第6話 逃飛行(とうひこう)
意識を失っていたような感覚だったスイは、ふと我に帰った。辺り
を見回すと、懐かしき故郷ヴァイサイの景色が広がっていた。
「うわ!何だこりゃ!」
少し歩くと、そこには煙を上げて崩れる数十体のトリンゴーレムの
姿があった。黒い石ころのように砕け、トリンであったかどうか定か
ではないものまで転がっている。
「レンがやったのかな?」
ヴァイサイに着いた時から、異質で強力な魔力が城へと向かってい
るのを感じてはいたが、それがレンであるという確証はなかった。も
しレンであったとしても、アージ村を離れた期間で、これほどになる
までの鍛錬をしていたのだろうか。どちらにせよ、レンに会えばはっ
きりすることだと自分に言い聞かせ、城を目指した。
「おい、スイじゃないか!お前も帰ってきたのか」
街に差し掛かると、シュピゼたちがわらわらと外へ出ているのが見
えた。男のシュピゼがスイに気がつき、声をかけてきた。スイは、そ
の男のシュピゼからレンの様子を聞いた。
レンはヴァイサイに着くと、警備をしていたトリンゴーレムに襲い
掛かられるも、一瞬で薙ぎ倒し、街へと入ってきたそうだ。シュピゼ
たちは、レンがトリンゴーレムを魔法で破壊したことにも驚いたが、
それを証明するほどの魔力を持っていたことに、より驚いたのだった。
レンを見て震えたり、尻餅をつくシュピゼもいたらしい。レンは、こ
れからブロスを討つ、それだけを言い残し、ゆっくりと城へ向かって
いたそうだ。
「ってことで、先に城へ行ってるぞ」
シュピゼたちは一斉に消えた。瞬間移動で城へと向かったのだ。ス
イは、久しぶりの邂逅であるにも関わらず、あっという間に静かにな
った街を見て、ため息を吐いた。
「ああ、まったく」
そう呟き、瞬間移動ができないスイは、急いで城へと走った。
「お前は一体、今までどこで何をしていたんだ?」
ブロスは玉座に座ったまま、レンを見下ろしていた。これぞまさに
王者の風格というやつなのだろう、ブロスの威圧感は凄まじいものだ
った。空気がビリビリと震え、壁に掛かった絵画がゴトンと落ちて割
れた。
「そんな関係ないことはどうでもいい。さっさと終わらせる」
レンにブロスの威圧は効果がなかった。レンもまた、ブロスに匹敵
する威圧感を放っていた。ブロスは、背もたれに押しつけられるよう
な窮屈さを感じた。気がつくと、額に汗をかき、その汗はブロスのこ
めかみを伝った。ブロスは汗を拭うと、玉座から立ち上がり、レンの
目の前に瞬間移動をした。
「しっかり鍛錬はしていたようだな。私から王位を奪って、その後は
どうする?」
「王位?そんなものいらねぇ。俺はお前を殺しにきたんだ」
ブロスは高らかに笑った。ハッキリとした物言いで痛快だったのか、
それとも嘲笑なのか、そのどちらもなのかは分からないが、レンには
不快感を与えた。
「お前が私を殺す?他のシュピゼに勝ったこともないお前がか?片腹
痛いわ」
ブロスの語気は強くなった。身の程知らずの餓鬼に噛み付かれたこ
とが許せなかったのだろう。ブロスはプライドの高い男、いやプライ
ドの塊と言ってもいい、シュピゼの中でも群を抜いている。そんなブ
ロスは、レンから威圧感を与えられ、そして見下すような発言を浴び
せられた。実の息子から受けたこの屈辱は癇に障った。
「殺し合いがしたいのならそれで構わない。そうだなぁ、せっかくだ。
私たちだけの時間としようじゃないか。あいつらには、後でお前の首
を見せてやるとしよう」
そう言うと、ブロスは両手を天に伸ばした。すると、城の周囲に結
界が張られ、瞬間移動で場内に入ろうとしたシュピゼを突き飛ばした。
シュピゼたちは城門の前に転げ、困惑していた。
「一瞬だ。一瞬でアオイのところへ送ってやる」
ブロスがレンに掌を向けた瞬間、炎の槍がブロスの脇を通過し、玉
座に突き刺さった。ブロスには、何が起こったのか分からなかった。
どうやらレンの魔法のようだ。
「口はよく滑るのに、魔法の滑りは良くないみたいだ」
レンは、落ち着いたトーンで話した。レンは人差し指を突き出し、
スッとブロスの眉間に照準を合わせた。
「次は当たるぞ・・・」
ブロスは、大波を起こした。闘技場の壁に勢いよく水が打ちつける。
レンは自分の周囲に炎柱を上げ、水を蒸発させて防いでいた。ブロス
は水中を移動しているようだ。レンはブロスを探したが、その姿を捉
えることはできなかった。
「炎魔法だけでどうやって勝つつもりだ?」
レンは、背後からブロスの声を聞いた。瞬間移動でレンの炎柱の防
御魔法内に入り込んだブロスは、振り返ろうとするレンに先手を打っ
た。赤黒い炎を纏った拳を、レンの頬に喰らわした。レンは炎柱を抜
け、大波に呑まれた。レンが壁に叩きつけられる姿を確認したブロス
は、水魔法を解いた。そして横たわるレンを見て嘲笑した。
「さっきまでの威勢はどうした?まだ傷ひとつ付けられてはいない
ぞ」
嘲笑するブロスを気に留めることなく、レンはむくりと立ち上がり、
首を左右に倒して骨を鳴らした。そして退屈そうな表情を浮かべ、欠
伸をした。
「まぁ・・・こんなもんだよな」
ブロスは、動揺した。自分の魔法を受けて、いとも簡単に立ち上が
った奴は、アオイ以来だったからだ。
レンは握っていた手を開いて見せた。ゴーレムから奪ったトリンの
欠片を持っていた。
「これで魔法を吸収したのさ。威力が半減してたから、どうってこと
なかったぜ」
ブロスのプライドはズタボロだった。前任の王のように、圧倒的な
強さであるということをこちらが認識している相手ならまだしも、小
狡い手を使っているとはいえ、明らかに格下の相手であるレンに実力
が通用しなかったのだから。しかしブロスは、高揚している自分がい
ることにも気がついた。それは、自分の強さに伸び代があると実感し
たからであり、息子の成長に歓喜したからではなかった。
「ほ、ほう・・・。どうやら腐っても私の息子のようだな」
ブロスは、息子の強さを一旦認め、心に余裕を持たせることで、自
分のプライドとメンツを保とうとした。レンには分かっていた、ブロ
スはもう負けていると。ブロスのこの言葉は、自分を保つ苦肉の策で
あり、すでに心は折れている。レンは頃合いを見て終わらせよう、そ
う思っていた。
レンは、口から炎を吐き出した。ブロスの大波の範囲と威力と遜色
が無かったが、ブロスは冷静だった。風魔法を足元に発動し、ふわり
と高く飛んだ。小さな竜巻に乗りながらレンを見下ろしたブロスは、
レンに向けて数百本の水の矢を放ちながらゆっくりと下降した。レン
は、猿のような軽快な身のこなしでそれらを躱し、次の一手を打とう
とした。
その時、地面を這うような稲妻が、レンの足を目掛けて走ってくる。
レンはジャンプをして避けた。しかし、戦い方はブロスの方が遥かに
上手だった。稲妻は陽動で、ジャンプしたレンに向かって、水と炎の
槍が飛んでくる。
「まずい・・・!」
「風魔法を使えないお前がどう避ける!」
ブロスの瞳孔は開き、勝利を確信した表情を浮かべていた。
2 本の槍が当たると、シューという音と共に周囲は霧に包まれた。
真っ白な空間の中、ブロスの高笑いだけが喧しく響いていた。
「ハハハハ・・・っな!!」
霧がゆっくりと晴れ、目に飛び込んできた景色にブロスは愕然とし
た。レンは、両の掌から地面に向かって噴射した火炎で宙に浮いてい
た。霧が晴れる数十秒の間ずっとだ。
「・・・やっぱり燃費が悪いし、まだまだだな」
紙一重で躱しきれず、左足を掠ったが、戦闘に支障はなかった。修
復魔法を使えないレンは、痛みを我慢し、左足の傷を焼いて塞いだ。
軽くジャンプをし、足の様子を確かめてレンは言った。
「よし、問題ない。どうだ、大したもんだろう?空を飛ぶとまではい
かないが、お前にはできない芸当じゃないか?」
ブロスは、機転の利いた魔法の使い方をしたレンに、嫉妬の感情を
抱いていた。なぜ自分にできないことをやってのけるのかと。特段、
魔法における強さとは無関係なのだろうが、勝負の強さとは密接に関
係している。自分にはない機転という武器を持ったレンに対し、ブロ
スは行き場のない怒りの感情を沸々と湧かせた。怒りの源は、レンの
機転だけではない。この戦況を支配しているのは、間違いなくレンだ
った。自分が支配できていない現実が、自分で火に油を注いでいた。
「クソォ・・・」
ブロスは全身に力が入り、悔しさを滲ませていたが、自分の強さを
証明するために立ち止まってはいられなかった。食いしばった歯を緩
め、攻撃の手を緩めなかった。
瞬間移動でレンを翻弄し、四方八方から水の矢を浴びせた。瞬間移
動の使えないレンにとって、この攻撃は対処のしようがなく、炎柱で
身を守るしかなかった。しかし、ブロスの強力な魔力且つ凝縮された
水魔法では相性が悪く、炎柱を貫通した数本の矢を背中や腕に受けた。
「・・・くっ!!」
生憎、トリンは戦闘中に落としてしまったようで使えない。このま
までは分が悪い、そう思ったレンは、打開策を練った。魔力では、や
はりブロスの方が上、つまり消耗戦はブロスの方が圧倒的に有利だ。
ここぞというタイミングで強力な魔法を放ち、けりをつけるしかない。
レンは、炎魔法しか使えないとはいえ、魔法のことはよく知っていた。
さらに人間と関わる中で、相手がどう考えて行動するかも分かるよう
になっていた。そして、シュピゼであり父親であるブロスは、人間な
んかよりも単純で、手に取るようにどんな男かレンには分かっていた。
レンは、千を越えるビー玉サイズの火球を足元へと投げた。それは
コロコロと転がり、闘技場の一帯を埋め尽くした。
「ボボボォ!」
瞬間移動したブロスが火球を踏むと、小さな爆発を起こし、足を燃
やした。
「ぐわぁぁ!!」
その爆発は連鎖し、ブロスの膝下を焼いた。ブロスは回避しようと
ジャンプをした。すると目の前から巨大な炎の剣が飛んでくる。
「さぁ、お前ならどうする?」
レンは腕を組んで、ブロスをじっと見た。
ブロスは、力の劣る相手に、ここまで追いこまれていることに腹が
立った。腕を組んで吟味するような、虚仮にした態度が許せなかった。
ブロスは激怒した。そして頭に登った血は、思考をちぐはぐにした。
ただ回避するよりも、レンが驚く方法で剣を避けてやろうと考えた。
それが、レンよりも上位の存在であると誇示する、唯一の方法だと思
ったからだ。
「きさまああぁぁ!!見ていろおおぉぉ!!」
ブロスは両の掌から地面に向けて火炎を放ち、レンと同じ方法で宙
に浮こうとした。火力はレン以上で、凄まじい轟音だった。
確かに浮いた、が、バランスを取ることができず、足をバタバタと
させた。とうとう魔力は底をつき、噴射していた火炎が途切れた。ざ
っと浮いていた時間は5秒だった。
「ぐわああああぁぁぁ!!」
ブロスの腹に炎の剣が刺さり、ブロスは叫喚した。レンは、ブロス
の悲痛な叫び声と悶える姿を初めて目の当たりにしたのだった。
「もう修復魔法すら使う力もないだろ?素直に風魔法でも使ってりゃ
避けられたのにな。でも、あそこでそうしないのがお前だ。俺にあん
な芸当見せられたら、俺でもできると思うのがお前なんだよ」
ブロスの腹は、焼け爛れていた。臓器もいくつか失ったのだろう。
呼吸もまともにできていない状態だった。
「強さは魔力だけじゃない。機転も重要なんだ。それは人間から教わ
った。お前が見下していた人間からだ。狩猟で銃が使えないなら、罠
を張ればいい。食べ物を買うお金がないなら、作物を育てればいい。
そうやって人間は生きてる。魔法も同じ、機転を利かせればいい。だ
から風魔法が使えない俺でも浮くことができた。死ぬほど練習したけ
どな」
ブロスはレンを睨んだ。睨んだつもりだった。しかし、虚しくも半
開きになった目には、殺気も貫禄もなく、哀れむような表情のレンに
見下ろされていた。
「さてと・・・」
スイは、走ってレンとブロスのいる城へと向かっていた。何度でも
言うが、転移魔法が使えるというのは素晴らしいことだ。瞬間移動が
できるできないでは、生活における充実感が全く違う、と思う。瞬間
移動ができないスイは、両方の生活を経験しているわけではないため、
断言はできなかった。
「ん・・・あれ?」
城へ到着すると、そこにはシュピゼの群衆の姿があった。しかし、
様子が変だ。頭や腰を摩ったり、座り込んでいる者たちばかりで、誰
も城へ入ろうとしていなかった。
「ここで何してるの?」
「何してるって、結界で中に入れないんだよ。びっくりしたぜ。急に
吹き飛ばされたみたいな感覚にあってさ」
スイは試しに城門に触れようとした。すると、突風を凝縮したよう
な衝撃がスイにぶつかった。
「おわああぁぁぁ!!」
スイは平原を2 、3 回転した。
「いっててて・・・」
「ほらな?」
スイは、強く打った腰を摩りながら起き上がった。しかし、痛みよ
りも城内の様子が気になって仕方がなかった。レンは無事なのだろう
か。相手はアオイを殺したあのブロスだ。レンも殺されてしまうので
はないか。不安な気持ちが溢れていた。シュピゼたちはスイとは対照
的で、とにかく戦いが見たいと活気に溢れていた。
「ところでスイ、人間界で何やってたんだ?」
「人間たちと暮らしてた」
「はぁ?人間の暮らしだ?そりゃさぞ退屈な日々を過ごしたんだろう
なぁ!」
シュピゼたちは嘲笑った。強くなることこそ有意義な生活であると
信じているシュピゼたちにとって、下等な種族との生活など想像がで
きなかった。スイは、アージ村での生活、飛行機について、経験した
ことの全てを目を輝かせて話した。しかしシュピゼは、どの話も小馬
鹿にして笑い飛ばした。スイはとても気分が悪かった。
「おいおいレンの奴、そんな温室で育ったんなら、本当に殺されちま
うんじゃないか?」
「わたしもそう思うわ!ゴーレムを倒せたのは、きっと運が良かった
んじゃないかしら」
シュピゼたちは口々に言った。
スイは反論できなかった。確かに魔法を使う機会といえば、洗濯と
シャワーの時くらいだ。レンも同じ、狩猟と調理の時だけで、姿を消
してからは、魔法を使っていたのかどうかも分からない。鍛錬らしい
ことは、人間界で一度もしていなかったはずだ。もしかすると、ここ
にいるシュピゼたちとかなりの実力差があるのかも知れない。そうな
ると、レンとブロスの実力には、まさに雲泥の差があると考えられた。
スイは再び不安に駆られた。
「おや・・・?」
あるシュピゼが目を瞑って城の方に両手を翳している。シュピゼの
中には、感知能力が優れた者もいる。そんなシュピゼが何かを感じ取
ったようだ。
「結界が消えていくぞ。終わったんじゃないか?」
シュピゼたちは、恐る恐る城門に触れた。
「おお、本当だ!入れるぞ!」
シュピゼたちは一斉に城内へ押しかけた。スイも彼らに続いた。
スイとシュピゼたちは絶句した。レンが、ボロボロになったブロス
の頭を鷲掴みにして立っていた。
「ゴホッ・・・」
レンは、虫の息のブロスを壁へと叩きつけた。ブロスは壁にもたれ、
ぐたっとしたまま動かない。
「お前はこうやって、アオイを殺したんだったなぁ」
レンは、そんなブロスにゆっくり近づいていく。アオイとブロスが
戦っていた時とは、明らかにシュピゼの反応が違った。盛り上がるこ
とはなく、息を呑んでその光景を見ていた。それは、ブロスの圧倒的
な強さを証明する反応とも言える。何年も最強と謳われていたシュピ
ゼだ、そんなブロスが炎魔法しか使えない息子に敗北した光景。予想
だにしないこの出来事は、シュピゼたちに恐怖を植え付けていた。
「レン!ちょっと待った!」
スイは、目に映る光景を理解する前に口を開いた。レンは、久しぶ
りと言わんばかりに手を軽く振っていた。しかし、殺意に満ちた目を
しており、お世辞にも感動の再会に相応しい表情とは言えなかった。
スイは、その間に状況を整理した。まさか本当にブロスを討ち取る
なんて思ってもみなかった。数年人間界で生活していたのだから、毎
日鍛錬していたシュピゼとの力の差は歴然だと思っていた。しかし、
その過程と目の前の結果は、今となってはどうでもいい。この後、レ
ンの下す決断の方が遥かに重要だ。
「ブロスをどうするの?」
「殺すに決まってる」
「だめだよ」
「何でだよ!こいつはアオイの気持ちを考えず、殺した外道なんだぞ
!」
スイはレンのその言葉に、嬉しさと驚きが入り混じったような感情
が湧いた。王位を剥奪するためではなく、アオイのためにとった行動
だと分かったからだ。レンはシュピゼではなく、人間だった。
「スイがあの時、ここで見せた態度はこういうことだったんだろ?」
スイは言葉に詰まってしまった。アオイが死んだ時、自分が何故怒
りを露にしたのか、よく分かっていなかったが、今は分かる。そして
もしあの時、力があったなら、今のレンと同じことをしようとしてい
ただろうとスイは思った。しかし、それが人間としての決断として、
間違いであるということも今は分かっている。だからレンを止めたの
だ。
「一緒に人間界へ帰ろう」
レンの心には引っかかるものがあった。アージ村でもマージ街でも、
お世話になった人たちに、何も言わず飛び出してきてしまったことだ。
そういうのを不義理という、心象良くないことであると、リンドウか
ら聞いていた。正直ヴァイサイを出てしまえば、この国で起こること
は、もう自分には関係のないことだ。そう考えると、ブロスを殺すも
生かすも、どうでも良いことなのかもしれないとレンは思うようにな
った。
レンは、ブロスから左耳のイヤリングを外し、投げて黒炎の槍を突
き刺した。イヤリングは灰も残さずに消えた。
「分かったよ。みんなに謝りに帰るか」
レンはそう言うと、城門の方に歩き始めた。
「ゴオオォォォン!!バキバキバキ!!!」
轟音と共に、城内に瓦礫が降り注いだ。闘技場の屋根が綺麗さっぱ
り吹き飛び、空が見える。
「何事だ!」
城の外へシュピゼたちが飛び出した。次の瞬間、シュピゼたちの頭
上に奇怪な物体が現れ、それは頭上から火炎を放射した。シュピゼた
ちは反応することができずに、真っ向から火炎を受けて消滅した。城
の中からそれを見ていたスイとレンは、訳が分からず、外へ飛び出そ
うとした。
「ゴウッ!」
瞬間的な爆発音は、スイとレンを振り返らせた。そこには、壁にも
たれかかったまま全身が燃えるブロスの姿があった。そして、穴の空
いた天井から何かが2 つ入ってきた。
「あれは・・・」
レンがいち早く気がついた。それは間違いなくマージ街の蒸気軽航
空機だった。運転席に、エリカとオダマキが乗っているのが見えた。
「悪いなレン・・・。オレたちが豊かに暮らすためにはこうする他な
いんだ」
「レンの秘密や国のこと、教えてくれたこと全て、マージの王に漏ら
してたんだ。おいらたちのこと、信用してくれてありがとう」
ヴァイサイにマージ街の住民が攻め込んできた。レンは、マージ街
の飛行場を出る時、自分がいなくなることで仕事が止まってしまう可
能性を考慮し、数十個の火球を窯の中へと投げ入れておいたのだ。そ
の火球を、蒸気軽航空機の燃料と武器として使っていた。レンの魔力
は、自分でも気がつかないほど強力だった。分離した魔力でも、人間
を上空2万メートルまで軽々と運んでしまうくらいに。
「いいか、外に出たら死ぬからな!短期決戦だ!この国を落とせ!」
オダマキの掛け声で、数十機の飛行機がヴァイサイを取り囲んだ。
長年動かしていなかったこともあり、機体がみしみしと悲鳴をあげた
り、風に煽られたりしていたが、レンの魔力の影響だろうか、うっす
らと炎の膜が張られ、安定し始めた。
スイは、急いで外へと走った。この時、スイは自分の失態に気がつ
いていた。王宮で近衛兵が国の場所を聞いてきたのは、このためだっ
たのだと。そのために、自分に出任せを言っていたのだ。それを知る
由もなく、雲の上にあると喋ってしまった。そして、階段ですれ違っ
た黒装束の体格差のある2 人は、恐らくエリカとオダマキだ。エリカ
とオダマキは、あの格好で逐一王宮へ報告に行っていたのかもしれな
い。
そしてスイが聞いたのは「これからレンの後を追い、ヴァイサイを
掌握しろとの命令が下った」という近衛兵の会話だったのだ。
「メキメキ・・・パチパチ・・・!」
城の隣に聳え立つリーゴの大樹は、大きな火柱となり、ヴァイサイ
に火の粉を振り落としていた。
「ゴゴゴゴゴ・・・!」
地響きと共に、ヴァイサイがゆっくりと降下をし始めた。リーゴの
大樹はヴァイサイの魔力の根源である。それが絶たれ、ヴァイサイは
上空に留まることができなくなっていた。
外は火の海に包まれていた。シュピゼは魔法で応戦し、飛行機を撃
ち落としていた。撃ち落とされた飛行機は炎に包まれ、そのまま街に
突っ込んでいった。
その姿はまさに「フェニックス」だった。
レンの魔力を持った人間は、シュピゼと互角にやり合っていた。シ
ュピゼたちは動揺したはずだ。自分たちが最強だと過信し、人間は下
等種族だと蔑んでいたにも関わらず、攻められて対処しきれていない
現状に。そして何より、苦悶の表情を浮かべていたのはシュピゼの方
だった。
スイは、魔法が飛び交う中をすり抜け、リーゴの大樹の消火活動に
当った。スイは、掌から大量の水を放出しながら戦況を見た。シュピ
ゼも人間も知っているスイは、やはりと思った。2 機で相手の攻撃の
照準をずらしたり、タイミングよくシュピゼを挟み込んだりと、人間
は連携に長けていた。個々で見れば、シュピゼの戦力の方が上だ。し
かし、シュピゼは協力するということを知らず、自身の力で突き進む
のみ。個の力があるから、何とか拮抗している状態だが、シュピゼが
敗れるのも時間の問題だとスイは思った。
レンの目の前には、エリカとオダマキを含む4 機が飛び回っていた。
城の闘技場は、飛行機の攻撃によって、ほぼ日光にさらされた状態と
なっていた。レンは、裏切られた悲しみから、立ち尽くす以外にでき
ることがなかった。
「なんだよ、俺は騙されてたのかよ」
「これがオレたちの生き方なんだよ。デカくなるために飯を食う、そ
れと同じだ。国をデカくするために他国を喰う。分かりやすいだろう
?」
その声は、レンの知るオダマキの声ではなかった。野蛮で豪快な巨
漢のような熱い声ではなく、冷静沈着な殺し屋のような冷めた声だっ
た。
「父ちゃん、おいらにレンを討たせてよ。王様にアピールしたいんだ
!」
エリカの頼みをオダマキは了承した。エリカの目はキラキラとして
いた。初めて飛行機に乗ったあの日と同じ目だった。エリカのその目
は、レンをより困惑させた。エリカと戦いたくはない、その気持ちが
レンの足を動かした。レンはジェット機のように両の掌から炎を噴射
し、森の中へと走った。エリカはレンを追いかけ、銃を連射した。
「ドバババババババ!!」
フェニックスの中には、レンの火炎放射器とは別に、マシンガンを
積んだものもあった。エリカは、器用にマシンガンを撃ちながら飛行
機を操縦していた。飛ばし方が分からず、事故を起こしていた張本人
とは思えない成長ぶりだった。レンは、掌の炎を出したり止めたりし
ながら、器用に銃弾を避けた。
ここはヴァイサイの森だ。幼少期から知り尽くしたレンに地の利は
あった。木の間を縦横無尽に駆け回り、エリカを翻弄した。
エリカは集中していた。レンから目を離さず、照準を合わせようと
していた。
しかし、その集中が仇となった。自分の身に翼幅があるということ
が、頭からすっかり抜けていたのだ。木の間を擦り抜けようとしたエ
リカの飛行機は、翼が枝葉に捕らわれ、墜落した。地面に叩きつけら
れた飛行機は数回転し、エリカを放り出した。飛行機は地面に突き刺
さり、煙を上げながら止まった。
「エリカ・・・」
レンは、血まみれで倒れるエリカに近寄った。ヴァイサイは高度1
万メートル前後まで下がっているものの、生身の人間、ましてや虫の
息の人間にとっては地獄だった。エリカはみるみる凍りつき、うまく
呼吸をすることができず、痛みと苦しみをただ耐えているしかなかっ
た。
「あと少しで、解放されたのに・・・街でみんなと暮らせたのに・・
・」
エリカは、か細い声でそう言い残し、目の光を失った。レンはエリ
カの骸を跨ぎ、城へ戻ろうと静かに歩き始めた。ふと飛行機に乗った
人々の顔を思い出していた。全員が工場の従業員だった。エリカの最
期の言葉と、オダマキの言う「生き方」の意味を、レンは理解した。
「だめだ、全然消えない」
スイは、いまだ燃え盛るリーゴの大樹と戦っていた。大樹とスイの
周辺は、墜落した飛行機と、城の瓦礫で滅茶苦茶になっていた。それ
らの下敷きになった人間とシュピゼも、ちらほら見えた。スイは、目
の前に広がる光景を呑み込むことができなかった。人間とシュピゼが
争うなど想像できただろうか、なぜ争わなければならないのか、自分
が人間と関わらなければ良かったのではないか。頭の中をぐるぐる駆
け回るあらゆる思考は、スイの心をズキズキと刺激した。
「ま、魔法が・・・!」
シュピゼたちの動きがピタリと止まった。彼らの顔は、驚きと絶望
が入り混じっていた。いくら手を翳しても、移動しようとしても、魔
法が発動しない。突如として魔法が使えなくなっていたのだ。スイは
空を見上げた。雲がだいぶ高い位置に見えている。人間界の領域に入
り、シュピゼたちは魔力を奪われたのだ。そんな中、レンの魔力を持
つ人間の火炎放射は健在だった。何もできないでいるシュピゼたちを、
勢いよく焼き払った。
「うわあああぁぁ!!」
「ぎゃあああぁぁ!!」」
シュピゼたちの断末魔が、スイの鼓膜を突き刺した。その断末魔は、
スイに決断を迫る合図となった。逃げるか、応戦して人間を殺すか。
後者は決して選びたくはなかった。しかし、火だるまになり、悶える
シュピゼを見捨てることもできなかった。
強いはずのシュピゼが、飛行機に背を向けてただ走っている。強い
はずのシュピゼが、瓦礫の隙間に身を潜めて震えている。鍛錬でレン
を打ちのめしていた近所のシュピゼは、飛行機から放たれたレンの火
炎によって消し炭となった。スイは頭を抱えた。そんな戦意を喪失し
たスイに、数機が迫ってきた。
「そうか、お前が兄貴のスイか。レンによく似ている」
そのうちの1 機はオダマキだった。オダマキは哀れみの表情を浮か
べ、そしてニヤリと笑った。
「レンの奴が言ってたな。お前の夢は、空を飛んで世界を旅したい、
だったか?なら、こうしてお前らの国にやって来られたオレを、さぞ
羨ましく思っているんだろう。まぁ、大丈夫だ。あの世できっと、そ
の夢は叶うからよ」
飛行機の両翼下部の銃口から、勢いよく空気が出始めた。それは、
レンの魔力を押し出す下準備で、あとはボタンひとつでスイに火炎放
射が襲いかかる。スイは、燃え盛るリーゴの大樹を背に座り込んでい
た。ホテイとヨージ、アージ村の人たちと最後に会いたかったという
後悔と、死んだらアオイに会えるかもしれないという期待が、頭の中
を行き来していた。スイは静かに目を閉じた。
「ボウゥッ!!」
突然、オダマキの脇に控えていた数機が熱風に吹き飛ばされた。危
険を察知したオダマキは、旋回して周囲の様子を伺った。その音でス
イは目を開けた。
「レン!」
スイの視界には、うねうねと動く8 本の炎の尾のようなものが映っ
た。その炎芯は黒く、外炎は紅蓮だった。尾は、レンの尾てい骨あた
りから伸びており、10メートルほどの長さだった。
「クソ!エリカはどうした!」
「死んだよ」
「お前がやったのか?」
レンはオダマキのその問いに答えはしなかった。オダマキは、レン
に向けてマシンガンを撃ったが、開かる尾に遮られた。尾をブンッと
振ると、オダマキに向けて熱風を巻き起こした。熱風は、機体を大き
く煽り、オダマキが乗った飛行機をヴァイサイの外へと放り出した。
その隙にレンとスイは、これからのことについて話した。
「レン!火を消さないと、ヴァイサイが人間界に落ちちゃう!」
スイは、リーゴの大樹を指差して言った。レンは諦めろとスイに言
い聞かせた。それよりも人間界へ着いた際に、シュピゼの安全を担保
する手立てを考えた方が良いと。この状況下で冷静な判断を下す弟は、
紛れもなく王だった。スイは兄としてではなく、家臣としてそれを心
得たのだった。
スイは、すぐに生きているシュピゼたちを安全な場所へ誘導しよう
とした。シュピゼたちの応戦で、人間たちは数十機から残り数機まで
減っていた。しかし、全く手を緩めることはなく、血眼でシュピゼを
探し回っている。開けた場所の多いヴァイサイで、隠れながら逃げ回
るのは至難の業なのだが、トリンの瓦礫や墜落した飛行機が遮蔽物と
なり、なんとか森へ入ることができそうだった。
「スイ、アージ村は信用できるよな?」
「うん、大丈夫。おれたちの帰りを待ってるって言ってたよ」
今し方、人間からの裏切りにあったレンは、疑心暗鬼に陥っていた。
騙し騙され生きるのが、人間なのだと思わざるを得なかった。アージ
村の人間を疑ったのは他でもない、ホテイがマージ街から来た人間だ
からだ。そして、自身がシュピゼの娘であることを隠していた。シュ
ピゼであるスイとレンと出会ったことは、本当に偶然なのだろうか、
近付くようマージから命令されたのではないか、そのように思考する
ことは、置かれた現状から当然のことだった。
スイはアオイに似て純粋だ。人間を疑うどころか、こんな状況でも
責めることはせず、アージ村へ帰ることと、飛行機に乗る夢のことだ
けを考えていた。レンは呆れた表情を浮かべたが、いつも通りのスイ
であることに安堵したのだった。
「パァァン・・・!」
森の入り口まで順調に移動してきたシュピゼの一行は、耳を突き刺
す甲高い銃声を聞いた。その数秒後、スイはその場にうつ伏せでパタ
リと倒れ込んだ。
「おい、スイ?」
レンの問いかけに反応したのは、スイの血だった。血はゆっくりと
レンの方へ流れてきた。
「うわあああぁぁぁ!!」
シュピゼたちは取り乱し、スイとレンを置いて一目散に森へと駆け
込んだ。
「クソガキが。手間取らせやがって!」
オダマキの飛行機が、レンの頭上を勢いよく通過した。レンは強風
に煽られそうになりながら、スイを抱えて支えた。
「何だよぉおもおおお!!何だってんだよぉおおおおお!!」
レンは大声で叫んだ。それは叫びというより、咆哮と表現する方が
正しいかもしれない。ヴァイサイ全体が、レンの咆哮で大きく揺れた。
「ドボオオオォォォォン・・・!!」
ヴァイサイを飛び回っていたオダマキの視界は、50メートルほどの
巨大な水の王冠に遮られた。とうとうヴァイサイが海に落ちたのだ。
水の勢いは凄まじく、ヴァイサイの状態は全く見えない。オダマキは
王冠を囲うように飛行した。大雨のような水飛沫が、バタバタと大き
な音を立てて降り注ぎ、あまりの重さに機体は左右に揺られた。徐々
に雨は弱まり、操縦席のアクリル窓に付いた水滴は、風で流れていっ
た。
そしてオダマキは、視界に映った景色にゾッとした。水の王冠が低
くなると、そこから炎の八岐大蛇が顔を覗かせた。その大きさは徐々
に増していき、全長100メートルほどになった。8 本の首を獲物を探す
ようにゆらゆらとさせる姿は、周囲に威圧感を与えた。その姿にオダ
マキは、まさに蛇に睨まれた蛙のように動くことができなかった。
「何だ・・・こりゃ・・・」
海水が蒸気を上げるほど、ヴァイサイ周辺の気温は上昇していた。
それは機内まで伝わり、オダマキは暑さと恐怖でジトッと汗をかいて
いた。オダマキは、八岐大蛇の視界に入らないよう、注意しながら飛
行した、すると八岐大蛇の首元に、黄白色のような目を突き刺す激し
い光が見えた。八岐大蛇があまりにも大きいため、その光は豆粒ほど
の大きさだったが、一際目立っていた。オダマキは、それがレンであ
ると確信した。八岐大蛇の心臓、熱源となっているのはレンだったの
だ。全身が炎に包まれていて、レンの姿は見えない。それに、高温で
機体が溶けそうで、近づいてレンに奇襲をかけることもできそうにな
い。
「ちくしょう、一旦退いて装備を調えるか」
数キロメートルほど離れた位置にマージ街が見える。オダマキはマ
ージ街の飛行場を目指した。
その道中で数十機の飛行機とすれ違った。マージ街や他国からでも
あの怪物が見えたのだろう、偵察と鎮圧の命令を受けたであろう近衛
兵たちの姿があった。あの数なら何とかなるだろうと、オダマキは少
し安心した。振り返り、勇敢な軍勢が怪物に立ち向かっていく姿を確
認した。オダマキは、国のため、そして自分の生活のために、装備を
調えたら加勢しようと鼓舞した。
「グオオオオオォォォォ!!」
八岐大蛇は凄まじい咆哮をした。オダマキは、背中に熱と衝撃を感
じた。
次の瞬間、オダマキの乗った飛行機の右側を、激しい熱光線が通過
した。
「ドゴオオオオォォン・・・!!」
その熱光線は、ピック大陸の山間部を消し飛ばした。オダマキが慌
てて振り返ると、数秒前までいたはずの軍勢の姿がなかった。
「ひいぃっ!」
虚しくも、鼓舞したオダマキの心も共に、無に帰したのだった。恐
怖に駆られたオダマキは、すぐに居直り、マージ街の方を向いた。
その瞬間、機体に火球が衝突した。飛行機は爆散し、焦げたオダマ
キは、金属片と共に森の中へと落下していった。
一方ヴァイサイは、レンの炎の影響で草木は枯れ果て、緑が豊かな
地であったという名残は一切無く、海に漂う荒地でしかなかった。森
へ逃げていったシュピゼたちは、炎の渦に呑まれ、その姿はなかった。
しかし、スイの倒れている場所だけ不自然に草が生えており、その周
囲を黒炎が囲っていた。どうやら、レンが意図的にスイだけを守った
ようだ。
「ん・・・」
スイは目を覚ました。撃たれて気を失っていたが、幸いにも腕を掠
めた程度だったようだ。スイは傷口を水で洗い、衣服の一部を切り取
って止血帯にした。視界を黒炎に塞がれ、外の状況がよく分からなか
ったスイは、放水して黒炎を消した。
「うわっ!熱い!」
まずスイの目に飛び込んできたのは、全身が炎に包まれたレンと思
しき姿だ。そして、そこから頭上へ伸びる8 本の炎柱を見上げた。
「これは、レンの魔法だよな・・・」
スイがこの状況を整理するには時間が必要だった。海に浮かぶ荒れ
たヴァイサイ、炎の八岐大蛇と燃え盛るレン、これらに対して自分は
何ができるのかを、ひとりで考えるしかなかった。
再びヴァイサイの上空に数十機の飛行機がやって来た。その飛行機
が一斉に、8本の首に銃弾を何発も浴びせていたが、当然意味はなか
った。八岐大蛇もまた一斉に火炎放射し、数十機の飛行機を消し飛ば
した。無情にも散った金属片や炭が、スイの側にバラバラと落下して
きた。
「レン!レン!」
スイは、必死にレンに呼びかけた。レンのこの状態は、アオイと同
じ「暴走」なのではないかとスイは思っていた。今のレンは、命を賭
けて炎の八岐大蛇を生み出しているのだ。もしそうであるなら、早く
止めなければレンは死んでしまう。しかし止め方を知らない、という
より恐らく止める方法はない、でもとにかく何かをやるしかない。そ
んな散らかった思考は、愚直に身体を動かした。スイは掌をレンに向
け、放水した。とにかくレンを救いたいという気持ちがその勢いに表
れていた。
「ブシュウウゥゥゥ・・・」
スイのその想いは虚しく、レンの炎に掻き消されてしまった。凝縮
されたような激しい音と共に、ただ水蒸気を上げるだけだった。スイ
は諦めず、放水を続けた。アオイが言っていた通り、暴走は強大な魔
力だった。側から見れば、山火事に如雨露で対処しているような無謀
さだ。しかし、スイは手を止めなかった。その間、レンもまたピック
大陸への攻撃の手を緩めなかった。マージ街へ光線を放ち、そこらの
山々に火球を放っていた。海に浮かぶヴァイサイから数キロメートル
ほど離れた地であるにも関わらず、ことごとく破壊していった。
1 体の炎龍が、スイの存在に気がついた。スイに向かって火球を放
ち、牽制した。スイに向かってくるそれは、まるで隕石のようだった。
スイは魔法で水の道を作り、波乗りをして避けた。
「危なかった!」
スイは八岐大蛇に気づかれないよう、レンの背後に回り込み、再び
放水した。人間はまた、数十機の飛行機に乗ってやってきていた。ス
イも人間も、得体の知れない力を前に、意味がないかもしれないこと
をやり続けるしかなかった。
この放水という退屈な単純作業によって、頭が働き出したいと思っ
たのだろうか。ヴァイサイで生まれてから、今に至るまでの記憶が呼
び起こされた。レンと鍛錬した日々、ブロスにボロボロにされた日々、
アオイと雑談した日々、ヨージとホテイ、ドイとアージ村で過ごした
日々、ライトと駆け回った日々、スイの頭には身近な人の顔が浮かん
だ。そして最後に、レンと2 人で飛行機に乗って旅をする映像が見え
た。
スイは、ほろりと涙を流した。
「レンを助けないと。レンと一緒に空を飛びたいんだよ」
スイのその想いは、空をも泣かせた。ポツポツと降り出した雨は、
瞬く間に豪雨となり、そして突風を呼んだ。
「ゴボボボ・・・」
スイの身体は水に包まれ、そこから高く水柱が立ち昇った。その水
柱は八岐大蛇と同程度の大きさになり、それは大剣を握った巨人のよ
うな姿となった。
飛行機の殲滅を済ませた八岐大蛇は、背後の巨人の方を向いた。レ
ンもまた、目を閉じたままスイの方へと身体を向けた。スイの暴風雨
は、ピック大陸の火災を鎮めていった。スイがレンに向けた放水の威
力は、格段に上がっていた。あと少しでレンに届きそうな勢いだった。
頭上では、八岐大蛇と巨人が激しい攻防を繰り返していた。水の大
剣で切り裂き、火球と光線を吐き、それはまるで怪獣の大進撃だった。
「止まれ!レンッ!」
水蒸気で視界が真っ白になり、レンの姿は見えない。しかし、スイ
の肌を突き刺す熱は変わらず、それは依然としてレンの炎が衰えてい
ないことを意味していた。
「ゴホッゴホッ・・・」
「レン!」
レンは炎の中で目を覚ました。目の前に立つスイ、そしてスイの頭
上に見える水の巨人、荒れたヴァイサイに散らばる金属片と人の形を
した黒い塊。あらゆる情報がレンの目に一遍に飛び込んできた。
「これ・・・俺がやったのか?」
「うん、そうだよ。暴走したんだ」
スイとレンの意思とは関係なく、頭上の八岐大蛇と巨人は戦闘を続
けていた。
「暴走って、どうやったら止まるんだよ!」
「とりあえずレンをそこから出す!」
スイはさらに力を込め、水の勢いを上げた。
レンは、スイの放つ水の方へと手を伸ばしてみた。
「ジュウウウゥゥゥ・・・」
レンが両手を翳した場所の炎が一瞬弱まり、レンの腕がスイの水を
浴びた。すると、レンの腕は炭と化した。
「うわああああぁぁぁ!!」
動揺したレンは、両手を引っ込めた。するとレンのその声に呼応す
るように、炎の勢いは一気に激しくなった。八岐大蛇は、地が裂ける
ほどの咆哮をした。スイは、その熱で身を包む水が蒸発していくのを
感じ、さらには海からも水蒸気が立ち上っていた。
「あっつい!」
巨人からも水蒸気が上がり、雨風も弱まった。スイは初めて大量の
魔力を消費し、息切れを起こしていた。それでも尚、放水を続けた。
「スイ、もうやめてくれ!」
「いや、助けるよ。一緒にアージ村へ帰ろう。そして、2 人で空を飛
ぼう」
「俺を止めた後はどうするんだよ!スイも暴走してんだろ?」
「それは、その時考える」
しかしこの方法では、全身が両腕のように炭化して、死んでしまう
のではないかとレンは思っていた。レンは両腕をゆっくりと動かした。
軋みながら細かな煤がボロボロと散った。その光景は、レンにさらに
恐怖を植え付けた。
「スイ、俺は死にたくねぇ!」
「大丈夫だって!」
スイは、怯えるレンを何とかしようと必死だった。レンが怯えれば
怯えるほど、魔力が強まっていったからだ。しかし、どんなに熱風と
火の粉が襲い掛かろうが、スイは折れなかった。レンを助けようとい
う想いが、スイの魔力を強くし、暴風雨が戻って来たのだった。スイ
のおかげで、人間界の温度が少しずつ安定し始めた。
「俺のせいで、ヴァイサイも人間界も滅茶苦茶だ・・・。人間もシュ
ピゼも大勢殺した・・・。どうすりゃ良かったんだ・・・」
「仕方がないよ。ヴァイサイに人間が襲撃に来るなんて、誰にも予想
できなかったよ。ヴァイサイを守るために正しいことをしたと思う」
レンは、スイの説得を素直に受け入れることができなかった。レン
の側に転がっている黒い塊は、飛行機を操縦するそのままの姿形をし
ていた。真っ黒で定かではないが、苦悶の表情がレンには透けて見え
た。アージ村のみんなは、こんな自分を受け入れてくれるのだろうか、
このまま普通に生きて良いのだろうかという罪悪感で押し潰されそう
だった。
「ごめんなさい・・・」
レンの罪悪感は、アオイやホテイ、ヨージやリンドウの姿を目の前
に映し出し、無意識のうちにその記憶を改ざんしていた。
「ブロスと同じ炎魔法を受け継ぐなんて」
「炎なんて必要ない、ライトの電気があれば十分だわ」
「ライトの能力の方が、狩猟に向いてるな」
「アオイさんは人殺しの息子なんか愛さない」
4 人はレンを囲み、口々に言った。レンは目と耳を閉じた。しかし、
4 人の姿と声は消えなかった。
そしてもう、スイの呼びかけが、レンに届くことはなかった。
「やめてくれ・・・やめてくれえええぇぇぇ!!」
レンが叫ぶと、熱風が吹き荒れ、炎の勢いは増した。すると八岐大
蛇は一斉にスイの方を向き、火炎を放った。スイは反応することがで
きず、真上を見上げたまま炎に呑まれた。
「ブシュウウウゥゥゥゥ・・・」
入道雲のような水蒸気がヴァイサイを埋め尽くし、水の巨人の姿を
も隠した。暴風雨は徐々に弱まり、水蒸気はゆっくりと空へと昇り始
めた。
レンは閉じていた目と耳を恐る恐る開いた。すると、目の前にはス
イの姿があった。しかしそれは、いつものスイの姿ではなく、靄のよ
うに白く薄かった。
スイは、レンの炎によって、水蒸気と化したのだった。スイは、悠
々と浮いていく自分の姿を見た。そしてレンの方へ笑顔を見せ、ふわ
っと空を飛んだ。
レンは、絶望にも似た表情で、炎の中からそれを見ていた。飛び立
つスイの手を掴もうと、炎の中を1 歩、また1 歩と進み、気がつくと
炎から飛び出ていた。
「ボフウウゥゥ・・・」
すると、八岐大蛇は萎むように小さくなり、ピック大陸に燃え移っ
た炎も消えていった。レンは、炭化した両腕を除き、全身が未だ燃え
続けている。その状態でスイを追いかけた。走りながら、落ちていた
4 畳ほどの大きさの汚れた布を拾い上げ、それを掴んで広げた。
「ブワァッ!」
風とレンの炎を真下から受けたその布は、大きく開いた。レンは布
の両端をしっかりと握り、自身の身体から発する炎を利用して、熱気
球のように飛び上がった。風に乗ってゆっくり移動するスイを、レン
は懸命に追いかけた。
「スイ兄ちゃん、レン兄ちゃん・・・」
アージ村から海まで走ってやってきたライトは、飛んでいくスイと
レンの姿を眺めていた。幸いアージ村は、近隣の山々が光線によって
欠けたものの、ライトの防御魔法のおかげで、死傷者は1 人もいなか
った。
青空の下、微かに波の音を感じながらスイとレンは漂っていた。ス
イは少しずつ上空へと昇り、レンはスイを追いかけ、常に背後につい
た。レンは、2 人で飛行機に乗ったら、こんな感じなのだろうと想像
していた。
「俺たち飛んでるな」
「・・・」
「どこまでいけるんだろうなぁ」
「・・・」
「結局、アージ村のみんなに挨拶しないままかぁ」
「・・・」
水蒸気と化したスイが言葉を発することはなかったが、依然として
笑顔だった。両手足を大きく広げ、風を感じているような姿勢でいた。
レンの足先は炭化し始め、それは徐々に上半身に向けて進行してい
た。
「人間界ってデカいな。というより海がデカいのか。空と同じだな」
レンはしみじみと、最期の旅を楽しんでいた。ヴァイサイを出て人
間と出会い、紆余曲折を経て死を目前にしているレンは、何とも言え
ない充実感を得ていた。あの時、ヴァイサイから飛行機を見たこと、
アオイの言う通りに人間界へ降りたこと、すべての機会に恵まれてい
たと、そう思えた。
レンは、ふとした違和感から下半身を見た。完全に炭化し、動かな
くなっていた。感覚はほぼ無いが、風が多孔質な足を通過すると、何
とも言えないむず痒さを感じた気がした。その風は、無情にもレンの
足を面白がるように何度も通過し、軋んだ右足を海へと落とした。高
さでよく見えなかったが、海に落ちたレンの右足は、溶けるように消
えていった。
レンは、何だか右足を自由にしたように感じた。それを見ていたス
イは、笑顔ではいたものの、涙をポロポロと流していた。
「何泣いてんだよ。俺の足が消えたからか?それとも飛行機に乗れな
かったことを後悔してんのか?」
もちろん、スイがレンの問い掛けに答えることはなく、涙の理由は
分からなかった。レンは罪悪感から、スイに向けていた視線を落とし
た。
「俺の所為だよな・・・」
スイは、すぐにレンの顔を覗き込んだ。
スイのその姿は、雨を降らす小さな雲のようで、何だか暖かな晴れ
の兆しを感じさせた。
「スイ、そろそろお別れだな・・・」
レンは、肩より下が炭化し、スイは、何とか視認できる程度の薄さ
になっていた。海からは遠ざかり、もう数メートル先には、雲が広が
っていた。
束の間の旅ではあったが、最期を楽しんだ2 人は、穏やかな表情だ
った。
スイは別れを告げるように、薄くなった手を振って、雲の中へ吸い
込まれるように消えていった。レンは視界が暗くなる最後の最後まで
スイを見て、そして海に向かって散っていったのだった。
レンの手から離れた布は、真っ赤な夕陽に照らされながら、勢いよ
く風に煽られ、またどこかへと飛び去った。
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