第10話 屑の狂詩曲 ~不倶戴天~
「.....ってわけみたいよ?」
《それはまた.....》
「馬鹿だ。底知れない馬鹿野郎様がいる」
怯えきってイエスマンになった国王から馬車をふんだくり、気絶したままの父親をのせて自宅に戻ったマチルダは、事の顛末を爺婆に説明した。
ちなみに聞かれると面倒なので、気を失っている公爵は馬車の中に放置である。
《エスメラルダの実家は侯爵だっけ? きゅっとしてきてやろうか?》
「やめて? 御母様に関わって欲しくないもの。無視しましょ」
「そうだね。あのお義父さんの剣幕を見ただろうし、王家も王女も同じことをしようとは思わないだろうし」
細腕をまくり、にかっと笑う魔王。
それにヒラヒラと手を振って、マチルダ夫妻は苦笑い。
「あれだけ釘を刺してきたんだから、もう馬鹿はやらないでしょ」
「もし、またやらかすなら、それは遠回しな自殺志願だよね」
《勇者の系譜》を敵に回す気か。今は一族郎党揃っている。父公爵一人で、この国を潰せる。王宮を瓦礫の山にしたくないなら、そっとしておけっ!!
そう、こんこんとマチルダは国王達を諭しておいた。これで余計なことはやるまい。
怒り心頭なマチルダの父親も部屋に寝かせておけば、母が上手く宥めてくれるだろう。
.....御父様は御母様にデロ甘だしね。『やめて?』と一言言われたら、即座に、『うんっ!』って頷くわ。.....本当の最終兵器って御母様なんじゃないかしら?
今になって気づいた驚愕の事実。
.....なのになぜ、御父様は、この国に来たの? あの王女の言い分通りだとすると、御母様の生家は、とても宜しくない人間の集まりだと思うのだけれど。
エスメラルダの置かれていた境遇を父公爵が知らないはずはない。母に錦を飾らせたかった? 母を蔑んだ奴らに意趣返ししたかった? 色々な思考がマチルダの脳裏を過る。
「でもまあ、あの御父様のことだもの。悪いようにはならないわよね。うん」
彼女は、自問自答で一人ごちた。
だがマチルダは忘れている。世の中には、斜め上どころが、ウルトラCをかます愚か者がいることを。
先頃、そんな愚者の集まりで酷い目にあったにもかかわらず、喉元過ぎればなのか、彼女は完全に失念していた。
マチルダも
そして悪夢は友達も連れてやってきた。
「エスメラルダに会いにきたのだ。入れてもらおうか」
揉め事間違いなしな男性を三白眼で二度見しつつ、マチルダは、いきなり現れた祖父を名乗る相手に心の中でだけ仰け反る。
.....んもぉぉぉーっ! なんで揉め事の張本人が来ちゃうかなぁぁーーーっ!
見るからに頑迷そうな老人。
居丈高な祖父を邸に迎え入れ、マチルダはどうしたものかと頭を悩ませた。
「追い返せ」
「出来ません」
ここはマチルダの母親の部屋。
夫婦の寝室を挟んで、右が父公爵の部屋。左が母親の部屋になっている。
邸を造る時、勇者の発案で分けられた、それぞれのプライベートスペースだ。
『.....魔族の愛情表現は、ネチっこいからね。鍵も付けてあげたよ? 僕が結界張っとくから』
やけに心配げな勇者と、苦虫を噛み潰したかのような顔の公爵。
それの意味が最初は分からなかったエスメラルダだが、短い婚約期間しか公爵を知らない彼女は、式を挙げた夜に、初めてその意味を知る。
「何か約束して欲しいこととかはあるか? 俺はある。だから、何でも聞いてやるぞ?」
初夜の準備に詰めていたメイドらを追い出し、公爵は手ずから妻を風呂に入れていた。
あっという間のことでエスメラルダも理解が及ばず、するする衣服を剥ぎ取られ、なぜか抱き抱えるような公爵と共に湯船に浸かる。
.....え? なにこれ? お風呂? お風呂を一緒にっ?!
脳内パニック状態の妻の様子に気付きもせず、淡々と話を続ける公爵。
「俺としては、外出は夫同伴時のみ。信用のおける護衛をつけるから、側から離さないこと。でも距離は取れよ? 食事や寝室は常に共にあれ。俺の眼の届かないところには行かないように.....」
色々不穏なことを言われているのに、エスメラルダはそれどころでない。温かな湯船で密着するお互いの身体。そのピタリと吸い付く肌が熱くて、今にものぼせそうだった。
「飢えたケダモノのようなその瞳。全力で俺を求めていたソレに一目惚れだよ。自分でも、こんな気持ちを抱くなんて思わなかったんだ.....」
そういうと、公爵は後ろから抱き締めながら妻を深く抱え込み、その首筋に顔を埋める。
柔らかな感触が彼の唇であり、それがなぞるようにうなじを舐めた瞬間。
キャパオーバーなエスメラルダは、真っ赤な顔で絶叫し、意識を失った。
《馬鹿なの? あんた》
『...............』
『僕が結界を張ってまで部屋を分けた意味。ないじゃん? ねぇ?』
偉そうにふんぞり返る魔王と勇者の前には、背中を丸めて正座する公爵。
勇者は経験者なので知っていた。魔族の底知れない愛情を。それこそ二十四時間からまり、繋がっていたがる粘っこい激愛を。
魔王だって、勇者を閉じ込めたり引っ付いて離れなかったり、隙あらば閨に引き込もうとしたり、それこそ精魂尽き果てかねないほど夫を縛り付けた。
.....が、彼女の夫は勇者だ。全てやんわりとはぐらかされ、泣きわめく魔王を窘める。
『僕は、そういう行為に淡白かもしれないけど、愛情では君に負けてないと思うよ?』
《好きなら常に引っ付いていたいと思わぬのか? 深く繋がって、それを感じていたいと.....っ》
『ストップ、ストップっ!! はあ..... これだから魔族って奴は。そういうのは秘密裏にやるのが良いんじゃない。誰もいないところで、こっそり二人きりでさ。あからさまにやってたら雰囲気半減じゃんね』
《秘密裏..... こっそり二人きりで..... 雰囲気?》
そのシチュを想像したのだろう。魔王の顔が、みるみる赤らんでいった。
肉欲ばかりが先行し、そういった情緒を知らなかった彼女は、勇者の手解きで羞恥や恥じらいを覚えていく。
何十年もかけて可愛らしい妻に育成した勇者は、彼女がエスメラルダ側につき、公爵を叱っている姿を見て感無量だった。
.....ああ、あの性欲オバケだった彼女が。子孫の嫁を労る言葉を口にするなんてっ、もう死んでも良い! あ、いや、僕が死んだら彼女も死んでしまうな。それは却下だ。
一人ノスタルジーに浸る勇者を置き去りにし、魔王の説教は続いていた。
《まあ、分からんではないよ? お前は人間だが魔族の本能を色濃く継いでる気もするし。愛する者と溶けて交わりたいくらい欲情しておるのだろう? こうして離れているとそわそわして落ち着かず、身の内に閉じ込めてしまいたいんだろう? .....文字通り》
脳内を言い当てられ、公爵は返す言葉もない。さすがは魔王だ。よく分かっている。
しゅん.....と項垂れる子が憐れで、魔王の説教も和らいだ。その眼に浮かぶのは慈愛の眼差し。
《おまえは人間の身体に魔族の本性を持って生まれたようだな。その気持ちはよく分かるよ。でもな? 人間は脆弱で、そういったことに淡白な者も多いのだ》
そう言いつつ、魔王はチラリと勇者を見る。彼女の視線の先には、ゆうるりと微笑む最愛の夫。
《だから開幕全力で行くでない。少しずつだ。このへんまでなら良いか? まだ大丈夫か? そのように相手を思いやる気持ちを持て》
『思いやる気持ち.....』
《そうだ。ぶっちゃけ、この勢いで迫ったらエスメラルダは壊れるぞ? 彼女はアタシの夫のように抗える力がない。それこそ無理やり詰め込まれた愛情で、ぱんっと爆ぜてしまうわ》
握りしめた片手をパッと開く魔王のジェスチャーに、公爵は顔面蒼白。
そんな大事だとは考えていなかったのだ。彼にしたら単なる蜜月。大切な妻を全力で愛でるのは当たり前だと思っていた。
まるで発情期の猿のように。
遅くに訪れた熱病を。恋い焦がれてやまない感情を、公爵もまたもて余している。
《おまえ、女っ気もなかったしなぁ。そういうのに疎いのだよな。まあ良い。アタシの夫から駆け引きや情緒を学べ。ある意味、如何にもアタシの子孫らしい子孫だよ、そなたは》
こうして、羞恥に身悶えるエスメラルダをそっとしておき、公爵は勇者からレクチャーを受け、ようよう事は収まったのだった。
その結果が、今、目の前にある。
母親に膝枕されてカウチに寝そべる父侯爵の姿が。
エスメラルダの部屋は勇者の結界がバリバリで、中から招き入れてもらえないと踏み込めない。
そんな部屋に常駐出来るほど、苦節、何年もかけ、信頼を築いた公爵だ。
可愛がりが過ぎて逃げ出される毎日。部屋に籠城したエスメラルダに誠心誠意謝り、扉の前で泣きわめいたことも数知れず。
そんな愉快な紆余曲折を経て、今がある。
まったりのんびり楽しんでいた二人きりを邪魔され、マチルダぱっぱの眼に剣呑な光が浮かんでいた。
ここにもまた、要らぬことを囀ずる雉がいるようだ。.....と。
御愁傷様なマチルダの祖父に合掌。
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