第2話 狂乱の小夜曲 ~冤罪捏造~


「大勢の目撃情報が寄せられてね。証人も沢山いるんだよ」


「証人.....? いったい、どなたが?」


 聞かれて逡巡する王子を余所に、一人の御令嬢が人垣から一歩前に出た。


「わたくしが、その内の一人ですわ。マイヤーズ伯爵が娘、リナリアでございます。お見知りおきを」


 証人の一人だと宣言する少女。恭しいカーテシーを決める金髪の彼女に、マチルダは見覚えがあった。

 ふんわり柔らかなウェーブの髪と翡翠色の瞳。まるで砂糖菓子に飴がけの糸を纏わせたかのような甘い雰囲気のある娘。

 彼女は貴族学院の下級生で、やたらと王子や他の高位貴族令息に纏わりつき、周囲の学生達から顰蹙を買っている。

 マチルダはもちろん、他の女生徒からの受けも芳しくはない。


「あなたが見たと仰るの? わたくしが誰かを虐めていたとか、不埒にも殿方と密な関係を持っていたとか?」


 にっと口角を上げ、リナリアは勝ち誇った顔でマチルダを睨めつけた。


「左様でございます。だって、わたくしこそが、貴女に虐められていたのですから」


「え?」


 マチルダは、思わずマジマジと相手を見据える。

 だがそんなマチルダを気にした風もなく、リナリアは立て続けにあれやこれやと嘘八百を並び立てた。

 そんな彼女の熱弁に賛同するかのような声が周りの貴族達から次々上がり、あっという間にマチルダは四面楚歌へと追い込まれる。


 .....何が起きて? 嘘よ、そんなことをやってはいないわ。学院の皆だって知っているはず。


 狼狽するマチルダは理解出来ない。リナリアを発端とした嫌がらせに他の貴族が便乗したことを。


 元は些細な嘘から始まった。リナリアがたまたま泉にはまったのを利用した王太子へのすり寄り。

 これ幸いにマチルダの仕業と見せかけるための虚偽。だがそれに、揃いも揃って他の貴族達が乗ってきたのだ。

 リナリア自身、どうしてこうなったのか分からない。学院でリナリアを煙たがっていた女生徒まで彼女の嘘に協力している。

 下位貴族の彼女には周囲の思考が読めなかっただろう。マチルダの一族を妬む風潮が王侯貴族全般に漂っていたことが。隙あらば、マチルダを貶めたい人々で学院が溢れかえっていたことにも。


 数少ない真っ当な貴族やマチルダの親しい友人らはこの場にいなかった。

 多くの貴族が結託して起こした断罪劇。少数派の彼らでは太刀打ち出来ないため、心ある者達は、この茶番に参加することを拒否したのだ。

 これに逆らえば国中を敵に回す。家や領地を預かる身としては、大きな流れに身を任す他なかった。

 だからせめてもの抵抗で、彼らは今夜の宴に不参加を表明している。大切な友人が惨めに罵られる姿を見たくないというのもあったのだろう。


 マチルダの親しい人々が誰もいない不穏な広間。


 王太子の婚約者。いずれ王妃となることが確約されているマチルダは、羨望の的であると同時に凄まじい嫉妬の対象だった。

 そんな彼女を引きずり落とすことが出来そうな千載一遇のチャンス。これを周りは見逃さない。

 まるで阿吽の呼吸のごとく、学院生徒らが口を揃えてマチルダの糾弾を始めた理由である。


 .....万一バレたとして、その槍玉に上がるのはリナリアだ。.....だがもし成功したらば? 王太子の婚約者の座が空くではないか。


 .あわよくば。その程度の思考だった。


 男子生徒も、高嶺の花だったマチルダに手が届く機会。それも婚約を破棄され、瑕疵のある状態。下位貴族令息でも娶れる条件が整う降って湧いた幸運。


 これに相乗りし、誰もがマチルダを陥れるべく虚言を重ねた。


 しかもその思考は親達にまで伝播し、一斉にマチルダを排除しようと動き出したのだから、ひとたまりもない。

 そんな邪な目論見を抱き、興奮気味な大広間を一瞥した王子は困ったように眉を寄せて、とつとつと言葉を紡いだ。


「こういった事情なのだ。出来れば内々に婚約を解消したかったのだが、王家側に瑕疵がないことをしっかり釈明した方が良いとの結論にいたり、今ここで婚約を白紙にさせてもらうことになった」


 苦し気な顔で話す王太子。


 その全てが偽りなことを知らない彼は、国のしきたりに従う他ない。


 呆然と事の成り行きを聞いていたマチルダも、王太子が周りに騙されているのだろうと察する。

 彼との付き合いは婚約してから五年ほどだが、上手くいっていると思っていた。

 穏やかで優しい王子と、恋のように激しくはないが、慎ましやかな信頼と情を育てていけていると思っていたマチルダは、酷く落胆する。




『私達は政略結婚かもしれない。だが、お互いを尊重し、慈しむ仲にはなれないだろうか?』


 はにかみながら、そっと出された彼の手。

 それに己の手を重ね、マチルダも頬を赤らめつつ答えた。


『そうなれたら嬉しゅうございますわ。拙い我が身であれど、最後の一瞬まで王太子様のお側におります』


 微笑ましい一幕。


 そこから妃教育や執務の手伝いなど、足並みを揃えて努力した。共に協力して事に当たり、落ち込んだり笑ったり、あっという間に過ぎた幸せな日々。

 

 .....なのに蓋を開けてみれば、このていたらくか。


 彼はマチルダのことなど欠片も信じてはくれない。今回も、真偽を尋ねることさえしなかった。


 大きな失望が彼女の胸中を過る。


 実際は、尋ねさせて貰えなかった。.....が、正しい。公人として、王太子は多くの貴族の主張を優先するしかない。

 身分ある者の謁見や面会は、普通、厳しく制限されている。特定の少数としか話も出来ない。あとは大切な会議や秘密裏な密会くらい。

 不特定多数と気軽に会話など出来ないのだ。


 そんな中でも必死に集めた証言や証人。


 これを信じたくない王太子だが、マチルダ側につくならば、ほぼ全てと言っても過言でない貴族達の証言を切り捨てる覚悟が必要である。この先、王となるべき彼がやるには自殺行為だ。

 それをマチルダも理解していた。ゆえに、自身一人のことで片がつくならと、この愚かしい一幕を受け入れる。

 

「事実無根にございます。ですが、もう答えは出ているのでございましょうね」


 悲痛な面持ちで笑う彼女を見て、王太子の心がざわめいた。


 彼も良い関係を築けていると思っていたからだ。優しく思慮深い彼女が、よもやこんなことをやらかそうとは青天の霹靂だった。

 いや。良い関係どころでない。実直で真面目を絵に描いたようなマチルダを、王太子は心から愛している。

 共に切磋琢磨した五年という月日は決して短いモノではないし、その充実した毎日は彼にとってかけがえのない煌めく日々だった。


 だから今回の事も全く信じられず、当然、王子はマチルダを問いただそうとしたが、目の前のリナリアや他の貴族達に止められる。


 言い訳を聞く必要はない。こうして多くの証人や供述が集まっているのだから、外堀を埋めて突きつけてやれば良いと。

 この新年パーティーでの婚約解消も彼等の提案だ。どちらに非があるのか周知し、皆に知らしめるべきだと。


 その言い分にも一理ある。


 王宮内、ほぼ全ての者がマチルダの悪行を知っていた。誰もが大なり小なり彼女の被害をこうむっていた。

 王太子の婚約者だという事実を慮り、口に上らせなかっただけだと。

 これだけの人間が証言するのだ。マチルダの悪評は覆せない。


 しかし王子は迷う。本当にこれで良かったのだろうか。


 ぽつんと立ち竦むマチルダの姿に、彼の心が罪悪感で蝕まれていく。


 だがそんな王太子とは別で、冤罪を被せられた本人は至極冷静に現実を直視していた。


 .....はやこれまで。よくぞまあ、これだけの人間が結託したものだわね。


 マチルダは王太子の説明を聞いて、周りの貴族達に嵌められたのだと覚った。

 反論も釈明も無意味だろう。奴らは一丸となり、マチルダの冤罪を捏造する。証人や証言も嘯き放題だ。勝ち目はない。


「.....お爺様に申し訳ないわ」


 胡乱に眼を泳がせ、彼女は天を仰いだ。


 マチルダの家を公爵家とした御先祖様。何があったのか周りに詳しく伝えられていないが、この国の未曾有の危機を救ったとだけ周知されている。

 そこから興された公爵家には、代々ある力が継承されて来た。それを使えば今回の濡れ衣をはらせよう。

 しかし、その力は諸刃の剣。使ったが最後、悪が滅びるまで止まらない。


 自分ごとき一令嬢の進退のために使って良い力ではなかった。


 《勇者の系譜》


 これがマチルダの家に添わされた渾名である。


 その昔、何百年以上前。世界は魔族の脅威に脅かされていた。

 広大な樹海を棲み家とする魔族どもは猛威を奮い、人間を奴隷や食料として狩っていたという。

 それをとどめ、魔王らを懲らしめて世界に平和をもたらした勇者。この勇者こそがマチルダの祖先だ。

 どこか別の世界より召喚されたという勇者は、女神様から特異な能力を授けられていた。

 魔族との戦いを終わらせるに足る強大な力を。

 その片鱗が子孫たるマチルダ達にも継がれている。片鱗ですら、途方もない力だ。それを考えると、始祖はどれほどの実力者だったことだろう。


 ぶるりと背筋を震わせ、彼女は深々カーテシーをし、王子に暇を告げる。


 無駄な抵抗は彼女の趣味でない。徒労に終わると分かっていて努力出来るほど酔狂でもない。


 不穏な空気を孕んだ冤罪事件。


 これが王宮を奈落に突き落とす狂乱の小夜曲になるとは、広間にいる誰も考えていなかった。

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