第25話 王と奴隷
ご主人様の執務室で、お茶を飲んでいる
ご主人様は机で、私はソファで、それぞれ座ってお茶を飲んでいる
『俺はこっちの方がいい、こっちの方が、お前がよく見えるから』
そう言ってご主人様は机でお茶を飲む
私はそんなご主人様をチラチラ見ながらお菓子を食べている
チラチラ見るのはご主人様を見ると必ず目が合うからだ
目が合うとご主人様は笑う
私はなんだか、恥ずかしくなる
恥ずかしくなるけど、嬉しくなる
だからチラチラ見てしまう
夢みたいだと何度も私は思う
こんなに毎日ご主人様と一緒にいられるなんて
「アリシア」
「はい」
私は返事をする
ご主人様はじっと私を見つめる
「ご主人様」
「・・・」
ご主人様はじっと私を見つめる
あれから、毎日ずっと私はご主人様とこうして執務室のソファにいるか、隣の部屋にいる
使用人の皆に混ざって仕事をするのは、やめさせられた
『何か仕事をさせてください』と言ったら
『俺のそばにいるのがお前の仕事だ』と言われた
そんな重くないドレスを毎日着て、毎日ご主人様の執務室でご主人様と一緒にいる
なんだかペットみたいだと自分でも思う
奴隷なのだからきっとご主人様も私をペットみたいなものだと思っているのだろう
ご主人様は時々私を膝の上に乗せる
そして私を抱きしめたり、ほほにキスしたりする
私は平気なふりをしたけど、顔が真っ赤になるみたいで、ご主人様がそんな私を見て笑う
嬉しそうに笑う
だから私も、恥ずかしいのに
毎日毎日が幸せで、夢みたいだと思う
・・・
・・・本当に時々、これは実は夢で、目が覚めたら、
ご主人様を探してお城の中をさまよった襲撃された夜や、
お父様を殺した犯人にされて牢獄の中にいたときに戻っているかもしれない
そんなことを想像して私は怖くなる
それだけじゃない
目が覚めたら、あのおぞましい男がまだ生きて私の前であの吐き気をしそうな笑顔でにやにや笑っていて、
そして、まだ私の胸に、あの男がかけた呪紋があるかもしれない
・・・そんな想像をしてしまった後、私は決まって鏡に自分の胸を映す
そこにあるのは、ご主人様が私に与えた呪紋であって、あの男の呪紋じゃないことを私は確かめ、それから、安堵の涙が流れる
安堵して私は、涙する
これは夢じゃないって
私はご主人様と一緒にいるんだって
毎日毎日ご主人様と、一緒にいるんだって
私はもう、ご主人様だけのものなんだって
そう思って、何度もそう思って、やっぱり夢みたい、そう思う
毎日毎日がこんなに幸せなんて
こんなにずっと一緒にご主人様といられるなんて
幸せすぎて何度も何度も夢みたいだと思うけれど、でも
この幸せがずっと続いてくれたらいい
ずっとご主人様のおそばにいたい
私はそう願う
何度も何度もそう願う
「アリシア」
「はいご主人様」
ご主人様は珍しく私と一緒にソファに座ってお茶を飲んでいる
何か、真面目な話みたいな感じがする
「・・・」
「・・・ご主人様?」
「アリシア、お前、俺に奴隷にされて、嫌なことはないか?」
「?いえ、何も嫌じゃありません」
私は、ご主人様にあの日言われた言葉
『お前が俺の姉だったことなど一度もない』と言う言葉を思い出す
あの言葉は時々浮かんできて、時々私は涙が出る
もう自分を姉だと思っちゃいけないのはわかってるけど、時々、寂しくなる
大好きなご主人様と一緒にいて、こんなに幸せなのに、寂しくなる
・・・ご主人様には内緒だけど
「・・・嫌じゃないか」
「はいご主人様、私は毎日、幸せです」
「・・・そうか」
「はい」
なんだか、胸がざわつく
私は一生ご主人様の奴隷のはず
そのはず
なのになんでこんなことを私にご主人様は言うのだろう
「あのなアリシア」
「はいご主人様」
「お前、ファミリーネーム、欲しくないか?」
目の前が揺らぐ気がした
目の前が滲んでぼやけて、ご主人様が慌てて、
「おい、泣くな、泣くなアリシア」
そう言って私を抱きしめてやっと私は自分が泣いているのを気づいた
そしてなんで泣いているのかも、私は自分でわかった
私の最後のファミリーネーム
・・・ハミルトン・・・
その忌まわしい響きを、思い出したから
ご主人様は私を抱きしめてくれるけれど、
なんでご主人様が私にそんなことを言い出したのか、
そう思うと、怖くて怖くて仕方なくなった
「ご、ご主人様は、私を捨てるのですか?」
「え?」
「私が、嫌いになりましたか?」
「何を言ってるんだアリシア?」
「私をやっぱり、嫌いに」
「アリシア!」
小さくご主人様が私を叱った
私は、自分でも怯えて、でも、止まらなくなる前に叱ってもえらえてよかったと心から思った
「落ち着け、俺がお前を手放すことは絶対にないし
俺がお前を嫌いになることもない、叱ることはこれからもあるが」
「・・・はい」
体の震えは止まったけれど、悲しい気持ちは、
捨てられるかもしれないと思って悲しくなった気持ちは、なかなか消えなかった
「・・・アリシア、なぜ、泣いたんだ?」
「・・・だって」
「だって?」
「・・・私を、ハミルトンのファミリーネームに戻すって、ご主人様が言うから」
「おい待て、俺はそんなこと言ってないぞ、アリシア」
「でも今ファミリーネームって」
「ホワイトだ、アリシア・ホワイトに戻りたくないか、そう聞いたんだアリシア」
「え?」
「俺がお前をハミルトンなんかに戻すわけないだろう」
「本当?本当に?ハミルトンじゃないの?」
「当たり前だ」
ご主人様が私を叱る
嬉しい
本当だ
叱ってくれるということは私の勘違いだったんだ
私を捨てないでくれるんだ
「良かった」
「アリシア、俺がお前をハミルトンに戻すことは絶対にない
お前がまたファミリーネームを持つとしたらそれはホワイトだ、
アリシア・ホワイト、それ以外にはない、絶対に」
「・・・」
アリシア・ホワイト
私のもとの名前
王女としての騎士としての私の名前
「私を、また、どこかに嫁がせるのですか?」
「え?」
「私をまた、どこかに嫁がせるために、私をホワイトに戻すのですか?」
「待て、待てアリシア、またお前勘違いを」
「私をアリシア・ホワイトに戻して、また、どこかに嫁がせるのですか?」
「アリシア!!」
また叱られた
叱られてたぶんまた私は勘違いしたんだろけれど
「おい、おい、泣くな、泣くなアリシア」
今度はなかなか泣くのをやめられなかった
ご主人様はずっと私を抱きしめてくれた
それがすごく嬉しくて、
ご主人様には悪いけど、
申し訳ないけど、私は少し泣き止むのを遅らせた
「アリシア、誤解だ、よく聞け、お前がホワイトに戻っても、お前はどこにも行かせない
お前はずっと俺と一緒にいるんだ」
「本当?」
「ああ本当だ、お前はずっと一生俺といるんだよ、何度も言ってるけれど」
「・・・」
「俺は絶対にお前を誰にも渡さない、絶対にだアリシア
お前はずっと一生、俺のそばにいるんだよ、アリシア」
「・・・」
「わかったなアリシア?」
「はい、ご主人様」
また泣いたらきっとまたご主人様は私を抱きしめてくれる
そんな悪い考えが浮かぶけれど、自制して、私はちゃんとご主人様にそう答えた
「落ち着いたか?」
「はい、ご主人様」
「そうか・・・」
ご主人様はまだ何か言いたげだった
「なあアリシア」
「はいご主人様」
「お前はこれから何があろうと絶対に俺から逃げられない、どうあがいても絶対に俺から逃げられない、お前は一生死ぬまでずっと俺のそばにいるんだけれど」
「はいご主人様!嬉しいです!私すごく嬉しいです!」
すごく嬉しい
私を安心させようとそう言ってくれるご主人様に私は心から感謝した
「・・・」
「ご主人様?」
「・・・いや、なんでもない、えっとな、それでお前はずっと俺のそばにいるんだけれど、別に奴隷じゃなくなっても良くないか、と俺は思うんだ、お前はどう思う?
奴隷じゃない、もっと別のものになりたくないか?」
「騎士、ですか?」
「俺を怒らせたいのかアリシア」
ご主人様が、怒る
私が震えていても、ご主人様はじっと私を睨むのをやめない
「俺を、怒らせたいのか?」
「い、いいえ」
「なら騎士になりたいなど、二度と言うな、お前には二度と剣など握らせん」
「・・・」
「アリシア、返事しろ、わかったな?」
「はい、ご主人様」
私は二度と騎士には戻れない
わかってる
わかってた
私をじっと見つめるご主人様の目に、私はじっと耐えた
騎士になりたいなんて、二度と思わないように、私は自分にそう言い聞かせた
「・・・アリシア、別に奴隷じゃなくても、ほかに何かなっていいものがあるんじゃないか、お前には」
「・・・平民ですか?」
「お前はこの国で一番高貴な女性だ、アリシア、忘れるな、お前はこの国で一番高貴な女性なんだということを」
でもそれは、ご主人様が王妃様を迎えるまでのことでしょう?
そう言いたくなった
ご主人様はご自分が言ってることが矛盾してることを気づいていない
私に王妃様のお部屋を与えたこともそう
いつか、私から取り上げて、王妃様に与えるくせに
・・・泣きそう
「泣くな、アリシア、泣くな、頼む」
奴隷相手にこんな低姿勢な主はきっとこの方ぐらいなものね
私はそんなことを思う
そして私は悪い奴隷だわ
ご主人様の言うことが矛盾してるとかそんな生意気なこと考えて
「・・・騎士でも平民でもない、何か私がなれるものが他にあるでしょうか?」
「ある、お前にしかなれないものが、ある」
「あるんですか?」
「ああ、あるぞアリシア、お前にしかなれないものが」
「私にいったいどんな特技が」
「いや特技ではないがお前にしかできない、お前しかなれない」
「教えてくださいご主人様、それはいったいなんですか?」
「いやそれはお前、その・・・」
ご主人様の隣に私は座っていて、ご主人様のお顔が良く見えるのだけれど、なぜかご主人様はお顔を真っ赤になさった
「ご主人様?」
「お、おい、待て、お前そんな急に、顔を覗き込むな」
「も、申し訳ありません、ご主人様」
「いや、今のは怒ったんじゃなくて」
ご主人様は、なんだかさっきからわけのわからないことばかり言ってる気がする
お疲れなんだろうか
「いや、あのな、アリシア、とにかくその、お前は今、奴隷でいてそれで幸せなのか?」
「はい、もちろんですご主人様、私は今すごく幸せです」
私は胸を張ってそう言った
そしたらご主人様はまた微妙なお顔をなさった
きっとまだ私の説明不足なのだろう
「ご主人様、私は今まで生きてきて一番今が幸せなのです」
「そ、そうなのか?」
「はい、ご主人様、私は今が一番幸せなのです
だって毎日毎日、こうして、ご主人様に会えて、ご主人様のおそばにいられて、
こんなにいっぱいご主人様といられるのは、奴隷になるまで、ありませんでした
奴隷になる前は、私は、私は・・・」
思い出したくない
ずっと、続くと思って毎日毎日死ぬことばかり考えていた日々を
アリシア・ハミルトンだった日々を、思い出したくない
「アリシア・・・」
「わ、私は今」
目の前がぼやける
私また泣いている
「私は今、すごく幸せなんです
奴隷になれて
ご主人様の
大好きなご主人様の奴隷になれて、私は今が一番、幸せなのです」
「・・・」
「だから、だから、私から奴隷であることを奪わないでください
私を奴隷でいさせてください
ご主人様の奴隷でいさせてください
これからもずっと、私をご主人様の奴隷でいさせてください」
「・・・」
「・・・ご主人様?」
なんだか、ご主人様がとてもつらそうな顔をした気がした
「ご主人様、ダメですか?ずっとご主人様の奴隷でいちゃ、ダメですか?」
「・・・ああ、わかった、お前が望むだけ、俺の奴隷でいさせてやろう
・・・お前の気が変わることがあったら別だが」
「そんなこと絶対にありません!
私がご主人様の奴隷をやめたくなることなんか、絶対に、絶対にありません
絶対に、絶対にありません、
私は一生、ご主人様の奴隷でいたいんです」
「・・・」
どうして、
どうしてご主人様はそんな辛そうな顔をするのだろう
「わかった、お前は、俺の奴隷だ、安心しろアリシア、ところで」
なんだか無理やり話をそらされた気がした
「ところで、アリシア、お前何か仕事がしたいと言ってたな?」
「はい」
話をそらされた気がしたけれど、
それに触れてはいけない気がして、
私は気づかないふりをした
「はい、ご主人様、何かしたいです」
「俺のそばから離れないで、お前にできる仕事、何か考えておいてやろう」
「ありがとうござます、ご主人様」
やった、私も仕事をさせてもらえる
ご主人様のお役にたてる
「・・・俺は少し考え事があるから、お前は隣の部屋に行っていなさい、アリシア」
「・・・はい、ご主人様」
私はテーブルの上を片付ける
ご主人様はじっと私と見ている
なんだか、ご主人様が寂しそうな気がした
でも、私が踏み入ってはいけない気がして私はただ、黙ってテーブルの上を片付けた
テーブルを片付けて隣の部屋に行く前に、もう一度ご主人様を見た
「どうした?」
「いえ・・・ご用があったら、お呼びくださいね」
私がそう言うと、ご主人様はやっぱり寂しそうなお顔をなさった
そして無理に微笑んだ
私はその理由を知りたかったけれど、そのまま一礼して、隣の部屋に移った
その日は夕食まで、ご主人様に呼ばれることはなかった
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