《連載版》怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~

美袋和仁

第1話 狂乱の小夜曲 ~婚約解消~


「マチルダ公爵令嬢。そなたとの婚約を解消します」


 荘厳な大広間に響く高い声。


 新年舞踏会の会場で、王子は悲しげに一人の少女を見下ろしていた。黒髪黒眼の少女は信じられない面持ちで彼を見上げる。


 スラリと伸びた手足や、比較的かっちりとした体格。

 華やかで華奢な御令嬢らが並び立つなか、彼女は少し異質な装いをしていた。しかしそれは良い意味で。

 やや長身な彼女を引き立てるシャープなドレスや装飾品。他と一線をかくす品の良さが滲み出ている。

 これは今日という晴れ舞台のために少女の父が拵えてくれた一式だった。


 なのに突然の婚約解消宣言。


 寝耳に水なマチルダは、綿密に結われた曾祖父譲りの黒髪を無意識に撫でつつ、信じられない言葉に漆黒の瞳を淡くけぶらせた。

 彼女の生家たる公爵家は、ある功績によって成り上がった家系なため、あまり歴史がない。それで娘が辱しめられぬよう、父親はとびっきりのお衣装を店に注文した。


 そのドレスが重く感じる。


 ネックホルダーの青いマーメイドラインドレス。プリンセス系が主流の社交界では、やや変わったドレスである。


 これも彼女の父がデザインしてくれたモノだ。




『どうした?』


『.....ドレスが決まらなくて。身長があと五センチ低かったら。.....ヒールをローにしても、わたくしは背が高すぎるのよ』


 はあ.....っと自嘲気味な溜め息をつく愛娘。それを見て、父公爵は呆れ顔で笑う。


 ....高いったって、たかが百六十八じゃないか。まったく。


 それでも周りの御令嬢は、平均身長が百五十センチ前後。ハイヒールをはいて、ようようマチルダの目の高さだ。

 そして、女性にしては背が高くガッチリしている彼女は、ふんわり柔らかなドレスが似合わないのが悩みの種で、毎回唸りながらデザイン帳とにらめっこする。


 愛娘の悩み顔も可愛い公爵だが、しばらくそれを楽しんだあと、彼は助け船を出してやった。

 懊悩する娘に父公爵はサラサラとドレスをデザインし、こんなのはどうだ? と勧めてくれたのだ。


 プリンセススタイルと違い、裾に華やかさを持たせた不可思議なスタイル。膝上ありからひらめく幾重ものドレープは、まるで八重咲きのダツラのように、しっとりとした気品を感じさせた。


『これ..... 少し奇抜だけど綺麗。素敵だわ。ありがとう、御父様っ!』


 今流行りなプリンセスラインでなく、肩を出したマーメイドライン。少しはしたない感じもするが、長い手袋とショールを纏うことでそれは上品に解消される。

 政略結婚予定の婚約者相手なのに、恋する乙女みたいな娘の姿を目の当たりにし、若干、納得いかない公爵だが、喜ぶマチルダの微笑みは眼福だった。


 .....ま、仲は良さそうだしな。.....めっちゃ腹立つけど。


 苦虫を噛み潰しつつも、公爵は愛娘のため、色目を王子の瞳から頂いて件のドレスを完成させる。


 そんな他愛ないことを思いだしながら、まるで道化のようだと彼女は自嘲気味に嗤った。


 .....すこぶるつきなドレスのはずだったのに。


 きゅっと扇を握りしめ、マチルダは王子に向かって口を開いた。


「なぜなのか、理由を御尋ね出来ますか?」


 匂い優しい白百合のごとく、凛と佇むその姿。

 きりりとした神妙な面持ちが、真っ直ぐな黒髪を緩く編み上げた彼女の艶姿をさらに引き立たせる。

 優雅なマチルダに魅せられ、周囲は視線を外せない。

 

 そんな彼女を眩しそうに見つめ、王子は声を荒らげることもなく淡々と説明した。


 いわく、マチルダの悪い噂が社交界を席巻していること。あまりに悪評が大きくなりすぎたため、王家としても看過は出来ないこと。

 慎重に調査を重ね、それが事実であると判明したので今回の婚約解消になったこと。


 噂の内容は、マチルダが淑女らしからぬ振る舞いをし、やたら下級貴族を虐げるわ、男と見れば媚を売り、しなだれかかるわと、その先に秘密めいた逢瀬があったかのような話。

 つまりは身分の低い者らを虐め、他の男と浮気にいそしむ悪女だとの噂である。


 王太子は、各所で集めた証言や供述を思いだすたびに頭が沸騰した。




『まさか。マチルダが?』


『.....そうですの。わたくしを突き落として。うぅ.....』


 池で踞る御令嬢。それを見つけた王太子は慌てて駆け寄り、何が起きたのか尋ねたのだ。

 すると彼女は、男と密会するマチルダを見つけ、苦言を呈したらしい。そして逆上したマチルダに池へ突き飛ばされたという。

 近くから同じように駆け寄ってきた者らも、同じことを言った。


『こう言っては何ですが、マチルダ様の奔放さは度しがたいです。王太子様の婚約者であるのに、慎みがなさすぎるというか』


『私も誘われたことがあります。幸い、王太子様の側近であるゆえ、拒否出来ましたが..... 身分の低い令息のなかには断り切れず、閨まで連れ込まれた者もいるらしいです』


『他にも遊び人で有名な御子息と優雅に楽しんでおられると聞きます。.....正直、あの方を王妃として仕えるのは苦痛でありますよ、私は』


 集まってきた貴族らから、出るわ出るわマチルダの醜聞。


 信じられない顔で聞き入っていた王太子は、項垂れた御令嬢がほくそ笑んでいるのに気づかない。


 そうしてマチルダの不穏な噂を耳にし、彼ははあらゆる方面から情報を聞き込み、精査する。


 したら、またもや出るわ出るわ悪評の数々。


 彼女と同衾したらしい素行の悪い令息など、鼻白んだ顔でぶっきらぼうに答えた。


『.....知られてしまいましたか。秘密の逢瀬だったのですけどねぇ。ああいう一見ストイックそうに見える方は、閨でこそ輝きます。ねっとり絡みつく舌使いとか、まるでベルベットのようでしたよ』


 不敬に問わない。ここだけの話でかまわないと詰め寄る王太子に、件の令息はニヤリと下卑た顔をする。

 そして語られる赤裸々な言葉で耳が腐り落ちそうになりつつ、王太子の脳内は荒れ狂った。

 目の前で武勇伝のごとく語っている男の滑らかな舌を、根元から引きちぎってやりたくて堪らない衝動に駆られる。


 .....仮にも私の婚約者だぞ? 誘われたからといって、貴様に罪悪感はないのか?


 かと思えば、他にも親密な関係を持つという令息が次々現れ、各方面でされた王太子の事情聴取は、マチルダのご乱行が社交界で有名だったのだと判明したに終わる。


 その供述をした者らが、淫猥な眼差しで視線を見交わしていたとも知らずに。


 嫌々集めた情報を分厚いオブラートに包んで説明する王太子。それを聞いていた周りの貴族達が、あからさまに眉をひそめた。


「.....事実と判明?」


 当のマチルダは唖然とする。もちろん彼女は全く身に覚えがない。


 しかし、八方へと足を運び、渦高く積み上げられた証言の山を、当の王太子も信じないわけにいかなかった。

 彼は今にも頽れそうな雰囲気で、やるせない笑みを浮かべる。


 ここから始まる長い茶番劇。


 舞台に上がった役者たちは、待ち受ける結末をまだ知らない。

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