第5話 狂乱の小夜曲 ~本領発揮~
「婆様まで.....?」
マチルダの顔が色を失った。
彼女が言う婆様といえば、言わずと知れた魔王その人だ。祖母とは別で、血族全てに婆様と親しまれる麗人。父公爵そっくりな赤い髪を持つ女性。彼女の苛烈さは折り紙つき。魔王なのだから当たり前だが。
ここの貴族達は己の死刑執行書にサインしたも同然だった。
顔面蒼白で唇を戦慄かせるマチルダに、心底困り果てた顔の父公爵が呟く。
「.....勇者に育てられたから、まあ、そのへんの魔族よりは分別あるけど? 婆っちゃは瞬間湯沸し器だしなあ?」
他人事のような父の呟きに、マチルダは苦虫を噛み潰した。
.....なぁ、じゃございませんことよっ! どうしますのっ? せっかく私が堪えて当たり障りないようにしたのにっ!
そして彼女は乾いた眼差しで、じっと父公爵の壊した扉を見据える。
.....時すでに遅しでしたわね。あの大扉を破壊した以上、力を隠しおおせるものでもありませんし。瞬間湯沸し器は、どちらなんだか。
《女神の天秤》の残滓。
行く手を阻むモノを蹴散らす力である。正しく行動しようとする時に限り、公爵家の血筋に発現する力。《言霊》だ。
この力には特別な何かはいらない。気持ちをのせて声に出すだけで良い。
『吹き飛べ』と。
それで口にした言葉は現実になる。
だけど、この力にはデメリットも存在した。
力を発動するさい、必ず女神様に誓わなくてはならないのだ。人として恥ずべき行いはしないと。
これを違えた場合、即刻、天罰がくだる。
なのでこの力を使えば、貴族らの証人や証言が虚偽かどうかなど簡単に判別出来、マチルダの濡れ衣を払拭可能だった。
だが、その天秤に載るのは人の命。
神の落雷に焼かれるため、死を免れたとしても全身大火傷は必至。貴族どころが人としての人生も終わる。
ゆえにマチルダは、こんな些事で力を使わなかった。己の矜持など大勢の人命と天秤にかけるほどもないと思ったからだ。
小さな彼女の嘆息を目敏く見咎め、公爵はツカツカと国王の前に進み出た。どうやら、あらかたの仔細は承知していたらしい。
勇者と魔王の最強タッグが後ろについている。ほぼ全貌を把握していたのだろう。
家で待つ公爵の最愛。他国から嫁いできた妻は魔力も持たず異能もない。
その妻に約束したのだ。必ずマチルダの冤罪を払拭し、この国に目にものを見せてくると。
何の力も持たない母親は、我が娘の窮地に駆けつけれぬことを酷く悔しがっていた。
『わたくしは..... 政略結婚であっても、貴方を愛し、幸せな結婚をしたと思っております。だから、マチルダにも..... そのようにあって欲しいと』
皆まで言わせず、公爵は妻を抱き締めた。細く折れそうな、その身体を。
『.....そなたが意に添わぬ企みで送られたことを俺は知っている。それを承知で妻にした。大丈夫、マチルダは俺が守るさ』
《勇者の系譜》を手に入れんがため仕組まれた政略結婚。最初は断る気満々だった侯爵だが、やってきた彼女を見て、彼は一瞬で掌を返した。
小さな荷物一つを手にした彼女の身体は見るからに窶れ、これまで良い扱いを受けていないのが一目瞭然である。
こんな雛鳥みたいな少女を追い返す真似は出来ないと、公爵は乗り気でなかった縁談を受け入れたのだ。
『同情.....ですか?』
おずおず尋ねる小さな人。
『かもな。でも俺は君が気に入ったんだ。その目に浮かぶ決意にも似た光がね』
つ.....っと頬を撫でられ、少女は顔を強ばらせる。
彼女は自分の父親に取引を持ちかけられていた。この結婚に成功し、《勇者の系譜》の一員となれば、自由にしてもらえると。その先にある信頼が、彼女の実家に必要なのだと。
己が身の自由を得るため、少女は公爵を何とかたらしこめないかアレコレ画策しつつやってきたのだ。
.....バレている。
顔面蒼白な彼女は、にこやかな笑みで佇む公爵を見て、はやこれまでと全てを告白した。
第一印象どおり、少女は良い扱いを受けておらず、その身の上も悲惨の一言。
籍は隣国の侯爵家だが、彼女の母親は平民のメイドで婚外子。幼くして母親を失ったため、父親の家に置いてもらっていたが、使用人にも劣る待遇だったという。
『.....まあ、よく聞く話だな。胸糞だけど』
『.....公爵様にお情けをいただけたら。わたくしは自由になれるのです。妾でもかまいません、御願いしますっ!』
貴族にとって子供は駒だ。子供の権利は親にある。しかも婚外子など如何様に扱おうが非難はされない。
このまま放置すれば、この彼女は一生父親の家で飼い殺しにされるのだろう。
ゆえにの決意。どんな手を使おうとも公爵に気に入られようと。側に置いてもらおうと。
悲愴な覚悟で全てを語った少女に、公爵は不敵な笑みで応えた。
『承知。君は選択を間違えていない。良い判断だぜ?』
余裕と貫禄に満ちた公爵の姿を見上げ、唖然と呆ける少女。
こうして盛大な式を挙げ、《勇者の系譜》に迎えられた彼女の名はエスメラルダ。
彼の有名な宝石と同じ名前の彼女を、公爵はいたく大切にし溺愛した。
これまでの妻の不遇を埋め尽くすかのように。
子宝に恵まれ、順風満帆になった彼女の人生。それに翳りがさしだしたのは、いつ頃だったか。
『.....父が。動きだしました。マチルダが..... 貴方、マチルダを助けて。わたくしみたいにさせないでっ』
『もちろんだ。安心おし? .....《勇者の系譜》を侮ったこと、全力で後悔させてやるよ』
この国も知らない裏を知る公爵とエスメラルダ。死なば諸ともというが、死ぬのはお前らだと、公爵はマチルダを必ず連れ帰ると妻に約束をし、単身王宮に乗り込んだのである。
ここが男の..... 父親の見せ所だった。
.....惚れ直させてやるぜ? 待ってな、エスメラルダ。
この先に待ち受ける隣国の陰謀。それすら歯牙にもかけず、公爵は妻の願いを叶えるためだけに我が道を往く。
「娘の冤罪、私が払いましょうぞ」
広間を見渡しながらニヤリとほくそ笑む父に、マチルダは半狂乱でしがみついた。
「まさかっ? なりませんよっ、御父様っ!!」
必死の形相で見上げる娘の頭を撫でて、公爵は好好爺な眼差しで頷く。
「もちろんだ。お前が悲しむようなことはしない」
そう言うと公爵は顔を上げ、高らかに宣言した。
「我、ここにて女神様に誓う。恥ずべき事柄を口にせず、悪事に手も染めぬと」
宣言した公爵の頭上に光が射しそむり、小さな光が降りてくる。
ゆっくりと降りてきた光は、公爵の額にとぷんっと呑み込まれ、それと同時に公爵を包んだのは煌めく淡い空気。
神々しい厳かな光をまとい、彼は挑戦的に眉を跳ね上げた。
「御覧あれ」
公爵は踵を返し、ある人物に近寄っていく。
「貴方は女好きで、多くの女性と関係を持たれていますね。いや、御盛んだ」
「なっ!」
事実無根の言い掛かりに眼を剥く男性。
が、次の瞬間、公爵の遥か上空に稲光が巻き起こる。そしてその稲光は空を劈き、びしゃあぁぁんっっ! と、公爵の脳天から足元まで貫いていった。
声のない悲鳴を上げて固まる貴族達。
誰もが顔を凍りつかせて凝視するなか、件の公爵は、しれっとした面持ちで服についた焼け焦げの煤を払っていた。
パンパンと煤を払いながら、彼は悪戯っ子のように壇上の国王や王子を睨めつける。
「これが我が家に伝わる禁断の力です。女神様に誠実であることを誓い、正しき途を拓く力。偽りを述べれば、このように即刻天罰が下ります」
仏の顔も三度までならぬ、女神の慈悲も三度まで。
宣言し、力を解放した公爵は偽りを口に出来ない。悪しき行いに手を染められない。
だが三回だけ。生涯に三回だけ嘘をつくことを許されている。
人間が生涯清廉潔白であれるのは難しい。ゆえに与えられた女神の慈悲だ。
三回だけ神の落雷に耐えられる守護が公爵家の血筋に与えられていた。
その一枚目を使ったのだと、周りや国王達に説明する公爵。
「そして、ここからが本番」
にぃぃ~っと残忍に口角を歪め、彼は王子へ歩み寄る。
「貴方は噂の真偽を調べた。確たる証拠があって我が娘を切り捨てたのですな?」
今の落雷を見ても怯まず、王子は大きく頷く。
「左様だ。そこなリナリア嬢や他からの訴えを調べ、本人や周りからも事情を聞いた。溢れるほどの証人が出てきて狼狽えたよ。.....マチルダと関係を持つと言う男性らからの話も。.....正直、目の前が真っ暗で、マチルダに手を出した奴ら全員、縊り殺してやりたかった」
今にも泣き出しそうなほど瞳を震わせて俯く王子。彼に天罰は下らない。
王子の言葉に偽りはないのだろう。その集めた証人や情報が偽りなのだ。罪を犯していない者を女神様は裁かない。
「なるほど、なるほど」
うんうんと頷き、次に公爵はリナリアへと向かう。
「貴女はマチルダに酷い目にあわされたのですね? 女神様に誓って、相違ありませんか?」
炯眼な眼差しで見据える公爵に圧され、リナリアはあからさまに狼狽えた。
「えっと.....、その.....」
彼女の脳裡に先程の稲妻の光景がよみがえる。公爵は女神様の守護があるため平気だったらしいが、洋服までそうはいかない。
未だにブスブスと燻る衣服。焼け焦げた匂いがリナリアの鼻腔を刺激し、否応なしに恐怖を煽りたてる。
「答えてください。人として恥ずべき行いでないなら、女神様の天罰はありませんよ? 王子のようにね」
「ひ.....っ!」
みるみる顔を青ざめさせるリナリア。ひきつり歪んだ彼女の表情が、その答え全てを物語っていた。
ガタガタ震えつつ、何の言葉も口に出せないリナリアを軽く突き飛ばし、公爵は天を振り仰いだ。
「森羅万象にかしこみ申す。我はこの力を天に御返しし、
そう叫んだ公爵の身体から光が溢れ、淡く波打つと波紋のように広がっていった。
伝播するかのごとく人々の身体が柔らかに発光し、突然、多くの呻き声や悲鳴がそこらじゅうから上がる。
その人々の顔や手足には幾つもの焼け焦げがあり、爛れた皮膚を強張った顔で見つめていた。
未だに、あちらこちらからバチバチと爆ぜる音が聞こえ、マチルダは何事かと眼を見張る。
そこは阿鼻叫喚の地獄絵図。
肉の焼ける音と匂いが辺りに漂い、マチルダは初めて血族の異能の本領を知った。
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