2.猫耳の君

「勇者サマ!やっと見つけました!」

 竜のおやつに絶賛抜擢中の僕の耳を、どこからだろうか綺麗に響く、甲高い声が貫いた。だけれど、竜の咆哮やら、その翼がもたらす風圧やらに邪魔されて、その内容が僕まで届くことはなかった。


「ウワア〜!」


 成人男性の情けない声が響いた。まだあのゲームのラスボス倒してないのに〜!とか、そんなことを考える余裕が何故だか少しだけあった。

 僕を舐め回すように見やった竜が、いきなり、僕の方へ突撃してきた。

 僕は、食われた。




 はずだった。何もかも分からない状況の中で、覚悟をして目を瞑ると同時に、後ろから先ほど聞いた声と同じ響きが耳に届いた。



「フリージング!」


 

 何やら可愛らしいセリフが聞こえ、竜の動きがぴたと止まった。僕の目前三メートルほどの距離まで迫ってきていたそいつは全く、動かない。物理法則を無視した状態、空中に浮かんだままで、止まっている。


「時止めました」


 さっきの声の主だ。時止めた、とは?

 巻き上げられた土埃に遮られて、その姿を確認することは叶わないが、身長はだいたい百六十くらいだろうか。

「にゃん」


 にゃん?時止めましたにゃん?


 うーん。色々聞きたいことが山積みだ。

 そうこうしているうちに、土埃は霧散し、にゃんの姿が現れた。


「勇者サマ。探したにゃん」

「ど、どうもこんにちはにゃん」

「真似すんなにゃん」

「すみません」

 現れた猫は、猫だった。

 いや、姿はほとんど人なんだ。だけど、耳が、耳が猫だった。ふわふわだった。あと、僕のにゃんユーモアは、諸刃の剣であって、受け入れられなかったみたい。しょぼん。

 


 というか、さっきの竜は?時を止めたって何?勇者?僕は一気に聞いてやりたい気分になったが、まず一つだけ、聞くことにした。



「ここはどこなの?」

 猫が僕の目を真正面から見つめて答える。

「落ち着いて聞くにゃん」

 僕はごくりと生唾を飲んだ。

「ここは、ミルザルキルカルザル界だにゃん」

「え?何て?」

「ミルザルキルカルザル界だにゃん」

「もう一回だけ」

「ミルザルキ」

 そこまで言って、猫は舌を噛んだ。

「痛いにゃん...」

 猫がわなわな震えている。


「テメーあたしをからかってんのか!?よしいいぜぶっ潰してやる」

 

 ひいい口調が変わった!にゃんはどうした!

 殴りかかろうとしてくる猫をたしなめた。

「マジですみません。あまりにも素敵な名前だったので、何度も聞きたくなってしまったんです」

 猫がぱあっと微笑んだ。

「ああ!そうだったのかにゃん!ってなるか」

 びし!とノリツッコミをしてくれたところで、本題に移るとする。

「ところで、ここは異世界ってやつなんですか?」

「お前人をコントに突き合わせといて、よくそんなすぐ切り替えられるにゃんね」

「すみません」

「まあ、いいにゃん。教えてやるにゃん。後で奢れよにゃん」

 それから、猫は話し出した。まず、自身の名前は「パレット・ガレット」であること。猫人族であること。口癖は「にゃん」だと言うこと。それはもう知ってるからいいよ。

「これ大事だから聞いとけにゃん」

 パレットが神妙な顔で続ける。

「君は、勇者サマだにゃん」

「うーん。もうちょっと具体的に教えてよパレット先生」

「何かお前、調子に乗ってるにゃん?黙って聞けにゃん。まず、この世界にはたくさんの種族がいて、みんなで共存して暮らしていたにゃん」

 ふむふむ。

「その一方で、イルワルザル界っていう、いわゆる悪魔界も同時に存在しているにゃん。簡単に言えば、そいつらのボス、魔王がこっちの世界に侵入してきたんだにゃん」

「この二つの国は、互いに手を出さない約束で、今まで独立して存在していたにゃん。だけど、つい最近になって魔王たちが、土地の拡充のためとかで、こっちの世界に攻め込んできたにゃん」

 そういうわけで!

 と、僕はびしっと指を指された。


「お前が勇者サマとして召喚されたんだにゃん。魔王倒して、私たちを救うにゃん」


「何となく分かったけど、何で僕が召喚されたんだ?僕ただの温泉を司る普通の人間なんだけど」

「え?神聖なる剣、シャイニングハピネスはにゃん?」

「え?」

「えにゃん?」

「え?」

「えにゃん?」

 えにゃんって何だよ!

 後、シャイニングハピネスって何だよ!

「あいにく、僕はシャイニングハピネスは持ってませんよ、猫ちゃん」

「...私はまずいことをしてしまったのかもにゃん」

「というと?」

 パレットはすううと息を吸い込んで、真上を向いた。

「召喚する勇者サマ、間違えちゃったにゃん!終わったにゃん!」

「ええ〜!」

 何かおかしいと思ったよ!ただの大学卒業目前人間が、こんなところに急に来させられるなんて!

「ど、どうしようにゃん。怒られるにゃん」

 わなわな震えるパレットに、僕は提案した。

「名案があるぞ。パレット。僕を送り返して、本物の勇者サマを召喚し直せばいいじゃないか」

 パレットは焦燥しきった顔で僕を見つめた。

「そ、それはムリだにゃん。世界一つにつき、呼べる勇者サマは一人だけだにゃん...」

 うーん。僕は一筋の涙を流した。

「じゃ、じゃあさ。僕だけ送り返してみてよ。そしたらその後もう一度召喚できるかも...」

 パレットは取り乱すこと喧嘩中の猫のごとし。

「わああ!わああ!わああ!怒られるやばいよ」

「落ち着けって猫!」

「落ち着いてられるかにゃ!お前を送り返すこともできないんだにゃ!」

 えっとえーと。ん?

「わああ!わああ!帰れないの!?この猫!僕をこんなところに連れてきやがって!」

「わああ!わああ!」


 いや待て、一回落ち着こう。要するに、魔王とかいうやつを倒せば、僕は帰れるわけだ。そして、こいつも、この世界もハッピーってわけか。

「わああ!わああ!」

「おい、名案が浮かんだぞ猫。ちょっと静かにして」

「わああ!わああ!」

「うるせえ〜!」

 びっくりして、パレットが足元の草原にうつ伏せで倒れ込んだ。その表情は焦燥から絶望。そして諦めへとコマを進めていった。

「ああ〜。もういいにゃん。どうもならねえにゃん。お前の『スキル』がシャイニングハピネスじゃないなら、もうどうでもいいにゃん」

 不貞腐れるパレットをたしなめる。

「待てって。僕が魔王とかいうやつを倒せばいいんだろ?そしたら皆ハッピーってわけだ」

 パレットががばっと起き上がった。そのせいで芝生がぶあっと巻き上がる。

「ムリにゃん!シャイニングハピネスじゃなかったとしても、とんでもなく強い『スキル』じゃないと、魔王には勝てないにゃん」

 その『スキル』ってのを確認したいな。

「僕の『スキル』は何なんだ?どうやったら分かるの?」

「無駄なことにゃん。お前はさっきの竜にも対応できなかったにゃん。まあそんなに確認したいなら、一発芸をするにゃん。その後で、出ろ、パラメータと叫ぶにゃん」

「一発芸いきます」

「どうぞにゃん」

「お前、驚いたクリームシチューのこと、何て言うか知ってるか?んー。あ!びっクリームシチューだ!」

「お前、面白くないにゃん」

 俺は猫を無視して続ける。

「出ろ、パラメータ!」

「ちなみに、別に一発芸をする必要はなかったにゃん」

「ふざけんな!」

 僕の目の前に、ずらっと青白い画面が出てきた。何か、スマホとかと対して変わらないな。順番に見ていくと、「体力」とか「魔力」とか色々なものがあった。

「お前、本当に弱いにゃんな。『体力』二桁のやつなんて久しぶりに見たにゃん。戦闘タイプじゃない私でも五桁はあるにゃん。はあ!?しかも『魔力』がない!?」

 パレットが生気を失ったように芝生に倒れた。

「こんなことなら他のやつに召喚頼めばよかったにゃん。ああ、自分からやると言った手前、どんな顔で帰ればいいにゃん」

 猫は絶望していたが、僕はまだ希望を捨てていなかった。

「で、『スキル』って言うのはどこで見れるんだ?」

「それだにゃん。右の真ん中。そう、そこだにゃん。押してみろにゃん」

 言われた通りに操作すると、『スキル』の項目が出てきた。

「うーん。『スキル』は...?」

「ぐえ!」

 パレットが僕の顔を押し除けて、「スキル」を確認している。

「何にゃこれ!?使用魔力なし?そんな『スキル』は見たことないにゃ!」

「ほら見ろ。何かすごい『スキル』なんじゃないか?これ」

「で、でも。何にゃ?これ」

 そこに書かれていた『スキル』は、



『温泉』だった。何じゃこりゃ。

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