第6話 姉24歳弟17歳
「遠路はるばるよく来たなハミルトン公爵夫人」
久しぶりに聞いた父の声はたった一年ぶりなのに、10年会わなかったみたいに感じた
こんなに、お年を召されたお声だったろうか
「お久しぶりでございます、陛下」
私も娘ではなく臣下として答える
「・・・」
「・・・」
「・・・アリシア」
一度は公爵夫人と呼び、今度は、私を名前で呼ぶ父
少しぐらい老いても、その優しい声は、変わらない
「はい」
「お前がハミルトン家に嫁いで一年・・・何か、なかったか?」
父は、私を娘として大事に思ってくれている
王女でありながら、剣を振るうしか能のなかった私は政治の道具にしかなりえなかった
ハミルトン家を抑えるために、この国を守るために、私は嫁いだ
私は道具だけれど、確かに、父にとっては娘であることに変わりはない
「・・・何もございません、まだ不慣れな私を、夫は大切にしてくださいます」
少しの嘘を混ぜる
できればここにとどまりたい
ハミルトン領に戻りたくない
でもそんなことは言えない
「そうか・・・ジェラルドは、良くしてくれているか」
「はい」
父は知らないのだ
あれが、どんな男か
どんなにおぞましい男なのかを、父は知らないのだ
だけど、心配させたくはない
「ご安心くださいお父様」
私はにっこり笑う
心と正反対に笑う
こんなことができるようになった
たった一年で
これも成長と言えるのだろうか
「うむ、久しぶりの里帰り、ゆっくりして行くがよい、アリシアよ」
「ありがとうございます、お父様」
父を騙すこと
父に心配かけること
どっちが苦しいかを考えて、私は父を騙す方を選んだ
王宮を一年ぶりに歩く
あちこち歩き、皆に挨拶する
皆、笑顔で私を迎えてくれる
そんな私につき従う侍女、一年前は王宮にいなかった子だ
私が騎士だったころの姿を知らない子だ
「奥様、そろそろお部屋へお戻りになられては」
たしかに
何もかもが懐かしくてうれしくて私は王宮を歩き回った
ついてくる侍女も疲れてるだろう
もっといろいろ挨拶したい人もいるが、そろそろ部屋に戻ろう
「そうね、戻りましょう」
「はい奥様」
まだ十代だろう侍女は、ほっとしたのかにっこりと笑った
あちこちつきあわせて悪いことをした、と私は思った
廊下を歩いていると、すっと、背筋を伸ばしてまっすぐに立つ、立ち姿の美しい人がいた
こっちに背を向けているけれど、よく見覚えがあるその姿が
また背が高くなっている
一年前よりも高く
気が付くと私は立ち止まっていた
世界で一番会いたくて、世界で一番会いたくない人がそこにいるから
「奥様?どうかなさいましたか?」
「・・・アーネスト・・・」
「あ、王太子殿下、視察に出てまだ数日はお戻りにならなかったはず・・・」
私もそう聞いている
数日はアーネストは不在だと
私はだから、王宮をあちこち歩けた
アーネストに出会わないと思ったから
どうしよう
逃げたい
・・・ああでも、嬉しい
駆け寄りたい気持ちになった
もういい大人なのに
外に嫁いだ女なのに
それでも私はあの子の姉で
あの子は私のたった一人の弟なのだから
今すぐ、駆け寄りたい、走って
あの子はまた、私に微笑んでくれるだろうか
「もしかして、奥様に会いに早く戻られたのかもしれませんね」
嬉しいことを侍女が言う
確かエリザベスと言ったわね、いい子だわ、覚えとかなきゃ
やっぱりそうなのだろうか
私に会いに、早く戻って来てくれたのだろうか
泣きそう
嬉しい
「アーネスト!」
そう呼ぶと弟は振り向いた
気づくと私は、早歩きで歩き出していた、子どもみたいに
「お、奥様」
エリザベスが戸惑っている
でも悪いけどかまっていられない
近づくと、一年前よりもっと背が高くなってもっと大人びて、
というよりもう大人と呼ぶ方がふさわしい
そんな弟の姿が目に映る
それが寂しくて、でも嬉しかった
弟が
アーネストがそこにいるのだから
「アーネスト」
「ああ、ハミルトン公爵夫人、何か?」
ハミルトン、公爵夫人、弟は私をそう呼んだ
冷たい感じがした
弟のそんな声を、私は聞いたことがない
「あ・・・ご無礼を・・・王太子殿下」
思わず私は、臣下の礼をとった
拒まれた気がしたから
「いえ、お気になさらずに、陛下への拝謁は済んだそうですね」
「はい、一刻ほど前に」
「そうですか、大儀でした、ゆっくり休んでください」
私を拒んでいる声
「・・・」
どうして
「どうしました公爵夫人?」
「いえ」
拒まれている
「長旅の疲れが出たのでしょう、早く休んでください」
「はい」
なんで?
なんでこんな他人行儀に私たち話してるの?
会えたのに
やっと会えたのに
「では、私はこれで」
弟はそう言って背を向けた
「殿下!あの!」
迷わず歩き出した足を止めて、弟が振り返る
面倒くさいと言う顔を隠しもせずに
「何でしょうハミルトン夫人」
それでも、この声を私は聞いていたい
「あの、お名前で、呼んでも」
もちろん許してくれるはず、それぐらい
「それはやめてください」
弟は迷わず答えた
「あなたは嫁いでハミルトンの人間になった方だ
もう王家の人間ではない」
足元がぐらつく気がした
「もうあなたは私の姉ではない、公爵夫人だ
臣下であることを忘れないでいただきたい」
目の前が真っ暗になる気がした
私は頭を下げた
「も、申し訳ありません王太子殿下、分をわきまえぬ発言、どうか」
「ええいいでしょう、次から気を付けてください、では、これで失礼しますよ」
弟の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はずっと床を向いていた
顔を上げられなかった
振り返らず立ち去る弟の姿を見たくなかったから
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます