
なのに怖くなかった
ただご主人様に体を預けて、しっかり預けて、ただそれだけで、私は何も怖くなかった
時々
「アリシア」
「はいご主人様」
「しっかり俺に体を預けていろ、いいな?」
「はい、ご主人様」
そんなやり取りをする
どこに向かうかも聞かされていない
でもそんなことどうでもよかった
どこに向かっていようと、ご主人様と一緒なら、どこでも良かった
「アリシア、着いたぞ」
護衛の人たちは、けっこう離れたところにいる
私はご主人様を守るために剣が欲しいと思ったけれど、
そんなこと言ったら、ご主人様は絶対に怒ると思ったので、言わなかった
・・・ご主人様は強い
私みたいに魔力を使ってないのに、強い
最後に稽古をしたときは、結構私を慌てさせた
でもあの時はまだ私の方が全然強かった
あれから二年だから、もっと強くなっているはず
ご主人様は帯剣している
だから、何かあっても、大丈夫だろう
・・・それでも、やっぱり、私はご主人様を守りたいけれど
「ここは、どこですか?」
「見覚えがないか?」
私は周りを見渡す
どこか見覚えがある
「昔、お前が13歳ぐらいの時、俺と二人で来たところだ」
「あ・・・」
「あの時は、俺がお前の前に乗っていた
お前は・・・俺たちは護衛を置いてここまで走った
護衛たちが来るまで、しばらくの間、俺たち二人だけだった」
覚えている、もちろん
苦しくて苦しくて仕方なかったあの日々
あのまま、逃げてしまえたらと、思った
アーネスト、いえ、ご主人様と一緒に、逃げてしまえたらと思った
だから、覚えている
「覚えています、もちろん」
「そうか・・・」
ほんの少し会話が途切れる
「なあアリシア」
「はい、ご主人様」
あの時は、まさかこの方の奴隷になるなんて想像さえしなかった
10何年後、この方とこうして一緒に、またここに来れるなんて、思わなかった
ずっと一緒にいたい
ただそれだけを願った
・・・そして今、私たちはここにいる、一緒にいる
夢みたい
ご主人様の奴隷になってから、何度も何度も私はそう思った
毎日毎日が奇跡みたいだった
そして今も、私はやっぱり思う、夢みたいだと
幸せすぎて、毎日が
「あの時、お前はなんで泣いていたんだ?」
「・・・・」
言いたくない
「いつかここにまた来て・・・お前を連れてきて、聞こうと思っていた
お前はあの時、なぜ泣いていたのか
・・・お前は俺に、あの時、何も言ってはくれなかった
悔しかったよ、アリシア、俺は」
「悔しかった、ですか?」
「当たり前だ、お前は俺のものだ、俺だけのものだ、なのに、
お前が泣いているのに、その理由を俺は教えてもらえない、
お前は俺のものなのに、お前は何も言ってくれない
いつか、いつかきっと、お前の口から聞こう、そう思っていた、ずっと」
「・・・」
「アリシア、まだダメか?まだ、教えてはもらえないのか?」
「・・・ご命令なさらないのですか?私はご主人様の奴隷です
『言え』と一言、お命じにあれば」
「それでは意味がない
俺は、お前の意思で、お前の口から聞きたいんだ、アリシア
まだ、ダメか、無理強いしたくない、まだダメなら、そう言ってくれ、俺は待つ、俺は待つから」
やさしい
この方は本当に優しい
でも、言いたくない
あなたから離れたくないから泣きました
あなたといつか離れ離れになることが怖くて泣きました
このままどこかへ二人で逃げられたらどんなにいいだろうと思って泣きました
他に何もいらないから、ただあなたといたい
ただあなたといつまでも一緒にいたい、そう思って泣きました
どれもこれも本当の願い
だから言いたくない
私の一番はいつまでもあなただけど
あなたの一番は私じゃないから
いつかあなたは王妃様を迎えるから
あなたの一番になる人はその人だから
だから、言いたくない
ずっとずっと昔から、私はあなたのそばにいたかったなんて、言いたくない
隠していたい
あなたに、嫌われなくないから
「・・・お許しを、ご主人様、どうかお許しを」
「・・・いい、言わなくていい、言おうが言うまいが、お前がずっと俺のそばにいるのはもう誰にも奪えないのだから、お前はこれからはずっと、いつまでも、俺のそばにいるのだから
だから、言わなくていい、いいんだ、アリシア」
嘘つき
ううんご主人様は嘘を言ってない
でもわかってないんだ
ご主人様の一番は私じゃないことを
いつか私じゃない人がご主人様の隣に立つ
私はそれを見なくちゃいけない
二人が仲睦まじくする姿を見なくちゃいけない
ご主人様のおそばにいるなら、いつかきっとその時が来る
私はその時を、覚悟しないといけない
二年前私は間違えた
ご主人様が他の誰かといるのを見たくなくて、逃げた
そしてその先に、地獄があった
想像もしなかった地獄が
でも今はこうしてご主人様のもとに戻ってこれた
奇跡みたいな日々
もう間違えてはいけない
どんなに辛くても私はご主人様のもとを離れない、二度と
この先の未来で、王妃様となる人が、ご主人様の隣に立つときが来ても、
私はご主人様のそばにいる
一番にはなれない
でも二番でも三番でも四番でも五番でも・・・百番でもいい
ご主人様のそばにいられるなら
だから私はもう間違えない
・・・・そういえば・・・
「あのご主人様、そういえば」
「なんだ?」
「・・・あの頃から、私のことを、その・・・姉とは思ってなかったのですか?」
「・・・」
ご主人様が怒るのがわかる
「いいかよく聞けアリシア、何度か言ってるはずだが、お前は俺の姉ではない、俺はお前の弟ではない
今まで一度でも、お前が俺の姉だったことはない
そしてこれからも、お前が俺の姉になることはない
お前はずっと、永遠に、俺の・・・俺の・・・」
「奴隷、ですか?」
「・・・そ、そうだ、奴隷だ、お前は俺の奴隷、俺のものだ、永遠に」
なぜか少し慌てた様子でご主人様が言う
「・・・じゃああの時も、私を姉上と呼んだのも」
「もちろん嘘だ、俺はいつだってお前を心の中で、呼び捨てにしていたよ、アリシア」
「・・・」
「お前は永遠に、俺の姉にはなれないんだよ、アリシア」
「私が姉なのは、そんなに嫌ですか?そんなに憎いですか?私を奴隷にしないでいられないぐらい、私に隷従魔法をかけないでいられないぐらい、そんなに、姉としての私が憎いですか?」
「当たり前だアリシア、俺がこの世で一番憎むのは、姉としてふるまおうとするお前だ、自分を俺の姉だと勘違いするお前だ、俺はそんなお前が許せん、絶対に許せん、アリシア、忘れるな、お前は俺の・・・俺の・・・ど、奴隷だ、俺の所有物だ、俺だけのものだ、俺だけの女だ、永遠に、永遠にな」
そこまで、姉としての私を憎むとは
わかってはいたけど、やっぱり悲しい
でも
「はいご主人様、忘れません、私は永遠に、ご主人様の奴隷です、永遠に」
「いやその、他にも何か言ったろう俺は、ほら、何か」
「?」
「ほら他にも何か俺は言ったろう、ほら」
「奴隷・・・他には、所有物、もの、女、ですか?」
「そう、それ、それだ、それを忘れるなアリシア、お前は俺の、その、そういうことだから」
「はいご主人様、忘れません」
姉としてはそばにいられないけれど、奴隷としてならそばにいられる
奴隷としてならおそばにいることをお許しくださる
「私は一生、永遠に、ご主人様の奴隷でいたいです」
「・・・」
ご主人様がなぜか微妙な顔をした
時々ご主人様はこんな顔をなさる、なぜだろう
「ま、まあいいだろう、アリシア」
「はいご主人様」
「そろそろ、戻るか?」
「・・・」
遠くに、護衛の人たちがこっちを見ている
護衛の人たちを呼ぶのだろうか
それともこのまま戻るのだろうか、王宮へ
・・・・・
・・・・・一つぐらい、わがまま言っても、いいよね?
「ご主人様、一つ」
「なんだ、アリシア?」
ご主人様はそう言いながら片手をあげる
護衛の人たちが、ゆっくりとこちらに近づき始めるのが見えた
あの人たちが来る前に・・・
「一つ、わがままを言ってもいいですか?」
「・・・なんだ?」
「抱きしめて、ほしいです、あの時みたいに」
あの時みたいに、抱きしめてほしい
あの護衛の人たちがここに来る前に、どうか
「・・・」
ご主人様はびっくりした顔をなさった
「・・・ダメですか?」
私がそう言うと
「・・・ダメなわけが、ないだろう、アリシア」
そう言ってご主人様は私を抱きしめてくれた
抱きしめられながら、ご主人様の心臓の音を聞きながら、私はただ、あの時と同じように、二人でこうしてここに来れたことを、この奇跡を、思った
あの時と同じように、護衛の人たちが近づくのを感じる
邪魔しないでほしい
もう少し
もう少しこのままでいさせてほしい
でもご主人様の腕が、ほどかれていく
わがままを聞いてもらえる時間が終わることを私に告げる
もっともっと抱きしめていてほしくて、私はご主人様を見上げた
目が合った
目をそらしたくなかった
一瞬でもご主人様から目をそらしたくなかった
不意に、ご主人様が動いた、身をかがめた
なんだろう?
そう思った次の瞬間
ご主人様の唇が私の唇に重なっていた
私は瞬間的に目を閉じたけれど、自分が今何をされたのか
誰に何を今されたのかはわかった
私は今ご主人様に、キスされた
間違えようが、なかった
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