第3話 狂乱の小夜曲 ~勇者の真相~
.....婚約解消。まあ、それは良しとして問題は冤罪の方よね。
マチルダは、しかめっ面で天を仰いだ。だがそれは、己の悪評を厭うたものではない。もっと別の思考からである。
冤罪のことが両親や兄達に知れようモノなら、ただでは済まない。マチルダの家は伊達に《勇者の系譜》と呼ばれているわけではいないのだ。
前述したように、勇者の異能は欠片でも脅威的な力で、父公爵を筆頭にマチルダの家族は一人軍隊と称されるほどの実力を持つ。
文字通り一騎当千。勇者の血の薄まった兄ですら、一撃で数百を吹き飛ばし蹴散らせるのだから手に負えない。
そんな家族が報復に出ることを恐れて、マチルダは難しい顔をしたのだ。
.....さらに我が家は、とんでもない爆弾を抱えてるしね。樹海の二人が出てきたら世界が終わりかねないもの。ここは素直に引き下がった方が良いわね。
ふぅっと小さな嘆息をつき、マチルダが王太子に深々と頭を下げる。
「畏まりました。わたくしの婚約は白紙。そのように父へ申し伝えておきます」
そそとした淑女の形を崩さないマチルダを静かに見つめ、国王と王子は鷹揚に頷いた。
ひどく冷静な二人。この時、王と王太子には其々別の思惑があった。それゆえの澄まし顔である。
だがそこで空気を読めない馬鹿野郎様が声を上げた。
「なぜですか? 断罪はございませんのっ? わたくしは、とても辛くて怖い思いをしたのですわっ! 謝罪の一言くらいあっても宜しいのでは?」
金切り声を上げるリナリアに呼応し、他の者達もボソボソと呟き始める。
「たしかに。これだけの醜聞なのに。なにも御咎めなしとは.....」
「勇者の系譜というが、どこまで本当なんだか。眉唾にも程がある」
「そんなカビの生えたような昔話一つで公爵なのだから。自称勇者とやらは上手くやったモノだな」
聞こえよがしで不躾な罵詈雑言。耳を塞ぐわけにもいかないマチルダだが、ここに来てようやく貴族らの真意を理解した。
彼等は、祖先の功績で公爵となった我が家を酷く疎んでいたのだ。代々、王家と婚姻を結ぶ勇者の系譜が目障りだったのだろう。
だから結託して、マチルダを陥れるべく陥穽を設けた。
.....くだらない。
自嘲気味な笑みをはいたマチルダだが、やにわ、その耳を轟音が劈いていく。
王宮の建物が揺れ、天井のシャンデリアが危険を感じるほどガシャガシャ耳障りな音をたてていた。
そこここから上がる小さな悲鳴や何事かと慌てふためく人々。
そして次の瞬間、信じられないモノを視界に入れ、誰もが絶句する。
よくよく見渡してみれば、大広間真後ろの扉が破壊され土煙を上げているではないか。
もうもうと漂う土煙の中から現れたのは一人の男性。
「私を遠征に出した隙にコレですか。陛下?」
そこに現れたのはマチルダの父、現公爵である。
背を覆うほどの赤髪を緩く一つ結わきにし、薄く弧を描く切れ長な眼が印象的な人物だ。
年の頃は三十にも見えないが、実際は五十過ぎ。遅くに授かった一人娘を眼に入れて持ち歩きたいくらい溺愛している。
.....ああああっ! なぜに御父様がっ!!
狼狽えるマチルダよりも、さらに狼狽したのは国王陛下。彼は公爵を遠征に出し、その隙に全てを終わらせるつもりでいたのだから。
事情が事情だ。婚約解消は致し方ないものの、マチルダには第二王子を婚約者として新たにあてがい、勇者の系譜と王家の婚姻を成就させるつもりだった。
そこまで話を持っていくのに、娘溺愛な公爵が障りになると案じ、国王はあえて遠ざけるため遠征を命じたのである。
実際、やってきた公爵は酷薄な笑みを浮かべて夜会会場全体を見渡していた。どこの誰がマチルダを嘲り、貶めたのか確認中なのだろう。
公爵のギラつく獣のような双眸が、舐め回すがごとく周囲に辛辣な眼光を放っている。見る者を震え上がらせる極寒の視線。
「そちは辺境の警備に行っていたはずでは?」
慌てふためく国王を鋭い一瞥で黙らせ、公爵は愛娘の横に立った。
傾国の乙女とも名高い美姫であるマチルダとその美貌の製造元たる父親。
公爵の持つ鋭利な雰囲気も手伝い、その凄みのある美しさが広間の人々から言葉を奪う。
片方だけでも眼福なのに、二人揃った姿は圧巻だ。
惚ける周囲を余所に、公爵はギロリと壇上を睨めあげ、辛辣な口調で吐き捨てた。
「勇者様が迎えに来られましてね。マチルダの窮地だと。なので、そのまま連れてきていただいたわけです」
ぎょっと眼を見開く国王と王太子。その周りに立つ王子や、国王の後ろの椅子に控えた王妃も同様だ。
今では廃れ始めてもいる勇者の伝説。
その概要を王家は知っていた。伝聞に過ぎないものでも、世間一般に伝わる話よりは詳しい経緯が伝えられていた。
周りの貴族は意味が分からないらしく、若干訝しげな顔。
.....それはそうだろう。勇者が未だに生きていることは、我が家と王家だけの機密だもの。王家の方は忘れかけていたみたいだけど。
.....ってことは。ああ、世界が終わる?
愕然と父親を見上げ、マチルダは掠れた声で呟いた。
「.....それって、爺様が降臨なさったってこと?」
「婆様もだ。えらく御立腹でな。うちの子孫に何してくれとんじゃと息巻いておられたわ」
にっこり陽だまりのごとき父公爵の微笑み。如何にも愉快でたまらないという悪ガキみたいな満面の笑みを見て、マチルダは意識が遠退く。
.....うわああぁぁぁっ!! 万事休すっ!!
そう。かの昔、魔族を蹴散らして魔王を成敗したとされる公爵家の始祖たる勇者。それは、どこからどう見ても貧弱な一般人だった。
公爵家に伝えられ、本人からも聞いた裏話。王家は知らない、物騒な話。
その話を耳にして、事実は小説より奇なりだと子供心にもマチルダは思ったものだ。
女神様から為すべきことを聞いた御先祖様は、そんなん出来るわけないと泣き叫び、なんと、この世界への転生を拒んだという。
『俺、超文系の一般ぴーぽーなんだけどっ? 魔王っ? 勝てるわけないじゃないかっ、バカなのっ? ねえっ?!』
手足をバタつかせて拒否する勇者にほとほと困り果て、女神様の出した提案が件の異能である。
その異能力は《女神の天秤》。偽りを許さず、悪行を許さず、自覚のない者にも鉄槌をくだす能力だ。
これなら優男な一般人でも魔族と対等に戦えるだろうと。
だあれも知らない裏事情。
孤軍奮闘して樹海を分け入り、必死に駆け抜けた勇者には多くの苦難が襲った。
魔物や魔族の襲撃は言うに及ばず、樹海という特殊な環境で過ごさねばならない精神的疲労。
じめじめ湿った空気が喉をイガらせ、昼夜問わず纏わりつく細かい虫。ありとあらゆる不快感が押し寄せてきて、心休まる時など欠片もない。
現代人である勇者は、みるみる精神を削られて行く。
そして何より特筆すべきは食糧だ。
樹海は実り多い場所だから、食べる物はいくらでもあった。念のためにと女神様が状態異常無効を付与してくれたので、毒物を食べても問題ない。
.....が。
『あのクソ女神、殺すっ! 絶対ぇ許さねぇっ! 状態異常完全無効をつけといたから? 何を食べても飲んでも平気だから? それが、どーしたっつーんだよぅ! だからって、樹海の謎めいた植物群や、濁って異臭を放つ水を飲めるかってのとは別なんだ、バカ野郎ぅぅぅーっ!』
紙が破れんばかりな筆圧で書かれた勇者の日記。そこには見知らぬ文字がズラズラ並んでいる。
勇者見聞録と名付けられた恨み辛みの日記帳。《勇者の系譜》の者は、この文字も学ばされているので読める。読めるのは良いが、中身の酷さにマチルダは溜め息をついた。
他に見せてはならない、女神様を罵る悪態の数々。たぶん女神様もこれを御存じなはずだ。
なのにこの日記が残っているということは、これに記されていることを女神様が認めているのと同義だった。
つまり女神様は、異能と状態異常完全無効だけをつけ、本当にマチルダの御先祖様を樹海に放り出したのである。
この世界のことすら何も知らない勇者が、どのような苦難を味わったかなど推して知るべし。
その事実を殴り書きで残した勇者の手記。公爵家の者だけが読めるそれを見て、しばし遠い目をしてしまったマチルダに罪はない。
.....女神様も大概だけど。御先祖様も大概度では負けてないわね。
しかしそれで、七難八苦の末、魔王を射止めたのだから、存外、損得の帳尻は合っている気がすると思うマチルダ。
始まりからして茶番劇な《勇者の系譜》は、時代を経ても盛大な茶番に巻き込まれる運命にあるのかと、複雑な心境を隠せないマチルダだった。
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